‪GRiMOIRE 20-21   作:Pの手帳

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Call me “Brando” - 5

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 サカヅキ様とひと悶着があった、明くる日。

 お嬢様はやはり大層な人物でございまして、なんでもないふとした瞬間、俯きがちだった背筋を正され、椅子から立ち上がりますと、ぐぐっと背伸びをしてからしゃんとした姿勢に直りまして、

 

『つまんないキレ方したわ』

 

 と、おっしゃっいました。

 それでもう自らの心を丁寧に整えなさったご様子で、次にサカヅキ様とお会いになるときは、特段気まずいということもなく、いつものようにチェスを、いえ、軍棋(ストラテゴ)という大変難しい盤上遊戯の審判をしなくてはならないということがあったのですが、それはさておき、お二人の関係が悪くなるとか、そうしたことはございませんでした。

 他に変わったことはといえば、お嬢様が折に触れて、エンプレス様──とその確執、についてわたくしに語ってくださるようになったことでございましょうか。

 それはおそらく、お嬢様の胸の奥深くに刺さった無数の細かい棘のようなもので、それらをひとつひとつ抜いていくのは大変な労苦を伴うものでございました。

 きっと誰しもが似たような棘を抱えていて、見て見ぬ振りをして過ごしていったならば、流水が石を丸めるようにして、痛みを和らげていく類のものだと思いますけれども、お嬢様は時の流れが物事を解決することをよしとはいたしませんから、やはり、その棘のひとつひとつに向き合うという決断をしたのでしょう。

 

「いやなんつーかさ……世界平和って可能だと思う?」

 

 皮切りは、そんな奇妙な問いかけからでございました。

 

「そう。そうよね。そうだと思うわ。

 なんか、そんなようなことを言ってさ、頭おかしいんじゃねーかって思うんだけど、もしかしたら、あの女だったら本当にそうしちゃうんじゃないかって気がすんのよ。

 世界平和とか寝ぼけたことを本当に言ってたってわけじゃないんだけどさ」

 

 あの女というのは、言うまでもなく、エンプレス・ゼネオルシア様のことでございましょう。

 

「でもこう、じゃあおまえが死んだ後はどうなるんだとかさ、こう、いやうまく整理できないけど、怒鳴りつけてやりたいようなことがあれこれあるのに、そういうの全部ひっくるめて、そいつが望む通りの方向に持っていっちゃうんじゃないかって思っちゃって……何も言えなくなるのよ。それでイライラするわけ。

 あんたもなんかお茶会かなんかのどうでもいい催しでちらっと見たことあるでしょ。

 あいつさ、あの感じで、たぶん私よりも無茶苦茶強いのよ。全員リト・ブランドーの一個師団をぶつけても破壊されるくらい強いのよ」

 

 直接会話を交わしたわけではありませんが、たしかに奇妙な魅力を持ち合わせた御方とお見受けしました。

 ともすれば、ブレイブ・リーのような、時代の英雄と呼ばれる人物は、あのような雰囲気をまとっているのかもわかりません。

 周囲の人間をまとめて、全員の気持ちをひとつにまとめあげてしまうような。

 

「あんた……」

 

 お嬢様は私の目をじっと見つめました。

 

「大丈夫そうね。

 あんたは私とずっと一緒だから、毒されてないわね。

 でも気をつけなさいよ。

 あんたはなんだか、ああいうのにふらっと付いてっちゃいそうな気がするわ」

 

 お嬢様は並々と紅茶の注がれたカップを手に取ると、まるで水でも飲むかのように一気に飲み干しました。

 そうして長い息を吐きます。

 実に品の無い振る舞いでございましたが、妙に堂に入っていらっしゃいました。

 

「わかってる?

 あれは毒よ。

 正義って名前を冠したバケモノで、そんで毒よ。

 あれに毒されると、みんなそういう生き方をしたくなっちゃうのよ。

 綺麗なもの、美しいものを見てもね、人はそれと自分との間に境界線を引けるけど、あいつはそれをぐちゃぐちゃにするのよ。

 あなたと私に違いなんてないとか寒いこと言ってね。

 自分もそうなれるって思い込ませる。

 そうしてそこに悪意はない……本気で言っている。

 知らないうちに飲み込まれる。

 いつの間にか、あいつみたいに生きられたら──なんて狂気に心が染まる。

 正義や真実なんてくだらないもののために、人生を台無しにされる。

 あいつの辿り着ける場所に一緒に行けるやつなんていないのに、それでもいいと思ってしまう。

 道半ばで力尽きても、それでもいい、良い人生だったって、そう思ってしまう。くそったれ。

 あれはね、私が今まで見てきた人間の中で間違いなく最悪の女よ。

 エンプレス・ゼネオルシアには気を付けなさい」

 

 まくしたてるような物言いでございました。

 お嬢様はじとっとした目つきでしばらく床を見つめていましたが、やおらに立ち上がると、ずんずんと歩いてバルコニーに向かわれました。

 山の手に建ったブランドーの屋敷からは、エタルニアの市街がよく見えました。

 お嬢様はひどくつまらなさそうな目で、街を見下ろしていらっしゃいました。

 

「時代はあれを必要としてるのかもしんないけどね。

 時代っていうか、この時代に生きてるみんなっていうか……」

 

 遠大な話でございます。

 それだけ、あの方の影が色濃くお嬢様のお心に焼きついているということでございましょう。

 

「けど、それでいいのか?

 みんな良いと思ってんのかしらね。

 ルクセンダルクも早晩戦争になるんだろうけど、またイデア・リーだのユウ・ゼネオルシアだのみたいのが何とかすんのか?

 世の中って、あんまり悪いことが起きないように、みんながちょっとずつ頑張って成り立ってるんだろうなって思ってたけど、そんなのは私の願望で、どんどんどんどん状況は悪くなって、でもいよいよもう駄目だってときになったら、英雄だとか天才だとか、そういうのが現れてパパッと何とかしてくれるのか?

 だったら私みたいのは……意味がないのか?

 あいつみたいになれないんだったら、私が何でもないやつなんだったら、私は……」

 

 

 

 

 

 11

 

 もはや尋常のごとく街は不穏な噂話で持ち切りでしたが、お嬢様と屋敷の者たちは大過なく日々を過ごしておりました。

 ある日の穏やかな午後、お嬢様がおっしゃいました。

 

「ブレイブ・リーってなんでクーデター起こしたんだと思う?」

 

 遠巻きに控えていた女中の一人が顔を青くしておりますが、あれは新人でございますね。

 

「ああクーデターって言わないほうがいいって?

 いやでもクーデター以外の何物でもなくない?

 なぜか事後に生かされてるけど。

 あの空挺騎士団とかさ、側近まわりも大体みんな生き残ってるじゃない。

 あれなんでかしらね。私が正教側だったら全員処刑してると思うんだけどな。

 殺してたらエタルニアで暴動起きてたから、なんか落としどころがあったんだろうけど」

 

 最近は何事かを返事しないと「何か言いなさいよ」と咎められてしまいますので、そうでございますね、と曖昧な返事をいたします。

 お嬢様は本当に質問をしているときと、相槌だけがほしいときがございまして、今は後者でありました。

 

「でもなんつーかこれは私のすごく情緒的な部分で……死ななきゃ駄目だろってのがあるのよね」

 

 お嬢様はウムムと首をひねります。

 

「戦争すんのはさ、もうそれしかねえなっていうんならやるしかないと思うんだけど、それって喧嘩と違って、そんなことしたくないなって思ってる人間も散々巻き込んで、大勢死んだりするわけでしょ。

 だったらせめて、始めた人間は負けたら死ななきゃずるくない?

 まあブレイブ・リーは英雄だし、人望があって、本人がそうするつもりでも周りに止められたりとかそういうことがあったのかもしれないけど、でもなんか……こう、帳尻が合ってない気がして気持ち悪いのよね。

 あいつがマジでただただ復讐に生きた人間で、負けても泥を啜ってでも生き延びて、また復讐の機会を狙っていたってんなら私も大層な人物だと思うし好感を持てるんだけどさ、結婚して子供もこさえてたわけじゃん。

 それで戦争だっつって始めて、駄目でしたつって負けて……それでもまだ、生きていっていいのか? 英雄って持てはやされながら?

 だったら、ただただ死んだ、名前も知られなかった人たちはどうなる? そいつらの人生は、命は、英雄に比べて軽かったのか?

 命が軽いんだったらさ、どいつもこいつも平等に軽くなきゃおかしくない? おかしいんだよ」

 

 このようにお嬢様の舌鋒は、エタルニアでは思想犯として捕まってもおかしくないくらいの勢いがございます。

 要らぬお節介ではございましょうが、もう幾ばくか穏やかな話をしていただければ、この女中めはともかく、隅で顔を青くしているあの新人も安堵いたしましょう。

 とはいえこういうときに言葉を遮ろうとしますと、お嬢様はますます盛り上がってしまうので、どうにか話の舵を別の方角に切る必要がございます。

 

「うん?

 正教との確執ねえ。

 まあクーデターの理由としては……物の本にもそう書いてあるし、そうなんでしょうけど、でも根本的にはこの国が寒いからだと思うわよ。

 火をくべなければ生きていけないこの世界のすぐ目と鼻の先に、そうでない世界が広がっていて……」

 

 お嬢様の握りしめた拳から、みしみしと音が聞こえるようでございました。

 

「エイゼンが、ノルエンデが、イスタンタールが、フロウエルが……憎い。憎い、憎い、憎い。

 そうじゃないかしら?」

 

 果たしてお嬢様は、ブレイブ・リーになるつもりなのでしょうか。

 

「そんなわけないじゃない。でも、そうね──」

 

 お嬢様はにやにやといびつな笑みを浮かべて、わたくしを見ました。

 

「オブリビオンなら、面白いかしら。

 そうしたら、あんたはどうする?」

 

 何も変わらないでしょう。

 

「なによ、つまんないわね。

 もっと慌てたり否定したりしなさいよ」

 

 お嬢様は珍しく神妙な顔をしていらっしゃいました。

 

「じゃああんたね、もしも、まあないと思うけど、もし私が新生グランツ帝国なんて言い出してね、本当に玉座に座ることがあってもね、ちゃんと今みたいに傍に控えてなさいよ。裏切ったら殺すからね。返事はいらない。はい、この話おしまい」

 

 はい、お嬢様。

 

「返事すんなって言ってんでしょ……」 

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