血だまりの中に私は寝そべっていた。
意識は朦朧としていて、立つこともままならない。
(……私は、死ぬのか)
抉られた臓腑が床に散らばっているのが見える。私の臓腑だ。
『オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”ン”!シュバルボルゾクベンベ!ボルガブボルブベンベ!』
魔王ベリュブギャーダが邪神を
……そうか、私は負けたのだったな、魔王に。勇者だ何だと言われては来たが、結局この世界には私が守りたいものが、救いたいものが何一つ無かった。大切なものは私を勇者と称えた者共が全て奪い去っていったのだからな。
クックッと乾いた笑いが血と共に口から零れ出る。
私から全てを奪ったこの世界が、魔王の手によって滅びるか。なんて愉快なのだろう!もはや悔しいとも思わない。ただ奴ら目に思い知らせてやれと祈るだけだ。私を勇者と謳ったものに裁きを、彼女を救わなかった世界に災いを。
体力も限界に近づき、瞼を閉じる。浮かんでくるのは懐かしいあの子の影だった。
(…ジュル!そうか、来てくれたのか)
私は陰に手を伸ばす。彼女はそっと包んでくれた。
(行こうか、誰も私たちを縛らない、自由へ……)
その日、私は死んだ。
♦ ♦ ♦
「ユウシちゃん、がんばれ!眠るな!給金も飯も貰えなくなるぞ!」
「わかっている!」
私は塩風こもる船の中、泣きながらカニの様なモノをひたすらに缶詰にしていた。私の涙と鼻水で味付けされた「カニの様なモノ」は、さぞおいしいのであろうな。食べる奴の顔が見てみたい。
♦ ♦ ♦
私がこの、蟹工船と呼ばれる船に自ら詰め込まれたのは、半年前のことである。
私は彼女に連れられ、この世から消えたはずだった。
しかし何故か意識があった、目が開いた。
そこは見たこともないような巨大な建造物が立ち並ぶ都市だった。恐ろしく早い鉄の箱が道を往来して行く。
ここは異世界か。
そうか、まだ私には生きろというのか、ジュル……。
ならば生きてみせようではないか。使命に縛られず、真に自由に。
私はこの世界で生きてやるのだ。
私がこの世界に来て半年くらいたったころだったろうか。その頃の私は、見事なホームレスに仕上がっていて、朝から晩まで空き缶を拾ったりゴミ箱を漁ったりする生活をしていたのだが、そんなある日、知り合いの中年ホームレスの通称シゲさんからこんな誘いを受けたのだ。
『ユウシちゃん、蟹工船って知ってるかい。蟹工船てのは、船の中にカニの缶詰工場を引っ付けた代物でさ、これは昭和の頃に廃止されてしまったんだけれども、実はまだ陰で生き残ってるやつがいるんだな。そいつはいつもはコンテナを積んだ貿易船の見た目をしているんだが、中身はそう、その蟹工船ってやつと同じなのさ!しかもそこでは俺たちみたいな国籍もあやふやなホームレスたちが働けるんだと!しかもきっちり働きゃサラリーマンと同じくらいの月給をもらえるって話だ。な、いい話だろう?おれはそれに乗って一つ稼いでやろうと思うんだが、ユウシちゃんも一緒にどうだい?君みたいな少女がホームレスから抜け出すには、手っ取り早く金を稼ぐしかないが、君や俺みたく戸籍のない人間を雇ってくれるとこなんて、そんなにありはしない。だから蟹工船さ、蟹工船では身元の証明なんていらねえからさ、だから俺らでも働ける。』
身元の証明できないような私たちを雇い、かなりの給料も貰えるという話。それはホームレスとして残飯みたいなものをかっ喰らってきた私にはとても魅力的で、もちろん乗るに決まいる。
シゲさんが言うには、その蟹工船とやらは毎月末に港にやってくるのだそうで、現在は十二月二十五日。職ある者達の間ではクリスマスだとかいうイベントがあるそうなのだが、住所不定無職な私らには全く縁のないことだ。
そんなことはさておき、二十五日ともなれば月末である。シゲさんの言っていた蟹工船がいつ来てもおかしくない時期だ。
私はひもじいと嘆く腹を抑えながら、シゲさんに言われていた場所に向かう。
そこはとてつもなく大きな港 (クラーケン何匹分なのだろう?)で、私と同じ目的で集まってきたであろう人たちでごった返していた。
「すごいな…」
私が思わずそう呟くと、隣から「そうだな」と頷く声が。
「シゲさん、来ていらしたんですか」
声の主はシゲさんであった。
「そりゃ来ているに決まっとるだろう、最初に此処の話を教えたのは俺なんだしよ」
なるほど、そりゃそうだ。
「それでシゲさん、蟹工船がいつ来るのかは分かっているんですか?」
「いや、知らん。だが港のこの賑わい様、船はまだ来ておらんのと違うか?」
「そのようですね」
私はシゲさんと共に港を見て回ることにした。
人が多く集まることもあって、これに便乗せんと商魂たくましい浮浪者たちが、港のいたるところに露店を開いていた。その光景はまるで一つの町のようである。私はそれに元の世界の名残を見たような気になって、すこし懐かしく思った。
(そうか、私にとってあの世界の事は既に思い出になってしまっていたのか・・・)
一通り港を見て回ったのには、ちゃんと意味がある。キャンプ地を見つけるためだ。蟹工船がいつ来ても乗り遅れないようにするために皆、港で寝泊りをするのである。
私たちは港の南端に空きスペースを見つけた。シゲさんは「まるで花見の場所取りのようだ」と言っていたが、ハナミとは何だろうか。新種の魔物?
私は以前ゴミの集積場で拾ったオンボロリュックサックから黄ばんだ毛布を取り出すと、それを地面に敷く。これで寝床は完成だ!・・・ホームレスにテントを買ったりする金は無いのだ。
隣ではシゲさんが同様に赤い染みのついた毛布を敷いていた。私の目にはあれがどうしても血痕にしか見えないのだが、気のせいだろうか。
結局蟹工船が来るまで三日待った。三日も潮風に当てられ続けた私の髪の毛は非常に磯臭くなっていた。
蟹工船は巨大だった。全長が百メートルはあり、高さも三十メートル近くあるようだった。
(巨神よりも巨大だ、これが異世界の技術か)
私はシゲさんの背中を追いながら船内に乗り込む。
船の内装は木では無く、全てが金属でできていた。なんてすごいのだろうか。
「お次の方~」
受付嬢の様な格好の女に呼ばれ前へ出る。どうやら台帳に氏名を書くらしい。
私は『ユウシ・ユーギリィ』と記して、女に渡す。
「はい、では奥の方へお進みくださーい」
私の新な人生は、まだ始まったばかりである。
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