魔法少女つばさ☆マギカ   作:辰真

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二章『お母さんが言ってました』

 つばさは箒の先を視界に映っている巨大な魔女に向けて突き進む。

 殆ど音速に近い加速の中でもまともに目を開けていられる。これが魔法少女になるという事か。つばさは自身が手に入れた力を実感し、戦意が高ぶっていくのを感じた。常人の縛りから解放された自分の身体。まるで自分の体ではないような感覚に戸惑いながらも、その視線は魔女から離れない。

 

「えぇぇぇぇい!」

 

 鋭い気勢と共に、つばさは箒から飛び降りる。そのままの加速を維持した箒が勢いよく魔女の体に突き刺さった。

 

「ちょ、ちょっとつばさ君!」

 

 突然の乱入者に驚愕したマミが両手に構えていた銃の照準を真上へと向けて叫ぶ。その声に気づいたつばさは魔女に突き刺さった箒を、手も触れずに引き寄せながら答える。

 

「昨日の人、アタシは大丈夫です! あと、呼ぶならちゃん付けでお願いしまーすっ!」

 

 手元まで引き寄せた箒を掴み取り、つばさはその箒に跨って答えた。その回答だけでマミはつばさの人格が入れ替わっている事を察する。

 

「全く……これじゃ見学にならないじゃないっ」

 

 態勢を立て直した魔女に向け、マミは愚痴をこぼしながらも両手に持った銃の照準を向けて発砲した。

 男性人格のつばさにどんな形であれ戦い方を見せておきたかったというのに、魔女の出現に加えてつばさの人格変化という不確定な要素が増えてしまっては、一体いつ教えればいいのやら。

 

『ビィィィ……ン』

 

 マミが放った砲弾が魔女の背中に生える文房具を吹き飛ばし、そのダメージに魔女が鳴く。しかし、その咆哮に応えるかのように再び新たな文房具が生えだした。

 マミはその姿に舌打ちしながら弾切れの銃を放り捨てる。基本的に単発式の銃しか呼び出せないマミは連射が苦手だ。方法が無い訳ではないが出来ても撃っては捨てるの繰り返し、取り出す手間を考えれば連射と呼べるものをするには一か所に陣取って銃をあらかじめ出しておくしかない。

 だがそんな暇を与えてくれるような魔女ではなかった。金属がこすれる音を立てて魔女の口――ホッチキスが大きく開く。そこから連想される攻撃を察し、マミは咄嗟に真横に飛んだ。瞬間、パチンという音と共に魔女の上顎からホッチキスの《芯》が発射された。コの字状に発射された芯が消しゴム製の地面に深く突き刺さる。

 

「小学生の遊びじゃないんだからっ……!」

 

 背筋を走る寒気を無視し、マミは巨大な大砲を魔法で作り出す。背中を吹き飛ばした程度では全くダメージにならない。次々と射出される芯をギリギリのところで回避し、反動も気にせずマミは担いだ大砲をぶっ放した。

 

『カカカカカ……』

 

 放たれた砲弾が魔女の胴体――アルミケースの筆箱に風穴を開ける。この攻撃は効いているのか、大きく開けた口を何度も閉じ、たたまれた芯をこぼしながら魔女の口が小刻みに痙攣する。

 

「ちょっと……!」

 

 だが小刻みに開閉する口から落ちていく芯が針金細工のように様々な形を取る。使い魔を生み出していると気づいたマミは慌てて自身のスカートの端を摘んで軽く振った。ぼろぼろと落ちてきた銃を素早く手に取り、次々と生まれてきた使い魔に発砲する。

 

「っせぇぇぇぇい!」

 

 そこに、再びつばさの気勢が響く。今度は何をやらかすつもりなのか。マミはちらりと視線をそちらに向けた。魔法少女としての力が未知数なつばさはその魔法の特徴も含めて何を起こすか分かった物ではない。

 視線の先では箒を上段に構え、一気に地面をこするように振り抜くつばさの姿があった。地面をこすり上げ、箒が振り抜かれた空間から大きく風の渦が巻き上がる。風の渦がその流れを一気に使い魔へと向け、小さな台風のように突き進んだ。その風を受けた使い魔たちが次々と巻き上げられ、纏めて近くの壁へと叩きつけられる。

 

「昨日の人、今です!」

 

「ええっ」

 

 マミは素早く弾切れの大砲を投げ捨て、新しい大砲を取りだした。そしてろくな照準をせず発砲。大量の使い魔が固まっているのだから照準の必要はない。かくして放たれた砲弾はまっすぐに集められた使い魔へと飛来し、大爆発を起こす。

 

「その調子よ、つばさ君」

 

「ちゃんです!」

 

 マミはあえてつばさを君付けで呼んだ。今目の前で話しているつばさが仮初の人格であるのなら、こういった呼び掛けによって解消される可能性はあるかもしれない。それがどういう結果になるか分からないが、目の前でいつ消えるかも分からない命を見捨てる事は彼女にはできなかった。いや、できない理由があった。

 

「自己紹介は……さっきしたのだけれどね。巴マミよ」

 

 使い魔の呼び出しを止め、こちらへコンパスの先端による直接攻撃に切り替えた魔女に相対しながらマミは再び自己紹介をする。二度手間になる点においても厄介な体質だ。納得のいかない様子で口を尖らせていたつばさも手に持った箒を槍に見立て、その先を魔女へと向けて応える。

 

「遠藤つばさです……」

 

 突き出されたコンパスの針が先ほどまでマミが立っていた場所に突き刺さる。反撃を試みるが続く攻撃を避けなければ危険だ。マミは舌打ちも惜しく滑らかなステップで続く鋏や定規、シャープペンシルの先端を紙一重で避ける。

 同じように魔女と相対していたつばさだが、転がる、飛び跳ねる、箒を用いて棒高跳びの要領で跳躍するなど不格好な動作で無理やりに回避を試みる。

 

「ほっ! たぁっ!」

 

 着地に合わせて、魔女がコンパスの針をつばさに向けて放った。眼前に迫ったその攻撃は回避も防御も間に合わない。

 

「やばっ……!」

 

 つばさの悲鳴が上がるよりも早く。帯状の何かが彼女の腕を縛り、引き寄せた。肩が外れそうな痛みが走るが、見事つばさの体はその場を離れてマミの元へ引き寄せられる。

 受け身を取れず、地面に倒れたつばさが視界に映った足を見上げると、そこには黄色い帯――胸元のリボンを鞭のようにしならせ、元の長さに戻しているマミがいた。

 

「……どうも」

 

「気をつけてね。失うのは自分の命よ?」

 

 つばさは頷いてすぐさま起き上がる。寝そべっている間に彼女達に襲いかかってきていた攻撃はマミが素早く銃で打ち払ってくれた。つばさは手に持った箒を両手で構えて考える。自分にはどんな事ができるのか。

 魔法少女の力というのは、その願いの内容を反映するらしい。これは契約の際に女性人格のつばさがキュゥべぇから聞き及んでいた事だ。マミも同じように、あの大量の銃か、もしくは今のリボンか。何かしらの力が強く発現しているはずだった。

 つばさの願いは《片方の人格の消滅》だ。この願いがどんな力を発現させているのか。

 

「……やってみるっきゃない」

 

 竹刀のように構え直した箒を魔女へ向ける。発現しているとすればきっと何かを消す力。だがどのようにやればいいかは分からない。命懸けのぶっつけ本番というわけだ。

 

「マミさん! 援護お願いします!」

 

 言うが早いか、つばさは箒を上段に構えてかけ出した。答えは聞いていないらしくマミが応えるよりも早く駆け出す。

 

「仕方ないわねっ」

 

 マミは被っていた帽子を手に取り、大量の銃を呼び出す。そして最も手元に近い銃を掴みざまに発砲。魔女の振り上げた腕の一本が大きく弾かれる。続いて弾切れになった銃を放り捨て、次の銃を手に取る。その間にもう一方の手が掴んでいた銃を発砲。魔女の別の腕が再び弾き飛ばされる。

 その隙を縫うように駆け抜けるつばさにも攻撃の嵐が降り注ぐ。打ち出されるホッチキスの芯、ロケット鉛筆の芯、おまけに剣のように振り下ろされた定規。

 

「やぁぁぁぁぁ!」

 

 芯の嵐を前転でかわし、振り下ろされた定規を真横に転がって避ける。そして飛び跳ねるように立ち上がると、丁度目の前で地面に突き刺さった定規が持ちあげられ、上空へと上がる。その隙を逃さず、つばさは定規の上に飛び乗った。だが巨大とはいえ、縦になった定規の足場は三十センチメートルもない。しかしつばさはその上を危なげもなく駆け上がり、魔女の口――ホッチキスの本体まで近づいた。

 

「ここだぁぁぁぁ!」

 

 つばさは叫ぶとともに箒を振り下ろした。振り下ろされた箒が、音もたてずに魔女の口を《掃いた》。その一撃に音も立てずにホッチキスの本体が煙となって消える。

 なるほど、とつばさは内心で呟きながら箒で飛翔し魔女から遠ざかった。

 自分の能力はおそらく《消滅》の力だ。そして力を発動させるにはこの箒で《掃く》必要があるのだろう。そうなるとこの力は接近戦でしか使えそうにない。先ほど死にかけている事も考えると積極的にはやりたくない攻撃方法だ。つばさは魔女の動きを警戒しながらすとんと地面に降りる。頭を吹き飛ばされても全くダメージを与えられているようには見えない。またいつ猛攻が来るか分からない以上距離を取るべきだ。

 そう考えるつばさだったが、魔女は無くなった顔を探すように小刻みに手先のコンパスを自身の頭があったはずの場所で動かす。だが頭が無くなっている事を悟った魔女が一度こちらを見据えた。頭はないはずなのに、つばさははっきりとそう感じた。その感覚に薄ら寒いものを感じながらも箒を構え直す。

 

「く、来るなら来い!」

 

 巨大な相手だが、こちらだって人間離れした身体能力の魔法少女が二人いるのだからきっと勝てる。つばさは自分にそう言い聞かせて啖呵を切った。

 しかし魔女はその視線を一度マミに向け、背中から生えていた文房具をその身体に仕舞い込む。そしてその動作と時を同じくして周囲の空間がゆがみ始めた。

 

「いけない!」

 

 咄嗟にマミが手に持っていた銃を魔女へと発砲する。だがその銃弾は魔女に当たることはなく、その身体を通過し、さらに紙切れの壁もそこに存在しないかのように通り抜けてどこか彼方へと飛んで行った。

 

「……魔女が逃げるわ」

 

 どこか疲れた様子でマミは銃を下ろして呟く。つばさははっとして魔女を見たが、既にその場所にいたはずの巨体は影も形もなく、ゆがんだ空間がゆっくりと元の場所――工場地帯に戻っていく。

 

「案外、さっきの一撃が効いていたのかもしれないわね」

 

 ぱっと魔法少女の恰好から元の制服に戻ったマミが目を細める。つばさもそれに倣い、元の制服姿に戻った。他人の動作を見ているとなんとなくそれをどうやればいいか感覚的に理解できる。

 

「……逃がしたらどうなるんです?」

 

 つばさはおずおずとマミに質問した。もしもあの魔女が逃げていたら自分と同じように襲われる人間が出てくるはず。だが、マミがそれに答えるよりも早く、どこから出てきたのかキュゥべぇが答えた。

 

『すぐには動かないだろうね。少なくともこの町に結託した魔法少女がいると分かった以上、迂闊には動かないはずさ』

 

 どうやらしばらくの間の安全は確約されているようだ。つばさは小さく張りつめていた息を吐いた。だがそれだけで安心して良い訳ではないのも事実だ。

 

「魔女って探して見つかるものなの?」

 

 つばさの質問にキュゥべぇは目を伏せて首を振った。

 

『今回は無理だね。結界を閉じている魔女を感知するのはほぼ不可能だよ。見つけられるのは食事の時と結界を開いて生物を招き入れている間、あとは魔力の残滓が残っていればなんとかって程度さ。あの魔女は大分頭が切れるようだ。君の力を利用して魔力の残滓も打ち消したみたいだ』

 

「そう……」

 

 残念そうにつばさはため息を吐く。

 その様子を見ていたマミだったが、その意図を察して彼女の前に立った。

 

「つばさ君、気持ちは分かるけど一人で魔女を追わないでね」

 

「む……」

 

 図星だからか、あるいは君付けだからかつばさは半目で口をへの字に結ぶ。

 

「確かに魔女を逃がしてしまったけど、それを一人で追ってあなたが死んでしまったら何の意味もないわ」

 

 マミの言う事は分かる。先ほどの戦闘でもそうだったが、既に何度かの戦闘を乗り越えているマミと、先ほどの戦闘が初めてだったつばさでは魔法の使い方一つでも天と地の差があった。その上こちらは自分の力の使い方すら手探りな状況だ。マミの言う通り一人で戦って勝ち目はないだろう。つばさは項垂れるように近くの鉄柱に背中を預けた。

 

「難しいんですね。魔法少女って」

 

 自分が見たことのある漫画やアニメなら魔法少女になった時点で簡単に魔法を扱っていたのだが。どうやら実際は試行錯誤が必要なようだ。

 

「難しい、難しくないの問題ではないと思うけど……くれぐれも軽率な行動は控えてね」

 

 困っている時の癖なのか、その綺麗な縦にロールされた髪を指先で弄りながらマミは苦笑する。釘を刺されたつばさはしっかりと頷いた。

 

「さて……帰りながら少し話しましょうか。昼間の会話を伝えないといけないでしょうし」

 

 先ほどまで男性人格のつばさとしていた会話をどうまとめたものか、キュゥべぇを介した念話を始める前にマミは考えた。だがつばさは首を振って答える。

 

「大丈夫です。慣れてますし……お互い日記に書いて連絡してるんで」

 

 屈託のない笑みでつばさは答える。だが、続く言葉にマミは自分の耳を疑った。

 

「――早く偽の人格が消えてくれると楽なんですけどね」

 

 え、とマミは呆気に取られて口を開いた。男性人格時のつばさの会話とかみ合わない。いや、来ている制服は男子なのだから男性人格が本来の人格のはずだ。だが目の前の女性人格に嘘を言っている様子は窺えない。

 

 一呼吸し、マミは言葉を選んでつばさに問いかけた。

 

「つばさ君……別人格が生まれたのはいつからなの?」

 

「だから私女の子ですってば……そうですね。五歳ぐらいからだってお母さんが言ってました」

 

 そのぐらいの年齢からであればそれ以前の記憶が曖昧な可能性はある。だがマミは平静を装ってさらに問いかける

 

「それ以前の記憶は?」

 

「ないですね……あっちの人格が持ってちゃったってお母さんが」

 

 マミはつばさの回答に違和感を覚える。先ほどから言葉の端々に自分の事ですら分かっていない事が窺える。だというのに、その言葉は確信的だ。その自身はどこから来ているのか。気になるとすれば一つ。

 

「つばさ君、それは本当の話なのよね?」

 

 少し踏み込みすぎたかもしれない。マミは若干の躊躇いを覚えつつも念を押して弁明する。

 

「失礼な話だけれども、その話を裏付けするものはあるのかしら」

 

「やだなぁ……アタシのお母さんが嘘吐いた事なんて一度だってないんですから!」

 

 鼻を鳴らしてつばさは胸をそらす。だがその様子はマミには白々しく見えた。

 いや、厳密にはつばさの中のみに存在する真実なのだろう。実の母親に信じ込まされた真実。この時マミは間違いなくつばさの――遠藤家の狂気の片鱗に触れていた。生まれて初めて見る、魔女とは違った人間の狂気というものを感じてマミは言い知れぬ恐怖を覚えた。

 

「そう……」

 

 疑っている様子は見せず、マミは小さく答えた。どこまで内心を隠せたか分からないが、つばさは満足そうに頷くとにっこりと笑った。

 

「だから、大丈夫です。少しすればあっちの人格も消えますよ、きっと」

 

 根拠のない自信。だがおそらくそうなるのだろう。彼女はそうなるように願ったのだから。

 マミは自分の願い――命を繋ぎ止めるという願いを思い出していた。家族と乗っていた自家用車で起こった衝突事故。その中で消えゆく自身の命の中、現れたキュゥべぇと半ば選択肢も無しに交わした契約。果たしてその願いは叶い、助かったのが奇跡とさえ言われるほどの重症だった彼女は後遺症も傷跡も残らずに生還した。両親の死を伴って、だが。

 

 どんな過程、どんな現象であろうとその願いは契約が成立した限り必ず成就される。本人の望む結果に関わらず、その願いと合致する結果で、だ。

 キュゥべぇとの魔法少女の契約について、マミは以前から色々な考察を行っていた。せめて自分のように選ぶ事もできずに戦いの運命に身を投じる者を増やしたくないからだ。少なくともそれに関する疑問に関して、キュゥべぇが明確な回答を拒否した事はない。

 

 やはり最初に考えた事は、家族も救ってほしいという願いだ。過ぎた事にもしもはないが、そう願っていたら家族を助けられたのではないのか。マミはかつてキュゥべぇにそれを聞いた事がある。

 答えは簡単だった。その願いはエントロピーを凌駕できない。その一言だけだ。

 聞きなれないその単語をマミは調べた。その結果、願いの強さや、何らかの不可視の要素がエントロピーと称されるこの世が持つ情報を凌駕――上書きできる事が条件のようだった。マミ自身の願いで説明するのなら、自身の《死》という情報を彼女自身の《命を繋ぎ止める》という願いで上書きしたのだ。

 

「……もう遅いわ、帰りましょう」

 

 目を細め、マミは踵を返した。つばさも無言でそれに着いていく。

 マミの願いは結果的に《命を繋ぎ止める》という形に間違いなく収まる結果となっている。ならつばさの願いは《もう一つの人格の消滅》だ。これがどういう形で成就される事になるのか。幸いな事に、この願いの成就は現状、即座に結果が出るような形では発現していない。今後の経過によって成就の方法を知る事ができれば、もしかすると男性人格のつばさを、どういう形であれ救う事が可能かもしれない。一縷の望みに、マミはすっかり暗くなり星が煌めきだした空を見上げた。

 

 

 

 その夜、帰宅したつばさはいつも通りの平和としかいいようのない母親との時間を過ごし、自室で日課である日記へのメモを行っていた。書く事はいくらでもあるが、何を書いたものか。

 

「余計な事、してくれて」

 

 舌打ちまじりにつばさは握ったペンを手の上で回す。マミが魔法少女の事についてあちらの人格に情報を与えていなければ、このまま人格の消滅を待っているだけでよかったものを。そこまで考えてつばさは頭を振った。

 逆に情報を与えられていなければ再び魔女に襲われて死んでいた可能性は否めない。今日に限っては自分自身も魔法少女について懐疑的だったのもあり日記には書かなかったが、今日実際に魔法少女として戦い確信した。少なくとも悪い冗談ではなく、本当にあのような戦いが日常の裏で繰り広げられてきたのだろう。

 つばさは昨日起こった事、魔法少女について今の自分が知る限りの事を普段の就寝時間を若干超えて書きつづった。あちらの人格の知らぬ間に、その存在を消してしまう契約をしてしまった事についても謝罪したが、本来は彼女こそが主人格なのだから正当性はある。そう信じて、つばさは眠りに就いた。その自信の裏にある事実を知らずに。

 

 深い眠りの中、つばさは不意にその気配に気づいた。いや、気配ではない。もっと別の、近くで感じれる何かだ。

 

「…………」

 

 長い沈黙の中、その正体を探る。手で探る訳でも、目で捉える訳でもない。ただそこに在る何か。それの正体を見抜けず、つばさは目を細めた。ここには足場も、天井もない。何一つない真っ暗な空間。だというのに自分の手足ははっきり見えている。ここが夢の中という事を理解するまでに、あまり時間は掛らなかった。

 この場を夢と意識したつばさは早速地面をイメージし、次に天井を――空を意識した。密閉空間では昨日の夢の事を思い出すからだ。夢の中で夢を思い出すというのもどこかおかしな話ではあるのだが。

 そうしてやっと明るい空間を認知し、先ほどから見極められなかった存在につばさは気付いた。自分と向かい合い、鏡映しのように全く同じ動作をする真っ黒な影。壁に自身の影が映っている訳ではないようだ。そもそも、壁なんてあったらあの夢を思い出す。

 

 ならこれは何なのだろうか。その存在に気付き、意識したつばさの耳に2つの声が届いた。いや、声と表せるほどハッキリしたものではない。何か2つ、重なった音声のようなものが聞こえてきているだけだ。それも脳内に直接響くような声。一つは声を荒げ、もう一つは沈んだか細い声を漏らす。だがその内容までは聞き取れない。

 はっきり分かった事と言えば、小さい声が何か重大な間違いを起こし、もう一方がそれを責めている事だけだ。なぜ声もよく聞き取れない中、それが分かったのか。それは――

 

(ああ……)

 

 自分の中で解答に辿り着くと同時、目の前の世界が崩れていく。声の主、それは――二人のつばさそのものだった。足元が崩れ、奇妙な浮遊感に襲われながら、つばさはそれを見送ることしかできなかった。

 だがどちらが過ちを起こし、どちらが憤慨していたか。そこまでは判らなかった。

 

 

 

 夢から目覚め、つばさは自分の状態を確認した。意識は間違いなく男性。肉体も男性。一日やそこらで人格の消滅は起こらないようだ。安堵したつばさは深呼吸をし、すぐさま自分の机に置かれた日記を開いた。昨日起こった事を含め、事細かに書いてある。つばさはそれを一字一句見逃さないようにしっかりと読んでいく。

 その中で、一行だけ書かれた謝罪の言葉。それを目に入れたつばさは苦い顔でその一文だけを読み飛ばした。

 

「……いまさら謝ったって、納得できないよ……」

 

 全てを読み終え、ぽつりと呟く。自分の知らない間に、自分を殺す事を確約されたのだ。謝罪されたところで納得できる訳がない。苛立ちも顕に、つばさは部屋の壁に掛けられたカレンダーを見やった。

 

 ――自分に残されている時間は、あとどれだけあるのだろうか。

 

 朝の恒例行事――母親との摩擦も乗り切ったつばさは陰鬱な面持ちで学校へと向かった。学校はいい、自分を病人として扱ってくれる分幾分かマシだからだ。無論、奇異の目や生徒からの嫌味ったらしい扱いはあるが、それでもあの家にいる時間よりは気が楽だった。

 

「おはよう。つばさ君」

 

 ため息を吐こうとした矢先、澄んだ女性の声につばさは息を詰まらせた。その姿を見るまでもない。マミだ。

 

「……おはようございます」

 

 ぎこちない笑みを浮かべてつばさは頭を下げた。そんな彼の内情を察してか、マミはその歩調に合わせ、小声で耳打ちした。

 

「まだ消えると決まった訳じゃないわ」

 

 明らかな気休めだ。つばさは射るような視線をマミに向けて答えた。

 

「気休めなんていいです」

 

「過去は変えられないけど、未来はまだ決まってないわ」

 

 マミは諭すようにつばさに語りかける。だがつばさはその目をさらに凄みのある物に変え、怒気を込めて呟いた。

 

「――それ、自分に言いたいんじゃないんですか?」

 

 その言葉に、マミは目を見開く。それは間違いなく、マミ自身が気づいていないもう一つの事実だったからだ。契約する事しか選ぶ事ができなかった彼女の、唯一の希望。

 同時にマミは自身の傲慢さを自覚する。年下で、新人の魔法少女という事もあり、先輩風を吹かせていた。確かに必要な場面は少なからずあった。だがそれ以上に、この遠藤つばさという少年は見た目や年齢よりも遥かに聡明だった。

 だからその分だけ、現実が強く見えてしまう。夢を見る事を止めてしまう。彼女たちの年齢の少年少女相応の希望すら、持っていられなくなってしまう。

 

「……僕にはもう、残ってる未来ですら判らないんですから」

 

 吐き捨てるようにつばさは呟くと、茫然と立ち尽くすマミを置いて逃げるように立ち去っていった。残されたマミはふらりと近くの木に寄りかかり、小さくため息を吐いた。

 そこに、木の上から声が響く。

 

『逆に言い負かされたみたいだね』

 

 脳に直接響いてくる声。キュゥべぇだ。

 マミはむすっとした顔を見せ、念話でキュゥべぇに応える。

 

『盗み聞きなんて趣味が悪いわ』

 

『魔女が出たらすぐに動けるように近くにいただけさ』

 

 飄々とした態度でキュゥべぇは尻尾を揺らす。マミはその様子に呆れつつも、小さく愚痴をこぼした。

 

『年頃の子って難しいわね』

 

『マミも殆ど変わらないだろう?』

 

『うるさいわよ』

 

 キュゥべぇはやれやれと肩を竦め、そしてつばさの走って行った先を見つめて呟いた。

 

『まぁでも、男性人格を残すのは意外と簡単そうだね』

 

 その一言に、マミは自身の耳を疑った。

 

「どういうこと?」

 

 その動揺を表すかのように声に出してキュゥべぇに問いかける。キュゥべぇは目を細め、抑揚のない声で答えた。

 

『遠藤つばさの契約、もう一方の人格の消滅は男性人格にも適用されているようだ』

 

 唖然とするマミを尻目に、キュゥべぇはじろりと彼女に視線を合わせる。その微動だにしない表情からは何を考えているか読み取れないが、不思議と笑っているように見えた。ただし、未知の生物を見つけた子供のような笑みだが。

 

『彼は特例中の特例だ。過去に解離性同一性障害……おっと、二重人格といった方が判りやすいかな? 過去の魔法少女に二重人格だった例は数度ある。だけど遠藤つばさのような男性の肉体で男女の精神を持った魔法少女は今回が初めてだ』

 

 キュゥべぇの言わんとする事を理解しきれず、マミはその言葉を記憶するだけで精いっぱいだった。だがキュゥべぇはそれを気にせず説明を続ける。

 

『通常、願いというのは何かしらの欲求だ。地位、お金、名誉……大抵の子は契約によって何かを得る事を望む。

 だが彼の――つばさの女性人格が契約の際に願った事は失う事。それも自分という器からだ。

 この願いの内容については前例がある。契約の成立から願いの成就までは数分と掛らなかった。だというのに、つばさは三日も経過しているのに未だに願いの内容を完全には成就していない』

 

 つばさが異例の魔法少女である事はマミも十分に理解している。だがそれがどう男性人格の消滅を阻止する事に繋がるのか、いまいち見当がつかない。思考を巡らせるマミを他所にキュゥべぇはその答えを話した。

 

『つまり、女性人格と男性人格、お互いに《もう一つの人格の消滅》を願った状態になっているんだ。彼女……今は彼というべきかな? 彼はかなり運がいいね。普通ならこの願いはお互いの人格が消滅して肉体だけが残るという結果になるはずなんだ。それが今回、つばさに関してはお互いの意識が相手の意識を取り込む形での消滅を実行している』

 

 つまり、今まで女性人格の願いが時間を掛けて実現していっていると思っていたものは、女性人格と男性人格の意識がお互いを消しあおうと天秤の上で互いの意識を奪い合っている状態だったという事。

 

「なら……女性人格の意識を男性人格が取り込めば……?」

 

『もちろん男性人格が残るだろうね』

 

 マミの疑問にキュゥべぇはさらりと答えた。そして軽く首を横に振って付け加える。

 

『だがその決定権はお互いの人格の意識の強さだろう。さっきの会話を見る限りでも、今は明らかに女性人格の方が強い意志を持っている』

 

 現状の男性人格のつばさは消えるのが自分だと思っている。ならその誤解を解けば良い事ではないか。マミは喉元まで出てきていたその言葉を飲み込んだ。

 つばさの二重人格が一時的なものであればそれで済んだかもしれない。だが違う。彼の二重人格は家庭から生まれたものであり、その環境の問題は未だ解消されていない。契約についての誤解を解いただけでは足りない。彼の生活において高い比率を占める部分、家庭での問題が残っている。彼の家庭の狂気に片鱗に、マミは既に触れているからこそ、それが容易でない事は想像できた。

 

『前途多難、ね』

 

 つっかえていたため息を盛大に漏らしてマミは気だるげに通学路を再び歩き出した。

 どちらにせよ、契約についての誤解は解いておくべきだろう。状況はあまり前進していないが、絶望するにはまだ早い状況である事は判った。今はそれで満足しておこう。

 

(でも……)

 

 マミはつばさの吐き捨てるような去り際の一言を反芻する。

 

 ――それ、自分に言いたいんじゃないんですか?

 

 自分で意識した事は無かったが、彼の一言によってそれを自覚してしまった。彼を救ってやりたいという気持ちは嘘ではない。だが、彼に語りかける一言一言の端々に、自分にも言い聞かせている面があったというのも間違いなくあった。

 やはり心のどこかで、両親を救えずに生き残った事と、半場強制的に契約をしてしまった事を悔やんでいるのかもしれない。人前では割り切っているように振舞っているが、やはり他人の契約内容を知ってしまうと無意識のうちに妬んでしまうものだ。

 

 そういう点において、つばさに対してマミは嫉妬心だけは持ち合わせてなかった。理由は簡単。単純にマミと男性人格のつばさは境遇が似ているからだ。否応が成しに契約をする事になったという共通点を持つ、似た者同士。だからこそ、色々と気にかけてしまっているのだろうか。自分自身に問いかけるが、無論答えは返ってこない。マミは本日何度めになるか判らないため息を吐き、通い慣れた校舎への道を歩いた。

 

 

 

 つばさが教室についてからというもの、別段問題なく時間は過ぎた。休み時間中に昨日のマミとの下校について聞かれたものの、彼の病状を考えれば浮いた話があるなどと誰も思ってはいないようで、適当な理由でごまかせてしまった。それはそれで男子として若干悔しいものがあるが、あまり深く考えない事にした。実際周りの考える通り、内向的で暗い自分とあのような綺麗な先輩とではあまりにも釣り合わない。

 

(それに)

 

 今朝の会話を思い出してつばさは机に突っ伏した。事が事とはいえ、あの人に当たっても何が解決するわけでもない。完全に八つ当たりだ。思い出せば思い出すほど自己嫌悪に陥る。だが頭からその思考を蹴り飛ばす事もできない。一人で唸っていると、ふと念話が届いた。

 

『つばさ君、聞こえてる?』

 

 マミの声だ、とすぐさま気づいたつばさは椅子を蹴立てて立ち上がってしまった。周囲の視線が痛い。

 

『は、はい。聞こえてます』

 

 椅子を戻して座りながら答える。実際に声に出さなかっただけ、一応慣れてきているのかもしれない。

 

『これから大事な話をするけど、絶対に慌てないでね』

 

『……はい』

 

 ごくりと生唾を飲み込み、見られてはいないのにつばさは佇まいを直す。マミもまた一度深呼吸をしているのか、一拍間を開けて言葉を放った。

 

『つばさ君、あなたを消さない方法が判ったわ』

 

「本当ですか!?」

 

 思いもよらない発言につばさは声に出して立ち上がった。今度こそ完全に周囲の注目を集めてしまった。つばさは顔を真っ赤にして再び席に座り直すが、周りの嘲笑が耳に入ってくる。軽く頭を振ってつばさはマミに聞き直した。

 

『……本当ですか?』

 

 しばらくの間と、妙に落ち着いた反応で全てを察したのか、マミは苦笑交じりに今朝キュゥべぇと話した内容をつばさに伝えた。その内容に驚いたつばさだが、しばしの沈黙の後に小さく呟く。

 

『……僕の意志次第で、逆にあっち――女性人格を消す事も可能なんですか』

 

『ええ……ただ――』

 

 今のままでは男性人格が消える。喉元まで出かけたその言葉を飲み込み、マミは口を閉じた。その続きを察したつばさは自嘲混じりにそれを代弁した。

 

『……まぁ、僕の意志なんかじゃどっちみち消えそうですね』

 

『つばさ君……』

 

 咎めるような、慰めるような、どちらともつかないマミの呼び掛けに応えずにつばさは眉間を抑える。自分がどうすれば良いかは判った。だがそれはつばさにとって相当に厳しいものである事も自覚していた。

 

『……放課後、時間あるかしら』

 

『大丈夫、です』

 

 かすかに震える声でつばさは答える。会話はそれっきりだった。

 静かになった脳内で、つばさは自分に問いかける。自分が生きるために、もう一人の人格を消滅させる事を強く願えるだろうか。

 答えはすぐに出てきた。はっきり言ってノーだ。もう一人の人格を消すのが可哀相などというものではない。遠藤つばさという人間を構成する要素として、女性人格が絶対的な位置に立ってしまっているからだ。

 例え男性としてのつばさが強靭な意志を持ってもう一人の自分に打ち克ったとして、その先に待っているものは何も約束されていないのだ。それに比べ、女性人格には人格の入れ替わりもなく暮らせる母親然としたあの女との平穏な家庭が待っている。

 かと言ってこのまま黙って消える気も毛頭無いのだが、現状でも既にモチベーションの面で完全に不利である事も確かだ。つばさは大きくため息を吐いた。

 結局、その問題に悩んだまま授業を受け、どうやって昼食を取ったかも定かでないまま放課後となってしまった。

 

 昨日と同じようにつばさは校門でマミと合流する。だが後から来たマミの後ろには二人の少女の姿が見えた。一人は桃色の髪を赤いリボンで左右に結わえたおっとりとした印象の少女。もう一人は青い髪のショートカットで、活発な雰囲気を漂わせる少女だ。同行しているのであれば、マミの同級生だろうか。つばさは塀の上に立つキュウべぇに目配せし、頭でマミに問いかける。

 

『えっと……この人たちは?』

 

『大丈夫。取って食べたりしないわ』

 

 その言い方はどうなんだろう。とつばさが応えるよりも早く別の声が頭に直接響いた。

 

『ちょっとマミさん、その言い方は酷い!』

 

 聞きなれない声につばさはあたりを見回す。それらしい人物といえば、マミの後ろに並ぶ二人だ。それぞれ口を尖らせていたり、苦笑していたり。この会話に入ってきているという事は答えは一つしか思い浮かばない。

 

『あなた達も魔法少女……?』

 

 小首をかしげるつばさを前に、逆に二人が訝しげな視線を投げかける。その視線の意味を察してつばさはびくりと怯えた。そうだった。自分が異例なだけで、普通なら女の子が魔法少女になるのだった。

 

「紹介するわ。鹿目まどかさんと、美樹さやかさん」

 

 その空気を察したマミは早速つばさに連れてきた二人を紹介する。

 マミの紹介に合わせて桃髪の少女が礼儀正しく頭を下げる。

 

「初めまして。鹿目まどかです。よろしくね」

 

「よ、よろしくお願いします」

 

 それに合わせてつばさも慌てて頭を下げた。それに比べ、消去方で美樹さやかと思われる青髪の少女は訝しげな視線を外さずにつばさを舐めるように見回す。

 

『うーん……マミさんから聞いてはいたけど、本当に男子でもなれるもんなのかね魔法少女って』

 

『理論上は可能だと言っただろう? 現に彼がそれを体現している』

 

 未だにつばさを怪しむさやかにキュウべぇが答える。

 

「……美樹さやか。よろしく」

 

 明らかに警戒の色を見せながらさやかが自己紹介した。つばさはぎこちない笑いで答える事しかできない。

 

「…………え、遠藤つばさ……です」

 

 そんな二人の間の微妙な空気を察してマミが軽く手を叩いた。

 

「さ、こんな場所で立ち話しててもしょうがないわ。どこかに移動しましょう?」

 

「お、さんせーい!」

 

 ぱっと、つばさに対しての態度とは正反対の仕草でさやかがマミに賛同する。その切り替えの速さにつばさとまどかが苦笑して眺めて――――

 

(う……こんな時に……?)

 

 ぐらりと視界が歪み。平衡感覚がぐちゃぐちゃになる。慣れ親しんだ人格切替の瞬間。マミ達がその異変に気付くが既に遅い。つばさ自身、別段驚く事でもない。だが、今までの感覚と何かが違う。

 

 ――あんたは邪魔だから下がっててよ!

 

 意識が闇に沈む直前。つばさは聞きなれない声を耳にした。聞きなれないはずなのに、良く知っている声のような気がした。

 

「つばさ君?」

 

 かくん、と突然膝を着いたつばさにマミが寄り添う。何が起きているのか。という疑問はすぐさま答えに辿り着く。おそらくこれが入れ替わりの予兆なのだ。だとすれば直ぐにでも《彼女》が現れる。

 

「うーん……こうすりゃいいのか、なるほどなるほど……」

 

 軽く頭を振ってつばさは立ち上がる。その言葉の意味は理解できなかったが、口調だけで既に切り替わっている事は手に取るように判った。

 

「だ、大丈夫?」

 

 ふらふらと立ち上がるつばさを心配してまどかが声を掛けた。ある程度は話していたものの、マミと同様に実際に入れ替わりを見るのは初めてだろう。つばさはその声に気づいて、一度周囲を見回して答えた。

 

「あー。大丈夫っす! 鹿目センパイ!」

 

 つばさは元気よく両手を振りながらストレッチして見せる。その勢いの良さに圧倒されたまどかは小さく頷く事しかできない。

 

「な、なんか雰囲気変わってない?」

 

「あーさっきまで人格が違ったんで! もう困っちゃいますよぉ」

 

 そのテンションの高さに気圧され、さやかがちらりとマミに目配せする。マミはそれに応えるように頷いた。だがその胸中は穏やかではない。

 さっきつばさはなんと言った?

 鹿目センパイ。そのたった一言がマミの胸中をかき乱していた。昨日までは互いの記憶は共有されていない様子だった。だが今、男性人格に紹介したはずのまどかの名前を記憶し、その名前を呼んだ。もっと緩やかだと思っていたが、思っていた以上につばさの――男性人格の消滅は現実味を帯びたものになってきているようだ。

 

「まぁいいや、とりあえず腹ごしらえだ! ハンバーガーでも食べよう!」

 

 気を取り直したさやかがまどかの手を取って歩き始める。

 

「さやかちゃん昨日もハンバーガーだったよね……?」

 

 手を引かれるまどかが困ったような顔で呟いた。空いている方の手は自分の腹部が訴える空腹の音を労わる様に添えられていた。だがそんな事も露知らず、さやかはポケットから何かを取りだしてひらひらと全員に見せるように掲げて見せた。

 

「ふっふっふ、今日のさやかちゃんはすごいよ。なんと無料券を手に入れてたのだ!」

 

「さやかセンパイ。鞄をお持ちいたしやす」

 

 さやかの言葉を聞くなり、素早い動作でつばさがさやかの鞄を受け取る態勢を取る。ジャンクフードの無料券自慢で気を良くしていたのか、さやかはそのテンションに乗るように胸を張って鞄を手渡した。

 

「はっはっは、いい心掛けだ新人クン! 褒美をやろう!」

 

「ありがとうございます!」

 

 薄っぺらい無料券の束でさやかは軽くつばさの頬を交互に叩いたのち、その束から一枚を取ってつばさに渡す。つばさもまたへへぇと頭を下げてそれを受け取った。

 何だろうこの空気は。その光景を後ろで見ていたまどかは苦笑し、マミはその豹変――もとい男性人格とのギャップに驚きを隠せなかった。

 

 

 

 駅前のハンバーガーショップに入っても、空気に変化はなかった。いや、正確に言えば大きな変化はある。それは、

 

「「あっはっは!」」

 

 仲良く肩を組んで笑い声を上げるつばさとさやかだ。酔っ払っているんじゃないだろうかと思えるほど、まるで会社の上司とその部下のように注文したLサイズのコーラをお互いの空いた紙コップに注いでは一気に飲み干す。

 明らかに警戒心を剥き出しにしていたはずのさやかだが、どうやら女性人格のさばさばとした性格は気に行ったようで、初対面だというのにまるで旧友と接するような態度で楽しんでいる。だがそれに着き合わされているこちらは溜まったものではない。

 

「二人とも……周りの人に迷惑だよ」

 

 周囲の視線を集めていることを理解しているまどかが二人を止めようとする。だが勢いに乗っている二人は止められず、逆にその輪に巻き込まれてしまう。マミは我関せずを貫くように、購入した紅茶を静かに飲んでいた。だがこのままでは話にならない。窓際に座っていたキュウべぇに目配せして念話を試みる。

 

『そろそろ、お話していいかしら?』

 

 有無を言わせぬよう、凄みを効かせて問いかける。その声にそれまで大爆笑していた二人がびくりと肩を震わせて恐る恐る佇まいを直した。解放されたまどかもため息混じりにお茶に一口つけ、乱れてしまった裾を正した。

 

『まずは現状の把握。つばさ君よりは先だけど、美樹さんも新人の魔法少女。鹿目さんはまだ契約していないわ』

 

『じゃあ魔法少女歴ではまどかセンパイよりはセンパイなんですね!』

 

『……鹿目さんが魔法少女になると決まったわけじゃないわ。強制させるような事はしないでね』

 

 マミは静かに、だが明らかな怒気を込めて釘を刺した。一時の願いを叶えるために、一生の戦いを強いられるのだ。周りに強制されて契約するなどさせるわけにはいかない。その辺りの気遣いは男性人格の方がしっかりしているのかもしれない。

 

『今、問題になっているのは最近出没している魔女。昨日私とつばさ君で追い払ったから直ぐには現れないと思うけど、何かあったらすぐに知らせて』

 

『『『はい』』』

 

 マミ以外の三人が答える。つばさも昨日の戦いを見てはさすがに一人で挑む気は起らなかった。

 

『他にも魔女が現れる事があるかもしれないけど、絶対に一人で戦おうとしない事』

 

 つばさはゆっくりと頷く。少なくとも自分の能力を把握していない状態ではしかたあるまい。

 

『現状はそんなところね……あとは知っている限りの事を教えておくわ。しっかり聞いておいて、特につばさ君』

 

 紙コップに残った紅茶を静かに飲み干し、マミはポケットから一つのアクセサリ――魔法少女に変身するための宝石を取りだした。

 

『これはソウルジェム。もう大抵の事は判ってると思うけど、魔法の源よ』

 

 マミは見せるように手の上でそれを転がして見せる。こうして見れば綺麗な宝石にしか見えない。だがこの中には想像を絶する力が秘められている。だがマミのソウルジェムを見ていたつばさはある事に気づく。

 

『マミさん。このソウルジェムちょっと汚れてません?』

 

 そう、マミのソウルジェムはつばさのものと比べて明らかに黒ずんでいた。それでもなお目の前の宝石ははっきりとその煌めきを声高に叫んでいるのだが。

 マミは口元に笑みを浮かべてよくできましたの一言と共にそれを仕舞って話を続けた。

 

『そう、ソウルジェムは少しずつ《穢れる》の。魔法を使えば使うほど、ね』

 

『穢れる……』

 

 隣にいたさやかが呻くように呟く。同じソウルジェムである以上、つばさにもさやかにも起こる事なのだ。その様子に気づいたマミは小さく笑い声を洩らした。

 

『大丈夫。穢れてもちゃんと《浄化》できるわ』

 

 安心させるようにマミは笑顔で応える。それまで緊張した面持ちだった二人は同時に深い溜息を吐いて、二人揃って残っていたコーラを飲み干した。

 

『方法については今は必要なものがないから説明はまた今度にしましょう』

 

 マミはそう言って立ち上がった。話はこれ以上無いようで、鞄を片手に空になったコップを捨てに行く。となればこれ以上この場にとどまる理由は特にない。さやかと軽く目を合わせて頷くとつばさ達も後を追うようにそそくさとテーブルの上に散らかしたゴミを纏めてゴミ箱へと向かった。

 

 

 

 ハンバーガーショップを出て数分。さやかがカラオケ屋に行くことを提案した直後に異変は起きた。

 

「何……?」

 

 違和感、といえばいいのだろうか。うまく言い表せないものの、肌がざわつくような感覚を覚えてつばさはあたりを見回した。同様にマミもその感覚に気づいたようで、穏やかな笑顔が一瞬で凛々しい表情へと切り替わる。

 

「な、なんだろう。ヘンな感じがする」

 

 自分の体を抱くようにしてさやかがかすれた声を漏らした。

 

「大丈夫? さやかちゃん」

 

 その隣にいたまどかが心配そうな表情で支えるように寄り添う。どうやらまどかにはこの感覚は襲ってきていない様子だ。そうなると自然とこの感覚にも説明がつく。

 

「魔女、ってことかな」

 

 つばさはぎゅっと制服の下に隠れているソウルジェムに手を当てた。

 

「どうかしら……使い魔が動いてるだけかもしれないわ」

 

 マミは何かを探すように周囲を見回す。この感覚の原因を理解したさやかも復活して、まどかと共に周囲を見回していた。だがその行為の意味を理解できずにつばさは眉根を寄せた。

 

「えっと、何してるんです?」

 

 首をかしげるつばさを前に、今度はまどかが答えた。

 

「魔女は人を襲うけど、別に結界から出てくるわけじゃないの。魔女の口付けって言って……く、詳しくは私もよく知らないんだけど、それで人を結界に引き込んでから襲うらしいの」

 

 なるほど、とつばさは頷いた。確かに、結界から出ていちいち人を襲っているのだったらもっと世間に広まっているはずだ。自身が魔女に襲われた時を思い返してみてもやはり見慣れた町の姿ではなく、異質としか言いようのない結界の中だった。

 

「なんか目印とかあるんっすか?」

 

 つばさは周囲を見回してみるが周りにいるのは一般人だけだ。見分けなど付かない。

 そこにまどかの口からさらに踏み込んだ説明が入る。

 

「体のどこかに印があるらしいんだけど……」

 

 同じようにまどかも辺りを見回す。そこに、身長なら最も高いさやかが何かを見つけた事を知らせた。

 

「あれ、あの人じゃない?」

 

 すっとさやかが上げた手が人ごみの一点――路地裏へとふらふらと入っていくサラリーマンの姿を指差す。確かに怪しい、というよりは挙動がどこかおかしい。

 

「行ってみましょう」

 

 言うが早いか、一番にマミが駆け出す。まどかとさやかもお互いに顔を見合わせて頷くとその後を追いかけた。最後に残ったつばさも慌てて走り出す。

 サラリーマンが入っていった路地裏に一同が飛びこむ。つばさの中ではゴミ箱が置いてあったり、汚れたパイプが壁を伝っている光景がありありと浮かんでいる。

 

「あっ……」

 

 はずだった。本来その光景であったはずであろう路地裏は彼女たちが飛びこんだ瞬間にその姿を変えてしまった。

 路地裏に踏み込んだ瞬間に感じた粘性の高い膜を通り抜けたような感覚。これが結界に入るという事なのだろう。

 

「……使い魔だけのようね」

 

 ぼそり、と気づかれないようにマミが小声で呟いた。入口という事もあるからだろうか。現実と結界の景色がまじりあったような光景によってその全容はまるで掴めないが、横たわった先ほどのサラリーマンが使い魔に抵抗もせず運ばれていく姿が見えた。

 

「マミさんっ」

 

「ええ」

 

 さやかとマミが顔を合わせ、ソウルジェムを手に取って駆け出す。結界に入っている以上は外側から気づく事はないだろうが、人が迷い込んでくるかもしれない路地裏と結界の間で一度服が吹き飛ぶ変身はしたくないものだ。つばさもそれにならってソウルジェムを手に取り走り出し、魔法少女ではないまどかがそれに続くように駆け出した。

 前方では変身を終えたマミとさやかが人間離れした跳躍で使い魔を追っている姿が映った。初めて見る魔法少女姿のさやかは白いマントを羽織っており、背後からではその全容は重力に従って落下している間にしか見えないが、どうやら軽装の剣士といった格好だ。つばさもその姿を目に入れながら変身し、昨日と同じく絵本の魔女のような姿の魔法少女姿へと変身する。

 

「まどかセンパイ、乗ってください!」

 

 呼び寄せた箒に跨ってつばさは低く浮き上がる。このまま加速すればあの二人に追いつくのは一瞬だが、魔女の結界の中で生身のまどかを置いていくわけにはいかない。

 だが呼び掛けに対してまどかは顔を真っ赤にして慌てふためいていた。

 

「つ、つばさ君、目の前で変身は……その、ちょっと……」

 

 そこまで言われ、ああ、とつばさはため息を吐いた。先の二人が気にしたように、魔法少女姿への変身には一度衣類を脱ぐ必要がある。その動作自体は魔法の力によって行われるため、自力で一々裸になる必要はないのだが、肉体的に男性であるつばさも例にもれず一瞬素っ裸になったというわけだ。

 

「……さっさと女の子の体になりたいなぁ」

 

 どこか遠い目でつばさは呟く。だがその呟きを否定するかのように何者かが彼の頭に乗った。

 

『やめといた方がいい。君はいいだろうけど、いきなり体の構造が変わったら男性人格の方が耐えられないよ』

 

「キュウべぇ」

 

 今までどこにいたのか、キュウべぇは飄々とした態度で質問には答えず、移動を促す。急いでいるのは間違いない。まどかを後ろに乗せたつばさは跨った箒を一気に加速させて結界の中を突き進んだ。

 入り込んだ結界の内装は昨日のものとは明らかに異なり、まるでスポンジのような壁や床、ところどころに建てられた巨大な蝋燭が燭台のように爛々と炎を揺らめかせている。先行したマミ達の行方はどうやって感知しているのか知らないが、キュウべぇが道を教えてくれたため二人は迷うことなく結界を突き進む。

 途中で出くわした使い魔は全て地上でしか行動できないようで、飛行するつばさに気づいても襲ってくる事はなかった。

 しばらく進んでいくと、先ほどのサラリーマンを横たわらせた二人を視界に捉え、つばさは緩やかな旋回でその場に降りる。

 

「使い魔は?」

 

「もちろん――」

 

 つばさの問いかけにさやかがその右手に握ったサーベルを器用に回し、宙に放り投げる。

 

「――やっつけた」

 

 にっと強気な笑みとVサインともに落下してきたサーベルをキャッチ。

 その様子にマミは咳払いし、話を続ける。

 

「運んでいた使い魔が居る以上。親玉が確実に奥にいるわ」

 

 恐らく使い魔でしょうけど、と付け加えマミは銃を一丁手に取る。

 

「この人はどうすれば……」

 

 横になっているサラリーマンを見ながらつばさが呟いた。すぐさま思いついた手段であればつばさが全速力で外まで運ぶ方法ぐらいだ。だがその方法を察したのかマミが首を横に振った。

 

「外に連れて行ってもまた入り込んじゃうし、ここに置いていっても使い魔が運んでしまうわ」

 

「ならさっさと親玉をやっつけちゃえば!」

 

 ぶん、とサーベルを振ってさかやが答えた。マミもそれに同意して頷く。現状としては最も現実的な手段だ。まどかとつばさもそれに倣って頷いた。

 その時である。

 

「え……マ、マミさん」

 

 何かに気づいたまどかが明らかに恐怖の色を顔に浮かべた。一同がその視線の先に目をやり、それに気づいた。

 

「……ああ、そういう事だったのね」

 

 ため息混じりに、だが納得した様子でマミはざっざっと多数の足音を立ててやってくるそれを睨んだ。

 使い魔に運ばれてやってくる、大量の――人間を。

 

「この近くの病院、親玉の狙いはそこだったようね」

 

 病院、という単語にさやかがびくりと肩を震わせた。そしてすぐさまこちらへやってくる集団へと何かを探すように目を走らせる。

 

「恭介っ……」

 

 聞きなれない名前につばさは首を捻る。そこに動揺を孕みつつも、さかやよりは落ち着いているまどかが説明を添えた。

 

「えっと、恭介君っていうのはさやかちゃんの幼馴染で、ちょっと前に交通事故に遭って近くの病院に入院してるの……怪我自体はさやかちゃんが契約で直したけれど、まだ体力の方が回復してなくて……」

 

「それってまずいんじゃ――」

 

 つばさがその可能性――恭介という男性がここに運ばれてきてしまう可能性――に気づくよりも早く、さやかが悲鳴に近い声を上げた。

 

「恭介!」

 

 右手のサーベルを振りかぶり、さやかが眼前の集団に駆け出した。運ばれてきている人間の誰が該当するのかは判らないが、とにかく考えた可能性が実現してしまった事だけは理解できた。

 

「つばさ君、援護できる?」

 

 手に持った銃を特攻するさやかに当てないように、一発一発を正確に発射しながらマミがつばさに視線を向けた。

 言われるまでもない。誰一人とて魔女に喰わせてなるものか。つばさは手に持った箒を閃かせ、一歩踏み出そうと――。

 

「―――っ! こんな時に……!」

 

 ぐらり、と視界が揺れる。悪い事は重なるものだ。よりにもよって、こんな時に入れ替わりが発生するなどと。平衡感覚がおぼろげになり、たまらず膝を着く。

 脳裏に鮮明なイメージが浮かぶ。自分と同じ顔。だがその表情は対照的な自分がぶつかり、通り抜け、その場所を入れ替えていく光景。

 嫌だ。嫌だ。私は、私こそが本物なのに――。

 女性人格のつばさの意識は、そこでぷつんと途切れて闇に溶け込んでいった。

 

 




 二章はこれにて終わりとなります。
今回の通りで、基本的に本文中に魔女名の表記は行わないスタンスです。
ただどんな魔女なのかぐらいは判別できるという程度ですね。

 という訳で本編について補足的なりなんなり。
つばさ君の基本能力は『消滅』となります。願いの割りに相当に強力な魔法です。
あまりここで語りすぎると本編のネタバレになってしまうので割愛しますが……。
なんでも消しちゃいます。防御力完全無視です。

 ちなみに魔法少女衣装のイメージは箒に跨って飛ぶ至って正統派な恰好です。着てるのは男の子ですが。
ただし活発的な女性人格さんはどちらかと言えば箒を武器として使う事が多そうですね。
非常に強力な魔法を有しておりますがその分本人特有の弱点等も多々あるのがつばさ君。
砲撃も強力ですがリボンによる補助が光るマミさんとは相性がいい……といいなぁ。



 さぁて、次回のつばさ☆マギカは?

 既に出てしまった『病院』というキーワード。結界の中にはもちろんあの子。
男性人格として初めて戦いに参加するつばさが知る自身の秘密とは!?

――――あなただけが頼りなんです。
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