鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第33話 新人達

 ────炎の呼吸 壱ノ型 不知火

 盛る炎を纏った刀が勢いよく振り抜かれる。赤い軌跡に刎ねられた鬼の首は血圧によって高々と宙を舞った。

 首のない鬼の体がこちらに倒れ込んだのを避けて、啓介は深く息を吸う。地面に伏した体に刀を向け、それが完全に焼け散るのを待った。

「──合格だ。三人とも、上手くやれていた。青沼は実戦でも稽古と同じ足運びができるようになったな。笠田も型に振り回されずに、危なげなく戦えていた。鏑木は、特に最後の不知火が姿勢も完璧で素晴らしかった」

 この場にいるもう一人の()を振り返り、啓介は「ありがとうございます」と軽く頭を下げた。手の中で刀の柄をきつく握りしめる。

 ──この(ひと)は敵じゃない。

 わかってはいる。わかってはいるのだ。──けれども。

 頭で理解していることと、本能的な直感というのは別物だと、常々思っていた。いかに信頼できる命綱があるとわかっていても、高所から飛び降りるのは恐ろしいように。

 その直感のおかげで今生きているとなれば、直感への信頼は尚更だった。

 対する明は、三人の剣士達の立ち姿を検分するように見ていた。体温が上がり、多少息も荒くなっているが、彼らは初回の鬼殺からは見違えるほどに落ち着いている。

 ──青沼克洋、笠田沙織、そして鏑木啓介。彼らの日輪刀は、それぞれ青藍、若葉色、赤銅色に染まっている。それらが示す適性は、水、風、そして炎の呼吸。

 選別では水の呼吸を扱っていた沙織と啓介の二人に、適切な呼吸法と型を指導し始めて三週間が経過した。もともと全集中の呼吸と剣術の基礎が出来ていたため、荒削りながらも実戦で使える程度には仕上がっていた。

 

 

 

 

 時は一ヶ月前に遡る。

「──水が五人、風が四人、炎と霞が一人ずつ」

 風柱邸改め、混柱邸の奥の一室で、詰襟の隊士達が円を作って座っていた。彼らの中心には十一枚の紙が並べられている。

「この五人は俺と佐々木で受け持てばいいんだな」

 隊士の一人が五枚の紙を引き寄せた。

 紙には新人剣士たちそれぞれの、呼吸や審査の成績などの情報が記されている。その五枚全ての紙の右上に、まだ水気の残る墨の筆跡で「青」の字が書かれていた。これは彼らの日輪刀が青く染まったこと──即ち、彼らに水の呼吸の適性があることを示している。

「水の呼吸の経験がないのは一人だけか」

 その隣に座る、もう一人の水の呼吸の使い手の上級隊士──佐々木が、五枚の紙を覗き込んだ。

「花の呼吸が使えるなら、さほど苦労はしないだろう。あれは源流に近いからな」

 曲がりなりにも両方の呼吸を使う剣士として、明は意見を言う。

 花の呼吸は水の呼吸の派生だ。呼吸の特徴、剣の技術なども水の呼吸に似通うところが多いため、新たに水の呼吸の型を習得するのにさほど時間はかからないだろうと思われた。

「風も炎も指導者の問題はないとして──(かすみ)はどうする」

「……この地区だと(かのと)の三橋だけか」

 稽古場や任務でこの地区の隊士と一通り顔を合わせてはいる。その中に霞の呼吸を使う者は一人しかいなかった。その一人の三橋も、まだ入隊一年足らずの中堅未満である。

 基本の五つの呼吸に比べ、派生の呼吸を使う者の数は多くない。

 初めの予定では、日輪刀の適性をもとに班を構成、担当隊士をつけ、それぞれの適性に合った流派の剣術を学ばせるつもりだった。そうして組ませた担当隊士の下で研修生として、まずは夜間の警邏に同行させ、鬼殺の見学、補助、そして監督下での任務と、段階を踏んで経験を積ませる、と言う寸法だ。しかしながら、この地区には霞の呼吸を指導可能な上位の隊士がいない。計画の出鼻をくじかれた形だった。

「伊藤さんは霞の呼吸の経験がおありでしたっけ」

「若い頃に齧った程度だ。人に教えられるほどではない……が、」

 伊藤は親指で顎を掻いた。

「……霞の育手には心当たりがある。この地区に招けるかもしれない。──白い刀は他にもいただろう。三橋も伸び悩んでいるようだし、この機会に学べる環境を作っておいても悪くない」

 風の呼吸を扱う隊士の一人が口を開いた。

「班分けは風と同じ班に入れるのが無難でしょうね」

「そうだな。水と同じく二人班と三人班に分けて指導してやってくれ。霞の子だけ、個別に育手から呼吸法の指導の機会を設けられるように調整していこう」

「残る炎──鏑木の担当は松田だな」

 佐々木が最後の隊士の紙を持ち上げ、松田に手渡そうとした。この地区で、炎の呼吸を使う(ひのと)以上の隊士は松田ただ一人だけだ。

「──いや、待ってくれ」

 白い手がそれを制した。

 その場の隊士達の視線が、口を挟んだ明の顔に集まる。白い眉を僅かに寄せたまま、明は続けた。

「──青沼、笠田、鏑木の三名は、私が担当する」

 

 

 

 目を閉じれば、あの山中で見たものが鮮やかに思い出される。

 ──同じ育手の元で水の呼吸を学んだ、彼ら三人の連携。

 それぞれの剣術はごく一般的な新人の域を出ない未熟なものであったのに、彼らはそれを補って余りある息の揃った連携をしていた。あれだけ密接していながら、互いの動きを一切邪魔せず、逆に型を畳み掛けるように繋げていく技術。これほどの精度の連携は、明が監督していた稽古場でも目にしたことがなかった。

 ──この三人組を離してはならない。

 思い返すたびに、その確信が強まる。

 今回の変則的な試験と研修の目的は、「選別で無駄死にする剣士候補生を減らす」ことだけではない。初期から連携を学ばせることで、個々人の力量を上回る鬼を倒す術を身に付けさせることも目的の一つだった。

 一人で鬼を狩れる者は多くない。最終選別の生存率からも、それは明らかだ。しかし、その前提を変え、二人がかりや三人がかりで狩れれば良いとするならば、戦力に数えられる人材は一気に増える。今回、剣士として受け入れた候補生が多いのはそのためだ。新人の彼らのうちで、()()()で単独で鬼を狩れるのは多くて五人だろう。隊士の中にいると忘れがちだが、鬼という生き物は、血鬼術を持たぬ最低格のものであったとしても、ただの人間にとっては十分に脅威なのだ。

 「連携戦法による鬼殺の剣士人材の拡大」。この目的に対して、彼ら三人はこれ以上ない理想的な存在だった。

 故に、日輪刀によって示された彼らの適性が見事にばらけてしまったのを見て、明は頭を抱えた。

 炎と風の両方を使えるのは自分しかいない。けれども、元々明は研修の担当はしない予定だった。柱である明の任務は危険度の高いものばかりであるため、新人を同行させるのは難しい。

 だが、鏑木の炎の呼吸を松田に任せるのにも問題があった。松田には杏寿郎の指導を任せている。これ以上の仕事を彼に押し付けるのは躊躇(ためら)われた。その分、鬼殺の任務の方を減らせるならば良いのだが、彼の様に優秀な剣士を後進の育成に専念させられるほど、鬼殺隊の仕事環境は甘くない。

 ──それでも、やりようがないわけではない。

 隊士達との相談の結果、日中の剣術指導は明が担当し、警邏の同行などの実地訓練の半分ほどは、新人を担当していない上級の隊士達に交代で任せる事になった。

 元々新人達には、研修期間中に少なくとも二人以上の隊士の補佐を経験させるつもりだったので、この方針は悪くないように思えた。一人の隊士の背だけを見て育つと、必要のない固定観念まで受け継いでしまうのではないかと言う懸念があった。できるだけ多くの隊士の仕事姿を見ておいた方が、柔軟に育ってくれるだろう。

 今日の昼ごろには、彼らが引っ越しの用意を整えてこの屋敷に来ることになっていた。

 

 

 

「──継子になるという事ですか」

 混柱邸の門前。荷物を抱えた三人を前に「君達の指導担当になった」と伝えると、真っ先に青沼克洋が口を挟んだ。

「いや。あくまで担当隊士と研修生の関係であって、継子ではない。他の新人達と同じく、一ヶ月間のみ、任務の同行と呼吸の指導を行う。……今回が初の試みだから、多少の期間の変更はあるかもしれないが」

「では何故、柱の東出さんが直々に指導を?」

「水と風と炎の指導ができるのは私だけだからだな。新人はそれぞれ、各自の適性に合わせた指導隊士と組ませている」

 目を瞬かせて顔を見合わせる三人を前に、困惑するのも無理ないだろうと明は思った。とりわけ顔色の悪い鏑木啓介を見ながら、この判断は正しかったのだろうかと心が揺らぐのを感じる。

 ──不甲斐ない。

 右手を強く握り、緩める。仮にも指導者である自分が悩んでいるようで、どうする。

「母屋に君達の部屋を用意した。青沼と鏑木に一室、笠田に一室だ。ついてきなさい」

 意識して背筋を伸ばし、できるだけ丈高く堂々として見えるように歩く。この三人の新人は、明と同世代の子供だ。青沼に至っては一つ歳上である。明は柱としては異様に歳若く、見た目が威厳に欠ける分、以前松田に言われた通り、態度でそれを補う必要があった。──自分は上司であり、君達の命を預かる立場にある、と。

 今の自分には、同年代としての馴れ合いではなく、上司と部下としての関係性を求められている。戦闘中は、一瞬の隙が死に繋がる。研修生である彼らを戦場に連れていく先達として、彼らからそう認識されるように──いざとなれば指示にすぐに従ってもらえるように、相応しい振る舞いをしなければならない。

 今は亡き先輩である先代の継子の野沢が規律を重んじていた意味を、最近は殊に思い知らされる。

「この二部屋が君たちのだ。こっちが青沼と鏑木、奥が笠田だな。屋敷の中を一通り案内するから、ひとまず荷物を置いておくといい」

 言われるままに三人は部屋に入り、荷物を床に下ろした。

「寝具等は一通り揃っているはずだが、もし他に必要なものがあれば気兼ねなく言いなさい。屋敷の備品扱いで経費で落とせる。──ああ、そうだな。任務でかかった交通費や備品は経費が降りる。事務方に申請すれば必要な分は出してもらえるから、後でやり方も伝えよう」

 男子と女子に一部屋ずつ。柱の邸宅は一人で住むには大きすぎる。伊藤に加えて新人三人に部屋を用意しても、まだ部屋の数は余っていた。広い稽古場や厨房を見るに、直弟子の継子だけでなく、元々は地区の平隊士などを住ませる事を前提として建てられたものらしい。

 もっとも、鬼殺隊所有の家屋が増えた昨今では、わざわざ柱の屋敷に住み込むのは継子ぐらいのものである。代わりに、屋敷の多くの部屋は討伐記録や一般市民からの目撃情報を整理した書庫や、物品の保管など、各地区の拠点として運用されていた。

「まずは一番近い所……日常生活で使う場所から見ていこうか」

 四人分の足音が縁側を進む。振り返らずとも、硬い面持ちの三人の表情が見えるようだった。背に感じる気配も足音も、その三つともが緊張でぎこちない。

 ──否、自分もか。

 気を張っているのは自分も同じだ。気を付けるべきなのは、その緊張をできる限り彼らに感じさせない事。

 すれ違った隠に目礼し、日当たりのよい縁側を進む。面や目隠しをつけずに自分の表情や視線を晒していることに、たまに落ち着かなく感じることがある。今は特にそうだった。

「……ここで東側は最後だな。この部屋が風呂場だ。近くに銭湯もあるから、好きな方を使うといい」

 木桶風呂の置かれた一角を見せると、紅一点の笠田が嬉しそうに眼を輝かせた。他の二人も、いくらか表情が柔らかくなってきたように見える。

 居間、厨房、厠、そして風呂場。あまりに広い屋敷を見る中で、彼らの中で緊張よりも好奇心が勝りつつあるようだった。

「ここまでが生活で使う場所だ。西側の部屋は、主に隠や昼伐隊の事務に使われている。彼らの仕事の邪魔にならない程度に見て回ろうか」

 一つ部屋を通るごとに、明は声量を抑えて何に使われているのかを説明した。軽く開いた障子を覗き込む三人の様子が、どこかひょうきんで子供らしく、微笑ましかった。

 中の隠や猟師が視線を向ける度に、明は三人の事を今日からここに住み込む新人だと紹介した。まだ見るからに子供である明に対して成人の彼らが敬意を払う姿は、三人には奇異に目に映ったらしい。明と隠を見比べるような彼らの視線が強く感じられた。

「──向こうに見える一棟が隠や住み込みの女中さん達の寝泊まりしている場所だ。鬼殺隊の任務の殆どが夜である都合上、この時間帯に寝ている者も少なくない。用がない限りは立ち入らない方がいいだろう」

「……あの、」

 おずおずと口を開いた笠田に視線を向け、続く言葉を促す。

「東出様のお部屋は、どこにあるんですか」

 彼女が言った瞬間、男子二人もそれに気が付いた様子だった。

 母屋の案内をする仲で、明は伊藤の部屋を紹介した。けれども、家主であるはずの明の部屋については、一度も言及していない。

「私の部屋は主屋でなく離れにある。ここからでは見えないが、あの蔵の裏にある建物だ。大抵は稽古場か離れにいるから、私に用があったらそこを探すといい」

 

 

 荷解きに自室に戻った新人達と別れ、明は自室の布団に倒れ込むように横になった。はあ、と深くため息をつく。思っていたよりも気疲れしていたらしい。

 ──一隊士に求められる正しさや決断と、柱に求められるそれは異なるものだ。

 他の隊士の規範として、より多くの命を預かる地区の長として、判断にかかる責は重く、一挙手一投足までもが気の抜けないものとなる。一度決定した事を翻す事は難しくなり、常に完璧な──冷徹で隙のない軍人の如き振る舞いが必要になる。少なくとも明は、自身に対してそれを求める事にした。

 ──それなのに、柱になってからは、迷ってばかりだ。

 今日、屋敷の門前であの三人の顔を見た瞬間、脳裏に蘇ったのは先日の選別での一幕──明を狙った参加者のことだった。

 あのとき、肉の下で骨が折れる生々しい手応えを感じた瞬間、明は後悔した。やりすぎたか、と。

 木刀で打ち据えた人の体は、普段相手にしている鬼よりも遥かに柔かった。本能的な罪悪感が背筋を駆け上がって総毛立たせた。

 ──それでも、あれは必要な事だった。

 少なくとも、あの瞬間の自分は、そう判断した。無傷で制圧する事は容易だった。それでも自分は()()()彼の骨を折ったのだ。

 あの参加者の実力は隊士として充分なものだったかもしれない。しかし、彼は明が避ければ他の参加者──鏑木に刺さる事を承知の上で、小刀を放った。

 上司に殺意を向ける隊士も、他の隊士を巻き添えにする事を厭わない隊士も、どちらも鬼殺隊には相応しくない。たとえ実力があったとしても、連携の取れない隊士は他の隊士を危険に晒す。

 明に向けられた殺意はあからさまだった。あのまま選別を続行すれば、他の参加者に被害が及ぶ可能性もあっただろう。──何より、彼には頭を冷やす時間が必要だと思った。

 ──けれども、瞬時に『人を傷つける』ことを選んだ自分の判断基準は、果たして柱として普遍的なものだっただろうか。

 明の肉体は異常だ。鬼と呼ぶには中途半端だが、人のものとは一線を画している。

 自分の怪我の治りが速い分、怪我そのものを軽んじる傾向があるのではないか。他者を傷つける事への抵抗が、他の隊士や柱よりも、低くなっているのではないか。

 その日の夜、完全に塞がって薄皮が張っている腕の傷痕を見た瞬間から、そう危惧するようになった。あれほど深々と小刀が刺さっていたならば、呼吸術の達人であったとしても、完治までそれなりの日数を要するはずだ。この治りの速さはありえない。

 ──このような自分に、人を教え導くことができるのか。

 初めて接する隊士というのは、入隊する新人に大きな影響を与えるものだ。まして、一定期間の研修を担当するともなれば、新人は判断基準の大半を先輩に倣うことになるだろう。

 本来なら手本となるべき存在が、誤った倫理感覚を持っていたならば、それは恐ろしい事だ。

 ──父上。

 ──師匠。

 ──小夜。

 今まで指針としてきた背中は、もう明の記憶の中にしかない。

 傾いた日が殺風景な自室を赤く照らしている。明は手の中の万年筆を見下ろし、祈るように額に押し当てた。

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