ゼロカラメシイルイセカイセイカツ   作:水夫

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死に損ないと、狂人

「──サテラ!」

 

 傲慢なことに、死への恐怖はこれといって感じられなかった。

 血も力も熱も、何もかもが抜けてしまって空っぽの体だ。

 声が出せたのは、奇跡という他ならない。

 

 ──俺が必ず、お前を救ってみせる。

 

 そんな感慨だけが、胸の奥底を廻る。

 

 今にも死にそうなくせに、出来ることなど何も無いくせに。

 湧き上がる使命感に、衝動に、愛に。

 

 ──俺が、必ず。

 

 異世界で調子に乗らなければよかった。

 チンピラに歯向かわなければよかった。

 盗品倉に一人で入らなければよかった。

 大人しく死に終わっていればよかった。

 

 俺らしくしなければ。

 ナツキ・スバルらしくしていなければ、よかったのだ。

 もうナツキ・スバルは信じられない。

 

 ぎぎ。

 

 繋いだ手を焦がすように、余熱が月の光にたゆたう。

 そしてふと、伝ってきた気配。軋む音。

 床に触れた全身がその振動を掴む。何かが動いているようだった。

 

 一瞬目を眩ませたのは銀色の煌き。

 彼女だ。彼女が動いている。

 この手の温もりも、力強さも、愛おしさも。

 

 生きている。

 

「サテ──」

 

 サテラがこちらを向く。

 その首は、糸に引っ張られたかのように捩れていた。

 

「あ、ああぁあ、ぁぁああああああぁあぁあぁあぁぁぁああ────っ!?」

 

 血が沸き上がる。

 体が飛び上がる。

 脳が起き上がる。

 全てが反転し、ことごとくが覆され、あらゆるものが裏返しになった。

 

 俺のせい。

 俺が名前なんか呼んだから、本当は避けれたかもしれない攻撃を受けてしまった。

 俺がすぐ死ねなかったばかりに、自分勝手で無意味な抵抗に彼女を巻き込んでしまった。

 

 俺が、俺が、俺が、俺が、俺が、俺が、俺が、俺が、俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺が俺がおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれがおれが──、

 

 

 †

 

 

「──おや、起きたのデスか?」

 

 開けた視界。意識の目覚め。

 夢を見ていた。とびきり底意地の悪い、悪夢を見た。

 

「……………………く、って」

「ハイ?」

「おれが……救って、みせるから」

「何を──誰を、デス?」

 

 だが手に残る余熱、これだけは夢じゃない。強く握り締めて誓う。

 他の何が運命の悪戯だとしても、この気持ちは、この愛だけは決して冷めない始まりの余熱だから。

 

 ──俺が、必ず、救ってみせる。

 

「──サテラ」

 

 その名前は、自然と口に馴染んでいた。

 

「なんという」

 

 気を落ち着けると、周りの状況が目に入ってきた。

 少しずつ情報を取り入れることで意識が晴れて夢心地から浮上する。

 

「なんという、純粋でひたむきな愛なのデスか……」

 

 眩しさで痛くならない、という意味では目に優しい環境だった。なぜなら、寝ていた時と今の視界の暗さに大差が無い。

 徐々に慣れて境目が露になると、粗い岩肌が四方を囲んでいた。部屋と呼ぶのもやや憚られる部屋模様、もとい洞窟模様には見渡せるほどの光源もなく、人の生活する空間でないことが窺える。

 

「響きました。響いたのデス。この胸に、心に、脳に! 愛が響いて震えるのデス! 脳が、震えるぅぅぅぅぅぅ!」

 

 スバルが寝ていたのは薄い布一枚敷かれた地面だ。おかげで背中が痛い。

 ふと思い出して服を捲れば、腹部にはうっすらと傷跡が残っているものの怪我自体は完治していた。異世界の基本的な医療技術がお約束通りに中世水準だと仮定した場合、この後処理を見るに魔法に類するもので治療された可能性が高い。

 

「その身に漂う濃密な魔女の寵愛……指先たちが偶然見つけて王都から拾ってきましたが、本当に驚きなのデス。これはこれは、よもや……いや、やはりデスね」

 

 急な再生能力に目覚めた訳でもなければ、と一縷の可能性を見出そうとしたところでようやく声に気付いて顔を向ける。未だに暗いせいでよく見えないが、ファンタジーらしい緑系の髪に黒装束を纏った男と目が合った。そういえば起きた時にもこの顔が至近距離にあった気がする。

 ただ、なぜだろう、今の今まで見えていなかった。

 

「あー、悪い。聞いてなかった。何か言ったか?」

「嗚呼、命の恩人を前にしてただひたすらに愛を呟くその『傲慢』さ。やはりアナタ、永き時の空席を埋める新たな敬虔なる信徒ではないでしょうか?」

「いや、本当に聞こえてなかっただけなんだ。結構ショッキングな夢を見たもんで……命の恩人を自称する人って現実で見たことなかったけど、じゃあ、この怪我治してくれたのは?」

「ええ、ええ。そうデスとも。ようこそいらしたのデス、寵愛の信徒よ。我らこそ──」

 

 ──魔女教。

 それが、盗品倉で倒れていたスバルを見つけ、こうして治療してくれた集団だと彼は──ペテルギウス・ロマネコンティは言い放った。名前からして恐らくは魔女を信仰する異世界独特の宗教団体。魔女というのが蔑称でなければ、魔法を発明したファンタジーの始祖とか、あるいは呪いを振り撒いた元凶だったりするのだろうか。

 万が一を思って確認したが、やはりスバルを地球から召還した美少女については心当たりが無いらしい。そもそも転移系の魔法自体があるかどうかも不確かなのだとか。歴史的な魔女が異世界から干渉したのでは、と抱いた希望は期待空しく即座に砕け散った。

 

 最終的に、あの状況で命を拾っただけでも本当に僥倖な方だと、スバルは割り切った。助けてくれた魔女教には恩を返しつつ、余裕があればさっきの悪夢が現実だったのかどうかの確認もしていきたい。

 

 ──首の捩れた、サテラの最期。

 正直な所、あれがただトラウマとしての演出だったのか、実際に目撃した記憶の再生だったのかは判別がつかない。重篤な状態で寝込んでいたこともあって頭が曖昧だ。スバルと一緒に致命傷を負ったことは確かだが、こうしてスバルが魔女教に拾われたように、彼女もまた魔法の力で九死に一生を得た可能性があるのではないだろうか。

 

「……ん? ちょっと待てよ。魔女教が俺を拾ったなら、サテラも隣にいたはずだ。……えっと、ペテルギウス、さん? 俺の隣に女の子は──他に、誰か見かけなかったか!?」

「女の子、とは?」

「天使みたいに可愛くて、鼠色の猫を連れてて、とにかく笑顔が可憐で……あと、銀髪で」

「────」

 

 反応は薄い。ここにいない時点で察しはついていた。

 ただ、銀髪と言った途端に、ぴくりとペテルギウスの眉が上がったのを暗闇の中でも感じ取った。思わず目線を移すと、彼は笑っておもむろに口を開き、

 

「アナタは、その銀髪の少女を探してどうするおつもりなので?」

「どうする……? どうする、か。そうだな」

 

 そう問うたペテルギウスに、スバルはすぐには答えられなかった。言われてみれば考えたことの無い質問だった。とりあえずは会うことが何よりの目的だったため、探してから更に何かをするとなると答えに窮する。

 サテラとは一方的に迷惑をかけた関係でしかない。彼女からすればスバルの存在は厄介者も良いところだろう。正直、謝ったところで許してはもらえまい。

 彼女を危険な目に遭わせたのはスバルだ。自分の命を脅かす切っ掛けをくれた人物なんかに、どうして情けをかけられようか。謝りたい思いは一杯でも、そうして彼女をまた傷つけてしまうかもしれない。そんな憂いが再会以上の行動を引っ込めていた。

 

「俺はただ、サテラに会いたい。──それだけだ。魔女教で俺に何かさせたいことがあるなら、言ってくれ。なんでもする。助けてもらった恩は必ず返すから、自分勝手なのは承知でサテラを探させてくれ……頼む」

 

 だから、胸の奥底に芽生えたこの想いは後回しだ。

 

「嗚呼。ああ、ああ、ああああ、ぁぁあああああぁ──」

「お……っ!?」

 

 暗い洞窟の中で、破れて血も付着したジャージ姿。格好はつかないが誠意を込めて頭を下げると、ペテルギウスは掠れた吐息に次いで呻き声を出し始めた。

 勢いよく膝を折り、何も無い天井を仰ぎ見る。虚空に伸ばした手は彷徨うように揺れ動き、かと思うと頭に爪を立て、血が滲むほどの強さで引っ掻いていく。ガリガリ、ガリガリと。手が下りるにつれ仰け反った首の角度も大きくなる。見ている方が痛ましい光景に、スバルは知らず息を呑んでいた。

 しばらくそうやって自傷を続け、やがて己の体を両腕で抱き締めながらガクンと首の位置を戻して彼が言う。その顔は傷すら霞む大量の涙で溢れていた。そしてこちらを向き──、

 

「──あぁ、失礼。そう身構える必要はないのデス。アナタの覚悟は伝わった。アナタの愛の深さは、しかとこの身に刻まれたのデス。どうぞご安心を。我ら魔女教は、全力を以てアナタに力を貸すでしょう」

「え……いやいや、そんな、さすがにそこまでしてもらうのは悪いっていうか」

「いえいえいえいえ。これは配慮や気遣いとは違うものデス。なぜならば、『嫉妬の魔女』サテラの再臨──それこそが魔女教の追い求めし悲願……つまり、アナタとワタシの目的は一致しているのデスよ」

「魔女……? 悲願……?」

 

 そう言って、大げさな動作で顔を近づけるペテルギウス。しかし挙動に反して態度自体にはどこにも嘘っぽさが感じられない。

 言っていることは、意味は何となく分かった。ペテルギウスたち魔女教も、スバルと同じくサテラを探しているのだ。

 ただ、告げられた言葉の一部はスバルの認識と齟齬があるようだった。嫉妬、魔女、再臨、悲願──それらが意味する答えを、スバルは知らない。

 好都合ではあるのだろう。命を助けてもらって、更にサテラの捜索も手伝ってくれるというのだ。異世界に関する知識と経験が致命的に足りないスバルにとっては、まさに幸運としかいいようがない。

 

「なあ、その魔女とか悲願ってのは──」

「──さて、それではではではではでは……『傲慢』宿りし新たな大罪司教よ。愛の印を。『福音』の、提示を」

「ぁ……あ? ふ、福音?」

 

 立て続けに、ペテルギウスの言葉が突き刺さる。有無を言わせない圧が鼻先に迫り、スバルは出し抜けに選択を強いられる。

 ──違う。選択ではない。スバルに選択肢など存在しない。

 サテラだけだ。サテラしか見えない。サテラ。サテラだけ。サテラにさえ会えるのならば、後はどうだっていい。

 使命感が、衝動が、愛が指し示すままに、得体の知れない確信が胸中に渦巻く。

 ゼロから始まった異世界生活で、サテラ以外は見る必要が無い。

 

 何も見えない。サテラしか見えない。

 彼の言う福音書を持っていないと主張するため、スバルは両手を挙げた。

 そして──、

 

「──何を、持っているのデス?」

「だから何も……ぁ?」

 

 ──その手には、白く光り輝く一冊の本が握られていた。

 

 

 †

 

 

 緑が整然と立ち並ぶ道を抜ける。

 竜車と呼ばれる異世界の移動手段──馬車より馬力もインパクトも強い地竜が、四つの脚で大地を踏み締めて疾走する様は爽快だ。当然ながら現代のような舗装がされていない山道にもかかわらず不思議と揺れは無く、追い抜かれた風は前髪すら靡かせない。

 荷台から身を乗り出し、スバルは長い一本道の彼方へと目を向けた。

 

 目的地は見えない。まだ、何も見えない。

 だがいるはずだ。生きているなら、サテラはきっとそこにいる。直感や虫の知らせなどは信じるべくもない。親友の勤勉さに従い、確かなしるべの指し示すままに進むのだ。

 そう、手元の白い福音書が告げていたのだから。

 

「──そろそろ到着です。ロマネコンティ司教、ナツキ司教」

 

 地竜の手綱を握った御者が横目に報告をくれた。スバルは無言で頷き、荷台の方へ振り向く。ペテルギウスを始めに、傷の治療を代わる代わる担当してくれたらしい魔女教徒の面々。全身を覆う黒装束のせいで顔は見えないが、全員スバルを救ってくれた命の恩人だ。

 そして今は頼もしい仲間でもある。サテラを見つけるために、スバルたちは一致団結したのだ。

 

 巨大な地竜が力強く踏み締めるこの地はメイザース領といい、ルグニカ王国の西方を統べるロズワール・L・メイザース辺境伯の領地だ。向かう先はその心臓部である本邸──ではなく、別邸。

 ペテルギウスと意気投合した後、スバルはサテラの服にあった鷹の刺繍を元に、魔女教の人脈に任せて調査を行ってもらった。少しして、それが先述した辺境伯の家紋だという情報を獲得。そしてメイザース辺境伯は現在、工業都市コスツール近隣の本邸を空けていることが分かった。結果的に突き止めた居場所は都市から遠く離れた別邸。まさに辺境というわけだ。

 

 サテラがわざわざ家紋を入れた装いだったのは、自身の出自や所属を表すためだろう。つまり、メイザース辺境伯ならば彼女について何か知っている可能性が非常に高い。

 思いの外簡単に手に入った手掛かり。出来るならこの機会を逃したくはなかった。

 

「待ってろよ、サテラ。俺が、必ず……」

「この坂を上ればあとは一本道ですね。……おや?」

「──ん?」

 

 その瞬間、奇しくも二人の声が重なった。それもそのはず、竜車の進路上に蹲る人影がいたのだ。前を見ていたスバルと御者が同時に反応するのも当然のことだった。

 そして恐らくは同じことを思ったことのだろう、様子を確かめようと地面に降りて大丈夫かと──問うより先に、彼は違う言葉を口にした。

 

「オットー! お前、オットーじゃないか!」

「ぅ、うう……っ、け、ケティ……さん、ですか? どうして、こんな所に……」

「こっちの台詞だろ。お前こそどうした。こんな所で何してる?」

 

 と、距離感の近い語調で話しかけるケティ。一方で蹲っていた方の男──オットは、灰色の髪に緑色の服という出で立ちだ。日本でこんな格好をしていたら派手な方に分類されるだろうが、ここ異世界だとそれも薄れて見える。強制召還されてまだ一週間も経っていないのに、ファンタジーな空気に随分と慣れてしまったものだ。

 それはさておき、問題なのは彼の状態だった。ケティの知人らしいオットーの服はあちこちが破れており、傍目にもボロボロと形容するに相応しい。傷の多く刻まれた彼自身の様子から見ても、明らかに攻撃されたとしか思えないほど痛んでいた。

 

 そして何よりも、全身を腕で抱いて震わせる姿は酷く寒そうだった。今日の気温はスバルのいた地球基準で十度以上あると思うのだが。

 ガチガチと歯を鳴らすのが見ていられず、スバルは着ていたローブをオットーに羽織らせてやる。

 

「おい、大丈夫か? これやるから着ろ。何があった?」

「あ、ありがとうございます……それが、僕はただ、通りかかっただけで……あ、あんなことになるなんて、フルフーが……」

 

 混乱してしどろもどろに語るオットーの目は焦点が合っていない。順序が滅茶苦茶な語りも彼の事情を察するには足りない部分が多く、結局、事情聴取は後回しにした。彼を竜車に乗せ、一応目的地まで同行することに。屋敷に着けばあとはスバルとペテルギウス、そして後ろの魔女教徒たちの仕事なので、その際ケティと一緒に離脱してもらう。

 横になってすぐ眠りに落ちた彼は、聞けばケティと商売仲間だったという。だがケティもこのような状態に心当たりは無いらしく、困惑しているのが見て取れた。

 

「まあ、とにかく道を急ごう。もう少しで着くんだよな?」

「ええ。途中、村を一つ経由しますが、なにぶん膨大な面積を誇る敷地ですので。遠目にも屋敷の形が見えましょう。ほら、あちらに……」

「ケティ?」

 

 今度の疑問は、彼一人のものだった。

 不意に目を見張った御者の返事は無い。スバルも同じ方向を見てみるものの、彼の言った屋敷らしきものは何も見えなかった。もちろんさっきのように誰かが道端に倒れているわけでもない。強いて言えば、細長い塔のようなものがあるにはある。しかしどうも不自然というか、建造物としての型が今まで見た町並みのそれとは明らかに違った。

 蛇のように曲線を描いた輪郭は、一般的な支柱で重さを分散させられそうにないほど構造が不安定だ。全体の色が薄いのも見た目をより曖昧にしており、ファンタジーの建築技術ならばあり得るのだろうが、もしそうだとしたら御者の驚く理由が分からない。

 

「なんだ。あの塔が、どうかしたのか?」

「塔……? いえ、あれはそんなものではありません」

「だったら……」

「ナツキ司教。落ち着いて、よく見るのデス。あれこそがメイザース辺境伯の屋敷デスよ」

 

 そう言って後ろから肩に手を乗せてきたペテルギウスに振り返り、首を戻して再度眺める。やはり先ほどと大して変わりはないように見える。しかしずっと目を凝らしていると、ふと冷気を感じた。加護とやらで揺れや風からは護られているはずの竜車内部に、冷たい風が侵入する。

 スバルは慌てて体を引っ込めた。同乗した魔女教徒たちに囲まれ、彼ら含むペテルギウスやケティがいつになく真剣な雰囲気であることに気付く。

 

 竜車が下り道に差し掛かり、僅かに加速したことで塔との距離がぐんと縮まる。そこでようやっと言葉の意味が分かった。

 なるほど、確かにあれは屋敷だ。聞いたとおり、とんでもない大きさを誇っている。しかし、この状態と大き過ぎる敷地はペテルギウスたちにも想定外だったのだろう。なにせ──、

 

「──屋敷丸ごと、凍ってんじゃねえか……」

 

 今は陽光の角度でその威容を分かりやすく現した氷漬けの屋敷──いや、もはや城とでも呼ぶべき場所だったのだ。

 ペテルギウスは微かに白い息を吐き、感化されたように腕を広げて叫ぶ。

 

「屋敷を呑み込んでなお余りある巨大な氷塊。並大抵の魔法使いでは、数十人集まろうとも実現不可能な規模に見えマスが……いやはや、このような状態になっているとは、驚きなのデス」

「一旦引き返しましょうか、司教様?」

 

 冷静な意見を挟むケティに、ペテルギウスは顎に手を当て、考え込む仕草を見せた。

 ケティの提案は妥当に思えた。ただでさえ何があるか分からない場所へ飛び込むのだ。不安要素をもう少し確実にするために、引き返せる時に引き返すのも一手だ。

 しかし──、

 

「──いえ。恐怖と怠惰を履き違えてはなりません。銀髪のハーフエルフがいるのなら、一刻も早く確認しなければならないのデス! 早急に、迅速に、勤勉に! 勤勉こそ我らが魔女へと続く征途である故に! このまま、進むの、デス」

 

 そう、言い切った。思わず拍手を送りたくなるほどに熱のこもった言葉だ。彼の横顔には微塵の迷いも無い。やはり彼とは気が合うと、スバルは内心考えた。

 己の愛に従う信徒を誰が止められようか。その信念を、どうして否定出来ようか。

 不安要素を抱えながらも、スバルたちは共通の目的の下、ただひたすらに突き進む。

 

 ──それからはケティの言った通り、数分もしない内に途中経過のアーラム村に到着した。幸い、氷漬けの被害は免れているようだ。屋敷に挑む前に、ここで出来る限りの情報収集をしておきたい。

 村の入り口に竜車を停め、ケティとオットーの二人を残してスバルたちは自分の足で地を踏む。連絡も無しにこんな大勢で入って大丈夫だろうかと心配したが、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 

「お邪魔します」

 

 いざ入ってみると案外心配したようなことは無く、かといって温かい歓迎も無く──その村には何も無かった。

 

 一見したところ、召還された時の都市部とは自然と建築物の比率が真逆だ。草木や川を身近に置いた、いかにも田舎らしい風景を眺めながらスバルたちは道に沿って進む。奇妙なことに人間どころか動物一匹ともすれ違わない。

 一本道が途切れると、運動場のような広場が丸く仕切られていた。住む世帯の分だけ建てられたのだろう最低限の家々に囲まれ、しかし村を形成するのに最低限の人影も見えない中央広場に立ち尽くす。

 

「誰もいないな」

「これは……どういうこと、デスかね?」

 

 呟くスバルたちの声がやけに大きく響く。風の音も、人の影も、僅かな動きすらも、目に見える全てが生気に欠け、重く暗く冷め切った無人の村だ。時の止まった錯覚に眩暈がする。

 妙に寒気と薄気味悪さを覚えて振り返った。あまりここに長居したくない。ケティのところに戻ろう。竜車で一気に駆け抜ければ、こんな小さな村なんてあっという間に視界の向こうだ。

 まだ少し様子を見るらしいペテルギウスたちに目配せし、逃げるようにして来た道を戻る。次第に息苦しさも薄れ、一息吐いた。停めてある竜車はすぐ見えた。

 

「おーい、ケティ……オットー?」

 

 しかし、御者の席にも、覗き込んだ荷台の中にも誰一人いない。特にどこか行く予定はなかったはずだ。トイレにしては、村の前でわざわざ別の場所に行くのも不自然だろう。オットーが起きて落とした荷物でも拾いに行ったというのは、楽観的な考えだろうか。

 不気味な空気に、唐突な孤独。誰か連れて来れば良かったと後悔して目を巡らせていると、荷台の後ろに痕跡を見つけた。

 布切れが、黒と緑で二つ。竜車だけ見ていたから気付かなかったようだ。地面に浅く抉られた、足跡と思しきものを注意して辿っていく。すると、村の入り口に再度戻ってから広場へ向かう途中の角を曲がった。家屋の並んだ道の奥、川際の家へ。

 

「────」

 

 扉が開いていた。

 子供が体を横にして潜れる程度の隙間だ。内側に手を掛ける。そのまま扉を引くとバリッ、と剥がれるような音があり、予想していた軋みは無かった。

 建物は古びていない。誰かが少し前まで住んでいたように思えて仕方が無かった。

 天気は曇りで、扉を大きく開けても光が入らない。だが、中がどうなっているのかはすぐ分かった。

 

「──ぇ」

 

 掠れた音が喉の奥底から出た。今のは声に出ていただろうか。思い出せないくらいに、思考は他の事で一杯だった。

『え』が驚愕によるものなのか、『眼』や『ケティ』を言いかけたのか。判断を許さないくらいに、耳は暗闇に満ちた唸りを吸収していた。

 そんな意識の片隅で、冷静に状況を観察する自分がいた。

 

 ──ああ、光が無くて良かった。

 

 むせ返る血の臭いと引き寄せられる殺意に背を向けて、スバルは走る。

 スニーカーの足音と切れ切れの息。小刻みな音で恐怖が体を包み、振り返ることも許さない。

 ただひたすらに足を動かした。方向など考えずに、ただただ走った。走って走って、走りまくって、

 

「か、は……ぁがっ!?」

 

 一瞬の眩暈がした。それは、決定的な停滞だ。違和感を意識した途端に体中が異常を訴え、走りに集中していた分の返しで呼吸もままならない。

 どれだけ吸い込んでも肺を満たしてくれない淀んだ空気。酸素が行き届かなければ、思考はもちろん身体が自由を失う。目の前の空間が歪み、耳鳴りが脳に響いて平衡感覚がおかしい。何がどうなっているのか訳が分からない。さっきも感じた薄気味悪さが肌にひり付くことから、いつの間にか広場に戻ってきたのかもしれないと、かろうじて考えた。だとしたらペテルギウスや一般教徒たちがいるはず──、

 

「──アナタ、怠惰デスねぇ」

 

 一拍、乱れた歩調。躓いたように倒れるスバルの頭上を、何かが通り過ぎて行った。

 それを確認する暇も無く、すぐ背後で破裂音が弾ける。脳内に思い浮かんだのは風船が割れて一気に萎むイメージ。だがこのピチャピチャという瑞々しさは、どちらかというと果物を絞った時の音に近い。

 現に今、頭上から降り注いで頬を伝う赤い果汁は芳しい香りを放っている。いや、どうだろう。この香りはさっきも嗅いだ覚えがある。

 

 さっきも。先ほども。無人の家の扉を開けた、あの時から。

 あの時嗅いだ血の臭いが、ずっと張り付いていた。スバルの後をつけていた。

 

「う、うわぁあああ!?」

 

 振り返った鼻先に迫ったのは赤黒い眼。狼を髣髴とさせる獰猛な眼光がスバルを貫くが、今は曇っていた。その原因は捩れた胴体にある。雑巾のように捻り潰されてズタズタに破れた皮の向こうには、原型の跡形も無い臓器と粉砕した骨が見えた。狼の死骸が、空中に吊るされている。

 そして狼の牙はケティの脛に噛み付いたままだった。恐らくはその鋭利な刃に噛み千切られた彼の脚──下半身は狼の牙に引っかかって同じく吊るされており、上半身は地べたに這ってスバルの足首を掴んでいる。

 元は一つだった彼の身体を繋げるものは、今や切断面から滴る鮮血だけ。しかしそれも長くは持たないだろう。

 

 ──狼は、十を軽く上回る数で群れて、少し離れた場所でこちらを睨んでいた。そもそも本当に狼なのか。少なくとも、スバルの常識の範囲内には収まっていない。最初は似ていように見えた外見も、改めて眺めると頭頂部に生えた角がそれを全面的に否定していた。

 凶暴な捕食欲望と闘争本能に駆られた狼──もとい人を喰う魔の獣が、自分たちの仲間とケティの死骸を跳び越えて襲い掛かってくる。

 

 少し前まで無人だったはずの村はもはや騒乱の様相だった。

 血が噴出し、肉が飛び散り、辺りに死の臭いが蔓延する。

 乱闘とは言えなかった。闘いとして成立すらしていないから。文字通り肉の盾となって獣共から護ってくれる魔女教徒に、横目で謝罪と感謝の入り混じった叫びを撒き散らしながら、スバルは逃げる。人に身を投げ打ってまで護ってもらえる存在になれた、と喜ぶ気にもなれなかった。だって、そんな謂れは無い。心当たりが無い。

 

 彼らがなぜ自分のことをそこまで高く評価しているのか。

 あのモンスターはなぜこの村を襲ったのか。そして現在進行形で自分たちにまで攻撃してくるのか。

 自分の体はなぜ先ほどからこんなにも重く鈍いのか。

 状況が何も見えない中、なんとか合流したペテルギウスが走りながらそれらの答えを教えてくれた。

 

「──ナツキ司教、アナタ、マナ酔いになっていマスね?」

「あ……? マナ、酔い?」

「ええ、この村全体には途轍もなく膨大な量のマナが満ちているのデスよ。恐らく風上にある氷の屋敷……あそこから流れてきたのでしょう」

「じゃあ、あの獣は!?」

「魔獣のことデスか? あれは食事のためにマナを求めて来たが、予想以上の密度による過剰摂取で暴走している、といったところデスね。状態としてはアアナタと同じようなものデス。実はナツキ司教が戻って行った際に、別の方向からも来ていました。他に人がいない以上は逃げても無駄デス。我々の臭いを辿って追いかけてくるでしょう」

 

 マナ酔い。魔獣。

 ゲームや漫画のおかげで馴染みがあるファンタジー用語の登場に、緊迫した状況でもある程度の理解が得られた。だが解決策を考えるにはまだ足りない。まだ何も、見えない。

 スバルたちは村を抜け、木々の鬱蒼とした森へ進入する。後ろに付いて来ながら魔法らしき攻撃で魔獣を牽制する魔女教徒たちの数が段々と減っていく。最初に集まった人員の半数も残っているかどうか疑わしい。

 

「どうすればいい? あれが俺たちを追ってきてるんなら、迎え撃つしかないのか!?」

「見たところ、一度噛まれただけでも呪いが発生する類のようなのデス。ああ、実に忌々しい……我らが魔女教に仇名し、試練を妨害する害獣など駆逐して然るべき存在デスが……」

 

 ちらりと、ペテルギウスの視線がスバルの方を向く。意味が分からず同じ方向を見るが、胸元には何も無い。

 

「このような事になるとはワタシの福音書に書いてないのデス。アナタを拾った頃から、事態は記述と違う方向へ進んでいった……これはもしや、魔女が課したワタシへの試練ではないでしょうか。終ぞ揃った大罪の座を更に完璧なものにするため、すなわち魔女教を一丸とするための試練かもしれないのデス! 協同、結合、共助……勤勉なる我らの働きが試されるゆえに、ゆえにゆえにゆえにゆえにゆえにえにえにえにえにえにえにににににに……」

「し、試練?」

「最後に大罪を冠したアナタの福音書──そこに、真の答えがあるのではないデスか?」

「────」

 

 試練だと、そうペテルギウスは言った。その試練を共に乗り切るために、福音書の導きに従うべきだと。

 スバルは胸の高さに手を広げる。すると眩い光が掌と指を包み、ほどなくして白い装丁の本が現れた。これが福音書。これがスバルの──、

 

「──権能」

「嗚呼、やはり……やはり、ワタシにはいくら目を凝らしても見えないのデス。アナタだけが知り、アナタだけが扱い、アナタだけが感じられる『傲慢』な愛のしるべ。権能が福音書の形で具現化するとは驚きですが、それはアナタが魔女ただ一人を盲目しており、魔女からの愛を自分一人だけのものだと受け取っているからデス! 魔女が、その形すらもアナタにのみ見ることを許した唯一無二の寵愛……かつて、これほどまでに寵愛を直接的に請け賜った信徒がいたでしょうか! これほどまでに愛に素直な信徒がっ!」

 

 そう言って観測を促すペテルギウス。スバルはゆっくりと視線を福音書へと移し、内容を読み取ろうとする。その視線に反応するように福音書は自ずと開き、パラパラと頁を捲っていく。

 導き、しるべ。あるいは啓示。魔女なる存在がもたらす試練とその克服方法が、この手の中にあるのだという。

 状況を忘れてこみ上げて来た高揚感に、二人揃って固唾を呑んだ。それ故に──、

 

「──見つけた」

 

 その声が聞こえた時、即座に体を動かせたのは傍にいた魔女教徒だった。

 本に絞られていた視界が不意に開けて頭に入ってくる。瞬間、魔女教徒の背中が勢い良くぶつかってスバルは後ろに転んだ。強く尻餅をつき、地面に慌てて突いた両手から真っ白の福音書がふっと消える。だが、解除された権能を惜しむ暇は無いようだった。

 

 少女がいた。

 こちらを睨めつける、憎悪に歪んだ顔。前髪で片方が隠れた薄紅色の眼差しが魔獣ではなく確実にスバルたちを捉えており、かざした手には陽炎のような揺らめきが渦巻いている。その直線上、つまりスバルを突き飛ばした魔女教徒へ顔を向けると、彼あるいは彼女は胴体部分が斜めに切断されていた。

 魔獣の牙に食い破られたケティと違い、こちらは凹凸の無い綺麗な断面が見える。これを為した張本人こそ目の前の少女だとさすがに気付いた。しかし、白と黒で出来たボリュームのあるスカート──いわゆるメイド服が、殺意混じりの威圧感を途端に変質させる。

 

「お、女の子……っ!? 待ってくれ! 俺たちは──」

「落ち着くのデス、ナツキ司教。あれはツノナシの鬼──亜人デスよ。……アナタの福音書を確認できなかったのは誠に残念デスが、ならば何度でも挑めばいいのデス。何度でも、諦めない限り、勤勉に。さすれば、魔女は応えてくれる」

 

 その言葉に、少女は心からの嫌悪を舌打ちと一緒に吐き捨てる。

 

「凝りもせずに、よくもまあのうのうと現れて……生きて帰られるとは思わないことね。抵抗は無駄だから、素直に引き裂かれなさい、魔女教徒」

「いかにも。ワタシは魔女教大罪司教、『怠惰』担当、ペテルギウス・ロマネコンティなのデス。アナタは?」

「はっ。魔女教なんかに名乗る名なんてあると思うの?」

「それはいけません。いけないのデス。名前は己を示す何よりの枷であり印。愛に生きる信徒たる者、それを拒むということは自らを否定するということ、それすなわち──」

 

 会話に付いていけないスバルは聞く方に徹していた。すると、ペテルギウスの声が次第に低くなっていくのを感じた。そして一拍の沈黙、魔獣さえもが唸りを潜めたほんの僅かなタイミング。

 彼の一言だけが、妙に大きく森に響く。

 

「──怠惰、デスよ」

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