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「どうして私の前に立つ、と言ったけど」
妖精を背なに負う、威容のミナ・カルカテルラ。
「おまえやエンプレスが邪魔だから、ということになる」
「邪魔? 何の──」
ミナは首を振ります。
それ以上は答えない、という様子でございました。
「あとはなんだっけ。
開戦派がどうとか言ってた?」
「そうよ。
いつか開戦派の暴動が起きると思っていた。
でも早すぎる。
おまえが手を引いていたのか」
「まあ、そうなる」
「開戦派の悪感情を扇動したってこと」
お嬢様の言葉に、ミナ様は失望と軽蔑がありありと見て取れる顔をされました。
「おまえたちはそうやって自分たちの主義主張が敵を作ると思っているけど、違う。
開戦派も厭戦派もない。
何もわかっていない。
この世の大体の人間は、おまえたち貴族が憎くて憎くてしょうがない。
私が誘導したのは、そこ」
わたくしはいつかお嬢様がおっしゃっていた、究極的にはこの国が寒いのがすべての原因だ、という言葉を思い出しておりました。
是非もなし、とお嬢様は口を閉ざされました。
ミナもまた、無感情な表情に戻ります。
二人の視線が交錯し、それが再開の合図となりました。
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天空に浮かぶ無数の眼球が光線を放ち、空が光の網で満たされます。
ミナにはべる妖精たちが、光る花弁のような障壁を幾重にも展開し、シーリス様の光線をひとつ残らず弾いてゆきます。
もしこれが公に行われた戦闘であるのならば、間違いなく魔法戦闘の歴史に残るような、それほど激しく、かつ繊細で、芸術的な応酬でございました。
わたくしもお嬢様に加勢するように攻撃魔法を放ち続けておりますが、シーリス様の光線同様、妖精の盾にことごとく防がれてしまっております。
「つらそう」
ミナが平坦な声で言いました。
「お蔭様で」
お嬢様はどろりと垂れた鼻血を忌々しげに手の甲で拭いました。
無数の眼球を展開し続けるこの戦い方は、お嬢様に過剰な負荷を強いるものでございます。
シーリス様の眼球を動かす感覚は、存在しない三本目や四本目の腕や足を無理やり動かしているようなものだ、とお嬢様はおっしゃっておられました。
たくさんの眼球をひとつずつ動かすのは苦ではないようなのですが、自らの四肢を自由にしながら、かつ複数の眼球を同時に動かすのは、もはや曲芸のようなものだとうかがっております。
たしかに我々尋常の人間は、左右の手で同時に別々のことをするのには訓練や才能を必要とします。
鍵盤を弾くことの難しさや、二刀を振るうことの難しさは、これに相当いたします。
シーリス様は、「才能が肉体の限界を超えている。これは早晩死ぬ」と忌憚ない見解を述べておられまして、エンプレス様との決闘の際も、この戦法は最後まで控えておりました。
「脳みそ焼き切れそうよ。あんたはどうなのよ」
「私? ああ、これは別に……」
そんなやり取りの最中にも、シーリス様と妖精たちの激しい応酬は続いております。
当のミナは事の推移を見ているだけで、手札をまだ残しているのが明確に感じられました。
「リト・ブランドー──の、その態度というか……取り組み方、というのは、驚嘆に値する」
ミナはぼそぼそと話し始めました。
「普通、こういうときは、喋ってる分の余力なんて全部、戦う手に回すものだけど、あなたはそうやって、敵に噛みついたり、挑発したり、軽口を叩いたりして……それは一見ふざけているように見えるけど、実際には相手の弱点を見つけたり、戦況を変える切っ掛けを掴もうとしている。
軽挙に見える振る舞いが、勝利の糸口に繋がっている。
わかっていてもできることじゃない。
そういう……胆力がある」
それは衒いのない賞賛だったので、少々驚きました。
お嬢様も同様だったようでございます。
「驚いた。よく私のこと知ってるじゃない」
「ええ」
ミナは杖を担ぎ直し、お嬢様は警戒するように半歩退いてこちらも構え直されました。
「消耗戦をする気はない。
それと、残酷にね。残酷になるって決めたから」
ミナは杖を持たない左手でお嬢様を指差すと、
「邪眼による攻撃を停止しなさい」
と断じるように言いました。
お嬢様はいぶかしげな顔をしましたが、警戒は緩めません。攻撃の手も。
ミナは続けて言いました。
「“これは天命である”」
お嬢様は一瞬の逡巡のうえ、攻撃を停止しました。
何か、物凄く嫌な予感がいたします。
「両手を頭の後ろに組んでひざまずきなさい。“これは天命である”」
お嬢様は今度は構えを解かないことを選択されました。
「アドバイスするけど、三分以内に従ったほうがいい」
「三分以内に負けを認めろってこと?
無理!」
かくして激しい弾幕戦は再開されました。
何事も起こらないのでは、という希望的観測に反し、きっかり三分後。
ごぽ、とお嬢様が血を吐きだ、
「お嬢様!」
「だいじょうぶ……じゃねーけど……」
攻撃のために温存していた回復魔法を、今ばかりは使います。
「何をした……って感じでもないか。そのまんま、そういうこと?」
「そう。
天命に背けば、死ぬ」
「最っ悪……」
これがそのグリモアの権能なのか。
あるいは邪眼の権能なのか。
はたまたもっと別の力が働いているのか。
ともかくその、天命なるまじないが発動する三分以内にミナ・カルカテルラを倒す必要があるということでございまして、つまり、それは、もはや、どう考えましても。
不可能なのではないか。
「心を……」
肩で息をするお嬢様が、口を開かれました。
「心を折るのが目的、ってこと?
殺す機会なら、いくらでもあったわよね。
それこそ今でも。
そもそも、その
ミナは気だるげにため息をついて、答えました。
「私の目的は世界を滅ぼすこと。あるいは救うこと」
その顔には、愁いと疲弊が浮かんでいます。
「別に救うんでもいいんだ。どっちだっていい、別に。
私は前に進みたいだけ。
それでこの世界がどうなるか──それはどうでもいい」
「よくわかんねーけど……エンプレスが聞いたら卒倒しそうな言いっぷりね」
「はあ……ゼネオルシア。
ゼネオルシア!」
魔女の瞳に、ぎらりとした物騒な光が宿ります。
これまでの飄々とした態度とは違い、抑え切れない激情が溢れておりました。
「ああ! ゼネオルシア!
あの糞野郎。
次こそはきっとと、何度言った?
奴のゴキブリのようなしぶとさに、どれほど付き合わされたことか……」
呪詛のようなその言葉。
お嬢様は、ぎくりと体を強張らせました。
「待って。
そういうこと?
それがあんたのグリモアの権能ってこと?
あんた、一体何回目──」
「リト・ブランドー。
おまえは察しが良すぎる」
ミナはうんざりしたような呻き声をあげると、眉間を指でほぐしながら、長い息を吐き出しました。
「おまえの言った通り……おまえを殺すだけなら難しいことは何もない。
いくらでも機会があった。
そう、いくらでも、だ。
今回も前回もその前も、その前もその前も!
でも、おまえを死なせるわけにはいかない。
おまえが死ねば、エンプレス・ゼネオルシアは完成するだろう。
あの巨人の力を持った子供には……いつまでも幼いままでいてもらわなくてはならない。
だからおまえは殺さない。
殺したってうまくいかない!
生きたまま、その存在を軽くしてやる必要がある。
このエリルの秘匿グリモアには──それができる。
そのために、おまえは私に屈服してもらわなければならない」
気づけば辺りには、また雪がちらつき始めて、少しずつその勢いを増していっておりました。
「存在を軽く……ね。
それって私を具体的にどうしたいわけ?」
「忘れてもらう。
おまえというリト・ブランドーを」
お嬢様は哄笑を以てミナに返事を返しました。
「なら、続ける」
ミナの言葉に反応して、背後の妖精たちが一斉に光弾を放ちます。
属性も不明瞭なそれらの光は空中で屈曲するという非現実的な軌道を描きながら我々に迫りました。
魔法障壁も多少の効果はありますが、何よりその物量を以て壁を突破されてゆきます。
お嬢様も反撃の手を緩めず、シーリス様から光線を放ちますが、これはやはり妖精たちの花弁を散らすに留まりました。
ミナの攻撃に耐えながら、一瞬だけ見たお嬢様の横顔。
その瞳ににじんでいたのは、これまで一度とて見たことのなかった、絶望の色。
いつでも殺せると断言してきた敵に、生かされながら嬲られているという事実。
勝ち目は拾えず。
勝ち筋は見えず。
敗北を確信する。
ああ────なんと、おいたわしい。
であれば、今がそのときなのでしょう。
ああ今となっては、お嬢様と過ごした、あの穏やかな日々ばかりが思い起こされます。
宝石よりも輝かしく、黄金よりも価値のあった、あの美しい日々。
この方のために生きて、そうして死んでいくのだと、わたくしはわかっていたのでしょう。
わたくしは、いつか古豪のサカヅキ様に、おたずねしたことを思い出しました。
五本の指で、一番使わないものはどれか、と。
サカヅキ様はすべてを察したうえで、痛ましげな顔で、薬指だろう、と答えてくださいました。
「お嬢様」
「うん──」
「失礼いたします」
「え?」
わたくしは大きく五歩前に進み出て、お嬢様を背に庇うように立ちました。
そして。
懐から小刀を取り出し、左手の薬指の第二関節に刃を立てます。
毎晩毎晩、この練習をしてきました。
この瞬間にしくじることのなにように。
奥歯を噛みしめながら指の先端を切り落とすと、右手に握り込んで魔力を込め、マクラスキー様のレポートに記載のあった要領で、真っ直ぐに弾き飛ばします。
属性も何もない、魔法としての類別もない、ただわたくしの魔力をこめて真っ直ぐに飛ぶ弾丸は、妖精たちの花弁を易々と貫き、ミナの肩口に突き刺さりました。
ミナのローブが、じわりと赤黒くにじみます。
「なるほど、おまえ……」
ミナは今までにない、驚いた様子で言いました。
「悪魔の書。
いや、おまえたちは別の呼び方をするんだった。
そう──」
そう、わたくしは────あたしは。
「ダークエンジェル・バレット」