現代にTS転生したけど馴染めないから旅に出た   作:朧月夜(二次)/漆間鰯太郎(一次)

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2026年4月20日推敲とリライト済


新:困惑のち空虚、或いは汚濁

 

 

 ――いつの間にか眠っていた。

 

 目が覚めても元に戻りはしなかった。

 夢じゃない、それがまったく嬉しくない。

 

 薄暗いリビング。夜になっていた。

 それよりも他人になってはいても腹は減るようだ。

 健康なことは大歓迎だが。

 大量の睡眠薬を飲んでおいて健康って言うのもどうかと思うが――

 

 その後、照明をつけてうろうろする。

 それで少しわかったことがある。

 今のオレ、高科さくら。

 彼女は――と自分のことを二人称で呼ぶのも気持ち悪いが、彼女は神経質な性格らしい。

 

 なぜそう思ったか。

 それはマンションにビルトインというか設置型の家具以外の小物は、全てどこかしらに収納してあるからだ。

 これは偏見かもしれないが、若い女がスマホをいちいちクローゼットの奥の引き出しに入れるか?

 SNSの通知とか、気にならないのだろうか。

 

 それに尿意を感じてお手洗いに行ったが、洗面所も浴室も何もなかった。

 いや正確には洗面台の横にある収納に全部収まっていたんだ。

 バス用品もそうだし、コスメ関連も全部。

 それだって乳液や化粧水、最低限の基礎化粧品程度のモノ。

 若い女性が自分を盛るためのアイテムは無いんだよ。

 

 そう言えばPCとかもクローゼットの中の引き出しに入っていたしな。

 だから自分の情報を探すためには収納を探せばすべて見つかった。

 でも普通、何かしら物は並べるだろう。

 特に今の自分は女だ。だったら何かしら女を主張するインテリアの一つでもあってもいいだろうよ。

 

 でもこの部屋は頑なに最低限の調度品以外は不要という哲学があるようだ。

 なのにだ、彼女は料理に凝っていたらしい形跡はある。

 それはキッチンだ。リビングの横に大きな台を挟んだアイランド型。

 やはり物が少ないが、収納の中にはプロ顔負けの道具が揃っていた。

 調味料関係も豊富で、塩だけでも10種類はあった。

 

 ファッションじゃないのは、きちんとそれぞれ減っているから。

 フライパンにしても焦げ付かない加工をされたやつもあったが、使い馴染んだ鉄製のものもあるし、見栄えのするアルミ製もある。

 オレの前世でも、ストレス解消目的で料理を趣味としていたが、鉄のフライパンは手入れも面倒なんだ。

 きちんと焼いて油を滲ませないと焦げ付くし。

 使い終わっても水気をきちんと取らないと酸化して面倒だしな。

 

 ここまでを整理すると、彼女は神経質なまでの几帳面さを持つ、料理が趣味の娘。

 そしてさらに追加。

 彼女はピアニスト志望だったが、高校時代に事故に遭い、左手を負傷。

 これでピアニスト生命を絶たれたらしい。

 

 現在はこのマンション。

 港区の高輪台にあるこのマンションに独り住まい。

 仕事は無職。ただ口座を確認すると、贅沢をしなければ5年は生きていける程度の預金がある。

 

 財閥系銀行が発行したクレジットカードがあり、その明細を見ると、スマホの料金の他には生活費に含まれる程度の出費が毎月5万円ほど使われている。

 そこにこれと言った娯楽費はなさげ。

 

 これらの情報は、一度は切り裂かれてテープで留められた、使い古した「ラフマニノフの幻想的小品集」のスコア、そして母親と妹からの手紙で分かった。

 クローゼットの中の引き出し。

 その一番下の段に入っていた大きなブリキの箱の中にそれらはあった。

 

 ロシア風の青や赤の模様の入ったその箱は、この部屋で唯一の女性っぽさだ。

 側面に可愛らしいマトリョーシカが描かれている。

 中にスコアや手紙。

 彼女の思い出を封じ込めた特別な場所なのだろう。

 

 母親がゆりで姉がひまわり。

 母親からの手紙には、貴方が生きてさえいてくれるだけでいいという労わりの言葉。

 姉からの手紙には同じく「さくらちゃん、私達を嫌いでも、必ず生きていることだけは知らせてほしいからメールを定期的に欲しい」との懇願。

 

 彼女たちが住んでいるだろう実家の住所は愛知県は名古屋市内。

 それらを眺めていると、ズキリと嫌な頭痛と吐き気に襲われた。

 思わずその場に蹲り、我慢はしたが、カーペットに唾液が垂れる。

 だからと言って記憶が蘇ったりはしないが、恐らく何らかのトラウマめいた物があるのだろうな。

 

「なんだろうコレ」

 

 PCを調べていておかしなリンクがデスクトップに貼られていた。

 彼女はやはりここでも神経質な性格のようで、OSに依存した基本アプリケーション以外は全てフォルダに整理されている。

 それが全て画面の左に寄せられているのだが、唯一このアイコンだけは右端にぽつんとあり目立つ。

 

 アイコンの名前は【ニルヴァーナ】とある。

 英単語の意味としては涅槃を意味したはず。インド仏教の教えで煩悩を捨て去った先にある悟りの境地。

 ……ニルヴァーナか。カート・コバーンのあれか。この清楚な美少女のブログに、何でまたこんなグランジなんていう古臭くニッチな名前を付けたんだ? 開いてみるとさくらのブログサイトだった。

 そこには月に4回程度のペースで日記が更新されており、最初が中学一年生の時から始まっている。

 全ての記事を確認したが、オレという高科さくらのパーソナルはこれでほぼ理解できた。

 

 高科の家は江戸時代から続く名家らしく、いわゆる由緒正しき家で、そこの長女である母ゆりは父と恋愛結婚をした。

 父は国内外で活躍するジャズピアニストで、一年中ツアーのためにどこかしらに出かけている。

 ただマメだったらしく、クリスマスと結婚記念日だけは必ず帰国していたらしい。

 

 さくらはそんな父親に憧れ、幼少時からピアノを習う。

 そこで才能を見出され、著名な教師に師事して、高校を出ると都内にある音大に行くはずだった。

 だが高校二年の春、通学中にバスの事故に巻き込まれて左腕を損傷。全治二か月の重傷だ。

 その際に神経をやられ、手術とリハビリで動くようにはなったものの、以前のようなプレイはできなくなり奏者としての道は閉ざされた。

 

 彼女の日記は途中から別人が書いたかのように印象が変わる。

 最初はいかにも年頃の女の子という風に、何事にも嬉々とした印象。

 通学中に見かけた花の写真を載せていたり、とても楽しそうなのだ。

 だが事故以降、自分の心を淡々と綴るだけの機械的な物に変化。

 他人事のように俯瞰したような文調で。冷徹な客観性で。

 

 東京に住んでいるのは、音楽に強い高校に通うためで、そのためにこのマンションに住んでいる。

 ここは分譲マンションで、元々は高科の家の持ち物だったらしいが、母が家督といくつかの財産権を放棄することで手に入れたらしい。

 それもさくらのためという訳じゃなく、父との結婚がそもそも高科の家からは反対されていたようで、母は父との愛を選択し、結果本来手に入るべき物を放棄することで自由を手に入れたという流れ。

 

 要は高科家は代々女ばかりが生まれてしまう家系で、その都度婿養子を迎えていたようだ。

 なので基本的には長女が婿を取って家を継ぐ。

 家業として東海地方一帯で百貨店とスーパーをチェーン展開する資産家で、現在は母の妹が当主を継いだそうな。

 

 で、問題のさくらは高校を卒業した後、特に何かをするでもなく日々を生きていただけ。

 この静かな城を手にする代わりに死なないという条件を母親と交わし。

 この年で持つにしては大きすぎる預金は、事故の保険金だという。

 親から与えられた訳ではないようで何故か安心した。

 

 WEB上の日記にあったのは、とにかく彼女は世間が嫌になったということ。

 目に映る全ての色を失い、ただ人形のように生きていた。

 かと言って死ぬ勇気もなく、日々虚無を垂れ流すだけだった。

 それも今日で終わった――筈だった。

 

 キッチンの脇にあったゴミ箱。

 そこにとあるゴミが捨てられていた。

 見覚えのある錠剤の入っていた銀色のゴミ。

 

 中身はハルシオンだ。

 所謂、睡眠薬。

 どうやら彼女、心療内科にせっせと通い、眠れないからと処方されたこれを貯め続け、一気に飲んだらしい。

 

 その数44。

 

 ――ああ、もう考えるのはやめよう。計算するまでもなく、彼女の覚悟は十分すぎるほど伝わってきた。彼女は漸く決断したらしい。

 だから彼女は下着もつけずに貫頭衣めいたワンピース姿だったのだ。

 几帳面で神経質。これも間違いかも。

 立つ鳥跡を濁さずじゃないが、きっちり整理して死のうとしたのか。

 真相は誰にも分からない。だって遺書めいた物はないし、それを匂わすメールもなかった。

 

 唯一、ブログの最後の更新にあった、「ワタシのセカイはクライ」という一文が、この世への決別だったのかも。

 クライは暗いでもあり、CRYなのかもしれないな。

 

 そもそもスマホにあった母や姉への定期的なメールは、「今日は晴れ 今日は雨」みたいなその日の天気を短文で知らせるだけの物しかないもの。

 それに対し彼女たちは自分たちの近況を克明に記載し、メールの容量の限界に挑戦するみたいな長いメールを返している。

 これがさくらと家族のコミュニケーションの在り方だった。

 

 なるほど、さくらよ。

 君のことは理解できるし同情もしなくもない。

 やったなさくら。

 君の願いは成就したぞ。

 だって君は死ねたのだから。

 

 その代償にオレという人生が上書きされてしまったけどね。

 ねえさくら。勘弁してくれよ。

 オレは女の生き方なんか知らないぞ。

 これは偶然なのかもしれない。

 でもオレ、君になっているんだ。

 

「……寝るか」

 

 またもやオレは思考を放棄し、睡眠へと逃げた。

 腹は減っていたが、冷蔵庫に唯一残っていたシードルを一気飲みして我慢した。

 微発砲のリンゴのワイン。悲しい事に酔いもできない。

 

 クッションに身を預けて照明を落とした天井を眺める。

 変な気分だ。

 そしてオレはワンピースをたくし上げ、戯れに女のそこを指でなぞりあげてみる。

 

 ぞくぞくして嬌声が漏れる。それを他人事のように思いつつ。

 嗚呼なるほど、オレはもう女なのだ。

 ドロドロの粘液でコーティングされた指を眺めてそう思った。

 結局3回ほど達したけれど、残った罪悪感はとても酷かった。

 自分でも何をしているんだか分からない。指先から伝わる熱を拭いながら、天井を仰ぐ。

 

 そして出て来た言葉は――あほくさ、だった。

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