「霞、君は――」
「またせてごめんなさい、養父さん。もう大丈夫よ。これ以上無様な姿は見せないわ。貴方と、これまでの私の人生にかけて」
手足の震えはましになったが、精神的な疲労の蓄積が如実に現れている。
体は依然重いし頭がくらくらして視界が歪んで見える。
今出して正常に制御できる速度は全速の6割程度だろうか。
ただそれでも、私の首から伸びていた鎖は既に砕けた。その事実が他のどんなことよりも体を軽くしてくれる。
「おい、お前何で動けてる!『動くな』!『止まれ』!!『黙れ』!!」
苦々しく顔を歪めながらこちらを睨む死柄木弔だが、その言葉に私の体は反応しない。
正直なところを言えば反射的に顔が引き攣るし心臓が激しい動悸に見舞われるが、そんな奴に都合の良い姿を見せてたまるものかと歯を食いしばってそのままの姿勢を保つ。
「貴方のおもちゃはもう壊れちゃったみたいね。あらあら、それじゃあどうしましょうか。さっきは随分私で遊んでくれた訳ですし、今度は私が貴方で遊んでも構わないわよね」
「くそくそくそくそがぁ!!!」
がりがりと首元を掻きむしる死柄木弔とその隣で揺らめく黒霧と呼ばれていた
こちらは口では強がっていても私も養父さんも満身創痍だ。出来ることなら短期決戦で一気に決めたい。前に歩み出る足音を耳が捉え、流し見でそちらを見る。
脇腹から血が滲んでいる養父さんが上からその大きい手で抑えるようにして私の隣に並んだ。
「霞、君はクラスのみんなに合流して相澤君と13号君を頼む」
「嫌よ」
「……即答か」
「当然ね。養父さんだって分かっていたでしょう?」
「まあね」
苦笑いを浮かべながら私の頭をひと撫でした養父さんは深く深呼吸をする。
2、3度拳の握り具合を見た養父さんがニッカリと笑い、私の方を向いた。
「それじゃあ、せっかくだし頼りにさせて貰おうか」
「私が言うのも何だけど、戻れって言わないの?」
「私が戻れと言えば戻るのかい?」
「ありえないわね」
「だろうと思ったさ」
いつも通りの日常的な会話に、今のこの犯罪者が学校に襲撃を仕掛けて来ているという非日常的な状況を忘れて二人して笑いが溢れだす。
敵の目的は養父さんの殺害。
それに私という出来損ないの兵器の回収もついでのお使いも有るらしい。
だが、残念ながらそれらは諦めて貰わなくてはならない。
「水難エリアに私が到達出来れば全て片が付くわ。サポート、宜しく頼むわね。ナンバーワンヒーロー」
「HAHA!後は任せたじゃなく、サポートを頼むなんて言われたの何十年ぶりだろうね!よし、任された!!」
養父さんの了承の声を聞きながら勢いよく直線的に飛び出す。
水難エリアに向けて弾丸の様に飛び出した私の狙いが分かっているのか、死柄木弔は脳無を私の直線状へ向かわせる。
物理に対して圧倒的な耐性を持つその肉体は、所詮肉の体である以上私の得意分野だ。それを分かっていない死柄木弔ではないだろう。
となれは――――。
私を受け止める態勢で飛び出して来た脳無を膝の槍で貫く素振りを見せた直後に黒霧の靄が脳無の正面を覆う様に出現する。
「やっぱり二段構えね」
脳無を攻撃しようと私が回避行動を取れなくなった瞬間ワープによって私を強制的にこの場から排除する気か。その靄の先に接続された場所がこのUSJ内なのか、それとも太平洋なのかは分からないが、今この場から遠ざけられるのは都合が悪い。
残った
「でもそもそもで、そんな遅い動作で私を捉えようというのがまずもって間違いなのよ」
靄の直前で軌道を変更し、地面に深い溝を彫りながらアイススケートの様に脳無と黒霧に背を向けた状態で大きく半円を描く。
突破されたことを察知した黒霧が再度こちらに迫ろうと蠢くが、それを見逃す私の養父さんではない。
「『
背後で吹き荒れる爆風を更に加速の要因として前へと突き進む。
そして目前に迫った巨大な水源へと身を投げた。
それなりに出ていた速度のせいで派手な水しぶきが上がる。上へ打ち上がった白い飛沫とは対照的に静かに私は水底へと落ちていく。
じわり、じわりと私の支配権がこの水難エリアの水分全てへと浸透して行き、私自身が水中へと溶け込んでいく。
そして私自身がこの巨大な水源そのものになった瞬間、爆発的な衝撃と共に陸地へと飛び出した。
「ん、ぅ……?」
赤く、眩い光によって目を覚ます。
顔に掛かった布を寝起きの覚束ない手付きで掴み取ってみれば、それはどうやら掛け布団のようだった。
そして後頭部に触れる感触は枕。そして私が体を預けているのは真っ白なベッドだ。
未だぼうっとする頭を軽く振って思考を落ち着ければ、自分自身が今現在どこに居るのかが分かった。
「保健室、ね」
周囲は他のベッドから区切るために天井から伸びた長いカーテンに依って遮られており、先細私の意識を覚醒させた光はその間から漏れる夕日だった様だ。
ベッドの上で上体を起こし、今まで横たわっていた自身の体を一通り眺める。
確認してみても、酷く気だるい以外に特に大きな異常は見られなかった。
今現在間近に迫った脅威が皆無なことに安心したのもつかの間、意識を失う前の事をはっと思い出す。
「私、あの後どうして――――いや、
「
私の声に答えを返しながらカーテンを開けたのは他でもない私の養父、オールマイトだった。
夕日を背に私の隣に配置されたベッドに私と同じ様に上体を起こした状態で此方を見る養父さん。
その姿はいつも家で見るようなガリガリでボロ雑巾の様な頼りない姿だったが、今は何よりもその笑顔が見れたことが嬉しかった。
「それで、他の生徒達は?」
「生徒で大きな負傷があったのは君と緑谷少年だけだ。他はあってもかすり傷程度だったらしい」
「そう、それは良かったわ。本当に」
「全くだ。これだけ大規模な
悔しげでありながら嬉しそうに拳を握る養父さん。
表面上笑みを浮かべては居るが、その表情には間違いなく後悔の色が浮かんでいた。
「後悔してるの?雄英に来たこと」
「……正直に言えば、そう思っていないとは言えない。私を殺すことを目的にやってきた連中だ。私さえ居なければと考えない訳にはいかない。生徒を過剰な危険に晒した。後輩を多勢に無勢の状態で恐怖と立ち向かわせた。それだけで私は耐え難い。自分自身を過信している訳でも、感傷的になっている訳でもない。これ以上冷静な思考を保ったままで、それでもやはり私はこの場所に居ても良いのだろうかと考えてしまうよ」
私から窓の向こう、遥か彼方の夕日へと視線を移し、黄昏れた表情で噛みしめる様に言う養父さん。
あの日生徒に自身の授業を聞かせる事を楽しみにしていた面影は無く、ただ教師としてよりいちヒーローとして今回の襲撃事件を深く受け止めるようだった。
けれど、私は養父さんにこの学校を去って欲しくない。
「確かに、養父さんの授業は分かりにくいし、カンペ読みまくってるし、生徒に見せ場取られてぷるぷるしてるし、あまり教師としてかっこいいとは言えないわね」
「そこもうちょっと慰めてくれるとこじゃないのかい……!?」
目を丸くして手をぶんぶん振り回しながら抗議する養父さんの様子につい思わず笑いが溢れる。
ひとしきり笑った後に、そのまましっかりと養父さんの青い瞳を見つめると、何事かと怪訝な顔をされた。
「でも、でもね。私、養父さんの授業好きよ。大変そうだし中々上手くいっていないのは見て分かるけど、それ以上に楽しんでやっているのが伝わってくるもの。だから、私はこれからも養父さんに教壇に立って貰いたいわ」
「霞……」
「何よりあまりこれ以上そのボロ雑巾みたいな体に無理をして欲しく無いもの」
「うぐっ、そこを言われると弱るな……」
「きっと私が意識を失った後も無茶をしたんでしょう?明らかに最後に見た時より怪我が増えてるもの」
「……霞はどこまで覚えているんだい?さっきの、というには少し時間が経過してしまったけれど」
「最後の記憶は水難エリアの水源に飛び込んだ所ね。そこから先は全く覚えていないわ」
「本当かい?ということはあれは完全に無意識ということか……いやはや脱帽だな」
「え、私、何かしたのかしら」
養父さんの言葉に大きな不安を胸に懐きながら恐る恐る問うて見れば、どうやら悪いことではないらしく即座に否定される。
その時の出来事を思い返して天井を見上げる養父さんの横顔を見ながら私は背を預けていた壁から体を離して養父さん側のベッドサイドに足を下ろす。
「あれは、巨大な水の龍の様だったよ。霞が水難エリアに飛び込んで数秒後、凄まじい勢いで水が持ち上がったかと思ったら直ぐ明確な形を形成しだしてね。ファンタジーのドラゴンというより、東洋の龍に近い形状だった。それが主犯格の
「そう……」
恐らく私が象ったのは
口から炎を、鼻から煙を吹き、あらゆる武器を跳ね返す強靭な鱗を持つ神獣。最高の生物として描かれるベヒモスと対に描かれる最強の生物。
他の女神よりも巨大な力としての要素が大きく、尚且私がイメージし易いものだ。
「私のクラスメイトには怪我はなかったのよね」
「ああ、さっきも言った通りベッドに寝かされているのは私と君だけ。腕を怪我した緑谷少年も今日はギプスだけして帰宅指示が出ている」
「あら?彼結局腕を折ったのね。私を助けてくれた時は傷を負わずに個性を使えていたのに」
「何?それは本当かい?」
「ええ、本人も制御に成功したと言っていたわ」
それを聞いた養父さんは顎に手を当てて数秒考え、ニヤリと笑う。
「
「私も?」
「今までならそう何度もクラスメイトに怪我がないか心配なんてしなかっただろう?余程仲の良い友人が出来たのだと私も安心したよ」
「なっ、それは今までそこまで気の合う相手が居なかっただけで、まるで私に友達が居た事が無いみたいな言い方はどうなのかしら!!」
「HAHAHA!ごめんごめん、でも、その誰かを守りたいという気持ちは君を必ずより強くしてくれる」
そう言って骨ばった手で私の頭を撫でる養父さん。
その笑顔を見て、今日大きな壁を乗り越える事が出来て良かったと心の底からそう思った。
きっとこれから先も今日と同じ様な事が起きる。
それは奴らが養父さんを殺すことを目的としている以上避けようのない事実だ。
だからこそ、力を磨かなくてはならない。
私は今まで積極的に己の個性を鍛えては来なかった。
それはきっとあの男に植え付けられた個性であることや、多大な苦痛を伴って叩き上げられた物をそれでも足りないと言ってしまうのはあの苦しみの日々にケチが付いてしまう様な、否定してしまう様な恐怖感があったからに他ならない。
でも、それは今日で終わりだ。
私は自ら翼を求めた。
痛みから逃れる為ではなく、より高く飛ぶために。
もう迷うのは止めなのだ。
そう心に決めて、ろくに触覚の存在しない両手を握りしめた。