4
お嬢様は部屋に踏み入って、それからやっぱり戻ってきて、わたくしの腕をつかむと、わたくしを引きずるようにしてまた部屋に入りました。
「誰の足元で商売してるかわかってんのおまえたち?
まあいいわ。
ちょっと聞きたいことが──ううん、違うわよね。そうね。裏は取ってあるのよね。
ちょっと言いたいことがある」
繰り返しになりますが、彼女の年の頃はわたくしと変わらないようでしたから、どう見積もっても十やそこらということになります。
そんな彼女が、お貴族様か商家かわかりませんが、ともかくこのような立派な屋敷に押し入り、横柄と申しますか、攻撃的な態度で凄んでいるのは、奇妙なこととお思いになるでしょうけれど、彼女の美しさと、その堂に入った立ち振る舞いに待ったを掛ける者はおらず、むしろ彼女こそが、この場のすべてを支配しているといってもまったく過言ではございませんでした。
それからの彼女と、彼女以外の者たちとのやり取りは、正直に申し上げまして、仔細に記憶できていない点がございます。
当時のわたくしが、文字の読み書きも満足にできず、難しい言葉は聞き取りもできなかったということが理由ですけれども、ああでも、お嬢様のあの強いまなじりのことは、鮮明に思い起こせるものです。
彼女以外の者たちの言葉は、まるで思い出すことができませんが、彼女、お嬢様の言葉を、断片的にでも覚えているのは、その言葉の強さ、鋭さ、勇ましさが、意味ではなく、音そのものとして強烈に脳裏に焼き付いたからなのかもしれません。
「おまえたちが悪党であることは構わない」
過日のお嬢様──リト・ブランドー様はかくのごとくおっしゃいました。
「私自身が悪党の一味だ。
貴族というのは多かれ少なかれ──いや、やめよう」
リト・ブランドー様は深々と溜息をつかれました。
「おまえたちみたいな分別のない小物に、かくあれかしなんて語ったって仕様がないわよね。
まあいいわ。
別に私、説教に来たわけじゃないのよ。
おまえたちを殺しに来たのよ。
おまえたちが悪事の中でもつまんない部類のやつに手を染めてるってわかったから、ブランドーがその片棒担いでると思われるとムカつくから、おまえたちを全員殺しに来たのよ」
リト・ブランドー様は、そこで一呼吸を置かれました。
それはたとえて言うなら、物を知らない子供に算数を教えるように、ちゃんと自分の話についてこれるように待ってあげているような、そのような間でございました。
ともかく、リト・ブランドー様は続けました。
「子供を買うのは、まあ、黙認されてる。
でも子供の使い道ってのにはルールがあるはずだ。
丁稚をさせてもいい。
煙突掃除をさせてもいい。
その限りじゃ、ルールを逸脱しちゃいない。
ね。
思い当たることがあるわよね」
わたくしの便宜上の主人と、それから屋敷の者たちは、何事かを弁明しているようでした。
リト・ブランドー様は一応は話を聞くようにして、それでも、それからやっぱり首を振りました。
「駄目よ。
おまえたちは全員殺す。
もう決まってるのよ」
なおも弁明を続ける男たちの、ある言葉にリト・ブランドー様は反応しました。
「法律? 法律ですって?
さっきからおまえたちは何の話をしているんだ?
それはつまり──いくら私がおまえたちを殺すと言っても、自分は法に守られているから、そうはいかない……そういうことを言っているのか?
なあおまえ……おまえたちは、どうしてそういう考え方ができるんだ?
おまえたちが家畜のようにやり取りしている子供たちが法で守られていないのに、自分だけは法で守られると、どうしてそう思える?
いや、おまえたちみたいのはよくいる……だから毎度頭が痛いのよ。
まあいいわ。
別に私は正義じゃない。
リトもブランドーも正義じゃない。
リーやゼネオルシアとは違う。
私がおまえたちに因縁をつけているのは、ただムカついているからだ。
おまえらみたいに自分より弱いやつを平然と言いなりにしているような、殴り返せない相手を選んで殴りつけているような、そういう調子に乗ったバカをそれ以上の力でぶん殴ってやらないと気が済まない、ただそれだけなんだ」
わかるか、とリト・ブランドー様は続けました。
「これは正義じゃない。
そういう気持ちを隠しているとかでもない。
何かの信念に基づいているわけじゃあない。
ムカつているだけだ。
本当にそれだけだ。
ムカついた私におまえたちがぶん殴られている。
それだけだ。
調子に乗りすぎて誰かにぶん殴られる。
そういうことが人生にはあるだろう。
これはそれだ」
リト・ブランドー様は、指鉄砲を男に突き付けました。
「私の怒りのために死ね」
次の瞬間、男の右腕が弾け飛びました。
一拍置いて、絶叫が響き渡ります。
リト・ブランドー様は表情を変えず、崩れ落ちる男にもう一度指先を突き付けました。
今度は左足が弾け飛びます。
手足の断面からは、黒い煙がぶすぶすと音を立てながら立ち上っています。
部屋には油の焼ける嫌なにおいが立ち込めました。
もしわたくしが煙突の中で滑り落ちたら、同じにおいがするのかなと思うと、少しいやな気持ちになりました。
「おまえたちを殺した後、おまえたちの家族も全員殺す」
ばん、とまた音がしました。
リト・ブランドー様はそのように、作業のような行いを続けました。
一階での作業が済むと、屋敷の二階にあがって、また上のほうでは、立て続けにばんばんと音が響きました。
そうして、何もかもが静かになりました。
夜通し降り続いた雪がやんだ、美しい朝の静寂のようでございました。
5
「あんた行くところがないでしょう。
うちに来なさい」
お嬢様はそうおっしゃると、わたくしがまごまごしているうちに、まるで荷物を詰め込むみたいにわたくしを馬車に乗せてしまいました。
あれよあれよという間に、わたくしはブランドーの屋敷に連れ込まれ、そこで身支度を整えさせられました。
温かい湯で身を清めるというのは、生まれて初めてのことでありました。
お仕着せの女中服を着せられ、わたくしはまるで貢ぎ物のようにお嬢様の前に差し出されました。
私室で一人掛けのソファに座ったお嬢様は、半長靴を投げ出し、素足を女中に清めさせながら、新聞、おそらくはその日の夕刊だったと思いますけれど、その紙面に目を落とされていました。
そうしてちらりとわたくしを見た後、また夕刊に視線を戻し、そのまま言いました。
「あんたをどうこうしようっていうのは、正直何も考えてないんだけどね」
お嬢様は夕刊をテーブルに放り投げると、再びわたくしを見ました。
「そもそもさっきの──あれ自体も、確かな何かに動かされてやっているわけじゃない。
私の中にも、二人の私がいるのよ。
金持ちに生まれて、ただそれを謳歌するべきって私と、わけのわからん衝動に動かされて、命のやり取りをしている私。
ねえ、あんたはどう思う?
私はどうやって死ぬまで過ごすべきだと思う?」
わたくしがまごつくよりも先にお嬢様は、
「大丈夫。答えが返ってくるとは思ってない……ほとんど独り言よ」
と、おっしゃいました。
「でもこういう遠大な悩みって、まともに取り合いそうな人間、例えば私だったら親とかさ、相談したら、最悪修道院送りじゃない?
結局自分をどうこうできる影響力のある人間に相談すると悪い結果に終わるかもしれないから、こんな風にぶつぶつ独り言を言うしかないわけよね。
まあ悩みなんてのは自分の中から生まれてきてるものが大半なんだから、それを他人に解決しろっていうのはそもそも虫の良い話だけど。
自分のことは自分でケリをつけろってことだわ。
そう、自分で……自分で……なるほど?」
お嬢様はじっとわたくしを見つめました。
居心地が悪く、わたくしは身じろぎをしました。
「あんたが私のようになったら、私の独り言でしかない悩みに、私が腑に落ちるような答えを返してくれるようになるのかしら?
私と同じ教育を受けて、同じ食事をして、同じ景色を見て生きていったら……そうなるのかしら。
ねえあんた。
一応これだけは聞いておくけど、この屋敷で暮らすのと、また煙突掃除をするのと、どっちがいい?」
答えは決まっておりました。
「おい」
お嬢様は傍に控えていた女中に声を掛けました。
「聞いてたわね。そのようにしなさい」
女中はしずしずと頭を下げました。
さてこのようにして、わたくしはブランドーの女中になりました。
女中でありながら、その生活の多くをお嬢様と共に過ごし、勉学を許され、食事を共にするという奇妙な立ち位置にありました。
とくに勉強と食事については周囲のやっかみを買うのではないかと危惧をしておりましたが、お嬢様がこうした特異な立ち振る舞いを使用人に強いるのは特段珍しいことではないらしく、今度はそういうことをしているのかという程度の反応でございました。
またあるいは、皆、お嬢様の苛烈な性質については重々承知でしたから、裏で嫌がらせのようなことをして、それが露見したときにどうなるかというのは、容易に想像がついたということもございましょう。
ともかくわたくしはブランドーの女中になり、そうしてリト・ブランドーの影を歩むことになったのでした。