魔法少女つばさ☆マギカ   作:辰真

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魔法少女つばさ☆マギカ番外編第一弾。内容的には次回と合わせて5.5章に該当する前後編となります。
本編で殆ど描写できなかった家族に関する部分をメインにしつつ、つばさ君のちょっとした成長を描くお話です。


番外編『Extra Story』
EX-01『家族(前編)』


 家族と言うものはどんな人間にも付いて回る問題だ。だがそれと同時に学ぶことも多い。

 家族を事故で亡くした少女はその大切さを知り、また円満な家庭で育った少女も別の形でその大切さを理解する。しかしもう一人、お世辞にも円満などという言葉が当てはまらない家族を持っている少年は何を学ぶのであろうか。

 これはそんなお話。つばさがまだ魔法少女であり、彼の母親が存命だった頃の、ちょっとした騒動。

 

 

 

魔法少女つばさ☆マギカ ExtraStory01『家族(前編)』

 

 

 

 天気は曇り、まるで今の現状を表しているかのように、ひと雨降りそうな天候だ。いや、既にひと雨降ったと思った程度に事態は深刻なのだから、これ以上の悪化は避けてほしい所である。

 

『それじゃあ美樹先輩、今日はお休みしてるんですね……』

 

 陰鬱な表情を浮かべながらも、つばさは何時も通りの抑揚で念話を発した。その相手はたった一人、まどかだ。彼がなんとか自身の感情を抑えているのに対して、まどかは沈んだ感情を隠さずに答える。

 

『うん……マミさんは?』

 

『マミさんはなんとか来てます。……あの後なんとか落ち着いてくれたので昨日みたいな事はもうないと思うんですけど…………』

 

 そう言われても不安ですよね。その言葉を言外で発しながら、つばさはまどかとの会話を続ける。昨日の一件でさやかが受けた心の傷が相当のものだと言う事は彼の想像に難くない。むしろあれだけの事をされても平気でマミと居られるつばさの方がおかしいだろう。その自覚もあった。

 

『……つばさ君は、マミさんが怖くないの? ……死ぬかもしれなかったんだよ?』

 

 ほら来た。まどかからの問いをどう答えたものか。つばさは考える。

 まどか自身、つばさの行動が信じられないという物ではなさそうだ。ただ純粋に、同じ目にあったさやかの問題を解決するための糸口を探しての事だろう。だがその期待には答えれそうにない。

 

『怖くないですよ』

 

 つばさはきっぱりと答えた。確かに、普通に考えて殺されかけた相手に平気で接する事ができるなど正気の沙汰ではない。常識的に考えずともさやかのような反応をして当たり前なのだ。

 だがつばさは違う。家も、心も、身体も、元から普通ではないのだ。今さらこの程度の事で誰かを拒絶する理由にはならない。

 

『変ですよね。消えるのは嫌なのに、死ぬのは怖くないなんて』

 

 3つのソウルジェムのうち2つを選ばなければならなかったあの一瞬。つばさに迷いはなかった。死ぬ可能性などどうでもよかった。自分の命よりも、二人の命の方が遥かに価値がある。そう思っての行動だ。

 その返答を聞き、まどかは少しためらいがちに念話を送ってきた。

 

『つばさ君。今日、私の家でお話できるかな…………?』

 

 

 

 校門前での待ち合わせ。ぼんやりした思考でつばさは曇り空を見上げた。もういつ降り始めてもおかしくない天候だ。

 三日前はマミと下校。一昨日と昨日はそこにまどかとさやかも含めての下校。そして今日はまどかと二人きりの下校。つばさの人生の中で、こんなに頻繁に誰かと帰るのは初めてだった。

 

「つばさ君、お待たせ」

 

 どこか甘みを感じさせる声。横を見ればまどかが立っていた。だがその隣にもう一人見慣れない女子生徒が並んでいる。

 

「えっと……」

 

 初対面は苦手だ。つばさの心境を察してまどかが先だってその生徒を紹介した。

 

「ごめんごめん……紹介まだだったね。私のクラスメイトの志筑仁美ちゃんだよ」

 

「初めまして遠藤さん。お話はまどかさんから窺っておりますわ」

 

 紹介を受け、仁美は礼儀正しく頭を下げた。

 絵にかいたようなお嬢さまだ。つばさが仁美という人物に抱いた最初の感想はそれだった。だが魔法少女ではない。そうであるなら一昨日の時点で既にマミから紹介を受けているはずだ。どうせこの場を見ているであろうキュゥべぇにテレパシーを送ってまどかとの念話を繋ぐ。

 

『鹿目さん。この方は……?』

 

『ごめん……教室出る時捕まっちゃった。断る理由がなかったよ……』

 

『鹿目先輩、押しに弱そうだもんなぁ…………あ』

 

『…………』

 

 また念話に出してしまった。しまったという顔をなんとか隠し、誤魔化すように仁美に話題を振る。

 

「えっと志筑先輩。お話って鹿目さんから何を聞いたんですか?」

 

 まどかが自分の事で第三者に振る話。それ自体の想像が付かずに尋ねる。だがそれが既に間違いである事を一瞬怪しい光を湛えた彼女の目を見て気づいた。

「ええ! 遠藤さんの体質では叶う事のない恋の悩みを抱えていると!

 

 是非ともお話を聞き……いえ、御相談に乗れたらと!」

 

 その場で転びそうになるのをなんとか抑え、つばさは念話の方でまどかと話す。

 

『鹿目先輩!? 何言ってるんですか!?』

 

『ごめん、仁美ちゃん思い込み激しくてなんか勘違いしてるの……さやかちゃんじゃないと止められないんだ、これ……』

 

『…………そうですか』

 

 つばさは漏れそうになるため息を飲み込み、まどかの家に着くまでの間に仁美の誤解を解こうと努力してみた。だがこれは確かに強敵だ。

 

「分かってます! その体質では他人に言えない事情も多々あると存じていますもの!」

 

「いや、ですから……もういいです、それで」

 

 魔法少女の事を話す訳にはいかず時たま言葉を濁すが、その度に新たな誤解が生まれる。確かにさやかのような裏表のない会話ができる者でないと相手にならないだろう。

 

「あはは……つばさ君、ここが私の家だよ」

 

 下手な事を言わないようにと乾いた笑いを漏らしていたまどかがふいに立ち止まった。その視線の先にある家屋を見上げ、つばさは言葉を失う。

 この見滝原はまだまだ発展途上の都市だ。交通が活発で、深夜帯は静まり返るという――まぁよくある事情を抱えた都市部はかなり整備が行き届いているが、住宅街はまだまだ社会人がほとんど寝るために帰るようなベットタウンという状態を脱せてはいない。

 そんな中で都市部にある学校へと徒歩で行ける位置に存在するまどかの自宅はまさに豪邸と称するに値する物だった。もちろん世間一般の豪邸という訳ではないが、こと見滝原においてはあまり類を見ない、いわゆるデザイナーズハウスといった風体だ。

 

「二人とも、いらっしゃい」

 

 先立って家の合鍵で玄関を開けたまどかが仁美とつばさを招き入れる。当然この家に来慣れている仁美は小さく会釈するとそれに従って入って行く。だがこの家に来るのが初めてで、しかも異性と言う立場であるつばさはどうしても上がり込む事に辟易してしまった。

 

「緊張しなくていいよ? 最悪つばさ君だったら女の子って言い通せるから!」

 

「もっと嫌ですよそれ! …………お邪魔します」

 

 なんだか観点がズレてるなぁ。そう思いながらつばさは恐る恐る鹿目家の玄関を潜った。外壁がガラス張りの玄関は自然光を取りこんで内部を明るく照らし、室内であるはずなのに、まだ外に居る気分だ。

 

「パパにお願いしてコーヒー淹れてもらってくるね。

 私の部屋は廊下の階段上がってすぐだから」

 

「はい」

 

 つばさは頷くと脱いだ靴を綺麗に並べる。隣で同じようにしていた仁美がその様子を珍しそうに眺めながら小さく笑った。

 

「ふふっ。そう几帳面ですとやっぱり女の子みたいですわ」

 

「これぐらいマナーだと思うんですが……」

 

「歳に合わないだけです。その内、周りが追いついてきますよ」

 

 からかわれてるのか褒めてるのか。つばさは首を捻りながらも仁美の後ろを歩いていった。

 部屋が分からないとは言え、階段で女性に先を譲ったのは失敗だったかもしれない。つばさは足元を凝視しながら階段を上る。これがさやかなら別に気にしないかもという思考が一瞬浮かんだものの、本人に言ったらケガで済むか分からないのもあり心に閉まっておいた。

 

「大丈夫ですよ。普通の女の子はそう簡単にスカートの中を覗かせる程無防備ではありませんわ」

 

「は、はぁ…………」

 

 何故意識してたのがバレているのか。目の前の少女の何とも言えない恐ろしさを感じ、つばさは身震いした。

 まどかの部屋に入り、鞄を部屋の隅に置く。つばさは物珍しそうにその部屋を見回していた。彼女の髪の色をイメージしてなのか白にピンクの模様が描かれた壁紙と、パステルカラーなぬいぐるみが棚とベッドに敷き詰められて、ある種のファンタジーささえ感じさせる内装だ。

 男性としてのつばさにとっても自室は自宅で最も安全な空間。女性人格とのインテリアの選び合いになりがちであまり統一感がない。好きに選べる部屋は羨ましいなぁ。そんな感想を抱いているうちに、トレイに三人分のコーヒーとシュガーポットを載せたまどかがやってきた。

 

「お待たせー……っと」

 

 そろそろとトレイを小さなテーブルに置く。芳醇なコーヒーの匂いが鼻腔を突き、つばさは一瞬顔を顰めた。

 

「あ、もしかしてつばさ君、コーヒー駄目だった…………?」

 

「う……ごめんなさい。ミルクあれば多分なんとか…………」

 

 ミルクもある事を期待していたが、それらしいものはトレイの上に無い。つばさはフローリングの床に額を擦りつけんが勢いで頭を下げた。まどかも不快感や困った様子はなく、軽く両手を合わせて答える。

 

「あはは。大丈夫だよ、私も忘れてきちゃってたから。すぐ取ってくるね」

 

 まどかはそう言って再び部屋を出て行く。その後ろ姿を見ていると、彼女の右足の小指が出入り口の角に衝突した。

 

「あっ痛!」

 

 そのまま彼女は前のめりに倒れ込む。ふわりと見えそうな見えなさそうな、ギリギリのスカートがめくれあがり、その中がつばさの目に映ってしまった。

 

「っ!」

 

 咄嗟に視線をそらすが既に遅い。つばさの脳裏には白の映像がしっかりと焼き付いていた。

 

「いてて……ご、ごめん少し待ってて……」

 

 打ちつけた小指を抑えつつまどかが時間を掛けて階段を下りて行く。その音を聞きながら仁美が呟いた。

 

「……あれが無防備な女の子の一例ですわ」

 

「なるほど…………」

 

 遠まわしにドジと言っているような気がしないでもないが、先ほどの仁美に対する恐怖も手伝って深くは考えないようにした。

 

 

 

 戻ってきたまどかを加え、三人での会話が続く。今日は魔法少女関連の話題はできなさそうだ。適度な所で帰ろうとつばさは外の景色を見る。

 

「あ……雨」

 

 豪雨ではないものの、静かに雨が降り出していた。ここから自宅に帰るまではそれなりに距離がある。今さっき降り始めた事を考えれば慌てて出るのも得策ではなさそうだ。

 

「あら本当ですわ……帰る頃には止んで下さるといいのですけど……」

 

「うん、必要だったら傘貸すから言ってね」

 

 しかし男性である自分があまり長居するのも気が引ける。つばさがどうしたものが悩んでいると、待っていましたとばかりに視界が揺らぎ始めた。いつもの入れ換わりだ。とはいえ今日は何か問題があるような状態ではないし、彼はおとなしくそれに身をゆだねた。

 

「遠藤さん。どうかしましたか?」

 

「あ、入れ換わりみたい」

 

 この現象にも慣れてきたのか、まどかはふらつくつばさの身体を支える。

 

「ああ、これが噂の…………」

 

「うー……?」

 

 一度つばさの目が閉じ、すぐさま開く。気だるそうなうめき声が漏れた。

 

「えっと、今はどっち?」

 

「ふぇ? ……ああ、つばさです」

 

「ごめん……私には分からない、かな……」

 

 まどかは困ったように首を傾げる。入れ換わったつばさも一度大きく頭を振り、態勢を立て直す。

 

「本物の人格ですよ! まどか先輩!」

 

 本物。という単語を指摘しようと思ったまどかだが、後の事を考えて口を閉じる。それがろくな結果にならない事はマミから聞き及んでいた。

 

「本物……? 遠藤さんは男性では?」

 

 だがその事情を知らない仁美が不思議そうに尋ねた。案の定本人は不愉快そうな顔を浮かべて仁美を見ている。正しい事かはともかく、礼節を考えてコーヒーが苦手である事を隠していた男性のつばさとは大違いだ。

 

「まあまあ、どっちもつばさ君には変わりないよ」

 

「それもそうですわね……失礼しましたわ」

 

 焦るまどかの様子から、それが禁句であると察した仁美はコーヒーを一口飲んで軽く頭を下げた。流石につばさも機嫌の悪いままではないようで少し困ったように頷いた。

 

「まぁ、うん……慣れてるからいいですし……」

 

 慣れてる。という単語がやけに耳に残った。

 普段のつばさが辛い事に慣れているように、こちらのつばさも本物であること――存在を疑われる事に慣れているのだろう。

 どこにも居場所のない男性人格と、自宅にしか居場所を持たない彼女。どちらが辛いのだろうと、まどかは思った。

 

『まどかセンパイ……例の事話せそうにもないし、アタシ今日帰ります…………』

 

『そうだね……またお話しよう?』

 

 つばさは静かに立ち上がると窓の外を見た。

 

「えっと、すいません……お母さんが心配するので帰ります」

 

「あら、それは残念ですわ……こちらの遠藤さんとも少しぐらいお話してみたかったのに……」

 

「お家の事情なら仕方ないよ……つばさ君、見送るね」

 

 君付け。つばさはきっと目を細める。

 

「ちゃん、でお願いします」

 

「う、うん。つばさちゃん」

 

 よろしい。といった感じでつばさは自分の鞄を手にとって部屋を出た。その後を追うようにまどかが付いてくる。

 

「つばさく……ちゃん。今日はごめんね」

 

「気にしちゃいねーっすよ。最初からアタシだったら仁美センパイには来ないで貰ってましたけど」

 

「う、うーん……それはそれで困る、かな…………」

 

 まどかは苦笑して首を振った。つばさは階段を下りて振り返ると語気を強めて答えた。

 

「なんでですか。貴方はそれでもいいかもしれないですけど、アタシやさやかセンパイは命掛ってる話なんですよ」

 

「そう、だけど……」

 

 その剣幕に押され、まどかはたじろいだ。誰かにこんな敵意を向けられるのは初めてだ。まどかの煮え切らない態度に腹を立てたのか、つばさはさらに言葉を重ねようと口を開き――

 

「―――――――!」

 

 雷が落ちた。雷光がどこかから玄関を照らす。直後に響いた轟音が、つばさの言葉を遮った。身を竦めていたまどかは慌てて外を見る。先ほどまで霧雨のようだった雨が、急激に窓ガラスを振るわせる豪雨へと変わる。

 

「っ……早く帰らないと! センパイ、傘借ります!」

 

 つばさは何かを恐れるように駆けだした。まどかは慌ててその背後を追いかける。

 

「だ、駄目だよ! こんな中歩いて帰るなんて危ないよ!」

 

 彼女の制止も空しく、つばさは玄関の脇にあったビニール傘を一つ取ると扉を蹴破るように開けた。

 

「お母さんが心配する……アタシは帰るんだ!」

 

「つばさ君!」

 

 扉を開けた瞬間、強烈な雨風が玄関に入り込んできた。つばさは目を細めながらも傘を開いて飛び出す。最早まどかでは止めようがない。どうしたら――

 

「おっと、誰だか知らないけど、こんな中帰るのは危ないぞ? ウチに戻んな?」

 

 飛び出したつばさの首根っこを掴み、一人の女性が現れた。すっかり濡れそぼったボブカットの髪、ずぶぬれのスーツ。だがその美貌は崩れていないという、どこか存在感を感じさせる女性。つばさにとっては初対面、まどかにとってはこの世の誰よりも見慣れた女性。まどかの母親、詢子だ。

 

「ママ!」

 

「ただいま、まどか。…………この子は友達か?」

 

 急に首根っこを掴まれてせき込んでいるつばさを玄関に引き入れた詢子がまどかに尋ねる。まどかは小さく頷いて答えた。

 

「うん、後輩の遠藤つばさ、君…………」

 

 ちゃん付けで呼ぶべきだろうか迷ったが、とりあえずは家に着いた時点でのつばさの意思を尊重して男として扱うことにした。色々事情はあるだろうが彼女の母親に下手な誤魔化しは通じない事を、娘であるまどかは正しく理解していた。

 

「ふぅん……? コレ……って訳じゃあなさそうだな」

 

 詢子は使っていたのであろう傘の水滴を軽く払い、小指を立てる。その意味合いは理解できるまどかは顔を真っ赤にして答えた。

 

「ち、違うよぉ! ……今日はマミさんの家で集まれなかったからウチに来て貰っただけ、だよ……」

 

 親にも、魔法少女の事は話せない。かろうじてマミの存在は伝えてあるため嘘もついていない。その解答を聞いた詢子は軽く目を細めると少し濡れたつばさをフローリングの床に座らせた。

 

「げほげほっ……な、何するのよ!」

 

 だがつばさも今は女性人格。その口調は女性そのものだ。詢子は一瞬だけ眼を見開いたが、何かを察したように不敵な笑みを浮かべて答える。

 

「親に心配掛けないのはいい心意気だけどな、あんまり無理して帰ってくるのも心配するんだよ親ってのは。

 別にまだ遅すぎる時間でもないんだから、せめて雨が弱まるぐらいは待ちなって」

 

 ぽん、と詢子はつばさの肩を叩く。

 

「珍しいまどかのボーイフレンドだ。夕飯ぐらい御馳走してやるよ……作るのはアタシじゃねーけど」

 

 そういって、彼女はまどかを連れて廊下を歩いていった。つばさは窓から見えている豪雨を眺めながら、その言葉に渋々従った。

 自分の母親とは、また違う母性というものを感じたから。

 

 

 

 

「――――で、あの子はどういう子なんだ?

 ただの男子生徒だったらアンタ達の集まりになんて混ざれないだろう?」

 

 おっしゃる通りで。

 まどかは脱衣所から持ってきたハンドタオルを詢子に手渡して苦笑する。

 

「うん、ちょっと色々あるけど……女の子の二重人格がいる子なの」

 

 この説明で正しいか、少し自信がない。だが意図は伝わったはずだ。目の前の母はテーブルの上に置かれたコーヒーを一口飲んで眉根を顰める。

 

「…………お前、その理由は知ってるか?」

 

 何かを決めようとしている、母の眼差し。まどかは素直に首を横に振った。

 

「ううん、つばさ君。自分の事めったに話してくれないんだ。なんか、すごく怖がってるっていうか……」

 

 出会ってまだ殆ど立っていない。だがつばさが自身の話題を避けているぐらいはなんとなく分かった。ある程度の事情は事前にマミから聞いていたが、その実情は知らない。

 

「そうか……うーん、難しいなァ…………他人の家の事情だし、口出しすべきか悩むなぁ…………」

 

 詢子はぶつぶつと呟きながらテーブルの縁を指で叩いた。まどかも隣の椅子にちょこんと座ってその答えを待つ。自分ではつばさの事情に踏み込もうとは思わない、無用な御節介とも思うし、何より解決してあげられる問題とは思えなかったから。だけれども、私のお母さんなら、何かを変えられる。そんな確信がまどかにはあった。

 

「そこまで極端な話じゃないけど…………親が怖いって子供、昔結構見たよ」

 

 そう言ってまどかの横にコーヒーを差しだしたのは彼女の父親、知久だ。キャリアウーマンである詢子に代わって家の事は全て彼が仕切っている。こちらはこちらで家庭菜園を趣味とし、男手でまどかと弟であるタツヤを育ててきたという、何とも世間的には真逆な関係だ。

 

「んー……でも、教育ママが怖いって目じゃあねぇなあれは…………」

 

 実際にマミから聞き及んでいるのはつばさ自身の事情だけ。何が原因でそうなったかまでは彼女も知らないようだった。だから母のこの直感が正しいのか、まどかには分からない。

 

「まぁ、雨止みそうにもないし夕飯ぐらいは食べてくだろ?

 …………本人には悪いけどちょっとカマぁ掛けてみるかな……」

 

「ほ、ほどほどにしてねママ」

 

 分かったよ。詢子は手をひらひらと振って答えた。

 尊敬する母親ではあるが時折見せる荒っぽさには少々辟易してしまうのもまた事実だった。当の昔に慣れきってしまった父親は苦笑を浮かべながら空になったティーカップを台所へと持っていく。

 

「ほら、あんまり後輩を待たせるんじゃない。行った行った」

 

 ぱしん、と詢子はまどかの背中を叩いた。

 

「もう、話したのはママからなのに」

 

 苦笑しつつも、その手の平から勇気を貰う。

 まどかは笑顔を浮かべたまま玄関で待ちぼうけていたつばさを引き連れて部屋へと戻って行った。

 

 

 

 夕方。未だその勢いを衰えさせぬ雨音を耳に入れながら、つばさ達は夕食を頂いていた。家庭菜園で採れた野菜を使ったカレーライスだ。

 

「ああ、おいしいですわ。まどかさんのお父様は素敵な趣味をお持ちですね」

 

「ありがとう、仁美ちゃん」

 

 仁美はそれを口に入れながらどこか夢見心地な表情を浮かべている。だが対照的にその隣に座っていたつばさは沈んだ面持ちだ。

 

「えっと……お口に合わなかったかな?」

 

 少し困った様子で知久は尋ねた。つばさは慌てて顔を上げると力強く首を振った。

 

「い、いえ。美味しいです! ただちょっと、雨……止まないなって…………」

 

 窓の外を見ながらつばさが呟いた。天気予報ではこんばんはこのまま振り続けるらしい。このままではとても帰れない。

 

「つばさちゃん、お家に電話だけでもしておく?」

 

 弟がサラダボウルから零しそうになったプチトマトをキャッチし、まどかはリビングに置かれた電話機を指差す。だがつばさは肩を落として首を横に振った。

 

「すいません。ウチに電話機無いんです……お母さんなら携帯電話持ってるけど……アタシ、番号覚えてない…………」

 

 その答えにまどかと仁美が何とも言えない表情を浮かべる。今時、電話とメールのみの連絡機能に限定された携帯電話、殆どの中学生でも所持している。だがつばさの家には家庭用の電話すら用意されていないと言う。

 言葉にこそしていないが、それだけでつばさの家の経済事情を察する事ができた。

 

「あ……でもあっちの方なら…………」

 

 俯いていたつばさはぱっと顔を上げ、急にふらつき始めた。さすがに仁美も二度目では驚く事もなく、そっとその肩を支える。

 

「…………つばさちゃんは自分から出来るんだ」

 

 その事がいかにつばさの願いの進行度を表しているか理解し、まどかは微妙な表情を浮かべた。そこまで知り合った仲ではない。それでも一人の人間が消えていく様を見るのは辛いものがあった。

 

「ん……………………」

 

 どこか虚ろな様子だったつばさだが、一度目を見開き、辺りを見回す。入れ換わりを寝起きと言うのかは定かではないものの、それ一つとっても二つの人格の差は顕著だ。しっかりと状況を理解した様子でつばさは起きぬけに頭を軽く振る。

 

「なんか、今日は変わるの早いですね……」

 

「うん……雨、酷いから……つばさ君なら電話番号分かるかもって」

 

 それだけで全てを察したようにつばさは頷いた。

 電話番号はしっかりと頭に記憶してある。どうやら現状の記憶の共有は契約直後に見聞きした辺りまでで行われているようだ。一応、もう暫くは安泰なのだろうか。つばさは小さくため息を吐いて答えた。

 

「はい、大丈夫ですけど…………しなくていいと思います」

 

 意外な回答にまどかと仁美が首を傾げた。つばさとの付き合いが長い訳ではないが、つばさは善良な人間だ。いくらなんでも連絡を怠る行為を推奨してくるとは思えない。

 彼自身もそう思われるのは分かっているようで、消え入りそうな声で説明した。

 

「えと……あっちの電話に鹿目さんのお家の番号が出ちゃうから…………ご迷惑、掛けたくありません」

 

「迷惑だなんて……大丈夫だよそんなの」

 

「大丈夫じゃ、ないんです」

 

 つばさは視線を反らして呟いた。とても電話一つするだけで浮かべるような表情ではない。まどかが何があったのか尋ねようとするよりも早く、詢子が動いていた。

 

「子供が変な心配するんじゃない、使いな」

 

 そう言って彼女は電話機を指差した。それでもなおつばさはおどおどと心底困っている様子を見せる。まどかや仁美が頼らずとも母が動いたのであれば、それはきっと自分達では解決できないと判断されたからだ。ちょっとガサツで、荒っぽくて、でもそれを補って余りあるほど頼りになる二児の母。それが鹿目詢子という人物だ。

 

「あんたの心配してる事はなんとなーく分かる。そういう愚痴、仕事先でも聞いたことあるからな。その上で使いなって言ってるんだ、気に済んな」

 

「…………!」

 

 つばさが目を丸めて驚いていた。横で聞いているまどかや仁美には理解できなかったが、彼自身他人の心情を読む能力に長けてるのだから恐らくは的を得た意見だったのだろう。

 

「…………ありがとう、ございます」

 

 少し震えた声で、つばさが席を立った。電話機に向かうつばさの目じりに涙が浮かんでいるのを見てしまい、まどかは密かな罪悪感を覚える。

 こそこそと自宅の電話番号を入力するつばさを見ながら、詢子は小声でまどかに話す。

 

「……自分の家の子供に何かあると相手の家に電話掛けていちゃもん付けてくる親とか居るらしいんだよ。アイツん家は、多分その典型なんだろーな」

 

「そう、なんだ……」

 

 会話を聞かれるのを嫌がっているのか、廊下から見えるつばさはぼそぼとと小声で通話していた。

 

「もしもし……母さん?

 雨が酷いから今日は知り合いの家に泊まりた…………!」

 

 びくっとつばさがその場で飛び跳ねた。電話の向こうで彼の母親が怒鳴り散らしているというのは、まどかでも見てわかるほどだった。それゆえに今にも泣きそうで縮こまっている彼が痛々しくも見える。

 

「…………!」

 

 奥歯が割れるのではないかという程、何かに耐えるようにつばさは歯を軋ませていた。もう見ていられない、まどかが立ちあがると同時にもう一人、詢子が立ちあがっていた。彼女は迷いなくつばさの隣まで歩き、震える手から受話器を奪い取って話す。

 

「もしもし? つばさ君のお母さん?

 今日は夜中まで豪雨らしいですし、ウチに泊まらせて上げて下さい。中学生のお泊りぐらいフツーですよフツー。んじゃあそういう訳で」

 

 有無を言わせぬ口調で詢子は受話器を置いた。

 その直後に恐らくはつばさの母親からの電話を知らせるコール音が忙しなく鳴り響く。

 

「…………ふんッ」

 

 痺れを切らした詢子が足で電話線を蹴り飛ばした。

 それに引っ張られて棚から落下した電話機をつばさが慌ててキャッチ。

 

「えっと……?」

 

 その突飛な行動に、つばさは理解が追いつかない様子で目をぱちくりと瞬かせていた。そんなつばさの肩を軽く叩きながら詢子はその疑問に答える。

 

「アンタが他人に気を使う優しい子だってのは今のですごーく分かった。分かったからこそ、少しぐらいアンタの力になってやりたいのさ。

 アンタの家の事情だ。アタシには大して口出しできねーけど……たまに逃げ込む場所ぐらい、用意してやれるからよ。迷惑だとかなんだとか……中学生のガキがそんなめんどくせー気遣いすんな!」

 

 詢子は大仰に笑い、つばさの背中を勢いよく叩いた。非常にいい音がしたあたり、相当に痛むのが予想できる。

 

「…………ッ!」

 

 だが、つばさは痛みなど忘れてしまったように目を丸くしていた。詢子からの言葉を一つ一つ噛みしめる。そんなつばさの頬を一筋の滴が伝った。

 

「あ、れ……?」

 

 自分でも、何だか分からない。だがその滴は一つでは収まらず、次から次へとダムが決壊したかのように溢れ出してきた。

 

「あ、ありがとう……ございます…………ひぐっ」

 

 嗚咽が漏れる。

 今の今まで、虐待の日々の中でいつからか抑え込むようになってしまったものが、溢れ出していた。止まらないそれを必死に抑え込もうとするが、涙も嗚咽も止まらない。詢子は何も言わず、つばさの頭をぽんと叩いて食卓へと戻って行った。

 

「ま、飯が冷める前には戻ってこいよ」

 

「はい…………」

 

 そんなつばさの姿を遠目で、戻ってきた母の涼しい顔をまどかは見る。敵わないなぁ、なんて感想が漏れそうになるが、なんとか抑える。そんな弱気な発言をしたら今度はこっちがお説教を貰ってしまいそうだった。

 

「やっぱりまどかさんのお母様は素敵な女性ですわね」

 

 どこか陶酔するように仁美が感嘆の言葉を漏らした。詢子もまんざらではないようでふふんと鼻を高くする。

 

「ねぇママ…………電話線、壊した?」

 

「あ……わりぃ…………」

 

 その空気に水を差す事を申し訳なさそうにしつつ、知久が尋ねる。

 詢子の謝罪通り、遠目に見える電話線は根元のコネクタ部分が引きちぎれてしまっていた。

 

 

 

 夜。降り続く雨が窓ガラスを親の敵のように叩き続ける音を耳に入れながら、つばさはリビングに布団を敷いて横になっていた。鹿目家は見滝原では豪邸の部類にこそ入れど、客室まで用意している程ではない。

 さらに言うなら客人用の布団こそあれど、仮にも男子であるつばさがまどか達と同室で寝るわけにはいかない。倫理的にも、プライド的にも。

 だが、広いリビングで一人というのは案外心細いものだった。

 

「落ち着かないや…………」

 

 そこでふと思いつき、どうせ近くに居るであろうキュゥべぇの姿を探した。

 

「キュゥべぇ、居る?」

 

『ああ、居るよ』

 

 ソファーの影からキュゥべぇがひょいと姿を現した。あまりこの生物に信用を置く訳にはいかないが、利用できる部分は利用させて貰おう。

 

「鹿目先輩と念話、繋いでくれるかな」

 

『ああ、いいよ』

 

 少しして念話が繋がる。油断すると考えている事が筒抜けるのでいきなり相手に繋ぐのは気が引ける。どうやら静かに寝始めた所らしく、色々な思考が声になって筒抜けてきた。

 

『……鹿目先輩。起きてます?』

 

 流石に聞いていたと悟られるのも気分が良くない。つばさは今丁度繋ぎましたとでも言うように声を掛けた。

 

『つばさ君? どうかした?』

 

 少し寝ぼけたような声が聞こえてきた。念話でもそんな微妙な変化を表現できるものなのだろうか。少し気になるが、そこはまぁ問題ではない。

 

『今日は、ありがとうございました』

 

 マミの事、さやかの事、これからの事。話せなかった事は多々あれど、最初に言うべきと思ったのはそれだった。

 

『お礼ならママに言ってあげて。私、何もできなかった……』

 

 困ったようにまどかが苦笑した。

 

『いえ、そんな事無いですよ』

 

 本心だった。今日の出会いも何も、まどかが居なければ無かった事なのだから。ただでさえ交友の少ないはずのつばさに、今日は志筑仁美という知り合いと、鹿目家の人々との出会いがあったのだから。こんな、自分が自分ではなくなっていくような変化すら恐れているはずだったのに、不思議と今は心地良い。

 

『家族って、ホントはいいものなんですね……』

 

 いくら欲しても、つばさには手に入らないもの。血縁はいれども、家族とは思った事のない母親だけでは、決して触れる事すらなかったもの。

 

『つばさ君……』

 

『僕には手に入らないから……鹿目先輩は御家族を大事にして下さい』

 

 自分には無いから、せめて他人には大事にして欲しい。

 そんなつばさの心情を察してなのか、まどかは普段からは意外なほど自信の籠った言葉を返した。

 

『そんなこと無い。今はもしかしたら……手に入らないかもしれないけど…………いつかつばさ君にも、新しい家族が出来るかもしれないんだよ?

 その……マミさん、とかと…………』

 

「ぶぼっ!?」

 

 念話も忘れてつばさが吹き出した。何故このタイミングでマミの名前が出てくるのか。

 

『なななな!? マ、マミさんは関係ないでしょう!?』

 

『え? 違う、の…………?』

 

 違う、と否定しかけ言葉に詰まる。

 つばさにとって、巴マミとは何なのか。それを答えればいいはずだ。命の恩人、尊敬する人。それを伝えるだけ。だと言うのに、言葉が出てこない。

 

『あ……その…………』

 

 何を迷う事があるのか。自分を叱咤するが、ついに言葉は発せられなかった。

 

『あはは、無理して言わなくてもいいよ』

 

 大丈夫。分かってるから。そういうニュアンスが含まれた言葉だった。気恥ずかしさと後悔が綯い交ぜになり、つばさは話を切り上げる。

 

『も、もう切ります。おやすみなさいっ』

 

『うん。おやすみつばさ君』

 

 この念話を聞いているキュゥべぇに目配せして念話を切る。静かになったリビングで、つばさは大きくため息を吐いた。

 何故答えられなかったのか。頭の中でその一点だけがぐるぐると回っていた。答えられなかった理由を、見つけてはいる。だがそれを認めたくはなかった。

 

「っ…………」

 

 恋慕なんて、自分が持っていてはいけない。こんな自分から好意を寄せられてもあの人が困るだけだ。命を救われたからそんな感情を抱いたなどと、そんなもの、吊り橋効果という物だ。だから、錯覚。

 

「僕は…………」

 

 軽く頭を振る。脳裏に浮かぶのは、マミの隣を歩く自分。学校に二人で登校する自分。同じテーブルで、向かい合って食事を取る自分。

 その思考を追い出すように、つばさは自分の頭を小突いた。寝る前から夢を見過ぎだ。彼女と自分では釣り合わない。

 片や才色兼備の頼れる先輩。片や二重人格でどっちつかずの頼りない後輩。

 マミが頼れる先輩を必死に演じているのは分かっている。だがその壊れそうな儚さも彼女の魅力で――――。

 

「違う違う……そうじゃない」

 

 気づけば逸れてきた思考に気づき頭を振る。

 恋慕。恋仲。そんな単語が頭に浮かぶ。つばさは布団を被り、強く眼を瞑った。そうなりたい。だがなれない。そんな思いが綯い交ぜになって、答えが見えなくなっていく。そうだ、答えなど最初から見えてないのだ。だからまだ、分からない。

 それが逃げである事を理解しながらも、つばさは念話でのまどかの言葉から耳をふさぐようにゆっくりと意識を闇に落としていった。

 




 エクストラストーリー1話、家族(前編)これにて終了です。
 詢子さんマジかっこいい!という事でつばさ君の家庭との対比的な話が描きたかったのが発端。エクストラストーリーは割と前向き気味な方向性になる予定です。

 つばさ君もちょっとだけ気持ちが楽になって、本編では泣いてませんでしたが良い意味でここで少し泣かせる事ができました。でもこの時点ではマミさんへの感情には素直に慣れてなかったりと契約の影響関係なしに自分が変化しているのを受け入れられない状態です。

 次回は本編で扱いの悪かったさやかちゃんも活躍の予定!
ごめんよさやかちゃんやっと出番作れた!
ではまた、次回もよろしくお願いします~。

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