外から小鳥たちの囀りが耳を打つ朝。朗らかな日差しと共に開いた窓から流れ込む春の香りは、着々とその勢力を強めていた。ニュースで天気予報士が語る今後の予報と合わせて鑑みるに完全に未だ寒さ残る冬を脱ぎきって春が訪れるのもそう先ではないのだろう。
時刻は午前7時30分。
子供たちは寝ぼけ眼を擦り、母親はいそいそと朝食の準備をする。サラリーマンは腕時計で時刻を確認しながら出勤の支度を始め、世界が回り始める。そんな一日の始まりは私と養父の二人が暮らすこの家にも訪れていた。
食卓に腰掛ける金髪痩躯の男が穏やかな表情で口を開く。
「今日は、ついに雄英高校の入学試験か。早いものだね、つい最近までこんなに小さな少女だった気がするんだが……。調子はどうだい?」
「言動が年寄り臭いわよ。体調の方は概ね問題ないわ。今更ただの中学生なんかに負ける気はしないし、いつも通りやるべきことをやるだけよ」
「HAHAHA!日本一狭き門である雄英高校のヒーロー科の受験を前にしてそう断言できるのは流石だね。私も私情を挟むわけにはいかないから過度な加点をするつもりはないが、それでもしっかり見守らせてもらうよ」
「お好きにどうぞ。別に自信が有るという訳ではなく、純粋に事実を言ったまでよ。私の経歴は誰よりも貴方が良く知っているでしょう?
私がそう言った直後、食卓を挟んだ対面に座る養父、オールマイトの顔が歪んだ。
これ以上無いほどに苦々しく、後悔の色を滲ませた彼は噛みしめるように言葉を吐き出す。
「そう、だね。正直に話せば、筆記は兎も角実技で君に敵う受験生はまず間違いなく存在しないだろう。それこそ、正面から戦えばプロヒーローだってそう易々と崩せる相手ではない」
凪いだ瞳でオールマイトは私に向けてそう告げる。
本来であれば私のような年端も行かぬ小娘がどんな強個性を持っていようと戦闘経験豊富なプロヒーローを相手にどれだけ足掻いた所で大した勝負にはならない。
純粋な経験値が違うのだ。躊躇なく人間相手に個性を振るう覚悟が、的確に相手の力を削ぐ観察眼が、自らの個性を操る精細さが足りない。
私が本当に普通の、ただの年相応な少女なのであれば。
だが、誠に残念なことにオールマイトが口にした言葉は正しくその通りだ。
私という存在は元来そういう風に出来ている。
そういう存在として作り上げられている。
構造上そうなっているのだから、そこいらに居るような暖かくて粘液質な平和を享受している餓鬼共に敗北するなど考えられない。あり得ない。そんなことはあってはならない。
もし仮にそんな事態に陥れば、私のプライドだの自尊心だのが板ガラス宜しく砕け散ってしまうだろう。文字通りの粉砕だ。リサイクルにも使えず後はゴミ捨て場に捨てるだけ。
そんな私の考えも恐らく読んでいるであろう
「それでも、君という娘の父親として娘である君を心配させてほしい。無茶だけは、しないでくれよ」
「……分かっているわ。自分の実力を信じることと、引き際を弁えないことは別問題だもの」
私の言葉を聞いたオールマイトはそれを聞けて安心したと強張った表情を解して少し冷めてしまった手元のコーヒーを啜る。
言いしれぬ気恥ずかしさを感じた私も自身の正面に置かれたコーヒーカップを手にとって中身をずるると啜った。
どれくらい熱いのかはあまり感じないが、感じないなりに長い時間を経て得た経験上少しぬるいくらいであろうと判断してそのまま中身を全て胃の中に流し込む。空になったカップを手にしたまま席を立ち上がり、シンクの中へと置いて蛇口を撚った。
さぁ、舞台は目前。
未だ後味悪気に辛気臭い顔をしている我が養父を安心させられるだけの華麗なダンスを披露して差し上げよう。
私が手ずから入れたコーヒーを飲みながらそんな顔をするなど許せるものではないのだから。
どれだけ拒否しようと多少強引にでもその口角を上げてもらおう。
前日から最低限の荷物を詰め込み用意しておいた肩下げ鞄を床から拾い上げ、肩に紐を掛けながらオールマイトに向かって振り返る。
「それじゃあ行ってくるわ」
「ああ、いってらっしゃい」
こちらへ向けて振られるやせ細った腕に適当にこちらも手を振り返す。
私の"今の"名前は『
これより始まるのは駄作も駄作。
三流以外には成れなかった半端者な私が演じる薄汚い舞台劇。
およそ世間一般では転生者と呼ばれる者の、哀れで無残な成れの果てが織りなす物語だ。
誰もがジャージや個性に合わせた装備を身に着け、中学生が凡そ揃えられる最も戦闘に向いているであろう服装をしている中でその少女だけは異様な程に浮いていた。
カジュアルで動きやすそうではあるものの、上下共に明らかにただの私服。まるで休日ちょっとした用事を片付けに行くかのような気軽さをその身に纏い、緊張など微塵もないと言わんばかりの自然体で彼女は一人佇んでいる。
困惑する周囲の受験生を全く意に介せず、ただ静かに試験の開始を待って佇んでいた。
かく言う俺も彼女から目を離せない人間のうちの一人だった。
その儚そうなくせして氷柱のように鋭く冷たい目つきの横顔から視線を動かすことが出来ない。不自然な程胸がドキドキと高鳴って、変な汗が背中を伝う。口を半開きにしたまま呆然と突っ立っている今の状況を他の受験生が見たら何を間抜け面を晒しているのかと思われるだろうが、似たような顔をしているのは俺だけではないであろうことはなぜか自身の中で確信できた。アホ面の他人に円を描くように囲まれている被害者であろう彼女はそんなことは意に介さず、時折思い出したように体の各所を動かして軽いストレッチを行う以外黙って不動を貫いている。
そしてこの奇妙な空気感が驚くべきことに数分間継続した頃、ふと一陣の風がこの場を吹き抜ける。
その藍にも似た髪が風に靡き、陽の光に透かされたそれらを見た俺が反射的に冬の湖を思い浮かべた瞬間、後方からバカでかい音量で試験官の声が鳴り響いた。
『ハイ、スタート!!』
ただでさえ呆けていた俺が、というか俺達がそのあまりにも唐突すぎる合図に反応できるはずもなく、我に返ったのは視界に捉えていた彼女が爆音と共に目の前から消え失せたからだった。
どうやら自分たちはスタートダッシュに遅れたらしいという事実に気がついたのはもう試験開始から十数秒経った後で、一斉にヤケなのか気合なのか良く分からない声を上げながら試験会場へと突撃して行った。
プレゼント・マイクと思しき声が後方の塔から聞こえたと同時に私が身に宿している個性のうち2つを発動させる。
一度両足を液体へと変化させ、再度形を再構築する。自身の両足が鋭く光る銀色の刃へと変化したことを感じながら両足を地面に突き立て、直後に大きく前方へ跳躍した。
景色が線と成って背後へ消え去っていく中、正面に飛び出してきた緑色の物体を視界に捉える。先程あった説明の時の資料を思い起こせば、今回の試験用の1ポイント仮想ヴィランであることが直ぐに分かった。
『ブッコ――』
のろまな機械が腕を振り上げると同時に浅く右足の刃で斬りつける。切りつけた後はただ何もせず黙って様子を見るが、数秒予想通りに煙を上げて自壊した。いや、多少予想より爆発の規模が大きいな。
試験用に見た目より内部は脆い作りなのか?
今ロボットが大破炎上したのは私がもつ個性によって生成された特有の毒の効果だ。本家である彼女ほど万能かつ強力ではないが、生物の肉体にも一定の効果を示し、電子機器にはより強く効くオリジナルの毒を個性によって生成する事が出来る私は、両足の刃と両膝の棘をその毒で満遍なく覆っていた。
その状態で切りつけられた為に内部に毒が回った訳だが、今回の試験でも問題なく、というか予想以上に効果を発揮することの確認が取れた。よってこれ以降は一々止めが刺せたか確認する必要はない。
次々と襲いかかる仮想ヴィランの攻撃をステップや体の柔軟性を活かすことで回避し、ロボットの体をそれぞれ一度ずつ撫でるようにして刃で浅く切り裂く。
試験用だろうがなんだろうがそれらが電子機器である以上それだけで簡単に敵を次々と蹂躙することが出来、十数分も経てば周囲に深緑色の山が完成していた。
「あまりに私に都合が良すぎて一瞬オールマイトが心配して手を回してないかなんて下らない心配をしていたけれど、そんなしょうもないことをする人じゃなかったわね。柄にも無く緊張していたのかしら」
大して意味の無い自問自答を虚空を見上げながら考えつつも、背後に近づく敵影に横に避けながら突き出された拳に膝の
正確な合計は全く数えていなかったが、恐らく40は軽く超えたのでは無いだろうか。
遠目に他の受験者を見てみれば、未だ20ポイントや多くとも30ポイントだのと口にしているのが聞こえる。
存外点差は開いていないものの、それでも多少の余裕はあるようだ。
とは言えここで手を抜いて後れを取ったとなればオールマイトからお小言をもらうことは間違いない。今もどこかしらのカメラか何かで試験会場を見ているであろう養父のことを考えれば、『常に全力で!それから、笑顔とユーモアを忘れずにね』と常日頃から言われているので、後半の内容は無視するにしても点差に胡座をかいて他の受験生に後れを取りました等ということに成れば間違いなく恥を掻くのは私だ。
「それに何より、私のプライドがそんなこと許さないわ」
細い路地から私の居る大通りに出てきたばかりの仮想ヴィランを足の刃で斬りつけ、次の敵を探す。
今私が居る位置とは反対側の路地から先ほどと同じように出現した仮想ヴィランへ向けて飛びかかろうとした時、大きな地面の揺れとともに巨大な影が地面を覆い尽くす。
上空を見上げてみればそこには真っ青な空を多い尽くすほどに巨大な仮想ヴィラン、恐らく始めの説明で邪魔者だと説明されていた0ポイントの仮想ヴィランであろうそれがこちらに向けて迫っていた。巨大な体を支えるこれまた巨大なキャタピラを唸らせながら周囲の建物を文字通りねじ伏せて無理やり進行するその光景は正しく悪夢そのものだ。
周囲の受験生が悲鳴を上げながら試験会場の入り口方向に向かって駆け出す。私はその場に立ち止まって周囲を見回すが、逃げ遅れた受験生はおらず、また立ち向かう受験生も存在しないようだった。
であれば。
「これまで他の受験生を助けるような行動をしてこなかった私としては、是非ともこのデカブツを私のアピールポイントとさせて貰いたいところね」
説明のあったとおりこのヴィランは0ポイント。どれだけ頑張って倒そうと撃破したところでポイントは取得出来ない。だが、どうせ雄英のことだ。基準は知らないが、生徒を助けることによっても何らかの加点があるに違いない。他ならぬあの我が養父が教師陣として採点に参加しているのだ。もしヒーローの素質を見出だせても点数が足りないなどという事になった際にはなにかごちゃごちゃというに違いない。それに、そういった受験生を落としてしまうのは学校側としても世間体が悪い。何らかの救済措置が存在していることだろう。
そんな中でそういった行動を取っていない、少なくとも偶然助ける形になった以外では積極的に誰かを救助するような行動を取っていない私としては、教師陣に何らかの印象付けが欲しいのだ。
例えば、強大な仮想ヴィランを打倒したとか。
「それを採点担当が他の受験生を守るためだとか思ってくれれば尚良いわね。まぁそれは少し望み過ぎかしら……」
こちらに着々と迫っている巨大仮想ヴィランを前に、どうしてくれようかと思考を巡らせる。
単純な話、どれだけ大きかろうが電子機器である以上基盤に私の毒が届いてしまえば終わりなのだ。表面装甲は多少厚かろうと、なんなら毒を込めた斬撃を飛ばして切れ込みでも入れてしまえば良い。
「けれど、それでは面白みに欠ける」
それではついさっきまで通常の仮想ヴィランに向けてやっていたことと変わらない。私が欲しいのは強烈な印象。要はインパクトなのだ。規模がでかくなった程度で同じことでは大した衝撃にならない。
やるならもっとこう、派手なのが良い。
「かと言って私、宝具もどきは水辺じゃないと使えないし。どうしたものかしら」
本家本元の彼女と違ってあくまでも個性でしかない私の力では彼女の宝具にほど近い技を放とうとすれば大量の液体が必要になる。しかし悲しいかな私の現在地は完全なコンクリートジャングル。周囲を見渡すまでも無く池や川どころか水たまりの一つさえないことは分かっていた。天気の良い今日など普段以上に地面から水分は蒸発している。
「となれば――そうね、中に入ってグサリ、かしら。それが派手で尚且スマートだわ。ええ、これにしましょう」
海底で揺らぐ海藻のように揺れながら前傾姿勢を取り、地面に寄り添うようにスレスレまで上体を近づけた。
0ポイント仮想ヴィランがこちらに近づくに連れ大きくなって行く地響きと土埃に眉を顰めながらも、これから自身を打ち出す先の照準を敵の左脇腹に定める。
地面を刳りながら弾丸の様に飛翔し、先程とは違い撫で斬るのではなく突き刺す。膝の棘ではなく足の刃が新緑色の装甲を貫き、私の体を0ポイント仮想ヴィランの側面に固定させた。
そして突き立てた刃は問題なく内部構造へと到達している。私はニヤリとほくそ笑みながら全身を液体へと変化させた。
0ポイント仮想ヴィランの体内に侵入し、全身へと薄く、隈無く液状と成った体を滑らせて、そして外側と内側両方に向けて刃を形成した。
内側は当然の如く碌に防御など固められていない内部構造を破壊し尽くし、外側はある種鉄の処女を思わせるような様相になっていた。
いや、内側から刃が生えてるのだからアイアン・メイデンとはまた別か?
そんな益体もないことを考えながら試験終了の合図を聞いた私は元の肉体を取り戻し息を吐いた。