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まばたきをした瞬間に、世界が一変したかのように。
映写機で映し出された映像が、次の場面に切り替わったかのように。
お嬢様は大地にひれ伏し、その背中を足で押さえつけられ、うなじには黄金の剣の切っ先が触れていました。
沈黙が流れました。
お嬢様も、エンプレス様も、何もおっしゃいません。
長い長い沈黙でございました。
「そう」
沈黙を破ったのはお嬢様でございます。
「そんなこともできるのね。
なるほどね」
「わかるの?」
「たぶん。
他にないでしょ」
「言ってみて」
「時間」
「あなた、すごいわね」
エンプレス様はお嬢様の背中から足をどけ、剣を鞘に納められます。
お嬢様は体を起こし、その場にあぐらをかくと、
「負けたわ。エンプレス・ゼネオルシア」
とはっきりおっしゃいました。
エンプレス様も向かい合うように腰を下ろされます。
「どうだか。
使いたくなかったのよ、これは。
本当にね。
使うべきでもなかった」
決闘は終わったということですから、もうわたくしが近づいても問題ないでしょう。
ともかくわたくしはさっきから気になって気になって仕方がなかったお嬢様のお召し物やおぐしをどうにかしないといけません。
何やらまた遠大な会話が始まるのでしょうけどこの女中めにとっては慮外の事柄でございます。
ああ、ドレスがこんなに破けて。靴もぼろぼろ。髪はほつれるどころか焦げている。
白いかんばせは煙突掃除人のように煤だらけで、ああ、この擦り傷が痕に残ったらどうしましょう!
一体どこから手をつけたらいいのやら。
「良い子ね」
「あげないわよ」
「取らないわよ」
「そう?
でもあんたって、無自覚に人のもん取ってそう」
「知らないわよ、そんなの。……本当に知らないの」
「ふん。
そう。そうよね。悪かったわよ」
お嬢様は静かに息を吐くと、お嬢様の身支度を整えているわたくしの手を取られました。
「ねえ。
いつか、私がオブリビオンみたいになったらって話、したわよね。
あのときの気持ち、変わってない?」
変わりようがございません。
「誓える?」
ブランドーに誓って。
「そう。
なら……ならまあ、いいわ。
エンプレス」
「なに?」
「なにじゃないわよ。
なんかよくわかんないけど、話そうとしてることがあんでしょう。
稀人の剣も、時間を止めるズルも、だから種明かししたんでしょう」
エンプレス様は口を開き、閉じ、また開き、何事かを喋ろうとして、やはりやめる、そういうことを繰り返し行われました。
お嬢様は苛立ちを隠そうともせず、手近にあった小石を拾って投げつけましたが、エンプレス様は容易くそれをかわし、
「かわすな!」
とお嬢様に激高されました。
「何よもう……」
「何よじゃないわよ。もったいぶりやがって」
「あのねえ! だからこれは……」
そしてまた、沈黙。
お嬢様は今度は拳大の石を拾い上げました。
「待ちなさいよ!
聞かなければよかった、って話だってあるでしょう?
これはそういう話よ。
ゼネオルシアの宿命というか宿題というか……私たちのものなの。
誰かに背負わせるものじゃないのよ」
「あーもう、だるい。
私が背負いきれないものなんてこの世にないの。
だから早くして」
「あなた……よく言えるわね、そんなこと」
エンプレス様は吹き出して、それからちらりとわたくしを見ました。
「いいのね?」
「さっき確認したから。
こいつとは地獄まで一緒に行くからいいわよ」
そこまでのことを申し上げたつもりはなかったのですが、まあ、よいでしょう。
そうして、エンプレス様は静かに語り始めました。
「ゼネオルシアの中興の祖……ユウ・ゼネオルシアが、晩年、うわ言のように繰り返していた言葉がある。
遺言といっても差し支えない言葉だ」
硬質な声。
「“備えよ、奴は帰還する”」
壊れかけの蓄音機から流れるような、ざらついた声。
「呆けた老人の戯言ではない。
それは確かに意味のある言葉だった。
重い、重い、重い言葉だ。
言いつけ通り、ずっと備えてきた。
あの雪辱を晴らす、ただそのために」
徐々に言葉は熱を帯び、その瞳にはぎらぎらと鈍い光が宿りました。
「かつて邪神さえも葬った光の戦士たちが、唯一殺し損ねた敵。
最愛の兄を犠牲にしてなお、彼方へ追いやることしかできなかった。
いや、それができただけでも奇跡だった。
様々な幸運が重なって、どうにかルクセンダルクは滅びを免れた。
星一つ滅ぼすことなど、奴にとっては造作もない」
エンプレス様は空を見上げました。
少し日が傾きかけた空に、真昼の白い月が浮かんでおります。
「事実──月はそうなった」
エンプレス様は視線を戻すと、絞り出すような声で続けました。
「ゼネオルシアの仇敵。
いや、全人類の……生きとし生けるものすべての天敵。
私はそれを滅ぼすために生まれた」
憎悪が。
憤怒が。
はっきりと感ぜられました。
「世界の果て、星の終焉から、必ず奴は帰還する。
そのとき私は、ゼネオルシアの宿願を果たさなくてはならない」
そうしてエンプレス様は、虚空を睨むようにして、その名を呼ばれました。
「彼の者の名はディアマンテ。魔王、ディアマンテ」
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エンプレス様の口から語られた、魔王ディアマンテ──いえ、邪神プロビデンスを巡る光の戦士たちの戦い。
次元管理局なる組織と、暗躍する妖精たち。歴史の歪曲と改竄。
人類の終局点エンド・レイヤーと、その向こう側にあるマーブル色の空の世界。
正直に申し上げまして、可能世界という概念に及んだ辺りでわたくしはまったく話に付いていけなくなりましたが、お嬢様は大よそのところを理解されていらっしゃるようでございました。
「で、その、邪神?
そっちに与してる連中もいるってことね」
お嬢様は軽い声色でたずねます。
「ええ。
邪神──だけではなく、私たちはその敵対勢力をまとめて旧神派って呼んでるんだけど」
「旧神派ねえ」
「次元管理局が一枚岩ではないように、旧神派も互いに協力的なわけでもないの。
ゼネオルシアは基本的に、滅びの運命に抗ってこの星の種を存続させるべき、と思っている。
これに敵対する旧神派の中には、単純にルクセンダルクのクリスタルの強大な力を手中にしたいと思っている連中もいるし、極端な歴史の非修正主義者たちもいる」
「歴史の非修正主義?」
「ええ。
星が滅びの運命を迎えるのであれば、それもまた正しい歴史の道程、と思っている連中ね」
「ははあ」
「過去、ティズ・オーリアやユウ・ゼネオルシアは時を繰り返す力を用いて世界の危機を救ったわ。
でもその行為自体が、度し難いほどに冒涜的な行為である……そういう風に考えている」
「なんか一理あるような無いような」
「私も考え方自体は理解できるわ。
利己的な人類至上主義……そう言われたら反論の余地はない。そうだと開き直るしかない。
でもだからって、あの時人類は滅びていたはずなので、滅ぼす……こういう考え方はもちろん受け入れられない」
「なんか面白くなってきたわね」
「面白くないわよ。
ただ、やっぱりね、そこを理由に敵対する勢力は多いわ。正しいことのためと言って、あったことを無かったことにするのは……私も、うまく言えないけど。
せめてこの世界を守ることが、ゼネオルシアの贖罪なんだと思う」
「世界をやり直したことの?」
「というか……世界を棄てたことの」
「例のエンド・レイヤーってやつ?」
「そう。
もうこの世界は駄目だといって、やり直した。
そうやって棄てられた世界にも、必死であがき続けた人たちはいたのよね。
そのことを私たちは後になって知らされた」
「ああ、それが……」
「いる、とされているんだけど。
最後の魔女という人が。
地上に蔓延る魔王たちと、最後の一人になっても戦って戦って戦って……誰もいない世界で、世界を救った人」
「マーブル色の空の世界、ねえ」
お嬢様は空を見上げました。
少しずつ、日が傾きつつあります。
「そう言われているけど、想像もできないわね」
「なんか私、知ってる気がするんだけどな~」
シーリス、あんた知ってる?」
「ああ、それなら──」
「知るわけないか。
ま、いいわ。そろそろ帰りましょう」
お嬢様は立ち上がると、裾の辺りを軽く払いました。
わたくしが女中人生で培ったすべての技術を注ぎ込んだ結果、人前に出ても問題ないレヴェルの出で立ちになっておられます。
エンプレス様にもお嬢様の予備の予備のドレスを着ていただき、僭越ながら身だしなみを整えさせていただきました。どうしても丈が合わないのはご寛恕いただくほかございませんが。
エンプレス様もお嬢様に続いて立ち上がりますが、そのぎこちない所作にお嬢様が笑います。
「なにやってんのよ。足でもしびれた?」
「いえ、このドレス、借りてる立場で申し訳ないんだけど……」
「肩幅はしょうがないでしょ。我慢しなさいよ」
「あと、胸のところがきつくて……破けちゃいそう」
「殺すぞ」
お二人は広場に戻る道を、並んで歩き始めました。