魔法少女つばさ☆マギカ   作:辰真

9 / 15
前回ご指摘を頂きましてほむらちゃんの苗字間違えていた事が判明しました。
正しくは「明美」ではなく「暁美」でしたすいません!

全編修正しましたので今後ともよろしくお願いいたします。


八章『生きたいって、思ったんです』

 魔女とは穢れ切ったソウルジェムから生まれる。それはつまり、魔法少女の魂が変質したものであり、希望から生まれる彼女達が絶望を振りまく存在となった事を意味する。それ故か、魔女の性質や見た目は元の希望――契約の際の願いが反映される。ならば、つばさの願いから生まれた魔女の特性は――

 

「皆下がって!」

 

 咄嗟にマミが叫んだ。その声に応じてその場にいた全員が魔女から離れる。

 

「ぼさっとすんな!」

 

「ぐぇっ」

 

 唯一、人間に戻ったさやかが逃げ遅れ、杏子は自分の分割された槍を鞭のようにしならせ、さやかに巻きつけ引き寄せる。

 瞬間、今まで彼女たちが立っていた地面が抉り取られたように消滅した。

 音も衝撃も無い。見ただけでは、そこまで脅威になる攻撃には見えなかっただろう。だがこの場にいる全員がつばさの能力について知っているからこそ、その特質を持った魔女の恐ろしさが肌で感じ取れた。概念干渉によって全てを無に帰す力を持った《消滅の魔女》の強さを。

 

「まじかよ、おい……!」

 

「信じたくは無いけど……事実のようね」

 

 これが悪い夢ではないか、そう言いたげに杏子とほむらは目の前に出来上がったクレーターを見ながら呟いた。

 ほむらは冷静さを取り戻した様子で自身の左腕に装備した盾に触れる。だが、またもその力は発揮されない。

 

「どうして……」

 

 盾に貯められた魔力は十分に残っている。だというのに、時間が止まらない。その理由をこの場で唯一知る者――キュウべぇは彼女の隣に立って答えた。

 

『さっきつばさにやられた通りだよ。今この空間の時間という概念が消え去っている。干渉先がない以上、君の時間停止能力は意味を成さない』

 

「そんな…………!」

 

 視線の先に悠々と居座る魔女の姿を睨みつけ、ほむらは唇を噛んだ。能力が使えなければ脱出どころか戦う事すら難しい。

 元々、魔女は屈強な存在だ。種類によっては振り下ろした腕がコンクリートの床を割るなんていうのは日常茶飯事なようなものだ。

 だがこの魔女は違う。叩き割るどころか、その存在を消滅させるのだ。その力の前に防御なんて選択肢は存在しない。

 ましてや、全員が疲弊し切った状況で戦うなど不可能だ。

 だと言うのに、

 

「鹿目さん! 手伝って!」

 

 無謀にもマミが飛び出して行った。両手には普段の銃を持たず、胸元のリボンの端を掴んでいる。その行動の意味を察したまどかは慌てて手に持った弓を引くが、場慣れしていない彼女は魔女の注意が自分に向けられている事に気づいていない。

 

「くそっ! 世話の焼ける奴らだなっ」

 

 小さな悪態を吐きながらも杏子は槍の石突をまどかへと伸ばす。先ほどのように引き寄せるなどという手は使っていられない。伸びる石突がまどかの横腹を突いて吹き飛ばす。同時に、石突が周囲の空間ごと抉り取られた。

 

「けほっ…………あ、ありがとう、杏子ちゃん」

 

 打たれた腹部を抑えながらまどかはにへへと笑う。だが当の杏子にそんな余裕は無く、石突を失った槍を投げ捨て、起き上がるまどかを抱えて跳んだ。

 

「ぼさっとしてんじゃねえ!」

 

「ご、ごめん」

 

 先ほどまで自分が立っていた場所が一瞬の内に消滅するのを眺めながらまどかが謝る。魔女の狙いがこちらに向いたのはいいものの、さやかとまどかを抱えながら逃げ回れるほど容易い相手では無い。

 杏子は咥えていたスティック状のスナック菓子を噛み砕いて怒鳴った。

 

「仕方ねぇ! アタシが逃げ回るから、お前そのまま攻撃しろ!」

 

「ええ!? む、無理だよそんなの!」

 

「いいからやれ!」

 

 杏子に促され、まどかは不安定な体勢から弓を引く。だが小刻みに跳躍する杏子に抱えられながらの射撃は困難を極めた。規則性のない跳躍と着地の揺れに狙いが定まらない。当てずっぽうに放とうにも下手をすれば魔女の足元にいるつばさとマミに当たってしまいかねない。

 

「まどか! 今だ!」

 

 そこに、凛としたさやかの声が響く。驚いたまどかは慌ててろくな照準もせずに矢を放ってしまった。淡いピンクの光で作られた矢がまるでレーザーのように発射され、魔女の頭部らしき箇所を吹き飛ばした。唖然とするまどかをよそに、さやかはにっと笑う。

 

「アンタの最高のタイミングは……このさやかちゃんがいっちばん良く知ってるっての!」

 

「さやかちゃん…………」

 

 嬉しさが込み上げ、まどかはぼろぼろと大粒の涙を流した。さやかは照れ臭そうに頬を掻いて、その涙を払う。

 

「いい雰囲気になってる場合じゃねぇっての!」

 

 杏子の怒声と共に真横の地面が消滅する。我に帰った二人はすぐさま魔女へと視線を向けた。

 

「いくよまどか!」

 

「うん!」

 

 

 

 三人が魔女の注意を引いている頃。マミは必死の形相で砕けた足場を駆け抜けていた。その視線の先には魔女の足下で倒れているつばさの姿がある。

 

「つばさ君……つばさ君!」

 

 マミは魔女の注意を引く可能性も考えずにつばさの名を叫ぶ。だが気絶しているのか、負傷しているのか。彼の返事はない。

 最悪の事態が頭を過ぎり、マミは両目に涙を浮かべた。そんな訳がない。そう自分に言い聞かせるが、それでも両面から溢れ落ちる水滴は止まらない。

 ただの、巻き込まれただけの男の子なのに。ただの後輩なのに。どうして自分は泣いているんだろう。どうしてこんなにも、胸が張り裂けそうなのだろう。

 いつかの記憶が彼女の脳裏に浮かぶ、まだ魔法少女になって間もない頃、助けられなかった子供の事だ。

 

 また、救えないのか。そんな思考が浮かんで来るが、彼女はそれを振り払うように一心不乱に走った。

 魔女がその視線を近付いてくるマミへと向けた。

 攻撃が来る。マミは咄嗟にリボンを手頃な突起物へと巻きつけ、無理矢理に進行方向を逸らした。直後、寸前まで居た空間が音も無く消し飛び、消滅した空気を埋める様にその中央へ向かって風が流れていく。

 

「っ……!」

 

 あれが直撃したら一溜まりもない。マミは背中に薄ら寒いものが走るのを感じながらも、魔女の足元へと向かった。幸いにも魔女に脚らしい部位は存在せず、空中に浮いているためつばさが踏みつぶされる心配は無い。あとはまどかが上手く注意を引いてくれればいいはずだ。

 彼女がそう考えた直後、上空を一筋の光条が駆け抜けた。その桜色の輝きを瞳に捉え、まどかが放った攻撃であると確信した。

 

「鹿目さん……すごい」

 

 今、自分が危険地帯に要ることも忘れてマミは呟いた。まどかが放った一撃は魔女の頭を一撃で吹き飛ばしたのだ。

 

「…………この隙に!」

 

 頭部を吹き飛ばされ、魔女が仰け反った。マミはその一瞬を逃さずに一気に魔女の足元へと辿り着く。幸い、魔女の注意はまどかへと向いたままの様子で、遠くから彼女の悲鳴が聞こえてくる。流石にこのまま注意を引き続けてもらうのは荷が重すぎる。マミは素早くつばさの身体を抱えると、リボンを魔女の背後の柱へと伸ばした。足元のマミの行動には気付いていないようだ。

 

「ふっ……!」

 

 彼女はリボンを引き、大きく跳躍した。だがその足音に魔女が気付いた。素早い反転で振り向き、マミを視界に捉える。

 

(ダメ……避けれない!)

 

 空中で方向転換をするには、あまりにも速度を上げ過ぎていた。せめてつばさだけでも。マミは抱えていたつばさを放り投げようと――

 

「そのまま動かないで」

 

 不意に誰かの声が聞こえた。同時にマミの周囲で煙が巻き起こされる。その煙の中をもう一人の魔法少女――暁美ほむらが駆け抜けた。煙の中にいるマミに体当たりするように飛びつき、その進行方向をずらす。

 

「暁美さん!」

 

「……見逃してもらった借りを返しただけよ」

 

 ほむらは小さく答え、煙の中から飛び出す。瞬間、目標を見失った魔女が煙一帯の空間を当てずっぽうに攻撃した。

 マミは態勢を崩しつつもつばさを庇う様に着地する。

 魔女は煙の中から脱出した彼女に視線を向ける。だが魔女の攻撃が来るよりも早く、乱れ打つような矢の雨が魔女へと降り注いだ。

 

「一度引くぞ! いいな!?」

 

 まどかとさやかの二人をを抱えながら杏子の怒声に近い声が響く。マミとほむらは同時に頷き、魔女から離れる。

 

「アンタ達も早く行きなよ」

 

 一人魔女に立ち向かうように杏子は抱えていた二人を下ろした。

 

「杏子ちゃんも!」

 

 元の人間の身体に戻った事で身体能力で劣るさやかを抱き上げ、まどかが振り返る。杏子は肩で息をしながらも口の端を釣り上げて答えた。

 

「心配すんな。ちょっとした時間稼ぎさ。無理はしないよ」

 

「……うん!」

 

 その言葉を信じてまどかは結界の出口へと駆ける。そこで、遠ざかる杏子の背中に向かって抱えられた態勢のままさやかが叫んだ。

 

「えっと、その! ありがとう…………」

 

 段々と消え入りそうな声になってしまった。先日殴りかかった相手に対しての気後れだろうか。だがその気持ちはきっと伝わったはず。まどかは苦笑を浮かべながら結界の出口に飛び込んだ。

 まどかが脱出した気配を感じ取り、杏子は細く息を吐いた。

 

「ありがとう、か……」

 

 その一言が染み入るように、彼女の中に溶け込んで行く。誰かに感謝されるというのは、こんなにも心地よい物だったろうか。彼女は胸一杯に広がった高揚感を抑えつつ、作り直した槍を担ぐ。

 

「仕方ねぇ。ちょっとだけ付き合ってやるよ」

 

 消滅の魔女を前にし、杏子の姿が一人、二人と次々と増えていく。いつからか使えなくなってしまった彼女本来の魔法。不思議と今は、いくらでも使えると確信できた。

 体は、いつもより軽かった。

 

 

 

 結界を抜けた先、元のコンサート会場に飛び出たマミはすぐに抱えていたつばさを横たわらせた。まるで魂が抜けてしまったかのように、どれだけ呼び掛けても目覚めてはくれない。

 

「つばさ君……つばさ君!」

 

 その直後、マミの後を追うようにほむらとまどかが結界の入り口をくぐって飛び出した。まどかの腕にはさやかも抱えられている。

 

「佐倉さんは!?」

 

 それに続くはずである杏子の姿を見つけられず、マミは周囲を見回した。その問いに答えるかのように、まどかとほむらは視線を反らした。

 

「佐倉杏子は……時間を稼ぐと」

 

「そんな…………」

 

 唯でさえ全員が疲弊した状態で、一人で残るなど無謀の極みだ。だがあの状況で魔女に背中を向けて逃げるには、誰かが足止めする必要があった。彼女は自らその役を務めたのだ。

 

「ぅ……」

 

 重い空気の中、小さなうめき声。その声にその場に居る全員が振り向いた。視線の先には、ソウルジェムを失ったつばさ。生きている。つばさは、まだ生きているのだ。

 

「つばさ君!」

 

 いち早く気付いたマミは飛びつくようにつばさを揺り動かす。だがつばさに起きる様子はなかった。そこに、結界を抜けて追いついたキュウべぇが答える。

 

『そっとしておいた方がいいよ。恐らく本来主人格となるはずだった女性人格が魔女となって消滅した事で、残った人格に全ての記憶の共有が行われている』

 

「そう……」

 

 その言葉で、マミはつばさを揺する手を離し、自身の膝の上に置いた。無事であるならそれに越したことはない。彼女は縋るような視線をキュウべぇに向けて、問いかける。

 

「つばさ君は……もう普通の人間なの?」

 

 ソウルジェムを失った今、つばさに魔法少女の力はないはずだ。そうなれば当然、つばさは普通の人間になっているはず。キュウべぇは肩を竦めて答えた。

 

『ああ、ソウルジェムを失ったけど、元々男性のつばさは肉体に宿ったままだからね。男性としてのつばさは普通の人間と変わりないよ』

 

「良かった……」

 

 きゅっとつばさの手を握る。つばさが、もう戦いに身を置かずに生きていける。その事実にマミは心から喜び、目じりに涙を浮かべた。彼はこんなところに居るべきではない。自己犠牲的な面はあるが、もっと明るい場所で、笑って生きている方が似合っている。

 

「……佐倉杏子が足止めしている内に移動しましょう」

 

 ふと、腕を組んでその様子を見ていたほむらが呟いた。だが、その前にハッキリさせなければならない事がある。マミは立ち上がり、ほむらと対峙した。

 

「その前に、さっきの事について何かあるんじゃないかしら」

 

「……悪かったわ」

 

 涼しい態度でほむらは謝罪の言葉を口にした。その態度に、さやかが腹を立てる。

 

「アンタ……誰のせいでこんな事になったと思ってるのよ!」

 

 掴みかかるさやかの腕を捻り上げ、ほむらは怒鳴った。

 

「あなただって同じでしょう!?」

 

 再び銃を抜く事はなかったが、苦悶の表情を浮かべるさやかをまどかへ突き出すように開放する。

 

「自分の願いに責任も持てない癖に……被害者面しないで!」

 

「っ……!」

 

 刺すようなその言葉に、さやかは唇を噛む。まどかはそんな彼女の肩を抱き、ほむらへと顔を向けた。その表情はひどく穏やかで、ほむらは一歩身を引いた。

 

「……ほむらちゃんも、誰かのために頑張ってたんだよね? その努力を駄目にした私も、さやかちゃんと一緒で同罪だよ」

 

「そんな……事……」

 

 掠れた声でほむらは呟いた。見えない何かに耐えるようにその目じりには涙が浮かんでいる。これ以上は不毛な言い争いにしかならなそうだ。マミは腕を組んでその間を取り持った。

 

「暁美さん……今後も手を組む時が無いとは言い切れない。だから……こんな事はもうしないで頂戴」

 

 かつて、自身だけでなく、さやかとつばさを巻き込んで死のうとした自分が言うべきではない。そう思いつつも彼女は語る。それを止めてくれた人がいるのだから。それを許してくれた人がいるのだから。彼を想うのなら、自分もそれに倣うべきだ。

 

「それが約束できるなら…………」

 

 殺されそうになったさやかとまどかの前でこんな事をするのは勇気が要った。だが意を決してマミはほむらへと手を差し伸べる。

 ほむらは意外そうな表情を浮かべて、戸惑いながらもその手を取った。

 

「……………………ごめん、なさい」

 

 そこで初めて、ほむらがしゅんとした表情を見せた。なるほど、自分から相手を信じると心を開いてもらえるのかもしれない。他人の敵意が苦手なマミは生まれて初めてそう感じた。その様子に、まどかとさやかも苦笑して頷いた。どうやら納得してもらえたようだ。

 

「ったく……人が戦ってる間に親睦を深めてるのかよアンタ……達、は……」

 

 呆れたような、疲れたような声。その声の主は、結界から飛び出ると、ばたりと倒れてしまった。

 

「佐倉さん!?」

 

 現れた杏子に、マミは驚きの声を上げた。生きて帰ってくるのも難しい状況だったはず。それでも目の前に現れた彼女を抱き起こし、マミはすぐさま傷の手当てを行った。

 

「……久しぶりだね。こんなの」

 

「…………そうね」

 

 負傷した杏子をマミが助ける。つばさ達と出会う前、頻繁にあった光景。それが今、再現されている。その意を違え、決別した二人だが、まどかの強い意志が再び二人を引き合わせ、手を取り合う事ができた。これもまた、奇跡なのだろう。

 

「でも、もう駄目かな……グリーフシードも、もうないよ」

 

 杏子は震える手で自身のソウルジェムを握った。そこには、赤黒く染まったソウルジェム。魔力の使いすぎだ。だがマミも自身のソウルジェムすら浄化できていない状況だ。今彼女を救う手立てはない。マミは苦い顔を浮かべてその手を取った。

 

「佐倉さん……!」

 

「こうなる可能性ぐらい、覚悟してたさ」

 

 空いた手で槍を取り、その穂先をソウルジェムを握る手へと向ける。

 

「でも、悔しいな……奇跡なんて無くてもしょうがないかもしれないけどさ、奇跡を願っただけで、このザマだよ……」

 

 願う事すら許されないのか。そう言いたげに杏子は槍を振りかぶる。だがマミの手は包んだ彼女の手を離さない。

 

「離してくれよ、マミ」

 

「……嫌よ。絶対に嫌」

 

 マミは首を横に振った。つばさを諦めなかったように、杏子も、彼女に取って大切な人間なのだ。それをやすやすと諦める訳にはいかない。杏子は唇を噛み、泣きそうな表情を浮かべながらもマミの手ごと貫くように槍を振り下ろし――

 

「――その必要はないわ」

 

 ふと、ほむらが槍の柄を掴んで止めた。驚く杏子を尻目に、彼女は手に取った二つのグリーフシードを投げ渡した。それを受け取ったマミはすぐさま杏子のソウルジェムを浄化する。

 間一髪。浄化が間に合った杏子のソウルジェムが本来の深紅の輝きを取り戻す。

 

「アンタ……」

 

「……………………誰にも、消えて欲しくない」

 

 ぼそりとほむらは答え、歩き出す。

 

「魔女は追い払ったんでしょう? なら、私は帰るわ」

 

「けっ……勝手に行っちまえ」

 

 しっしと彼女を追い払うように手を振りながら杏子は起き上がった。ほむらは相変わらずの無表情のままコンサートホールの扉を開けた。出入り口を潜り、扉を閉める。

 

「――ありがとな」

 

 その瞬間。小さく杏子の声が聞こえた。ほむらは口元に笑みを浮かべ、その場を立ち去った。魔法少女は嫌いだが、その絆は嫌いじゃないかもしれない。そう思えた。

 鹿目まどかを魔法少女にさせないという一つ目の目的こそ失敗に終わってしまったが、彼女にはまだやらなければならない事がある。乗り越えなければならないもう一つの障害。それを成し遂げるまでは、彼女の戦いは終わらない。ほむらはすっかり日が落ちて暗くなった夜空を見上げて呟いた。

 

「――待っていなさい、ワルプルギスの夜」

 

 

 

 闇。そう表現するのが正しいだろうか。辺りを見回しても、何も見えない暗黒の世界。またか、つばさはいつぞやの時のように明るい世界をイメージした。だが目の前の世界は変わらない。

 

(………………?)

 

 思わず首を傾げるつばさだったが、あまりにも静寂な闇の先に何もないことを感じて気づく。もうこの場に彼女は居ないのだ。完全な虚無だけが、ここに残っていた。この虚無も、時間と共に消えて行く。そんな予感がした。

 つばさは自分が消えずに済んだという事実に、素直に喜べなかった。もう一人の自分の犠牲が、この結果を生んだ。消えるはずだったつばさが生き残り、消えずに済んだ彼女が魔女となって、消滅した。

 彼女の最期、あの時に、奇しくもつばさと同じ感情と覚悟を抱いた。彼女も変わろうとしていたのに、その結果がこれだ。

 

(くっ……!)

 

 思わず歯噛みする。

 せめて自分が生き残った意味が欲しい。同じ感情と覚悟があるのなら、彼女が生き残る方が良かったのではないか。その考えを否定出来るものをつばさには見つけられなかった。そんな中、彼女の最期の言葉を思い出す。

 

 ――しっかりやれよ。遠藤つばさ!

 

 最期の言葉を、どれだけの覚悟で彼女は口にしたのだろう。彼女は自らの全てをもう一人の自分に託した。記憶と思いも、今のつばさは自分のものであるかのように思い出せる。彼女が抱えていたものを、何も知らなかった。理解しようとしていなかった。自分は、どうしようもなく酷い人間だ。

 そんな意識が、段々と薄れて行く。暗い世界に光が満ちる。

 

 ――――――――――僕は。

 

 

 

 目覚めると、真っ白な天井が視界に広がった。見覚えのある、マミの部屋の天井だ。つばさはゆっくりと身を起こし、首を巡らせる。机の上に置かれたデジタル時計に視線を向けると、時刻は午後十一時を示していた。随分と遅い時間だ。

 

「あ……つばさ君」

 

 衣擦れの音で、机に突っ伏していたマミが身を起こした。その顔には安堵の表情が浮かんでいる。

 

「大丈夫? なんともない?」

 

「く、くすぐったいです」

 

 心配そうに椅子から立った彼女はつばさの体のあちこちを触ったり突ついたりした。つばさは触れる指先から逃げるように身を捩る。

 

「……傷、残っちゃいそうね」

 

 そっとマミの指先がつばさの頬に触れる。その瞬間、頬に刺すような痛みが走り、つばさはその場所に自分の指を這わせた。確か、ほむらの銃弾を回避した時に出来たものだ。その傷が未だに残っている事からも、つばさが既に魔法少女の理から外れ、ただの人間に戻った事を示している。もしまだ魔法少女の力が残っているなら傷は既に完治しているはずだ。

 

「あの後、どうなったんですか……?」

 

 つばさは血の滲む頬に気を使いながら話す。ここで言うあの後とは、もう一人のつばさが魔女となった直後からの事だ。

 それまでの記憶は、朧げだが思い出せる。もう一人のつばさの記憶が、時間を追うごとに彼の記憶として取り込まれていっている。自分じゃない、自分の記憶。抑えようの無い違和感に眩暈がするが、つばさはそれを必死に堪えてマミの話に耳を傾けた。

 魔女化から、ここに運ばれるまで、事の顛末を聞き終えたつばさは小さなため息を吐く。

 

「そう、ですか……」

 

 概ね、想像した通りだ。今更驚くような事はない。しかし、重い現実が肩に圧し掛かっているようだった。だが、いつまでもここに居る訳にもいかない。つばさはのろのろとベッドから下りる。その意図を察してか、マミは苦笑した。

 

「大丈夫。今日は私の家に泊まるってお母様にはお伝えして置いたわ」

 

「え?」

 

 彼女は口元に笑みを浮かべたまま机の上に置かれた生徒手帳を指差す。あれはマミのではなく、つばさの物だ。確かに身分証明書も兼ねているそれにはつばさの連絡先――自宅の電話番号も記載されている。

 

「あれ……?」

 

 ふと、自分の恰好に気付いてつばさは下を向いた。制服ではなく、見慣れない寝間着だ。だが、つばさの物ではない。マミは困ったように笑ってそれに答えた。

 

「ごめんなさい。私のお古なの」

 

「お古……」

 

 いつ頃の古着なのかは分からないが、寝巻とは言え女性の服を着ているという事実につばさは顔を赤らめた。気恥ずかしさで顔を覆いたくなるが、もう一つの事実に気付いてつばさは自身の頬に触れかけた手を降ろし、尋ねた。

 

「あの……大丈夫でした? あの人相手で……」

 

「……………………」

 

 マミはすぐには答えず、膝をついてベッドの上に上半身を投げ出して答えた。

 

「……大丈夫、でもないわね」

 

 彼女の疲れた声を聞き、つばさはどのような会話が行われたのかを察してため息を吐いた。マミはじっとつばさを見上げて呟く。

 

「親が居るのって、幸せな事だって、両親が無くなって気付いたのに。そうじゃない事もあるのね」

 

 つばさは視線を反らす。それに対する答えは、見つからない。両親の命を代価に、自身の答えに確証を得たであろう彼女にとって、つばさの母親という存在は間逆の存在に近い。

 

「つばさ君は、ずっとあの人と暮らして……?」

 

 探るようなマミの視線を受け、つばさは目を伏せて頷いた。

 

「父親が無くなってから、ずっと」

 

 マミの隣に座り、彼はベッドの縁に背中を預けて呟く。不意に伸びたマミの手が、彼の背中をなぞった。

 

「それで、この傷、ね」

 

 意識を失っている間、服を取り替えた際に見たであろう背中の傷。つばさは無言で頷いた。

 

「なんで、残ってるんでしょうね」

 

 魔法少女の力で、消す事のできる傷跡のはずだ。それなのに、魔法少女となり、そして戻った今でも残ってしまっている傷跡。その理由すら、つばさは見つけられない。自分が生き残った理由も何もかも、見つからない。

 

「つばさ君が、つばさ君であるための傷」

 

 だが、それに答えるようにマミは呟いた。

 こんな傷残っていて欲しくない。辛い日々を刻んだ痕など、辛いだけだ。苦い顔を浮かべるつばさの頭に、マミの手が乗せられる。

 

「辛い記憶だっていうのは知ってる。だけど、この傷があったから、あなたは今のあなたになれた。誰かのために頑張れる……優しい男の子に」

 

 その言葉の一つ一つが、つばさの胸を抉るようだった。止めて欲しい。自分はそんな大層な人間じゃない。ただ状況に流されて、選択を迫られて、肝心な所では何もできずにたまたま生き残っただけの、価値のない人間だ。

 

「僕は……そんな事を言って貰えるような人間じゃありません」

 

 乗せられた手を払い除けてつばさは答えた。マミの前でだけさらけ出してしまう、自分の本音。自分の、悪い癖。

 

「流されてばかりで……あの時も、もう一人の僕が命を掛けてまどかさん達を守ったのに、僕は見ている事しか出来なかった。どれだけ頑張っても、腕一本動かして、両手に箒を握るのがやっとだった!

 そんな事しかできないんです! 僕は……僕は、駄目な奴なんで――」

 

 俯いて、怒鳴って、喚いて、また俯いて。そんな動作の中、払い除けられたマミの手が翻って彼の頬を叩いた。乾いた音が響き、頬が痛んだ。

 当たり前だ、彼女に当たり散らして、本音をぶちまけて、怒らない訳が無い。続く罵倒の言葉を覚悟し、つばさは口を結んだ。

 

「……やっぱり、貴方は優し過ぎよ」

 

 マミの両手が、頭に廻される。どこか悲しむような、呆れるような声。

 

「どうして……どうして自分を大事にできないの?」

 

「………………」

 

 その問い掛けに、つばさはすぐに答えれなかった。

 自分を大事にする。それがどういう事なのか、分からない。自分はどうしようもない人間だ。生きている価値がない。だから、他人のために何かをする。生きている価値が欲しくて、いつも誰かのためになりたいと思ってきた。だが、それでは駄目だったのだろうか。一体、どうすればよかったのだろうか。

 

「……僕が生きてても、なんの価値もない」

 

 不思議と、冷めた目でつばさはマミの顔を見る。自分の生き方を否定されたはずなのに、心は酷く冷たかった。

 

「だから、他人のためになる事で自分に価値を求めてる……それが、いけない事ですか?」

 

 マミは答えない。ただ口を結んで、つばさの目を見ている。何度も何かを言いかけては、口を閉ざす事を繰り返していた。

 話は終わり、とつばさは身を起こした。これ以上、彼女の目を見て居られなかった。

 

「ソファーと毛布、お借りします」

 

「うん……」

 

 マミの自室の扉を開けて、出ていく。これで、本当に良かったんだろうか。つばさは今日一日で起きた様々な事への答えを求めながらその意識を手放した。

 

 

 

 翌日、つばさはマミと共に学校に登校した。今日が終われば、土曜日だ。起きてから、ろくな会話もなしにここまで来た。夜の一件以来、何を話せばいいのか分からない。

 

「……先に行くわね」

 

「はい」

 

 マミは早足で進みだす。つばさは一度頷いてその後ろ姿を見続けた。これからは、あの人の傍に居る時間も減る。魔法少女でなくなった自分では、何をしようにもお荷物でしかない。それならいっそ、これ以上関わらない方が負担にならなくて済む。もう、あの人とは――

 

「おっす!」

 

 沈んだ気持ちで歩いていたつばさの背中を誰かか勢いよく叩いた。つばさは倒れそうになる体を必死に制御しようとするが、その努力も虚しく前へと倒れ込んだ。そんな彼の姿を見て声の主――美樹さやかはしまったという顔を浮かべた。

 

「あ、ごめん……」

 

「さやかちゃん、やりすぎだよ……」

 

 一緒に居たまどかがつばさの手を取って起きるのを手伝う。こうしていると、本当に魔女になる前と変わらない。もしかすると、まどかの願いによって完全な人間になると同時に記憶も元に戻ったのだろうか。だが続くさやかの言葉でそれが違う事を知る。

 

「いやはや……どうも魔法少女の時と力加減が違ってて」

 

「そう、ですか……」

 

 全てを覚えた上で、彼女はいつも通りで居る。どうしてそんな風に居られるのだろう。つばさはその疑問を思わず口にした。

 

「どうして、笑っていられるんですか」

 

 これが苛立ちなのか、悲しみなのか、まるで分からない。だが感情の赴くままにつばさは尋ねる。

 

「鹿目先輩に戦いを強いてしまったのに、どうして……笑っていられるんです?」

 

「……それを言われると辛いなぁ」

 

 さやかは苦い顔を浮かべ、頭を掻いた。まどかも何か言いたげにしているが、彼女の意志を尊重してか静かにその様子を見ていた。

 

「……まどかに、皆にそう望まれたから、アタシはここに居られる。だからアタシはそれに答えたいんだ。くよくよしても、悩んでも、それは皆が望むアタシじゃない。そうしたい時もあるけど……今は、皆の気持ちに答えたいって思うから」

 

 さやかはそう言ってにっと明るい笑みを見せた。それが空元気だと、今更気付いた。もう女性人格のつばさは居ないのに、本音を喋り、相手の気持ちに鈍感で、まるで自分が、彼女のようになっているようだった。

 

「すみません。言い過ぎました……………………」

 

 つばさは素直に頭を下げる。どうして自分は、こんな風にいられないのだろう。こんな風に前向きに考えられる彼女が羨ましい。もっと、彼女みたくなれたなら、自分も、もっとまっすぐにマミと向き合えるのではないだろうか。

 

「いやいや……言ってる事はもっともだし」

 

 つばさに頭を上げさせてさやかは困ったように手をひらひらと振る。

 

「でもさ、お互い人間に戻った身なんだし……戦わないとならない皆の代わりに、皆が返ってくる場所を明るくしておきたいじゃん?」

 

「あ…………」

 

 それが、彼女に、つばさに出来る事。他人のために行動するつばさよりも、その答えにさやかは先に辿り着いた。その事実を受け止めて、つばさは落ち込んだ。他人のためになる事が、最後に残った道しるべだったのに、それすらなくしてしまった。

 

「はい…………」

 

 せめてもと、つばさはぎこちない笑みを浮かべた。

 

「何かあったの?」

 

 その様子に、まどかが口を開いた。

 何も無かった。いや、何も無くなってしまった。

 

「いえ……」

 

 つばさは静かに首を振ってその場を離れた。その足取りは、今までの中で一番重かった。

 登校してから授業の間も、彼はひたすらに考えた。自分に残っているのはなんだろう。授業の内容も耳に入らず、ひたすらにそれだけを考え続ける。所詮、何の価値もない自分が他人のためになろうという考え自体が傲慢だったのだ。なら、後は何ができるのか。そんな彼の思考を遮るように、校内放送が響いた。

 

《一年A組の遠藤つばさ君。至急職員室へ来て下さい。繰り返し連絡します―――》

 

 不意に呼ばれた自分の名前に、つばさは首を傾げた。まさかマミの家に泊まった程度で職員室に呼ばれるとは思えない。確かに体質的には目を付けられる生徒ではあるが、それで呼ばれるとは思いにくい。なら、何故呼ばれたのか。

 

「何だろう……?」

 

 妙な不安感を抱えながら、つばさは職員室へと向かった。ドアをノックし、小さな声であいさつをして職員室に入る。どこか、普段と違って騒々しい。つばさの小さな声を聞き取れなかったのか、数秒後に遅れて気付いた担任の教師がつばさに走り寄って来た。

 

「遠藤君! やっときた……!」

 

「えっと……僕、何かしましたか?」

 

 職員室に呼び出されたのが説教か何かだと思い、つばさはその内容を訪ねる。だが教師は首を横に振り、つばさの肩を掴んだ。

 

「いい? 落ち付いて聞くのよ?」

 

 その必死の形相に押され、つばさは頷いた。そして続く言葉に、つばさは絶句した。

 

 

 

「――あなたのお母さんが、亡くなられたわ」

 

 

 

 それからの記憶は、妙に曖昧で、はっきりと思い出せない。

 分かっているのは、自分が早退して、教師の車で自宅まで送られた事。自宅のあるマンションに、警察が居る事。そして、母親が飛び降りて自殺した事。事情聴取を受けても、その事実をなかなか受け入れられずにいた。目の前の現実に対する拒否ではない。余りにも突拍子な話で、現実感が沸いてこなかった。

 ただ、現実感が沸いたところで、恐らく悲しまない。それだけははっきりと分かった。

 

「遠藤君……今日は、私の家に泊まりなさい?」

 

 教師の申し出に、つばさは静かに頷いた。つばさの家は、今や《KEEP OUT》と書かれたテープが張られ、とても寝泊まりできる状況ではない。それに、元からここに、つばさの居場所はない。

 

「ああ、君」

 

 教師に背中を押され、つばさが家を立ち去ろうとした時である。一人の検察官に声を掛けられてつばさは立ち止まった。

 

「君……お母さんから虐待を受けていなかったかい?」

 

「っ…………!」

 

 どくん、と心臓が飛び出るかと思うほどの衝撃。つばさの家にある何かしらの物から、その痕跡を掴んだのだろうか。

 はい。そう答えるだけで、今まで隠されてきたこの家庭の実情が全て明るみになるかもしれない。そう思うと、反射的に口が開いた。

 しかし、それを言って今更どうなるのか。もう一人のつばさはいなくなり、母親は死んだ。今のつばさに、それを伝えて何か変わる事があるのだろうか。それを口にするのは、彼女の存在を否定する事。彼女の存在を辛い記憶だと、公言する事。

 辛い記憶には変わりない。だが、彼女が命を賭してつばさに託した物まで、否定するつもりは無い。彼女だって、幸せだけではなかった。肉体が男性であるが故に、本物の人格ではない故に苦しんでいた。その原因は、母親から逃げたつばさにある。だから契約をした。だから、本物の女性になろうとした。そして彼女は、それを捨ててまで大切な――真の意味で大切な人達を守った。そして、残った物をつばさに託した。自分が消える際に、そんな事を伝えられる勇気はつばさには無い。それでも――

 

「いえ……虐待なんて、ありませんでした」

 

 必死に喉元まで湧き上がってくる本心の言葉を抑え、つばさは答えた。

 彼女を生み出したのはつばさ自身だ。自分に価値なんてないけれど、自らの責任は自らで背負う。彼女が遺した物を、背負っていく。

 

「そうですか……」

 

 残念そうに検察官が呟いた。

 

(え――――)

 

 何故、残念なのだろう。その疑問に答えるように、検察官はのろのろと歩き出した。

 

「ああ……なんて間違いをしてしまったんだろう……もう駄目だ。生きていてもなんの意味もない」

 

「ちょ、ちょっと」

 

 つばさは慌てて追いかける。そして踏み込んだ室内に広がる光景に息を飲んだ。検察官が、命綱も無しに飛び降りようとしていた。

 どうしてそんな事。そう思うよりも早く、その答えが感覚となって下りてきた。ぞくり、と背筋を走る寒気。どこからともなく感じる異質な空気。

 思えば、何故母親は自殺なんてしたのか。その答えは、異質な感覚と共にやってきた見慣れた生き物によって一言で語られた。

 

『つばさ! 魔女だ!』

 

 その気配を察したからか、突然キュウべぇが現れた。

 

「分かってる!」

 

 そう答えると同時につばさの足は動きだしていた。飛び降りようとする検察官を室内に突き飛ばし、窓を閉める。

 

「早く逃げて!」

 

 つばさは倒れた検察官の腕を引っ張り、外に出ようとする。

 

「ああ……もうだめよ……私もあなたも……死ぬしかない」

 

 だが、その行く手を入り口で待っていた教師が塞ぐ。彼女もまた、首筋に刻印――魔女の口付けが浮き上がっていた。つばさは衝突も厭わずに力の限りに教師を突き飛ばした。しかしその努力は報われず、つばさの周囲が歪み、結界へと移り変わって行く。例え全員を見捨てたとしても今から脱出など不可能だ。

 

「そんな――――」

 

 もう、戦う力なんてないのに。絶句するつばさを余所に、それは現れる。

 周囲が闇に包みこまれ、何も無くなる。足場の存在すらあるかも分からず、距離感も掴めない結界。その先に、無言で空中に佇む魔女が居た。

 逞しい二本の腕。数多の人間を織り込んだような下半身。関節は細く、目を凝らして見れば皮膚にも人の姿を模した人形が網目のように織り込まれており、とてつもない嫌悪感を覚える。そしてとくに目立っていたのがその胴体だ。ぽっかりと胸に空いた穴。虚無の空間。無心の象徴。

 

(いや――――)

 

 全身の毛が泡立つような戦慄を覚えながら、つばさは直感した。これが、もう一人のつばさが魔女となった姿だ。心を失った、彼女の姿。

 魔女はつばさの存在を意にも留めず、その巨腕を揺らし、手招きし始めた。それに従うようにつばさと共に結界に飲み込まれた検察官達と教師がそちらへと歩き出す。魔女の捕食だ。

 このままではいけない。しかし、もうつばさには戦う力など残っていない。幸か不幸か正気であるつばさも、このままではいずれあの魔女に喰われる未来しかない。その事実に足が竦む。自分は、死にたくない。

 

「死にたく……ない」

 

 そうだ、死にたくない。生きる価値なんて無いと分かっている。それでも、たった一人だけ、どうしても、どんな代償があろうと傍に居たい人がいる。

 

「っ………………!」

 

 脳裏に浮かんだ彼女の笑顔。自分が死んで、彼女はどう思うだろうか。上辺だけの言葉なんて、信じれない。でも、彼女だけは違う。言葉じゃなく、鼓動で伝えてもらった物がある。この状況で生き残るのは絶望的。それでも、諦められない。

 

「ああもう!」

 

 らしくない。つばさは悪態混じりに検察官の腕を掴んだ。怖さも、諦めも、全部捨てた行動。たった一つ、この死と隣り合わせの状況で、初めて生きたい理由が見つかった。

 だから、どれだけ絶望の未来が待っていようと諦めない。

 

「そっちに行っちゃ駄目です!」

 

 渾身の力で検察官の腕を引っ張る。これがどんなに無駄な行為だろうと、最後まで諦めない。

 

「離してくれぇ!」

 

 検察官が絶叫と共に暴れる。振り回された腕がつばさの鼻っ面を殴り付けた。

 

「あぐっ!」

 

 尻もちを着いたつばさだが、涙をにじませた目を見開いて再び検察官に飛びついた。暴れる検察官の肘が、膝が、つばさの体に叩き込まれる。それでもつばさは離れない。

 

「駄目です……! 死んだら全部、終わっちゃうんです!」

 

 痛みを堪え、彼は必死に訴える。今までの自分と決別するために、生きる事を諦めてばかりだった自分を乗り越えるために、この手は絶対、離さない。

 その行動によってか魔女が先に動いた。足音もなく、もつれ合うつばさ達に近づき、手招きしていた腕をそっと向けた。

 

「う、わあぁぁぁ!」

 

 その殺気を感じ取り、つばさは全力で検察官を横に突き飛ばした。すぐ様自分も反動で反対側に飛ぶ。瞬間、両者の間の空間が穿たれた。魔女の放つ、消滅の力だ。

 いよいよ死が間近に見えてくるようだった。それでもなおつばさは立ち上がって近くに居る相手の腕を掴み、魔女から離れようと力を込める。だが倒れている大人の体を引きずって動くのは困難だった。再び魔女の手がつばさへと向けられる。これ以上は限界だ。

 

「まだ……諦めるもんか……!」

 

 震える膝に鞭打ち、つばさは魔女に向かって駆け出した。可能性の範囲だが、狙いがつばさであるのなら今は他の人間からは離れるべきだ。

 

「逃げるもんか!」

 

 走る。走る。その一心でつばさは真っ暗な空間を駆け抜けた。その暗黒故に風の流れでしか感じ取れないが、間違いなくつばさを狙うように消滅の力が真横で、背後で発生する。戦える程の力ではないが、以前に魔法によって強化された身体能力は健在だ。魔法少女になる前よりも遥かに早く、長く走れる。

 

「はっ……はっ……!」

 

 最早直感任せの回避。相手が当てるか、こっちが倒れるかの戦い。酸素が足りない。意識が遠のく、そんな中で、良く通る声が結界に響いた。

 

「つばさ君、伏せて!」

 

 誰の声かなど、確認するまでもない。つばさは最後の力を振り絞って前方に飛んだ。その真上を弾丸の風切り音が通り抜ける。まっすぐに飛んでいく弾丸が魔女の腕に突き刺さり、爆発。

 

「うっ……」

 

 巻き起こされた爆風につばさは目を閉じた。爆風が収まると同時につばさはふらふらと起き上がる。もう立ち上がるだけの力も無いつばさはなんとか身を起してその場に座り込む。そんな彼の目の前に、先ほどの声の主――マミが降り立った。

 

「つばさ君、無事!?」

 

「は、はい…………」

 

 つばさは呆然と彼女の姿を見ていた。自分がまだ生きている事すら信じられない。だがそれに反して体は次々と悲鳴を上げ始める。打撲の痛みと全力疾走の疲れが一気に襲いかかる。マミは彼の体を素早く抱え、魔女から離れるように走り出した。

 だが魔女も黙ってはいない。無事なもう片方の腕がマミへと向けられる。つばさを抱えたままで、この何もない空間で逃げるのはつばさが単身で走るより難しい。

 

「マミさん……!」

 

 僕なんて置いて逃げて。それを伝えるために口を開いたつばさだが、重ねるように発せられたマミの大声によってかき消されてしまう。

 

「鹿目さん!」

 

「はい!」

 

 マミの呼び掛けにもう一人の魔法少女――まどかが返事をした。瞬間、激しい光が結界の一カ所に煌めく。彼女が引き絞った弓と矢が激しい光を発しているのだ。その光量の強さにつばさは目を細める。なんとか見えるまどかの手が、矢を離した。その瞬間

 

「うっそ!?」

 

 つばさは思わず声を上ずらせた。まどかが放った矢は先ほどマミが放った弾丸など比べ物にならない威力と速度で魔女の片腕を肩から消し飛ばした。噂には聞いていたがとんでもない威力だ。

 

「マミさん! 今だよ!」

 

 新しい矢を接ぎながらまどかが叫ぶ。

 

「つばさ君、ごめんなさい!」

 

 その声に合わせ、マミは抱えていたつばさを高く放り投げた。

 

「えっ……でぇぇぇぇぇ!?」

 

 一瞬、重力の感覚が無くなり、一気に落下速度に変換されて襲いかかってきた。つばさは涙目で叫び声を上げ、真っ逆さまに落ちる。

 マミはその間に自由になった両手で大砲を構え、魔女へと向けた。

 

「ティロ……フィナーレ!」

 

「えいっ!」

 

 まどかとマミが同時に攻撃を放つ。放たれた二本の光条が魔女の胴体を貫き、結界の壁まで無理やり押し込む。マミは弾切れの大砲を放り捨てると、すぐさま胸元のリボンを掴んで振り抜いた。

 伸びるリボンがまるでトランポリンのように組み合わさり、落下してきたつばさを柔らかく受け止める。つばさは地面すれすれまで落下した恐怖でガチガチと歯を打ち鳴らした。

 

「マ……ママママ、マミさんッ……!」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 涙目で訴えるつばさの頭を撫でながらマミは謝った。打ち合わせ無しでこんな事は二度とごめんだ。つばさは心の奥で珍しく怒鳴った。

 そんな中、ゆっくりと結界がひび割れていく。

 

「あら……?」

 

 魔女を倒したのかと思ったが、どうにも違うようだった。マミは訝しげに当たりを見回す。

 確かに強烈な一撃を撃ちこんだが、魔女はまだ健在している。両腕が吹き飛んではいるが、致命傷には至っていない。なら何故、結界が崩れようとしているのか。その答えはすぐにやってきた。

 

『――――――ビィィィィ…………ン』

 

 忘れるはずもない、忘れようがない鳴き声。ひび割れた結界が完全に砕け、現れたのは別の結界だった。ノートの切れ端を張り合わせた壁。鉛筆に手足が生えた使い魔。そして、巨大なペンケースの体と、ホッチキスの頭。つばさが初めて遭遇した魔女だ。

 

「なんであの魔女が……!?」

 

 突然の乱入者に彼は驚愕した。現れた魔女は怒りも顕にして天井の闇から落下してくる。

 

『これは珍しい。あの魔女達は共生関係にあるようだ』

 

「共生……」

 

『極まれに、その性質の相性が合致する魔女は共生関係を持つ事があるんだ。

 あの魔女の性質は《再構成》、そしてもう一人のつばさから生まれた魔女の性質は《破滅》。

 言うなれば破壊と創造という対の関係に近い』

 

 キュウべぇは目の前に現れた魔女について語る。着地した魔女はカチカチとホッチキスの頭を打ち鳴らし、つばさ達を見遣った。

 

『ここは一度引いた方がいい。共生する魔女はその力も相乗的に上乗せされるからね』

 

「それを早くいいなさい!」

 

 脱兎のごとく、マミはつばさを抱えて駆け出した。その背後を追うように、魔女の頭から発射されたホッチキスの芯がマミの足元に突き刺さっていく。

「鹿目さん! 撤退よ!」

 

「は、はい!」

 

 マミに急かされ、まどかは近くに倒れていた学校の教師を背負う。だがあと二人の検察官が居る。

 

「つばさ君、しっかり掴まって!」

 

「はい!」

 

 つばさは答えるなりマミの首に腕を廻した。彼女はそれを確認するなりつばさを支えていた腕を離して胸元のリボンの両端をそれぞれ倒れている検察官へ向けて飛ばした。

 

「ふっ!」

 

 意志を持っているかのようにしなるリボンが、二人の検察官の体に巻きつく。マミはそれを一気に引っ張り、両腕に検察官の体を抱えて走った。

 

「マミさん!」

 

「私に構わないで行って!」

 

 結界が変わった事で、見えやすくなった出口でまどかが叫ぶ。三人を背負ったまま逃げるというのは相当に厳しい。

 だが、マミは構わず疾走する。その足元へと、じりじりとホッチキスの芯が近づいてくる。

 

「くっ……」

 

 結界の出口まで、まだ距離がある。このままでは出口に辿り着く前に攻撃を受けてしまう。だが足を止めれば即座にホッチキスの芯が突き刺さる。マミの両手は塞がっていて、対抗するのも困難だ。なら、やるべき事は一つ。

 

「僕が時間を稼ぎます!」

 

「つばさ君!?」

 

 マミが驚愕の声を上げた。つばさはマミの背中を押すように飛び出し、ホッチキスの射線ギリギリの場所に着地する。顔を上げれば、目の前にはあの魔女の姿が目に映った。

 

(あの時とは……違う!)

 

 夢の時とは違い、つばさは立ち上がり、右の方へ走りだした。

 

「こっちだ!」

 

 その声に反応し、魔女が標的をつばさへと変えた。

 

「駄目よ! 危険だわ!」

 

 マミが叫ぶ。つばさは震える足を必死に前に進め、魔女の頭から放たれるホッチキスの芯から逃げた。

 

「逃げ切って見せます! だから……先に行ってください!」

 

『彼の言う通りだ。ここで君が立ち止まるよりも、一度その人たちを置いてきてから戻ってくる方が賢明だ』

 

 キュウべぇの言葉添えで、マミは唇を噛んで再び出口へと駆け出した。そうだ。それでいい。

 

「――――――ッ!」

 

 その時、右足に激痛が走った。魔女が放つホッチキスの芯がつばさの右足に突き刺さっていた。焼けるような痛みを堪え、つばさは突き刺さった芯を引き抜く。だが、出血した足に力が入らずにその場に倒れてしまった。

 

(動け……動け!)

 

 体を起こし、魔女へと向く。そこには背中のペンケースから大量の刃物を展開した魔女の姿。逃げなければ。頭ではそう思うが、右足が言う事を聞いてくれない。

 

「そんな……」

 

 絶句するつばさを余所に、魔女はその狂気の全てを振り下ろした。目の前に迫る殺意を前に、つばさは歯を食いしばる。

 こんな所で、死んでしまうのだろうか。そんなのは嫌だ。僕は、あの人と一緒に生きたい。

 

「まだ……まだだぁ!」

 

 つばさは無謀にも、目の前まで迫った刃に向けて手を突き出した。この心に芽生えた、この想いをあの人に伝えるために。あの時取れなかった手を、今度こそ自らの意志で取るために。どんな障害だって、この手で払って進むために!

 

 ――――――――その時、奇跡は起きた。

 

「えっ…………!?」

 

 目の前まで迫っていた刃物が、つばさの手を前にして全て消え去った。この感覚を、つばさはよく知っている。そう、これは――消滅の魔法。

 しかしつばさにはもう魔法少女の力は無いはずだ。困惑するつばさを前に、魔女は怒りを顕に新しい刃物を胴体のペンケースから吐きだした。

 最早、迷っている暇はない。つばさはその場で右手を突き出した。

 

「一か八か……!」

 

 消滅の魔法が使えたのだから、他の使い方も可能なはず。つばさは目を伏せてすっかり使い慣れたそれをイメージした。

 

「……来いっ!」

 

 ぎゅっと握った手に、一本の箒が握られた。つばさの目論見通り、間違いなく魔法少女の力が使えている。つばさは箒を両手で握りしめ、一気に加速した。

 

「ぐぅっ……!」

 

 急激な加速に息を詰まらせる。だが、これなら逃げ切れる。勢いを落とさず、つばさは結界の出口へと飛ぶ。だが、無情にも結界は魔女の意志によってか、閉じられていた。

 だというのに、この先にマミ達が居る。そう思うだけで、不思議と絶望なんて感情は浮かばなかった。そこに壁があるのなら――――

 

「消し飛ばす…………!」

 

 結界の壁を撃ち抜くイメージ。つばさは低く叫びながら閉じた出口へ、突っ込んだ。

 

 

 

 

「鹿目さん! その人たちをお願い!」

 

「は、はい!」

 

 結界から出たマミは即座に抱えていた二人をまどかへ投げ渡した。まどかは二人分の重さを受け止めきれず、その場に倒れ込む。そんな彼女の姿を尻目に、マミは結界へと振り返った。

 

『マミ、結界が閉じられてる』

 

「分かってる!」

 

 いつものように、リボンを銃へと作り変え、マミは結界に向けて撃ち出した。

 

『……共生のせいで、結界の壁も厚くなってるね』

 

 だが、彼女の放った弾丸は結界を破れずに、空中で四散してしまった。マミは青ざめた顔を浮かべつつも、次の銃を取りだした。

 

「つばさ君を……助ける!」

 

『無理だよ、この結界をこじ開けるだけの威力を放ったらここが崩れる』

 

 巨大な大砲を持ち出したマミをキュウべぇが制止する。反動でマンションが吹き飛ぶだけの威力が必要な結界の壁。ここでそれだけの威力を放てば、死傷者が出てしまう。マミは大砲を消して拳を握った。

 

「どうしたら……」

 

 また、自分の力が及ばない。信じていても、誰も救えない。絶望するマミを横目に、キュウべぇは目を細めて呟いた。

 

『つばさはイレギュラーな存在だ。少しだけ、戻ってこれる可能性がある』

 

「本当に!?」

 

 マミはキュウべぇに飛びつくように尋ねた。キュウべぇは一度頷いて答える。

 

『さっき、結界の中に入った後につばさは散々殴られた。その時に気付いたんだけど――――』

 

 すっと、発言を止めてキュウべぇが結界を見上げた。同時にどこからから小さく聞こえてくる叫び声。その声がつばさの物だと気付いてマミも結界を凝視した。

 

『マミ、僕のタイミングでもう一度撃ってみて貰えるかな?』

 

「ええ!」

 

 言われるまでもなくマミは銃を一丁取りだした。小さかった声はだんだんと大きくなり、つばさが近づいてきている事が窺える。

 

『3……2……1……今だ!』

 

 キュウべぇの合図に合わせ、マミは引き金を引いた。どん、という音と共に握った銃から弾丸が放たれる。同時に、結界の内側から聞こえている声も最大音量となっていた。

 

「いっけぇぇぇぇ!」

 

 パリン、とガラスが割れるような音と共に結界がこじ開けられた。マミの弾丸で一瞬弱まった結界を、つばさが内側から箒の一撃で貫いたのだ。

 飛び出したつばさは勢い余って壁向かって突き進む。出た先の事なんて考えていなかったのだろう。マミは目にも止まらぬ速さでリボンをつばさに巻きつけて踏ん張った。

 

「がっ」

 

 急な減速と、締め付けられるリボンの痛みでつばさは苦痛の声を上げた。だが、その苦痛の甲斐もあり、壁から鼻先一センチメートルのところで彼は制止した。

 

「ひぃ……」

 

 どすん、とつばさは目を丸めて座り込んだ。後ろを見れば、再び閉じた結界がそこにあった。

 

『やっぱり、まだ魔法少女の力が使えるようだね』

 

 そんな彼の様子を窺いながらキュウべぇが呟いた。つばさはそれには答えず、夢でも見ているかのように自分の掌を何度か開閉させた。

 

「どうして……?」

 

 つばさはぼんやりとした様子でキュウべぇに尋ねた。ソウルジェムも無い。契約もしていない。だというのに、今つばさは間違いなく魔法を使った。

 その理由を、キュウべぇは背後の結界が消えていくのを眺めながら語った。

 

『つばさ、君があの魔女――もう一人のつばさだった魔女の結界に入ってから、頬の傷が治っているのに気付いているかい?』

 

「え? …………本当だ」

 

 言われるがまま、彼は自身の頬に触れた。確かに、昨日まであった頬の弾痕は綺麗に消え去っている。

 

『そこで気付いたんだけど。まだあの魔女とつばさには何らかの繋がりがあるようだ。流石に、今回のように一人の肉体から魔女になる魂と肉体に残る魂は前例がないからね。僕も驚いているよ』

 

「そう……」

 

 つばさはそっけなく答える。キュウべぇの言葉と、自身に起きている現象から推測するなら、魔法が使えるのはあの結界の中のみのようだ。結界から脱出した今、つばさは再び箒を出す事ができなかった。何故、この力が限定的ながら残っているのか。その理由を探す。

 

(……うん)

 

 彼は静かに頷いた。きっとこの力は、彼女――もう一人のつばさが遺した、前へ進むための力。過去の自分と、今までの自分から変わるために、そして、魔女となったもう一人の自分と戦うための最後の力。意図した事ではないだろうと思う。それでも、今この手に残された最後の力を、つばさは大事に握り締めた。

 

「足、見せてね」

 

 マミは変身を解いてつばさの右足に触れた。それによって走った激痛で、自身の体の状態を思い出す。苦痛に顔を歪めるつばさだが、マミはそっとソウルジェムを近づけ、その傷を治し始めた。

 

「本当……無茶ばっかりして」

 

 こつん、と彼女の拳がつばさの額に置かれる。弟を叱る姉のようだ。だが、その手はふるふると震えている。

 

「一歩間違えたら、死んじゃってたのよ?」

 

 その言葉の意味を察し、つばさは黙り込む。いつか、彼女が女性人格のつばさにだけ告げた想い。その内容を知ってしまった今でも、彼女がどうして、自分にそこまで肩入れしているのか。だが、これはもう一人のつばさに告げられた事。今のつばさが、この事を知っているのは、誰にも話せないし、話すつもりもない秘密。

 だからつばさは、あくまで自分だけの言葉で答えた。

 

「生きたいって、思ったんです」

 

 結界の中で芽生えた確かな感情。生きて、彼女と一緒に居たい。その気持ちの一点張りでつばさは出来る事をした。

 

「自分がなんで生きてるとか、価値とか…………そんなの関係無く、初めて、生きたいって……マミさん達と笑顔で入れる場所に帰りたいって……………………そう、思ったんです」

 

「つばさ君…………」

 

 横で治療の様子を見ていたまどかは苦笑する。

 

「大丈夫だよ。ちゃんと、帰ってこれたよ」

 

 つばさの頭を撫でながらまどかは応えた。その手の温もりに、つばさは安堵を覚えた。

 ふとマミの方へ視線を向ける。そこには、まるで鳩が豆鉄砲を食らったような表情の彼女が居た。一体どうしたのだろう、つばさは首を傾げて、そして今朝までの彼女との険悪な状況を思い出して気付いた。

 朝方と、言っている事が真逆ではないか。昨日あれだけ彼女に辛く当たって置きながら、今じゃこの態度だ。彼女はきっと呆れているのだろう。申し訳なさそうにつばさは頭を下げた。

 

「あの……昨日はごめんなさい」

 

 マミはゆっくりと首を左右に振り、微笑んだ。

 

「ううん……気にしないで」

 

 それに釣られてつばさも笑った。その様子にマミは驚く。

 出会ってから今まで、つばさがこんな風に、心から笑っているような様子は無かった。いつも困ったように笑うか、無理をして笑っている様子しか見た事がない。そんなつばさが今、目の前で屈託ない笑みを浮かべている。

 自分が救った命が、自分を支えてくれた。支える事以外を諦めていた彼が、自分から変わろうとしている。込み上げてくる感情を必死に抑え込み、マミはつばさの右足の治療に集中した。

 

 

 

 その後、目を覚ました検察官と教師に上手く状況をごまかし、マミは自宅へと帰ってきた。その後ろに着いてきている人物はおどおどとした様子で彼女の部屋に上がる。

 

「もう、そんな怯えないでも別に取って食べたりしないわ」

 

 その言葉に、着いてきていた人物――つばさは落ち付かない様子で答えた。

 

「いやっ! でも、やっぱり…………」

 

 要領を得ない彼の言葉に、マミは口を尖らせた。

 流石に、あの場で倒れてしまった検察官や教師につばさを託す訳にもいかず、マミの申し出でつばさは彼女の部屋に泊まる事になった。流石に一人暮らしの中学生の元に、母親を失った中学生を預けるというのは誰もが渋る事だったろう。だが日ごろの行いが幸いしてか、意識を取り戻した教師の承諾もあり、彼の親戚への連絡が着くまではマミの部屋で暮らす事を見逃してもらった。つくづく魔法少女と中学生をしっかりと兼業してた事を感謝する日だ。

 

「仕方がないでしょう? 流石にあなたを一人にする訳にもいかないし……」

 

「あ、いや! マミさんの家が不満と言う訳ではなく!」

 

 つばさは目を丸めて首を左右に振った。当面の居候先が決まった途端から、このような反応を多く示すようになっている。その理由をなんとなくだが察し、マミは苦笑を浮かべた。つばさもまた、その苦笑の意味を理解して、口を尖らせて頬を赤らめた。

 

「……僕だって、男の子なんです」

 

 まさか魔法少女だったからって女性と思われてるのではないだろうか。つばさは不満そうに呟いた。唯でさえ彼女が好きという気持ちを意識してしまったというのに、いつまでになるかは判らないにせよ、同じ屋根の下で暮らすというのは色々と意識せざるを得ない。

 

(あ……でもあんまりマミさんには意識されてないのかな……でもなぁ…………)

 

 意識はしてしまう反面、彼女にはあまり意識されてないのだろうか。そんな思考を繰り返す。本音を聞きたい気持ちはある。だけど、自分に誰かの言葉が信じられるのだろうか。そんな自信すらなく、つばさは悶々とした気持ちで思考をループさせ続けた。

 

「さて、と…………」

 

 バッグを横に置き、マミはつばさに振り返る。その動作だけで、つばさはびくりと肩を震わせた。そんな彼の様子にマミは腰に手を当てて口を尖らせる。

 

「……少し、私も怪我しただけ。ちょっと手伝って」

 

「は、はい」

 

 マミに先導され、つばさは彼女の自室に通された。思えば昨日も、ここで彼女と話していた。つばさは今日一日で起きた事を懐かしむようにベッドに手を乗せた。

 

「あれ、でもマミさんの怪我だったらソウルジェムで――」

 

 ふと気付いた事をつばさは振り返って尋ねた。いや、尋ねようとした。続くその言葉は飛びついて来たマミを受け止めるために中断される。つばさはその勢いを支えきれず、ベッドに二人で倒れ込んだ。

 

「ま、マミさん!? ちょ、ちょちょちょ!」

 

 つばさは顔を真っ赤にしてもがく。流石にこの行動の意図は全く掴めない。マミはつばさの背中に廻した手に力を込めて呟いた。

 

「……私の、心の治療よ」

 

「え?」

 

 その言葉に、つばさはもがくのを止め、マミの話に耳を傾けた。

 

「怖かった……あなたがいなくなってしまうかもって、何度も何度も……あなたは自分の事なんて考えないで無茶ばっかするから…………」

 

 マミの言葉に、つばさは答えられない。無茶をした覚えはない。けれども、自分の事を考えてこなかった。それは紛れもない事実。

 

「さっきだって、結界の中であなたは何をやっていたの? 普通逃げるでしょう!? どうして立ち向かったりなんてしたの!?」

 

 殴られても、倒れても、傷ついても、つばさは魔女に立ち向かった。言われた通り、普通なら逃げる状況だ。だと言うのに、立ち向かった。逃げなかった。その理由は、一つ。

 

「…………変わりたいんです」

 

 ぽつり、とつばさは呟く。

 唯一つ、変わりたい。その一心で、立ち向かった。もう逃げるのを止めたい。差し伸べられた手を掴めない自分を変えたい。

 

「変わりたいんです。僕も、マミさんみたいに……皆みたいに……!」

 

 だから、今までの自分と逆の事をした。だが、それで何かを掴めた実感はない。

 

「やめて頂戴……無茶、しないで……!」

 

 マミは嗚咽混じりに呟く。これでも駄目なら、自分は一体、どうすればいいのだろう。どうすれば、変われるのだろう。その答えを、マミは知っていた。

 

「変わらなくたって……つばさ君はつばさ君じゃない。私に、生きていて欲しいって言ってくれた、優しいつばさ君じゃない!」

 

「あ……」

 

 あの時の、初めて魔法少女の秘密を知った時の事を思い出す。とにかく必死で、彼女が壊れるのを見ていられなくて、らしくない事をした。そう思っていた。

 

「私みたいになる必要なんて無い……つばさ君は、つばさ君でいいの」

 

「……それでも、変わりたいんです」

 

 自分の為に、彼女の為に、あの言葉を言える、らしい自分になりたいから。あの気持ちを、真実にしたいから。

 

「……だったら」

 

 マミはつばさとベッドを背もたれにして並ぶように座り込む。そして、つばさの手を握って呟いた。

 

「私も、あなたがなりたい様な人じゃないの」

 

「……」

 

 つばさは静かにその話に耳を傾ける。

 

「私、本当は一人が怖かっただけなの。だから、皆の面倒を見て……一緒に戦ってくれる人が欲しかった。一人で戦うなんて、怖くてしょうがなかった。

 でも……駄目だった」

 

 彼女の手に力が籠る。そのおかげで、つばさはその言葉を信じれた。同時に、今まで抱いていた彼女へのイメージとの違いに動揺する。

 

「最初は佐倉さんだった……でも、彼女は私から離れて行ってしまった。美樹さんも、私のせいで魔女になってしまって、そのせいで鹿目さんまで魔法少女にしてしまった……だから」

 

 握られた手が、胸元に置かれる。いつか確かめ合った、お互いの存在。マミはぎこちない笑みを浮かべ、言った。

 

「だからせめて、つばさ君だけは……変わらずに傍に居て欲しい」

 

 そこまで自分を責める必要なんてない。つばさはそう答えたかった。だがそれ以上に、まるで自分より小さくなってしまったかのようなマミの姿を見てしまった彼は握られた手を自分の胸元に引き寄せる。

 

「……本当に、僕でいいんですか?」

 

 自分に自信は持てない。けれども、いつか自分が望んだように、彼女が望んでくれるのなら、ここに居たい。巴マミという女性の傍に居続けたい。

 

「うん…………」

 

 マミは静かに頷く。つばさはその様子に安堵し、小さく笑って肩を寄せた。

 いつか、本当の意味で僕が変われたら。その時、まだ貴方の傍にいられたら。この気持ちを――偽りも何も無い、本当の気持ちを伝えたい。

 つばさはそう心の中で呟き、二人で眠りに就いた。

 




 という事で今回はここまで。激動の8章でしたがいかがでしたでしょうか。
つばさ☆マギカ本編も残すところ残り2話となりました。

 共生は本作独自の設定になります。ワルプルギスぐらいめんどくさいのを単体の魔女で作るのを避けたかったので二体でパワーアップな感じに、ツインドライブです。

 人間に戻れたと思いきや、身寄りを無くすつばさ君。人生ハードモード感あります。
家族を失って悲しんだマミさんでしたが、つばさ君はショックな程度。同じような境遇ながらちょっと対比的な二人です。

 今度こそ本当に死に直面してやっとこさ生きる理由を見つけたつばさ君。
やっと主人公補正が掛るようになったのかもしれませんが補正が必要なのは次回だけなので補正期間短いです。
 変わりたいけどマミさんには今のままを望まれるつばさ君。はたして魔女化した半身との決着はつけられるのでしょうか……。


 さて、次回の魔法少女つばさ☆マギカは?

 現実世界にまで及び始めた魔女の力。これ以上の影響を避けるため、手分けして魔女を探すつばさ達。
だが下手をすればつばさが死ぬ。その可能性を恐れ、全力を出せないマミ。
覚悟を決め、命を掛けてでも決着をつけようとするつばさ。
相対する、けれども互いに寄り添いたい二人が導き出した答えとは――――。

――――僕の想いを、託します。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。