大正弾丸論破   作:鹿手袋こはぜ

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004(非)日常編

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 ねえ待雪さん。私がどうして不機嫌なのかお分かり?

 ええっと……わたしが約束を反故にしたからですか?

 

 

 

 1

 

 

 

 午後三時。普段ならば陽気に太陽が照り昼寝をしているような頃合い。窓から差し込む光の強さについまぶたをつむってしまうような、そんな春の日の明るさは今日ばかりはひどく失われているのでした。海の裾まで広がった黒雲が島を影の中へと落とし込んだのです。いっそう寒さの増す夜が、波の厳かな音とともに足元へ忍び寄りつつありました。死の気配というものがこの島には満ちていて、息を吸うだけでもむせ返るような濃い瘴気は蝕むように辺りを暗くしていきます。あの太陽ですら、彼らに光を届けることはできませんでした。雲のかげに隠れたまま、水平線の向こうへと消えてしまったのですから。

 

 けれど厨房からは、彼らを包み込むような賑やかな光が漏れ出ていました。それは芯まで冷え切ってしまった心の寄る辺となるような、それでいて、つい求めてしまうような、危うい光でした。

 そんな光の中から一歩抜け出して、少し離れた寄宿舎に待雪はいました。なんて暗い廊下でしょう。ときおり点滅する電球が、人の弱さを露呈させます。

 

「フジバカマさん。いますか、フジバカマさん」

 

 おにぎりや飲み物を載せたお盆を手に、藤袴に与えられていた個室の扉に向かって待雪は声を掛けました。ですが、返事はおろか物音すら聞こえてきません。

 心配になって、待雪は喉を張って大きく声を掛けました。不安に満ちた、頼りない声色でした。

 

「フジバカマさん……フジバカマさん!」

 

 普段出さないような、大きな声。しかしそれは虚しく廊下に響くばかりで、吹きすさぶ暴風雨によってあっという間にかき消されてしまいました。

 

 結局、今日も彼女には会えずじまいでした。最近は食堂にすら来なくなってしまいました。それを残念に思いながら、待雪は沈痛な面持ちでお盆を扉のそばに置きました。

 

「フジバカマさん。おにぎり、ここに置いておきますね」

 

 優しい声で、そう告げます。

 藤袴の心に刻まれた傷というのは、どれほど大きなものなのでしょうか。それは待雪にはわからないことでした。そして、わかってやれないのがなによりも苦痛に感じられるのでした。

 

 しばらく俯いてから、その場を去ろうとします。ですが、近くから彼女を引き留める男の声がしました。見れば数間先の扉から、見覚えのある男子生徒が半身を覗かせてこちらを見ているのです。

 

「おい、食堂に行くのか」

「タケカワさん……」

 

 超高校級の水泳部、竹河水仙。彼は以前、待雪に対し心ない言葉を浴びせた人物でした。女は嫌いだと彼は言い、そして今なお待雪の料理を食べようとしない、非常に警戒心の強い男でもありました。

 そんな彼が、いったい待雪にどんな用事があるというのでしょうか。そう疑問に感じながら、彼の瞳を見つめていると、それに呼応するように彼はきりりとにらみ返してきました。胸騒ぎのように一段と強く雨粒が窓を叩きました。

 

「…………、このまま食堂に行くのかと訊いている」

「夕飯の、支度があるので」

「…………」

 

 彼の思惑は何か。待雪には自分が呼び止められた理由がさっぱりわからないのでした。ただ彼の真剣そうな目を見ていると、ただ事ではないような心持がするのです。

 竹河は深いため息を吐くと、呆れた顔をしてこちらまで歩いてきました。先ほどまで眠っていたのでしょうか、頬には赤い跡が残っていました。

 

「どけ」

 

 彼は不機嫌な声でそう言うと、待雪を押しだすような形で藤袴の部屋の前に立ちました。そうして、俄かに大きく息を吸ったかと思うと、「出てこい」と腹の底まで響くような声で怒鳴りました。

 

「くよくよして、うじうじして、軟弱なやつめ。女はすぐこれだから困る」

 

 その声は確かに藤袴に聞こえていたでしょう。そばにいた待雪がつい耳をふさいでしまうくらいには大きな声だったのですから。

 

「いい加減、部屋から出たらどうだ」

 

 怒りの混じった問いかけは、廊下で強く響きました。しかし返事は帰ってきません。

 

「これだから女は嫌いだ。人がふたり、死んだくらいで。たったそれだけのことでくよくよ泣いて、塞ぎ込む」

 

 竹河はもう一度「嫌いだ」と言い、強く扉をたたくのでした。いったいどんな感情が、彼をこうも突き動かすのでしょう。表面に現れているそれは怒りでしたが、待雪にはもっと根柢の方に別の何かがあるような気がしました。

 

 竹河の拳によって、分厚い木の扉からは軋むような音が聞こえました。そのあと、少しして、部屋の奥から小さな声が聞こえてきました。耳をすませばそれは、彼女の声でした。

 

「人が死んだ。二人死んだ。友が死んだ」

 

 悲壮にあふれた声。それは聞くだけで胸が張り裂けそうになるくらい生命を感じさせない声でした。待雪は以前の藤袴を思い出して、それでびっくりしました。快活な彼女からこんな声が出るなんて、想像もつかなかったのですから。

 

 ただ竹河は彼女をねぎらうわけでもなく、ひたすらに冷たく言葉を返しました。

 

「だからどうした」

「なぜ私は生きているのです。なぜ彼らは死んでいるのです」

「そんなこと誰にも分からん」

「なぜ分からないまま、生きていられるのです」

「…………」

 

 竹河は口を強く結び、扉の奥を睨みつけました。数秒の間を開けて、彼は言葉を吐きつけました。

 

「センチになりやがって。気味が悪い。……この料理人を見ろ」

 

 竹河は待雪の方を一瞥すると、まっすぐな目でこう続けました。

 

「死者にしてやれることはない。だが、生きているやつにしてやれることはある。この料理人は、しっかり前を見て、いま生きている人たちのために料理を作っている」

「……っ」

「お前は死者になにかしてやれるのか。無理だろう。それより今を生きているやつにしてやるべきことが、あるんじゃないのか」

「…………」

 

 辛い沈黙でした。部屋の奥から、感情をどうにか抑えようとする泣き声が聞こえてくるのです。待雪はなにか言葉を掛けてやりたいと、そう思うのですが、良い言葉がひとつだって思い浮かばないのでした。

 

「……怖いのですっ」

 

 上擦った声が聞こえます。堰を切ったように藤袴は話し出しました。

 

「彼らは島で死にました。私は彼らを救えませんでした」

 

 夜警を行い、人を注意し、安全を気に掛ける。正義感溢れた彼女の行動は、決して無力なものではなかったでしょう。人に影響も与えたでしょう。

 ですが同時に、それでも人は死んだのだと、単純な事実が彼女にとっては背負いきれないほど重いようでした。

 

「いいえそんな高尚なこと、私はとても言えないのです。私は死ぬのが怖いのですから。なにより彼らのようになるが怖いのですから。だからどうしても、忘れられないのです」

 

 ふと待雪は、以前に藤袴が言っていた言葉を思い出しました。どうして明るく振舞えるのかと、悔しくないのかと、悲しくないのかと……。藤袴にはきっと、二人の死がなによりも多く心を占めていたのでしょう。他人を慮る彼女の善性が、なにより彼女の心を苦しめているようでした。

 生きることだって窮屈で、息をするのも億劫で、辛い事実を頬張りながら、なおも彼女は過去を直視しているのでした。

 

「なら生きればいいと言っているのだ。生きることが二人に対する罪だというのなら、なら死ねばいい」

 

 竹河は業を煮やしたように言います。

 待雪はなにも言えずに見ているだけでした。

 そして、誰も何も喋らないまま、数分ほど静かに時が流れました。風の音は強く、雨の音は耳障りで、けれどそのどれよりも騒がしく彼らの心の中では死が渦巻いているのでした。

 時が刻々と経ち、やがて長針が一周しました。そうしてようやく待雪が口を開きました。

 

「わたしがフジバカマさんを殺します」

「……あ?」

「だから、勝手に死なないでください。部屋から出てきてください。わたしの知らないところにいないでください」

 

 待雪は強く訴えるように声を張りました。演技でもなんでもない。ただ藤袴を思う気持ちが、強く表に現れるのです。

 

「そのままだと、あなたは独りでに死んでしまいます」

「…………」

 

 物を訴えるように胸に手を当て、狭い喉で声を絞り、扉の向こうの彼女に語りかけました。

 竹河は唖然としたように……けれど口を挟むことはなく、ことの趨勢を見守っていました。

 すると物音がして、衣擦れが聞こえて、ドアノブが回りました。

 

「いま、ここで殺してください」

「嫌です」

「どうして」

「だってそれだと、わたしクロになっちゃいます。そうなると、タケカワさんに学級裁判で負けちゃいます」

「…………」

「島を出てからにしましょう。ことが終わればわたしはすぐ海外に行くので、日本の法律で裁かれることはありません」

 

 最善とは言い難いでしょうが、待雪は自分にできることを頑張って伝えようとしました。姑息な手段など使わず、他人の言葉を借りることもせず、できる限り彼女と向き合おうとしました。

 そんなひたむきな姿勢は、光とも呼べるものでした。少なくとも藤袴にとってそれは大変まぶしく感じられるのでした。

 

「……ふふ、あは」

 

 藤袴は暗い目をしながら自嘲気味に笑いました。下がった目じりには濃い隈ができていました。

 

「真に受けていいのですか」

「ええ、はい」

「島を出るまで、私に生きろと言うのですね」

「そうです」

「……酷なことをおっしゃるのですね」

 

 藤袴の表情に笑みが浮かびました。

 

「……すみませんでした。ご心配をおかけして」

 

 どこか暗がりのある表情に違いはありませんでしたが、しかし彼女の顔には確かに血が通っていました。生気が感じられました。ああ、彼女はまだ生きていると、待雪はホッとした心持で胸を撫で下ろし、それから彼女の手を強く握りしめるのです。

 ああ、なんて冷たい手。けれど少しづつ、脈が血液を通わせていく……。

 

「もうじき夕飯の時間ですから、どうぞ食堂にいらしてください。ニオウミヤさんやカガリビさんがお待ちですよ」

 

 待雪はそう笑い掛けました。

 藤袴は「はい」と小さく頷きました。

 その二人の様子を、竹河だけがじっと見ているのでした。

 

 

 2

 

 

「ねえ待雪さん。私がどうして不機嫌なのかお分かり?」

「ええっと……わたしが約束を反故にしたからですか?」

 

 待雪が夕飯の配膳をしていると、見るからに不機嫌な東屋が眉根を寄せて彼女に詰め寄りました。鋭利に細められた目を見て、待雪はドキリと心臓の高鳴るのを感じます。その怒りの原因が午後の己の行動に起因しているのを彼女はしっかりと認識できていました。午後に服の採寸を行う約束をしていたのですが、藤袴の一件や夕飯の支度もあり、うまく時間を作ることができず、わざとそうしたわけではないものの約束を反故にしてしまったのです。

 そのことに対してどう謝罪を申したものかと待雪が考えあぐねていると、二人の間を割って入るようにして藤袴が弁面の言葉を東屋に申しました。

 

「すみません。私が待雪さんを呼び留めてしまって、それが長くなってしまいまして……」

「あら、そう。先に用があったのならそう言えば良かったのに」

「いえ、急用だったものですから……」

「…………」

 

 東屋は少しばかり息を吸って、そのまま物を考え込むみたく待雪の方を見ていました。それから藤袴とを見比べて、ようやく息を吐くのでした。

 

「元気そうでなにより。そうね、採寸はまた今度にしましょう」

 

 そう言って、東屋は夕飯が乗ったお盆を手に食堂の奥へと行ってしまいました。




※待雪さんが藤袴さんのために用意したおにぎりは、あとで篝火くんが美味しくいただきました。
※ピクシブで東屋さんと待雪さんと藤袴さんとか篝火くんとか鯉口さんとか……八ヶ月の間にいくつか絵を描いたので、見てね!

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