鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第4話 師匠

「遠藤殿、いらっしゃるか!」

 山の麓の家の前で、槇寿郎は大声を張り上げた。数秒の沈黙ののち、家の裏手から人影が現れた。

「久しいな、煉獄。──それがお前の愛弟子か」

 遠藤は槇寿郎の傍らに控えている子供に目をやった。隊士に斬り落とされたという腕に目を留め、低く唸る。

「明と申します。これからよろしくお願いいたします」

 

 

 ────この人が、私の新しい師匠。

 佇まいだけでその強さの一端を感じられた。

 さして大柄でもない人だった。頭髪に白髪が混じっているあたり、槇寿郎より一回り年上だろうか。その立ち姿には全く隙が無い。

「なるほど……常中は身に着けているようだな。片腕でも多少は刀を扱えると聞いている」

 遠藤は家の中から二本の木刀を持ち出し、一本を明に手渡した。

「型を打ち込んでみなさい」

「──はいっ!」

 一際息を大きく吸って、明は地面を蹴った。

 ────炎の呼吸 壱ノ型隻式 不知火

 横に薙いだ木刀を上に弾く、硬い音。

 弾かれた勢いのままに刀を返し、袈裟に斬りこむ。──今度は、避けられた。

 その遠藤の動きに違和感を感じた。

 距離が離れたので、正眼の構えを取り直す。

「続けなさい」

「はい」

 踏み込みと同時に打突。受け流された。上段からの斬り下ろし、からの昇り炎天(斬り上げ)。返す刀でまた不知火。

 ──なんだ、これは。

 明は刀を振るう動きを止めず、しかし攻撃を受ける遠藤の姿に驚きを隠せずにいた。

 ──また、構えが変わった。

 斬りこむたびに、遠藤の構えが、呼吸が、足の運びが、剣の軌道が、別人のように変わる。

 膝を柔らかく用いた歩法を使ったと思えば、鋭角的な軌道で木刀を斬り下ろす。力強く弾かれた次には、質量を感じさせない遠心力のみによる受け流し。

 初めこそ遠藤の異様な剣技に戸惑っていたが、その困惑に反して、意外なほどに炎の呼吸の型を繋げやすかった。遠藤は明から型を引き出すように、炎の呼吸のそれぞれの型を出しやすい構えと位置取りをしていた。

 ────炎の呼吸 伍ノ型隻式 炎虎

 ────(あわせ)の呼吸 炎ノ肆 盛炎のうねり

 正面から弾かれた。

 木刀を持つ手が痺れる。

 瞬間、遠藤の木刀が迫った。先ほどまで防御に徹し、明の剣筋を観察していた遠藤からの、初めての攻撃。

 ────合の呼吸 水ノ肆 打ち潮

 初めて見る型だった。辛うじて木刀を当てて軌道を逸らし、二撃目を後方へ跳ね飛んで避けた。

 遠藤は明が間合いを抜けるのを許さなかった。初老の体が驚くほど身軽に宙を舞う。

 ────合の呼吸 風ノ伍 木枯らし颪

 頭上から、細かな斬撃の嵐が明を襲った。

 ────炎の呼吸 肆ノ型隻式 盛炎のうねり

 前方を薙ぎ払う型で応じる。先ほどの型よりも斬撃が重い。

 遠藤は明に息をつかせず、連続して型を繰り出した。

 木刀が交わる度に攻撃が重くなる。四度目の型を受けたときに、明がどこまで対応できるかを測っているのだと気づいた。

 ────合の呼吸 花ノ伍 徒の芍薬

 ────合の呼吸 霞ノ肆 移流斬り

 ────合の呼吸 雷ノ弐 稲魂

 十を超えたか超えないか。命の危機とすら錯覚しながら、明は死に物狂いで型をさばき続けた。受け損ねたら死ぬ。そう直感するほどに、遠藤の攻撃は苛烈なものになっていた。

 腕が重い。

 木刀を握る手がぶるぶると震えている。木刀を構えていることすら辛い。

 ────合の呼吸 炎ノ壱 不知火

 遠藤の袈裟斬り(不知火)を変則的な昇り炎天で斬り上げようとして、しかし、明の木刀が押し負けた。限界に達していた明の腕が、なすすべもなく押し戻される。

 ────斬られる。

 とっさに身をひねって衝撃に備えた。この威力だ。受け身を取り損なえば、骨が何本か折れるやも────

 ────しかし、予想に反して、木刀は明の肩に触れる寸前で止まった。

 明は視線だけを動かし、こわごわと遠藤を見上げる。この速度、この威力の乗った木刀を寸止めした。自分が未熟であることも、隊士や育手が熟達していることも理解していたが、実際に見ると驚かずにはいられない。

「……ふむ」

 遠藤はまた、低く唸った。……どこか満足げな響きがあった。

「収めろ。……大体、わかった」

 明は荒い息のまま、構えを解いた。

「……これは煉獄が入れ込むわけだ。この子は俺が預かろう」

「感謝する」

 槇寿郎は深々と頭を下げた。

 

 

 槇寿郎が帰ってから、遠藤は明に炎の呼吸の型を一通りやらせた。

「……よく、ここまで仕上げたものだ。隻腕になってからの型の改良は、ほぼ独学でやったそうだな」

 遠藤の言葉には、紛れもない感嘆が籠もっていた。明は緊張しながら、ありがとうございます、とだけ答えた。

「刀を習って何年になる?」

「……覚えておりません。物心ついた時から木刀を握っておりました。呼吸を習ったのは、三年前からだったと思います」

 三年で常中を、と遠藤はまた深く唸った。

「煉獄家ではどういう立ち位置だったんだ? 手紙では、槇寿郎はお前を『娘』と呼んでいたが」

「槇寿郎様のご厚意により、実の息子の杏寿郎……様と同等に教えを受けておりました。もう、勘当していただきましたので、今はただの元弟子です」

 静かに答えた明の声には、僅かばかりの寂しさが滲んでいた気がした。

 ──どう育てたら、十の子供がこのようになるんだ?

 最初は異形の見た目に戸惑ったが、話してみれば想像以上の成熟具合に困惑した。

 おそらくは、明に炎の呼吸を教えたのは槇寿郎の独断だろう。伝え聞いたお館様の指示は『鬼子を育て、監視し、何か特徴が見つかればすぐに報告せよ』のみだったはずだ。念のため、明を弟子に迎える前に鬼子に剣術を教えてよいかお館様に確認を取りはしたが、返答は『問題があれば報告すべし』とだけで、放任の姿勢をとっていた。

 ──まあ、いい。俺は自分にできることをやるだけだ。

「まずは水の呼吸から教える」

 姿勢正しく遠藤の言葉を待つ明を見下ろしながら、遠藤は理由を説明した。

「水の呼吸の技は基礎的なものが多い。初心者に向く呼吸法だ。壱ノ型や伍ノ型はそもそもが片手の技だから、お前でも扱いやすいだろう。派生の呼吸も多いからな、覚えておいて損はない」

 遠藤は丁寧に呼吸の仕方を解説し、実演して見せながら明に型の動きを指導した。──そして明は、わずか一か月で水の呼吸の全ての型を修めた。

 

 

 目の前で水の呼吸の型を反復する子供を、遠藤は驚愕の思いで見ていた。

 剣術の基礎ができているとはいえ、あまりに早い。

 炎と水の呼吸法を混同することなく、その特徴を理解して使い分けられるようになっていた。

 そして、それ以上に──巧い。

 片腕だけで斬る稽古を続けていたためだろう。剣筋を立て、正確に力を伝える技術に長けていた。技を受け流す技術や、遠心力や重力を用いた斬撃にも秀でている。

 想定外の習得の速さに、遠藤は指導の予定を変更することにした。

 型演武が一巡し、明が刀を収めて遠藤を振り返る。

「合格だ」

 その一言を聞いた明の顔が、一気に華やいだ。

 明は教わった全ての型を解釈しなおし、隻腕での剣技に落とし込むことに成功していた。そのどれもが実戦での使用に耐える技として完成されている。──初日に見せた、炎の呼吸の型と同じように。

 遠藤の手招きに従い、明は小走りに遠藤の元へ戻った。

「……初めは、水の呼吸の型を教える中でお前の適性を測ろうと思っていた。だが、お前は型の習得は異様に早い。炎と水だけにとどめておくのは勿体ないだろう。俺の知る限りの呼吸と型を、全て仕込むことにする」

 明の目が、僅かに揺れた。

「それは────合の呼吸まで教えていただける、ということですか」

 白髪の少女はおずおずと口を開いた。

「そうだ」

 遠藤の編んだ合の呼吸は、理論上、全ての呼吸の型を扱えるものだ。

 遠藤の日輪刀は炎の呼吸への適性を示したが、炎の呼吸だけで柱になれるほどの才はなかった。炎の呼吸を習得して一年で、遠藤は実力向上の頭打ちを自覚した。その解決の為に試行錯誤の末に編み出した、他に類を見ない呼吸法が合の呼吸だった。

 遠藤の炎の呼吸の才は突出したものではなかったが、複数の呼吸を学ぶ中で、その中の多くの呼吸に、一定以上の適性があることを自覚した。異なる呼吸法の型のすべてを戦闘で使用したい。合の呼吸は、その発想の下で生み出された。

 この呼吸法の強みは、圧倒的な手数の多さに他ならない。

 故に、合の呼吸の強みを活かすには、前提として複数の呼吸の型を習得している必要があった。合の呼吸には、この呼吸独自の型がほとんど存在しない。

 遠藤は今まで育手として一度も合の呼吸を教えたことがなかった。ここでの教育方針は、初めに水の呼吸を指導し、指導する中で子供の動きの癖から適性を見極め、子供の適性に応じた呼吸法が他に見つかればそちらの指導に切り替える、というものだった。

 しかし、非常に型の習得が早い明ならば、遠藤の剣士人生の集大成とも言える合の呼吸をも受け継げるだろうと思われた。

「技量だけであれば、お前は既に最終戦別を突破する剣士に匹敵していると言っていい」

 炎の呼吸の型に至っては、十分すぎるほどの完成度になっている。

 遠藤は明の全身を検分するように眺めた。

「しかし、体がまだ成長しきっておらん。体格がない。体が軽すぎる。お前もわかっているだろうが、威力とはすなわち、『速さ』と『重さ』だ。いかに速く刀を振るうか、そしていかに重心の動きを刀に伝えらえるか。お前には刀に伝えるべき体重がまだ備わっていない」

 明は神妙な顔で遠藤を見上げている。異形の瞳と剣術の才には人間離れしたものを感じるが、一か月共に過ごしてみれば、素直で聞き分けの良い子であるとも知れた。

「だから、ある程度成長するまで……そうだな、十二か十三まではここで剣の指導をしよう。俺の持つ技術を可能な限り、お前に叩き込んでやる」

 

 

 明は一年で、五大の呼吸法と型、そしていくつかの派生の呼吸法を修めるに至った。

 「合の呼吸」に含まれる、遠藤独自の型──「離ノ型」までも習得していた。

 ────炎の呼吸 水ノ拾 ()()()()

 明は山の開けた場所で刀を振るう。その型はどこかぎこちない。

 炎の呼吸のままでも、水の呼吸の型の「動き自体」をなぞる事は可能だ。しかし、型の威力を完全に引き出すことができない。

 呼吸と体の動きの調子が合わないのだ。拍がずれているような気持ち悪さがある。型というものは、意識、呼吸、体の動きが全て統一されて初めて威力を出せるものだ。この内二つに決定的なずれが生じているのだから、当然の帰結である。

 遠藤が編んだ呼吸法は、最も適性のある炎の呼吸を基としつつ、「より中立な」息の仕方を目指すものだった。

 どの型の威力も引き出せる、「癖のない」呼吸。本来なら呼吸の切り替えは体に大きな負荷がかかるものだが、呼吸の特色をできる限り薄くする事で、全ての型を使える呼吸を可能にした。

 中立な分それぞれの型の威力自体は若干落ちるものの、遠藤の知る限りの全ての型を瞬時に放てる選択肢の多さがそれを補った。

 型の最中に呼吸を微調整し、型本来の呼吸に寄せる事で、威力を底上げする事もできたが、体への負担なくこれを行うには相当な技量を必要とした。

 ──だが。

 ヒュゥゥゥゥ、と明の口から息が漏れる。

 ────水の呼吸 拾ノ型隻式 生生流転

 刀が纏っていた炎が水流に変じた。うねる龍のように刀を回転させながら、明は踊るように斬撃を繰り返す。

 ──呼吸の調子が変わる。

 ────風の呼吸 肆ノ型隻式 昇上砂塵嵐

 うねる水流が竜巻に転じた。刀から巻き上がる剣撃が、周囲の木々の枝葉を切り刻む。

 最後の一振りの途中で、風がよじれた。またも呼吸の音が変じる。

 ────炎の呼吸 伍ノ型隻式 炎虎

 剣風が燃え立つ炎にとって代わる。

 少し離れて佇む遠藤は、複雑な顔で明の剣舞を見守っていた。

 明は息を乱すことなく、呼吸を転じ続ける。炎に、水流に、雷撃に、暴風に。何度繰り返しても型に陰りはなく、疲労は微塵も感じさせない。

 これは合の呼吸ではない。一つの呼吸内での色合いの変化などではなく、完全な呼吸の切り替えを、反動なしに行っている。

 人の体ではありえない現象だった。

 槇寿朗は以前、この子供を「目以外は普通」と言っていた。

 たしかに、気配はほぼ人と変わらない。欠損した腕が再生する様子もない。少なくとも鬼ではない。

 しかし、この子供が普通? そんな馬鹿な話があるものか。

 人の域を超えた肺機能、頭抜けた剣才、不自然な成熟具合。どれをとっても異常だ。

 どこまでが鬼の体質の影響で、どこから明個人の資質によるものかはわからないが、間違いなく普通ではない。

 明は、隊士として、育手として長く勤めてきた遠藤の知る中でも、一、二を争う剣術の才覚の持ち主だった。文字通りの白眉の弟子である。

 そして、それを上回る剣術への執着。

 刀を握ることを喜び、嬉々として型稽古を繰り返す。勝負稽古では怪我や痛みを意に介さず遠藤に食らいつく。その時すら心底楽しげで、歯をむき出して笑うのだ。

 稽古後は疲れ切っていながらも、いつも満ち足りた顔をしている。

「時間をかけただけ、稽古を重ねただけ、刀は応えてくれます。それがなにより嬉しい」

「師匠のような美しい型を使えるようになりたいのです」

 稽古が辛くはないのかと聞けば、このような答えばかりが返ってきた。

 まさに、刀を愛し、刀に愛された娘。

 人並み外れた才能と、恵まれた肺機能。

 いつしか、この娘がどこまで伸びるのか見てみたいと思うようになった。

 と、同時に、この娘が外からどう評価されるかが不安でもあった。

 異形の目だけでも厭われるだろうに、この才覚と呼吸の使い方では、敬遠されてもおかしくはない。

 怪我の治りも随分と早い。やはり、この娘の体は人間離れしている。 

 そして何より、明は非常に早熟だった。

 歳の割に、受け答えがしっかりしている──どころではない。

 おそらく初めて育てた子供だったから、あの夫妻はあまり違和感を覚えなかったのだろう。今まで育手として十代の子供を相手にしてきた遠藤から見れば、明は異常な子供だった。

 話をしていると、十五、六の子供を相手にしているのではないかと錯覚しそうになる。恵まれた家庭で読み書きや教養を一通り修めていたというのもあるだろうが、それだけでは納得しがたい、不自然なほどの成熟具合だった。

 知性だけでなく、その精神性にも異様なものが垣間見えた。

 聞けば、九歳で腕を斬られた時も、一度も涙を流さず、加害者に怒りを見せることすらしなかったという。

 煉獄からその話を聞いたときは、冗談だと思っていた。しかし、明と共に実際に過ごしてみて、それは全く誇張のない事実だったのだろうと考えなおした。

 おそらくは煉獄と、あの厳格そうな妻の教育によるものだろう。剣士の家門に身を置く者として、「鬼殺隊士になって人々を守りなさい」と常々言われて育ったはずだ。いつの代も、煉獄の剣士は誇り高く高潔だった。遠藤に炎の呼吸を授けてくれた先々代も、共に切磋琢磨した先代の炎柱も。

 もともと非常に早熟で素直な子供が、家柄による思想教育を受け、このような怪物になった──というのが、おそらく正しい。

 そうであれば辛うじてこの娘の行動を解釈できる。

 

 

「お前ほど教え甲斐のある弟子はいなかった」

 遠藤は感慨深く明を評した。

「…………しかし、何故、剣客の道を行くと決めた? お前は鬼に恨みがないだろう。市井で暮らしても良いはずだ。剣士は隻腕では厳しい道だろうとわかっていただろう」

「…………何故でしょう。自分でもよく、わかってはいません」

 明は目を閉じて考え込んだ。

「今まで、その道しか見えていませんでした。腕を失ったときも、考えたのは『隊士になる事を諦める』事ではなく、『片腕でどうやって戦うか』でした」

 明は困ったように笑みを浮かべた。

「他の道の存在が、意識の外にあったとでも言えばよいでしょうか」

 部屋の隅に置かれた刀を見つめる。

「……しかし、今改めて他の道を示されても、行こうという気が起きないのです。全く」

 明の表情が、わずかにやわらいだ。

「ひとつ確信できたことは、私は心から剣術が好きなのだろうということです。刀を振るうのは楽しく、型の完成度を挙げられた時は嬉しい。刀を手放した自分を考えられませんし、どんな形であったとしても、刀を手放したくはないのです」

 遠藤の元に来て二年。その間に自覚した、自分の唯一の執着が剣術だった。

「真剣であっても、木刀であっても構いません。私は刀を握り続けたい。剣術を極めたい。刀は私の好きなことで、なおかつ人並み以上にできることだと思っています。それを使って人の役に立てるなら、これ以上の幸福がありましょうか」

 肩の力を抜くように、ゆっくりと息を吐く。

「私は隊士になるために生きてきました。いえ──隊士とするべく生かされたのだと、思っていました。

隊士になることは、私を育ててくれた……生かしてくれた方々へ返せる、唯一の事なのです」

 明は言いながら納得したように、なかば独り言のように言った。

「あの方達がいなければ、私は今、こうして生きてはいないでしょうから」

 煉獄家に思いを馳せる。もう帰れない、暖かな家。尊敬する父母と、愛おしい弟の笑顔を、今も鮮明に思い出せる。

 明は遠藤の元に来てから、弟子から鬼を出した育手は切腹しなければならないという隊律を知った。鬼を庇った隊士も、斬首されるのが一般的だそうだ。

 鬼殺隊は、それほどまでに鬼の身内に厳しい。

 煉獄の家を出たとき、姓も捨ててきたが、あの判断は正しかったのだろうと、今になって強く思うようになった。

 彼らから多大な恩義を受けた。もし入隊が叶ったならば、煉獄家にも、遠藤師匠にも、迷惑のかからないようにしなければならない。

「……そうか」

 遠藤は静かに言った。

 明は皺の多い表情から少しでも感情を読み取ろうと、少しだけ身を乗り出してのぞき込む。

「鬼に恨みはないだろう、と仰いましたが……一応、あるにはあります。実感はないのですけど、建前としてなら。

 私の親は鬼にされましたでしょう。だから、鬼舞辻に平穏な人生を……両親を、奪われたとも言えます。煉獄の方々に我が子のように育てていただきましたから、私自身は不幸ではありませんでしたけれども。鬼にされた母の仇と思えば、刀を握る動機にはなりましょう」

 その言葉は本心だった。煉獄姓を捨てた今も、自分が孤児であるという実感はなかった。煉獄の人々も、遠藤師匠も、実の家族のように暖かく接してくれていた。感謝してもしきれない。

「ああ、あともう一つ。この顔です。髪と目。この見た目のせいで不便をしています。これはまあ、鬼舞辻を恨んでもいいでしょうね」

 明はおどけるように言って見せた。自分の見た目が嫌いなわけではないが、面倒なのは確かだった。

「何故でしょうか。……剣士が、私の天職のような気がしているのです。女でも隻腕でも異形の目でも人並みに身を立てていけそうな道が、これしか見当たらないもので。剣ならば、人並み以上にできるようでしたから」

 ──剣士だけが、鬼の目を持つ私が人として真っ当に生きられる唯一の道に思えた。

 私の能を最も活かせる道は、剣士なのだろうと悟っていた。

「……人に厭われ、隊士に害されたお前に、『人を守れ』と言うのは酷な話だと思う」

 遠藤はどこか苦しげに言った。

 遠藤の家に来てから一年が経っていた。その間、何度か近隣の村を訪うことがあったが、明の目を見た人々は皆、明を恐れ、避けていた。

「その見た目のせいで、この先辛い思いをすることもあるだろう」

「わかっています」

「お前は、……他人を、恨んでもいい」

 明は目を見開いた。

 それは瑠火の教えに反するものだった。

 人とは明にとって「守るべきもの」だと教えられていた。

「恨んでもいい。恨みは自然な感情だ。だが、個人を恨め。人全体を恨んではいけない」

 遠藤は繰り返した。

「個人を見ろ。知ろうとしろ。決めつけてはいけない。愚かで臆病なところもあるだろう。だが、それだけではないはずだ」

 明は遠藤の細い目に、暖かな光を見た気がした。

「俺がお前を大事にするのは、俺が「特別」だからではない。お前の事を知っているからだ。お前が誇り高く、優しい人間だと知っているからだ」

 その顔が、父──槇寿郎と重なって見えた。

「人には、よく知った相手でなければ見えないところ、見せないところがある。偏見だけが彼らの全てではない。

 信頼できる人を見つけなさい。守りたいと思える人を見つけなさい。大切な相手を作りなさい。人に失望しないように」

 ──それはまさしく貴方です、師匠。

 槇寿郎師範、瑠火様、杏寿郎、遠藤師匠。……私を大切にしてくれた人たち。

「まあ、俺にできることは、お前が道半ばで死なぬよう、生き抜くための術を伝えることぐらいだからな。……それだけはしっかり果たすと約束しよう」

 

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