鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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最後の推敲に時間がかかってしまい、予定通り投稿できませんでした。すみません。
今日は昨日の分と合わせて2話連続投稿です。


第32話 鏑木啓介

 屋敷の広い庭に、二十人弱の子供が集められていた。その多くは十五、六歳ほどに見える。上は成人手前ぐらいだろう者。下には十三あたりにしか見えない者もいた。

 そのいずれもが硬い顔で帯刀していた。子供らしい明るさ、快活さは全く見られない。隠しきれない緊張と戸惑いの色が(あら)わだった。

 今年で十四になった鏑木啓介(けいすけ)もその一人である。隣にいる同門の沙織(さおり)克洋(かつひろ)も、落ち着かなげに視線を彷徨わせていた。啓介の見た限りでは、一人で選別に来た者が多いらしく、参加者達はそれぞれ距離を置いて立っている。三人で固まっているのは啓介達だけだった。

 育手からは『今回の最終選別は今までと異なる形式で行うらしい』としか聞かされていない。詳細がわからぬまま、参加者達はこの邸宅に集められた。不安は当然のものだ。そもそもが『鬼と殺し合って生き延びろ』という命がけの選別だ。試験課題がより厳しくなったのではないかという警戒があった。啓介達も、三人揃って生還できる保障はない。

 しかしながら、今の啓介の関心は選別内容とは別のところにあった。

 庭の一角に五人の隊士が集まっていた。本来、現役の隊士は選別に関わらないものだと聞いている。これも異例のことなのだろう。

 身長も年齢も異なる五人は、黒い詰襟の隊服だけが共通している。今後の予定の確認をしているのか、彼らは頭を突き合わせて話し込んでいた。啓介たちからは若干距離があるため、内容までは聞き取れない。その隊士達の中に、異様な気配を纏った剣士がいた。

 白髪の目立つ隊士だ。身長こそ周りの隊士達と同程度にあるが、その少年の横顔には子供らしい丸みがわずかに残っていた。啓介とさして変わらない年齢だろう。少年は五人の隊士の中で明らかに最も年若かった。しかし奇妙なことに、他の四人の振る舞いは、あの白髪の隊士の指示や判断を仰いでいるように見えた。

 ──あれは人間なのか?

 それは例えるなら、秋に赤く色づいた木々の中で一本だけ緑を保っている(もみ)の木のように、異彩を放っていた。

 白髪自体は、珍しいがありえない色ではない。肌の色も病的な白さだが、人間の範疇だ。言葉で説明できるような、これといって決定的な逸脱があるわけではない。しかし、その立ち姿に強烈な違和感を覚えた。仕草か、佇まいか、息遣いか。何処がとは言い難いが、あの剣士の周りに滲む空気が異様なのだ。人に化けた異類でも見ているかのような不気味さがあった。あるいは、刀そのものが人の形に変じたかのような。どちらにせよ、異質な化生にしか見えないことには変わりない。

 ──鬼?

 近寄りたくない。今すぐに立ち去るか、そうでなければ斬り捨ててしまいたい衝動に駆られていた。何故、周りの隊士達が平然と()()と会話しているのかわからない。あのような化物と。

 はじめは最終選別への緊張で自分の感覚が狂ったのではないかと疑った。実際、周りの参加者達は取り立ててあの隊士に注意を払っている様子はない。しかし、気のせいで済ませるには頭の中の警鐘が(うるさ)すぎた。

「──啓介?」

 隣からかけられた声に反応する。克洋(かつひろ)だ。彼の声のお陰で、隊士に釘付けになっていた視線をやっと外すことができた。目を離す不安よりも、あれから意識を逸らせた安堵の方が大きかった。

 返事をしようとして、無意識に呼吸が浅くなっていた自分に気がついた。

「……克洋。あの隊士、どう────」

 思う、と続けようとして、啓介は口を(つぐ)んだ。

 丁度、その隊士が動きを見せたところだった。歩くたびに揺れる白髪と白い羽織は、茶けた庭の中によく目立った。隊士が中央前方で足を止めた時には、参加者全員がその隊士を注視していた。

「──今日は集まってくれてありがとう。急な選別方法の変更に、戸惑った者も多いと思う」

 声変わりを終えているのかいないのか、その少年の声は、伸びた身丈に対していささか高めに聞こえた。

 正面から少年の姿を直視する。

 あ、と声を上げそうになった。

 先程まで角度の関係でよく見えていなかった隊士の瞳に、啓介の視線が吸い寄せられる。血の色の透けた赤い虹彩、ざっくりと縦に裂けた瞳孔。異形の目は鬼のものに他ならない。髪も肌も装束も色味に乏しい中で、虹彩の沁みるような赤だけが鮮やかだ。啓介の直感を裏付ける異形に、呼吸を忘れて立ち尽くす。

 ──何故、ここに鬼がいる。

 やや痩せぎすの印象のある少年の体。その羽織の裾に隠れているはずの左手が存在していないことに気がついた。

 ──隻腕の剣士。

 頭の隅をちりちりと何かが(くすぶ)った。

 ──鬼の特徴を有する剣士。

 少し前に、そのような隊士がいるらしいと育手から聞いた気がする。

 いつのまにか、隣の沙織の息遣いが変わっていた。浅く、僅かに震えている呼吸には、激しい動揺が明らかだった。林の中を駆け抜けていく風のようないつもの軽やかさは、今は影も形もない。

「この度の最終選別の監督を務める、混柱の東出だ。入隊後は君達の上官になる。

 初めに言うが、君達の入隊は決定している。この選別では死人は出さない。安全は私が保障する。この選別で決めるのは配属先だ。君達の実力と特性を見て、剣士にするか、新設部隊の昼伐隊の一員とするか、(かくし)にするかを決める。各々(おのおの)、心して試験に臨む様に。──質問のある者はいるか?」

 東出が話す間にも、参加者の中にさざなみのように困惑が広がっていた。沙織と逆隣の克洋の顔を盗み見れば、こちらは戸惑ったように軽く眉根を寄せていた。

「──いないようだな。では、最初に剣術から見ていく。そちらの四人は一番左の浅井隊士の元へ。そっちの五人は隣の松田隊士、君たちは……」

 言われるまま四、五人の少人数に分けられ、それぞれ詰襟の隊士の前に集められた。啓介達三人は初対面の参加者二人と同じ組に分けられ、東出と名乗った白髪の隊士が担当することになった。よりによって、と啓介は内心で(うめ)いた。

「君達五人に順に、私と立ち会ってもらう。注意点は……そうだな、習得した型はできる限り全て見せて欲しい。木刀はあそこから好きなものを選んでくれ」

 並べられていた木刀の一つを手にして戻る。じっとりと手が汗で湿っていた。木刀が滑らないように、手のひらを服に擦り付けるようにして(ぬぐ)う。

 東出は興味深げに克洋の方を向いた。

「……君、常中を会得しているな。呼吸は水か」

「はい」

 答える克洋の声はいささか硬い。

「名は?」

「青沼克洋(かつひろ)です」

「君を一人目にしよう。私に型を使ってみなさい」

 東出の指示に従い、他の参加者は下がって場所を開けた。

 克洋は言われるままに木刀を構え、困ったように眉尻を下げた。

「……打ち込める隙がありません」

「それが理解できているだけで十分だ。全部受けるから、遠慮しなくていい」

「……わかりました」

 ────水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 硬い音と共に、克洋が振りかぶった木刀が弾かれる。見慣れた彼の水流の幻影が鮮やかだった。

「いい太刀筋だ。続けなさい」

 東出が攻撃を悠々と受け流し、また試すように仕掛ける様を、啓介は息を呑んで凝視していた。東出は一度も左腕を使っていないかった。羽織に隠れて見えないが、やはり隻腕なのだ。

 東出の鋭く厳しい剣筋を見るうちに、啓介は畏怖に近い念を覚えていた。やもすれば、啓介達の育手を越えるかもしれない技量。──いや、超えているのだろう。育手は柱を務めた事はないと言っていた。隻腕で柱を務めているのならば、この少年はあの育手を上回る技量を有しているのだ。

 克洋が水の呼吸の十種類の型を全て使い終わるまで、立ち合いは続いた。

 東出が木刀を下ろした瞬間に、観戦に集中していた視界が、周囲の存在を思い出したかのように一気に広がる。東出の剣技に魅入っていた自分に気がついた。他の組の試合の音、手足の感覚、それらが戻ると同時に、隣に立つ沙織の顔色の悪さが視界に入る。

「──顔、白いよ。体調、悪い?」

「ううん、……大丈夫」

 青白い顔のまま、沙織は首を振った。

「選別はまた受け直せるよ。無理をしなくてもいい」

「平気。……ちょっと、びっくりしただけ」

 それだけ言って、沙織は口を閉じた。

 驚くのは無理もない、と啓介は思う。まさか鬼狩りの組織で鬼が試験監督をしているなど、誰も思いもしなかっただろう。まして、それが柱を務めているなどとは。

 隊士候補者の多くは鬼に身内を殺された過去を持っている。啓介自身もそうであるし、沙織も同じだということを知っていた。家族の仇と同じ存在を前にして、動揺するのは当然の話だ。

 東出は順に参加者を指名し、それぞれの剣術を確認するように木刀を交えた。啓介よりも先に沙織が呼ばれた。啓介が心配したほどには、沙織の剣術に乱れはなかった。ぎこちなく見えたのは一太刀目だけで、以後は問題なく型を使えていた。この調子ならば、剣士としての入隊を認めてもらえるだろう。小さくない安堵が胸に落ちた。

 沙織の試験が終わり、自分が呼ばれた瞬間、啓介は木刀を強く握りしめた。自分に正面から注がれる東出の視線。背筋に嫌な緊張が走る。──まるで、凶暴な獣を前に、丸腰で立っているかのような。およそ人のものとは思えない鋭い視線に、身が(すく)みそうになる。

 その錯覚を振り払い、啓介は木刀を構えた。同じく、自分の喉元に向けられた東出の木刀。片手で構えているのに、全くぶれる様子はない。金属の冷たさと、肌を炙る熱の両方が同時に喉元に突きつけられているような圧。

 目の前に立ったからこそ、わかった。勝てない。勝てるはずがない。

 ──これが柱か。

 縮こまりそうになる手足を叱咤(しった)し、啓介は息を吸った。

 ────水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

 一歩で距離を詰めて木刀を水平に振るう。

 硬い手応えと共に、弾きあげられる木刀。がら空きの啓介の胴体に、東出は攻撃しない。次を見せろと赤い異形の瞳が言っている。

 期せずして啓介の構えは上段に近くなっていた。渾身の力を込めて木刀を振り下ろす。

 ────水の呼吸 捌ノ型 滝壷

 捌ノ型は水の呼吸の中でも最大級の威力を持つ技だ。同門三人の中でも、啓介の滝壺の威力は最も高い。育手は啓介を「体重を乗せるのが上手い」と褒めた。

 ──それを、東出は軽々と片腕でいなした。

 諦念と呼ぶのは烏滸(おこ)がましいか。

 啓介は強ばりそうになる肺を膨らませて吸い、木刀を振るった。それを受け止める手応えは、まるで鉄塊に切り掛かっているかのように硬く重い。少年の持つ木刀のすぐ先にある、彼の体には決して届かない。

 やはり、という納得を飲み込む。

 ──崩すことすら叶わない。

 そんなことは初めからわかっている。

 彼我の間にある天地ほどの差に、ただ、納得した。

 これは、育手を遥かに超える化け物なのだ。

 木刀を振りかぶるたびに、鬼気が重圧となって啓介の体にのしかかる。冷や汗が背に滲んだ。目の前の存在に、啓介を害するつもりはない。それをわかってはいても、彼の気分次第で自分の命が容易く吹き飛ぶのだということもまた事実であり、それが啓介の恐怖を掻き立てていた。

 幸いにと言えば良いのか、立ち合いは啓介の息が上がる前に終わった。

 五人全員の審査を終えると、混柱は参加者達に『休んでいていい』と言った。

 しかし、立ち合いは短時間だったため休む必要性は感じず、また、この場で休める気もしなかった。啓介は歯の間から、細く長く息を吐いた。──混柱の放つ鬼の気配は、啓介の神経を擦り減らし続けている。この鬼から逃げろと叫ぶ本能を押さえつけてこの場に留まるのには、多大な精神力を要した。

「……次、何やると思う?」

「さあ」

 小声の沙織の問いに、啓介は肩をすくめる。沙織はこの『嫌な気配』を感じてはいないのだろうかと、顔色の戻りかけている彼女の顔色を盗み見た。体の芯の強ばりが抜けないのは、まさか自分だけなのか。

「少なくとも、これで終わりと言うことはないだろうな」

 克洋の言に、沙織と共に頷いた。三人の中で克洋だけが一つ年上だった。そのためか、彼の態度には啓介と沙織より落ち着きがある。啓介は克洋を兄のように思っていた。

 次の課題や試験があるならば、担当者が変わることを祈りたかった。混柱の側はいるだけで消耗する。神経の緊張が緩む暇がないのだ。今も全身の毛が逆立ったまま、戻る気配もない。あれの前では自分は、猛獣の牙の真下に晒された肉と変わりない。

 啓介の心情を知ってか知らずか、ほんの数間離れた場所に立つ混柱はほぼ口を開かず、他の組の立ち合いが終わるまで黙って参加者達の観察をしていた。検分するような混柱の視線が薄気味悪く、啓介はすぐに混柱から目を逸らした。

 最後の立ち合いが終わると、混柱はまた全体に向かって声を張り上げた。

「次の試験場所へ向かう。君達の体力を見るためのものでもあるから、木刀を持ったまま、遅れずついて来なさい」

 次の瞬間には白い羽織が翻る。眩しいほどの白が瞬く間に小さくなっていくのを、啓介達は慌てて追いかけた。

 ──速い。

 飛ぶように駆けていく背中を必死で追う。追い始めてからすぐに、いつまで走れば良いのかという不安が頭をよぎった。この速度では続く自信がない。全力疾走と言って差し支えない。景色は視界の中で滲んで後ろに流れていく。

 後ろを見る余裕はなかった。隣を走る沙織と克洋の存在感も、息苦しさの中に埋もれていく。潰れそうな肺が悲鳴をあげていた。

 混柱が山の麓でようやく足を止めた時、啓介は地面に倒れ込みそうになった。膝に手をつき、辛うじて耐える。右手に持つ木刀の先が、がりがりと地面に擦れた。視界は白みかけており、自分の荒い息の音しか聞こえなかった。

 喘ぐように息を繰り返す。目眩のしかけた視界を戻そうと、強く目を瞑った。

 ようやく息が整い始め、周囲を見る余裕ができた時、周りの選別参加者達は最初にいたはずの人数の半分程度しかいないことに気がついた。半数がこの長距離走で脱落したらしい。

 ──まさか、二人も。

 胸に冷たいものが広がりかけ、焦って周囲を見渡す。すぐに咳き込む沙織とぐったりとした克洋を見つけて、啓介は胸を撫で下ろした。

 次の試験内容は何だろうかと、一転して白い羽織の影を探す。彼は参加者たちから少し離れて立っていた。汗ひとつかいていない。ここまでついて来れた参加者達と、遅れてたどり着く参加者を俯瞰するように眺めている。全く思考の読めない無表情が不気味だった。

 先頭を走っていた混柱とは異なり、隊士達は脱落組の付き添いをしていたらしく、参加者が集まるにつれて黒の詰襟も続々と増えた。

「──これから、この山の中で次の課題を行う」

 その場に揃った参加者全員の体力がある程度回復したのを見計らって、混柱は口を開いた。

「ここでは鬼殺における総合力を見る。鬼の跡を追う手腕、地形を活かした戦闘方法など、先の稽古場では見れなかった部分だな。──ただし、この山には藤襲山のような鬼はいない」

 吹き抜けた風が、混柱の白髪と白い羽織を靡かせた。

「代わりに私が『鬼役』をする。君達は私を見つけ、実際の任務のように攻撃しなさい。手段は問わない。他の参加者への妨害行為のみ禁じる。みな、私に一太刀浴びせる事を目標に頑張ってほしい」

 彼の言葉に「侮られている」と思った者はいないだろう。剣術と体力の試験によって、参加者達は上位の隊士達の隔絶した身体能力を身をもって知ったはずだ。まして相手が剣士の頂に立つ柱ともなれば、参加者全員が束になってかかったとしても勝ち目はほぼ無い。

「戦闘技術については標的役である私が評価するが、道中の捜索にあたっては鎹鴉と隊士が審査を行う。どちらも評価対象であるため、各々、自分の実力を出し切るように」

 混柱が「晴彦」と呼んで左腕をあげると、今日初めて、手首から先の欠けた不自然な腕が参加者たちに晒された。一羽の鴉が頭上から舞い降りて、腕に留まる。

「この鎹鴉が試験開始の合図を出す。彼が鳴いたら入山しなさい」

 

 

 三人の中で最も気配に敏いのは啓介だ。

 別段、耳や目が人並み外れて良いというわけではない。ただ、五感で受け取った情報から違和感を炙り出すのが上手いだけだ。肌の色や立ち姿の重心のかけ方、風向きや物音の変化、些細な枝の折れ方まで、あらゆる些細な変化を「違和感」として掬い上げることができた。

 その違和感を総合的に認識して「気配」として捉えているため、それらの根拠を言葉にして伝えるのは難しい。「こちらにいる気がする」という曖昧な表現では、とても初対面の同僚を説得する事はできないだろう。けれども、同門の克洋と沙織なら、啓介の感覚が信頼に値するものだということを知っている。

 故に、啓介は全幅の信頼をもって克洋と沙織から追跡を任されていた。

 邪魔にならないように息を潜めている二人を引き連れて、啓介は早足に山を歩く。

 すん、と大気の匂いを嗅ぎ、目を閉じて樹間を渡る音を聞く。

 混柱は、ある意味で普通の人間よりも追いやすい標的だった。

 ──行きたくない方を選べば良いのだ。

 「どちらが不吉に感じるか」。それを指針に進路を決める。自分の体が向かうのを拒否する方角。鳥獣と草木が静まり返り、化生の来訪を息を潜めてやり過ごそうとしている場所。冬の夜の耳鳴りのようなあの気配を探ればいい。

 あの鬼に対して抱いた恐怖に近い忌避は、追跡にあたってこれ以上ない目印になっていた。唸る遠雷のような存在感が、絶えず啓介の体の芯を震わせているのだから。実の所、あの少年に感じる恐怖が、鬼の異質さ故のものか、それとも柱という隔絶した武人故のものなのかはわからなかったが、啓介にとってその違いはさして意味のあるものではなかった。際立った怪物という点で、両者は同じだ。どちらであったとしても、容易く啓介たちを制圧できる存在であることには変わらない。

 その気配が十分に色濃くなった時、啓介は右手を軽くあげて足を止めた。

《この先にいる》

 身振りと指文字で後ろの二人に伝えると、二人は硬い面持ちで頷いた。枝葉の間に垣間見える白髪の人影は、一度見つけられれば薄暗い山の中でよく目立って見えた。

《距離は?》

《約三十間》

《見えた》

 一切声を発することなく、視線と僅かな手の動きだけで会話を行う。こちらが風下だが、あの鬼がどれほどの聴力を有しているかわからない以上、用心に越したことはない。

《正面から?》

《陽動は私と克洋で。啓介は横から回り込んで》

《了解》

 最後に視線を交わし、頷きあう。遠ざかる二人の後ろ姿を見送り、啓介は足音を殺してじりじりと進んだ。奇襲をかけるのに良い位置どりはどこか。木漏れ日のまだらに落ちる山の中に鋭く視線を走らせる。

 克洋と沙織の場所を横目に確認しながら、啓介は藪に紛れるように身をかがめた。

 試験は狩りの様相を呈していた。

 ──あの鬼を相手に、どこまで出来るだろう。

 啓介は乾いた唇を舐めた。

 三人がかりで奇襲を仕掛けても、あの化け物に一太刀加えるのは至難の技だとわかっていた。ほぼ不可能と言っていい。

 既に、こちらの居場所にも気が付いているのではないか。その素振りを見せていないのは、単にこちらの出方を伺っているだけなのではないか。悠然と歩く後ろ姿が、疑わしくてならない。

 ──自分達はほぼ一直線にここまで来た。襲撃は一番乗りのはずだ。

 これがどれほど評価されるのかはわからないが、多少の加点にはなるだろう。あの二人には言えないが、啓介は既に勝ちを半分諦めていた。あの気配の持ち主を相手に、自分達の実力で勝とうという方が自殺行為だ。一本を取るのでさえ、夢のまた夢。

 あくまで、目標は剣士としての入隊だ。柱並みの実力を求められているわけではない。今は、自分達の実力を最大限に見せる事に注力すればいい。少なくとも、克洋と沙織の足を引っ張ることのないようにしなければ。

 二人とは既に距離が離れており、位置関係上、啓介からは彼らを直接視認することはできない。しかし、二人の気配からおおよその場所を理解できていた。

 ──動いた。

 二人分の足音が一気に駆け抜けて混柱にぶつかる。続いて、木刀の打ち合う鋭い音が聞こえた。

 啓介は身をかがめたまま、交戦場所へと近づく。混柱の注意が二人に向けられているだろう分、先ほどまでよりも大胆に進むことができる。

 ──おそらく、混柱は手加減をするだろう。

 二人の実力を見極めるためにも、多少の間、打ち合いを続けるはずだ。その間に距離を詰める。

 案の定、混柱は観察するように二人を相手取っていた。

 ────水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 ────水の呼吸 肆ノ型 打ち潮

 二筋の水流が逆巻き、螺旋を描き、一つの生き物であるかのように乱れのない連撃を生み出す。

 息の揃った水の呼吸の剣士が二人。啓介達の育手すらも、この連携を退けるのには苦労していた。驕っているわけではないが、啓介達の連携は相当なもののはずだ。

 それを、易々と受け流している混柱は、一体何なのだろう。

 太い木の影に身を潜め、啓介は緩く息を吐く。

 ──最高の瞬間に仕掛ける。

 奇襲を任されたのは幸運だった。実力以前の問題で、混柱と正面から打ち合える自信がなかった。背後から隙を窺う方が、幾分か気が楽だ。

 こちらが完全な死角になる瞬間、沙織と克洋の二人の剣筋が最高の位置関係になった瞬間に、啓介は木の背後から飛び出た。

 ────水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き

 最速の突き技で白い羽織を貫こうと突進する。示し合わせたわけでもないのに、克洋は混柱を惑わすために啓介とは逆方向に視線を向けた。咄嗟の判断にしては完璧な演技。

 つられた混柱が頭をそちらに傾ける。ふわりと白髪と羽織が揺れた。無防備な背中に向けて木刀を突き立てる。

 鋒が羽織に突き刺さる瞬間、──混柱は紙一重で啓介の木刀を躱した。

 見開かれた赤い瞳が、啓介の目を捉えて楽しそうに(ほころ)ぶ。

「──今のは良かった!」

 啓介は内心で呻いた。三人の絶望とは裏腹に、混柱は心底嬉しそうな声をあげた。

 剣の嵐は啓介を巻き込んで、四つ(どもえ)の剣舞へと移行する。

 啓介の加わった剣技を見た混柱は、ますます楽しげに笑みを深めた。まるで手品か何かのように、腕一本、木刀一本で三人がかりの猛攻を難なくいなす。自分の剣筋の軌道上に混柱の木刀が差し込まれているのではない。まるで木刀が混柱の木刀に吸い込まれているかのような、こちらの動きそのものを操られているかのような錯覚。

 ──これ以上できることはない。

 いつでもやめさせられるにもかかわらず、切り上げる様子のない混柱の姿に、啓介は困惑した。

 これで届かないなら、無理だ。これ以上長引かせても、見せられるものはない。何故、混柱が立ち合いを続けているのかがわからなかった。彼がその気になれば一瞬で全員をのせるだろうに。

 けれども、啓介の側にはそれを述べる余裕は欠片もなく、また、審査される側の立場で進言するのも憚られた。

 針の(むしろ)の上で踊るかのような立ち合いは、その回転を増しながらなおも続く。──かに、思われた。

 どん、という衝撃と共に体が地面に叩きつけられる。

 混乱。

 急に反転した視界に、慌てて身を起こす。視線の先には硬直している二人と、──小刀の突き刺さった腕。

 ひゅ、と強張った喉が音を鳴らした。

 混柱の左腕に、深々と小刀が刺さっていた。手首から先が欠けた前腕の中央。小刀に貫かれた羽織には鮮やかな血の赤が染みていた。小刀の根本から、緑の草の上にぼたぼたと鮮血が滴る。

 その後ろには呆然として木刀を握ったまま固まっている沙織の姿が見えた。突き飛ばされたのは啓介だけ。──自分は庇われたのか。

 己の体に突き刺さるはずだった血濡れの凶器から、視線を外せない。血の匂いが鼻を掠める。

「──君、出て来なさい」

 混柱が底冷えのする声を発した。同時に発せられた重い怒気。

「そこにいるのはわかっている」

 混柱の視線の先で、木の陰からゆらりと人影が歩み出る。日の下に出た途端、彼の手に握られた真剣が木漏れ日を鋭く弾いた。こちらを睨む顔には殺気と憎悪が露わだった。

「鬼の上官など認められるものか!」

 耳朶を打つ怒声。

「鬼殺隊は何を考えているんだ!? なぜ鬼がのうのうと隊士をしている! その上、柱をしているなんて!」

 重ねられる侮言も怒気も、脅威には感じられなかった。一見しただけでも、この少年の実力が混柱に遠く及ばないことは明白だった。

 混柱に向けて真剣を構える少年の肩肘には、力が入り過ぎていた。殺意と恐怖の拮抗が、あからさますぎるほどに見て取れた。

 むしろ啓介には、彼の侮辱が混柱の機嫌を損ねることの方が恐ろしかった。

「お前は『手段は問わない』と言った。今の攻撃を否定される謂れはないし、真剣で挑んでも構わないよな?」

 ────水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

 青い刀は混柱の首へは届かなかった。標的を見失って空ぶった刀が第二の軌跡を描く前に、混柱は木刀で少年の刀を抑え込んでいた。啓介達との試合よりも数段速い身のこなし。目で追うことすら難しかった。

「……たしかに、『手段は問わない』とは言った。しかし、妨害行為は禁じたはずだ」

 身動きを封じられた状態で、至近距離から異形の目に見据えられた少年はたじろいだ。

「同僚を巻き添えに攻撃するような者、そして上官に殺意を向けるような者を、隊に迎え入れるわけにはいかない」

 低い声はどこまでも冷え切っていた。少年は赤い顔で刀を持ち上げようとしているようだったが、木刀で上から抑えられた刀はぴくりとも動かない。

「君は失格だ。出直しなさい」

 混柱は言い終わると同時に前蹴りを放つ。それをもろに腹に受けた少年の体が後ろへ吹き飛んだ。

「……青沼、笠田、鏑木。君達には剣士としての入隊を認める。下山して、試験が終わるまで待機していてくれ」

 一転して、先程までよりは多少柔らかい声が啓介達にかけられた。克洋、沙織と互いに視線を交わし、おずおずと頷く。彼らの恐怖の対象が何であるか、啓介には理解できている。膝を立てて立ち上がろうとした、──その時だった。

 混柱の背後から日輪刀が迫った。

 白い羽織が翻る。

 木刀の速度にはもはや容赦というものがなかった。

 混柱の木刀が強かに手首を打ち据える。日輪刀を取り落とし、少年はそのまま濁った呻き声をあげて手首を抱え込んだ。

「頭を冷やせ、痴れ者が」

 身を縮めている少年の背は震えていた。

 ──あれは骨が折れているだろう。

 直視するには痛ましくて、啓介は目を逸らした。

「今の君は日輪刀を握るに値しない」

 冷え冷えとした声が、ただただ、恐ろしかった。

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