翌日、学校での昼休み。いつものように学校へと登校したつばさはかつてない試練を前にして逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
(…………今すぐ逃げたい)
そう思うのには訳があった。それは彼が中学一年生であり、男子であるが故の問題。元より周囲からの奇異の視線が苦手なつばさにとっては拷問にも等しい状況。彼は今――。
(でも、あの人の協力を得るには僕がやらないと……!)
二年生の教室の前を歩いていた。
別に、見滝原中学の制服は学年ごとに何かしらの色分けをされている訳ではない。これでつばさの体質がまだ知れ渡ってない頃なら多少の緊張はあれど目立たないのだが、入学より半年経った今では特異な体質の一年生の噂は悲しい程に知れ渡っているようだった。周囲からの奇異の目に耐えつつも、彼は目的の教室へと辿り着く。閉じた扉に手を掛け、音を立てる事すら禁忌であるかのようにそろそろと扉を開けて中を覗いた。
そこにはつばさの教室と同じ構造をした机が綺麗に並んでおり、違うのはそこに座る生徒の面々だ。その中に見慣れた顔を見つけ、つばさは息を飲んだ。
知らない人間と視線を合わせるのが辛いため、気付かれにくい遠くから目を走らせる。見知らぬ中で、まどかの姿を見つけてほっと息を吐く。だが目的は彼女ではない。
さらに目を走らせ、一席だけ床下の収納スペースに折りたたまれた机に気付く。きっとそこに座っているはずだったのは、美樹さやか。彼女は今、ここに居ない。その事実に彼は唇を噛んだ。あの場所へ彼女を戻すために、今自分がやるべき事をやらねばならない。
つばさは意を決し、最後の一人――暁美ほむらの姿を見つけた。他者を寄せ付けない雰囲気を漂わせ、彼女は次の授業の道具を机に並べて微動だにせずホワイトボードに視線を向けている。彼女と話すため、つばさはここに来たのだ。今更引くつもりはない。小さく深呼吸し、つばさは手前の席に座る女子生徒に声を掛けた。
「あっ、あの! すいません……あ、暁美ほむらさんを呼んでもらえないでしょうか」
「暁美さん? ちょっと待ってね」
快く引き受けてくれる相手で良かった。つばさはほむらの元に歩いていく女子生徒の背中を見届けながら内心で胸をなでおろした。一分も待たず、ほむらがつばさの前に現れる。
「私に、何か用かしら?」
他者を寄せ付けないオーラは健在のまま。ほむらは肩に掛った髪を後ろへと掻き上げる。
恐らく、他の者がそれを前にすればたじろいでしまうであろう威圧感。だがつばさは違った。相手の内心を読み取る力は図抜けているため、相当に隠されてはいるが抑えきれない期待感を彼は敏感に読み取った。この様子であればつばさの目的を達するのも難しくはなさそうだ。
「えっと、先日の件、調べが付きましたのでご報告に……」
流石に人気の多い場所で魔法少女の話はし辛い。つばさは言葉を濁して伝えるが、どこで話したものかと悩んだ。そんなつばさの考えを見抜き、ほむらはつかつかと彼の横を通り抜けて廊下に出る。
「……屋上で話しましょう」
ほむらに促され、つばさはその後を着いていく。階段を上がり、屋上へ。今日の天気は曇りで、わざわざ屋上に出ている生徒はいなかった。これ幸いと、ほむらは入り口の死角――外からでも見えない場所で魔法少女の姿に変身した。その意味を理解し、つばさは手を差し出す。
「理解が早くて助かるわ」
彼女はそう言って差し出された手を取った。その瞬間、周囲の時間が止まり、誰からの干渉も受けない、切り取られた時間につばさは投げ込まれた。
「先日の件ですけど……」
「ええ」
ほむらはつばさの手を掴み、離さないように両手で押さえる。
まるで手錠か何かだ。つばさはそんな事を考えて喉を鳴らした。これから先の会話は何一つミスはできない。本気でさやかを救うためにも、あの人の願いを、願いで終わらせないためにも。
「キュウべぇに聞いて確認まで取りました。ですがタダで御答えはできません」
手を返し、逆に逃がさないようにほむらの手首を掴んだ。これで条件は五分五分。いや、元々情報を求めたのが彼女であり、またこの空間を維持する事も彼女の負担である以上はこちらが有利だ。
「……巴マミに同調している以上、有益な情報はむしろ連携したがるものと思っていたけど、そうでもないようね」
「ええ、マミさんはそうかもしれないですけど、僕はその甘さを支えるために辛口のつもりですので」
遠まわしな嫌みにも動じず、つばさは返した。ほむらは見定めるように目を細めると、仕方ないといった様子で口を開いた。
「……条件は?」
「美樹先輩の救出を手伝って下さい。成否は問いませんが、その判断の全権は鹿目先輩に委ねます」
「……あの子は、やはり諦めていなかったようね」
ほむらは小さくため息をついた。まるでこうなる事を予想していたかのような口ぶりだ。だが話はこれで終わりじゃない。彼女は視線を厳しいものに変えて続ける。
「でも、それだけの大ごとであるなら報酬は前払いでなければ聞き入れられないわ」
ほむらの言う事は最もだ。つばさの持っている情報の価値は、彼女がどのような解答を求めているにせよ後払いで賄えるほどのものではないだろう。だが、先払いでほむらが協力してくれる保証はどこにもない。ここがこの交渉の成否を分ける正念場だ。
「分かりました。……あなたを、信じます」
信じる。それがつばさの判断だった。マミのためにも、自分のためにも、今ここで、誰かを信じられなくて何が信じられるというのだ。彼は恐らく、生まれて初めて自分の意志で相手の瞳を見た。
「単刀直入に言って、僕以外じゃ魔女化は回避できないようです」
「……」
ほむらは沈黙したまま、語り続けるつばさを見ている。今、彼女が何を考えているのか、つばさは目を見て話す事で精いっぱいで読み取っている余裕はなかった。
全てを語り終え、つばさはこれで終わりというように目を伏せた。
「……そう」
ほむらは小さく呟き、前髪をくしゃりと掻き上げた。何かを堪えるように眉間に皺をよせ、唇を噛む。彼女が内に隠した希望。理由はどうあれ、つばさはそれを奪った。その事実に罪悪感を覚え、つばさは視線を下に向けた。
「……放課後、マミさんの部屋で」
「……ええ」
ほむらは頷いて掴んでいた手を離した。それに同調し、切り取られた世界が元の世界と繋がる。こちらではコンマ一秒すら立っていないというのに、どっと疲れが襲いかかるようだった。つばさはほむらに一礼し、その場を去ろうと踵を返す。
「安心して。美樹さやかの救出には協力するわ……そちらの可能性も、一応検証したいから」
その背後から、ほむらの言葉が投げられた。彼女の言葉に、つばさは頷きだけで返して屋上から校舎へと続く扉を開く。彼女は彼女で、教えられた事実を振り払い、次の希望へと向かうために自分を鼓舞している。そう思ったからこそつばさは何も答えずにその場を去った。
「やることはやった……あとは――」
――――信じ続けるだけ。
■
「ごめんなさい、時間が無いからお茶も出せないの」
開口一番。マミは軽く頭を下げた。もちろん、彼女の言う通り時間はいくらあっても足りるものじゃない。彼女の部屋に集まった一同はテーブルの上に広げられた見滝原一帯の地図に視線を降ろして頷いた。ほむらの登場に皆驚いたものの、人手だっていくらあっても困らない状況だ。どことなく敵対的な彼女の存在も今回はすんなりと受け入れられた。
「昨日のうちに確立の高いところに大体印を付けたわ。鹿目さんは単独行動できないから大きく四カ所に分けて捜索。見つけ次第テレパシーで全員に連絡。いいわね?」
地図上に示された赤いバツ印を大きく四つに囲み、マミは全員の顔を窺った。それに大してほむら以外が頷く。
「数か所調べが抜けているわ」
ほむらはそう言ってマミのペンを取り、迷いなくいくつかの地点にバツ印を付ける。その理由を計りかね、マミ達は首をかしげた。
「今付けた場所に現れる可能性がある理由は?」
「……それは言えないわ」
「言えないって…………」
罠ではないか。懐疑的な目をほむらへと向けてマミは言葉を濁した。だが時間も惜しく、隣に座る杏子は鼻で笑う。
「へっ。どっちにしろこの目当てが全部外れても探すしかねーんだ。今更増えても問題ないさ」
杏子は両手を突き合わせる。彼女の言う通りだ。付けられた印のどこにもさやかが居なかったとしても、絶対に見つける。
「後は区画の割り振りですね」
つばさは身を乗り出し、分けられた四つの区画を眺めた。そこにほむらが口を挟む。
「私は鹿目まどかと行動させてもらうわ」
「えっ?」
突然の申し出にまどかは目を丸めた。まどかは魔法少女ではない。そのため誰かと行動するのは避けようがないが、それをほむらが進んで提案するのは意外だった。何かを企んでいると思ったのか、マミは厳しい目で彼女を見る。
「……構わないけど、何を考えているのかは教えてもらえるかしら?」
「鹿目まどかを魔法少女にさせないためよ。分かっているでしょう? 彼女は強力な素質を持っている。反面、魔女になってしまえば誰も手が付けられないわ」
ほむらの言い分は分かる。今さやかが魔女となってしまったように、まどかも契約してしまえばその運命を背負う。そして彼女はキュウべぇのお墨付きが出る程の強力な素質を秘めている。
仮にさやかを救う手立てを見つけれたとしても、まどかが魔女となってしまった場合に再びそれを実行できる程度の戦力差に収まるとは思えない。つまるところ、さやかの戦闘力なら手段さえあればどうにかできるが、まどかだったらどうにもならなくなる。そういう事だ。
だがそれをほむらに託すだけの信頼関係が、この場に居る誰にも無い。マミは厳しい目つきを外さずに答えた。
「それは別にあなたで無くてもいいでしょう」
「……あなた達を信頼しろと言われても、できないわ」
場の空気が悪くなってきた。つばさは内心はらはらしながらその会話に聞き入る。だが、その会話に割って入ったのはまどかだった。
「それでいいです。私、ほむらちゃんと一緒に行きます」
彼女はそう言って立ち上がり、その場に居る全員の顔を見回して言った。
「時間が無いですから、ここで言い争うよりも行動しましょう」
普段の彼女からはあまり想像できない程、はっきりとした言葉だった。さやかの魔女化が、本来彼女に欠けていた行動力を呼び醒ましているのかもしれない。マミは心配そうな顔を浮かべつつも、彼女の意志を尊重して頷いた。
「そうね……行きましょう」
その一言で全員が立ち上がる。マミは手に取った地図を魔法で四つに増やした。
「区画をそれぞれA、B、C、Dで話すわね。暁美さん達はA、佐倉さんはB、つばさ君はC、私はDを探すわ」
彼女の割り当てに、誰も反論はせずに頷いた。後は探すだけだ。その場で全員が変身しようとして――
「つばさ君はあっち」
マミが自身の部屋を指差した。
「そうでした……」
頬を赤らめてつばさは指示に従った。女性の裸を見るのも、自分の裸を見せるのもよろしくない。
変身を終えた一同は、杏子の魔法で一般人の目に映らないようにし、窓から飛び出してそれぞれの区画へと向かった。常に彼女の魔法を受け続けれる訳ではないため、移動後は変身を解いて徒歩で行動する事になる。全員が居なくなった後、物陰から一匹の生物――キュウべぇが姿を現す。
『やれやれ……本気で魔女になった人間を救うつもりなんだろうか』
傾きかけている太陽の光で、キュウべぇの無機質な目がぎらりと光った。
『その行動こそが、絶望に繋がるかもしれないというのに。ま、僕らとしてはその方がありがたいけど』
■
数時間後、日も傾き、町はずれのコンサート会場に杏子を除いた全員が集結していた。魔女を逃がさないためにも、杏子は先だって結界の中で戦っている。
「皆、覚悟はいい?」
マミの言葉に全員が頷く。その問いにもう一人、この場に居ない者が答えようとする。
(また、このタイミングか)
暗転する視界。おぼろげになる感覚。入れ替わりの前兆だ。恐らく覚悟の確認に答えようとするためだろう。だが一度変わってしまえば、耐えられない事が起きない限りすぐに切り替わる事はないだろう。これから大事な時に入れ替わってしまう自分の体質が恨めしかった。
「――アタシも大丈夫っす。美樹センパイを助けましょう」
助ける事が目的だからか、希望に満ちた顔で入れ替わったつばさは答えた。マミは小さい溜息を吐いてまどかに視線を向ける。
「言いたくはないけど……鹿目さん。誰か一人でも命の危険にさらされるようなら、美樹さんの救出は断念するわ」
「はい……分かってます」
彼女の質問に、まどかは両手を胸元に置いて頷いた。さやかを救うために、誰かの命を犠牲にするつもりはこの場に居る誰にも無い。結界を潜り、すぐさま魔法少女の姿に変身する。流石にもう裸がどうこう言っていられる状況ではない。誰もつばさに文句を言わずに変身した。
既に戦いの音が鳴り響いている。後は、成功を祈って行動するだけだ。細い通路を走り抜け、現れた最後の扉を強引に蹴破る。そこに現れた魔女の姿に、つばさは絶句した。
逞しい四本の腕。人魚を彷彿させる下半身。その周囲に浮かび、何かを狙って射出される車輪。これがさやかだった者だとは、到底思えなかった。魔女は四本の腕にそれぞれ剣を握り、車輪を打ち出した先へ振り下ろす。巻き上がる土煙から、魔法少女の服を煤けさせた杏子が飛び出してきた。
「ったく! 相変わらずこっちの話を聞きやしねぇ! 間違いなくさやかだありゃあ!」
軽口を叩いて杏子は滑るようにつばさ達の前まで移動する。これで全員がそろった。後はさやかを救うだけだ。
「それじゃ、行きますかっ!」
威勢のいい声を張り上げ、つばさは一歩踏み出した。僅かな希望を信じて、その希望を掴むために。
「さっさと戻って大円団と行きましょうぜ! センパイ!」
魔女と化したさやかにその言葉が届いているのか。それすら分からない。それでもやると決めたのだ。
しかし返事の代わりに帰ってきたのは車輪による攻撃。正面から放たれたそれをつばさは箒の一閃で振り払う。
「前だけじゃねーぞ!」
ぎぃん、と背後で金属音。振り向けば背後から降り注ぐ車輪の雨を杏子が槍で打ち払っていた。
「随分協力的じゃない!」
つばさは口元に笑みを浮かべ、まけじと風の魔法で周囲の車輪を吹き飛ばした。杏子は槍の石突をかつんと鳴らし、答える。
「信じてみたいじゃないか。愛と勇気が最後に勝つ物語ってのをさ」
その杏子らしからぬ物言いにつばさは口をぽかんと開けていた。同時に、彼女が普段の言動ほど物事を割り切っていない人物であると悟り、不思議と嬉しさがこみ上げて来た。どんなに絶望があったとしても、どんなに絶望が待っているとしても、希望が負けたりする事はない。そう確信できた。
「伏せて!」
マミの声に従い、つばさと杏子はその場にしゃがみ込む。その頭上を彼女の砲撃が通り抜けた。横薙ぎに払われた魔女の剣がうち払われる。だが上下左右から放たれる斬撃は攻撃の手を緩める事は無い。
起き上がった二人はすぐさま振り下ろされた剣を左右に飛んで躱す。接近では四本の腕に持った剣の嵐、遠距離では四方八方からの車輪の雨。そして本体は人魚であるかのごとく素早く空中を遊泳している。さやかを元に戻すどころか、倒す事すら難しい強敵だ。
「ぜぇぃ!」
水平に振り抜かれた剣を箒で薙ぎ払う。消滅の魔法によって剣が触れた先から消滅する。その様子を見たほむらがつばさの隣に移動して呟いた。
「動きを止めるわ。その間に剣を」
とん、とほむらが軽いステップで魔女に接近する。瞬間、魔女の腕が爆発し、大きくその腕を広げて仰け反る。
「今よ」
「了解!」
ほむらの合図に合わせ、つばさは箒の先を地面に向け、莫大な推力で飛翔。空中で推進を止め、慣性に従ったまま箒の先を魔女の腕へと向けて突き進んだ。
「いけぇぇぇ!」
消滅の魔法を伴った突進が魔女の剣を丸ごと消し去る。突き抜ける勢いのまま、つばさは結界の壁を蹴り、素早く反転。そのタイミングに合わせて再びの爆発が起こり、魔女は態勢を崩してその場に突っ伏す。
「今だ!」
「ええ」
倒れた魔女を見た杏子とマミがそれぞれの武器で残る三つの剣のうち二つを砕く。それとほぼ同時につばさも最後の一振りを消し飛ばした。
「まどかセンパイ!」
着地と同時に魔女から離れ、入口付近で隠れてもらっていたまどかを呼ぶ。さやかに言葉が届くとすれば、この中で一番可能性が高いのはまどかだ。まどかは物陰から飛び出すと、魔女の姿に息を呑んだ。
「さやかちゃん…………」
魔女の――美樹さやかの名前を呟く。
「もう、やめよう? さやかちゃん、本当は正義の味方に成りたかったって言ってたよね? 皆待ってるんだよ。だから――」
そこで、突っ伏していた魔女が動いた。その逞しい腕を伸ばし、まどかを鷲掴みにして起き上がる。
「さ……や、かちゃん」
苦痛を滲ませた声でまどかは再びさやかを呼ぶ。だが返答は無く、代わりに彼女を握る手に力が込められる。
「あ……が……!」
骨の軋む音が響く。その直後、その腕が一瞬で細切れになった。杏子が振り抜いた槍が、蛇のごとき動きで魔女の腕に巻きつき、穂先の刃で切り裂いたのだ。
「さやかぁ!」
杏子の怒声が結界内に哀しく響く。主の失った腕はまどかを開放し、支えのなくなった彼女の体は重力へと引かれ落下する。
「いけない!」
「まどかセンパイ!」
つばさとマミが同時に反応する。この位置からでは間に合わない。だがこの状況で唯一、距離の問題など凌駕してしまえる人物はいる。
「心配無いわ」
落下するまどかを、一瞬の内に現れたほむらが受け止める。時間停止の力を持つ彼女にとって、この程度の距離など対した問題にはならない。
「ありがとう……ほむらちゃん」
息も絶え絶えなまどかはほむらの手を握る。人間の身で、あれだけの痛みを受けてなおまどかの瞳には強い意思が宿っていた。つばさはその姿を羨ましく思い、唇を噛んで魔女へと振り向いた。
――さやかセンパイ。あなたの友達はここまでしているのに、それでも駄目だって言うの?
ここまでやって駄目なのなら、やはり魔女になった者を元には戻せないのでは無いか? 今自分たちがしている事は無駄なのではないか?
「もう、倒すしか……!」
即決即断。つばさは意を決して箒を構える。だがその腕をまどかが掴んだ。とてもダメージを負った普通の少女が出せる力とは思えない程、掴まれた腕が痛みを訴える。
「もう一度……もう一度だけやらせて」
なんで。つばさがそう呟くよりも早く、マミが口を開いた。
「今度は私が動きを止めるわ。皆は鹿目さんを守って」
その言葉に、杏子とほむらが頷いて答える。だがつばさは納得がいかず、思わず反論した。
「なんでそこまでするのさ! あれはもうさやかセンパイじゃない、魔女だ!」
その言葉に、まどかが顔を真っ赤にして口を開ける。だがその怒声はマミが間近で放ったライフルの銃声にかき消された。態勢を立て直した魔女を牽制とばかりに撃ったのだ。
「つばさ君、いえ、遠藤さん」
怒る訳でもなく、さりとて憐れむ訳でもなく、マミはつばさの問いに答えた。
「絶対にそうと決まった訳じゃないわ。可能性が、希望がある限り、諦めたくない。私はそう思ってる」
あえて呼び方を変えたのは、もう男性人格とは完全に別人と見られた証拠。そして、自分はそう思うといういつぞやの意趣返し。これでは何も言えない。つばさが反論しない事を確認し、マミは魔女へと向き直る。
「そうよ……まだ、諦めないわ。私は――私の願いは、美樹さんの命だって繋ぎ止めてみせる!」
帽子を取り、その場で振るう。その瞬間、帽子の中から多数の銃が吐き出され、地面に突き刺さった。その様子を見ながらつばさは言葉を探して眉根を顰めた。
だがそれを待ってくれる訳もなく、魔女が怒声を上げて襲いかかってくる。剣こそ失っているものの、その豪腕とスピード、車輪による遠距離攻撃は健在だ。
「うっ……!」
「構うな! 呼び続けろ!」
再度の攻撃に先ほどの恐怖を思い出してまどかが呻き声を漏らす。だが、その前に立った杏子は槍の両端を押しつぶすように縮め、そのまま両の手を合わせた。その間にも車輪が彼女とまどかに襲いかかる。だがその車輪をほむらがどこからか取り出した拳銃で破壊した。直後、杏子が合わせた手を開くなり、薄いひし形の板となった槍が網目の壁のように彼女とまどかを包む。
つばさもまた、四方八方から襲いくる車輪を風で吹き飛ばす。
「くぅっ……!」
一つごとであれば箒で払えばいいのだが、つばさの能力は味方が居る場所で尚且つ多数を相手にするには適していない。どうやって破壊したものか。つばさが判断に迷っている間に、風で舞いあげられた車輪が次々と、近くで鳴り響く銃声と共に破壊されていった。
「えっ……?」
思わず声を漏らし、その銃声の方向を見た。そこには自身のリボンから次々と銃を作り出し、一瞬たりとも手を休めずに魔女へ、車輪へと放つマミの姿があった。
「言ったでしょう?」
どこにそんな余裕があるのか。出した銃を打ち切り、マミは魔法で用意した紅茶に口をつける。魔女が健在だと言うのにこの人は何をしているのか。つばさは憤りを覚えながらマミと魔女の間に立った。
だが、すぐにそれが不要だったと知る。マミが放った銃弾は実弾だけではなかったのだ。遅効性の拘束魔法――着弾点から伸びる無数のリボンが魔女の身体を縛り付けていた。
「私は諦めないし、もう誰も傷つけさせない。もう一人のつばさ君が信じてくれる限り、ね」
彼女は得意げに片目を伏せて見せた。その仕草も、佇まいも、どれ一つを取っても魅力的だ。もう一人のつばさに取っては。
「駄目だったらどうするんですか。あなたが全員の穢れたソウルジェムを浄化してくれるんですか?」
つばさは鋭い目つきでマミの目の前に立つ。彼女の言葉はあくまで理想論でしかない。それが駄目だっただけでは済まないのだ。命を危険に晒し、無意味にソウルジェムに穢れを溜めるだけの行為に終わってしまう。最初から勝算も、保障も無しに出来る事では無いのだ。
言い寄る彼女を前に、マミは穏やかな笑みを浮かべた。その仕草が余計につばさを苛立たせる。だがその憤りを口に出すよりも早く、マミはつばさの身体を抱き締めた。
「え、えっ!? ちょっとマミセンパイ!?」
突然の行動につばさは困惑する。その行動の意味を図りかね、彼女は手足をじたばたさせた。
「失敗が怖い。そうでしょう?」
「っ……」
その一言に、つばさは硬直した。マミはつばさの頭を撫で、優しく語りかける。
「つばさ君から聞いたわ。あなた、最近じゃ辛い時はすぐに自分から入れ替わって逃げてるって」
つばさは答えない。それは寸分違わず事実だからだ。彼女の言う通り、自分は逃げている。だがそれを誰が責められる? 誰が責めてくれる?
「だから、つばさ君、次にそういう事があったら叱ってやってくれって」
「……え?」
もう一人の自分がどうしてそんな事を。その疑問に答えるようにマミは語る。
「昨日、つばさ君と話してて、別れ際に言ってたの。今のあなたが、昔のつばさ君と一緒だから、誰かが叱ってあげれば、きっと良い子になるって」
つばさは相槌すらできない。どちらかが消えるというのに、どうして相手を気にかけて居られるのだろう。困惑している彼女の様子にマミはくすりと笑った。
「自分が消えても、私を支えれるようにって。本当、自分の事は全然考えられない子よね」
背中に廻された彼女の腕に力が籠った。男性人格と違い、他人の気持ちにやや鈍感な女性人格のつばさでも分かる。この人はあちらのつばさが消える事を恐れている。意思の強い方が残るというキュウべぇの予測。自分が消える事まで考慮して行動しているあちらのつばさと、自分が消える事を恐れ、相手を消そうとしている自分。今までの彼女なら、鼻で笑って男性人格が消えるのを見ていたはずだ。
だが、今この話を聞いてしまった彼女に、そんな考えは浮かばなかった。どうしてそこまで他人の事を考えられるのだろう。自分を投げ捨ててまで他人を想う事など、彼女には考えられない事だ。だがその意志を、自分より弱いとは到底思えなかった。むしろ、自身の事ばかり考え、嘲け笑ってきた自分が矮小な存在に思えて、悔しかった。
「あなたかつばさ君。どちらかが消えなければならないのは分かってる。あなたにこんな事、言うべきではないかもしれないけど……私は、彼が消えるなんて耐えられない」
魔女化した人間を元に戻そうとするのは、そこに望みがあるからだ。魔法少女としての契約の際叶うはずの願いは、前例どうこうではなく本来はその場ですぐに叶う物。今のつばさは、互いの願いによってどちらかが消えるまでに時間がかかっているだけ。近い未来、どちらかが消えてしまう。そして今、症状からして消えるのは男性としてのつばさ。マミが求める、他者を想うつばさだ。例え、彼の思い通りに女性人格が正しい心の成長を遂げたとしても、マミは納得しない。だがそれで素直に自分を捨てれる訳がない。
「アタシ、は…………」
消えたくない。けれどもう、消したくもない。あれほど渇望したはずの自分の願いに、今は後悔していた。その思考を遮るように、背後で魔女を縛っていたリボンが引きちぎられた。
「っ……!」
「させないっ!」
つばさがマミを振り払い、箒を構える。だが杏子によって切り裂かれた腕は高速で再生し、打ち消したはずの剣すら同時に修復された。さやかの魔法少女としての回復力は魔女になっても健在なようだ。
振り上げられた剣を、マミの放つリボンが捕える。あとはつばさが再び剣を消滅させるだけだ。
その時である。魔女が小さな声を漏らし、嗤った。
「っ……きゃっ!」
魔女が空いている手で剣を縛るリボンを掴み、マミを引き寄せた。魔女の巨体に対してマミの体重は余りにも頼りない。引き寄せられる勢いのままマミは空中に浮かびあがる。ここでリボンを離しては振り上げられた剣が降ろされてしまう。だが、四本の腕を持つ魔女相手ではそれも無意味だった。魔女はさらに空いている手に剣を持ち、横薙ぎに構えた。マミの回避は間に合わない。緊急時には頼りになるほむらも、車輪の攻撃によってこちらにはまだ気付いていない。
このままではマミが危険だ。そう思うと同時に、つばさに異変が起こった。
――どいてっ!
脳裏に響く声。浮かびあがったのはいつもの扉。その扉が、勝手に開いた。今までなら一度たりとてなかった男性人格の意志での入れ替わりだ。だが入れ替わっている暇すら、今は惜しい。自分を押し出そうとする意志を押さえつけ、《彼女》は答えた。
(入れ替わってたら間に合わない!)
素早く箒を地面に付け、推力を即座に生み出した。だが全力の力でも、既に振り抜かれようとする剣よりも早くマミの所に追いつけるとは思えない。
――だったら……!
つばさの意志に反して、空いている左腕が動いた。
――あり得ない。
女性人格のつばさは驚愕した。明らかに今は女性人格の意識が肉体を動かしているはずだ。だが今、自分の左腕はもう一人の人格が動かしている。意思に反して動く左腕が、もう一つの箒を作り出した。
――届けぇぇぇぇ!
爆発。二本の箒が、同時に推力を放つ。普段の倍に近い加速で、一瞬意識が飛びかけたが、気合いで持ち直し、マミへと一直線に向かう。
「間に合えぇぇぇぇ!」
閃光。誰かが見て居れば、そう思うであろう程の速度でつばさはマミを抱きかかえて離脱する。その足元を、巨大な剣が通り抜ける。
「っ……つばさ君!?」
「マミさん! リボン離して下さい!」
今度は口が勝手に動く。マミはそれに従ってリボンを離した。自由になった剣と、空いた最後の腕が上下同時に剣を振るう。今までのつばさなら止めようがない同時攻撃。
だが、今だけ。たった今だけは、《彼》はその枠組みを超えていた。
――合わせて!
「分かってるわよ!」
片方の箒の推進が止まる。もう片方の推力を用いて体勢を変える。上下から襲いかかる巨大な剣に向けて、つばさは両腕の箒を上下に振り抜いた。
「ふっ」
小さい気勢。残る一本の剣に向け、右腕の箒を投げつける。
「マミセンパイ! 今!」
今度は自身の意志で口を動かす。同時に最後の剣が消滅し、マミは手に取った大砲を足元へ向けて打ちだした。打ち出された砲弾が大量のリボンを伸ばして魔女を再び拘束する。
「後は……!」
左腕を魔女へ向け、空いた右腕でマミを抱えて離脱。着地したつばさは軽く左腕を動かした。この数秒の攻防の間だけ、明らかに男性人格の意志が介入してきた。人格の消滅が原因ではない。彼女はそう直感した。もし人格の消滅であるなら、今までのようにもっと緩やかな現象が起きているはずだ。今のはきっと……。
(もう一人のアタシの意志……)
マミが危険だったから。その思考を引き金に、一瞬だけ男性人格が覚醒した。他人のために、マミのために、今まで出来なかった事を成し遂げた。その意志の強さをその身で感じ、彼女は顔を顰めた。
「さやかちゃん! もうやめて!」
再びまどかは呼び掛ける。その声はガラガラに枯れているのに、結界内に酷く鮮明に響いた。
本体こそ拘束しているが、車輪攻撃は健在だ。つばさとマミは咄嗟に背中を合わせて対応する。
「相変わらず数が多い事で!」
「全くもって!」
つばさが風で車輪を集め、マミが打ち砕く。そんな応酬を数度続ける。つばさはちらりと自分のソウルジェムに目をやった。激しい戦闘によって急激に穢れを溜めている。マミの砲撃の隙を縫って、他のソウルジェムにも目を向けるが、他も似たり寄ったりだ。概念干渉系の魔法を使うほむらとつばさは特に穢れをため込むのが早い。最低でも、誰かが危険になるようであれば魔女を倒すしかなくなる。まどかに、この作戦の成功を祈る者に残された時間は残りわずかだ。
「くそっ……流石にもう持たねぇ」
杏子が毒づいた、まどかと身を寄せ、壁の面積を出来る限り小さくしている。ほむらも時間停止をあまり使用せず、左腕に装備した盾の裏から次々と銃器を取りだして応戦していた。
「こちらも、そろそろ弾切れよ」
ほむらも弾切れになった銃を放り捨てて呟く。時間は――決断の時は迫っている。車輪を破壊しきれず、通り抜けたものが杏子が張っている壁を叩く。これ幸いと、結界の壁の中で踊っていた使い魔が次々と杏子の元へと集まりだした。つばさは咄嗟に突風をそちらに放つ。その代わりに捌けなかった車輪が彼女の背中を襲った。
「がっ……!」
高速で回転する車輪が衣類を破き、その下の皮膚を抉る。背中に走る激痛に耐えながらつばさはもんどり打って箒を構え直した。
「つばさ君……!」
マミは弾き飛ばされたつばさの後ろを追う。だが四方八方から襲いかかる車輪が次の標的と言わんばかりに彼女に殺到した。彼女は弾切れになった銃を一度空中に放り、銃身を掴んで振り抜く。鈍器となった銃が左右から来る車輪を砕く。その勢いを利用し、さらに背後から迫る車輪に投げつける。だが残る前方からの車輪までは捌き切れず、右腕を掠めていった。
「うっ……」
「マミさん!」
つばさは立ち上がり、マミの背後を守る様に立った。だがさやかと違い、急速な回復はできないためその背中は車輪の摩擦ですり減り、鮮血を垂れ流している。
「さやか、ちゃん……」
もう声も張り上げられない程、まどかも疲弊しきっていた。これ以上は、無理だ。
「倒すしかないようね」
冷静な表情に玉の汗を浮かべてほむらが呟く。倒すしかない。マミは悔しげな顔を浮かべる。
「もう、やるしかないです」
ほむらに同調するように、つばさは魔女に向かって箒を構えた。攻撃方法は大体分かっている。倒すだけならほむらとつばさだけでも十分だ。彼女なりの気遣いか、杏子とマミを頭数には入れていない。
「……あなた達だけに、罪は背負わせたりしないわ」
意を決したようにマミがつばさの肩を叩いた。こうなる事も覚悟していたのか。つばさは意外そうに彼女の顔を見た。マミは一瞬だけ困ったように微笑み、凛々しい表情で魔女へと向き直る。
「もしかしたら、あの魔女のグリーフシードから美樹さんが生き返るかもしれないもの。だからまだ、諦めてないわ」
無理だ。つばさは沈痛な面持ちでマミの横顔を見た。そんな奇跡があるのなら、今まで倒してきた魔女に一度ぐらい前例があるはずだ。魔女を倒すなんて事、今までの魔法少女ですら飽きる程続けている事なのだから。それでもなお、彼女は奇跡を信じ続けている。
「……分かったわ」
ほむらは小さく答え、魔女へと走り出した。
そして、その行動を止めるかのように掠れた、しかしはっきりとした声が結界の中に響いた。
「まだだよ!」
まどかだ。杏子の結界を飛び出して、魔女へと歩み寄る。余りにも危険なその行動にほむらが即座に戻ろうとする。だがそれよりも早く、彼女はその名を呼んだ。
「居るんでしょう? キュウべぇ」
『もちろんさ。どうやら僕の力が必要みたいだね』
ひょい、と遥か上空からキュウべぇが降りてきた。重さを感じさせない着地でまどかの前に向かい合うように立つ。その意味合いを理解し、ほむらが青ざめた顔を浮かべて左腕の盾に手を掛ける。だが時間は止まらなかった。長期の戦闘で、一度時間を止められるだけの魔力が足りてなかったのだ。先ほど走って魔女に向かったのもそれが理由だろう。魔女と接触する頃には一回使える程度の、だが今まどかを止めるには足りないだけの魔力。
「――――さやかちゃんを人間に戻して」
瞬間。
「まど―――――」
ほむらの呟きをかき消すように、激しい閃光が周囲を包みこんだ。
■
周辺一体が激しい光で満たされる。全てを包み込むように温かく、そして悲しい、一人の少女の願いによる奇跡の光。
目の前に立っていたはずの魔女がぼろぼろと崩れ去り、その中から一つの種、グリーフシードが姿を見せる。種は本来持っていた輝きを取り戻すように蒼い輝きを放ち、失ってしまったはずのさやかの肉体を再構築しーー砕けた。
「グリーフシードが……砕けた」
その場に要る誰かが呟く。つばさもその奇跡の光景に見入っていた。全ての理を無視し、ただひたすらにさやかを救いたいまどかの願い。それこそが目の前の奇跡を生んだのだ。
「鹿目さん……良かったの?」
隣に立つマミが心配そうにまどかを見遣った。視線の先にいる彼女はいつの間にかピンクと白を基調とした魔法少女の姿となっていた。
魔女となった者すら救う奇跡。だがそのための代価に、まどかが魔法少女の運命を背負った。とても手放しで喜べる奇跡ではない。
そんな周囲の心境に対して、まどかは全てを受け入れた様子で苦笑を浮かべた。
「いいんです。こんな私でも……大切な友達を助ける事が出来るって、証明出来ましたから」
その一言で彼女は契約によってさやかを救う事も厭わない覚悟を秘めていた事を悟る。キュウべぇが教えた範囲ならともかく、魔法少女の運命を知った上での契約だ。その場の勢いだけでできる事ではない。彼女は最初から、それだけの覚悟をしていた。
その事実につばさは絶句した。どうしてそこまで覚悟出来るのだろう。自分を犠牲にしてまで、誰かの為に行動出来るのだろう。
その視線に気付き、まどかはつばさに向き直った。
「大丈夫。後悔なんてしないよ。辛い事はあると思うけど……さやかちゃんが、皆が支えてくれるから」
「っ……!」
誰かが支えてくれる。それが彼女の覚悟を後押ししている。そうであるなら、それはつばさには絶対に得られない。どうせ自分の存在は――。
「もちろんつばさ君も、あなたも一緒に」
「え……」
まどかが手を差し伸べる。男性人格も女性人格も関係ない。それぞれのつばさを、別々の存在として、一人の人間として見ている言葉。
「アタシ……」
ずっと、一人だと思っていた。自分は常に一人ぼっちで、存在を認めてくれるのは母親ただ一人。だが今目の前で差し出された手は、彼女を一人の存在として、助け合う仲間として伸ばされた手。欲しくて堪らなかった、自分を必要としてくれる誰かの手。
「なんだ……願い事、叶っちゃった」
差し出された手を、つばさは迷わず取った。契約の奇跡なんていらない。求めた全てがそこにあった。その嬉しさに思わず涙が溢れる。
「う…………」
ふわりと横たわった体勢でまどかの元に降りてきたさやかが目を覚ます。まどかは彼女の身体を優しく抱きとめると、彼女の存在を感じ、大粒の涙を溢れさせた。
「さやかちゃん……良かった…………!」
「まどか……苦しい……」
力一杯にまどかはさやかの身体を抱きしめる。その熱烈な抱擁に彼女はまだはっきりとしない意識で答え、まどかの姿に気づいて絶句した。
制服姿では無く、私服でもない。魔法少女の姿。覚醒していく頭で彼女は全てを悟り、まどかと向き合った。
「まどか…………アンタまさか!」
「うん、ごめんね。これしかなかったんだ」
青ざめるさやかを他所に、まどかはうぇひひ、と笑い、普段の――学校で見せるような調子で答えた。
「私、後悔してないよ。こんな私でも、大切なさやかちゃんを助けることが出来た。それだけで満足だから」
にっこりと彼女は微笑む。その姿にさやかは鎮痛な面持ちを浮かべた。
「アンタは、こんなアタシのために…………!」
抑えきれない思いにさやかも泣き出す。その内にあるのは悲しみなのか喜びなのか。
喜びであって欲しい。つばさはそう願った。
「どうして…………」
そんな中、ほむらがふらふらとおぼつかない足取りで近づいていた。普段の超然的な姿は鳴りを潜め、何か悪い夢でも見ているように小さな呟きを漏らしている。
「どうしてあなたは…………」
「…………ほむら先輩」
彼女はまどかを魔法少女にしないように行動していた。さやかは助けられたとは言え、それはまどかの契約によるものであり、結果的にほむらの目的は失敗に終わってしまった。かなり辛いだろう。つばさは心配するように彼女の肩を叩いた。
「やはり、協力するべきじゃなかった……」
肩を震わせて彼女は断言する。その言葉に秘められた何かを感じ取り、つばさは身構える。男性人格のつばさと意識の共有化が進んだためなのか、今までの女性人格が表に出ている時には不可能な事だった。
「美樹さやか……あなたはッ! あなたさえいなければ!」
絶叫に近い叫びと共に、ほむらは取り出した拳銃をさやかへと向けた。その声に気づいて振り返った二人が青ざめた顔を浮かべる。つばさは咄嗟にほむらの腕を抑えた。
「何やってんだよアンタ!」
「……邪魔をするならあなたも殺すわ。鹿目まどかが魔法少女になった以上……魔女に変わる前にソウルジェムを砕くしかない。美樹さやかだってそうよ。例え人間に戻っても、再び契約しかねない。再び魔女を生むぐらいなら、私がここで殺すわ!」
どうしてそこまで言えるんだろう。一つ上の少女とは言え、何が彼女をそこまでさせるのだろう。人を殺す覚悟を、させているんだろう。
邪魔をさせない為に、ほむらは自分の盾に手を伸ばす。時間停止の魔法だ。あれを発動させられては、誰も彼女を止められない。
「させないっ…!」
時間停止の音が鳴り響く寸前。つばさは手を伸ばし、彼女の腕を掴んだ。
瞬時に世界が切り取られて静止する。だが、その切り取られた時間の中で、ほむらとつばさが取っ組みあっていた。泥臭い方法だが、今掴んでいる彼女の手を離してしまえばつばさの時間も止まってしまう。そうなればほむらは迷わずまどか達を殺すだろう。この掴んだ腕が命綱だ。
「離して!」
「出来ない! さやかセンパイも、まどかセンパイも……誰も殺させない!」
渾身の力でほむらを押さえつける。ほむらは迷わず拳銃を抜いてつばさの頭に突きつけた。咄嗟に痛覚を遮断しようとし――気付いた。
女性人格のつばさはそれでいい。だがもう一人のつばさは違う。肉体の死がそのまま自分の死に繋がる。それは今まで彼女が望んだことであるはずだ。だが――
――私は、彼に消えて欲しくない。
マミの言葉が脳裏を過る。そうだ、もう彼には、居場所があるのだ。彼には覚悟がある。自分を犠牲にしてでも、大切な誰かの為に行動する覚悟が。
対して女性人格のつばさには、それに拮抗出来るだけの覚悟がなかった。自分の為に、他人を捨てる覚悟が出来なかった。
「っ!」
小さい気勢と共に身をひねる。放たれた弾丸が彼女の頬を掠める。バランスを崩したつばさをほむらが振り払う。掴んだ腕が、離れようとしている。
つばさには二つの選択肢があった。一つはさやか達を見捨て、ほむらが自分を殺さない可能性に賭ける事。もう一つは自分を投げ打ってまでほむらを止める事だ。自分も、彼女達も、どちらも捨てれない。だが非情にも今この瞬間で選べるのはどちらか片方。
――もちろん、つばさ君も、あなたも一緒に。
まどかの一言が思い起こされる。あの優しさを、捨てたくない。自分を認めてくれた彼女を守りたい。その為に――――
(……力貸しなさい!)
つばさは覚悟を決めた。それは奇しくも、もう一人のつばさと同じ、他者の為に自分を犠牲にする覚悟。彼女は先の一瞬を思い出すようにもう一人の自分を呼んだ。今まで二人の間にあったはずの扉は、もう無くなっていた。
――本当に、いいの?
その覚悟が示すであろう結果を考慮し、もう一人のつばさは問いかけた。どこか彼女の心境の変化に驚いているようにも見える。つばさはもう一人の自分に向け、強気な笑みを浮かべて答えた。
(アタシは、支える人を、支えてくれる人を、失う方が怖い!)
母親も、まどかも、これから先自分を認めてくれる人も、誰にも居なくなって欲しくない。だからこそ、この選択に未練はあれど、後悔は無かった。
――…………解った。
申し訳無さそうにもう一人のつばさは彼女の意思に応じた。
本来、つばさの消滅の魔法は別の魔法を同時に使えない。その理由は単純に、まだどちらの人格も別々の事を同時にイメージ出来ないからだ。だが今だけ。意識を共有しつつ、二つの人格が同時に表に出ている今だけなら――。
「はぁぁぁ!」
つばさが吼える。右手に箒を握り、突き出す。その間にも、ほむらに触れている指先が離れていき――
「ぐっ……!?」
つばさの時間は止まらなかった。それどころか、周囲の時間すらほむらの気づかない間に動き出している。一体何が起こったのか、彼女がそれに気づくよりも早くつばさの突き出した箒が拳銃を叩き落す。我に返るほむらだが、彼女が新しい銃を出す寸前、つばさは叫んだ。
「マミさん!」
返答も無く、渇いた銃声が木霊する。マミの放った銃弾がほむらの足元を穿つ。そこから生えだした黄色い帯の束をほむらは視界に捉えた。
(まずい!)
彼女は素早く自身の左腕に手を伸ばす。今では慣れ過ぎてしまった時間停止の駆動音。それが全くしなかった。
「どう……して……」
彼女の疑問が解けるよりも早く、マミのリボンがその身体を捉えた。手足を締め上げ、行動を封じる。決して時間停止ができないよう、身じろぎひとつできない程、きつく。
「くっ……!」
それでもなお、ほむらは抵抗の意志を見せた。そんな彼女に対して、マミは手に持った銃の先を彼女のソウルジェムに突き付けた。
流石に観念したのか、ほむらは体に込めていた力を抜いてため息を吐く。マミも本気で撃つつもりはないらしく、彼女がおとなしくなったのを確認して銃口を上げた。
「…………あなた、一体何をしたの?」
恨めしそうな表情でほむらがつばさを睨みつけた。一瞬の攻防に力を使いきったつばさはその場に座り込んで答える。
「アタシ《達》の力は消滅の力。もう一人のアタシに頼んで、《時間という概念》を消滅させて貰ったの。まぁ、一時的にしか消えないみたいだけど」
ふいに視界が揺れる。驚愕したほむらがマミに何かを怒鳴っている。だが、それも段々と聞こえなくなっていく。
「つばさ君!?」
その様子に気付いたマミがつばさに駆け寄り、彼女が胸元に置いていた腕を払った。そこには――――
「っ……そんな……!」
そこには、真っ黒な闇に染まったつばさのソウルジェムがあった。
「ははは、やっぱ時間干渉は……無茶だった…………みたい」
意識が遠のく、途切れ途切れな言葉でつばさは――彼女は最後の言葉を伝える。
「皆、もう一人のアタシを、お願いします」
誰かのために、頑張るのも悪くないな。
彼女はそう思いながら薄れゆく意識を手放す。その消えゆく意識を追うように、もう一人のつばさが手を伸ばしていた。だが彼女はそれを取らず、最後に残った意識で、強く、大きく叫んだ。
――――アタシの分までしっかりやれよ。遠藤つばさ!
二重人格なりの二人の覚悟と葛藤、そして戦い方、いかがでしたでしょうか……。
本文の雰囲気が雰囲気なので湿度割り増しで後書きお送りいたします。
マミさんの願いの力は残念ながらさやかちゃんの魔女化を解くには至りませんでした。
前回含めてここまで言わせたら奇跡を起こすべきかもしれませんがそこはやはりまどか☆マギカ作品。奇跡に見合う対価は要求されてしまうのです。
ですが失敗したからやはり無理なのでは、という思考には至らないマミさんになっております。
目指す事、求める事を止めない事。それが絶望の中で希望を見出す最大の力です!
男性人格のつばさ君もやっと戦闘でも主人公らしい活躍。ここから株を上げて行こう!
消滅の魔法の真価が発揮されましたが、その力は大きすぎ、大量の穢れをため込む結果に。
この辺は今後起こりえるであろう幾数のほむループにおいてまどかさんも似たような現象が起きますよね。
時に話は変わりますが、本作の形式について少し気にしている事があります。
機能的に問題がないので公開分のデータはほぼそのままアップしているのですが、一度の投稿ごとの文章量は多いでしょうか?
多いようであれば番外編以降の文章量を多少調節しようと思いますので、ご意見頂けると幸いです。
さて、次回の魔法少女つばさ☆マギカは……
女性人格を失い。普通の人間へと戻る事ができたつばさ。
だがその表情は晴れず、消えるはずだった自分が生き残った《理由》を求め始める。
マミとの衝突、同じく人間へと戻ったさやかとの会話によって自分の中にある理由の全てを失ってしまう。
そんな中、職員室へと呼び出されたつばさに告げられる悲劇とは。
――――生きたいって、思ったんです。