せめて物語だけは閲覧できるように残しておいて欲しいです。
あの荒野の世界にいつでも戻れるように…
その日、イヅルマ飛行場には各都市の飛行隊が集まり、さながら戦闘機の見本市のような光景が繰り広げられていた。イジツ中の戦闘機を集めたのではないかと思うほどの数の戦闘機と、ありとあらゆる種類の機体。そこかしこを整備員たちが駆け回り、始動したエンジンが空気を震わせる。
「あらぁ? コトブキ飛行隊の皆さんじゃないですかぁ」
駐機場の一角で機体のメンテナンスを行っていたコトブキ飛行隊に気づき、一人の女性が駆け寄ってきて、派手に転ぶ。肩と胸元が大きく露出したボンテージに身を包み、くねくねと身体を揺らしているのは、ショウト自警団長のカミラだった。
「一騎当千のコトブキ飛行隊の皆さんが一緒ならぁ、この作戦は成功したも同然ですよねぇ」
「え、ああ…だが油断はしない方がいいと思う」
「それもそうですよねぇ。富嶽製造工場襲撃の時も、油断で酷い目に遭いましたもんねぇ」
独特なテンションが苦手なのか愛想笑いを浮かべるレオナと、それに気づかないのかやたらと絡んでくるカミラ。レオナが戸惑う間にも、勝手に話は進んでいく。
「そういえばぁ、シノってヒドいんですよぉ。せっかくイヅルマに来たんだからシノの部屋に泊めてもらおうと思ったらぁ、シノったら部屋の鍵かけてどっか行っちゃってたんですよぉ」
「はあ…それは大変ですね」
「だから私ぃ、イヅルマ自警団の部屋で寝ててぇ…あれ? そちらの方は誰ですかぁ?」
パイロットにしては奇抜過ぎる格好のカミラを唖然と見ていたリーパーに気づいたのか、素早くカミラが近づいてくる。絡んだら面倒そうだから関わらない方がいいと頭の中で警報が響いていたが、時すでに遅し。
「もしかしてぇ、コトブキ飛行隊の新入りさんですかぁ?」
「いや、俺は…」
「ですよねぇ。女用心棒集団のコトブキ飛行隊に男がいるなんておかしいですよねぇ。あ、じゃあ整備士さんですかぁ? でも整備士っぽくない恰好ですけどぉ」
見かねたらしいザラが、「彼は今オウニ商会で面倒を見ているの」と助け船を出す。ユーハングの人間であるということは、伝えたらさらに面倒くさいことになりそうなので、敢えて言わなかった。
「そうだったんですかぁ。じゃあ、あなたもどこかの飛行隊にぃ?」
「いえ、今はフリーランスみたいなもんで…」
「フリーならぁ、ショウト自警団が現在人員を募集中ですよぉ! 街の復興やら空賊撃退やらでぇ、もう人手が足りなくってぇ」
あははそうですねぇ、考えておきますねと、愛想笑いを浮かべるリーパー。今できるのは適当に相槌を打って、さっさと彼女が別のものに興味を持ってもらうようにすることだけだ。
それにしても、奇抜な格好だと改めて思う。ボンテージに加え、ハイヒールとは。まるでどこかの悪の組織の女幹部のようだ。鞭を持たせたらさぞかし似合うことだろう。ハイヒールなんかで戦闘機のペダルをちゃんと踏めるのだろうかと、リーパーは不思議に思った。
「あ、これですかぁ? 大丈夫ですよぉ、きちんと私の飛燕のペダルには金具が付いてますからぁ」
なぜ考えてることがわかった、とリーパーは思った。こんな見た目だが自警団の団長ということもあるので、意外と鋭い人間なのかもしれない。
適当な相槌と愛想笑いでカミラの話を聞き流すリーパー。そんな彼に向かって滑走路を走ってくるのは、カナリア自警団のアコだった。
「あっ、いたいた! おーい、リーパーさん!」
「えーと、あなたは…」
「私ですよ! カナリア自警団の…」
「ああ、アカさんでしたっけ?」
真顔でそう答えたリーパーに、思わずずっこけるアコ。「あらあら」とザラが微笑ましくその様子を眺める横で、キリエは「相変わらず名前を覚えるのが苦手なんだね」とリーパーを小突いた。
そういえばイサオも中々人の名前を覚えようとしない奴だったな、とキリエは思った。アレシマで警護したにも関わらずレオナの名前を忘れていたり、キリエの師匠であり自分の手で撃墜したサブジーの名前すら憶えていなかったり。それでいて空戦の腕前は誰よりも高い。性格は正反対だが、リーパーとイサオは似ている。
「アコです! アコ!」
「すいません、名前を覚えるのが苦手で」
「この間会ったばかりじゃないですか! それより、リーパーさんにお伝えしたいことがあって来たんですよ!」
「伝えたいこと?」
「はい! さっき戻ってきた自警団の哨戒機からこんな写真が届いて…」
アコは脇に抱えていた封筒から、コピー用紙ほどの大きさの写真を取り出した。モノクロ印刷で鮮明ではないものの、映っているのは空のように見える。
その空のど真ん中に、変わった形の雲が浮かんでいた。輪っかのような雲が三つ、今まさに重なり合おうとしている瞬間の写真だ。
「これは穴が発生する前兆。過去にラハマやイケスカでも、穴が発生する時にこのような雲が発生していた」
「あ、私もアレンと一緒に見たことある!」
キリエが見た雲は結局「穴」には成長しなかったし、その後イサオの手下に襲撃されて観察どころではなくなってしまったが、写真に映っているのは確かにアレンと一緒に赤とんぼで見た「穴」が発生する際に現れた雲だった。三つの輪っかのような雲が重なり合って一つになると、別の世界へ通じる「穴」へと成長する。
「この前『穴』が開いたら教えてくれって頼まれていたので…あれ?」
胸を張るアコだったが、リーパーはそんな彼女には目もくれず、写真を穴が開きそうなほど見つめていた。
もしかしたら帰れるかもしれない―――彼がそう考えていることは、この場にいる誰もがわかっていた。そのためにリーパーはオウニ商会と共に各地を回り、「穴」に関する情報を集めているのだ。故郷であるユーハングの世界に帰るべく。
そして今まさに、その手段が現れた。今のリーパーは空賊討伐任務への出撃待機中の身ではあるが、空賊を倒すのと故郷へ帰るのと、どちらが大事かと言われれば考えるまでもない。それを察したレオナは、「行った方がいい」と先に声を掛ける。
「せっかく君の故郷に帰れるかもしれないチャンスがあるんだ。早く行くべきだ」
「そうよ。空賊退治は私たちに任せて、あなたは『穴』に向かうべきよ」
レオナとザラにそう言われ、リーパーは写真とコトブキ飛行隊の面々を交互に眺めた。そして大きく息を吐くと、彼女たちの目をまっすぐに見つめる。
「すいません、俺はこっちに行きます」
そう言って写真をかざすリーパー。もしも自分たちが同じ立場だったら、きっと元の世界へ戻ることを優先するだろう。キリエはそう思った。そもそもリーパーはこの世界にとっての部外者、イジツの安全を守るための戦いに彼を巻き込む道理はない。
「案内をお願いします。ここから距離はありますか?」
「いえ、飛行機で30分ほどの距離です。ちょうどカナリア自警団が『穴』付近の警備に向かうように命令があったので、私たちについてきてください」
「ちょっと、あんたが乗ってきた戦闘機はどうすんの? あれに乗って帰らないの?」
チカが言っているのは、リーパーがイジツに迷い込んだ時に乗ってきたSu-30のことだろう。今あの機体は、遠く離れたラハマの洞窟の中だ。行って戻ってくるまでに、相当時間がかかる。フルスロットルで隼を飛ばしても、一日で戻ってこれる距離ではない。
それにラハマからイヅルマまでは距離があるので、その分フランカーの燃料を消費してしまう。こっちに来る頃には、燃料タンクの中身がほとんど空になっているだろう。そのまま「穴」に突入しても、あっという間に燃料切れで墜落だ。
「偶然出現した穴の場合、世界間の接続が安定しないことが多い。ラハマに戻る間に穴が消える可能性もある。このまま行くことを推奨する」
ケイトの言う通り、アレンの計算外で出現した「穴」であれば、大きさは安定していないだろうし消滅までの時間も短いだろう。過去に何度もそういった「穴」が短時間で現れては消え、イケスカのF-86Dのようにイジツに迷い込んできた者も多い。リーパーもその一人だ。
「このまま隼で行きます。海のど真ん中でもない限り、何とかなるでしょう」
増槽無しでも隼ならば1000キロ以上は飛べる。「穴」の開いた先が太平洋のど真ん中でないことを祈るばかりだが、その場合は無線で遭難信号を発して救援を要請するしかない。
それにリーパーはこうなった時に備えて、常に衛星携帯電話をリュックの底にしまい込んでいた。イジツでは使い道のない道具だが、フランカーに搭載してある無線機を取り外して持ってくるわけにもいかない。仮に地球に戻れた時には、この衛星携帯でアローズ社か国連軍に連絡を取ることが出来る。
「もし俺が地球に帰れたら、フランカーはオウニ商会で引き取ってください。あと、羽衣丸に置いてきた荷物で使えそうなものは皆さん自由に持って行って構いません。俺の端末はケイトが持ってた方が役に立つでしょう」
「感謝」
イジツにおける航空戦を一変させかねないフランカーを、金や権力のことしか頭にない大企業や悪徳政治家に渡すのは不安だ。だがオウニ商会であれば信用が出来る。イジツの発展のためにフランカーを研究するにしろ、危険な存在と見なして破壊するにしろ、ルゥルゥたちが決めたことであればどんな選択であっても納得は出来るだろう。
「わかったわ、気をつけてね」
「幸運を祈っていますわ」
「安全祈願」
「もしユーハングに戻ったらウーミ探してね、絶対だよ!」
別れの言葉とも、激励ともとれる言葉を交わす。「頑張れ」とレオナの言葉に頷き、リーパーは自分の隼に飛び乗った。既に他の飛行隊は離陸を始めていて、ちょうどコトブキ飛行隊の順番が来ている。
「…帰れるといいね」
「ああ。そっちも気をつけて」
「はいはい」
キリエとそう言葉を交わし、リーパーは隼のエンジンの始動準備を始めた。地上に降りたナツオら羽衣丸クルーがいつものように機体に取りつき、イナーシャハンドルを回してエンジンに点火した。ここ数週間で隼のエンジン音とその振動も、完ぺきではないシール部分から洩れるオイルの臭いも、すっかり自分の身体の一部のように馴染んでいる。
尾輪式のため前方に持ち上がっているエンジン部分で視界は遮られ、蛇行して前方を確認しつつ7機の隼は滑走路まで前進する。イヅルマの管制塔から離陸許可が出て、レオナの機体を先頭にコトブキ飛行隊が離陸を開始した。そこからやや遅れて、リーパーの乗る青い隼も滑走を開始する。
この荒野の世界ともこれでおさらばできるのだろうか。ふわりと浮いた隼の操縦席で、リーパーは思う。地球に戻れたら、まずは何をすべきなのだろう。自分が今まで見てきたことや聞いてきたことを全て報告したところで、まともに取り合ってもらえるとは思えない。しばらく休んだ後、またいつも通り任務に就く。そんなところかもしれない。
任務。そこでリーパーは、地球ではまだ戦争が続いていることを思い出す。ユリシーズの厄災から続く、何千万人もの人々の命を奪ってきた戦争。自分はまた、あの破壊と死しかない空で飛ぶこととなるのだろうか。リボン付きの死神と称えられ、恐れられ、命令に従って人を殺す。あの日々に戻るのだろうか。
どこまでも果てしなく荒野が続き、そこら中に危険が転がっている世界であるイジツ。レーダーもGPSもなく、少しでも方向を間違えば不毛の荒野を彷徨うことになり、不時着したところで誰かが必ず助けに来てくれるわけでもない世界。空でも陸でも死は当たり前、ほんの些細なことでも死につながる世界だ。
だが、ここには破壊が無い。たった一発で、ほんの一瞬で戦闘機の編隊すら消し飛ばすほどの散弾ミサイルや、脱出したパイロットまでも無慈悲に殺す無人機もない。戦いでものを言うのは己の腕だけ。互いの空戦技術の差が勝敗を、生者と死者を分ける世界だ。
イジツでは争いが絶えないが、街同士が離れているから陸戦は滅多に起きない。一隻船が沈むだけで大勢死者が出る海戦は、海が無いイジツでは当然起こりえない。市街地の上空でドンパチやるのでもない限り、荒野で起きる空戦で死ぬのはパイロットだけ。一度の戦いで何百人、何千人も死ぬような地球の戦争とは違う。
本当に帰っていいものか。帰ればまた、あの破壊しかない空に戻ることになる。それよりもこの荒野がどこまでも続く世界で、自分の好きなように飛んでいる方が楽しいんじゃないか? そんな考えが頭をよぎったが、リーパーはランディングギアを格納すると、操縦桿をコトブキ飛行隊が向かうのとは反対方向へと傾ける。
今の自分は国連軍の兵士だ。それに地球ではリーパーの帰りを待っている人々が大勢いる。リーパーの家族や友達だって、行方不明になった彼を心配しているだろう。彼らを安心させるため、彼らの信頼と期待を裏切らないためにも、今は帰らなきゃいけない。
いくら心が惹かれていても、地球こそがリーパーの故郷だった。イジツは自分のいるべき場所ではないし、帰りたいという気持ちも本当だった。
リーパーはコトブキ飛行隊の編隊と離れ、先に離陸していたカナリア自警団の紫電を見つけると、そちらに機首を向ける。彼を待っていたアコたちはリーパーの隼が追い付いたのを確認すると、「穴」の前兆らしき雲が確認された場所へ進路を取った。
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