鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第36話 鳥影

 窓から差し込んだ光に、明は薄く目を開けた。

 ──この日の角度。まだ昼にもなっていないな。

 昨晩は新人三人の任務を監督していた。屋敷に帰ったときには東の空が明るくなっていたのを覚えている。常の通りに短すぎる睡眠だった。

 当然の如く、昨日までの疲労は全く残っていない。眠らずにすむようになる日も、そう遠くないのだろう。──この体質のおかげで、何とか仕事を回せている。癪ではあるが、恩恵と呼ぶべきものかもしれなかった。

 籠の中で眠る晴彦を起こさないように、そっと布団から這い出る。極力音を立てないようにして着替えを済ませ、明は木刀を片手に外に出た。

 外に出た瞬間、瞳を射るような日差しが眩しくて、目を細めた。夏に向かいつつあるこの時期、日差しは随分と強くなってきているようだった。

 ──少々腹が空いているが、昼までは我慢しよう。

 多くの隠や隊士達が屋敷を利用しているため、ここの食事は住み込みの女中や隠によってまかなわれている。食べ盛りの隊士達が複数名、それも毎日利用者の人数が変動するというのもあり、まかないはいつも多めに用意されていた。朝食と兼ねて多少多めに食べても迷惑にはならないだろう。

 ぶん、と木刀を軽く振る。

 あの三人が屋敷に来てから、腰を据えて型稽古をする時間がめっきりと減った。今まで一人稽古や元風柱の伊藤との二人稽古に充てていた時間を彼らへの剣術指導に使うようになったためだ。

 長く息を吐きながら、慎重に木刀を構える。できうる限り丁寧に、木刀の先から足の爪先まで、意識を行き渡らせる。

 ────炎の呼吸 壱ノ型隻式 不知火

 (ごう)、と豪快な音を立てて、炎が巻き上がった。

 ────炎の呼吸 弐ノ型隻式 昇り炎天

 続く型が炎の幻影を上塗りする。弧を描く刀の軌跡、それに追随する赤い火炎。

 変式の「怪」ではなく原型に忠実な炎の型を、確かめるようになぞっていく。木刀が空気を斬るたびに、自分の中のどこかが安らいでいくのを感じた。一人稽古では必ず炎の呼吸の型稽古から始めるのが、明の習慣だった。

 ──これだから剣鬼なのだ、私は。

 皆が鬼殺の目的のために刀を握っているのに対し、私だけが刀そのものを目的としている。結局のところ、鬼の血を引く私は、戦いを求める醜い修羅なのだろう。

 それでもいい、と今は思っている。鬼を殺し、人を守るという、同じ結果が得られるのならば。結局のところは、結果が全てだ。かつてあの人が言ったように、救った命の数こそが大事なのだ。

 そう、表に出した行為が全てだ。殺戮者が内面でどう思っているかなど、殺される対象にとって何の意味もないだろう。殺しの罪悪感に浸るのはただの自己満足だ。正しさとは何の関わりもない。──ただ一点、殺しを己のためのものにはしないと誓った。殺すための殺しだけは許さない。殺すことで己の何かを満たそうとすることだけは禁忌とした。客観的な善悪のためではなく、己自身の矜持のために。

 目の前を炎が揺らめく。

 煉獄家を訪れるのをやめてから、炎は明を焼かなくなった。かつて支えにしていた日々と同じように、型は明に静かに寄り添ってくれている。

 炎の呼吸の型を一巡してから、明は建物の影に目を遣った。途中から自分の様子を伺う視線が増えたことに気がついていた。

「……笠田か」

 明の言葉が聞こえたのか、笠田はばつの悪そうな顔でおずおずと近寄ってきた。盗み見ていたのを叱られるとでも思っているのだろうか。木刀を持つ手で手招きすれば、すぐに小走りに転じて駆け寄った。

「物音を立てすぎたかな。起こしてしまっただろうか」

「いえ、そういう訳ではなく! 克洋も啓介もぐっすりしてましたし!」

 笠田は勢いよく手を振りながら、大袈裟に否定した。笠田は同門の鏑木とは対照的に、ひどく明に好意的な隊士だった。こういうのを、「懐かれている」と言うのだろうか。鏑木と足して二で割ればちょうど良くなりそうだと思うこともあった。

「……あの、もう少し見ていていいですか?」

 ぶんぶんと振っていた手の動きを止めた笠田は、明の顔を覗き込むようにして問いかけた。

「明さんの型、いつも綺麗だなって思ってるんですけど、稽古中はそれどころじゃなくて、じっくり見れなくて」

「──なら、風の呼吸の型がいいかな」

 ここ数日は稽古を見れていなかったなと、指導者としての意識が頭の中を占めていく。見稽古をさせるのなら、彼女の適正である風の呼吸の型の方が良さそうだ。

「あ、それも嬉しいんですけど、さっきまでの炎の呼吸の方が見たいです! ──あれが一番、その、格好いいので! いや、風の呼吸が嫌いってわけじゃないんですけど! とっても、……なんというか、……ええと、激しくて、まるで炎そのものを見ているみたいで」

 慌てたような笠田の口ぶりに苦笑いしそうになったが、自分を見上げる彼女の視線の真っ直ぐさに、かろうじて表情の崩れを噛み殺した。

「明さんが見せてくれた型の中で、一番綺麗だったから」

 はにかんでそう言った笠田の言葉に、胸を衝かれた。胸に広がった(せわ)しない感情が何かよくわからなくて、明は一呼吸の間、押し黙った。

「──それは……光栄だな。だが、笠田も稽古を続けていれば、同じぐらいにできるようになる。日輪刀の色の鮮やかさは、君の才の証だから」

「ありがとうございます。……明さんはきっと、私じゃ想像もつかないくらい、稽古されてきたんですよね。尊敬しています。……私も、明さんみたいなかっこいい剣士になりたいです」

 真剣そのものの彼女の顔が、誰かと重なって見えた気がした。

「──って、高望みですよね。流石に柱は、凡人に手が届く領域じゃないんでしょうし。でも、絶対に、ちゃんと強くなりますから! 教えてもらった分はちゃんと、戦績でお返しします! 明さんの指導は、絶対に無駄にしませんので!」

 ぐ、と胸の前で拳を握ってみせた笠田は、いつも通りに勝ち気そうで、いつも通りに明るかった。

「……では、もう少しだけ、炎の呼吸の型を見せよう。それが終わったら、布団でしっかり寝ておくといい。疲労を次の日に持ち越すと、稽古の効率が悪くなる。──まだ、十分に眠れていないだろう。体調管理も隊士の務めだ」

 笠田は気まずげに視線を逸らし、こくりと頷いた。

「……まあ、慣れないうちは、任務後すぐに寝れないことも多い。体が戦闘状態を維持してしまって、寝ようにも目が冴えてしまうというのは、私にも覚えがある。恥じることではないよ」

 ──本当なら、こんなことに慣れない人生の方が、よほど良いのだろう。

 そんな考えがぽつりと浮かんだ。この子は私と違って、一般市民として生まれ、生きてきたのだ。鬼に身寄りを奪われさえしなければ、きっと今も平穏な日常生活を送っていたのだろう。

 それ以上考えるのはやめて、明は型を演じるために建物から距離を取った。

 刀を振りかぶった瞬間に、雑念はすぐさま焼き払われる。

 ────炎の呼吸 壱ノ型隻式 不知火

 初夏の風の中で一際大きな炎が噴き上がった。逆巻く赤い幻影を、目を輝かせた笠田が食い入るように見ていた。

 

 

 

 

「ありがとうございました! 明さんも、無理はしないでくださいね!」

 そう言って去っていった笠田の足取りには、やはり疲労が見えた。早めに見稽古を切り上げさせて正解だった。

 稽古中に起きてきた晴彦は、屋根の上に留まって毛繕いをしている。

 笠田はいつからか、明のことを苗字でなく名前で呼ぶようになった。初めてそう呼ばれた時に明が咎めなかったためか、それからは新人三人のうちで笠田だけ、「明さん」と呼んでくる。

 戦闘中の序列の乱れは、時として死を招く。本来なら、弟子が距離を詰めようとしてきたら、こちらから線引きするべきだったのだろう。戸惑っているうちに笠田に距離を詰められてしまい、今に至っている。「沙織」ではなく「笠田」と呼んでいるのが、辛うじて明にできた抵抗といえた。

 ──出来るならば、真菰のような戦友としての間柄になってみたかった。

 そう思うことがないわけではない。けれども、彼らにとって明は師であり、上司であり、柱だ。

 上司は全ての部下に平等に接しなければならない。

 ──それは言い訳だ。必要以上に親しくならない為の。

 流されるままの中途半端な自分を、頭の中の声が糾弾した。

 ──小夜が死んだ時の、体を抉られるような痛みを、もう感じたくないからだ。

 隊士がみなすぐに死んでしまうなら、特別な相手は作らない方がいい。殉職者を減らすために努力しているのに、どこまでも自分は「鬼殺隊士はすぐに死んでしまうものである」ということを前提に動いている。

 座りの悪さの原因はそれだけではない。慕われることへの罪悪感には、別の側面もあった。

 鏑木の顔が脳裏に浮かぶ。

 本来なら、彼のように明を恐れるのが普通のはずだ。現に明の体は、人を食料の一種として認識している。食べる気が毛頭ない以上、面倒を避けるために伏せていることを罪とは思っていないが、それを知らない人間に過剰に慕われるのは、騙しているような罪悪感があった。

 ──けれど、これももうすぐ終わる。

 新人三人を引き受けて、早くも一ヶ月が経った。他の新人たちも担当していた隊士から認められ、晴れて一人前の隊士として(みずのと)の階級を与えられていた。明の元にいる三人組も、明の監督がなくとも、もう十分に安定した鬼殺ができるようになった。そう評価すると同時に、手放すのにはまだ若干の不安があった。

 三人がかりなら、異形の鬼でも無傷で狩れている。実際、この地区であの三人組の連携を同時に相手できるのは、柱の明と伊藤だけだった。甲の隊士すらも防戦一方に追い込める。個々での粗はあれど、剣そのものの実力十分であると言えた。

 けれども、彼らにはまだ異能の鬼を相手にした経験がない。血鬼術は鬼との戦闘の中で最も警戒すべき要素だった。どれほど剣による近接戦に慣れていても、血鬼術による絡め手で呆気なく命を落としてしまう隊士は少なくない。

 自分は過保護なのだろうか。

 それとも、弟子を持った人間とは、多かれ少なかれ、このように思うものだろうか。もしかしたら明を藤襲山に送り出した遠藤も、同じように思っていたのかもしれない。

 最低限のことは教えられたように思う。けれども、全てを伝えられたわけでは到底ない。ある程度の段階からは、人から教わるのではなく自分で身につけていくしかなくなるものではあるけれど、明が彼らに教えられる技術は、まだいくらでも残っていた。

 それでも、潮時ではあるのだろう。──先日、鳥柱から書簡が届いた。見てやってほしい隊士がいるとのことだった。鳥柱には既に継子が一人いる。年長の柱として多忙を極めている彼女は、追加で弟子を取る余裕がないらしい。

 「君に任せられないだろうか」、と彼女に頼まれて、明に断れるはずがなかった。

 風が吹く。型稽古で温まっていた体を、心地よい風が冷やしてくれる。

 ──ふと、少し離れた木に掴まっている鴉が目に留まった。

 枝葉の影に隠れてよく見えないが、その鴉は明の方を向いていた。目を逸らすことなく、じっと明の方を見ている。

 ──いつからいた?

 この屋敷は鴉の出入りが多い。屋敷内に鴉がいても、気に留めるものはいない。現に明も、鴉の行動はあまり注視していない。

 けれども、「あの木に鴉がやってきたところ」を見ていないのは確かだった。

 ──私を観察していた?

 ──なんのために?

 ──監視?

 否。鴉は明を監視することに耐えられなかった。もしその任を負わせられる鴉がいたならば、産屋敷が指定できたはず。そのようなことをせず、わざわざ非公式に明を監視するのはおかしい。

「──晴彦」

 唇を殆ど動かさず、明は相棒に呼びかけた。くい、と木刀を握ったまま、晴彦に見えるように人差し指だけ動かして指示を出す。

《あれを追え》

 晴彦が飛び立った瞬間、明も同時に駆け出した。一歩目、踏み込みの衝撃で地面が抉れる。

 ばさばさと慌てたように飛び立った鴉の後を晴彦が追う。進路を妨害するように回り込もうとするが、無名の鴉はそれを間一髪のところで(かわ)した。

 鴉たちの進路を見ながら、明は地上を走る。あの高度では跳び上がって捕らえることは難しい。けれども上空には障害物もないため、見失うこともなかった。

 絡むような複雑な軌道を描きながら、二つの黒い影が屋敷を遠ざかっていく。無名の鴉への疑念は既に確信へと変わっていた。

 ──突然、追われていた鴉が急降下した。

 明のいる方とは反対方向、薄暗い竹林の中に墜落するように落ちていく。

 地面を蹴る明の足が加速する。──あの高さなら、届く。

 がさがさと、鴉の羽が竹の葉を打つ音が響く。

 明は鴉の場所にあたりをつけ、一気に跳び上がった。

 ──いない。

 明の手は宙を空振った。

 竹に遮られるまでは確かに見えていたはずの鴉は、影も形もなくなっていた。

 ──一体、どこに。

 慌てて周囲を見渡す。神経を尖らせ、僅かな音を捉えようとしても、やはり、何の気配も捕まえられない。

 降下してきた晴彦が困惑した声をあげた。やはり彼も、見失ってしまったらしい。

 しばらく晴彦と手分けして鴉を探したが、消えた鴉の羽ひとつ見つけることができなかった。

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