大正弾丸論破   作:鹿手袋こはぜ

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 この人はなにを言っているんだろう……痴呆じゃあるまいし……。

 

 

 

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 高台の平地は三メートル近い高さの金網で囲まれていた。種目も分からないような背の高い雑草がそこかしこに生い茂っていて、金網から少し離れたところでは細い木が点々と立している。道端には花もいくつか咲いていたけれど、けっして鮮やかなものではなく、かえってそれはこの島の虚しさを際立たせていた。

 芝生が敷いてある広場やレンガで舗装された道が平地には存在していて、人の手が加えられている痕跡はそこかしこに見られたが、ただそのどれもが古び寂れていた。

 

 そんな暗い土地で一際異様に目立つのは、周囲の外見にそぐわないポツンと孤独に建っている洋館であった。どうやら近代に入ってから建てられたものらしく、特徴的な和洋折衷建築の形式をとっていた。レンガを積むことで基礎を固められており、屋根や柱などは木造建築のそれだ。アーチ状になっている窓枠もいくつか見えた。

 こんな孤島には場違いな建築物で、どこか外国の島にでも連れてこさせられたのだろうかという嫌な考えが浮かぶ。あり得ないとは言い切れないのが辛いところだった。

 

「これからどうしましょうか」

 

 天を仰いで、澪標は言った。

 

 船に乗せられこの孤島にやってきたが、その道中でなんらかの指示を与えられたり命令を受けるようなことは一度としてなかった。むしろ待雪らは、居ないもののように扱われ、放置されていたくらいだった。車内で運転手が待雪の問いかけに答えなかったのもそうだろう。彼らは徹底して干渉を拒んでいるらしい。

 だからこそ、彼女らは行先を見失う。

 海原にポツンと浮かぶ島に個人的な事情や目的など待雪にはあるはずもなく、どうすればいいのかも分からぬままに、ただ立っていることしかできないでいた。なにもしなければきっと死ぬだろう──だがなにか行動を起こせば今の状況が改善するとも思えない。悪化することだってあるのだから、なかなか彼女は行動的な一歩が踏み出せないでいた。

 

「せっかくだから、他に誰か人がいないか探してみましょうか。少なくとも、私たちをここまで連れてきた運転手くらいは見つかるでしょうし」

 

 さきほどからずっと口をつぐんでいた待雪を見かねてか、澪標は励ますようなそぶりでそう言った。

 待雪はそれに、緊張の混じった怯え声で答える。

 

「そっ、そうです、ね……っ。あ……あそこなんて、どうでしょう」

 

 待雪の目線の先には、洋館があった。

 平地を挟んだ向こう側にあるその建物の他に人気(ひとけ)のありそうな場所はこの金網の内側にはなかったから、待雪は誘われるようにその建物を選んだ。

 

 金網の外にだって建物はあったけれど、そのどれもがコンクリートで作られた堅牢な雰囲気がある近寄りがたい場所で、人はいそうだったけれど、しかしそう容易く立ち入れそうにない場所だった。

 あれはいわゆる監視塔というものだろう。その建物と待雪らとの間には背の高い金網があったから、訪ねようにもそれは不可能であった。

 柵は三メートルという高さがある。金網なのだから、足を引っ掛けることもでき、体力や筋力のある者であれば乗り越えることだってできるかもしれない。ただ、今の彼女らには平生と違いトランクがあった。異様に重いトランクを首に繋がれて、三メートルの金網を超えられる人物はアスリートといえどもそういないだろう。ある意味ではこのトランクは、移動を制限するための拘束具としての役割も果たしているのかもしれなかった。

 

 ひとまずの方針として白羽の矢が立てられていた洋館の玄関ホールに辿り着くと、待雪は両手を塞いでいた旅行鞄とトランクの二つを静かにその場に下ろして、肩を使った深い深呼吸をした。

 

「いったい、なんなんでしょうね。このトランク」

 

 それは気を紛らわすための独り言のようなものだった。ただ、澪標や雲隠と交流を図ろうという意図も少なからずは含まれていて、超高校級の機械技師である雲隠ならばなにか分かるかもしれないという期待もまた、ないわけではなかった。そんな待雪の思いを知ってか知らずか、内容は伴わないものの雲隠は疑問に答えた。

 

「このトランクからは微かに音が聞こえます。ですからなにかしらの機械が組み込まれているのは間違いないと思いますよ。どういう仕掛けなのかは開けてみないと分かりませんが……」

 

 雲隠はトランクを見下げながらそう言った。開けることは危険なのだと、彼は言いたいようだった。

 

「なるほど……」

 

 確かに、耳を澄ませば秒針のような音が聞こえた。それは風の中で柔らかに時を刻んでいた。不気味だが、しかしそれは変わりなく一定のリズムを保っている。どくんどくんと刻まれる拍動のように、ゆったりとしたリズムが流れていた。

 

 三人の間で言葉が交わされることは幾度かあったが、そのすべてが長くは続かない短いものだった。待雪がこと人間関係において素人以下の能力しか発揮できないのも大きな原因ではあったが、おそらくは既知の仲である澪標と雲隠との間で会話がないに等しかったのも要因の一つとして挙げられるだろう。

 朝早い時間だから元気が出ないのかもしれない。あるいは、重いものを担いでいて話をしている余裕がなかったのかもしれない。少なくとも待雪は後者だった。

 

 待雪は荷物の重さに溜息が出るようだったが、澪標と雲隠の二人に自身との共通点を見出し、出会ったばかりの頃と比べていくぶん冷静にはなれているようだった。

 どこをどうとったって共通点なんてなさそうな三人だが、しかし強制的につけられていた金属製の首輪と歪なトランクの異様な存在が、皮肉なことに、初対面の彼女らに協調性にも似た仲間意識を抱かせた。

 

「立派な建物ね。レンガ造の建物は頑丈だって、絵本で読んだことがあるわ」

「……ところどころ朽ちてはいますけど、藁や木よりかは頼り甲斐があるかもしれませんね」

 

 近付くと、より建物の様子が鮮明に伝わってくる。補修を幾度か重ねているのだろう。セメントを塗り込んだような薄汚い白色が壁の端に見えた。

 正面の観音扉を開くと、大きな玄関ホールに出た。そこからは左右に廊下が伸びており、たくさんの扉があるのが見えた。画一的なそのデザインからして、同じような部屋が連なっているらしい。数にして十数といったところだ。

 

 そして彼ら三人が玄関口に到着したのを見計ったかのように、錆び付いたラジオのようなノイズ混じりの音がどこからか聞こえてきた。

 

《──、──────、────、────》

 

 それが人の声なのだと気付く頃には、既に放送は途切れていた。待雪は困ったように眉を下げて、二人の方を振り返った。

 

「体育館という言葉は、なんとか聞き取れたんですけど」

「体育館……どこにあるんでしょうね、それ」

 

 澪標は非常に落ち着いた態度で肩にかかった髪を払った。令嬢たるもの、どんな時でも毅然に振る舞うというのだろうか。あるいはそう、あまり現状を危険視していないようでもあった。

 外側から見たときに体育館らしき場所は窺い知れなかったため、なにか地図のようなものはないだろうかと三人は玄関ホールを調べた。すると左右に繋がる廊下の他に、正面の奥になにやら大きな観音開きの扉があるのを発見した。そこを開くと、円形の広いダンスホールに出た。そこはいくつもの外廊下と繋がっており、いま待雪らがいる洋館とその他の別館とを繋ぐ中継地点の役割をはたしているようだった。

 

 目的の場所はすぐに見つかった。

 ダンスホールを探索していると、先を示すような矢印と共に「体育館」という札が下げられてあったのだ。他にもいくつか渡り廊下はあり、それら付近にも似たような札が下げられていたため、体育館という言葉が罠というわけでもなさそうだった。とはいえ未開の地で、見てくださいと言わんばかりに掲げられていたそれを見て、警戒しないわけにはいかない。

 話し合った結果、罠があったとしてそれでどうなるのだろうかという結論に三人は至った。彼女らを監禁することが目的なら、眠っている間に牢にでも入れれば良かったのだ。それに殺しが目的だとしても、それもまた眠っている最中に済ますことのできる話である。思えばこれは、自分たちは誰かによって生かされているという、心臓を握られているに等しい危険な状態でもあるのだと気付いたが……生きている以上は前に進むしかないのだと、待雪は自らを奮い立たせた。生きているかどうかも、また生きながらえることができるかどうかも、曖昧なものだったけれど、そうしていることで精いっぱいだった。

 

 この中では唯一の男性であった雲隠を先頭に、三人は体育館と思われる場所へ続く渡り廊下を進んだ。

 行先には大きな扉があり、その扉の上には先ほどのように「体育館」とえらく達筆な字で書かれた札が下げられてあった。

 扉を開ける前にそっと耳をすまして中の様子を知ろうとするが、物音一つ聞こえなかった。

 

 怪しみながらも扉を開け中に入ると、そこは体育館というよりもまるで集会所のような場所だった。運動はできないことはないだろうし、申し訳ない程度の設備もあったが、人に使われず埃を被った古物という印象を受ける。

 それもただ古びているのではない。実際、物自体はそこまで古いようには見えなかった。錆び付いてはいたが、壊れてしまいそうなほどに劣化しているわけではなかったから。ただ、そう、人に使われないというだけで、こうも朽ちてしまうものなのだろうかと思わされるような、そんな劣化の仕方をしていた。

 縦にも横にも広々とした空間のある体育館は、外よりも一段と寒いように待雪には感ぜられた。風がないので少しは暖かそうなものだが、それとは別の寒さがここにはあった。悪寒というのだろうか。肌を撫でる不快感に口元を歪ませて、身は寄せるように震わせていた。

 

 体育館には同じ年頃の少年少女が十数人いて、扉から入ってきた三人のことを、彼らは目線を隠すそぶりも見せずに険しい顔でじっと注視していた。視線を向けられることに慣れていない待雪は多くの目を意識してしまい、落ち着きなく指を突き合わせたりしながら、その長い前髪の奥から彼らのことを眺めていた。目があってしまったような気がして、慌てたように目を逸らすということが何度かあった。

 そして気付く。先ほど感じた悪寒というものは、彼らの目線を感じてのものではないだろうと待雪は感じ取った。むしろ彼らだって、同じ心地の悪さを感じていそうなものだった。

 彼らもまた待雪と同じように金属製の輪が首にあり、そして歪な形をしたトランクを持っている。その奇妙ないでたちから、彼らもなにも知らされていないのだろうと、その険しい表情は不安な気持ちを隠すためのものなのかもしれないと思わされた。

 

 しかし不気味である。これほどの人数が揃っているというのに体育館はやけに静かで、遠く離れた人の呼吸が聞こえてきそうなほどに、衣擦れの音すらしなかった。

 すると、そう間を置かぬうちに先ほどのアナウンスとよく似た……いや、今度はもっと鮮明な音声が、体育館奥から聞こえてきた。

 老人のようにしわがれた声は、重みを含ませながら体育館に響く。

 

《──、──。あー、あー》

 

 この場にいる全員の意識がその声の元へと集められた。そして、事もなさげに暗幕の裏から現れたのは、杖をついていてもおかしくないような年配の男性一人と、その人を護衛するように武装し軍服を着ている数人の男たちだった。

 老人は片手に持つ拡声機のようなもので声を出していたが、不要と判断したのか、拡声器を隣にいる軍人らしき男に預けて、一つ咳払いをしてから話し始めた。

 

「諸君、ご機嫌いかがかな。……ふむ、顔色は悪くなさそうでなによりだ」

 

 口元に蓄えられた白い髭を触りながら老人は続ける。

 威圧感のある切れ長の目は、まるで自分たち十六人を一人ひとり値踏みしているようだと待雪は感じて、不快感を露わに口を強く結んだ。

 

「初めに挨拶をしておこう。なにをするにしてもまず挨拶が肝心だ。……諸君はもう、互いに挨拶を済ませたかね? していないというのなら後でするといい。……時は有限だが、かといって、早急に事を進めなければならないというわけでもないのだから」

 

 顔に刻まれた皺がよりいっそう深くなった。怪しげな笑みをほのかに浮かべて、老人は言葉を繋ぐ。こういった笑みの作り方をする老人を、待雪は何度か見たことがあった。大抵そういう人は狡賢く得体の知れないことが多かった。

 

「私は希望ヶ峰学園の創立者である神座(カムクラ)出流(イズル)だ。まずは前置きもないままに、このような辺鄙な場所へ連れてきてしまった無礼を詫びよう。そして、諸君を歓迎しよう」

 

 希望ヶ峰学園の創立者。神座出流。

 待雪にとってそれは、どこかで聞いたことがあるような名前だった。あるような気がするもなにも、待雪が通おうとしていた学園の創立者であるのだから、事前説明で名前くらいは聞いていてもおかしくはないのだが……ただ覚えていようといまいと、彼女の中でそれは重要性の高いことではなかった。それよりも待雪の目を引いたのは、同級生と思われる少女のある行動だ。

 

 神座と名乗る老人が次の言葉を考えあぐねていると、雲隠の前にいた小柄な女子生徒が牛乳瓶の底のように分厚いレンズが嵌め込まれた眼鏡を中指で押し上げながら、片手を上げて奇声を発したのだ。いや、本来それは奇声などではなくきちんと意味の伴った言葉なのだろうが、あまりにも唐突な出来事に待雪は反応しきれないでいた。驚きのあまり、言葉の意図を汲み取ることすらできなかったのだ。

 声変わり前の女児のように甲高い声は、だだっ広い体育館にはよく響いた。この声の主が大変陽気な性格なのだろうということが嫌でも伝わってきた。

 神座なる老人の側に立つ軍人らは警戒するそぶりを見せるが、それを意に介さずに女子生徒は言葉を紡いだ。

 銃口を向けられてもなお怯まずに言葉をまくし立てるその姿は、恐ろしくもあった。

 

「話を遮るようですみません、質問よろしいでしょうか? よろしいですよね? ええはい、ありがとうございます。いやあ、やっぱり私ほどにもなると、質問も顔パスで通っちゃうんですかねえ? かわいいというのも罪でしょうか。いやなに、自己評価というわけではありませんよ? やはりかわいらしさを持って生まれた以上はですね、それを自覚する必要があると思うんですよ。ええはい、自覚です。無自覚な言動が人を傷つけるように、無自覚なかわいらしさというのは、誤解や危険を生みかねませんからねえ──」

「ん」

 

 本題に入りそうにないと、少女の話を遮るように、神座が一つ咳払いをした。

 真っ直ぐな目で少女を見つめているあたり、どうやら質問には答える気があるらしかった。察して、少女もまた気を取り直したように眼鏡の位置を直す。

 

「質問といえば、やはりスリーサイズを訊くというのが鉄則となっているのが世の常ですが……いやあ、世知辛いですよね。世も末といった感じです。なにがいやでこんなくたびれたおじさんのスリーサイズなど訊かなければならないのでしょうか。いやですね、いやですね。需要なんてあるのでしょうか。私のようなかわいらしい乙女であるならばまだしも──」

「…………」

「あっはっは! ジョークですよジョーク。や、あのですね? さっきから空気が重苦しかったので、少しくらい冗談交じりに話した方が質問をされる側も話しやすいのではないかなーと思いまして! ええはい、壱目さんは分かっていますともっ。そういった心理うんぬんは長年積んできた経験でばっちし理解していますっ! もうあと三百文字ほど冗談で埋めれば、場も暖まってくるでしょうか」

「…………」

 

 ……神座出流は呆れるのでなく、また軽蔑したような目で少女を見るのでもなく。──むしろ興味深そうに少女のことを観察していた。まるで孫娘を見る祖父のようにその目は慈愛に満ちていて、薄気味悪いほどだった。

 

「こほん。やはりそろそろ本題に。本当に本命の本質的な質問を」

 

 ぱらり、と少女は手に持ったメモ帳を捲った。もう片方の手には万年筆が握られていて、おそらくは記者のごとく神座の発言を記録するつもりなのだろう。

 その動きはどうにも手慣れていて、彼女の生活の内の一動作なのだと思わされるほどだった。

 

「……今、私たちがこのような場所にいるのは、希望ヶ峰学園の方針なのでしょうか?」

 

 強引な驕りを含んだ前置きの後に繰り出された質問は、思いの外まともなものだった。場所であったり連れてこられた理由を聞くのではなく、学園の方針を尋ねるというのは、経験豊富な彼女らしい賢明な判断であった。

 ただそれは普通の場合にのみ適用される話でもあった。

 

「方針……ふむ、確かにこれは希望ヶ峰学園の方針だ。学園の方針であり、学園が作られた理由にも関わっている。つまるところ、大いなる行動だ。……その話についてはね、君。ちょうど今からするつもりだったんだよ」

 

 そのあと、神座出流は一際大きな声でこう宣言したのだった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

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(この人はなにを言っているんだろう……痴呆じゃあるまいし……)

 

 状況がよく飲み込めていなかった待雪は、そっと周りの人の様子を窺った。

 

 殺し合い。それはあまり聞き馴染みのない言葉だったから理解するのに幾分か時間がかかったというのもそうなのだが、しかし待雪には実感というものがいまいち湧いてこなかったのだ。

 

 人によって反応は様々で、特に変わった様子を見せない人や随分と怯えた顔色の人もいたが、大抵の人はあっけらかんとした──つまるところ、待雪のように状況を飲み込めていない人が多かった。先ほど神座に質問をしていた女子生徒でさえペンを持つ手を止めていた。

 それも無理はない。誰だってそうなる。

 みな殺し合いという言葉を受けて、老人に対し抱いていた疑心を高めつつあるようだった。それは現実逃避などではなく、むしろ正常な判断だろう。

 

「殺し合い……? なんだよそれ。そんなの、他所(よそ)でやりゃいいじゃんか」

「他じゃいけない。諸君でなくては」」

 

 ()()()()()()()()()()

 まるで共通点のない自分たちに「君達」だなんて、そんな一括りにするような言葉はまるで不似合いだと待雪は思った。強いて共通点をあげるのなら、恐らくはみな超高校級という肩書を与えられているのだろうというくらいだったが、しかしそうだとしたらなぜ超高校級と呼ばれるほどに優れた人を失ってしまう可能性が高い()()()()などを望むのだろうか……?

 希望ヶ峰学園は、その名の通り、未来の希望を育てるための教育機関ではなかったのだろうか……? 少なくとも待雪は、事前説明ではそう聞いていた。

 ……まさかこの島は高校生に殺し合いを強要するような狂人が主催しているディストピアではないだろうと、今の状況に対し半分願望のように呆れていたが、しかしその願望に確信はなかった。

 

「いきなり殺し合えと言われてもピンとこないかもしれない。それにやる気も起きないだろう。──なに、そのための準備はしてある」

 

 ただでさえ怪しげな笑みが、より深みを増した。

 

「……ああそれと、学生手帳にも書いてあることだが、特に重要なことをここで話しておこう」

 

 重要なこと。……それは、彼らの命よりも重要なことなのだろうか? そんな疑問はよそに、淡々と言葉は連ねられた。

 

「まず第一に、ここでの共同生活の期限は三十日だ。。期限を過ぎてもなお、ある特定の条件を満たせなかった場合は、今ここにいる全員に死んでもらうことになっている」

「なッ。んなこと、どう考えても人道に反して──」

「この島から出たければ人を殺すしかあるまい」

 

 老人の言葉は妙に真実味たっぷりで、待雪らの間に流れている雰囲気は半信半疑という言葉に尽きた──だがしかし、半分だって信じてしまっている時点で、それはもう信じているのと同じだ。

 寒さと共に、恐怖が足先から忍び寄る。

 

「殺し合いというのは文字通りの殺し合いだ。仲良く三十日の余生を過ごすのも構わないが、諸君は使命があるだろう。互いに互いの命を狙い合うものと心がけておくべきだ」

「このッ! さっきから訳の分からねえことばっか言いやがって──」

 

 神座へと今にも飛び掛かりそうな少年を押さえつける男子らの姿が前方に見えた。軍人らは警戒を強め、少年に対し銃口を向け威嚇していたが神座は気にすることもなく話を続けた。

 徐々に場は混乱し始めていた。待雪は、自分だけはあくまで冷静に努めようと、震える手を袖の奥に隠した。

 

「元気で結構。力があるのは若者の特権だ。だが、勢いだけで無計画に人を殺すのは考えものだよ。ここではそれだけじゃ生き残れない」

 

 少年を挑発するような言葉は、おそらくは意図的に発せられていた。

 

「殺せば生きる、殺せなければここで死ぬ。この島での法はそれだけだが、しかしそれしか見えていない者はきっと生き残れないだろう」

 

 ただ殺せば良いわけではないと、そう言いたげだった。

 前の方で起きている騒がしさがよりいっそう増した。

 

「要するにだ。無差別に人を殺しても、それだけじゃこの島では生き残れない。諸君は誰にも知られることなく、人を殺さなければならない」

 

 待雪は側にいた雲隠と澪標の顔をひっそりと見た。二人ともあまり表情を変えない印象を持っていたから、今のこの状況を受けてどんな反応をしているのか少しだけ気になったのだ。

 ……二人の顔色はそれほど変わっておらず、澪標に関してはこちらに気付いて微笑みを返す余裕もあるくらいだった。

 

「それから、一度の殺人で三人より多く殺すことは禁止されている……誰か一人の手によってあまりに人が死に過ぎるのも考えものだからね。だからね、諸君。今この場で全員を殺して、それで合格ということにはならないのだよ」

 

 神座はまだなにかを話そうとしていたが……このように横暴な話を黙って聞いていられるほど思春期の彼らは従順であることができるはずもなく、そこかしこから不平不満の声が溢れていた。さきほどの男子生徒ほど苛烈を極めるわけではなかったが、しかし言葉を用いた反対意見が多く見られた。

 殺し合いなんてしない。

 早く家に帰してくれ。

 ふざけたことをぬかすな。

 その言葉一つ一つを切り抜いてみるとまるで子供の駄々のようだが、状況が状況なだけにそうやって卑下することもできない。わがままの一つや二つも出るだろう。なんたって、人殺しを強要させられそうになっているというのだから。

 だが抗議の声を上げるのに、彼らは遅すぎた。するならもっと早く──なんなら、推薦状が届いた時点でそれを破り捨てておくべきだったのだ。

 

 半数が抗議する中、もう半数は静観を保っていた。雲隠や澪標、待雪もその中の一人であったが、待雪に限って言えば「どうするべきか分からなかった」というのが素直な心情であった。

 荒れ行く体育館の中で、待雪は訳も分からずにただ立ち尽くしていた。それを見て澪標は「冷静なのね、薫さんは」と声をかけてきた。

 

「いえっ……まだ、状況がうまく飲み込めていないだけなんです」

「そう。でも、私もよく分かっていないし、仕方がないことだと思うわよ。殺し合い……私たちの反応を見たいがための嘘にしたって、もう少しマシな嘘もあるでしょうに」

「なるほどっ……」

「──ッ」

 

 訳も分からないままに頷いていると、突如、鼓膜を引っ掻くような大きな破裂音が体育館に響いた。ビリビリとした空気が頬を撫で、雷撃にも似た痺れが耳奥を貫いた。

 

「……っ」

 

 直後漂ってきた火薬の匂いを嗅ぎ、待雪は状況をすぐさま理解できた。神座を護衛していた軍人が発砲したのだ。銃声とは日常生活を送っていればまず聞くことのない音だ。それは実に非日常な存在であり、いうなれば殺し合いという非日常な事柄を待雪らに理解させるには十分過ぎるほどに適した材料でもある。

 それを行使され、初めて彼らは死を身近に感じることができた。あるいは、強制的に感じさせられることになったのだ。

 放たれた弾丸は誰にもあたることはなく、体育館の床に焦げ跡を残すだけだったが、だがそれで十分だった。

 銃声の後は、誰も声を出さなかった。耳に残響する銃声が、鼻腔を刺激する火薬の匂いが、死の恐怖を色濃く演出していたからだ。

 超高校級と呼ばれるまでに至った賢い彼らだからこそ、今この場で前に出ることは得策ではないと分かっていたのだ。だからこそ、みな押し黙った。

 

「……諸君は希望だ。この日が昇る国において、希望の象徴に成りゆく諸君を、無駄に死なせたくはない」

「…………」

 

 まるで矛盾している。聞いていて吐き気がするような言葉だった。人殺しを強要しておいて、今度は無駄に死なせたくはないと老人は言うのだから……偽善やら悪徳を通り越して、それは反吐が出そうな邪悪に思えた。

 殺し合いというものが、この老人にとっては実に有意義で高尚な存在であるかのように感ぜられて、その狂気さに当てられてか待雪は酷く寒気を感じた。待雪にとっては、匂わなくてもあの老人の危険性が理解できた。彼女の経験上、頭のおかしな奴はああいうことを平気で言ったりしたりするからだ。

 

 とんと静まりかえった体育館の中で、神座は軽く咳をしてから話を再開した。

 

「……諸君も気になっているであろうその首輪とトランクだが」

 

 じろりと、神座はこちらを向いた。

 不意に意識させられる。彼らに命を握られていることを、明確に認識せざるを得なくなる。

 ふと指で首輪に触れてしまった。

 

「首輪とトランクは、乱暴に扱うことはもちろん、コードを切断したり無理に外そうとした場合であっても爆発することになっている」

 

 爆発という言葉に、妙な真実味を感じた。神座という男ならやりかねないと、思ってしまうのだ。そう思ってしまっただけで、既に彼らは敗北していた。

 たとえ小さな爆発であっても、こうも頭に近しいところで起爆したのなら否応なしに死んでしまうだろうことは明らかだった。この首輪は自らの命と触れ合っているのだと考えると、得体の知れないことに対する恐れが形を持って現れ始めた。それらはすべて妄想に過ぎない。だが、神座という男の言葉は嫌でも信じてしまう。つい、想像してしまうのだ。

 首輪による閉塞感が、そのまま命を握られる緊張感へと移ろい、嫌な汗が背中に滲んだ。

 

「その大きなトランクにはバッテリーが入っている。生憎、今の技術ではそう電源が長持ちしなくてね……毎晩交換しなければいけないから、夜時間になったら体育館に来たまえ。……来なくても構わないが、エネルギーの残量がなくなってしまった時点で爆発だがね」

 

 トランクに秘められた機構はバッテリーだけということもなさそうだったが、神座はそれ以上トランクについて言及することはなかった。

 

「さて、この生活においての詳しい説明は生徒手帳に記載された校則に記されてある。生徒手帳は諸君に用意した個室に置いてある故、各自必ず目を通しておくように。……それから、まだ時間ではないのだが食堂は既に解放されている。十分に腹を満たすといい」

 

 そう言い残し、神座は去って行く。

 銃口を突きつけられてもなお、その後を追おうとする者はいなかった。

 それを誰も、臆病者とは呼べない。

 コロシアイ生活。

 待雪には、生き残れる自信などは、正直なところなかった。




【章題解説】
『火種蒔く人』
 元ネタは、反戦平和・人道主義的革新思想を基調として大正十年から大正十二年にかけて発行された同人雑誌、『種蒔く人』。
 『種蒔く人』というタイトルに込められた意味は様々だろうが、だが多くの解釈に共通するものは、対象となる人の心にきっかけを与えるというものだ。
 きっかけ。それを未来への希望と捉えるもよし、また問題の火種と考えても良い。ちなみに大正弾丸論破本編では後者の解釈を採用している。
 故に『火種蒔く人』。
 本編の始まりを飾るプロローグに相応しい章題になったと個人的に満足しています。


【神座出流】
 原作に出てきた神座出流その人。
 あの肖像画がいつ描かれたのかを明確に記載した描写は原作にはなかったので、本編では希望ヶ峰学園創立当初に描かれたものと仮定しています。ほとんど原作では語られることのなかった人物のため、本編においては半オリキャラ化している。
 ちなみにこの方は希望ヶ峰学園()()()。決して学園長ではない。後世においても創立者として名を残しているあたり、学園長は他にいたと思われる。


【希望ヶ峰学園】
 78期生の苗木が入学前の事前準備として開いていた掲示板の日付は2010年のため、毎年新入生が入っていたと仮定すれば、どう見積もっても本編の年代設定(1926)には届かない。……ので、時系列的にこの話は破綻している。(単純計算で[1926+78=2004]と、2010年には6年足りない)
 じゃあこの作品は設定からして間違えているのかというと、そうでもなさそう。完全なこじつけだが、1926年以降、日本は戦争に大きく巻き込まれる時代に突入したことや、戦後においても日本は色々あったため、止むを得ず学園を閉ざすといったこともあったのではないだろうかと考えている。それに毎年毎年そう都合よく超高校級の才能を持つ人材を見つけられるとも限らないので、そういった理由でも、案外希望ヶ峰学園は人員の募集を途切れ途切れに行なっていた可能性は高い(同じ78期生でも高校一年生から高校二年生までいるし、ひょっとしたら三年くらいの周期で集めてたりするかも)。
 なのでなにもおかしなことはない! 以上!
 ちなみに本編に登場する青少年らは、みな希望ヶ峰学園一期生である。

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