緑谷出久の登場によって場が膠着した一瞬、横から突然なにかにグルグル巻きにされて私の体が宙を舞った。
「霞ちゃん!!」
誰かに抱きとめられた感触を受けて瞼を開ければ、心配そうな表情をした蛙吹さんが私の顔を覗き込んでいた。
どうやら先程のグルグル巻きは蛙吹さんの舌だったらしい。
なんとか足を地面に下ろして立ち上がるが、まだうまく力が入らない。だが、先程より死柄木弔から距離を開けたお陰か、それとも友人の側に来られたからか精神が安定した気がした。
それでもやはり手足の震えは止まらないが。
「ありがとう、蛙吹さん。助かったわ」
「気にしないで霞ちゃん。体は大丈夫?」
「なんとかね……。けれど、正直戦力には成れないかもしれないわ」
私の震える体を見た蛙吹さんの表情が歪む。
先程の風は緑谷出久の拳に依るもの。そしてその攻撃は先程相澤先生を痛めつけた脳無と呼ばれる
驚愕に目を見開いた緑谷出久だったが、直ぐにこちらへ後退する。
緑谷出久は自身の拳へと目をやった後に、少し慌てたようにこちらへ言葉を投げかけた。
「や、八木さん!大丈夫!?」
「ええ、助かったわ。貴方こそ、腕は大丈夫なの?」
「うん!何故かは分からないけど、この土壇場で力の調整に成功したんだ!だから今回はどこも怪我してない!でも……」
でも、怪我をしていないのは向こうも同じ。
私とは別の方法で物理攻撃に対して圧倒的な耐性を持っているのであろうその濃紺の肉体は、あれ程の風が吹き荒ぶ威力の拳を受けたであろうはずなのに、その痕跡を見つけることは出来ない。
先程と全く同じ様にその場に無傷で鎮座している。
玩弄な肉体に加えて明らかに隆起した全身の筋肉。人間離れした圧倒的な攻撃力と防御力を兼ね備えたそれは、まるで生きた要塞の様に思えた。
「ちっ、キーアイテムが取られたぞ。さっさと取り返せ、脳無」
「来る!」
緑谷出久が小さく叫ぶ。
脳無と呼ばれた
対する緑谷出久は拳を握り、腕を犠牲にした超パワーで迎撃するつもりの様だがそれでは先程と変わらない。
さっき成功したからと言ってまた力の調整に成功するという保証はない。緑谷出久の腕が壊れたら脳無に対抗出来る人員は居なくなり、後は奴らの好きに嬲られるだけ。
ついに脳無の腕が振り下ろされると思われた瞬間、USJの入り口から扉が破壊される大きな音が鳴り響いた。
巻き上がった土煙の中から姿を表したのは私の養父であり、彼ら
「――私が来た!!」
平和の象徴がついに、絶望を打ち砕かんとやって来た。
オールマイトが、
相澤先生に捕縛されずに残っていたチンピラは一掃され、死柄木弔を中心とした主犯格から私や緑谷出久を含めた生徒四人を一度に引き剥がした。
私に背を向けて
無様に地面に這いつくばる私に、失望させてしまっただろうか。
この場の誰よりも経験の多い私が率先して戦い、他のクラスメイトを
口は開くが言葉が出てこない。
胸のうちから湧き出る言葉は自己弁護と罪悪感から来る情けないものばかり。
「あの、私、とうさ――」
「大丈夫!!」
私の言葉を遮って笑顔で振り返る
「ここに来るまでに、飯田少年から聞いた情報の中に霞に関することもあった。普段では考えられないような取り乱し方をし、何かを恐れていたようだと。君が何を恐ろしく思い、そうなったのかは今の私には分からない。けれど、だからこそ私はこう言おう!もう大丈夫!!なぜって?私が来たからさ!!」
いつか、薄暗い無機質な部屋の隅でかけられたものと同じ言葉を告げる
あの時蹲って人間性を失いかけていた私は今、ただ呆然と地べたに這いつくばっている。
「脳無!検体5号を狙え!」
「その呼び名は、まさか!させんッ!!」
私目掛けて飛び込んでくる脳無を
二度三度と拳をぶつけ合わせ、お互いの手のひらをつかみ合うことで動きが静止した。
巨大な膂力と膂力のぶつかり合いに、動きが無くなって尚お互いの地面を踏みつける力で地面がひび割れる。
しかし、ひび割れた地面を覆い隠して現れた靄に
その正体は先程出入り口となっていたワープの個性の
体をワープの内側に通した状態で強引に閉じることで
そんなことをさせるわけにはいかない。
私の、この私の目の前で
そんなこと、そんなことは――!!
「ふざけ、ないで……!そんなことさせるわけ――」
「おい、『動くな』!!」
「ぐっ、ぃ、こんなもの――!!」
不自然に四肢から力が失われる。
怒りで押し込められていた恐怖が再びぶり返す。
今にもゲートは閉じられて、
またなのか。
また失うことしか出来ないのか。今度は目の前に脅威が居ることが分かっているのに、また理不尽に奪われるだけなのか。
業火と拉げた自家用車の車体。
イカれた嗅覚でも直ぐに感知できる程の鮮血の香り。
また繰り返すのか。
また、また、また、また――――!!!
走馬灯の様にスローモーションになった世界で、私の頭の中は真っ白く塗りつぶされた。
「貴女、何をしているの?」
そう、彼女が言う。
私に背を向けて、この真っ白な世界で、私に向けてそう言う。
あの電子の海にあって誰より鮮烈で、気高く、他の誰の為でも無く自分の為に飛んだ彼女。
その恋は毒のように刺激的で、でもそれ以上に甘くとろけるようにまろやかだった。
女神の英霊を複合したハイ・サーヴァント。
快楽のアルターエゴ、メルトリリス。
彼女が少しだけ身じろいだことで長い髪が揺れる。
「何時までそうして居るつもり?このままじゃ、嘗てのあの時の様に唐突に、理不尽に奪われて終わりよ?」
けど、けどもう、体が動かなくて――――
「一丁前に言い訳だけはするわけね。でも、それじゃあ何も変えられない。何も救えない。何も掴み取れない。そんな事は貴女が一番分かっているはずでしょう?」
背を向けたままの彼女の言葉に私は何も言えず口を閉じる。
そう、このままじゃ、奪われるだけ。
真っ白な地面に這いつくばった私の首には黒く、悍ましい霧のような首輪が何重にもくくりつけられており、そこから伸びる黒い鎖がこの白い空間の地面へと固定されている。
そのせいで私はこれ以上立ち上がれない。
これが私の首輪。私の呪い。私の過去。
絶望と恐怖と怒りと殺意と、それを煮込む個性という名のるつぼで作り上げられた私の過去。
「はぁ、でもまあ、ここで諦めることも出来るわ。全部諦めて、全部投げ出して、もう痛いのも怖いのも嫌だと赤子の様に駄々をこねて。そうしてまた大事な人を失う。それが許容できるなら、ただ黙って見ていればいい。でも、それが嫌だからそうやって地面に爪を突き立てているのでしょう?」
そう言われて自身の両手を見る。
いつの間にかそれらはこの白い空間の地面を抉るように突きたれられ、地面に食い込んでいた。
爪の間から大量の血が流れ、肉が裂け、骨が軋んでなおその力は緩まない。
「もうやるべきことは分かっているはずよ。あと必要なのはその為の力強い助走だけ。仕方がないから、それは私が手伝ってあげるわ」
そう時間もないしね、と言いながらようやく此方に振り向いた彼女は呆れたような表情でいながらも、手の掛かる妹を見るような優しげな微笑を浮かべていた。
両足の刃から金属音を響かせながらゆっくりとこちらへ近づいてきた彼女は、持ち上げた右足を一思いに地面から伸びる黒い鎖へと振り下ろす。
甲高い音を立てて彼女の右足の刃と衝突した黒い鎖は、あっけなく両断された。
地面から伸びる鎖から開放されたことで立ち上がれるようになった私は正面から彼女と向き合う。
お礼を言おうすれば、照れた表情で彼女は先んじて口を開いた。
「私は本物のメルトリリスではない。あくまで貴女が生み出した心の中のメルトリリス。快楽のアルターエゴでも、あの電子の海を生きたハイサーヴァントでもないの。だから貴女を手助けするのは当然のことなのよ」
視線を床にそらしながら少し顔を赤く染めた彼女は口早にそう言うと、早く帰れと私の背を押す。
首輪から伸びる残った鎖が音を立てるが、既に私を拘束する様な力は無い。
「もう手放したくないのなら、目を背けては駄目よ。だから忘れないで。空を飛ぶための翼は、他のどこでもなく貴女の背中についているのだから」
先程と同じ様に世界が白む。
光に目が眩んで、そして意識が急速に浮上して行った。
再び意識が現実に戻れども、状況が最悪なのは変わらない。
けれど、先程とは違い全身の震えや恐怖、脱力感は間違いなく軽減されていた。
守られて守られて守られて。
私は一体どこへと向かうのか。
養父さんが殺されそうな時も、そうしてただ黙って最愛の父が死体に成るのを見ているだけなのか。
背に庇われて抱きしめられて笑顔で励まされて。
いつか友人が殺されそうになった時も、そうして呆然と大切な友人が拉げるのを見ているだけなのか。
違うだろ。
違うはずだ。そんなのは違う。
そんなのは
自分がどうするべきかなんてもう分かってる。立ち上がれ。膝が笑おうと、指先が彷徨おうと。
みっともなく涙を零しながらでも、歯の根が合わなくて情けない音がなっていようとも。
私のこの背にこそ翼が有るのだとそう叫べ。
一度無様を晒してお茶子さんに抱きしめてもらった。
二度惨めを晒して緑谷出久に救われた。
三度目などあってたまるか。
もう、もう救われているだけなのは嫌なのだ――!!
囚われの
『霞ちゃんは私が絶対、ぜぇ~ったい私が守ったるから、大丈夫!!』
私を優しく抱きしめて
『きっとオールマイトならこう言うはずだから。もう大丈夫!僕が来た!!』
私を背に庇ってそう高らかに言い放った緑谷出久。
『もう大丈夫、私が来た――!!』
仄暗いあの地獄から、絶望の底から私を引き上げてくれた英雄、オールマイト。私の
それら全てが私の心臓を熱く燃やす。トクリ、トクリと音を鳴らしながら私にまだここが終着ではないと教えてくれる。
手足の震えは依然として止まらない。
心から深く根付いた恐怖はまるで首輪の様に私を捕らえて消えることはない。
けれど、けれどそれでも――――。
「それは、私が立ち上がらない理由にはならない……!!!」
浅い呼吸を繰り返しながら、零れ落ちる涙を視界を遮る邪魔なものと断じて目元を乱暴に拭う。
私はなり損ないの
なら、きっともっと高く飛べるはず。
他の誰よりも気高く、美しく。
それこそが、
震える両足に力を込めて、地面を穿つように蹴り出す。
空気を切り裂き、上手く個性が制御できずに中途半端に刃の形を取った左足で
宙に浮いた
再び地面を転げて這いつくばることになったが、先程とは違う、成果を伴った意味のある無様さに自然と口角が上がった。
私を心配して声を掛ける
そして先程の緑谷出久の様に息を大きく吸い込んで大きな声で叫んだ。
「私はッ!!」
声の裏返った大声量にこの場の全員の視線が集まる。
この場の
両足は刃に、両膝は槍に。
高くなった視界に自慢の長い髪をかき上げながら告げる。
「私は、オールマイトの
未だ白鳥にすら成れないみにくいあひるの子は今も凍える湖の上で溺れ続けている。
けれどたった今確かに、翼を広げる方法をその背に宿したのだ。