その踵の名は   作:時雨。

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未来を見る眼鏡と沈みっぱなしの過去

電車とタクシーに揺られることしばらく。車窓から流れる街並みは、記憶の中の景色とどこか違って見えた。駅前の雑居ビルは新しい看板に変わり、角の花屋はコンビニになっていた。タクシーの運転手が世間話を振ってきたが、生返事でやり過ごす。

目的地でもあり、以前しばらく身柄を保護されていたことのある事務所へと到着した。

通りから眺める外観が数年前に見たときより些か小さく見えるのは、私が大きくなったからだろうか。

まるで外からはただの会社の事務所のように見えるそれは、あの日の私がしばらく寝泊まりしたヒーロー事務所。

古臭いながらも、清掃の行き届いた階段を登り、ノックもせずに部屋の中へと入る。

一見何の変哲もない室内だが、いたるところにオールマイトグッズやポスターが張り巡らされていた。

デスクの上には限定版のフィギュアが整然と並び、本棚の隙間には非売品のクリアファイルが挟まれている。窓際の応接セットも、よく見ればクッションカバーにさりげなくオールマイトのシルエットがプリントされている。

否が応でも室内の気温が数度上がった気分になる。

……暑苦しいな。家でも本物の暑苦しさに困っているというのに。

突然の訪問に驚いたサイドキックの表情を置き去りに、ずけずけと奥へ進めば、陰険そうなメガネの反射がこちらへ光る。

「どうも、お久しぶり。相変わらず埃とオールマイト臭い事務所ね」

「やぁ、どうも、と気軽に返すには些か不躾な再会だな。オールマイトは臭くない。それと、埃など舞ってはいないだろう」

「比喩よ。比喩。お硬い頭は相変わらず。ユーモアは磨かれていないみたいね」

「ただの悪口をユーモアと呼ぶようになったら世も末だとは思わないかね」

こちらが苛立たしげに髪をかきあげる動作に呼応するように、あちらもメガネを中指で押し上げる。

私たちの間にピリリと走る電流をそっと見守る視線を感じた。

眼鏡と私が同時に部屋を見回せば、皆一斉に遮蔽物へと隠れる。

何事かしばらく口論の後、大柄な金髪の青年、通形ミリオが事務所の先輩たちに突き出される形で姿を表す。

たはは、と後頭部を掻きながら気まずそうに出てきた彼は、どうやら昨日のこともあってか普段のように茶化して良いものか迷っているようだった。

柄にもない。お前の名前とイメージが一年に知られていないとでも思っているのか?

……いや、よく考えたら全く知らないやつも何人か居そうだな。

まぁまぁと宥めようという気持ちを見せる通形ミリオを無視して、私が片眉を上げて自問自答していれば、眼の前の眼鏡、サー・ナイトアイが口を開く。

「なんの用もなく立ち寄ったわけではないだろう。何かあったのか」

「あなたの単刀直入なところ、嫌いじゃないわ。ユーモアは感じないけれど」

「一々言わなければ気がすまないのか君は……。まったく、変わらないな」

今度はこちらが一つ鼻を鳴らして答える。

「そこの先輩が、あなたの事務所で私の写真を見たといったのよ。そんな恐ろしい情報を耳にしたら、削除を要請したくなるのが普通の感覚だとは思わない?」

私の言葉にちらりと通形ミリオを見た後、再びのため息とともにこちらへ視線を戻したナイトアイは少し疲れた様子で椅子へ腰掛ける。

ナイトアイは指先で眼鏡のブリッジを押し上げると、デスクの引き出しから何かを取り出そうとして、一瞬手を止めた。室内に漂う古い紙とインクの匂いに、かすかにコーヒーの香りが混じっている。

記憶の底の思い出がチリチリと燻るのを感じて、私は反射的にスカートの裾を掴んだ。

「それはおそらく、以前資料を整理していた際のことだろう。一応これでもヒーロー事務所なのでね。過去に取り扱った事例の情報はきちんとファイリングしているとも。ちょっとした託児依頼でもな」

彼の背後の書棚には、年代順に整然と並んだファイルボックスが収まっている。

「誰が託児ですか!自分の世話もできない幼児のように言われるのは心外ね!」

「事実あの時の君はそうだっただろう。まだ幼かったし、託児と言って差し支えない業務だったと記憶しているが」

再び私たちの間にピリリと電撃が走る様子をこの部屋の全員が幻視したことだろう。

合わない。

ミリオが困ったように頬を掻き、窓際の観葉植物の葉が微かに震えたような気がした。

なんとなく、この男とはなんだか昔から反りが合わないのだ。

私があの地獄からオールマイトに保護され、結果的に当時サイドキックを務めていた彼とも対面することとなった。

その時からこの印象は一瞬たりとも変わっていない。

「ところで別件だが、雄英体育祭。君も出場するつもりか?」

ナイトアイの指がデスクの端を軽く叩いた。カレンダーには体育祭の日程が赤い丸で囲まれている。

「当然ね。あの学校に生徒として所属している以上、出場はマストでしょう」

気難しげに眉を顰めたナイトアイが、腕を組んでしばし沈黙する。壁時計の秒針の音だけが、規則正しく室内に響いていた。

微妙な空気が室内に蔓延し、気まずさが漂う。

……いきなり黙るなよ。隣でお前の弟子が渾身のギャグでどうにかしようか迷ってるぞ。

私のプライドが意地でも笑わないから披露させるなよ、という視線で見つめていれば、なにか納得がいったのか彼は腕組みを解いた。

「どちらにせよ、私が言うことではないな」

「ちょっと、気になる言い方しないでよ。もったいぶらずに言いなさいよ!」

つかつかと詰め寄るも、話は終わりだと言わんばかりに彼は仕事を再開しようとする。私の足音が床板をきしませ、近づくにつれて彼のペンを持つ手がわずかに止まった。それでも顔は上げない。

あーもう、こういうところが好きじゃないのだ!

「必要であれば、オールマイトから君に告げるだろう」

「そうですか!それじゃあ、失礼するわ!これ以上ここにいたら石頭がこっちにまで感染りそうよ!」

来たとき以上の勇み足で事務所の外へ向かって歩く。ヒールが床を打つ音が普段より大きく響いた。

オールマイトのポスター達は視界の端で皆にこやかに笑っている。

ふと、カバンの中に存在する重みを思い出した。反射的に停止してしまい、全員の視線が背中に突き刺さるのを感じる。

ドアノブに伸ばしかけた手が宙で止まり、一瞬の静寂が室内を支配した。エアコンの送風音だけが、変わらず低く唸っている。

葛藤の後、買ったものに罪はないと思いカバンからそれを取り出してナイトアイへ投げ渡す。

私の全力投球に仰け反りながら受け止めたナイトアイが何かを確認する前に今度こそ私は事務所の外へと駆け出した。扉が勢いよく閉まる音が背後で響き、階段を駆け下りる足音が建物中に木霊した。

 

 

 

 

「……全く、とんだお転婆だな」

扉が閉まった後の静寂の中、ナイトアイは眼鏡を直しながらつぶやいた。まだ微かに揺れているブラインドから、階段を降りていく足音が遠ざかっていく。

「でも、サーが言い争いなんて、珍しいですね!」

「ミリオ、業務情報について一般人に漏らすとは聞き捨てならないな」

「う、うぐっ!すみません!」

慌てて頭を下げるミリオの髪が、ぴょんと跳ねた。

ところでそれなんだったんですか?と、ミリオは話を逸らすように手元に投げ渡されたものを指差す。事務所の他の職員たちも、仕事の手を止めて好奇の視線を向けていた。

ナイトアイはその言葉に手元に視線を向ける。

反射的に掴んでしまったのは顔に向けて飛んできたからだった。

狙いが正確なのも考えものだなと思いながらそれを見る。

パッケージには元気なフォントで「これ一本で1日分の野菜!」と書かれ、オールマイトと公式キャラクターが笑顔で肩を組んでいる。緑黄色野菜のイラストが賑やかに配置され、「栄養機能食品」の文字が誇らしげに輝いていた。

ナイトアイがふと笑みをこぼせば、周囲から小さな歓声が上がった。デスクから覗き込む職員たちの顔に、安堵の色が広がる。

「何見てる。早く仕事に戻るんだ」

皆を散らしながら、ストローをパッケージから外し、差し込む。

プシュッという小さな音とともに、野菜の香りがかすかに漂った。

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