大正弾丸論破   作:鹿手袋こはぜ

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003 (非)日常編

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 馬鹿ね。愚図で鈍感。

 

 

 

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「このあと時間はある?」

「あ、はい。……あっ、いいえ」

「……どっち?」

「あの、その、昼食の準備がありまして」

 

 慌てた素振りで袖をまくると、待雪は「あはは」と作り笑いを浮かべた。それから厨房の奥へ姿を隠すために身を翻したところ、ムッとした表情の東屋がぐいっと待雪を肩から抱き寄せる。東屋は目を逸らし続ける待雪に対してこう問い詰めた。

 

「でもその前は、時間あるって言ったでしょ」

「それは、そのう……反射神経と言いますか……」

 

 待雪は何度か気まずそうに東屋の方を振り返った。目を見て話せないのが待雪の心の如何ともしがたい矮小さの表れであった。反面、東屋は待雪の目を捉えようと決して視線を外すことがなかった。

 だからか自然と場は硬直する。

 

 視線は数瞬交わる程度であった。

 ただ一方的に視線を注ぐばかりで東屋は不服そうに頬を膨れさせたが、それでも待雪から視線を外そうとしない。じっと狙いを定めるような目つきで──特にその瞳の奥に潜んでいる気持ちはあまりにも執念で満ちている。

 

 朝とも昼ともつかぬ曖昧な時間帯だからか食堂には人影もなかった。そのうえ待雪は早々に昼前の仕事を終えていたため、彼女とこうして向かい合ってしまった以上、場を離れるためのいいわけが用意できなかった。

 臆病な待雪は口実でもなければ場を離れることが難しかった。こういうとき社交的な人は嘘をついて切り抜けるのだろうが、虚偽の弁は人を騙しているようで待雪にはできなかった。待雪にとって人に嘘をつくのは自身に対する裏切り行為と同義であり、だから待雪は東屋と二人きりになってじっと向かい合うほか選択肢を見出せなかった。

 それに仮に嘘がつけたとして、彼女のあの真意に満ちた眼差しの下では嘘が嘘であるとすぐに見抜かれてしまいそうだった。だから待雪にしてみればもはや場を離れる手段はないに等しかった。

 

 苦しそうに身を捩らせながら、待雪はなるべく目を合わせないようにと(目を合わせると気圧されてどんな提案にもつい頷いてしまいそうだったから)視線を外に逃しながら、苦心し、徐々に言葉を編んでいった。

 

「そ、そのう……えっと」

 

 とはいえ待雪は頼み事を断る適切な言葉が見つけられないでいた。経験が少ないのは理由の一つにすぎない。主要なのは違和感を覚えてしまうほど真剣な彼女の態度だろう。単純な一つの目的だけでは説明がつかないほど彼女はひたむきな視線を向けてくる。その視線には真っ直ぐな感情が込められていると気付いた途端、彼女の誘いを無碍にはできないと思ってしまった。

 ただ考える時間が欲しいと、待雪は東屋に対して尋ねごとをした。

 

「あぅ……ああの、もし仮に……仮にですよ? わたしに時間があるとして、それでいったいどうするつもりなんですか」

 

 怪訝な顔で待雪は尋ねた。いかにも東屋を疑っているという表情をあえて作ってみせた。それを見て東屋は心地悪そうに眉間へ皺を寄せた。互いに顔を見合い、東屋だけが煩わしそうに嘆息を吐いた。

 気分を害したかに思えたが、東屋は常から不機嫌な人間であったから待雪があまりに過敏に怯えているだけであった。東屋は考えるような素振りをしてから、「ふん」と短く鼻を鳴らすと、不快そうに薄く目を開いて言葉を継いだ。

 

「断るなら断るで、きちんと私の方を見て言えばどうかしら?」

「す、すみません……」

「ほら、またそっぽを向いてるじゃないの」

 

 はあ、と東家はため息をついて、つらつらとこんなことを話しだした。憤りでなく呆れが漏れ出ていた。

 

「ほら、前に話したでしょう? あなたは磨けばきっと良くなるって。数日経ってよりそう強く思ったので──この後、一緒にどうかと思って」

「一緒に、というのは」

「採寸させなさいな。あなたの身体」

 

 どういうことかと待雪は瞬きをした。次第、その言葉の意味に気が付くと、待雪はふたたび驚きから目を見張った。採寸をするということは、つまりこの孤島で服を作るつもりなのだろうと気がついた。

 ファッションデザイナーは服をデザインするだけでなく、多くの場合裁縫をすることもあると聞く。きっと東屋が手ずから作ってくれるのだろう。

 

 待雪の驚いた表情を見て少しは機嫌を直したのか、東屋は眉尻を上げた。東屋の目的を理解した待雪はさっと背筋を正すと、慌てて東屋に訴えかけた。

 

「……いえいえっ、私なんかがそんな、もったいないですよっ」

「なにを嫌がることがあるの」

「だって……その」

 

 言葉選びに迷いこそしたが、待雪はきちんと東屋の方を向いてこう言った。

 

「わたしはアズマヤさんに服の代金として支払えるものはありませんよ」

「身の程を弁えているじゃない。……私は決して慈善精神で服を作るつもりはない。そんなの、ブランドとしての価値を下げるだけだから。だからかならず相応のお金を取る」

「じゃあ……」

「でも、それでも私はやりたいのよ」

 

 疲れたように彼女はほっと息を吐いて言った。

 さらりと長髪が肩から流れる。艶々とした黒髪は彼女の不安に歪んだ輪郭をはっきりと映し出した。

 

「私はきっと、この生活を生き残れない」

 

 それは待雪自身も感じていることだった。

 東屋はきっと三十日目以降の自分が想像できていない。未来に絶望しているわけではないが、しかし諦観的な姿勢であることに違いはないのだろう。

 

 生き残れない。

 あまりにも早すぎる人生の結末は、受け入れ難いように見えてある意味当然の結果だと感じられるものだった。超高校級と呼ばれるほどに名をあげた人間ならば、高みへ至るまでに大多数の凡人を淘汰してきた。それが世界であり、常であった。今度は自分が淘汰される側にまわっただけ──

 見通せぬ未来にご丁寧にも終わりが用意されたことで、ある種の安堵すら抱いているのかもしれなかった。

 

 それは東家も同じなのだろうか。どこか鬱屈とした暗がりのある表情は、彼女の見惚れるような美を引き立てるとともに哀愁の意を感じさせるものだった。

 

「ゆっくり余暇を過ごすのもいいかもしれない。むしろこんな世の中じゃ、いま死んだ方が楽かもしれない」

 

 でもそれって妄執よね。

 

 と東屋は首をもたげて前を見据えた。

 

「……やっぱり私は生きていたい。これまでの人生服を作ることに生きてきたんだもの。服を作らない私なんて、それだけで死んだも同然だわ──思想なんてどうでもいい、価値なんていくら下落しても構わない。せめてあと三十日の間、いいえ、私に残された人生はそれよりもっと少ない時間かもしれないけれど……それでも私は生きていたいの」

「…………」

 

 反論の言葉が待雪には出せなかった。未来を諦めないでとか、きっと助けが来るとか、そんなことを言っても無駄だと感じられたのだ。

 だって彼女は未来を諦めているのだ。優秀であるがゆえに、彼女は自らの未来があまりに絶望的で助かりようがないと気付いているのである。ただそれでも生きることを諦めたくないという気持ちは──彼女のわずかな人間性が垣間見えた結果だと思った。

 

 ……待雪もまた彼女と似たような考えを持っていた。

 人のために料理をしているときこそ自分は人であれるのだと──したいことをしているとき、自分はもっとも人間味が溢れていて生の全うを感じられるのだと、あの安堵に包まれた幸せの時間を待雪は知っていた。

 だから東屋の誘いを断るためには、なにか強い理由でもない限り待雪には躊躇われることだった。

 

 ただそれを踏まえた上で、一つ疑問に感じる部分があった。なんてことはない単純な事実である。

 

「……わたしなんかよりもミオツクシさんの方が良いんじゃないですか。彼女のほうがよっぽど素敵ですし、体型も綺麗ですから、きっと良いモデルになると思いますよ」

 

 それは素朴な疑問で、本心だった。

 どうせなら澪標のために服を作ったほうが良いものができるに決まっている。あのどんな服でも着こなしてしまいそうな令嬢のために世界的に有名なファッションデザイナーが服を作れば、いったいどれほどの美を生み出せるのだろう。ハッキリ言って未知数なのだから、十分に試してみる価値もあるだろう。

 確かなことがあるとすれば、それは自分のような田舎娘なんかとは比較にならないほど有用的な才能の使い道ということだ。けれど……。

 

「馬鹿ね。愚図で鈍感」

「は、はい?」

 

 突然の罵倒に待雪は肩を跳ね上がらせた。

 そんな様子を意に介さぬよう、ただ話す内容には躊躇いがあるのか、東屋は待雪から目を逸らして答えた。

 

「実はね、私、一度彼女の服を作ったことがあるのよ」

「そうだったんですか?」

「まあね……私の実家が老舗ということもあって、澪標財閥とは経営的なつながりがあったからそのよしみで……もっともそれ以上に、私の噂を聞いて彼女自身興味を持ったらしくって、一度服の裁縫を頼まれたことがあったの」

 

 彼女は珍しく落ち込んでいて、憂いをごまかすようにときどき咳をしていた。高飛車な態度や傲慢さに変わりはないが、しかしいつもは見下げている目線がこのときばかりは上を向いていたのだから不思議だ。

 その理由もすぐに分かった。

 

「ああいう人もいるんだなって思わされた。たとえどんなに不細工な金具の上でもダイヤモンドが輝くように──彼女にとっては洋服も和服も、きっと民族衣装だってなにもかもが似合っちゃうんだから。だから、わざわざ服をデザインする気がなくなっちゃって……」

 

 ああなるほど、と待雪は納得してしまった。

 荒唐無稽な話だけれど、それが事実だとすんなり受け止められるほどに美しい人だったから。

 

 待雪流に言わせてみれば、澪標はどう調理しても美味しくなる食材のようなものだ。焼いても煮ても蒸しても燻らせても、あるいは腐らせたって……どんな調理をしても至極の味になる。不味くするのが難しいほどに素晴らしい素材──それは料理をする側からすればあまりにも味気ない代物だ。

 試行錯誤など必要ない。これまで培ってきた経験も、なに一つとして活きない。布ひとつ纏わせるだけで究極の美と変わらぬ輝きを澪標は放つ。

 

「人間としての魅力はともかく、彼女、外見だけは美の極みだから」

「それ失礼じゃないですか?」

「いいのよ。ここにはいないんだし」

 

 東屋は軽く咳払いをすると、気を取り直したように話の筋を戻した。

 

「私はあなたのために洋服を作りたいの。どう? 良い提案じゃない?」

「…………、うーん」

「無理にとは言わない」

 

 東屋は待雪の手を掴むと、拝むように胸元までたぐり寄せた。そしてぎゅっとその手を握りしめた。肌の温かみ、手に込められた力強さ──直接触れ合うことで女性的な魅力が伝わってくる。待雪は驚きのあまり手を跳ね除けそうになってしまった。だが手はしっかりと握られていて、互いに顔を見合わせる結果となった。

 

「私はただ……生きていた証を、残したいだけなのよ」

 

 生きていた証。それは未来に生きることを諦めた人間にしか口にすることのできない言葉である。目の前にいる彼女はとても才気にあふれていて、若々しく、瑞々しいのに──生きることを諦めてしまっていた。

 同じだ、と待雪は思わされた。彼女はきっと自らの弱さに気がついていた。誰かを犠牲にしてまで生きられない──賢いからこそ、人殺しを行ったあとの贖罪についてもつい考えてしまう。待雪も同じく自分の命が犠牲なくして成り立たないことを理解していた。

 その点において、わたしと彼女に大きな差はなく──また最後まで生きていたいのだという願いも、不思議と二人は重なっていた。

 

 なんて矛盾──けれど、それは仕方がない。人殺しという業を背負うには、少女たちの背中は小さ過ぎた。

 

 だからこそ、東屋の言葉は全て本物なのだろう。その真剣さは目からも伝わってくる。黒の瞳はいつもより強く彼女の意思を反映している。

 だがずっと待雪が黙っているものだから、次第に凛々しい目が弱々しい潤いを持ち始めた。

 

「ねえ……ダメ?」

 

 不安そうに東屋は首を傾げた。彼女にとってその仕草は懇願に等しい。

 

 待雪はそれを理解してしまった。彼女を分かったつもりになってしまい、唸るような苦笑いと首肯をもって返事とした。

 それを受け、東屋はパッと顔色を輝かせる。

 

「了承した、と受け取っても構わないわよね?」

「ええ、まあ……あなたがミオツクシさんのために服を作りたがらないというのは、よく分かりましたので」

「じゃあ決まりね!」

 

 いつになく彼女は上機嫌で、常なら逆八の字に曲がった眉もこの時ばかりはすんなりと落ち着いた線を描いていた。

 心なしか落ち着いたような声色で東屋はこう言った。

 

「ありがと。あなたってば、お洒落には興味なさそうだったからちょっと心配だったのよ。今だって──ほら」

 

 待雪が着ている飾り気のない女学生服を指差して話した。

 

「料理服は手入れが行き届いていて立派なものだけれど、あなたが着ている制服はどこか一張羅という感じがしてカジュアルじゃないわ。これはこれで初々しくて良いかもしれないし、厳格な場に出るには相応しい格好でしょうけど──少なくとも、私生活で着こなす服装じゃないわ」

「あー……でも、他にだって服は持っていますよ。修道服とか。……料理をするときはいつもそれなんですけど、最近は忙しくって、着替える暇もないので、着ていないだけで……」

「修道服ね。私服とは言えないにしても、服のバリエーションがあるのはいいことね」

 

 ただ、と東屋は付け加えた。

 

「料理服と制服と、修道服だけ? 他には持ってないの?」

「ええっと、割烹着とかなら」

「料理服じゃない、それ。……私服よ、私服」

「いま言ったもの以外は持っていません」

「じゃあやっぱり必要よね! うんうん!」

 

 嬉しそうに胸元で手を合わせ、東屋は調子の良い声で言った。

 待雪はどうにも押され気味であったが、東屋が喜んでいるので悪い気はしなかった。ただ良い気もしなかったというのが全てだが、もっとも待雪はそれすら受け入れることにした。反論する意思が削がれたというか、こんなとびっきりの笑顔を見せられてしまうと、本当に断る意思というものがまるきり奪われてしまったのだ。

 東屋の見せる緊張のほぐれた柔らかな笑顔は反則だと言いたかったが、女が女の笑顔に見惚れるだなんて変な話なので、その言葉だけはぐっと飲み込んで幾度か瞬きをした。

 

「は、はい。いいですよ。ぜひわたしの私服を作ってください」

「わかっているわ。あなたは質素な服が好きなのでしょう? 清貧もいいことだけど……ううん、そうね、あなたを尊重します」

「気遣い、ありがとうございます」

 

 そこでようやく約束の締結を実感したのだろうか。東屋は大きく目を見開いたあと、何度も噛み締めるように頷くと、今後の予定を口早に言っていった。今にも叫んでしまいそうなほど上気した声だった。居ても立っても居られないのか、唐突に立ち上がってのことだった。

 

「午後になったら家庭科室にきて頂戴。そこで待ってるから」

「わかりました。ただ午後はお昼を作ったり、夕飯の支度をしなくちゃいけないので、少ししか時間がありませんけど」

「大丈夫、そんなに時間はかけさせないわ。体のサイズを測るだけだもの」

 

 それに、と東屋は食堂の出入り口まで向かって、そこから振り返って言った。

 

「待つ時間って、私好きよ」

 

 童心にかえったようで。

 彼女はほのかに笑みを浮かべていた。




【待雪さんの私服コーナー】
・割烹着
・料理服
・制服
・和服 ×2
・洋服 ×2
・修道服
・防寒着(コートやら手袋やらマフラーやら一式)

 持ち歩いている分には多いような気もしますけど、待雪さんは定住している場所がないので、仕方のない気もする。実際に持っている服はこれだけしかないので、季節や国によってはかなり危ない(さすがに、そういうときは現地で服を買いそうだけど)。
 高級な品ばかりなので、長持ちしてしまうのも原因。
 特にオシャレに興味のない待雪さんが、素質は良いと言われるのは、ひとえに遺伝と、人生に苦労せず、いいもの食べてきたからという点に尽きる。

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