鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第34話 筆跡

 小夜が死んで、もう三ヶ月が経った。

 実の所、小夜の死を意識している時間はそれほど長くない。同じ屋敷に住んでいても、仕事の時間帯などの関係上、共に過ごす時間はほとんどなかった。小夜が死ぬ前などは特に互いに避けていたのもあって、実生活の中で彼女の死の前後で変わったところなど、ほんの僅かしかない。柱就任の前後の方が、変化はよほど大きかった。

 小夜に宛てた書簡や物品が屋敷に届くことがなくなった。今は屋敷の中の一部、あるべき場所にあるべきものがない欠落だけが、小夜が永遠に去ったことを告げていた。それは夜遅くに明かりのついていない屋敷の一室だったり、流しの中の一つ少ない茶碗だったり、掃除の当番表だったり、不自然に空いた玄関の履き物の並びだったりした。寒々しい空白によって作られる輪郭はどれも強烈な寂寞(せきばく)を掻き立てるものだったけれども、それ自体が形を持たない分、儚く脆いものでもあった。現に、それらの輪郭は新人達の入居によって急速に滲んでいた。そもそもが顔ぶれの変化の激しい隊だから、この空白が完全に溶けて消えるのも、そう遠く無いのだろう。

 だから、彼女の万年筆を使う。ものを書くたびに彼女のことを思い出すように。忘れてはいけないあの人のことを、胸に刻んでおくために。自分が彼女にしてしまったことを、忘れないために。

 鬼殺隊という組織では、人が入っては死んでいく。顔ぶれは毎年変わり、十年前に殉職した人間ともなれば、彼あるいは彼女のことを覚えている人間はほぼいない。見送ることの多い隠ならば古株もいるが、その隠達だって逝ってしまった人々の全員を鮮明に覚えているわけではないだろう。

 だから、自分だけは覚えておかなければならないと思った。十年先に自分が人として生きていられているのかは定かではないけれど、この体が朽ちるまでは、小夜の顔も言葉も声も、全て覚えていておきたかった。

 手遅れだとは分かっていても、せめて、誠実でいたかった。

 

 

指導記録 四月十日 晴天

稽古人 笠田沙織

内容 呼吸法、塵旋風・削ぎ、爪々・科戸風

初回の稽古。水と風での呼吸法の違いから指導。基礎ができているためか、予想より習得が早い。稽古内容を繰り上げ、型を二つ教えた。

身が軽く立体的な動きが得意なようだが、直線的な動きになるとやや溜めがあり、軌道が読みやすい。一通り型を習得し終えたら、鏡を用いて確認させながら予備動作を削る稽古を導入しても良いかもしれない。

 

 するすると万年筆のペン先を滑らせながら、明は今日の稽古を思い返す。

 先日混柱邸に入居した新人の一人、笠田沙織の日輪刀は、若葉色──風の呼吸の色に染まっていた。

「──今日はっ! ご指導っ、よろしくお願いします!」

 初回の稽古で、笠田は少しばかり上擦った声で挨拶しながら、深々と頭を下げていた。二人きりの早朝の稽古場に、彼女の声はよく響いた。

「……こちらこそ、よろしく頼む」

 あまりの勢いに面食らった明は、一拍遅れて答えた。

 笠田はゆっくりと顔を上げ、今度はやや小さな声で続けた。

「その、柱の方から直々に教えて頂けるのはとても幸運な事だと育手から言われましたので……ありがとう、ございます」

 昨日の夕飯時には馴染み始めていたように見えたが、稽古を前にして緊張がぶり返しているようだった。

 その緊張は、明も例外ではない。

「そう言われた上で伝えるのは心苦しいが……私は風の呼吸の専門家ではない。君の剣術指導は主に伊藤さんと私が行うが、もし指導が食い違った場合は、伊藤さんの方を優先してほしい」

 同じ屋敷に風の呼吸を極め抜いた伊藤がいながら自分が風の呼吸を指導することに、今更ながら怖気付きつつあった。自分は多種の流派を繋ぎ合わせて使うのが得意なだけであって、それぞれの流派の技術単体では、専門とする柱には到底及ばない。

「……東出さんはどの流派が専門なんですか?」

「水と炎の型を使うことが多い。風はその次だ」

 ──あれを炎と呼んで良いなら、だが。

 明は木刀を握ったままの手で、気まずげに側頭を掻いた。

「……この際だから正直に言っておく。稽古場で隊士相手に風の呼吸の型について助言をした事はあるが、初学者に教えるのは初めてだ。至らない事も多いと思う。わかりにくい事があったら遠慮なく言って欲しい。君が風の呼吸の初心者なら、私は指導の初心者だ。迷惑をかけるかもしれないが、初心者同士、よろしく頼みたい」

 苦笑いをして見せれば、笠田は少しだけ表情を和らげて、大きく頷いた。

 

 

 

指導記録 四月十五日 曇天

稽古人 鏑木啓介

内容 昇り炎天、気炎万象

地面からの反発の利用の仕方について指導した。やや水の呼吸の足運びの癖が残っている。指導方法に一考の余地あり。

 

 手の中の万年筆に目を落としながら、明は深くため息をついた。目に鮮やかな黄色は今の明の気分とは正反対だった。

 彼に非があるわけではない。剣術の方に大きな問題があるわけでもない。──けれども、これは。

 選別の山中試験の記録から、鏑木は昼伐隊に高い適性があるとわかっていた。監視役の鴉達は、鏑木が迷いなく明の居場所へ向かっているのをはっきりと見ていた。その後の様子からも、彼が人一倍鬼に対して敏感な感覚を有している人間らしいことは察していた。

 ──それでも、二人きりの稽古中にこうまで怯えられ続けるのは、稽古の面でも心情の面でも、辛いところがある。

 そのうちに慣れるだろうと思っていた自分の見込みが甘かった。二度目の稽古でも、三度目の稽古でも、彼は明への怯えを見せていた。近寄るだけで顔は引き攣り、体は強張る。彼の方からは最低限にしか近寄ろうとしない。実戦に向けて鬼に慣れると言う意味では、明との稽古が彼にとって悪いこととも言い切れないが、稽古中常に()()なのは流石に厳しい。

 姿勢の矯正のために腕に触れようとした時は、熱いものに触れたかのように大袈裟に腕を引っ込められた。流石にまずいと思ったらしく、すぐに謝り倒されたが、その後は更に気まずい雰囲気で稽古をすることになったのは言うまでもない。

 彼の方にも、悪気があるわけではないのだ。性格も、悪いどころか好青年と言うべき方なのだろう。礼を失した行動はしないし、明への恐怖の表情もできる限り隠そうとしてはいる。──隠しきれていないだけで。

 彼はいつも稽古が終わると、ほっとした表情を見せていた。

 稽古場で他の隊士達と合同訓練をしている時は、地区の隊士達に気に入られている様子だった。人懐っこい様子で、強面の先輩の隊士達にも物怖じせずに話しかけていた。

 ──指導者が私でなかったなら、きっと、どんな剣士とも良い師弟関係を築けられただろう。

 せめて笠田と適性が逆だったらましだったのに、と思わずにはいられない。

 風の呼吸の笠田の指導は、伊藤と半々程度で分担してもらえている。一方、炎の呼吸の鏑木の方は、明ほぼ一人で面倒を見るしかなかった。松田には杏寿郎の指導を引き受けてもらっているので、これ以上の負担はかけられない。初回や彼が稽古場に顔を出しているときに「両腕での型の見本」を頼んだぐらいで、他は全て明が指導をしている。

 ペン先を紙の上で揺らして、明はまた重いため息をついた。

 

 

 

指導記録 四月二十二日 晴天

稽古人 青沼克洋

内容 試合稽古

水の呼吸の基礎は十分に固まっている。打ち潮の逃し方について指導したが、飲み込みが早い。

 

 青沼は水の呼吸をそのまま使っているので、他の二人のように基礎から新しい剣術を習得させる必要がない。その分、明が付きっきりで稽古をする機会も少なかった。

 初回の稽古も実力確認を兼ねてのものであったし、今回も試合稽古が主だった。所感としても、この段階ならば付きっきりで指導するよりは、稽古場で他の現役隊士達と切磋琢磨させた方が、今後の伸びが良さそうに思えた。

 彼の太刀筋を瞼の裏に思い描く。素直な剣士だな、と言う印象が強い。

 癖の少ない剣の使い手だった。やや乏しい方の表情とは裏腹に、伸び伸びとした、それでいて基礎に忠実な剣を振るう。指摘してからの修正も早く、まさに打てば響くと言った印象だった。その上、疑問があればすぐにその場で質問をしてくるので、明としても指導がしやすかった。

 剣士としてではなく人間関係の方面でも、青沼は新人三人の中で一番接しやすい後輩だった。

 最初は、むしろ一番気を使って接しなければならないだろうと思っていた相手だった。他の二人は明と同じ歳だが、彼だけが一つ年上だ。年下の、それも女に剣の稽古をつけられることに、抵抗を感じる者は少なくない。階級に馴染みのない新人にとって「柱」の地位がどれほどの意味を持つか分からないため、反発されることも覚悟していた。

 けれども実際には、彼の側から師弟らしい敬意の払い方と線引きをしてきてくれていた。

 同年代の若者同士として無闇に距離を詰めようとするでもなく、かといって露骨に避けるわけでもない。一番やりやすい距離感でいてくれる青沼のことを、明は隊士として好ましく思っていた。

 紙の上を滑っていたペン先が止まる。

 軽く目を閉じ、ふう、と息を吐く。日が落ちてからそれなりに時間が経っているため、部屋の中も外も暗い。けれども明の目には、筆記をするにあたりいささかの支障もなかった。新月の夜であろうと、問題なく山を駆け抜けられてしまう明には。

 布団を敷いて横になると、傍にいた晴彦もいそいそと枕元に潜り込んだ。

 肌に触れる柔らかい感触。呼吸と共に動く羽毛。暖かくて、生きていて、──脆い。

 その感触は生々しく「肉」を連想させる。

「おやすみ、晴彦」

 カア、と抑えられた声量の返事。

 ここ最近になってから、人や鴉の体に触れるのが苦手になった。稽古中は剣術に集中しているためか、特に問題がないのだが、それ以外の状況ではどうにも気持ちが悪くて仕方がないのだ。指先に触れる温かい「肉」の感触があまりに生々しすぎて、どうしても血の匂いを連想してしまう。食欲をそそるあの匂いを。それがどうしても耐え難かった。

 柱合会議の時はまだこれほどまでではなかったはずだった。だからこれは多分、鬼化の延長線上のものではなく、精神的な問題なのだろう。

 きっかけならわかっていた。先日、この地区で殉職した別の隊士を弔ったときだ。

 あの葬儀は、まさしく地獄だった。鬼に喰われた彼の、原型をとどめていない遺体の残骸を見、その濃い血の匂いを嗅いだとき、明の思考を相反する二つの感情が引き裂いた。痛ましい、と嘆く気持ちと、──美味しそうだ、と唾を湧かせた舌と。

 自己嫌悪と罪悪感に塗れながら、明は葬儀に出席した。通常なら吐き気を催すべきものに食欲を刺激されるのは、やはりどう考えても人間ではない。今更人を自認しようとは思わない、人喰いの鬼でさえなければいいと、散々己に言い聞かせてはきたけれど、改めてそれを突きつけられれば憂鬱な自己嫌悪は避けられなかった。

 小夜の葬儀の時よりも、明の鼻は血の匂いを敏感に捉えた。悪化の傾向は明らかだった。あれ以来、人間を含む生き物全般に触れるのが怖い。親しげに肩を寄せられるのが、手に触れられるのが、首筋に羽毛を擦り付けられるのが。

 布団の中の晴彦の存在感を、努めて無視しようとする。羽毛の下を流れる血の気配。とくとくと人よりも速く刻む心臓の鼓動。

 晴彦は私が怖くないのだろうか、と思う。慣れているというのは本当だろうか。心身に負担がかかっていないのではなく、単に耐え方を知っているだけなのではないか。

 人間よりも鳥獣の方が鬼の気配に敏い。彼らはいち早く鬼の気配を察知して逃げる。鳥や野良猫がいなくなった地域を調べてみたら鬼が居着いていたというのも、鬼殺隊ではよくある話だ。鳥獣の異常行動は、鬼の存在を示す指標の一つに数えられていた。

 現に、他の鴉は明を監視することすら嫌がっている。新人の研修は順調に進んでいる一方で、鴉による常時監視体制の構築は完全に失敗していた。ある鎹鴉は、極度の緊張状態が長く続いたせいか、配属二日目にして衰弱してしまった。やつれた鴉の姿を見て、明はこの計画を諦めた。

 今は遠征任務の時のみ、晴彦に加えてもう一羽、緊急時の伝令用の鴉をつけるようにしている。

 晴彦の負担の増大は深刻な問題だった。彼が監視を休めるのは、日の出ている昼間か明が屋敷にいる間だけだ。その間すらも、他の鴉との情報交換に出かける以外は、出来る限り明の側に控えていようとしている。もし晴彦が明の近くで真に休めていないのだとしたら、いつ倒れてもおかしくない。

 ──それに、晴彦が明に近すぎるのには、別の問題もある。

 最悪の想定ではあるが、もし仮に、明が鬼になった場合、最初の犠牲者になる可能性が高いのが晴彦だ。一番長い時間を共に過ごしている存在であり、一番近くにいる──明の近くに寄ることを厭わない「肉」だ。

 もし自分が理性なく食欲のままに行動した場合、手近にいる晴彦を食べる可能性が高い。それは長い間連れ添った相棒としての情を抜いたとしても、あってはならないことだ。

 晴彦には何があっても生き延びて、「他の柱を招集する」仕事をしてもらわなければならないのだから。

 深く、深く息を吐く。覚悟を決めるための行動か、それとも言葉を発するのを少しでも遅らせようとする足掻きか。わからないまま、肺の中の息を吐き切る。

 短く、息を吸う。

「──晴彦」

 声の調子は変ではないだろうか。

「ちょっと、いいかな」

 晴彦の喉の奥から返事が聞こえる。まだ眠ってはいなかったらしい。意を決して、明は布団から身を起こす。

「……こんなことを言って、悪いのだけど」

 歯切れの悪い明の言葉を、晴彦が静かに待っている。

「うっかり寝返りを打って、君を潰してしまいそうで怖いんだ。晴彦の寝床を用意するから、これからはそっちで寝てもらえないだろうか」

「明ノ寝相ハイイダロウ」

 鴉は首をかしげた。

「身ノ危険ヲ感ジタコトハナイ」

「…私は前より背も伸びて、体重も重くなった。腕も筋肉がついて太くなったから、腕一本が君の上に乗っただけでも、晴彦の足や翼を怪我させかねない」

「…………ワカッタ」

 晴彦はいつもより小さな声で答えて、布団から這い出た。明は立ち上がって、部屋の隅から籠を持ち出した。──数日前の外出の時に、ちょうど良さそうだと思って買っていたものだった。

 そう、数日前だ。こうも決心がつくのが遅れてしまった。判断が遅すぎる。

 明は籠の中に布を敷き、布団の横に置いた。晴彦は嘴の先で布を軽く(つつ)いた。お眼鏡にかなったのか、用心深い仕草で中に体を埋める。

「窮屈ではないだろうか」

「問題ナイ」

 短い返答が返ってくる。

「寒いようなら、毛布を探すけれど」

「人ト違ッテ羽ガアル。毛ナシノ明トハ違ウカラ平気ダ」

「……毛なし」

「ダッテ、頭以外ハ禿ゲテイルダロウ、人間ハ」

 憮然とした口調が面白くて、不意に笑いが込み上げてきた。思わず、くつくつと肩を揺らす。

「禿げ、か」

「人間ハミンナ禿ゲダ」

「確かに、君らの立派な羽に比べれば、貧相だな」

「ダカラ布団ガナクテモ平気ダ」

 これは晴彦なりの気遣いなのだろう。それがわからないほど短い付き合いではない。見るからに申し訳なさそうな明に対して、「気にするな」と言ってくれているのだ。

 再度、布団に体を横たえる。

 軽く小さな体が布団に残した凹みが暖かいままだった。

 

 

「踏み込みが甘い。もっと間合いの内側に入るように、思い切って飛び込むといい」

「……、はい」

 早朝の稽古場に、鏑木と明の二人だけ。この時間は隊士達に開放していないため、この広い空間を贅沢に使うことができる。

 姿勢、踏み込みの仕方について、一通り実演して見せたのち、明はまた距離を取って木刀を構えた。青い顔の鏑木が、同じく明に木刀を向ける。

 鏑木が床板を蹴った。

 赤く渦巻く火の幻影を纏って、少年の体が明に突進する。

 ──炎の呼吸 壱ノ型 不知火

 ──水の呼吸 参ノ型隻式 流流舞い

 木刀が互いを弾き、硬く重い音が響く。

「──浅い」

 低い声で指摘すると同時に、肆ノ型の打潮を仕掛ける。慌てて回避に移る鏑木の動きには、また水の呼吸の癖が現れていた。呼吸法と合致しない中途半端な歩法のせいで、脳内で想定した動きと実際の動きに齟齬が生じる。その隙に明の木刀が差し込まれた。

「────、すみま、せん」

 左の脇腹の前で寸止めされた木刀を凝視しながら、鏑木は荒れた息で言葉を発した。短い髪は汗で濡れて顔に張り付き、稽古着も湿っていた。ぜいぜいと、喘ぐような息の音。

「……頃合いかな。今日はここまでにしよう」

 明は一歩下り、木刀を収めた。鏑木も重たげな仕草で同じ作法をし、無言で明に礼をする。

 道場の外、庭から聞こえていた木刀の音も、いつの間にか消えていた。庭では伊藤が笠田の稽古を見ていたはずだったが、あちらはもう終えたらしい。

「お疲れ様」

「……ありがとう、ございました」

 鏑木は極力、明と目を合わせようとしない。今日も明の顔よりも下に目を逸らしたまま、硬い顔で頭を下げる。

 内心でため息をついて、明は稽古場を後にした。

 居間につくと、ちょうど朝食の配膳の途中だった。新人の一人、青沼が五人分の朝食の配膳をしていた。

「……おはよう。稽古は順調に進んでいるか?」

「はい。頂いた瓢箪は全て割れました」

「そうか。……明後日の夕方、予定は入っているか?」

「いえ、空いています」

「では、久々に二人で稽古をしよう」

「ありがとうございます」

 しばらく待てば、続々と人が集まった。庭で稽古をしていた笠田と伊藤がほぼ同時、続いて身支度を整えた鏑木が慌てた様子で駆け込んだ。

 この五人で食事を取る時は、いつも同じ構図になる。笠田は積極的に明に話しかけ、青沼は伊藤に剣術の話を振る。残る鏑木は俯いて黙々と食べており、話題を振られない限りはほぼ口を開かない。

「……それで、しばらく散策してたら、美味しそうな甘味処を見つけて、……」

 暖かい味噌汁を啜りながら、明は笠田の話を聞く。基本的に笠田が一方的に話すばかりなので、明は相槌を打ちつつ黙々と食事を進めていた。明は口下手の自覚があったので、聞き役に徹していられるのは丁度良かった。

 食事を終えた明は、早めに会議用の部屋に赴いた。屋敷の中でも奥まったところにある一室である。

 伊藤に事務仕事の一部を頼っているとはいえ、柱が忙しいのは変わりない。柱でなければ危ないだろう任務があり、柱でなければ通らない要請もあった。さらに今日は上級隊士や取りまとめ役の隠、昼伐隊の代表者を交えた、地区内定期会議があった。ここでは運営状況や討伐状況、負傷者数、鬼の捜索状況などがまとめて報告される。柱として隊内のことを把握するために、毎度明は気を張って参加していた。

 稽古場も毎度、他の隊士に任せられるわけではなく、明が顔を出すことも多い。そんな中で新人三人の面倒を見ようとするのはやはり無謀だったかもしれないと、思う日もある。そのうえ新人三人は全員呼吸が違うため、特に最初の方は指導は個別でする必要があったのも、その迷いに拍車をかけた。

 明が新人の稽古のために時間を作れるのは、任務や仕事の合間、朝夕の稽古場を一般開放していない時間が主だった。

 部屋にはまだ誰もきていなかったので、座禅を組み瞑想して待つことにした。いくらもたたず、警邏帰りの疲れた顔の隊士たち数名が部屋に入ってきた。あくびを噛み殺す隊士の顔を眺めていると、視線に気づかれたらしく、ばつが悪そうな顔で目を逸らされた。疲弊している彼らを責める気はなかった。以前よりも多少はましになったとはいえ、人材が足りているとはとても言えない現状だ。その彼らのあくびが無礼だというのならば、ただでさえ多い業務に新人教育まで追加し、彼らに無理を強いている明の責任だった。

 それぞれの担当区域の報告や、各隊士が担当している新人の研修の経過報告、藤の花の家紋の家からの情報提供のまとめなどが粛々と進む。全ての報告と議論すべき案件が終わった頃には、時刻は昼過ぎになっていた。

 閉会すると、明を含む隊士や隠たちは昼食のために厨房近くの座敷へ向かった。これを食べてから寝るものもいるのだから、『昼食』と呼ぶのはいささか妙な気もする。字面が間違っているわけではないが、『昼食』を『二度目の食事』として認識してしまう幼い頃の習慣がまだ抜けきっていなかった。鬼殺隊として、時間の感覚が滅茶苦茶になる生活を長く続けているのに、変なところだけはまだ適応できていないらしい。

 今日の献立は豚汁だった。女中によそってもらった豚汁とご飯を盆に乗せて、明は隅の席に腰を下ろす。部屋の中の全体を見渡せる席だった。

 他にも席に空きがあるためか、明の前や隣に座ろうとする者はいなかった。

 この座敷は広い。もともとは、地区の隊士全員に伝達事項がある時などに、この部屋に召集して伝えていたらしい。けれども今は建築当初とは異なり、鎹鴉が情報伝達を担うようになっている。そのため、現在では(もっぱ)ら食堂として使用されていた。

「おーい、啓介!」

 がやがやと煩い部屋の中で、その声は一際大きく聞こえた。つられるように明は声の方向に視線を向けた。中堅どころの隊士が数人、固まって座っている。そのうちの一人が、入り口に向かって手を振っていた。

 先ほどまで同期二人と話していたらしい鏑木が、ぱっと顔を輝かせて駆け寄っていくのが見えた。もしも彼が犬だったら、ぶんぶんと尻尾を振っていただろうと思うような足取りだった。鏑木のあとを追うように、笠田と青沼がついていく。先に食べていた隊士たちの近くに食事を乗せた盆を置くのが見えた。

 明の席からは遠いが、彼らが楽しそうに会話しているのは見てわかった。あの三人は、先輩の隊士たちからよく思われているらしいというのが、仕草や表情の端端から見てとれた。隊士たちの関係性が良好なのは良いことだ。

 ──私もせめて、怖がられないようになりたいものだが。

 出汁の味の効いた豚汁を飲み干す。米がちょうど良い塩梅で腹に溜まっていた。心地よい満腹感と共に、明は席を立った。

 ──今晩も警邏があるから、書類整理が終わったら仮眠を取ろう。

 隊士たちと同じく、自分も疲れていることを自覚する。自分の行動を思い返してみると、三日間は寝ていなかったらしいことに気がついた。昨日は午後に稽古場を担当した後に夜間警邏に行っていた。帰ってすぐ鏑木に稽古をつけていたので、この丸一日以上、ろくに休まずに活動し続けている。体が重いのは道理だった。

「──すみません、東出さん」

 後ろから声をかけられて、明は足を止めた。青沼の声だ。振り返ると、生真面目な調子で青沼が続けた。

「先輩達に誘われたので、今日の夕飯は外で食べて来ます。大木さんには伝えました」

 大木というのは、先程豚汁をよそっていた女中の名前だ。

「わかった。連絡ありがとう。……隊士同士、親睦を深めるのは良いことだ」

 青沼の後ろに、隊士たちの輪の中にいる鏑木が見えた。

「うまくやっているようで嬉しく思っている」

 青沼は何も言わなかった。明は踵を返し、自室へと向かった。

 

 

 かちり、と小さく音を立てて万年筆の蓋をとる。鮮やかな菜の花色。──あの人の、色。

 いつものように万年筆の後ろ側にキャップを嵌めようとして、手が滑った。小さなキャップが指先から離れ、畳の上に落ちて転がる。

 それを拾い上げた時、蓋の中に入っている()()の存在に気がついた。キャップの中が不自然に明るい。覗き込んでみて、白いものが入っているのに気が付く。──紙だ。

 明の不在中に誰かが入れたという可能性はすぐに排除した。この部屋に人が入ることはないし、万年筆を机の上に置きっぱなしにしたこともない。

 ──ならばこれは、小夜が入れたもの。

 覗き込んでよく見れば、紙には何かが書かれた形跡があった。

 ──『もらった万年筆の使い勝手が良かったので、是非使って欲しい』

 遺書には、明の手に確実に万年筆が渡るための言葉が記されていた。──これは私に宛てたものだ。

 気がつけば、その紙を夢中で取ろうとしていた。

 キャップは指を入れて掻き出すには細すぎる。口を下にして振ってみても、出てこない。当然だ。そんなに簡単に落ちるものなら、今日まで中に残っていたはずがない。

 裁縫箱から針を取り出して、紙片に引っ掛ける。膝の間にキャップを挟んで固定し、針を前後させてどうにか中の紙片を掻き出そうと試みる。何度かの失敗の末に、どうにかそれを取り出すことに成功した。

 指先に乗る程度の、小さな紙だった。

 震える手でそれを真っ直ぐに伸ばす。

 

 水 ギジロク 三十八年二月十六日

 

 端的に書かれたその文字を、明はじっと睨んでいた。

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