大正弾丸論破   作:鹿手袋こはぜ

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011 学級裁判 究明編

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 強い光は人を盲目にするのよ。それが希望ならば、よりいっそう。

 

 

 

 1

 

 

 

 学級裁判は一度、休憩といった形で中断することになった。議論が平行線を辿っていたこともあり、こうして頭を休ませる時間も必要だろうと理由付けて、裁判場からの途中退出を神座らは認めてくれた。

 学級裁判という非日常なイベントに慣れていないのは神座らも同じらしく、柔軟な対応だった。

 

(お腹減ったなあ……。学級裁判、思ったより早く終わってよかった)

 

 厳密には終わっていないのだが、雲隠は体育館から出た直後にそんなことを考えた。

 ただ彼が空腹なのも無理はない。死体発見が朝一番だったこともあって朝食がまだである人がほとんどで、大半は体育館を出てすぐに食堂へと直行していたくらいなのだから。

 中には脇目も振らず捜査のため倉庫へと向かっていった人も数人いるが、彼らとて空腹であるのに違いはないことだろう。

 それになにより待雪の料理はとても美味しいから、疲労状態の彼らにとっては食事とは癒しでもあった。

 ただ不幸なことに、彼は当分食事にありつくことができなさそうだった。

 というのも、玄関ホールに出たところで澪標に捕まり、そのまま自室へと強制的に連れられてしまったのだ。

 

 首根っこを捕まれた状態で部屋に入室すると、中には見知った顔ぶれが揃っていた。きっと澪標が集めたのだろう。明石と待雪の二人は、最後にやってきた部屋の主を奇妙そうに見つめていた。

 雲隠は雲隠で、いつものメンバーだと二人を見て思った。いつもと呼べるような頻度で顔を合わせているわけではないが、しかし雲隠にとって集まりというのならこの四人だった。

 

 雲隠は重たいトランクを玄関に下ろし、扉に背をもたれかけさせて部屋全体を俯瞰で眺める。

 中央に位置する卓袱台では居心地悪そうに待雪が正座していて、入って右にあるベッドでは眠気を隠すことなくあくびを繰り返す明石が寝そべっており……なんだか温度差を感じさせられる人たちだなあと、改めてお互いの共通点の少なさを実感していた。

 

 部屋の鍵を閉めた澪標は自分のトランクを頭上に掲げると、身軽な動きで雲隠の隣を通り越して、部屋の奥まで歩いて行った。

 そのとき明石が、横を通り過ぎていった澪標の背に向けて言った。

 

「んむ……なんの用だよぉ……むにゃ……たつなみぃ」

 

 朝から何も食べていないらしい明石は、空腹と眠気からか覇気が感じ取れない目で恨めしそうに澪標を睨んだ。人が死んでしまったにも関わらず彼女は平常運転で、そういったところが、彼女の異彩さを引き立てているように見えた。

 

「ごめんなさいね。時間までには食堂へ寄るつもりだから、ね」

「むん……本当か? ……まあ、今ぁ行ったってぇ……、かおるがここにいるんじゃあ……うまいものは、食べられねえしなぁ……むにゃ」

 

 おおきなあくびをしたあとに、明石は肩を揺らしながらクツクツと笑った。

 

「しっかしかったるいなあ、学級裁判。きのう徹夜したからか、眠くって最初の方の記憶がない」

「明石さんって、もしかして単純に記憶力がなかったりするのかしら? 名前を憶えてないっていうのも、有名な科学者にはありがちなエピソードだし」

「そこいらの天才と一緒にするな。……ワタシは、未来一の天才なんだからよぉ」

 

 明石は機嫌を悪くしたのか頬を膨らませた。

 せっかく起こした体も布団に沈めてしまった。

 

 澪標はそれを見て少し不機嫌そうに目を細めたが、すぐに待雪の方へ視線を移した。

 それを待雪も感じ取ったのだろう。

 

「あ、あのう」

 

 と落ち着きのない表情を待雪はしていた。

 

「わたし、食堂で料理を作らなきゃいけないんですけど……」

「安心してちょうだい。ちゃんと料理ができるくらいの時間は作ってあげるから」

「ですが……」

「とにかく」

 

 ぱしん、と手のひらを胸の前で合わせて、澪標さんはよく通るきれいな声でこう言った。

 美しい声だと思う。意味もなくずっと彼女の言葉に耳を傾けていたいとすら思うが、それではいけないのだと微かに残る己の理性が意識を引き留めた。

 彼女が大切そうにして話す事柄は、必ず重要なことなのだから。だからきちんと立竝さんの話は聞く必要があった。雲隠にとってはいつもそうだった。

 

 ただ雲隠の厳粛な心構えとは相反して、澪標は大仰に脚の筋を伸ばしながら、あっさりとこんなことを言った。

 あまりにも簡単に、こともなさげに言ってしまうので、雲隠はそれを聞き流してしまいそうですらあった。

 

「私ね、じつは誰が犯人か分かってるの」

「? それってどういう……」

 

 立竝さんは首輪に繋がれているトランクを壁へ立てかけると、一切の無駄が省かれた所作でそこに腰掛けた。組まれた脚の隙間からは石膏のように白い太腿がわずか光に照らされていて、けれどその先は暗く、謎めいた深みすらあった。

 

「ねえ、薫さん」

「は、はいっ!」

 

 ずっと挙動不審に部屋を見回していた待雪は素っ頓狂な声をあげ、澪標の顔を見上げるように目を覗かせた。

 澪標はとても嬉しそうに頬を緩めると、迷いのない瞳で話した。

 

「裁判で少し気になるところがあったのだけれど、今ここで訊ねてもいいかしら?」

 

 さっきも言ったが、待雪は部屋の中央にある卓袱台のところで正座していた。

 側面のベッドでは空腹でふて腐れた明石が寝転がっていて、正面には光を背に澪標が上から見下ろしている。後ろにある玄関では出口を固めるように雲隠が立っていたので、待雪はなんだか囲まれているような状態にあった。

 雲隠は別に、待雪の退路を断とうとして玄関に立っていたわけではないのだが、しかし心理的にも物理的にも閉鎖されている状況というのは、臆病な待雪の心を十分に窮地へと追いやるものだろう。

 

 そもそも澪標に見つめられて心がざわつかない人間なんていない。

 事実待雪は強い緊張を感じているようで、しどろもどろになりながら受け答えをした。

 

「え、ええ、別に。……わたしに答えられることであればなんでも構いませんけれど。……事件の解決につながるのなら、なおいっそう」

 

 待雪はどこか澪標を警戒しているような目つきで続けた。

 

「ただ、その、収穫包丁について話せることは、学級裁判でのことがすべてです──詳しいことが知りたいのなら、倉庫へ行った方が有意義かと思いますけど……」

「倉庫になら後で行くつもりよ」

 

 と澪標が即座に返した。

 

「私はね、どうしても確認しておきたいことがあるの。だからこうして部屋にも呼んだのよ」

 

 訝しげに待雪は目を細めた。

 すると澪標はその一瞬の隙を狙ったかのように、言葉に柔らかみを持たせることなく、ただ直球に待雪へ言葉をぶつけた。

 

「薫さん。あなた、犯人が誰か分かってるんじゃないの?」

 

 待雪の弱気な表情が明らかに変わった。

 

「分かっていて、あえてあの場では何も話さなかったんじゃないの?」

 

 くあ、と明石があくびをする。

 待雪は震える喉で生唾を飲み込むと、ぐんと背筋を伸ばして、澪標を睨み付けた。

 

「……どうして、そう思ったんですか」

「その反応はアタリかしら? ……包み隠さずに言うとね。薫さん、裁判のとき、様子が変だったから」

「様子が、変……?」

 

 彼女が何かおかしな言動をしていただろうか。

 すくなくとも雲隠は、それらしい異変は感じ取っていなかった。

 明石もそれは同じようで、なんのことだかさっぱりだと首を傾げている(眠くてなにも話を聞いていなかったのかもしれないが)。

 

 澪標だけに見えているものがきっとあるのだろう。雲隠はまだ、その領域に達していないと言えた。

 

「匂宮くんと夜一緒にいたっていう話は嘘みたいだし。普段は真面目な薫さんが嘘をつくなんて珍しいなって思っていたのだけれど」

「……ほんとうにそれだけですか」

「そう不審がらないでちょうだいよ。別に彼が犯人じゃないのかって疑ってるわけではないのだから」

 

 優しい声色で澪標は言った。

 ただ彼女自身はなにも優しいようには思えなかった。

 厳しく、待雪の心を追い立てている。

 

「それに私は、あなたが直接人を殺したとも思っていないわ」

 

 澪標は柔らかく笑っていて──でもそれは作り笑いで──ただ真実を述べる。

 きっとこれからが本題なのだろうと、雲隠は身構えた。

 

「私が気になったのはね、薫さんの言動についてよ」

 

 彼女は人差し指を示して言った。

 

「みんなは"誰がやったのか"を考えていたのに、薫さんだけはずっと"なぜやったのか"を考えていたでしょう?」

「…………」

Who done it(誰がやったのか)でもHow done it(どうやったのか)でもなくって、あなたが気にしていたのはWhy done it(なぜやったのか)。……誰だっておかしいと思うわよ? 殺しの動機なんて、この島じゃ一つしかあり得ないのに」

 

 この島における殺しの動機。それはもちろん、生きてこの島から出ることだ。それだけが動機たり得る。

 だが、待雪はその限りではなかったらしい。澪標の言葉は図星だったようで、待雪は驚きからか、気まずそうに下を向いて黙り込んでしまった。

 それでも構わず、澪標は言葉を重ね、律した。

 

「あの場面ではみんな誰がやったのか、どうやって殺したのか手段を明らかにしようと励んでいた。だってそれが、彼らにとっては唯一の生きる道だから──、……けれどあなたはずっと、なぜ犯人が人を殺すことになったのか。その理由を知りたがっていたように見えた」

 

 それって、誰が犯人かわかっていないとできない道楽よね。と澪標は付け加えた。

 

「この事件、()()()()()()()()()なのかしら」

「…………」

「あなたの口から聞かせてちょうだい」

 

 あまりにも異質な雰囲気が部屋中に漂う。

 まだ昼前だというのにも関わらず窓から差し込む光は黒色で。世界はこの殺風景な部屋ただ一つだけなのだと錯覚してしまいかねないほどの重苦しい空気が部屋いっぱいに張り詰めていた。

 

 待雪は依然として萎縮しきった様子で──けれど言葉にためらいはなく、二人の名前をその小さな口で告げた。

 

「ハハキギさんを殺したのはクマガイさんです。クマガイさんは自殺しました」

 

 

 

 2

 

 

 

「わたしは五感が、人より何倍も優れているんです。……例えば料理にかけられたソースを舐めるだけで、それがどういう食材をどういった方法で調理した物なのか瞬時に理解することができます」

 

 待雪が天から与えられたいくつもの才能のうち、代表的なものを一つ挙げるとするならばそれは、五感の異様な発達だろう。

 可視光線以外の光を捉えることができたり、街の喧騒の中でも一つ一つの音を聞き分けることができたり、あるいはそう──特に嗅覚において、彼女は素晴らしい才を発揮した。

 

「昔から、人の感情が匂いでわかるんです。楽しいときはポップコーンのような匂いが。悲しいときは冷たい匂いが。……その匂いは、感情が強まれば強まるほどに、匂いの濃さも増していきます」

 

 けど。と待雪は事件現場について触れた。

 

「ハハキギさんの遺体からは、そういった強い匂いはしませんでした。むせかえるような血の匂いこそしましたけれど、強い感情だけはどうしても匂わなかったんです」

「なるほどね」

 

 待雪の話を、澪標は真剣な様子で聞き入っていた。

 それに足並みをそろえるように、雲隠も話をただ聞いている。

 

「たしか帚木くんは即死であったはずと野分くんが検死結果を出していたものね。感情の匂いが現れていなかったというのなら、つまりは即死、彼はなにもわからないまま死んでいったという事実に即している。……けど、熊谷さんが自殺というのはどうして? 他の誰かに殺されたかもしれないのに」

「それは……」

 

 待雪はずっと澪標に向けていた目を泳がせた。これから話すことに躊躇いがあるのかもしれなかった。

 

「……裁判場にいる誰からも、匂いがしませんでしたから」

「匂いというのは、負の感情を抱いたときに発する匂いのこと?」

「ええそうです……死体を見つけて、そのせいで負うことになったストレスは感じ取れました。けど、それでも人を殺したときに抱くようなあの苦々しい匂いに勝るものは、あの場にいる誰も持っていなかったんです」

 

 それに。と待雪は続けた。

 

「……クマガイさんの遺体からは、強い負の感情が匂いましたから。苦くて、苦しい、息も詰まるような匂いが──絶望や緊張と言った気持ちが色濃く現れたときに香る匂いです」

 

 あの現場において、ストレスや強い感情を発している人間は何人もいた。けれど明らかな死臭を放っていたのは熊谷だけだった。だから待雪は、熊谷は殺人を犯したのだと結論づけたのだろう。

 

 だってそうでないとおかしいのだ。

 熊谷以外に、殺人を犯したとき発するような匂いを持っている人は誰もいないのだから。

 

 澪標は、待雪が語ったまことに信じがたい話を聞き届けると、満足げに頷いた。

 

「つまり私たちが求めるべきなのは、熊谷さんはどうして帚木くんを殺めなければならなかったのか。どうして熊谷さんは自殺してしまったのか。この二つの動機探しなのね」

「この話を、信じてくれるんですか……?」

「もちろんでしょう? だって薫さんは、こんなときに嘘をつくような人じゃないもの」

 

 きっぱりと断言するものだから、待雪は戸惑ったふうに言葉を詰まらせた。

 

「で、でもっ。……う、わたしが、犯人だという可能性だって、あるわけじゃないですか……っ! わたしのこの話は、何の証拠もないものです」

 

 無条件の赦しは時に耐えがたい苦痛となりうる。

 人は罰を与えられることで、その痛みによって自分が犯した罪を忘れられるのだ。

 

 "信頼"。

 なんの裏打ちもない、たったそれだけのことで荒唐無稽な話を信じてもらえることに、待雪は疑念を抱いているのだろう。

 だからこそ何度も相手を試すようなかたちで確認するし、なにか裏があるんじゃないだろうかと表情を隠し見ていた。

 

 しかし待雪は知らないでいたのだ。知らなかったからこそ、澪標の言動にどうしても疑問を抱いてしまうのだ。

 澪標という人間がいかに万能であるか。

 彼女が、本来知っているはずもないことを知っていたとしても、なんらおかしくはないのだということも。

 

「薫さんに人が殺せるとは思えないわ。万が一にでも、宇宙が一にでもそれはあり得ないもの。そう決まってる」

「……それって褒めてるつもりですか?」

「貶しているように聞こえるかしら。もしそうなら、ごめんあそばせ」

「…………」

 

 これ以上の追求は無駄だろうかと、待雪は堅く口を結んだ。

 なにぶん今までずっと言わずにいたことを吐き出してしまったからか、心がまだ十分に落ち着けていないのだろう。

 自分の秘密を他人へ打ち明けることに抵抗を感じない人間はいない。

 いくら待雪でも、ほんの少し話しただけで精神の疲労を感じつつあって、そのうえ澪標を前にして得も言われぬ圧迫感を感じているのかもしれなかった。

 

 澪標は今のやりとりに十分満足したのか、まだなにも終わっていないというのに、充足に満ちた表情だった。

 

「ま、さっきも言ったとおり私も誰が犯人なのかは分かっていたんだけれど──薫さんにこうして訊ねたのは、確認したかったから。……少し意地悪だったかしら」

「き、気付いてたって……」

「私も熊谷さんは自殺だったんじゃないかなって、なんとなく思っていたってこと」

 

 澪標は両方の人差し指をぴんと立てると、それを指揮棒のように緩やかな動きで振りながら自ら構築した推理を得意げに披露して見せた。

 

「まず第一に、生きている人たちのなかで疑わしい人が一人もいなかったこと」

「……どうしてです? 彼らは、アリバイを持たない人たちが過半数ですよ」

「今回の事件において、アリバイはそう重要ではないわ」

 

 雲隠が呈した疑問に、澪標は楽しげな声色で返答した。

 

「死体の状況を思い出してちょうだい。傷の違いこそあれ、結果的に二人は頸動脈の損傷による大量出血で死に至っているの。そこが肝心なの」

 

 澪標は歌うように推理を続ける。

 

「頸動脈が切れるとね、血液って、噴水のように強い勢いで噴出するのよ。つまり被害者だけでなく加害者も、多かれ少なかれ血液で衣類を汚すはずなのよ」

 

 けど、そうじゃなかった。

 あの朝事件現場に居合わせたみんなの服装は清潔に保たれていたし、着替えようにも、どうしたって手や顔は汚れるだろう。

 

「それに事件現場以外の場所で血痕は見つからなかったわ。もし個室で着替えようとしたらなら、寄宿舎までの道だって、滴る血液で赤く色づくことだろうし」

 

 でもそうじゃなかった。

 事件現場は血溜まりができるほどの惨状であったというのに、確かに他の場所で血痕が見つかったという話は聞かない。

 犯人が拭い取ったというのならそれまでだが、あれほどの出血があったのだから、清掃とて容易ではないだろう。

 

「あの場では誰も血に塗れてなんていなかった。唯一そうだったのは、帚木くんと熊谷さんの二人だけ」

 

 もったいぶるように名前を告げると、澪標は自信に満ちた動きで立ち上がり、トランクの取っ手を握った。

 

「でも、あの現場にある材料だけじゃ熊谷さんが帚木くんを殺したっていう証拠にはなりえないし、熊谷さんが自殺したことも証明できない。……なにかピースが足りなかったから、探偵の彼は真実にたどり着くのが困難になっている」

 

 さあ、行きましょう。と澪標は玄関のほうへと歩いて行った。

 すると待雪が慌てて彼女を呼び止め、困惑しながらこう言った。

 

「ど、どうして……それを学級裁判で言わなかったんですか?」

 

 澪標は歩みを止め、振り返ることはせずとも待雪の言葉に耳を傾けた。

 待雪は息苦しそうに唾を飲み込むと、荒く息を吐いて続けた。

 

「ニオウミヤさんたちが、必ず真実へ辿り着く確証はなかったはずです。わたしも犯人が分かるだけで、その手段まで推察できるわけじゃありません。……黙っていることは、とてもリスクの高いことだと──」

「さっきも言ったじゃない?」

 

 さも当然のように澪標は言った。

 

「確認したかったから。あなたがどんな存在なのか、確かめておきたかった」

 

 それは酷く歪みきった笑顔だった。

 この世の何よりも美しいと思えるような輪郭で、無機質さなど感じさせないあまりにも人間的な表情で──かの澪標財閥の令嬢であるとはいえ、年端もいかぬ少女がそんな顔をすることに、待雪は恐怖してしまっていた。

 なぜなら、あろうことかその笑顔に安堵してしまったからだ。

 無意識のうちに、澪標のことは心の底から信頼しきっていいのだと思わされてしまった。

 それこそ自分の意思であると感じてしまって、それがなによりも恐ろしかった。

 

「あの、立竝さん。犯人は熊谷なのだと、彼ら──匂宮らに言ってしまえば良いのではないですか?」

「うーん。できるならそうやって、推理は彼らに任せて、私たちは薫さんの料理に舌鼓を打ちたいところだけれど……でも熊谷さんが犯人だなんて話、いくらなんでも荒唐無稽よ? だって彼女は被害者に位置づけられてるんだから、そんなおかしな話をしてしまえば疑われるのは私たちだわ」

「……、それもそうですね」

「そ。だから私たちで証拠を集めるの。彼らを説得するための材料を探すのよ」

 

 こんこん、と澪標は軽快なリズムで扉を叩くと、外を主張するようにドアノブに手をかけた。

 だが意に反する者がいた。

 

「ワタシ、パス。ワタシってば頭は良いんだけどな、なにぶん科学の分野に突出しすぎたせいで、推理とかはちんぷんかんぷんだ。足手まといになるだけだろうし……それにここ最近、ずっと徹夜続きだったから、少し休みたい」

「そう……じゃあ、あなたにはなにかあったら頼るかもしれないわ」

「ああ。何でも任せてくれ。……ただ死人を生き返らせてくれなんて注文はよしてくれよ? いくら天才のワタシでも、人の命までは生み出せない。なぜならそれは不可能だからな」

 

 時間が巻き戻せないように。

 一度失ったものは、壊れてしまったものは、二度と元には戻らない。

 

 未来から来たのだという、まさしく時間の不可逆性を打ち破ってここにいる破天荒な少女は、ぶかぶかの白衣に顔を埋め、怪しげに笑って眉をひそめた。

 

 

 

 3

 

 

 

 訪れたのは倉庫だった。待雪は過去に、収穫包丁を手にするため椎本と一緒にここへ訪れたことがあった。

 あの包丁が二人を殺したのだというのだから、運命は計り知れない。

 

「ン、待雪。オメェも捜査か?」

 

 目的地より一つ手前にある倉庫の前で立っていた篝火が、気さくな感じで声をかけてきた。

 

「ええ、はい……現場にあった収穫包丁は前に使ったことがあったので、自分の目でも確かめておこうと思いまして……」

「ん。そっか」

 

 篝火は待雪の後ろに立っている雲隠と澪標の姿を認めると、適当な相づちを打った。

 

「匂宮のヤツらはもう調べ終わッてッからよォ。そこの倉庫は自由に見ていいッてさ」

 

 彼はあくまでも明るく接してくれていた。

 なにも辛いことなんてない、というわけでもないだろうに。

 おそらくは自分のことを気遣ってくれているんだろうと、待雪はすこし気まずそうな顔を背けて彼の前を通った。

 

「なあ、待雪」

 

 倉庫に入ろうとしたところで、篝火がやたらと大きな声で待雪の名前を呼んだ。

 待雪は扉の前からはけて、澪標と雲隠が倉庫に入るのを見届けてから篝火の方を見た。

 

「どうかなさいましたか」

「いやよォ、ンだか、やんなッちャうよなァッて」

「はあ」

「俺たちァ仲間のはずなのによォ……殺しただとか、殺してねェだとか、なんでンなこと考えなきャならねーんだろうなーッて、さっき、思ッちまッて」

「それは……」

 

 待雪は吐き出しかけた言葉を飲み込んで、少し考えてみた。

 単純に考えて、待雪たちは生き残るために議論を重ねている。こんなところでは死ねないから、必死に誰かを疑っている。

 

 けど、それははたして人として正しいことなんだろうか。

 

 人を殺すことは大罪だ。犯してはならない過ちだ。でも、大罪を犯してまでも生き残りたいと思うその気持ちは、醜くも純粋で、穢れのない意志だと思う。

 

 待雪はそんなに誇り高くて素晴らしい意思を、今まで抱いてこなかった。

 

 たぶんきっと、今彼女の心の内にある感情は嫉妬だろう。

 許せないと感じる気持ちは、はたして正義の心からやってきたものなのだろうか。

 ひょっとしてこれは、犯人への嫉妬ではないのだろうか。

 

「……犯人を見つけるために、わたしたちは捜査してるんじゃないんですか」

 

 結局うまい返しが思いつかなかったために、待雪はおそらく正解ではない答えを返した。

 すると篝火は、なんども頷いて、でも、と続けた。

 

「それはもちろんだ。俺だって生き残るために必死こいて頭働かせて、推理してる。……でもそうじゃないと俺ァ思う。だってよォ、それって仲間を殺そうとしてるのと同義だよなッて。俺らが犯人を言い当てちまッたら、そいつは死んじまうんだぜ?」

 

 篝火は壁に背をつけて、そのままずるずると床にへたり込んだ。中途半端に伸びた元・五厘刈りの頭を片手で押さえ、彼は下を向いたまま話し続けた。

 

「人殺しを憎んでるはずが、いつのまにか俺らが人を殺す側に回ッちまッてる」

「……それは」

「…………」

 

 篝火は暗やんだ瞳で待雪の顔を見た。

 待雪は言葉が出なかった。

 

「……変な話しちまって悪かッたな! オメェもこれから、倉庫、捜査すンだろ?! 匂宮とか椎本のヤツに言えば、倉庫に何がおいてあるか書いてある冊子、貸してくれるらしいからよォ、なんか使いたけりゃ言えな! んじゃ!」

 

 篝火は、あくまでも明るく振る舞っていた。

 それはきっと、待雪のことを慮ってのことだろう。

 彼なりの優しさを、待雪は不器用ながらに少しだけ感じとることができた。

 

「……ああ、あと! 藤袴のこと、お前に任せッきりでほんと悪い! また今度なんかで埋め合わせするわ! 匂宮のやつと一緒に!」

 

 不安など微塵たりとも感じさせない笑顔で、篝火は倉庫に入って行く待雪を見送った。

 待雪はどこか、複雑な気持ちだった。

 自分が嫌になってしまいそうだったし、そう思っている自分が気持ち悪いとすら感じてしまうのだ。

 

「彼、とっても気持ちの良い青年ね。ああいう人間は近年稀だわ」

「……ミオツクシさんはそう思うんですね」

 

 部屋に入ってすぐのところの扉、そこの内側に立って、おそらくは待雪と篝火の会話を聞いていたんだろう澪標に対して、待雪は冷たい反応を示した。

 

「含みのある物言いね。あなたはそうは思わないの?」

「ん……いえ。確かに彼は、わたしのことを正直な気持ちで心配してくれているとは思うんですけど……人が死んでしまって、そのことに憤りを抱いていたはずのカガリビさんが、どうしてわたしに優しくしてくれるんだろうと思いまして……」

 

 だって彼は、あんなにも余裕がなさそうな振る舞いを、神座という男に向かって見せていたじゃないか。

 そのあとも、度々死者への冒涜ともとれる発言には過敏に反応していた。

 彼は確かに善良な人間だが、ただ今の状況下において、他人をねぎらったり励ますようなことがどうしてできるのだろうかと、待雪は本気で疑問を抱いていた。

 学級裁判で見た彼と、今会話した彼との間には乖離したイメージ像が浮かんであった。

 

 彼の心境の変化に、待雪は追いつけていないのかもしれなかった。

 

「そこが気持ち良いところじゃない」

 

 澪標は繰り返し言った。

 

「そうですかね……わたしは少し怖いくらいです」

 

 待雪は後ろめたさから目を逸らして答えた。

 

 

 

 4

 

 

 

 澪標はいくつある棚の中から収穫包丁を見つけ出すと、全部で三つあるそれを手に持って、待雪に見せた。

 

「この包丁が、以前野菜の収穫の際に用いたもので間違いないのね?」

「よく見せてください……はい、確かにこれです。……ええっと、そう、わたしはこの包丁を使いました」

 

 待雪は一つの包丁を指さした。

 柄に付着している土は新しく、錆の少ないそれは確かに待雪らが使用した物だった。

 それを澪標は一つ一つ手に取って、状態を確かめていた。

 

「全部で三つ……そのうち二つには土が付着していて、もう一つは新品同然……どうしてかしら」

「ああ。二つしか土がついていないのは、わたしたちが二つしか使わなかったからです」

「? どうして? 三人で収穫していたんじゃないの?」

「そうなんですけど、うち一人は途中参加だったので、収穫包丁自体は二つしか用意して行かなかったんです」

「なるほどね……そして、現場にはもう一つ包丁がある、と」

「それは、変ですね」

 

 待雪はわずかに眉間へ皺を寄せて言った。

 

「わたしたちが以前訪れたとき、この包丁は三つしかありませんでした。けど、今倉庫にある分と事件現場の分を足すと全部で四つになってしまいます」

「ということは、待雪さんが野菜を収穫した日よりも前に、収穫包丁が一丁盗まれていた、ということになるのかな……?」

 

 と雲隠が付け加えたが、それをすぐに澪標が否定した。

 

「それはきっと違うわ。収穫包丁は、この倉庫には最初から三丁しかおいてなかったはずよ」

 

 なにを根拠に、と彼女の顔を思わず見上げる。

 澪標は自信に溢れた表情で最初からこちらを見ていた。

 

「匂宮くんらが用意してくれた、倉庫に何が置いてあるのかをまとめたリストを見ればわかることなのだけれど……」

 

 澪標は近場にある道具をいくつか手に取って、それを待雪らに見せた。

 

「この倉庫に置いてある物はすべて、()()()()()()()()()()()()()()のよ? 箒であれ鍬であれ鎌であれ……それらは必ず三つだけしか用意されていないの」

 

 包丁を三つ。箒を三つ。鍬を三つ。鎌を三つ。

 それらを胸いっぱいに持って、澪標は示した。

 

「あ……そっか。今倉庫にある三つと、現場に残っている一つを合わせると全部で四つ……倉庫に包丁は三つしかないのだと仮定するなら一つあぶれる」

「そゆこと」

 

 この倉庫に置いてあるもののすべては、一種類につき三つまでしかものが用意されていない。

 収穫包丁よりも量がたくさん必要になりそうな軍手だって三組しかないのだし、一つあれば事足りそうな担架ですらも三つ置かれてあった。

 

 三という数字がこの倉庫においてどんな意味を持つのかは分からないが、しかしその数字に縛られているのだろうことは辺りを見渡せば明らかだった。

 

「倉庫にある収穫包丁の数は全部で三つ……きっとそれは最初からそうだった。じゃあ薫さん、熊谷さんに刺さっていた包丁は、一体どこから来た物なのかしらね?」

 

 不敵な笑みを見せて嘯いた。

 薄らとだが、待雪にはその理由が分かった気がした。

 

 

 

 5

 

 

 

 次に訪れた場所は熊谷の個室だった。捜査という名目のため、今朝から熊谷と帚木の部屋は立ち入りが許可されていたため、部屋の鍵を持たない待雪でもたやすく部屋に入ることができた。ただ、ひねったドアノブが少し重い気がした。

 無意識に、熊谷に対して抵抗感を抱いていたのかもしれなかった。

 彼女について知ってしまうことを怖がっていた。

 

「案外代わり映えしないのね。……私物も少ないみたいだし」

 

 澪標はさっきまでの楽しげな態度とは裏腹に、そんなものは失せてしまったような冷え切った目で部屋中を見渡していた。

 待雪はそれにぎょっとしたのか、こまごまと言葉を途切らせた。

 

「あ、あのう……どうかしたんですか?」

「どうした、って……なにか気になることでもあったかしら」

「い、いえ、そんなことは……」

 

 責められているわけでもないのに、彼女に目を向けられるのが辛かった。

 

「まあ、裁判で使えそうな材料は見つかったわ」

 

 澪標は部屋の奥までずんずんと進んでいった。その後ろを雲隠がついて行き、後から慌てて靴を脱いだ待雪が中に入った。

 

 部屋の中は相も変わらず殺風景なものだった。

 もっとも、この島は孤島であるし、島に来てからまだ一週間ほどしか経っていないのだから物が少ないのにも頷けるが、それにしたってこの部屋はどの場所よりも広く感じられた。

 

 卓袱台の上に置かれた写真立てには家族写真とおぼしき物が入っていて、部屋の隅では大きめの旅行鞄が開いたままになっていた。服が溢れていて、どれも見覚えのある色合いだった。

 

 澪標は卓袱台に置かれた写真立てを一瞥したあと、まっすぐな歩みで箪笥の前まで行って、雲隠に視線を送った。

 意図をくみ取ったのか、雲隠は澪標の前にしゃがむと、箪笥を下から順に引いていった。

 

「な、なにをして……っ」

「物を盗ろうってわけじゃないのだから、見逃してちょうだいな」

 

 あくまでも視線は箪笥へと注いだまま澪標は言った。

 

「それに、手紙しか入っていないようだし」

 

 澪標は下段に入れられていた幾枚かの紙を雲隠から受け取ると、パラパラとそれに目を通した後、一枚紙を引き抜いて待雪に見せた。

 

「これ。重要そうに見えない?」

「……なんですか、これ? 人の……名前?」

「きっと親族の方よ」

 

 当然のように澪標は言った。

 

「一見無秩序な並びのように見えるけれど、でも熊谷姓がいくつか記名されているわ。……きっとご家族の方なのでしょうね。熊谷なんて名字は珍しいのだし、偶然というわけではないでしょう」

「なるほど……、でも、どうして名前なんかが?」

「動機よ」

 

 澪標は光へ透かすように紙を頭上にあげて、それを見上げながら言った。

 

「これが殺人の動機。熊谷さんが、人を殺そうと決意したきっかけ」

「……へ? は? 名前、が?」

「あなたも自分の箪笥の中身くらいは見ているでしょう? 個人差はあるようだけれど、大抵そこには動機が書かれた紙が入ってるの。……彼女の箪笥には幾枚か紙があったけれど、動機らしいものはその名前が書かれた紙くらいだった」

「で、ですが……どうしてそれが動機になるのか、わたしにはわからなくて」

「さっきも言ったじゃない。それに書かれているのは熊谷さんの親族の名前……薫さんは心当たりがあるんじゃなあい? だって仲がよろしかったじゃない」

「そんな……。熊谷さんの、家族ですか」

 

 家族という単語を、熊谷の口から一度も耳にしたことがないと言えば嘘になる。

 たしかに待雪は一度、あのピクニックをした日に、彼女からバスガールとしての自分の在り方というものを聞いたことがある。

 

 家族。

 熊谷にとって家族とは、彼女を形成する重要な要素らしかった。

 ただそのことを澪標に対しつまびらかにすることはどうしてか躊躇われた。

 彼女との思い出は、そう易々と他人に話して良いものなのだろうかと思ったのだ。

 

「…………」

「……まあいいわ。動機が目的でここに来たわけではないのだし。肝心なのは、箪笥の中身が手紙しかなかったということ」

 

 気を取り直したように箪笥へ手をかざすと、澪標は小説に登場する探偵さながらに指で帽子のつばをあげて、部屋の中をぐるぐると右回りで歩き始めた。

 

「手紙の他にもう一つ、箪笥の中にはものが置かれていたはずなのだけれど……」

 

 曖昧なことを言っているはずなのに、自信たっぷりの確かな物言いで澪標は問いかけた。

 

「なにがあったと思う?」

「──凶器、ですか」

 

 素早く答えたのは雲隠だ。

 それを聞き届けて、澪標は満足げに頬を緩めた。

 

「そう。ちなみにわたしのとこにはヒ素が。そこの彼には拳銃が用意されていたわ。……野暮なことだから、薫さんがどうだったかは訊かないでおくけれど」

「……わたしは熊撃ち用の大きなライフル銃でした」

 

 澪標は微笑んだ。

 

「あら。言ってしまっていいの?」

「隠すようなことでもないですから」

 

 箪笥の中には手紙の他に“凶器"となるものが入れられているはずなのだが、箪笥はおろか、部屋の中でさえ熊谷のものらしき凶器は見当たらなかった。

 つまるところ、凶器は部屋の外に持ち出されているということになる。

 それがいったい何を意味するのか。話の要点が分からぬほど待雪は鈍くはなかった。

 

「……クマガイさんの部屋にあるはずの凶器が、部屋にはなかった。そして──」

「──なぜか一つ数が増えていた収穫包丁」

 

 澪標は恭しく言葉を言い切ると、箪笥に浅く腰掛け長い脚を組んだ。

 

 現場において熊谷の首に刺さっていた包丁が、もとより熊谷自身のものなのだと言うのなら、熊谷が帚木を殺した犯人であることも、凶器自体彼女が持ち出した物なのだと言うことを証明できる。

 ただ……。

 

「このままじゃ、クマガイさんが自殺したということを説明しきれないと思うんです。わたしだって、まだ信じられないくらいなのに」

「…………」

 

 澪標はこちらに呆れたような目を向けていたが、すぐにその気配はなりを潜めた。

 

「心配いらないわ。……そうね、時間もないことだし、手っ取り早く聞きに行きましょうか」

「? 聞きに行くって、誰にです?」

 

 雲隠が間抜けな声を発した。

 待雪は猜疑深い表情で見上げた。

 

「本人に直接聞いたほうが早いでしょう?」

 

 尋問と洒落込みましょう。

 澪標は心なしか愉快そうだった。

 

 

 

 6

 

 

 

 事件現場には人影もなく、閑散とした雰囲気がやけに鼻をついた。

 人の形をしたものが二つ地面に転がっているというのに、誰もおどろおどろしい態度を見せないのが、違和となって待雪の表情を曇らせる。

 

「本人に直接聞くとおっしゃっていましたけど……」

 

 待雪は人の気配を気にしてか、辺りを見渡しながら言った。

 

「遺書はないと思いますよ。それに、その、今更ですけど……わたしだって彼女が自殺したわけは分からないのですから、事故の可能性だってないわけじゃないですし」

「それはないわ」

 

 澪標はきっぱりとした口調で答えた。

 あまりにそれは迷いのない言葉だったからか、待雪は一瞬うろたえた。

 

「どんな偶然が起これば、あんなにも深く包丁が喉元をえぐるのかしら」

「……それは、その」

「彼女は確かに自殺したのよ。あれは自分で自分を恨んでるみたいだった」

 

 澪標は死体へ触れることに抵抗があるのか、雲隠に目配せをして熊谷の上体を起こさせた。まるで言葉通りの"対話"がごとく、彼女はひっそりと眉をひそめた。

 

「結局のところ、確かな証拠なんてものは不要なのよ」

「どういうことですか」

「学級裁判は、あくまで“誰が犯人なのか”を答えとして提出する場所。犯行の過程まで伝える必要はない」

 

 しゃがんで、わざわざ熊谷と同じ目線で話す。

 何をそこから見出そうとしているのだろう。本気で、彼女は対話を望んでいるのだろうか。

 

「彼女が自殺したのだということを、わざわざ言う必要性はないってことよ。……さっき薫さんが言っていた“事故”という結末にしても良い。むしろその方が説明も楽だわ」

「そんな話、信じますかね」

 

 つまらなさげに雲隠は訊ねた。彼はいつもこんな表情だった。

 

「信じるわよ。そもそも疑おうったって、他に可能性がある話は少ないもの。……むしろ自殺したって話の方が信じがたいくらいなのに」

 

 "すべての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実である"。

 そんな台詞を、待雪はイギリスへ料理修業に出かけた際に、現地に住む書痴の友人から聞いたことがあった。

 

 熊谷以外の誰かが人殺しを行なった可能性はなく。

 また帚木は熊谷よりも先に命を落としているのだから、熊谷を殺すことができるのは熊谷自身しか存在しないということになる。

 

「議論の途中、誰かが衣服について言及していたのを憶えているかしら?」

「え、ええ。誰かまでは憶えていませんが、血に塗れた衣類が見つからないことを嘆いているようでした」

「そう。事実、人殺しをしたのは終始熊谷さんだけなのだから、そんな衣類なんて見つかるはずがない。この島に血塗れの衣類がないことこそが、彼女が人殺しであることの証明になるの」

 

 澪標は熊谷が着ている服を指でなぞった。

 血液が染み込んでいて、赤黒く汚れている。

 犯人の服が血液で汚れているというのなら、これほど怪しい証拠はない。

 

「……じゃあやっぱり、クマガイさんが、人殺しを」

「変なことを言うのね。最初にそう言ったのはあなたじゃないの」

「ですが……その、やっぱり信じられなくって」

「クマガイさんが人を殺してしまったということを?」

「いえ。……自分自身を」

 

 

 

 7

 

 

 

 今回の事件は熊谷が犯人だったのだというところに議論は着地し、学級裁判はそこでお開きとなった。

 以前からほのめかされていた処刑とやらも、犯人である熊谷が死んでしまった以上、無碍に遺体を傷つける必要もないだろうという神座の判断により、空砲を鳴らすことで裁判の終結を表することになった。

 

 そうして、殺人が起きてしまった事実が尾を引く暗澹たる雰囲気と、しかして自分は生き残ったのだという安寧が入り混じった複雑な空気の中で、各々は輪郭がおぼつかない帰路についた。

 皆、気が抜けたように脱力し、他人の目線におびえながら疲れ果てた様子で体育館を去って行った。

 

 そんな中で、待雪は裁判場から離れることがどうしてもできなかった。

 ここから離れてしまうと、熊谷の死からも遠のいてしまうような気がしたのだ。

 

 想いとは永遠ではない。

 今彼女を頭の中で強く念じていても、ずっとこの先彼女のことを忘れないでいられるかは定かではなかった。

 

 だから待雪は怖かった。

 彼女が死ぬことになったこの事件に終止符を打ち、自分だけ先の世界へと飛び出すことが、どうしてもできなかったのだ。

 

「薫さん」

 

 すっかり寂しくなってしまった体育館で、澪標だけが一人、待雪のそばに立っていた。

 見上げてしまいそうになる気持ちを抑えて、待雪は目は合わせることなく感情を抑えた声で返事をした。

 

「なんですか……? 裁判はもう、終わりましたよ。……ミオツクシさんの弁論はとても見事でした」

「そう? これでも結構緊張したんだから」

 

 子供のように笑うと、澪標は靴底の音を鳴らして辺りを漫然と歩き出した。

 

 一体何が目的なんだろう。

 すでに学級裁判は終わりを迎え、この場所に留まる理由なんてないはずなのに──少なくとも待雪と同じ理由ではないだろう。彼女は熊谷とも帚木とも接点はなかったのだから──だからことさら彼女の行動は不思議に思えた。

 

 自分に用があるのだろうか?

 心当たりはない。

 

「薫さんは、自分を過小評価しすぎじゃない?」

「どういう、意味ですか」

「そのまんま。言葉通りの意味」

 

 長く伸びきった前髪の奥から澪標の顔を覗く。

 彼女は何かを見据えてた。

 

「ちょっと、付き合ってくれる?」

「…………」

 

 断る勇気もなく、待雪は小さく頷いた。

 ……それに、彼女ならこの気持ちをどうにかしてくれるような気がしたのだった。

 根拠もないが、澪標はそう思わせてくれた。

 

 渋々彼女の後をついて行き、辿り着いたのは今朝の事件現場だった。

 帚木と熊谷の遺体は学級裁判の間にすっかり回収されてしまったようで、血の跡とむせかえるような死臭だけが今朝の出来事を物語っていた。

 

 澪標はそこに着いてからひとつも言葉を発しなかった。

 "私になにか言いたいことがあるんじゃないの?"とでも言いたげな雰囲気で、見透かされているようで、不愉快だった。

 事実、待雪は心の内にある疑問を抱いていたのだったが、それを曝け出すことは簡単にできることじゃなかった。

 

 息づかいすら気遣ってしまいそうな、そんな雰囲気。

 現に待雪は、澪標と話しているだけで息が詰まるようだった。

 彼女はどこまで気がついているんだろうと考えない時はない。

 あるいは彼女なら、わたしの知らないことだって知っていてもおかしくはないのだ。

 それがなんだか怖かった。

 

 ただ澪標ならばあるいは、この胸につかえる気持ちを晴らしてくれるのかもしれない。

 迷った末、待雪は抱いていた疑問を訥々と打ち明けた。

 

「本当にクマガイさんは自殺したんでしょうか」

「どうして? そう言ったのはあなたじゃない」

「ですが……クマガイさんは、家族のことを強く愛していたはずなんですよ。名前を見るだけでその身を案じ、人を殺そうと決意してしまうくらいには」

 

 苦しくって、吐き出すように伝えた。

 

「それほどに強い意志を一度でも抱いた人が、呵責の思いなんかで自殺するものでしょうか……っ」

 

 それは心からの叫びみたいなものだった。

 熊谷の行動にはあまりにも不可解なことが多すぎる。

 待雪はどうしても彼女を理解することができずにいたのだ。

 

「きっとすぐ分かるようになるわ」

 

 ただそれは今じゃないのだと、澪標は語った。

 

「目に見える景色は不変じゃない」

 

 澪標は独り言を呟くようにどこか遠くを見ながら言った。

 

「今まで世界になかった存在が、なによりも優先すべきことになるときだってある。一目惚れだってそう」

 

 妖しい光を持つ瞳が揃ってこちらに向けられた。

 

「薫さんもそんな体験、したことないかしら」

 

 …………。

 以前までの待雪ならば、その質問にいいえと答えていただろう。

 だけど今はそうではなかった。

 

 初めて澪標に出会ったとき。

 明石にキスされたとき。

 

 確かにそのとき待雪は、頭の中が真っ白になってしまうような体験をしていた。

 

(そんなことがクマガイさんにもあったんだろうか……)

 

 なにも考えられなくなってしまうような。

 ただ一つのことだけがずっと頭の中を支配しているような、そんな体験を。

 

「ねえ知ってる? 強い光は人を盲目にするのよ。それが希望ならば、よりいっそう」

 

 一度太陽を見上げた澪標は、振り返って、口元を見せながら美しくも歪んだ笑顔を作って見せた。

 待雪は困ったように目を逸らすしかできなかった。

 彼女の笑顔が酷く恐ろしいもののように思えたのだ。直視することすら憚られるような、根源的な恐怖が垣間見えた気がした。

 どうしてそんな風に思ってしまったのだろう。

 理由は分からない、けど……その恐ろしさに足下からすくんでしまいそうで、それがなんだか悔しくって、待雪は熊谷との思い出を口にした。

 

「ク、クマガイさんは、わたしのことを、妹のようにかわいがってくれました。ずっと目にかけてくれて、心配してくれて、うんと励ましてくれました。……だから、あんなに明るくって、楽しげに話す人が……自殺なんて……わたしやっぱり……」

「? 私の知る熊谷さんとは随分と違った印象ね。彼女、いつも思い詰めたような暗い顔してたのに」

 

 特に思春期。

 親離れをし、他の誰かに依存しなければならない年頃。

 それを彼女が迎えていたというのなら、彼女は一体、誰を心の拠り所に選んだのだろうか。自分の心に翳る絶望を照らす光として、なにを求めたのか。

 

 気付けば既に夕暮れであった。

 あの日見たクマガイの紅潮した頬のように赤く染まった空で、紫雲が海の向こうで浮かんでいた。

 

 待雪はそんな空の下で、日が落ちて、辺りが暗くなるまでずっとずっと俯いていた。

 夕飯を作ることも放棄して、クマガイが死んでいた場所に立っていた。

 こんな顔することを、彼女は望みやしないだろうか。

 こんなことがはたして弔いとなるのだろうか。

 わからない。なにもわからない。

 

 熊谷がどうやって帚木を殺したのかを十分究明できたはずなのに──それで、よかったはずなのに。

 心にはわだかまりを残し、わたしは無力な自分を恨めしく思っていた。




【遺品】
『矢絣柄の着物』
 とある学徒の遺留物。
 大正という時代を象徴する、ハイカラな柄の着物と海老色の袴。
 黒ずんだ血が染み込んでいて、既に乾き切っている。

 恋する乙女、人肌の暖かさを夢見る幼き子供。
 この袴は、そんな稚拙さを隠すための、彼女なりの緩やかな飾りだったのだろう。


【章題解説】
『一握の砂糖』
 元ネタは、石川啄木という歌人による歌集『一握の砂』。
 『一握の砂』には、石川啄木が故郷を懐かしむ思いや北海道にいた頃の回想、また貧困と挫折で鬱屈とした心情を歌った歌が多く載せられています。
 一章のクロは故郷の家族を思い、また1923年の悲劇を思い出し  殺人を犯してしまいました。
 砂を砂糖に変えた理由。それは超高校級の料理人である待雪を連想してのものです。待雪は間違いなく光だった。それは確かに熊谷の心を照らしていたのだ。


【おしおき】
 ダンガンロンパシリーズにおいて、殺人がバレてしまったクロに対する罰として行われる伝統芸能。場合によって様々であるが、クロの才能に由来する内容であることが多い。
 クロが死んでしまった場合でもおしおきを行うことはあるのだが、クロ本人に対して行われる描写は原作にはないので(原作無印四章などがこれに当てはまる。アルターエゴといった代理が用意される)今作において熊谷は特にお咎めなしということになった。
 死体に対しておしおきが行われるのは、創作論破独特の文化なのかもしれない。
 ちなみにこの“おしおき”という名前、元々は“処刑”と呼ばれていたらしいのですが、モノクマの声優を務めていらした大山のぶ代さんが“おしおき”のほうがモノクマのイメージに沿っているということでそちらに変更されたそう。
 なのでまあ、モノクマがまだ生まれていないこの創作論破では処刑と呼ぶことにしています。


※一応、今回のお話の中で曖昧にしてある部分も推察はできるようにヒントを散りばめてあるので、色々考察してみてください。
※次の話から二章なのですが、いつ投稿できるかは未定です。



【熊谷夕顔】

 初期設定はお淑やかなキャラクターだったんですけど、途中から天真爛漫な感じに。お姉さんではあるけれど、垂れ目涙ぼくろというよりかは近所のねーちゃんみたいな感じになった(SVの最初の三個はその名残)。
 割と暗い話なので、熊谷さんはこれくらい明るい方が対比もできて良かったのかなと思います。

 待雪、藤袴、椎本と仲が良い。(椎本とはいつもプロレスしてる。匂宮、竹河とはガチ喧嘩)
 個室に帰るとその日一日の反省会をするタイプ。


【SV】
「こんにちは。今日はいい天気ね、薫。陽の光が、とっても暖かいわ」
「薫は今日も働いてるの? 大変ね。あたしも手伝いましょうか?」
「……いつもそう。いつも薫はそうやって、独りで抱え込もうとする。それは悪い癖だとあたしは思うのよ」
「あったりまえでしょう? あたしとあんたの仲じゃない」
「~だけどね」「~だよ」「~ってのは」「~じゃん」

【名前】
 熊谷 夕顔/クマガイ ユウガオ
【性別】
 女
【血液型】
 B型
【出身校】
 南葉高等学校
【好きなもの】
 あんこ・大福・手料理
【嫌いなもの】
 暗いところ・辛いもの
【才能】
 超高校級のバスガール
【身長/体重/胸囲】
 163/56/88

【性格】
 穏やかで献身的。善意から行動を行うことが多く、見返りなどは基本求めない。物欲は人並み。明るく、元気で、町娘という言葉がよく似合う。
 故郷に対し、半ば狂信的な愛情を注いでいるが、それは正しいことなのかどうか疑問に思っていたりする。
 他人に対しお節介を焼くことが多く、面倒見がいい。やり場のない母性を抱えている。

【容姿】
 頭のてっぺんにお団子を作り、高い位置で総髪を纏めてある。髪は長めで、背の辺りまで伸びてある。
 袴姿。柄物を着ることが多く、赤や紫といった刺激的な色を好んで着ている。確かな高級品であることを思わせる良い着物を着用。編み上げブーツを履いていたり、赤いリボンを付けていたりと、ハイカラな格好をしている。
 全体的に線の太い印象を人に与えている。

【備考】
 気まぐれな美人。仕事はしっかりとこなすが、その反面、私生活では自堕落なところが多い。殺し合い生活がなければ、もしくは彼女のそんな一面を垣間見ることも叶ったろうに。
 外面は良く、内面も良い。自身の気持ちを隠して振る舞うことが多く、人に弱みを見せることは少ない。あくまでも自分はしっかりしなければならないという責任を背負ってしまうことが多く、他人に自身の辛さを吐露することができない。
 いつも堂々としていて、困っている人の盾になろうと前に出ることが多い。強気なその姿勢は男尊女卑の世の中で風当たりが強くもあるが、しかして一定の固定ファンを生んでいる。
 郷土愛の強い彼女は、一番初めに殺人を犯してしまうことになった。
 全ては故郷を心配してのことだろう──彼女は理解していたのだ。自分が死んだとなれば、あの土地に名物なんてものはまるでなくなってしまうのだということを。
 しかし結局は自殺してしまう。
 殺し合い生活の中で、一縷の光を見出して、それがあまりに眩く死んでしまったのだ。

【特記事項】
 彼女の超高校級のバスガールとしての才能はその美貌にこそある。年不相応の優雅さと清楚さは、男を虜にする。
 他人の心を手玉に取る魔性さもあり、身分が低いということもあってか、下卑た目で見られることが多い。一つの街に話題を呼ぶまでに至った彼女のそれは類稀なる才能だ。努力もまた、あったに違いない。
 彼女の過ごした街は、名物もなく、随分と寂れた街だった。そこで現れたのが彼女だ。日本各地のバスでバスガールとして働くことで名を売って、故郷で働くことで故郷に人を呼び込むといったことを幾度か繰り返していた。これは彼女自身の意思ではなかったが、すべて過去の話である。

 希望ヶ峰学園が彼女に超高校級の肩書を与えた理由は、大正時代に現れた所謂職業夫人としての代表的な職業、バスガールにおいて著名な人物が彼女であったからだろう。確かな才覚を持つ彼女に、女性が社会に参入するための黎明期を切り開くことを望んだのだ。

【長所】
 ・正義感が強い。困っている人を見つけると黙っていられないほど。
 ・料理が上手。
 ・運動神経がいい。
 ・美人。
 ・野菜を育てることができる。
 ・勉強ができる。それなりに俗世間の知識もあり、また目上の人に対しては礼儀正しく接することができる。
 ・見知らぬ人に対しても丁寧な対応をとることができ、また親しげに話すこともできる。
【短所】
 ・心が弱い。他人に自分の弱みを打ち明けられない。
 ・好意的に思ってしまうと、ずぶずぶとその沼にはまっていってしまう。なんか詐欺とか引っかかりやすそう。
 ・人の多いところが苦手。特に都心の街、人通りの多い時間帯は目眩がするほど。
 ・勝手に思い込んで行動することが多い。一度勘違いをすると、なかなかその考えは曲がらない。
 ・お金に対してはやや厳しめで、交渉の材料として多額な金銭を出されると、正義感などは抜きに心が揺らいでしまうこともある。
【信仰】
 ・親。自分がしっかりしなければという責任感が延長し、いつしか親の期待をその一身に背負ってしまっていた。



【おまけ(オシオキ)】

 熊谷はマイクを胸の前で力一杯握りしめて車内を振り返った。
 人形だというのに不気味な笑顔を浮かべるモノクマたちがそぞろ揃った眼光を熊谷に向けていた。隣を見ると、運転席にもまたモノクマが座っている。
 今更逃げることはできないのだと、彼女はぐっと唇を噛んで、恐怖心を殺した。


『路線バスの旅 〜in 人生〜』


 豪奢な音を立てて目の前にある電子パネルが光を発する。
 数字が書かれたルーレットと、おそらくは進行先を示しているのだろうマップ。
 どこか見覚えのあるそれは、熊谷にとっては幼き日のトラウマであった。
 おそるおそる、彼女はルーレットへと触れる。
 それはクルクルとカラフルに色を変えながら回転し、やがて数字の『9』を示した。

(…………!)

 パッとライトが付いたかと思うと、バスは急発進し、どんどん加速していく。
 その衝撃に酷く身を揺さぶられたが、なんとか柱を掴んで姿勢を立て直す。
 あまりに激しい勢いで車内は物が散乱し、どこから飛び出たのか分からない刃物が頬を掠めて行った。
 血の熱さが、次第に鋭い痛みに変わっていった。恐怖で足が竦んでしまいそうだったが、熊谷は歯を食いしばって立ち上がる。まだ生きることを諦めていなかった。

 どこかに状況を掴むヒントがないだろうかと、パネルに映し出されていたマップを見ようとして身を捩らせると、ちょうど最初にいた場所から『9』進んだところでバスは停止した。『9』……さっきルーレットで出てきた数字だ。
 急停止により頭を打ち付けながらも、熊谷は今の状況をようやく理解した。

(これは……人生ゲーム……!)

 マス目に何が書かれているのかまでは分からなかったが、きっとろくなことは書かれちゃいないのだろう。
 だが“人生ゲーム”の性質上、前に進まなければ終わることはない。ゴールへと辿り着くことが、彼女に与えられた唯一の目標らしかった。
 それがはたして正解なのか分からないが、無力な自分が今できることに気が付き、熊谷は必死にルーレットを回そうとした。
 だが、そこで熊谷は目にしてしまう。先程の急停止の際にパネルが故障したようで、壊れたようにルーレットが回転し続けていたのだ。

 『5』を示したかと思えば『2』を示し、その次は『10』で止まったりと、とにかくしっちゃかめっちゃかに数字は現れ、その通りにバスは進み続ける。

 ルーレットは熊谷の意に反して回り続けた。
 踏み抜かれたアクセルは、誰にも止められなかった。
 もはやモノクマも制御しきれないのか、慌てた様子でそこら中の機械をいじっている。
 熊谷はそれを見て、不安そうに汗を流した。最悪の事態を想像してしまったのだ。

 ぐんぐんとバスは進む。
 野を越え、山を越え、橋を渡って行った。
 そんな中でも、バスは急停止と急発進を繰り返している。

 熊谷はシートベルトをつける暇もなく、あちこちに体をぶつけ、頭からは血を流し、最後は立っているのが精一杯だった。
 割れたフロントガラスが彼女を襲い、刃物や鈍器がどこからともなく飛んできて、もはや怪我のない部位なんてないくらいだった。

 バスは最後の直線に差し掛かる。
 ルーレットの数字は大きなものが連続し、ブレーキすら壊れてしまいそうなくらいの加速を繰り返した。

 結果的に熊谷はゴールへと辿り着いた。
 人生の終着点へと。

 人生の終わり。すなわちそれは死。

 バスはスピードを落とすことなく豪邸へと激突し、そのまま大きな爆発を起こして、たくさんのモノクマと紙幣が宙へと舞った。
 舞い散る紙幣の中、モノクマは一着の旗を近くの畑に突き刺し、満足げに汗を拭ってその場を去っていった。
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