羽衣丸の船体が大きく揺れる。目的地のイヅルマに近づくにつれ、風が強くなってきた。目的地付近の天候はよくないらしい。
「戦闘機の固縛急げ! 船が揺れたから戦闘機ぶっ壊したなんてことになったらイナーシャハンドルケツにぶち込むぞ!」
羽衣丸の飛行甲板では、ナツオがクルーを指揮して戦闘機の固定作業を進めていた。イヅルマ一帯の天気は雷雨、そして嵐とのことだ。先ほどから羽衣丸の船体は左右に揺れていて、このままだと飛行甲板の戦闘機が衝撃で破損する羽目になりかねない。
「こういう天気って、よくあるんですか?」
「イヅルマ付近だと雷雲が発生しやすい場所があるんだよねぇ。今回は上手く避けられるかと思ったんだけどなぁ」
羽衣丸の操舵室では、船長席に座ったサネアツがアンナとマリアに指示を出していた。強風の中、巧みに操船の指揮を行い、前方に広がる雷雲を避けるコースを取る。やることが無いリーパーは、操舵室で外の様子を眺めていた。
「おまけにこの辺りにはイカヅチ団って空賊が出るらしいんだ」
「イカヅチ団?」
「なんでもこの辺り一帯の天候をかなり把握していて、雷雲が出現するポイントを正確に予測できるらしいんだ。雷雲に敵機を追い込んで逃げられないところを襲って来る、かなり厄介な空賊だと聞いてるよ」
「確かにそいつは厄介ですね…」
基本的に現代の航空機は、落雷を受けても飛行に全く支障は起きない。雷は金属製の機体の表面を抜けていくから内部の乗員は安全だし、燃料タンクなども落雷を受けても爆発などが起きないように厳重にテストが行われている。落雷で機体表面に小さな穴が空いたり、電子機器にトラブルが発生したりするだろうが、雷の直撃を受けただけで航空機が墜落することはない。
だがそれは、あくまでも「現代の」航空機の話だ。イジツで使われているのは、地球から70年前の機体。その頃の機体には落雷対策が十分でないことが多い。最悪の場合燃料タンク内の可燃ガスが雷で引火し、爆発するなんてことも起きうる。基本的に、雷雲は避けるに越したことはないのだ。
「船長、イヅルマの管制塔から連絡です。現在イヅルマ市内は荒天のため、郊外で待機されたし…とのことです」
ベティの言葉に、「あちゃー」とサネアツが頭を抱える。
「しょうがない、この辺りで停泊しよう」
「ここで、ですか?」
「このまま進むともっと荒れた天気になってそうだからねぇ。無理やり進んで事故が起きたりしたら大変だし、この分だと向こうも着陸許可は出してくれないだろうね」
頼りない上にクルーからも粗雑な扱いをされているサネアツだが、航行に関する判断だけは的確だ。嵐が通り過ぎるまで、羽衣丸はイヅルマ郊外の渓谷に停泊することとなった。イヅルマへ輸送中の貨物はあるが、到着予定日まではまだ余裕がある。
それにしても、酷い揺れだ。リーパーは窓の外を見て思った。遠くの空には黒雲が浮かんでいて、時折空が光っている。海がないというイジツだが、雷雨や嵐は発生するらしい。まるで船に乗っている時のように、強風で船体が揺れる。
「副船長、レーダーに感あり。方位350、距離10キロ。機数は6。この反応だと戦闘機と輸送機です」
レーダー画面を見ていたアディが報告し、サネアツが顔をしかめた。
「空賊かな? 勘弁してほしいな…」
「いえ、違うようです。所属不明機から通信が入っています」
空賊ならばわざわざ通信を寄こしてきたりなどしない。サネアツは無線に応えるようベティに指示を出す。
部屋に戻ろうとしていたリーパーは、突然鳴り響いた警報と共に『コトブキ飛行隊、アローブレイズ飛行隊、至急
無線機のマイクを手にするサネアツの顔は険しかった。彼がこんな顔をしている時は、大抵何か問題が起きている時だということを、最近リーパーもなんとなくわかってきていた。
「お休み中のところ申し訳ない。実はさっきこの近くを飛んでいた戦闘機から救援要請が入ってね」
「救援要請? 誰からですか?」
トレーニング中だったらしく、やや顔が赤いレオナが尋ねる。
「イヅルマのカナリア自警団って飛行隊と、あと…」
「あと?」
「…ハルカゼ飛行隊」
その名を聞いた途端、コトブキ飛行隊の面々の顔色が変わる。一方リーパーはそれが誰なのかわからず、隣に立つキリエに尋ねた。
「…誰?」
「私らの後輩…みたいなもん? レオナのホームの後輩だって」
なるほど、知り合いということか。であれば彼女たちの顔色が変わるのも当然だとリーパーは思った。
ハルカゼ飛行隊はイヅルマへ飛行中の輸送機を護衛していたが、その途中で先ほどリーパーとサネアツの話に出てきたイカヅチ団という盗賊に襲われたらしい。飛行隊は二手に分かれ、一方は輸送機の護衛を続行。もう一方は空賊の足止めをすべくその場に留まって戦闘中とのことだが、かなり押されているようだ。
またイカヅチ団を追ってイヅルマのカナリア自警団もやって来てハルカゼ飛行隊と共に戦闘中とのことだが、雷雲に囲まれての空戦ということで苦戦しているらしい。今回の救援要請は、輸送機と共に戦闘空域を脱出したハルカゼ飛行隊から発せられたということだった。
「報酬が出るかはわからないけど、どうか引き受けてくれないかなぁ?」
襲われている輸送機を救助したというのならばともかく、今回救援要請を出しているのはその輸送機を護衛していた飛行隊だ。彼女たちを助けたところで、輸送機の雇い主が報酬を出してくれるとは思えない。かといって、新米飛行隊のハルカゼの面々が報酬を出せるはずもないだろう。
「マダムはなんと?」
「君たちに任せるってさ。どっちにしろ、早いところ決めないと飛行甲板からの発進も難しくなる」
強風にあおられ、羽衣丸は左右に揺れている。地球の航空母艦同様、揺れが激しいと発進すらできなくなってしまう。それに空賊と戦闘中のハルカゼ飛行隊と自警団がどこまで持ちこたえられるかもわからない。決断のタイミングは今しかなかった。
「皆、すまないがついてきてくれるか? 私はユーカたちを見捨てたくはないんだ」
レオナの言葉に反対する者はいなかった。知り合いであってもそうでなくても、報酬が出ないから助けを求めている人たちを見捨てるなんて真似は、彼女たちには出来ない。
「ハルカゼの皆には、今度一回サービスで働いてもらうってのはどう?」
「ああ。そうとなったら早く出よう。リーパー、君は…って、聞くまでもないって顔だな」
タダ働きと言う形になるが、リーパーもハルカゼ飛行隊の救出には賛成だった。無言で頷いたリーパーに、レオナが頭を下げる。
「こんな悪天候で緊急発進たぁ、正気か?」
飛行甲板では緊急発進を告げる警報を聞いて、ナツオが顔をしかめていた。外は荒天、雨も風も強まっている。
「せっかく固定が終わったのに…」
「黙って手を動かせ! コトブキの連中が来るまでに発進準備が出来てないと、ケツに蹴り入れっからな!」
整備士のボヤキを一喝し、ナツオは悪天候に備えて行っていた戦闘機の固縛を解き始める。緊急発進が出来るように素早く解けるよう工夫はしてあったが、それでも7機分の固定を一斉に解くのは時間がかかる。しかしナツオは整備員たちの尻を蹴とばすようにして、数分以内に再び戦闘機を発進出来る状態に整える。
「すまない班長!」
「気にすんな! それよりしっかり仕事をしてこい! あと、隼をぶっ壊すなよキリエ!」
「何で私だけ!?」
「お前がいっつも機体を壊して帰ってくるからだろうが!」
コトブキ飛行隊の面々が、隼の操縦席に乗り込んで飛行前のチェックを始める。操舵、燃料、武器。最後にやって来たリーパーも自分の青い隼に搭乗して飛行前点検を始めたが、火器管制装置やらレーダーやらを搭載したジェット戦闘機と違い、確認項目がそれほど多くないことが救いだった。
主翼の下に潜り込んだナツオら整備員たちが、イナーシャハンドルを回してエンジンを始動する。隼の栄エンジンに火が入り、プロペラが軽やかなエンジン音と共に回転を始める。
「ハッチ開け」
船橋のシンディの操作で、羽衣丸飛行甲板の前後を塞ぐハッチが倒れ、飛行甲板の一部となる。途端に、船内に強風と共に雨水が吹き込んできた。天候はますます悪化している。
「全機、無事に帰ってくてくれよ…」
船橋ではサネアツが、今まさに発進していく隼の群れを見て祈っていた。先ほどまで遠くに見えていた雷雲は、徐々に羽衣丸にも近づいてきている。早くことを終わらせなければ、帰還した彼らを収容することも出来なくなってしまう。
一方、発進したコトブキ飛行隊も、大自然の猛威に晒されていた。吹き付ける強風で機体がふらつき、風防をひっきりなしに雨粒が叩く。ハルカゼ飛行隊と自警団が戦っているのは、今まさに目の前に広がっている雷雲の向こうだった。
「前方に機影を確認、ハルカゼ飛行隊とその輸送機みたいね」
事前にレーダーと無線で位置を確認していたので間違いない。空賊から辛くも逃げ切った輸送機が、こちらの編隊に向かって飛んでくる。その周囲を飛んでいるのは、護衛のハルカゼ飛行隊だろう。青を基調とした塗装に、ピンクのラインが走る隼三型が4機、ふらつきながら飛んでいる。だが機体の挙動が不安定なのは、強風が吹いているからだけではなかった。
「こちらはコトブキ飛行隊。ハルカゼ飛行隊、無事か?」
『はい、レオナさん。何発か被弾しましたが、まだ何とか飛べます』
そう返事をしたのは、ハルカゼ飛行隊副隊長のエリカだった。彼女たちの機体のあちこちに、いくつか弾痕が空いていた。エンジン等に致命的な損傷はないようだが、それでも傷ついた機体で無理は出来ないだろう。
「付近に空の駅がある。そこに退避しろ。足止めのために残っているのは二機だけか?」
『ユーカとベルが。それとイヅルマのカナリア自警団という方たちが一緒に空賊と戦ってます』
ガデン商会に所属しているハルカゼ飛行隊だが、今回は別の商会の護衛を請け負っていたらしい。イヅルマへ輸送機で物資を運ぶ仕事の最中に、件のイカヅチ団という空賊に襲われたという。
護衛対象である輸送機を守るべくハルカゼ飛行隊は戦ったが、空賊の数と立ち込める雷雲のせいで状況は良くなかった。そこへイカヅチ団盗伐のために出動していたカナリア自警団がやって来て、後は彼女たちに任せて被弾した機は輸送機と共に離脱してきたとエリカは語った。
『レオナさん、ユーカとベルをお願いします。このままじゃ…』
「わかった。その前にまず自分たちの心配をしろ。イヅルマは荒天のため着陸許可は下りない。空の駅に退避して、天候の回復を待つんだ」
『はい!』
まだ若く、元気な返事が返ってくる。付近の空の駅に向かって進路を変更するハルカゼ飛行隊を見送り、コトブキ飛行隊は彼女たちがやって来た方向へと機首を向ける。
『こちら羽衣丸。雷雲のせいで探知精度が下がっていますが、そちらの前方に複数の機影を確認。方位350、距離6000』
羽衣丸でレーダーを担当するアディから通信が入る。詳細な機数まで把握したいところだが、雷雲のせいで探知は難しい。雲の向こうの機影を捉えられただけでも御の字だ。レオナはアディに礼を言って、機首を北に向ける。
まるで大きな黒い綿あめのような雷雲が、前方に広がっている。標高が高いせいか地表付近まで立ち込める雷雲の切れ間から、雷とは違う一筋の光が見えた。戦闘機の曳光弾の航跡だ。
「見えた! …って、雲で見失っちゃったけど」
強風で雲が流れ、さっき見えた複数の機影は雷雲の向こうに消えてしまった。このまままっすぐ突っ込んでいけばすぐにハルカゼ飛行隊のユーカ達に合流できるだろうが、そのためには雷雲の中を飛行しなければならない。被雷する可能性や強風で地面に叩きつけられる可能性を考えると、雷雲を避けて戦闘空域まで向かう必要があるとレオナは考えた。
「レオナさん、まっすぐ行かないんですか?」
ふと、今まで黙っていたリーパーが口を開く。最後尾を飛ぶ彼は強風の中でもほとんど機体をふらつかせることなく、むしろ風に乗っているかのように安定した飛行を続けていた。
「ああ。時間はかかるが仕方ない。雷雲の中を飛ぶのは危険すぎる」
「あの何とかって飛行隊の人たちは、今も戦っているんでしょう? 一々雷雲を避けていたら、間に合わなくなるかもしれない」
「被雷したら墜落するかもしれないんだ。隊長として、可能な限り部下の命は危険に晒したくない」
レオナも5人の隊員の命を預かる身だ。雷雲の中を飛べ、なんて自殺行為も同然の命令を出すわけにはいかない。
レオナの言葉に、リーパーは無言だった。納得してくれたのか、と思ったレオナは、雷雲を避けて飛行するコースを選択する。そこかしこに雷雲が立ち込めているせいで、迷路を進むようにまっすぐ行くことは出来ないだろう。
「まるで雲の迷宮ですわね」
風貌の外を見てエンマが呟く。入ったら出てくることが出来るかもわからない、雲の迷宮。この迷宮を突破しなければ、ハルカゼ飛行隊の二名を救うことはできない。
「また光った!」
チカが雷雲の向こうを見て叫ぶ。仲間を逃がすために残ったユーカ達は、今も空賊と悪天候と戦っているのだろう。隊員の命を危険に晒すことが出来ないためとはいえ、まっすぐ彼女たちを助けに行けない自分を歯がゆく思ったその時、突然最後尾のリーパーが進路を変えた。
「おいリーパー、どこに行く!」
「先行して援護に向かいます。皆さんは後から合流を」
そう言ってリーパーの機体は、黒い雷雲の中に突っ込んでいった。すぐさま、雲に呑まれたその機影が視界から消える。止める間もない、あっという間の出来事だった。
「ちょっ、あいつ雷雲に突っ込んじゃったよ!?」
「無謀、命知らず」
「あの方、冷静なようでとんだ大馬鹿野郎みたいですわね」
後を追いかけるべきか迷ったレオナだったが、結局雲を避けて飛ぶコースを選んだ。仲間の命を危険に晒せないという思いもあったし、何より雷雲の中に突っ込んでいくだけの度胸がなかった。
「行かせていいの?」
「いいも何も、行ってしまったんだから仕方ないだろ。今の私たちに出来ることは、急いで彼と合流―――」
レオナが言い切る前に、さらにもう一機、編隊から離れた。キリエの機体だ。
「私も行く! あいつだけに任せてらんない!」
「あっ、キリエおい待て―――!」
キリエの機体が雷雲に飛び込んだ直後、まるで龍のような紫の稲妻が地面に向かって走っていった。直後、爆発音のような雷鳴が耳をつんざく。リーパーの後を追っていったキリエの機体も、雷雲の向こうに消えてしまった。
「あのバカ…!」
「彼も中々、キリエと同じで無茶する子みたいね」
「もっと冷静で後先考えて行動する奴だと思ったんだがな。二人とも後で説教だ!」
説教するためには、二人に無事に帰ってきてもらわなければならない。頼むから敵と戦う前に落ちてくれるなよ。そう思いつつ、レオナは大きく操縦桿を傾け、雷雲の間をすり抜けていく。
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