翌朝。ラハマ飛行場の周辺には大勢の住民が集まり、滑走路に引き出された一機の戦闘機を遠巻きに眺めていた。自警団員が集まる住民らを飛行場に入らないよう整理に当たっているが、その団員たちの視線も時折滑走路に向いてしまっている。
「なんだぁ? エルロンが垂れ下がってるじゃないか。故障か?」
いつも通りのタンクトップ姿のナツオが、滑走路上のフランカーを間近で見ながら指摘する。整備士という職業柄、未知の機体に対する興味があるらしい。リーパーとしても機体の見学を断る理由はないので、時折ナツオから飛んでくる質問に答えつつ離陸の準備を始めていた。
「この戦闘機は隼みたいにケーブルでエルロンやラダーを動かしてるわけじゃないんです。操縦桿の動きを電気信号に変換して、アクチュエーターまで伝達しているんです。だからこうして駐機している時は電気信号が来ないから…」
「エルロンも力が抜けた感じになるってか。ケーブルに繋がった操縦桿を力いっぱい引くより、そっちの方が楽そうだな」
「まあ簡単に操縦桿の動きが反映されてしまうので、下手に倒すと急激な機動で気絶しかねないんですけどね」
フライバイワイヤの機体は、キリエ達が乗る隼のように操縦桿を思い切り引かずとも、数ミリ動かしただけで機体が思い通り動いてくれる。その反面システムにバグがあったら即墜落、なんて事態もありうるので、アナログ式と比べて一長一短だが。
「こいつがジェットエンジンか。実物を見るのは初めてだな」
ナツオがそう言って機体後方に回り込む。危ないのでエンジン始動時には離れるように注意しておいてから、リーパーは松葉杖をついてやって来たアレンの姿を視界の端に認めた。
「いやあごめんごめん、この耐Gスーツってのを着るのに手間取っちゃってさ」
今のアレンはリーパーが貸した予備のパイロットスーツに加え、同じく予備で持っていた耐Gスーツを下半身に纏っていた。まだ完全に足を自由に動かせない彼にとって、着るのは難しかっただろう。
「この耐Gスーツってのは興味深い代物だね。急激なGがかかると膨らんで、下半身に血が溜まらないようにする。そうすることで失神を防げるってわけか」
「これがあれば、より大胆な戦闘機動を行うことも可能」
アレンの着替えを手伝っていたケイトが、耐Gスーツを摘まみながら言った。ケイトは興味津々と言った感じで、アレンに負けず劣らずリーパーにフランカーや装備品のことを次々と尋ねてくる。最初見た時は無口な人なのかと思っていただけに、リーパーにとっては意外だった。
「邪魔かもしれないけど我慢してくれ。でないと飛行中に、上と下から色んなモノを垂れ流しながら気絶する羽目になる」
「ユーハングの最新鋭戦闘機に乗せてもらうんだ、文句は言わないさ。フライト前にお酒が飲めればもっと良かったんだけどね」
「朝っぱらから酒を飲まないでくれよ。吐いたら許さないからな」
「はは、わかってるって」
「本当にわかってるのかな…」
アレンのパイロットスーツのポケットにスキットルが収まっているのを見て、没収。耐Gスーツをちゃんと着ていることを確認してから、フランカーの操縦席脇に立てかけられたラダーをアレンが上るのを手伝う。下から彼の身体を押し上げ、後部座席に座らせる。
「これが計器の代わりになるのかな?」
アレンが操縦席に据え付けられたモニターを指さして言った。グランダー社の手によってグラスコックピット化された操縦席には、アナログ計器の類はほとんどない。必要な情報は全て、座席正面に取り付けられた数枚のモニターに表示される。
操縦席にアナログな計器が無いことから、モニターが計器代わりになるのだろうという考えに至ったアレンはやはり研究者といったところか。リーパーはアレンの身体をハーネスで座席に固定しつつ、彼の洞察力の深さに舌を巻いた。
「そうだ。でも飛行中は一切触らないでくれ。一応後部座席の操縦系統と
FCSという単語の意味は分からないだろうが、後部座席からの機体操作は一切できないことだけはわかったらしい。「了解。僕の運命は君次第だね」とアレンは笑った。
「座席の足元に黄色と黒のレバーがあるだろ? それは絶対に、俺がいいというまで触るなよ」
「これは何かな?」
「それを引くとキャノピーが吹っ飛んで、ロケットで椅子ごと上空に放り投げられる。緊急用の脱出装置だ。万が一機体が操縦不能になった際には俺が指示するから、それまでは絶対に引かないでくれよ。引いたらもう飛べなくなるからな」
ダチョウ倶楽部じゃないからな、とリーパーが言うと、なんだいそれはとアレンは首を傾げた。だが射出座席のハンドルは引いてはいけないということはきちんと伝わったようだ。
「パラシュートの操作は出来るよな?」
「もちろん。こう見えても僕は飛行機乗りだからね」
「安心した。じゃ、万が一の場合でも大丈夫だな」
ヘルメットを被らせ、酸素マスクの装着方法を教える。アレンの準備が終わったことを、隣で前席の様子を眺めていたケイトに伝える。
「それじゃあ、君のお兄さんを少しお預かりする」
「もしかしたら一緒にユーハングに行くかもしれないけどね」
「了解。兄をよろしく」
ケイトがラダーを降りて、飛行場の一角に駐機する隼の群れへと走っていく。今回の調査飛行には、コトブキ飛行隊も同行することになっていた。先に離陸し、昨日リーパーがイジツへ迷い込んだ「穴」がある空域に向かうことになっている。
「それにしても、凄い人だかりだな。まるで航空ショーだ」
コトブキ飛行隊が離陸したのを見計らって、リーパーも操縦席に収まる。羽衣丸のクルーがやって来て、ラダーを外す。ナツオたちはそのまま滑走路脇まで退避し、滑走路にはフランカーのみが残される。
「昨日あんなにエンジン音を派手に鳴らしてたからね、皆この戦闘機の存在に気づいてるさ」
「あのスーツ姿の人たちは?」
滑走路内でユーリアと共に、十人ほどの恰幅のいいスーツ姿の男たちが、フランカーを見て何事か言葉を交わしていた。住民の滑走路への立ち入りは禁止されているはずだが、とリーパーは呟く。
「あれはガドールから来た議員たちだよ。皆どこかの商会の代表さ」
「ガドールって、ここよりも大きい街だっけ?」
「そう、イジツでも有数の大きさを誇る街。賄賂と汚職が蔓延する都市さ。きっとあの議員たちも、この機体に目をつけているだろうね。ユーハングの最新鋭の戦闘機、欲しがらない人はいないよ」
イジツの航空技術については、70年前からほとんど変わっていないらしい。「穴」を通ってイジツにやってきたユーハング―――日本軍は、イジツの各地に工廠を建設し、技術を広めた。だがそこから技術の発展がほとんど起きていないのだという。
ユーハングが残した工廠は今でも稼働しており、そこで多くの航空機が作られている。だがそこで用いられている図面は70年前のもので、自分たちで一から新しく設計した飛行機が作られたことはない。模倣はできても、創造は出来ていない。
戦国時代に自動小銃とそれを作る工場が持ち込まれたようなものか、とリーパーは思った。イジツの文明が自力で飛行機を作るレベルに達していない状態で、ユーハングが飛行機を持ち込んだ。一から理論と技術の積み重ねがない状態だから、図面を自分たちで引くこともままならない。あるいは、求められている航空機のレベルが現状の第二次大戦レベルのもので良しとされているのか。
「自分たちでオリジナルの飛行機を作ろうとは思わなかったのか?」
「ユーハングが残した図面に頼らないで、自分たちで一から飛行機を作ろうって人もいるよ。エンジンや飛行機を
「ああ。作っている最中に戦争に負けた。まさかこっちで実用化されているとは思わなかったけど」
「僕らはユーハングが残したものからしか飛行機を作れない。この世界を発展させるためには、もう一度ユーハングに来てもらうしかないという人もいるくらいだ。だからこの戦闘機はイジツに革命をもたらす。君たちの世界で70年分進歩した技術の結晶だからね」
もしもイジツに地球並みの技術と文明があれば、今頃こっちでもフランカーが飛んでいたのだろうか。リーパーはそんなことを思いつつ、離陸準備を整えていく。
「フラップ、ラダーが動作しているか確認してくれ。まずは右からだ」
「右ね」
ジェットフューエルスターターを起動。エンジンを始動させ、甲高いタービンエンジンが空気を震わせ始める。古い戦闘機ならば電源車が無いとエンジンを始動させられないが、この機体は操縦士がエンジンマスタースイッチをオンにすれば周りの手を借りずともエンジン始動が可能だ。リーパーはアレンに指示を出し、操縦桿やペダルを操作する。アレンは振り返り、指定した部位が稼働しているか目視した。
「問題なし」
「次は左だ」
「こっちも異常なし」
続いて兵装システムを確認。可能な限り戦闘は避けたいが、万が一と言うこともある。こちらはアレンに頼まず、一人でチェックを行う。機体に常時自己診断プログラムを走らせている
機関砲は昨日の威嚇射撃で10発ほど消費してしまったが、まだ弾倉は9割が埋まっている。ミサイルはハードポイントを介して懸架されてものが、短距離と中距離合わせて12発。フレア、こっちは使っていないので一切損耗無し。
燃料系統も問題なし。増槽を装備しているおかげで、機内燃料は満タンのままだ。急激な戦闘機動やアフターバーナーを多用しなければ、3000キロは飛行できる。
「ラダー、フラップ、スラット、問題なし。燃料、FCS、計器、問題なし」
「なんだかドキドキしてきたよ」
「頼むから吐いたりしないでくれよ。準備は良いか?」
「いつでもどうぞ」
アレンのその返事で、リーパーはラハマ管制塔を呼び出す。離陸許可が出る。こちらでは航空管制もあまり発達していないのか、そもそも管制自体を行うことがないのか、地球での離陸に比べると随分おおざっぱな指示だった。
エンジン出力を上げ、タキシングを開始。機体を滑走開始位置まで前進させる。最後に周囲を見回すと、リーパーはスロットルレバーを目いっぱい前進させた。
「ボーンアロー1、離陸する」
轟音と共に滑走路を前進するフランカーを、ルゥルゥはサネアツら羽衣丸クルーと共に見つめていた。レシプロ機のそれとは比較にならないほどのエンジン音を轟かせながら、猛然とフランカーは加速を続けていく。そしてふわりと宙に舞った。
「凄い音…」
アンナが呟いた直後、ランディングギアを格納したフランカーの機体が急上昇した。機首を天に向け、まっすぐ空へと昇っていく。隼であれをやろうと思っても、十分な速度を得られていないから無理だろう。この短距離、短時間で急上昇が可能なほどの推力を得られるとは。
「綺麗…」
アンナの隣でフランカーを眺めていたマリアは、思わずそう口にしていた。あの戦闘機は、イジツのどの戦闘機とも違う。流線型のフォルムはまるでナイフのように鋭く、それでいてどこか美しさを感じさせるシルエットを描いている。イジツの戦闘機は武骨だが、フランカーは機能美というか、優雅さを感じさせる。
飛行場脇でフランカーの離陸を眺めていたラハマの住人達がどよめく。急上昇したフランカーは翼の端から雲を引きながら、あっという間にラハマの町の脇にそびえ立つ丘の高さを超え、進路を変えてコトブキ飛行隊が飛び立った方向へ向かって飛び去って行く。隼や零戦、それどころか雷電ですら追いつけないほどの速度だった。ジェットエンジンの爆音を残して、フランカーはあっという間に空の向こうへ消えていく。
「あれがユーハングの戦闘機なんですね」
「そうよ。しかもそれが穴の向こうでは何百機、何千機と飛んでいる」
そう言うルゥルゥの目は、フランカーが消えていった空に向いたまま。もうフランカーの機影はゴマ粒ほどの大きさにしか見えなくて、瞬きしたら見失ってしまいそうだった。
ユーリアと共にやって来た議員たちが何事か言葉を交わし、彼らの周りを秘書らしき男たちが駆け回っている。恐らくガドールの街で自分が社長を務めている会社に一報を入れているのだろう。きっと今頃、あの議員たちは頭の中で算盤を弾いているに違いない。リーパーとフランカーを手に入れたらどれだけの利益が得られるのか、そして彼を自分たちの側に取り込むにはいくら金を積めばいいのか。
「世界が変わるわよ」
ルゥルゥが言う。アンナは今、自分が歴史が変わる瞬間に立ち会っているのかもしれないと思った。
ご意見、ご感想お待ちしてます。