薄らぼんやりした意識から覚醒した晶子は、持っていたらしい葡萄を見てから言った。
「この葡萄美味しいのよねーーーーー! どう? 食べてみない?」
「……やめておきます」
「遠慮しておきます。別の用途に使う必要もありますので、葡萄はありがたくいただきますね」
「あらやだ良いわよ」
照れ照れと女の顔をする晶子。発情する母親を見て琴音はため息をつきつつ、ようやくこの悪夢から抜け出せるのかと安心する。
きっとこれは悪い夢で、香奈とアズレートはその夢から救い出してくれる救世主だ。目が覚めた頃には全て忘れているかもしれないが、二人の事はちゃんと覚えていると良いなーと思う。
供物台のある鏡の前へ戻り竹の櫛、桃の木に生えていた桃、そして晶子から受け取った葡萄を置くと、元の世界へ続くだろう光の橋が鏡の中に浮かび上がった。
香奈とアズレートは無事に鏡の中に入り込めて、琴音もまた、中に入ることが出来た。しかし振り向くと、晶子がそこで立ち止まっている。
おや? と思ったアズレート。そして三人と、ちゃっかり琴音に抱かれていた一匹は伝承の内容を思い出した。
「神、豊穣を与えたり 神、等価として使いを求むられ 人、神に使いをあたえ、豊穣を手に入れり 神、人に3つの植物をあたえたり 1つ天にも伸び、1つ屋根を作り、1つ豊穣の象徴なり」
昔神様がいた。神様は村人に豊穣の加護を与える代わりに生贄をもとめた。人々は毎年生贄をささげ、かわりに豊穣の加護をうけていた。それがこの祭りの起源である。神様は村人に、竹と葡萄と桃をあたえてくれた。これらは神社の周りにうえてあり、いまでも大切に育てている。できたたけのこや葡萄や桃は毎年お祭りに神様に捧げる供物になっている。これを盗み食べたものは罰が当たり、神様がお怒りになるともいわれている。現に、かつて盗み食べたものがいて、その人はみるみるうちに痩せこけ死んでしまったというはなしである。
晶子は既に葡萄を食べてしまっている。神、即ち奈落の手により晶子の体はこの世界から脱出できないようにされてしまっていた。
それを証拠づけるかのように、晶子の体に黒い影が這い寄る。
「にがざん……にがざんぞォ……ぜめで、ぎざまだけでもォ……」
グロスだ。肉体が消滅して尚、この世界そのものを構成するマナを全て使い晶子を道連れにするつもりだ。
「……雑に異世界連れて来たりしたんだから、こういう時くらい役に立ってもらわないとね」
世界が消えていない事からこういうパターンは想定していた。そして香奈にはまだ使っていない加護が残されている。
その加護の名はガイア。世界を支える神ガイアの加護は不可能な事象を実現する。定められたはずの運命を覆し、不可能を可能とする者、レジェンドと呼ばれるガイアに選ばれた戦士、香奈だからこそ得られた力。
愛さえ知らずに育ったグロスを何か温かな、母のような温もりが包み込んだ。
その温かさは晶子を縛っていた呪縛を解き放ち、ふわりと浮かび上がらせ、現実世界へ続く光の道へ追いやった。
琴音が母に抱き着く。もう離さないとその体を強く強く抱き締める。
姿を見せたガイアのアバターは天使のような笑みを香奈たちに見せた後、影からすくい上げた懐かしい姿のグロスを見て、言った。
「今夜は焼き鳥ね……!」
「コケッ!?」
「……ダメだ、やっぱ変な女神だ、あの人」
「若きクエスターよ、よくぞ使命を全うしました。これで焼き鳥が食べられます」
「アッハイ」
アズレートはむしろ冷凍にしたことは黙っておこうと心の内に秘め、目の前に立つガイアのアバターを見る。
黒く綺麗な髪に、褐色の肌の女神だった。以前別の任務で見た時は茶髪だったが、イメチェンしたのか、将又香奈が呼び出したからアズレートの知る姿とは異なったのか。
あと焼き鳥って……。
「アレ奈落なんだが大丈夫なんだろうか」
「これだけやって焼き鳥が目当てでしたって言ったら私怒りますよ?」
ガイアのアバターは逃げようとジタバタするグロスを絞めてから笑って言った。
「勇敢なるものよ、現へと帰るがいい!!」
また落下か!? と警戒すると同時、意識を失う。
気付いた時には神社の林の中に立っていた。階段の方に出て空を見れば太陽は少し傾きだしている。
時刻は午後、ヒーローショーがもうすぐ始まる。
「うーん、なんというか、無駄に疲れた……」
「精神的な疲労が常よりも大きかったな……はぁ」
こんなところで精神にダメージを負っているとはグロスも思うまい。
晶子と琴音はあの世界での出来事を良く覚えていないらしく、周りを見回しては首を傾げていた。無事に記憶は曖昧になったようである。
香奈はそんな琴音に近づくと声をかけた。
「……よかったね! お母さんが見つかって! 次ははぐれないようにね!」
上手く有耶無耶にしようと丸め込む作戦だ。これで琴音と晶子の記憶は迷子センターで呼び出したけど中々来ない晶子を探しに行って林で見つけた、と上書きされることだろう。
「うん! お姉ちゃんと、あとイケメンのおにーさんもありがとう!」
「イケメン! そうだわ、お礼も兼ねて私の家に招待したいのだけれどどう!?」
「ええ、どういたしまして。無事に合流出来て良かった……お礼は気持ちだけで結構ですよ」
アズレートは晶子の申し出も勿論断る。家にお招きされたらナニされるか分かったもんじゃない。
「まま! ひーろーしょーはじまっちゃう!」
琴音は母親の手を引っ張りながらアズレートの目を見る。その目が語っていた。この馬鹿は私が何とかするので逃げて下さいと。
アズレートは軽く頭を下げて返礼する。お手数をおかけしますと。
香奈はこのお母さん駄目だろもうと、いやこの季節に水着な時点でアウトだわと、そういえば何でこの人水着なのと疑問に思ったりした。
それから、琴音が抱いていた狐がいなくなっていたのに気付く。
「狐さんはこの神社のお稲荷様か何かだったのかなあ……」
「あの狐は……どこかへ去ってしまったようですね。随分と助けられたのでお礼くらいはしたかったのですが……」
残念ながらこの神社とは無関係な狐だし何なら割と近くで
こうして、豊穣神社を巡る一件の事件は終わりを迎えたが、古くからの神秘の秘匿により豊富なマナで溢れるこの世界を狙って、未だ奈落は蠢いている。
元々は魔術師たちが自分たちが有限であるマナを独占する為に、その技術を広く知らしめる事を止めてしまったのが始まりだ。我々が知る科学技術も、元々は魔法技術のほんの一部、それもマナをあまり消耗しないものを取り出して広めたものだ。科学に関しては魔術師たちは特に関心を持たなかったため、現在の世界を決定づける技術として大きく発展したが、一方でマナの真実は隠され続けていた。
ブルースフィアはその強大なマナで奈落を押さえ込んでいる。だからこそ、グロスも百年の時を経てようやく現実へ侵攻できる力を身に着けた。今も奈落は蔓延るが、世界が崩壊していないのはこのマナによる力が大きい。
普通人が隠された真実を知る事は危険だ。ガイアへの影響は世界の崩壊へと繋がるからだ。
日々のささやかな幸福、人との出会い、人が人を愛すること。それはガイアの愛がもたらす奇跡。もしもガイアの存在が世界に広く知られてしまえば、その力を利用しようとする者が現れ、何れ世界は奈落へと堕ちるだろう。
未だ、世界は危うい状況。それでも今日も、クエスターたちは戦う。
彼らは世界の
豊穣神社編、完結。