鬼子の剣士は夜明けを望む   作:安代圭

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第5話 最終選別

 明は藤の狂い咲く空間で、夕空を背景に黒々と聳える山を見上げていた。

 十二になって数か月が経っていた。明は成長の早い方だったらしい。鬼殺をするのに十分な体格になったと、遠藤師匠から最終選別を受ける許可を得たのが十日ほど前のことだった。

 明の顔は上半分だけの半面の狐面で覆われている。遠藤が『鬼の目を晒さなくてすむように』と明にくれたものだった。人前で面を外せない明のために、わざわざ飲食や呼吸の妨げにならない半面を選んでくれた。その心遣いが身に染みる。

「あなたのそれも、厄除の面?」

 小柄な人影が近寄って声をかけてきた。幼さの残る顔立ちの少女だ。花柄の衣をまとい、狐面を脇にずらして被っていた。

「ヤクジョ? 何、それは」

「悪いことから守ってくれるの。選別を無事に終えられるようにって、先生が彫ってくれたんだ」

「この面も師匠にもらったものだが、そういう謂れは聞いていない」

 明は数秒逡巡した後、再度口を開いた。

「私の顔は物騒でね、それを隠すために面をくれたんだ。……でも、師匠からもらったものだから、そういう意味ではこれも『お守り』かな」

 へえ、と少女は明の面をまじまじと見つめた。明も少女の面を観察する。頬に花の模様が描かれている。素人目にも、彫りも彩色も、丁寧になされているとわかった。

「綺麗な面だね。きっと、良い先生なんだろうな」

「うん。私たち、鱗滝さんが大好きなんだ」

 少女は嬉しそうに頷いた。可愛らしい笑顔だった。

「私は東出明。……よろしく。共に選別を通過しよう」

 明が右手を差し出すと、真菰は握り返した。小さいながらも、硬いタコのある手だった。剣士の手だ。

「私は鱗滝(うろこだき)真菰(まこも)。うん。頑張ろう」

 真菰は穏やかな笑みを浮かべた。その気負いのない表情に、この子は強いな、と思った。彼女の所作や気配から参加者の中でもかなりの実力者だと推測していたが、やはり正しそうだ。

「真菰さん、」

「『真菰』でいいよ。弟弟子にもそう呼ばれてるから」

「では、私の事も『明』で。……で、真菰、鱗滝さんというのは、もしかして元水柱の?」

 口にしてから、話題の選択をしくじったと気づいた。自分の育手のことも、呼吸の事も、出来る限り伏せるべきだった。

「そうだよ。鱗滝さんのこと知ってるの?」

「名前ぐらいだけど。私の育手から、隊士として被っていた時期があったと聞いている」

「うん。明は何の呼吸を使うの?」

 明の思考が高速で回転した。──普通の隊士は、複数の呼吸を使わない。ましてや、戦闘中に連続して切り替えることはない。それは明の肺が鬼のものである故になせる業だと遠藤から聞いている。

「私は炎の呼吸を使っている。師匠が複数の呼吸を使っていたから、その関係で水とかも少しは」

 嘘をついて不信を買うのは不利益。選別中や後の任務中にばれるぐらいならば、軽く話しておいた方が良いだろう。

「水も使えるんだ。明はすごいね。一つ覚えるのでも結構大変なのに」

「いや、水はそこまでではないよ。炎の呼吸が主だから、水に関しては真菰ほどの練度にはなってないと思う。機会があれば、真菰の型を見てみたい」

「じゃあ、選別後に。明のも見せてね」

「了解した。楽しみにしておく」

 

 

 最終選別が開始し、参加者は山のなかに散り散りになった。真菰も、明の方に手を振ってから、別の方向へ歩を進めていった。

 十分に他の参加者と離れてから、明は面を横にずらした。視界の悪くなる夜間であれば、至近距離まで近付かない限り、異形の目を見られる恐れは殆ど無いだろう。戦闘中の視界を制限したくなかったのもある。視界が広くなった途端、少しだけ緊張がほぐれた。

 遠藤師匠との山での生活のおかげか、見知らぬ山でも問題なく動き回れていた。位置や方角もおおよそ把握できている。

 明は右手に刀を下げて持っていた。左手がないぶん、抜刀時の隙が大きくなる。ならば抜き身のまま持っていようという判断だった。多少腕に負担がかかるが、日ごろの鍛錬のおかげでさして支障はない。

 さて、これからどうしようか。

 合格条件は「七日間生き延びること」。

 斬った鬼の数は問われないのだから、積極的に鬼を探す必要はない。動き回るか、その場に留まるか。少しだけ逡巡した。

 動き回れば、鬼に遭遇しやすくなる。物音で気づかれることもあるだろう。自分の戦いやすい場所を探して、そこに留まるのが安全かもしれない。

 しかし、鬼に何らかの方法で人を追う能力があるならば、留まっていた方が鬼が寄ってきやすくなる。

 さらに、七日間という期間もある。どうせ鬼を狩るならば、体力のある初めの方に鬼を斬っておき、後半の負担を減らす──というのも一つの手だ。

 そこまで思考を巡らせてから、初日は他の参加者の様子見も兼ねて、少しだけ歩き回ってみることにした。

 刀を下段に構えたまま、足音を忍ばせて慎重に進む。手の中の慣れた重さが心強い。

 ──明の目は猫に近い形状をしている。日差しの強い昼間は瞳孔は縦に裂けるが、暗所では横に膨らみ、暗闇の中では真円に開く。その広がった瞳孔のおかげで、夜間の視界は普通の人間よりも数段良い。これは杏寿郎や遠藤師匠との比較で経験的にわかっていることだった。 

 鬼の夜目はどれほど利くのだろうか。聞く限りでは、必ずしも明と同じように猫のような形をしているわけではないらしい。しかし、夜行性であるのだから、人間よりも利くのだと考えるべきだろう。

 視界の端に、動くものを捉えた。

 ──鬼。

 木々の間の人影を凝視する。刀を持っていないことから、参加者とは考えにくい。骨格や肉付きが歪だ。鬼と考えるのが妥当だろう。

 明は地面を強く蹴った。常中で強化された肉体は、木々をすり抜けて一息に鬼に肉薄した。

 後から気づいた鬼が動き始めるが、──遅い。

 雑に振り払われた鬼の腕が明に届くより先に、明の刀が鬼の首に吸い込まれた。

 想像よりも柔い感触だった。

 斬撃は易々と鬼の首をはねた。白い狐面に血飛沫が散る。倒れ込む鬼の体を避けて、明は軽く飛び退った。

 あっけなかった。

 鬼は師匠よりも鈍かった。遅かった。予備動作はあからさますぎる程だった。

 力はあったのだろうが、戦闘技術は稚拙に過ぎた。

 ──あまりに、一方的に狩れてしまった。

 手にはまだ斬った感触が残っていた。明の知るどの肉より硬く、岩と異なり弾力のある感触。化物だった。──生き物だった。

 倒れた肉体が燃えていた。首の断面から血が流れて地面を濡らし、その肉の端をちろちろと炎が舐めている。

 はねた首は明に後頭部を向けていた。その最後の一片が燃え尽きるまで、明はただ眺めていた。

 抜き放ったままの刀に目を落とす。刀は鬼の血に濡れて、ぬらぬらと艶かしく月光を弾いていた。それを厭うようにつゆ払いをした。

 柄にぬめりがあった。

 己の手の甲を見る。返り血で濡れていた。明と同じ体温の血だった。

 躊躇はしなかった。恐れも薄かった。次もまた、私はまた鬼を斬るだろう。この程度の鬼ならば、躊躇なく、危なげなく。恐れることも厭うことも、きっとない。

 罪悪感、というほど苛まれたわけではなかった。緊張と使命感が大きかった。だが、何も感じないわけでもなかった。

 ──自分は生き物を殺したのだ。

 その言葉がぽつりと頭に浮かんだ。

 二足で歩く生き物を殺した。元人間のそれを殺した。

 必要なことだとはわかっている。煉獄と遠藤の教えを受けたものとして、鬼殺を否定するつもりはない。人を喰うならば、私は人を守るものとして、それを斬るべきなのだ。自分は鬼子だが、──否、鬼子だからこそ、私はこれに手心を加えてはならない。共感をしてはならない。私は己が人間だと証明し続ける必要がある。

 その場に刀を突き立て、血に濡れた自分の手を開閉する。血の匂いが濃い。着物で雑に手と柄を拭い、刀を握りなおした。

 ──それでも、あれは『嫌な感触』だった。

 

 

 それからもう一人の鬼を斬り、山中を歩いていたときだった。

 大きな影が蠢いた。

 あまりにも大きすぎて、初めは鬼とわからなかった。木の影が動いたのだと錯覚した。

 ──しかし。

 目を凝らし、それが巨大な鬼だと理解した瞬間、明は総毛立った。巨大な鬼の体は、無数の腕によって構成されていた。

 その鬼の近くに、素早く動き回る小柄な人影が見えた。誰かが、あの鬼と戦っている。明は瞬時に炎の呼吸に切り替えた。

 明の足元の地面が爆ぜた。全力の踏み込みで、一気に鬼の懐に入り込む。

 ────炎の呼吸 弐ノ型隻式 昇り炎天

 人影に向かって伸ばされていた野太い腕に、刀が吸い込まれる。先に斬った二人の鬼よりも硬い。重い手ごたえと共に、刀は腕を斬り飛ばした。切断面から噴き出した血が、明の顔に降り注ぐ。

「────助太刀に来た!」

 叫んで、もう一本の鬼の腕を斬り裂きながら、明は横目に人影の無事を確認する。

 その人物は狐面を被っていた。

 ──真菰だ。

 しかし、その気配は酷く乱れていた。少し離れていてもわかるほどに、全集中の呼吸が荒くなっている。

「……明!?」

 思わぬ乱入者に驚く真菰の声が、明の耳に突き刺さった。

 明が推測した限りでは、この少女は今回の参加者で一二を争う実力者だった。それがこれほどまでに追い詰められているとは、どういう訳だろう。

 鬼に対し、更に一段、警戒を引き上げる。

「暫し引き受ける。呼吸を戻せ」

 短く答えて、鬼に飛び掛かる。

 ────花の呼吸 伍ノ型隻式 徒の芍薬

 花弁を模した九つの連撃を、八方から伸びてくる鬼の腕に叩き込む。

 ──浅い。

 三本、腕を断ち損ねて歯噛みした。異形の鬼を前にして、自分も動揺しているらしい。

 打ち払うように迫ってきた腕を、後ろに跳ね飛んで躱した。

 鬼は明を見て顔をしかめた。

「違う狐か。お前に用はないから、邪魔をしなければ見逃してや────」

 ────炎の呼吸 伍ノ型隻式 炎虎

 突進しながら刀を振り下ろす。虎の牙のような斬撃が鬼の骨に深々と食い込む。身体に馴染んだ炎の型は、今度こそ鬼の腕を完全に断ち切った。舞い散る血飛沫を全身に被りながら、鬼への距離を詰める。

 大丈夫だ。私はこの鬼を相手に戦える。

「お前、俺の話を聞いているのか!?」

 ────風の呼吸 肆ノ型隻式 昇上砂塵嵐

 頭上から明を押しつぶそうと伸びてきた腕に、風の呼吸で対応する。旋風を伴った前方上方への乱撃が、腕を切り刻んで吹き散らした。

 遠藤師匠の教えは正しかった。やはり、面の攻撃には風の呼吸が最適だ。広範囲にわたる斬撃のおかげで、鬼の攻撃が緩んだ。

「殺す! お前は絶対に喰ってやる!」

 吠え猛る鬼の腕の軌道を見切って、明は呼吸を水に転じる。

 ────水の呼吸 拾ノ型隻式 生生流転

 水の呼吸の内、最も強力な斬撃を繰り出せる技。水の呼吸特有の足さばきを使えないのが難点だが、障害物を斬り裂きながら進むのに最適な型だ。

 水流を纏う刀が、龍の如くうねりながら鬼の腕を切断していく。

「ちょこまかと鬱陶しい────っ!」

 明を囲む腕の数が増す。

 五本、八本、十二本。

 回転の速度を上げ、鬼の剛腕から身を守ろうとし────足が、もつれた。

 手元が狂う。乱れた剣筋が、鬼の骨を断ち切れずに滑る。

 斬り損ねた腕が明の眼前に迫った。ぐい、と身を捩じって鬼の手を躱す。頭を掠めた鬼の爪が面の紐を千切った。

 鬼の目が嗤う。────これでお前は終わりだ、と。

 更に多くの腕が明の元に伸び、視界を覆いつくす。

 ──不味い。

 これほど崩れた体勢から、まともな型を出せるか。

 ──否、

 やるしかない。

 炎の呼吸で肺を満たす。刀が炎の幻影を纏って唸りを上げる。

 ────炎の呼吸 肆ノ型隻式 盛炎のうねり

 揺らめく炎のような軌跡を描き、白刃が鬼の腕を斬り刻む。腕の檻を抜けて開けた視界に、鬼の顔が見えた。鬼の目が驚愕に歪み──突如、鬼の背後から水流が迸った。

 ────水の呼吸 壱ノ型 水面斬り

 血飛沫と共に、鬼の首が高々と宙を舞う。

 その後ろに真菰の姿があった。先ほどまで蠢いていた腕の動きが止まる。

 真菰は青い刀を構えたまま、ぐずぐずと崩れる鬼の体をにらんでいた。巨大な鬼の体があっけなく焼けていく。

 ──生き残った。

 理解した瞬間、どっと体が重くなった。腕が震えていた。脇腹が焼けるように痛む。出血している感触があった。気が付かないうちに負傷していたらしい。脇腹の感覚に集中する。──掠り傷だ。選別試験の続行に問題ない。刀を握り直し、呼吸で止血する。

「──怪我はしてない?」

 鬼が完全に焼け散ってから、真菰が駆け寄ってきた。

「掠り傷だけだ。真菰こそ────」

 真菰は目を見開いて明をまじまじと見つめていた。明の言葉が途切れる。

 その視線の意味を理解した瞬間、明は凍り付いた。

 ──目を、見られた。

 じり、と無意識に半歩後退る。

 ──斬りかかられるだろうか。

 左腕を斬られた、あの日のように。戦いの緊張がぶり返し、深まった呼吸によって体が熱くなっていく。

 僅かな望みをかけて、明は重い口を開いた。喉の奥がざらついて、声が出しにくい。

「真菰、私は────」

 しかし、明が言い切る前に、真菰は納刀していた。

「────助けてくれて、ありがとう」

 真菰は深く、頭を下げた。黒髪が垂れ、無防備な首筋が晒される。

「貴方が来てくれなかったら、多分死んでたから」

 顔を上げた真菰は、数歩の距離を隔てて、真摯な瞳で明を見つめていた。目の前の光景を飲み込めず、明はたじろいだ。

「……隊士同士、助け合うものだから。大したことはしてない。首を斬ったのは君だったし」

 辛うじてそれだけ言い、気まずげに視線を彷徨わせた。足元に落ちていた狐の半面を見つけて拾い上げると、切れて短くなった紐がだらりと下がった。

 ──せっかく師匠がくれたのに、見られてしまった。

 明は唇を噛み、目を伏せた。

 一日目で露見してしまうとは。助太刀の恩義を被せれば、他の参加者に黙っていてくれるかもしれない──

「その狐面、貸してくれない?」

 唐突な真菰の言葉に、明は目を瞬かせた。

「その……片腕じゃ、直しにくいんじゃないかな。手拭い持ってきてるんだ。その紐、私に直させて」

 真菰は穏やかな笑みを浮かべていた。

 それを見た瞬間、この子を警戒した自分が恥ずかしくなった。何も訊かずに気遣ってくれる真菰の優しさに、胸の奥がじんと熱くなる。

「……ありがとう」


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