12
「私たちの感情って、わりと誰かから、いや誰かってこともないけど、とにかく自分以外のどっかから押し付けられたものが多い気がするのよね」
いつかお嬢様が、こんなことをおっしゃいました。
「例えばブランドー家ってのは、バリバリのクリスタル原理主義の正教徒だったわけ。
ブレイブ・リーが公国を作り上げて、この地に暮らしていた人間たちはさ、どこにどれだけ寄り添うか、選択を迫られたわけよね。
そんなことがあったせいで、英雄時代の剣派と盾派じゃないけど、この原理主義派と公国派ってのは今でもアホみたいに仲が悪い。
実際私もさ、夜会とかで公国派と迂闊に出くわすと、うわってなるのよ。
何話せばいいのかなー、だるいなー、とか思うわけ。
でもこれって別に私から生まれた『だるいな』じゃね~よなってのも思うわけ。
素の私っていうか、丸裸のリトはさ、別に目の前のやつのことは好きでも嫌いでもないはずなのよ。
だから信教の違いで憎み合うなんてのはざらにあることだけど、それはどっかから押し付けられたものでさ……例えば目の前のこいつの貧乏ゆすりが鬱陶しくてしょうがね~なとかって気持ちのほうが、気持ちの純粋さとしては上等なんじゃないかと思うことがある。
信じる神様より貧乏ゆすりがだよ。大丈夫、おかしなこと言ってる自覚はある」
わたくしが何の気なしに、それは自由についての話でございますね、と申し上げますと、お嬢様は弾かれたように顔をあげて、丸い目でわたくしを見つめました。
「うん。
そう、そうね。
でもそれが私の望みかは、また別の話なのよね。
私の心の働きには『ブランドー』に由来するものがある。ブランドー家の憎しみは私の憎しみっていうのは、少なからずある。
だからさっきみたいな疑問を抱くことがあっても、最後に思い至るのは、私がリト・ブランドーで、リトとブランドーは不可分で、リト・ブランドーであることの覚悟というか……一種の肯定があるということだ」
お嬢様はうなずきながら、独白を続けられました。
「私は知りたい。知らなくちゃいけない。
リト・ブランドーが何をすべきか、何を果たすべきかのか……運命を自分のものにできなければ、人は生まれてきた意味なんてないんだから。
少なくとも私は、この名前を……リト・ブランドーがここに在るということを、知らしめてやらなければならない。この世界というやつに……」
運命。
時折お嬢様は、運命という言葉を使われました。
運命。
運命とは、わたくしにとっては、よくわからない、不吉な影のようなものでした。
あるいは、ばけもの。
足元に蠢いて、わたくしのかかとや、指先に、絶えず食らいついているばけもの。
走っても、走っても、逃げおおせることは叶わない。
影から逃げるなどという発想が、そもそも愚かなことでございましょう。
わたくしはこのまとわりつく運命にいつもどこか怯えておりましたが、お嬢様の運命は違いました。
お嬢様の運命は、捉えることが難しく、しかしたしかにそこにあり、大きく、麗しく、きらきらと輝いていて、栄光に満ちた未来に彼女を導くための道しるべのようなものでございました。
少なくともわたくしは、そう感じておりました。
13
「仰々しい名前だけど、エンプレスってあれ、花の名前らしいわよ。
でも本当の名前じゃないんだって。
本当の名前は自分の夫になる人にしか明かさないって、なんか代々そういう決まりがあるらしいのよね。
代わりに花の名前を拝借するんだとか」
このようにお嬢様がエンプレス様について語るときは、大変唐突で、かつ断片的でございました。
その言葉の一つひとつを拾い集めることで、わたくしはようやく、お嬢様と、お嬢様の過去と、グリモアと、グリモアを巡る陰謀と、そしてエンプレス様について知ることができたのでした。
14
ゼネオルシアっていうのは──とにかく、伝説的な大貴族なのよ。
その長子、エンプレスは、もっぱらゼネオルシアの跡目だと言われてる。頭が良くて腕も立つから。
ブランドーもまあまあ古い貴族だけど、ゼネオルシアに比べたら木っ端も良いところね。
そんな私がなんであいつと関係を持ったかっていうと……あのね。
これはあんたを拾った話にもちょっとつながるから、ちゃんと聞きなさいよ。
私もエンプレスも、エタルニアとエイゼンって別々の場所ではあったけど、人買いを追いかけてぶっ潰すってことをやってて、それだけだったらまあ領地の安堵とかってやってる貴族は山ほどいるんだろうけど、私とエンプレスの共通点は、人買いの背後にいる堕天計画に関わっているクソたちを追い詰めることだったのよ。
ちょっと話が長くなるんだけど……前にグリモアの話したでしょ。
あれが世の中にどれだけあんのかは知らないけど、少なくとも正教騎士団と公国、つまり旧六人会議の陣容だと、前者が持ってる数が圧倒的らしいのよね。
長らく冷戦状態にあるこの両派閥のパワーバランスが崩れないためにも、旧六人会議は血眼でグリモアを探してるわけ。例の異端審問の目的のひとつでもあるわ。
でも簡単に見つかるようなもんじゃないみたいなので、旧六人会議はグリモア探索を進めるかたわらで、別の計画を進めることにした。
この計画は天人計画っていって、あ、天がグリモアで人がグリモア使いってことだけど、旧六人会議で保有しているグリモアを研究して、似たようなもんを自分たちで作ることができないかっていう内容だった。
いろんな角度で研究が進められたんだけど、そのひとつにグリモアの汎用化というものがあった。
グリモアとグリモア使いは一対の関係で、グリモア使いでないやつがグリモアを使えないのは当然だけど、グリモア使いであっても、
それで、グリモア使いが自分の物ではないグリモアを使用すると、拒絶反応っていう現象が起こるらしいのよ。
グリモア汎用化研究で出来上がったのは、グリモアを使うようにはなれなかったけど、拒絶反応だけは起こしてしまうという能力、能力と呼んでいいかわからないけど、要するに失敗だった。
でも、そこに目をつけたやつがいた。
拒絶反応を意図して引き起こすことができたら、正教騎士団のグリモアの力を封じることができるのでは、って。
こうして研究はアンチ・グリモアに舵を切って、一連の活動も堕天計画と名前は変えたわ。天人、グリモア使いを堕落させるってことね。
この堕天計画がね……まあ……なんていうか……最悪の代物だった。
最初はグリモア使いに対抗できるアンチ・グリモア使いを育てるって研究だったみたいなんだけど、これはすぐ破綻したみたい。
旧六人会議は灼熱宝蝶っていう炎を操るグリモアを持っていて、まずはこれを仮想敵に見立てたんだけど、アンチ・グリモア使いは、ただの一度も勝利できなかった。
どうあがいてもアンチ・グリモア効果を発揮する射程圏外から焼き殺されるってオチだったのよ。
あ、焼き殺されるって言い過ぎたわ。殺してはいないって。灼熱宝蝶はサカヅキの知り合いで、この人はまともな軍人みたい。
灼熱宝蝶の炎は数千度に達してるらしくて、実弾も魔法もまとめて吹き飛ばされるっていうほとんどズルみたいな技なんだけど、そのアンチ・グリモア兵士は火勢を弱めることに成功しても後から後から迫る火の中で焼け死ぬか一酸化炭素中毒になって死ぬかのどっちかだったって。
堕天計画はアンチ・グリモア兵士ではなく、アンチ・グリモア
その舵の切り方自体は、自然なことだったかもしれないけどね。
アンチ・グリモア兵器っていうのは、つまりね。
人間を弾丸にしてグリモア使いにぶつける──そういうものだったのよ。
人間にアンチ・グリモアの能力を付与する研究はかなり進んでいたから、そうやってできたアンチ・グリモア人間から弾薬を精製する、と。
言ったまんまよ。
アンチ・グリモア人間をすりつぶして、骨や血、髄液や内臓を製錬するとアンチ・グリモア効果を持った弾丸になるんだって。
狂ってるわよね。
でも実験は成功した。
このダークエンジェルっていう思春期の妄想みたいな名前をつけられた弾丸は、灼熱宝蝶の炎を搔き消しながら飛んで行って、見事グリモア使いに到達した。
弾薬は製錬してから七二時間後には効力を失う。したがって使用の直前までは生身のままで保管し、使用に際して処置を行う、と。
人買いをぶっ潰して回ってるって言ったでしょ。
その中でね、クズどもが火薬庫と呼ぶ孤児院を見つけたこともある。
おぞましいっていう感情がどういうものか、そのとき初めてハッキリと理解できたわ。
ただ旧六人会議もカスばかりではなかったのよ。
議会の一人にサカヅキがいた。そう、あのおっさんよ。
こいつは富貴も権勢も求めず、日がな酒をあおっているようなろくでなしで、武芸百般に通じるって噂もあるけどいつも酔っぱらっているからそれも本当かどうかわからない。カミイズミの係累ってだけで議会に席を持っているってもっぱら噂で、発言力もほどんどないって話だったんだけど、この堕天計画の実態が明るみに出たときに、お歴々が凍り付くほど激怒した。
サカヅキは有力貴族に声をかけてあっという間に手勢をまとめあげると、堕天計画の関係者を叩いて回ったわ。
サカヅキの動きは苛烈の一言で、堕天計画を支持していた連中にはリーに連なる大貴族もいたって話だけど、一切容赦しなかった。
粛清の名に相応しかったわ。
あのときサカヅキとともに戦った貴族たちは、公国暦の始まりに理想と正義があったことを思い出したんじゃないかしら。
で、サカヅキが声をかけた貴族のひとつがブランドーだったのよね。
サカヅキの動きで堕天計画は完全に潰えたかに見えたんだけど、純軍事的な観点では有用な研究だったっつって、雨後のタケノコの如く計画が復活するのよね。
旧六人会議の一派もこれを黙認する向きがあって、サカヅキは議会に愛想を尽くして在野に下ったの。
それであのおっさんは今でも雨後のタケノコを叩いて回ってるってわけ。
私もサカヅキのやり方にはまあ……なんていうの、感銘っていうかね、いやそんな大したやつじゃないけど、ただのじじいだけど、ともかく思うところがあって、似たようなことを始めたのよ。
あんたを拾った日に潰した家は、子供を弾丸の素体として融通してるってことだったんで、まあ、ぶっ殺したの。
それで……エンプレス。
あいつにとってもサカヅキは剣術の師匠筋に当たるらしくって、それが理由で、あっちはあっちでタケノコ狩りに精を出していたんだと思う。
私と同じようにね。