「……君が、噂の東出隊士か」
山の麓に佇んでいた青年は、しげしげと興味深そうに明の姿を見た。羽織で隠れた左腕の欠損部分への視線を感じる。もう、慣れたことだ。
青年の歳は十六か十七ぐらいだろうか。丈が高く、いかにも剣士らしい体格を有していた。
「階級
「俺は小野塚要一。階級は
「呼吸は何を?」
「初めに習ったのは水だったが、この通り灰色なので、岩も修めた」
小野塚は鞘から刀身をのぞかせ、君は? と明に問い返した。
「炎と水を主に、他にもいくつか」
「三つ以上も! それは凄いな」
素直に賞賛する小野塚の言葉に、明は謙遜の言葉を口にする。
「どれもそこまでの練度ではありませんので」
「いやいや、すごい。これほど若いとは思っていなかったが、聞いていた通りに優秀な人のようで頼もしい。今日はよろしく頼むよ」
もしかすると自分は鬼殺隊全体の中でも最年少なのかもしれない、と何度も言われた言葉を聞いて思う。明が十二、真菰が十三だが、同期の他の三名は明らかに明たちよりも年上だった。真菰以外に十代前半の隊士を見たことがなかった。
継子の真菰しかり、自分も含め、階級が中や上あたりの隊士を集めたのかもしれない。
それほどに厄介な鬼なのだろう、と明は気を引き締めた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。小野塚さんは他の二人との面識はあるのですか?」
明は敬語を崩さずに続けた。階級が下であっても、相手は年上だ。礼儀を欠かすべきではない。
「水谷隊士とは何度か共闘したことがある。鱗滝隊士は初だな。────ああ、来たみたいだ」
明は小野塚の視線の先に目を凝らした。畑の連なる先に、見覚えのある花柄の羽織があった。真菰だ。
真菰も明に気が付いたようで、満面の笑みで手を振っていた。
「この山の鬼によって、昨晩、新人の隊士が殺されました。情報は少なく、神出鬼没とだけ伝えられています」
集まった四人の隊士に対し、真菰が説明した。
継子としての教育には、稽古だけでなく、隊士の采配なども含まれているかもしれない。真菰は慣れた様子で淡々と続ける。
「鬼の縄張りは広く、この山一帯と推定されています。まずは昨日の交戦地を目指します」
小野塚と水谷は明らかに真菰よりも年上だったが、神妙に真菰の言葉を聞いていた。やはり、隊士の間では階級や継子の肩書が大きいらしい。
「では、私が先頭を行きます。明は殿をお願い」
「了解」
真菰の信頼に満ちた声に、明は頷いて答えた。
一列になって、傾いた赤い日に照らされる中を、殉職した隊士についていた鴉について登る。神経を尖らせながら進めば、微かに鬼の気配を感じられた。
幹に付いた傷、不自然に折れている枝が目につく。おそらく鬼によるものだろう。黙々と進む中、隊士達の緊張が高まっていくのを感じた。
到着したのは、日の沈む直前だった。薄暗い中に、鬼との交戦の跡がはっきりと見える。鬼に喰われたのか隠に弔われたのか、隊士の遺体は残されていなかった。
ざわり、と風で葉が騒ぐ。
誰からともなく全員が抜刀し、鬼の出現を待ち構える。山の向こうに日が沈んでいく。赤く焼けていた空が、濃紺へと移り変わる。
鬼の気配がある。しかし、居場所が掴めるほどではない。どこかにいるのは間違いないが、遠くからこちらを見ているような薄い気配しか感じられない。
「……出てくる様子はなさそうだな。どうする、鱗滝隊士」
潜められた声に、真菰も同じく声を抑えて答えた。
「手分けして探しましょう。発見後は鎹鴉に連絡を任せます。私は北方を探すので、小野塚さん、水谷さん、明はそれぞれ西、東、南を頼みます」
無言で互いの顔を見やる。異論はない。互いに頷き合ってから、鴉と共に散らばった。
別れて半刻も歩いたあたりで、鬼の気配が強まるのを感じた。首筋がぴりぴりとし、毛が逆立つ。
明は刀を握りなおし、常中の呼吸を更に深めた。
──こちらが
見られている。
今迄の任務で得た直感が、鬼の存在を叫んでいた。
神経を尖らせる。特定し難いが、確かにいる。一体、どこから────
突然、背後の茂みから鬼の腕が伸びた。
────炎の呼吸 弐ノ型隻式 昇り炎天
鮮やかな火炎が燃え上がり、血を撒き散らして鬼の腕が飛ぶ。
「──晴彦っ!」
他の隊士を呼べ、と続けようとして、
──カア、とけたたましいほどの鴉の声が、三方向から同時にあがった。
打ち潮で斬り刻んだ茂みの中は無人。鬼の肉片一つない。
群れないはずの鬼が、同時に現れた。腕を斬ったにも関わらず、本体が消えた。
考えられるのは、空間に作用する類の血鬼術。
事前情報の「神出鬼没」はこれのことかと納得する。
──あるいは分裂もありうる。
晴彦は各地区で現れた異能の鬼の情報をまめに伝えてくれている。その中で分裂する鬼の話を聞いたことがあった。
晴彦は鴉同士での情報交換があるのだと言っていた。明に極力近付きはしないが、鬼殺の任務への配慮は欠かさず、熱心に仕事に取り組んでいる自分の鴉がありがたい。
────全集中の呼吸
再度、五感を尖らせる。鬼の気配、息遣いを捉えようと、神経を研ぎ澄ましていく。
鬼は明を攻撃した。こちらを警戒しているようだが、逃げる様子はない。
空間を渡る鬼を追うのは厄介だが、向かってくる鬼を斬るのは数段易しい。──来い。
鬼の攻撃は、またも背後からだった。
今度は頭上から、鋭い爪をむき出しにして飛び掛かってきた。
────炎の呼吸 肆ノ型隻式 盛炎のうねり
振り向きざまに刀を振る。鬼は思わぬ身軽さで身をよじって避けた。明の刀は首を逃したが、代わりに片腕と片足が重い音を立てて落ちた。
追撃を避けて飛びのいた鬼が、怒りに顔を歪めて唸る。
「──またガキか!」
ざらついた声が明に向けられた。
「子供の肉は嫌いじゃないが、お前はどうにも不味そうだ……」
痩身の鬼だった。樹皮に似た色のまだら模様の肌が山に溶け込んで見えにくい。斬り落とした鬼の右足と左腕が、見る間に再生していく。
血鬼術による攻撃の兆候はない。
「あっちの小娘の方が旨そ────」
────炎の呼吸 壱ノ型隻式 不知火
突進して斬撃を加える。振りぬかれた刀が、易々と鬼の首を斬り飛ばした。首を失った体から血が噴き出る。暖かな血が明の顔に降り注いだ。
高らかに舞う鬼の首が、目を見開いて明を見ていた。重い音を立てて落ちて、草の上をごろりと頭が転がる。
返り血が生暖かく頬を垂れていく。
──あっけない。
この鬼は油断していた。それは余裕があったからだ。この体を斬られても問題ないという余裕が。
これで終わりのはずがない。確信に近い直感だった。
耳を澄ます。交戦の音が複数聞こえた。
──西。
一番近い音の方向に、明は駆けだした。
戦闘音を頼りに、全速力で山を駆ける。
滅の字を背負った人の姿が見えた瞬間、明は一際強く地面を蹴った。
人影を飛び越え、明は刀を大きく振りかぶる。
────水の呼吸 捌ノ型隻式 滝壷
落下する勢いをそのまま斬撃に乗せる。飛瀑の如く振り下ろされた刀は、鬼の体に吸い込まれる────はずだった。
逃げられるはずもなかった鬼の体が、一瞬にして掻き消える。
空を斬った刀の勢いに身を任せ、明はくるりと体を一回転させて猫のように着地した。
──上。
着地の反動のままに、伸びあがるように天へ刀を振り上げる。
────炎の呼吸 弐ノ型隻式 昇り炎天
頭上の一枝と共に鬼の手首が落下したが、肝心の鬼の本体はどこにもない。
「またお前──」
────風の呼吸 壱ノ型隻式 塵旋風・削ぎ
螺旋を描く斬撃と共に、声の聞こえた方向へ突進する。進路にあった木々が抉れ、鬼の声がした若木を粉砕した。しかし、今度は手ごたえ一つなかった。鼠一匹見当たらない。
「お前に俺は斬れない。さっきは油断していただけだ」
八方から呆れたような声が響いた。
それを聞いて確信を強める。
──この鬼は、木を伝って移動できるのだ。
鬼が消えたり現れたりしたのは、いつも、鬼が枝葉の中にいたり、木に触れているときだった。
おそらくこの鬼は、木のある場所ならばどこにでも現れられる。この山一帯を、縦横無尽に。
面倒な鬼だ。
────風の呼吸 参ノ型隻式 晴嵐風樹
見せつけるように大降りに、風の呼吸で周囲の木々を斬り刻んだ。
小野塚のいる方向には斬撃を飛ばさなかったが、さしたる支障はないだろう。
一見、無意味な八つ当たりにも見える明の行動に対し、鬼は小馬鹿にしたような笑い声をあげた。八方から響く笑い声を、明は涼やかに受け止める。
「──四体」
日輪刀を下段に構え、明は木々の間の闇を見据えて語りかけた。
「四体が、君の分身の数の限界だろう。私が一人斬った。真菰もおそらく斬っただろうな。今は多くとも二体しか残っていないはず」
この鬼の体の強度から考えて、三体か四体が限界なのは間違いない。真菰のことはハッタリだが、当たらずとも遠からずといったところだろう。この鬼は明をガキと呼んで油断した。明と年の近い真菰に対しても、同じ油断をして隙を晒したはず。その隙を真菰が逃すことはありえない。
「加えて、移動距離。今までのを見るに、さほどの距離は動けまい?」
意識して声を響かせつつ、淡々と続ける。鬼は答えない。しかし、近くからこちらの出方を窺っているのがわかる。
「私と真菰なら、残り二人の君の相手をできる。夜の間、君を追い続け、君が人を喰うのを食い止めることは容易だ」
実際にやれば酷い労力になるだろうが、口には出さない。
「君は夜にしか動けないだろう。私たちは昼の間に食事ができる。君を追う足が衰えることはない」
この鬼は面倒だ。──逃げに徹されたならば。
「君はどうだ? 何か月も人を喰わぬまま、私達から逃げ回り続けることができるのか?」
淡々と問いかける。鬼の気配に迷いが混じるのを感じる。
「今、私を殺せないならば、君に逃げ道はないぞ」
見せ付けるように構えを崩す。下ろされた切っ先が地面に触れた。
後方、大木の虚に鬼の気配が膨れ上がる。
しかし、遠い。
明の周りに木はない。先ほどの晴嵐風樹で、明の間合いの中は完全に開けている。
鬼の攻撃に、あえて直前まで反応しない。────
首筋へと突き出された爪を半身になって避け、そのまま流れるように刀を振るう。
────水の呼吸 肆ノ型隻式 打ち潮
確かな手応えがあった。
首を斬り飛ばされた鬼の体が倒れる。噴き出した二度目の返り血が、明の隊服を濡らした。
息をひそめていた隊士の方を振り向けば、小野塚は荒い息で明を凝視していた。全身を緊張させ、正眼に刀を構えたまま、鬼の死体と明を見ている。
「──小野塚さん、負傷はされてませんか」
「あ、……ああ」
冷や汗をかいてはいるが、隊服に損傷は見られない。明が来るまでは拮抗状態だったのだろう。
他の交戦の音も消えていた。任務は終わったのだ。
代わりにこちらへ向かう足音が聞こえた。気配も、規則正しい歩幅も、明らかに鬼のものではない。音は軽かった。体重からして、真菰だろう。
臨戦態勢を解き、真菰を迎えようとした瞬間、
────水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き
鋭く突き出された青い刀の切っ先が、真っ直ぐに明の喉元へと迫った。
とっさに身を捩じって避ける。刀は明の隊服の肩口を切り裂いて、刀身に鮮血を散らせた。
追撃を避けて後方へ跳ぶ。
「──っ、明!?」
裏返った真菰の声が聞こえた。左肩が焼けるように熱い。瞬時に呼吸で筋肉を操り、血管を圧迫する。
混乱のままに明は刀を構えかけ、しかし、真菰の様子を見て切っ先を下した。
「肩──そんな、怪我、させるなんて────」
真菰は哀れなほどに狼狽えていた。全集中の呼吸を乱し、今までの沈着な態度が見る影もないほどに。
「真菰、状況は。水谷隊士は無事か。鬼は斬ったのか?」
意識して事務的に、いつもの声の調子で訊ねる。
「う、うん。斬ったよ。他に匂いもないし、これで終わりのはず。……ねえ、明、私────」
「太い血管は斬れていない。この程度ならすぐに治る」
真菰の言葉を遮る。
落ち着かせるように、できる限り淡々とした口調を保とうとした。
「────私の気配は、」
押し殺したはずの自分の声に、苛立ちと遣る瀬なさが滲むのが聞こえた。
「そんなに、鬼に似ているのか?」