‪GRiMOIRE 20-21   作:Pの手帳

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Call me “Brando” - 9 (Call you mine)

 22

 

 その弾丸の名前は〈ランドグリーズ〉。

 美しい少年の(すがた)をしていた。

 

 

 

 

 

 23

 

 パヤエル・ノースモアは男娼だった。

 貧しさがそうさせた。

 

 祖父と母親が死んで、身寄りを失った彼は、裸同然で街に放り出された。

 財産と呼べるものはほとんどなかった。

 だから、食べていくためにはどんなこともした。

 口入れ屋にもらった、人夫だとか、ミスリル鉱山の鉱夫という仕事は、随分上等な部類であったけど、飢えで弱った体では満足にこなせず、次第についていけなくなった。

 それからは物取りでもゆすりでもなんでもした。

 けれど思うほど実入りはよくなかったし、痛い目に遭うほうが多かった。

 流れに流れて、男娼に身をやつした。

 

 エイゼン大橋の下方には、スラムが広がっている。

 シュタルクフォートやハルトシルト、エイゼンの街という街から拒まれた流民たちが、寄り集まって混沌とした集落を築き上げているのだ。

 時が流れ、この混沌はいつしか街として機能し始めた。

 金と暴力が法であること以外は、ルクセンダルクのどの街とも代わり映えはしなかった。

 そして、パヤエルが過ごす娼館もこの橋の街にあった。

 

 パヤエルを生にしがみつかせていたのは、わずかばかりの矜持と反骨心だったが、飢えによる衰弱と、尊厳を踏みにじられる毎日が、次第に彼を摩耗させていった。

 それでも彼が自死を選ばなかったのは、失われつつある誇りの代わりに生まれた諦観だった。

 

 周りを見渡せば、薄汚く、歪なものばかりが目に映る。

 この街にはそれしかない。

 本当に美しいと思えるものはひとつもない。

 誠実と献身の裏に欲望が渦巻き、積上げられる金貨の高さだけが人間の価値を決めた。

 自分も同じむじなと思うと、胸のつかえは取れた。

 ただやり過ごすだけの生であるならば、死するべきかという問いもない。

 食事と一人で眠るベッドだけを安らぎとして、同じ毎日をただ繰り返していけばいい。

 いつか自分が年老い、誰からも必要とされなくなったとき、街は自分を淘汰するだろう。

 喜ぶべきことに、この街では誰しもがそうなのだ。

 

 そう思っていた。

 

 娼館で初めてそれを見たとき、パヤエルの価値観はあっけなく打ちのめされた。

 小理屈のすべてが意味をなさなくなった。

 本当に美しいものはたしかにあったし、そこに存在するだけで途方もない価値を感じた。

 人形が動いていると思った。

 いつかハルトシルトの街のショーウインドウで見た、陶器の人形だ。

 銀で編まれた髪と、陶磁の頬、黄金色の瞳。

 境遇は自らと同じはずなのに、まるで違った。

 この世には、こんなにも美しい命があるのだ。

 

 その生ける人形、少年の名前を、らん、といった。

 

 

 

 

 

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 ランドグリーズ──らんは、時々どうして自分が火薬庫から逃げ出したのだろうかと考える。

 火薬庫の子供たちは自分たちの末路を聞かされていなかったが、賢い幾人かは、自らが戦争の消耗品であることを、大人たちの会話から理解していた。

 らんは、自分が逃げ出したのはそのような陰惨な死から逃れるためだと思っているが、しかし男娼に身を窶して生きることは果たして陰惨ではないのだろうかと自問する。

 生き方も知らないのに生きようとするからこうなるのだろうなと、らんは他人事のように思った。

 執着のないらんは、娼館でも浮いていた。

 客への媚び方も知らなかったが、その美しさがこの生業を成り立たせた。

 娼館の連中は、浮世離れしたらんを構おうとしたが、本人からまるで反応が返ってこないので、いつしか距離を置くようになった。

 らんが腫れ物扱いされ始めたときに、それでも彼との関わりを保とうとしたのが、パヤエルという男娼だった。

 あれこれと自分を構うこの少年のことをらんは疎ましく思っていたが、娼館で過ごす日々を快適にするには役立ったので、先輩と呼んであれこれと雑務をやらせた。

 そうやって季節が巡った。

 

 

 

 

 

 25

 

 流民街がにわかに騒がしくなったのは、ゼネオルシアの兵隊たちを街で見かけるようになったからだ。

 探している人物がいるという。

 そんな雑談をしていると、らんは自分のことだろうと事もなげに言った。

 らんはつまらなさそうに身の上話をした。

 

 親の顔は知らない。

 物心つく頃には孤児院にいた。

 孤児院は火薬庫と呼ばれている。

 人間をすり潰して弾丸にする呪いがある。

 火薬庫はそのための子供を集めている。

 らんは特別な弾丸らしい。

 公国に捕まれば弾丸として使用される。

 ゼネオルシアに捕まれば処分される。

 

 逃げよう、と言ったパヤエルに、らんは笑った。

 滅多に笑わないらんが、声をあげて笑った。

 渇いた声だった。

 

「どこに?」

 

 瞳の奥にどろりとした闇が見えた。

 どこだっていい、とパヤエルはらんの手を取った。

 らんは意外なほど素直にパヤエルについていった。

 

 

 

 

 

 26

 

 旧六人会議のタカ派とゼネオルシアが〈ランドグリーズ〉という弾丸を巡り、水面下で熾烈な争いを始めているという話は、早い段階でリト・ブランドーも耳にしていた。

 

 難儀なことになっている。

 

 ダークエンジェルバレットは、議会において、公にはその存在を認められていない。

 したがってサカヅキやリトが火薬庫を押さえても、それについて議会のタカ派が追及するということはなかった。火薬庫のことなど知らない──からだ。

 ダークエンジェルに関する活動は秘密裏に行われ、露見すれば切り捨てる。そういうものだった。

 それが今回は、リトが容易に情報をつかめるほど大胆に動いている。

 天下のゼネオルシアとやり合っても退く気はないというくらいの勢いがある。

 ランドグリーズという弾丸には、それほどの価値があるのだろう。

 

 この件は介入が難しい。

 

 リトもサカヅキも、弾丸の回収と、その保有については大変な注意を払っている。戦力の保持と見なされる、政治的なリスクがあるためだ。

 ダークエンジェルバレットは先の通り公然の秘密となっているため、少々の間、庇護下に置いたとしてもそれに関して言及を受けることはなかったが、ランドグリーズに関しては議会も血眼になっている。ランドグリーズを回収した場合、破れかぶれになった議会から厳しい追及を受ける可能性は大いにある。

 とはいえ、回収後に即処分したとなると、今度は人道的な観点における誹りを免れないということも考えられる。

 諸々を踏まえると、ランドグリーズはゼネオルシアが回収することが望ましい、とリトは考えている。

 その後の対処はゼネオルシア次第だは、内々に処理をするのならば申し分ない。

 弾丸について同情する気持ちはあるが──リト・ブランドーは公国の貴族である。ゼネオルシアの戦力拡大を歓迎はしない。

 いずれにせよ、この諍いは早期に決着を着けてもらわなければならない。

 ゼネオルシアと旧六人会議の一派の小競り合いが、正教と公国の争いとなり、その累がブランドー家に及ぶ前に。

 そんなことを考えていた矢先に、事態は急変した。

 ゼネオルシアの一味でも、旧六人会議の手の者でもない、無関係な第三者が、ランドグリーズを確保したうえ行方をくらましているという。

 その者の名前は、パヤエル・ノースモア。

 奇しくもその少年は、リト・ブランドーの掛けた網にかかり、彼女との邂逅を果たすことになった。

 

 

 

 

 

 27

 

 くすんだ金髪に、やつれた頬。

 禍々しい大剣を抱えた、襤褸切れのような少年。

 そして彼に寄り添うようにした、銀髪の美しい少年。

 二人を見たとき、リト・ブランドーは、己の不運に、あるいは悪運に、天を仰いだ。

 二人の確保にリトは全力で当たったわけではない。

 ゼネオルシアによる確保を望むが、旧六人会議に先を越されるのはまずい。

 とはいえ自分が確保した場合、事後の対応について政治的な難しさがある。

 そういう、リトにしては迷いがあるなかで張り巡らせた網だったが、まさかこれにかかるとは。

 これを奇貨と呼ぶには、相手(ゼネオルシア)が強大すぎる。

 しばらくは孤児を拾っただけだと言い張れるだろうか。

 

「まあ、いいわ」

 

 銀髪のほうが、魔弾ランドグリーズ。

 金髪のほうが、パヤエル・ノースモア。

 当然、魔弾のほうには興味があったが、このパヤエル・ノースモアという少年にも、リトは興味を抱いた。

 なぜランドグリーズを確保したのか。

 その価値を知っているのか。

 持っていた大仰な剣は一体なんなのか。

 そもそもおまえは何者なのか。

 

「友達なんだ」

「ふうん」

「大切な」

「そう」

 

 一つ目の質問に、パヤエルはそう答えた。

 リトは二つ目以降の質問をすぐにする気がなくなった。

 なんとなくだが、この二人を問い質すような行為は、ひどく億劫だと感じてしまったのだ。

 

「好きに過ごしなさい」

 

 その日、後のことは使用人たちに任せた。

 

 

 

 

 

 28

 

 リト・ブランドーが二人の少年と過ごした日々は、そう長いものではなかった。

 刺激的な事件や、身震いするような感動があったわけではない。

 リトは十分な食事と清潔な衣服、そして暖かい寝床を二人に与えた。

 パヤエル・ノースモアは読み書きができるようだったから、ブランドー家の蔵書を自由に読むことを許可した。

 ランドグリーズは利発そうな面差しをしていて、いかにも目端が利きそうだったが、そもそも読み書きを学んだことがないようだった。

 

 パヤエルが興味深そうに本の頁を送っていく。

 その横でランドグリーズは文字の書き取りをしている。

 ランドグリーズがパヤエルの顔や本を覗き込んで、口を尖らせて何かを言うと、パヤエルは呆れたり、笑ったりして、ランドグリーズもそんなパヤエルを見て、にやにやと笑っていた。

 野良猫同士がじゃれ合うような光景を、リトはぼんやりと見つめていた。

 そうして、時々はリトも二人のやり取りに加わった。

 二人はいわゆる教養というものを持ち合わせているわけではなかったが、根本的なところでの正直さや誠実さというものがあった。

 この時間は、リトにとって不愉快なものではなかった。

 彼らの生い立ちについても、話を聞くことができた。

 リトは珍しく、自分についての話もした。

 そうやって自分たちの過去をを少しずつ共有していく作業は、自然な成り行きのようだった。

 

 ただ、お互いのことをすべて知るほどの時間は許されていなかった。

 ゼネオルシアの使いが来たのは、程無くしてのことだった。

 

 

 

 

 

 29

 

『ランドグリーズを引き渡せ』 

 

 使者から告げられたのは、それだけだった。

 リトはその才覚を両親に認められており、家の采配についてかなりの裁量を許されていたが、だからこそこれ以上は自身の領分を超えるということがわかった。

 これ以上はゼネオルシアに盾突けない。

 

「らん。

 あんたはこれ以上匿えない」

 

 ゼネオルシアの使者が来た日の晩、リトはそう告げた。

 ランドグリーズは器用に片方の眉を持ち上げると、おどけるように肩をすくめた。

 

「ゼネオルシアも悪党じゃない。

 あんたの助命も申し入れた。

 そう悪いことにはならない」

 

 おそらく。きっと。──そういう言葉は飲み込んだ。

 

「しかたないさ」

「いや、私が悪い」

 

 この瞬間が来るのをわかっていながら、曖昧な気持ちで今日までを過ごした。

 いつか切り捨てるとわかって、手を差し伸べた。

 

「私の偽善があんたを苦しめた。

 恨み言があるなら言って。聞くわ」

「恨み言なら──」

 

 ランドグリーズはリトの肩越しに、奥の文机を見た。

 

「手紙にでも書いてみようかな。せっかく勉強したし」

 

 リトはランドグリーズの傍らのパヤエルに目を向けた。

 

「パヤエル」

「うん」

「あんたのことまでは言われていない。

 だからあんたは好きなだけ家にいなさい。

 教育も仕事も、あんたに必要なものは全部用意する」

「いや、おれは」

「駄目だよ」

 

 何か言いかけたパヤエルを、ランドグリーズが制した。

 

「もういいよ」

 

 ランドグリーズの言葉に、パヤエルはしばし沈黙していたが、リトに向き直って、

 

「ありがとう」

 

 と応じた。

 

 

 

 

 

 30

 

 翌朝、ランドグリーズはゼネオルシアの手配した馬車で連れられて行った。

 パヤエルはその馬車が見えなくなってからも、ずっとその先を見つめていた。

 リトの手元にはランドグリーズが残した便箋があった。

 ぐずぐずとしているうちに夜が更ける。

 もう夜明けが近づいてた。

 恨み言を聞くと言ったのは自分だと、リトは意を決して便箋を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 りと ぶらんでさまへ

 

 

 らんどぐりずとぱやえるのすもあに

 

 しんせつで ありげとおです

 

 よかったです よかったがたくさんです

 

 ぱやえる のすもあ のこと ありげとおです

 

 のすもあ しんせつです だからべんりです

 

 ずっとげんきで おねがいです

 

 ありげとおです くれぐれも けいぐ

 

 

 らんどぐりずより

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝になり、パヤエル・ノースモアの姿が見えないことにリトは気づいた。

 

 

 

 

 

 31

 

 パヤエル・ノースモアは夜道を歩いていた。

 星を頼りに、南へと向かっている。ゼネオルシアの許を目指して。

 邪眼(ゴルヌアーツ)との契約は済ませた。

 対価に支払って喪われた右目の窪みに、夜風が沁みる。

 眼窩から血が一滴、頬を伝って落ちた。

 まるで涙のようだった。

 けれどその顔には満ち足りたものがあった。

 ブランドー家で過ごした半月あまりの日々は、パヤエルの半生にとって、取り分け素晴らしいものだった。

 それは祖父と母との三人で過ごした日々にも似ていた。

 生きていくこと、そのために背負ういくつかの大きな苦しみや痛み、背筋に這い寄るあきらめと、胸の奥深くに沈んだ怒りと憎しみ。

 視界の端にちらつく苛立ちと、遠い彼方に浮かんでは消える、蜃気楼のような幸福。

 そういうものをすべて、考えずにいられた。

 それはつまり、穏やかということだった。

 パヤエルの頭は冴え冴えとして、しもやけにかじかむ指先も、喪ったはずの右目の痛みも、まるで気にならないほどだった。

 歩いているうちにやけに昔のことを思い出すので、これが走馬灯というやつかもしれないと思った。

 パヤエルは物心のつく前から、「いつかお父様が迎えに来てくださる」と母に言われて育った。

 だから、いつか自分はどこか遠いところに行くのだと思っていた。

 帰る場所が別にあるのだと。

 年月を経て、おそらくその顔も見たことのない男が自分たちを迎えに来ることはないだろうと思うようになってからも、母は変わらずうわごとのように同じことを繰り返していた。そうしているうちに、母は気が触れて死んだ。きっと心のどこかでは、迎えなど来ないとわかっていたのだろう。それに耐え切れなかったのかもしれない。

 いよいよパヤエルは、居場所も行く場所も失った。デラシネになった。

 だから、生まれて初めてのことだった。

 リト・ブランドーが、「ずっとここにいていい」と言ってくれたのは。

 その言葉は強烈な光と熱を持って、パヤエルの喉元深く、人が心と呼ぶ場所に居座った。

 それが今、彼の体を支えている。

 きっとおれは死ぬだろう、とパヤエルは思った。

 それでも、もし、もしもすべてがうまくいったら、またリトの世話になれないだろうか。

 らんと一緒に、ブランドー家に帰ることはできないだろうか。

 そうしたらおれは、いつか、らんに聞かれた言葉に、ちゃんと答えられる。

 

『逃げるって、どこに?』

『おれたちの家にさ』

 

 パヤエルは雪道を歩いている。

 

 

 

 

 

 32

 

 しばらくして、リトはサカヅキに顛末を聞いた。

 パヤエル・ノースモアとランドグリーズは健在で、ゼネオルシア家の食客として遇されているということだった。

 そこに至るまでの凄絶な闘いと、そのために彼らが払った犠牲について、リトはどこか遠い外国の話のように聞いていた。

 リトは事ここに至って、ようやく自分が舞台から降りていることを自覚した。

 怒りとも悲しみとも言い難い、奇妙な感情がさざ波のようにリトの中で揺れた。

 

 後に振り返って、自身の苛烈な気性は、このとき完成したのではないかと思うことがある。

 だからなんだということはない。

 パヤエル・ノースモアも、ランドグリーズも、今はもうリトのそばにはいない。

 それもやはり、どうしたということではない。

 二人はゼネオルシアで、二人なりの幸福を掴むだろう。

 リトもまた、青い血としての生涯を全うするだろう。

 何もかもが、うまく収まったのだ。

 ただ、リト・ブランドーが、じゃれ合う二人を見ることや、そのやり取りに加わることは、もうない。

 

 きっと、永遠に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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