‪GRiMOIRE 20-21   作:Pの手帳

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Call me “Brando” - 3

 6

 

 生活は豊かになりました。

 食事、衣服、住居、そして仕事と勉学。

 おそらく、人生を楽しむためのすべてをわたくしは与えられました。

 その幸運に日々感謝を捧げながら、季節が巡ります。

 そうしてふとした瞬間に、つまらぬことを考えます。

 わたくしの人生は忍耐や努力で変わるものではなく、ただ運の良しあしで風向きが変わるのだという、残酷な事実について。

 それで、ひどく空しい気持ちもなりました。

 とはいえそのようなことを考えられること自体が、暮らし向きにゆとりのある証左ではございます。

 

「退屈ね」

 

 そんなわたくしの心持ちを、どうもお嬢様は細かく把握していらっしゃるようでした。

 お嬢様はまさしく豪放磊落といった性情でございましたが、その実、他人の機微をよくよく理解していらっしゃるところがございます。

 

「出かけるわよ」

 

 とはいえ、そんなときに、お嬢様は慰めに類する言葉を用いることは決してございませんでした。

 お嬢様はどうも、慰めと侮辱はほとんど同義であると考えていらっしゃるようでした。

 そういうわけで、そんな折はこのように出かけるですとか、おなかが空いたですとか、髪を結えですとか、決まってわたくしをあれこれ使ったものです。

 それ自体が、慰めを必要としている者にとっての、何よりの慰めでありましたけれど、お嬢様ご本人にそれをお伝えしたら、一体どのような顔をされたでしょうか。

 

 お嬢様はわたくし一人を後ろに控えさせて、あちらこちらへ出かけられました。

 時にはわたくしが入っていいものだろうかというような、例えばお貴族様たちが集まるサロンですとか、そういう場所もございまして、一度、それについてお聞きしたことがあるのですが、

 

「あのさ、そういうのやめたほうがいいわよ」

 

 とつまらなそうな声で返されました。

 

「私が止めてないんだからいいのよ。

 この国には階級があって、あんたには女中って立場があって、自分がどういうやつかってことはよくよくわきまえて行動すべきだけど、だからこそあんたは私と一緒にいるときは、私がやめろと言わない限り、どんな場所にいたって私に傅いているべきでしょ。

 それにあんたがあんた一人で考えて動くときもね、ああしないほうがいいんじゃないか、こうしないほうがいいんじゃないか、ってことばっかり考えないほうがいいわよ。何にもできない人間になるから。

 自分のやりたいことをやって……それで誰かと衝突したらそのときだと思うわよ。

 でもそうねえ。その結果、ぶん殴られて死ぬことがあるかもしれないから、何にもできない人間のほうが幸せに生きられるのかもしれないけど」

 

 

 

 

 

 7

 

 ある日のこと。

 特段の理由もなく街を散策するお嬢様に付き従っていたときの話でございます。

 空に緋色が差して、そろそろ屋敷に戻るかと家路を辿り始めたお嬢様は、ふと道端で足を止めました。

 見れば、視線の先には教会と、教会が擁する会堂(シナゴーク)が見えました。

 何やら催しが行われているようでございました。

 洗礼でございましょうか。

 詳しくは存じませんが、朝夕の礼拝の中でそのようなことをされると聞いたことがございます。

 お嬢様は扉の前まで近づくと、堂々とした態度で中を覗き込み、聞き耳を立てました。

 

「異端審問ね。久しぶりに見たわ」

 

 わたくしはその物騒な響きに驚いて、思わずオウム返しにお嬢様の言葉を繰り返してしまいました。

 そんなわたくしがおかしかったのか、お嬢様は声をあげて笑われました。

 

「そうか。

 なるほど。

 あんたには家の古い蔵書ばっかり読ませてるからね。

 でも違うわ。

 現代の異端審問は旧世紀の魔女狩りとは違うわよ。

 良い意味で制度化が進んできたからね」

 

 わたくしがいわゆる洗礼という催しでないか勘違いをしたことを申し上げますと、それで合っているとお嬢様は事もなげに答えられました。

 

「取り仕切ってるのが異端審問官で、受けているのが異端者ってだけで、大きく括ったら洗礼で合ってる」

 

 そうじゃなきゃ、こんな気安く覗き見なんてできないわよ、と言いながら、見識のないわたくしに異端審問についてご教授くださいました。

 

「異端っつーのは聞こえが悪いけど、ずば抜けて魔法の才能があるとか、魔法に類するが今の魔法学では説明のつかない力を使えるとか……そういうこと」

 

 したがいまして、いつかお嬢様が教えてくださったグリモア使いが異端視されることもあるし、もっと広義の解釈ではクリスタルに感応できる巫女も異端ということになるということでありました。

 

「オーリアのシンパの前でアニエスが異端だとか言ったら殺し合いになるかもしんないけど」

 

 この物騒なおっしゃりようにも随分慣れました。

 

「ともかくそういった異才を早いとこ見つけて確保して、あれこれ矯正しようっていうのが異端審問の主旨。

 目的はシンプルで、第二、第三のグランツ帝国が興ることを未然に防ぐため」

 

 それであわよくば軍隊に入れる、とお嬢様が続けます。

 

「他は、そうね。矯正っていうけど、私が調べた限り無茶苦茶なことはしていなかった。

 過激な言葉を使っているのは民衆に対して強権的な組織なんだぞってアピールするためね」

 

 会堂には、おそらくは教会の関係者である人間が数人と、そして洗礼──異端審問を受けている少女、それからその少女に寄り添うようにして立つ老婆が見えました。

 

「あの女の子は知らないけど……横にいるのはユリヤルヴィの婆様ね。

 直接の面識はないけど、シャンポリオンの薫陶を受けた、よき魔女だって聞くから、そうひどいことにはならないと思うけど」

 

 シャンポリオン。どこかで聞いたことがあるような気がいたします。

 

「シャンポリオンっつーのは、魔女の名前で、町の名前でもある」

 

 お嬢様が人差し指を立てられます。

 

「不老不死の魔女、不滅のシャンポリオン。

 知ってるやつしか知らないけど、最初のグリモア使いだって言われてる。

 ともかくそういう伝説的な人物がいるのよ。

 名前がクソ長いんだけど家庭教師(ガヴァネス)に無理やり覚えさせられてムカついたのを覚えてるわ。

 クロエ・ラ・トゥール・トラントゥール・ボントゥ・ポワンカレ・トリュフォー・ワトー・シャンポリオンっていうのよ。

 息が切れそう!

 古い貴族ってみんなこうなのかしら?」

 

 そうこう話しているうちに日が暮れて、辺りはすっかり暗くなっておりました。

 人通りが少なくなると、会堂から漏れ聞こえる、少女のすすり泣きがやけに耳に残ります。

 

「ひどいことにはならないとは言ったけど、家族と引き離されるし、名前も変えることになる。

 エタルニアじゃないんだけど、過去にテロリストどもに家族を人質に取られた巫女の例があるから。

 過去を断たなければならない……」

 

 お嬢様もひどく神妙な顔をしてらっしゃいましたが、ややあって、

 

「悪くないじゃない」

 

 と表情をゆるめられました。

 わたくしも、静やかな会堂に小さく響いた、この日生まれた名前を聞きました。

 

「オルニス・ユリヤルヴィ。良い名前だわ」

 

 

 

 

 

 8

 

 過去を振り返るということは、それ自体は悪いことではないと思う、というのがお嬢様の言葉であります。

 

「私はこの屋敷で生まれてこの屋敷で育って、最初からブランドーで今もブランドーで、いつまでたってもお嬢様やってるから、過去なんて面白くもなんともないけど、あんたは住む場所も仕事もなにもかも変わってきたんだから、過去を振り返ってあれこれ考えるのは悪くないんじゃないの?

 それで気分が最悪になるなら、まあ、しなくてもいいけど、でも過去のことなんて思い出したくないって思ってたって、なんかの瞬間に思い出しワーッてなっちゃうもんだから、普段から慣らしといたほうがいいんじゃない」

 

 お嬢様にも、過去を振り返って思い悩むことがあるのでしょうか。

 差し出口になりますが、わたくしは思い切ってたずねてみました。

 

「そりゃ、あるわよ。

 失敗っていうんじゃないけど。いや失敗したことがないってことじゃないわよ?

 失敗なんて山ほどしてるけど、別に大した問題じゃないでしょ。

 失敗を悔やむのって失敗したことを恥ずかしいと思うからでしょう。私、失敗しても恥ずかしいって思ったことないもの。

 イヤな気持ちになるのは、なんでしょうね、負けたことを思い出したときかしら。

 負けにも色々あるけど……負けちゃいけない戦いって、負けた後に気づいたりするのよね。

 最初からわかってれば、負けたときにちゃんと悔しがれるんだけど、それができなかったときって、どうにも……」

 

 お嬢様はため息をついて、わたくしに水を向けました。

 

「あんたはどうなの。

 やっぱり煙突掃除をしていた頃を思い出して、苦しいの?」

 

 このようなお嬢様の物言いは、わたくしの感傷的な、つまり、うじうじとした気持ちをさっぱりとさせてくださいました。

 煙突掃除についても、それに関わるであろう、様々なことに思いを巡らせました。

 ときには、やはり煙突掃除それ自体は必要で、誰かの役に立つ仕事なのであろうとか、そんなことも考えました。

 わたくしが煙突掃除をやめることで、凍える夜を過ごした誰かがいたのかもしれないのではないかと。

 

「困ればいいじゃない?」

 

 リト様はきょとんとした顔でおっしゃいました。

 それから、もっとわかりやすく言うと、と続けてくださいました。

 

「凍えて死ね──よ」

 

 その瞳には、鈍く輝く刃物のような、強い光がございましいた。

 

「ねえ、いい?

 煙突掃除人に限んないけどね、でもこれが無くなったら困るだろう、ってのは、負け犬の思想よ。

 困ったら困ったやつがどうするか考えればいいのよ。

 それができないなら凍えて死ねばいいのよ。

 煙突掃除だったら別の誰かに頼めばいいし、最悪自分でやったらいいでしょ。

 うちだって使用人にやらせてるけど、手当は色をつけてるし安全にも配慮させてる。煙突掃除で骨を折ったり最悪死んだりってことは、一度だって起きたことないわ。

 だから困った困ったって言ってるだけのやつはね、全員クズ!

 私は金持ちの家に生まれて生きてきて、着るにも食べるにも苦労したことがないから、正直こういう生き方の哲学みたいのを偉そうに語れる立場にないけど、それはそれとしてそういう奴らはムカつくし、凍え死んでほしいし、だから私の目についたら殺すわ」

 

 お嬢様はなおも続けます。

 

「ねえあんた、覚えておきなさいよ。

 そういう博愛精神っていうの? まあその、愛とか歓びっていうのは、人生に華を持たせるんだろうけど、生きるための原動力として何が一番かって言ったら、絶対に怒りとか憎しみよ。

 もう死んでもいいくらい幸せってやつはいるだろうけど、怒りと憎しみを持ち続ける限り、死んでもいい、とは思わないはずよ。

 怒るのよ。憎むのよ。

 それが悲しみとか諦めってやつに変わんないように、燃やし続けるのよ。

 腹の底に溜まった、鉛みたいな憎しみをどろどろに溶かして、燃やして……憎悪! 憤怒! それが生きる力よ」

 

 お嬢様はまだまだ続けます。

 

「あんたね、煙突掃除やってた頃に比べたら、良い暮らし向きしてるだろうけど、だからって今のこれがあんたの人生の全部じゃないでしょ?

 まだまだ足りないって欲張りなさいよ。

 あんたを小突き回してたあのクズどもを、思い出の中で何億回だってぶっ殺してやりなさいよ」

 

 正直に申し上げまして、お嬢様のおっしゃっていることはけだし支離滅裂といっていいものでしたので、一体何を意図していらっしゃるのかよくわかりませんでした。

 ですからその言葉がお嬢様なりにわたくしを励ましていて、何かの拍子に死を選んだりしないようにと、そういうことを伝えてくださっていたのだなと理解したのは、ずいぶん後になってからのことでした。

 

 あの日、感謝を伝えられなかったこと。

 果たしてこれも後悔と呼ぶのでしょうか。

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