荒野のリボン付き   作:野獣後輩

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第三話 Freefall

『ボーンアロー隊、タキシングを許可する。滑走路手前で待機せよ』

 

 管制塔からの指示で、リーパーはスロットルレバーをわずかに前進させた。ターボファンエンジンのタービンが回転する甲高い金属音と共に、Su-30SMの機体が誘導路を前進し始める。彼に続き、オメガの搭乗するタイフーンもタキシングを始めた。

 

『雨とはツイてないな』

 

 オメガが空を見上げて呟き、リーパーは「ああ」と短く返した。天気予報では晴れだったのに、十数分前から急激に雲が空を覆い始めた。灰色の空から降り注ぐ雨粒がキャノピーに当たり、重力に引かれて地面へ流れていく。

 

『タキシング中になんだが、忘れ物はないよな? 俺はきちんと土産を忘れずに買ってきたぜ』

 

 数日間の日本滞在をオメガは十分満喫したようで、彼が基地に戻ってきた時、その両手には土産が入った袋がいくつもぶら下がっていた。それらは彼の私物と共に、ハードポイントの一つに取り付けられたトラベルポッドにまとめて詰め込まれている。オーストラリアに着いたら、買ってきたお土産を堪能するつもりなのだろう。

 

 リーパーは後部座席をちらりと振り返り、「大丈夫だ」と答えた。いつも後部座席を占有していたコプロは取り外され、射出座席には人一人入れそうな大きなダッフルバッグが一つ、シートベルトで固定されていた。

 

『いいよなお前は。複座だから後ろに荷物を放り込めて』

「じゃあ機体を交換するか?」

『俺はタイフーンが良いんだよ。まあミサイル一発くらいなら下ろしても問題はないと思うが』

 

 リーパーとオメガの機体の翼には、これでもかとばかりにミサイルがぶら下がっている。オーストラリアは未だに国連勢力の地域だが、そこに行くまでにユージア軍の襲撃を受ける可能性がある。

 ユージア軍は太平洋進出を試みており、近頃は太平洋上でもユージア軍の偵察機や爆撃機が目撃されていた。航空戦力だけでなく海上戦力も、太平洋沿岸の基地に集結している。

 

 それだけでなく途中上空を通過する東南アジアでは、海賊や空賊がのさばっているとも聞く。海賊は言わずもがな、空賊は輸送機や旅客機を襲撃し強制着陸させて物資を奪ったり、人質を取って身代金を要求してくる連中だ。装備は旧式のMiG-21などがほとんどだが、その数は侮れない。

 ヴェルナー社が開発したAA(アドバンスト・オートメイテッド)アヴィエーション・プラントは、既存の戦闘機を安価で大量に生産することを可能にした。その結果中古の戦闘機が大量にブラックマーケットに流れ、ゴロツキ連中が戦闘機まで保有する事態を引き起こしてしまっている。

 

「何事も無ければいいけど」

 

 リーパーは機体に満載したミサイルを使わないことを願った。途中の着陸予定はなく、まっすぐオーストラリアへ向かうコース。機内タンクに加えて胴体下に増槽をぶら下げていても途中で給油が必要になる距離のため、太平洋上で空中給油機と合流する予定だ。

 

『ボーンアロー隊、離陸を許可する。良い旅を』

 

 管制官から離陸許可が下りる。スロットルレバーをさらに前進させ、エンジンを全開。あっという間に機体が加速していき、格納庫や駐機する機体があっという間に後方へと流れていく。キャノピーを打ち付ける雨粒も、筋になって流れて視界から消えていく。

 

 テイクオフ。

 

 リーパーはランディングギアを格納し、機首を南に向けた。地面を埋め尽くしていた田んぼはあっという間に見えなくなり、変わって高層ビルが立ち並ぶ無機質な都市部が下に見えてくる。日本国の旧首都、エリアJ4E(東京)

 視点を西に転じると、墨田川の近く、かつて押上駅があった場所に、巨大なクレーターが形成されている。かつて世界中に降り注いだユリシーズの破片。その一つは日本の首都であった東京にも落下し、甚大な被害をもたらした。クレーターの外縁部は山のように高く連なり、中心地点には海水が流れ込んでいて、まるで湖のようだった。

 

『懐かしいなあ。お前が最初のミッションに出撃したのも、ちょうどここだったよな』

 

 クレーターの上空を飛行しながら、オメガが感慨深げに言った。東京に出現した所属不明無人機の迎撃任務。それがリーパーがアローズ社に入り、初めて参加した作戦だった。

 

『あれからまだ二年も経ってないなんてな。あの時のルーキーが、今や誰も追いつけないエースパイロットだ』

「オメガのおかげだよ。アローズに入ったばかりの俺に色々教えてくれたし」

『へへ、まあな。感謝しろよ』

 

 リーパーはクレーターを見下ろして、自分が初めて実戦を経験してからそれほど経っていないことに驚く。もう何十年も空を飛んでいるような気がしているのに。

 たったの二年で、自分はどれだけの敵機を落としてきたのだろうか。リーパーは途中から数えることを止めていた。作戦記録を見ればわかるのかもしれないが、数える気は起きなかった。

 

 

 

 まだほんの少ししか実戦の空を飛んでいない。にもかかわらず今やリーパーは敵から恐れられ、味方から歓声と共に迎えられるエースパイロットとして名を馳せていた。二年目のパイロットと言ったらまだまだルーキー扱い、ペーペーの下っ端で当然なのに、リーパーはボーンアロー隊の隊長を任され、時折他部隊と行われる合同作戦においても、当たり前のように隊長を命じられた。

 それに異を唱える者はいなかった。それどころか「リーパーについていけば生き残れる」とばかりに、皆が進んでリーパーの編隊に入りたがった。「死神の下は安全地帯だ」、地上部隊ではそう言われていると聞く。

 他のパイロットたちは、リーパーの下で飛べば自分も生きて帰れると確信しているようだった。そしてリーパーは彼らの期待を裏切ったことはない。

 

 

 移動とはいえ、こうして久しぶりに戦闘以外で自由に空を飛べることが嬉しかった。守るべき味方も撃ち落とすべき敵機もない、ただ飛べばいいだけの任務。

 そういえば、なぜ俺は空を飛ぼうと思ったんだろう。ふとリーパーは思った。リーパーのTACネームを与えられる遥か以前から、彼は空を飛びたいと思っていた。だがその理由は今になっては思い出せない。子供の頃、俺はなぜ広大な空に向かって手を伸ばしていたんだろう―――。

 

 

 

『雲に入るぞ、着氷に注意しろ』

 

 オメガの言葉でリーパーは我に返る。前方には分厚く、灰色の雲が広がっていた。予定のコースを飛行するには、この雲の塊を突っ切らなければならない。

 

「了解」

 

 リーパーはそう返して、雲に突入した。あっという間に視界が真っ白に染まる。計器がなければ、上下の間隔を失ってしまいかねない。もっとも、リーパーは空間失調症になったことなど一度もないが。

 続いてオメガの機体が雲に入るのを、リーパーはレーダーで確認した。―――が、次の瞬間、一気に視界が真っ暗になった。まるで見えないブラインドが一斉に降りたかのように、操縦席から見える光景が一気に暗闇に包まれる。

 

 

 

 ブラックアウト―――ではない。操縦席内の計器類ははっきりと見えている。まるでキャノピー全面を黒いペンキで塗りつぶされたかのように、操縦席から見える周囲の光景が全て闇に包まれている。

 

「なんだ?」

 

 レーダーを確認する。スクリーンには、すぐ後ろをついてきていたはずのオメガの輝点(ブリップ)が表示されていない。

 まさか、また墜ちたのか? 一瞬そう思ったが、無線機からはオメガの喧しい声が聞こえてくる。

 

『おいリーパー無事か!? こっちのレーダーからお前の機影が消えた、今どこだ!?』

「わからない、真っ暗で何も見えない」

『真っ暗って、こっちは快晴だぞ? 雲の上は青空だ、それに今は昼間だぞ』

 

 どうやらオメガは無事のようだ。リーパーは内心胸を撫でおろした。

 しかし、これはどういうことだ? 自分より後に雲に突入したオメガが、自分より先に雲から出ている。

 

 

 突然機体が小刻みに振動を始めた。リーパーは計器を確認した。GPSと作戦本部とのデータリンクシステムがダウン。高度計、速度計、気圧計は正常に動いているようだが、周囲が暗闇に包まれているこの状況では、表示されている情報が正しいのかすら判断できない。

 自分が今どこを飛んでいるのか。そもそも前進しているのか静止しているのかすらもわからない。

 

「何も見えない、ここはどこだ?」

『GPSは使えないのか?』

「さっきからエラーのままだ。現在位置を見失った」

 

 しかしリーパーがこの漆黒の空間に突入した時と同様に、終わりも唐突にやってきた。機体の振動が止まる。いきなり視界が晴れ渡り、眩しい光が目に突き刺さる。

 

 

 

 

 

 見渡す限り一面の青空が広がっていた。雲一つない青空。先ほどまでの雨雲はどこへ行った? リーパーは周囲を見回し、そして絶句した

 地上には、見渡す限りの荒野が広がっていた。茶色い大地が水平線の彼方まで広がっている。

 

「ここはどこだ?」

 

 さっきまで自分がいた場所は、灰色の都会である東京上空だったはず。そのまま予定通り南に飛行していたら太平洋に出るので、下に見える光景はどこまでも続く大海原でなければならない。仮に雲の中で方向を間違えたのだとしても、こんな広大な荒野がどこまでも続く大地は、日本にはない。

 

 もしかして飛行中に意識を失い、気づかない間にユーラシア大陸まで飛行を続けていたのか? そう考えたが、腕時計の針はリーパーが雲に突入してから数分も経っていなかった。時計と自分の感覚を信じるなら、今いる場所は太平洋上でなければならない。こんな広大な荒野が視界に入るはずがないのだ。

 

『リーパー、無事か?』

「ああ、なんとか。そっちは?」

『俺も無事だ。現在地点は太平洋上、下に海上自衛隊の艦隊が見える』

 

 オメガとの無線通信だけは、辛うじて繋がっていた。どうやら彼は予定のコースを飛行中らしい。

 

『レーダー、目視共にお前の機体を確認できない。今どこだ、何か見えるものはあるか?』

「わからない、ここはどこだ? 下には一面の荒野が広がってる」

『荒野? 何を言ってるんだ、大地が見えるはずないだろ』

「でも現にここは…」

 

 

 周囲を見回したリーパーの視線は、青空の一点で止まった。青い空のど真ん中に、穴が開いている。

 

 言い方は適切ではないのかもしれないが、穴という以外に他に適切な表現が思いつかなかった。

 

 青空に大きな光る輪っかが浮いていて、輪っかの中はそこだけ周囲の空間と色が違って見える。何もない空間に冗談のように開いている穴の向こうの景色は水面のように揺らいでいて、そして唐突に穴が縮小を始めた。

 

 もしかして自分はあの穴を通ってここに来たのか? そう思ったリーパーは機体を反転させた。あの穴からここに出てきたのであれば、あそこを通れば元いた場所に戻れるかもしれない。しかし穴は急速に小さくなっていて、リーパーは穴の周囲に三つの輪っかが重なり合っているのを見た。細い雲のようにも見える輪っかは揺らぎながら、急速に離れていく。

 

 今まで重なっていた三つの輪っかは時間と共にさらに離れ、その距離が広がるにつれて穴の大きさもどんどん縮小していく。さっきまで戦闘機が入れそうなほどの大きさだった穴は、今は車一台がやっと通れるかというほどの大きさで、しかも揺らいで今にも消えてしまいそうだ。

 

『…い、聞こえ…か? 応……ろ』

 

 おまけに無線通信にノイズが混じるようになってきた。リーパーもオメガに呼びかけたが、彼がリーパーの言葉を受け取った気配はない。何度も自分を呼ぶオメガの声は、やがて完全にノイズにかき消された。

 それと同時に穴は完全に消滅し、空に浮かぶバラバラに離れた三つの輪っかだけが残った。その輪っかもしばらくすると消えてしまい、エンジン音を轟かせて飛行を続けるリーパーのSu-30SMだけが虚空に取り残された。

 




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