大正弾丸論破   作:鹿手袋こはぜ

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008

(なんだろう、これ)

 

 待雪は眠気の残る目を擦りながら毛布に包まった。暖房のない部屋は恐ろしく寒いのだが、こうして分厚い布を被ると外気の寒さは感じなくなった。それでも末端は冷える。足先まで布で包んでいないと凍えてしまいそうなほどだったから、いそいそと枕元に置いてあった靴下を履いた。

 

 窓を見上げれば外はまだ暗い。普段これほど早い時間に目覚めることはないので、待雪は目覚めた理由があるのだろうかと辺りを見渡した。伴って思い出されたのは数日前の出来事であった。あの日も、こんな風に目が覚めて、それで██を見つけた。

 無関心ばかりが心を占め、次に面倒だな、という感情が起こった。それからようやく人間らしい不思議だという気持ちを抱いた。物音がしたわけでもなく、異臭がするわけでもない。ただ目が覚めた──それが不思議だった。

 

 真っ暗な部屋の中で身じろぎする。机に置かれたランプを手に取り、そこに火をつけた。明かりに照らされ部屋の中の様子が鮮明に映し出される。てっきり死体でもあるのではないかと寝惚けた頭で考えていたからか、常と変わらぬ部屋内の様子に拍子抜けしたみたく待雪は顔を顰めた。

 

 とはいえランプの灯りでは見える範囲に限界がある。もう少しあたりを見渡すと、一つの異物を見つけた。彼女の視線は玄関口の方に注がれており、一足しか靴がない寂しい空間に一つの封筒が落ちていた。見覚えはなく、夜寝る前にも見なかった。

 

(変なの)

 

 とはいえこの島を取り巻く環境は特殊である。なにが起きても不思議ではないし、必然この手紙だって決して平穏な内容ではないのだろう。待雪は寒さもあってかノロノロとベッドを降りては牛歩で玄関口に向かった。

 なんとも緩慢な動きで封筒を拾い上げる。とっくに眠気から覚めていたが、物音を立てぬよう彼女はゆっくり動いていた。手に取った封筒は飾り気のない質素なものだった。宛名はおろか差出人の名前すらない。ベッドに戻った待雪はトランクからペーパーナイフを取り出し、慣れた手つきで封を切った。

 

 封筒が質素なら便箋もまた質素である。なんの柄もない便箋からはほのかに消毒液の匂いがした。

 

 不思議に思いつつも、待雪は薄明かりの中で文章に目を通す。そこにはほんの数行の前置きと共にこんなことが書かれてあった。内容を要約するとこうなる。

『本日。日の沈む頃、玄関ホールにて待つ』

 と。

 

(「次に日の沈む頃」……というと夜五時くらいかな)

 

 眠るとき、この手紙はなかった。つまり「本日」とやらが実は昨日だったなんてことはないだろう。

 

 待雪は便箋にもう一度目を通した。しかし、なぜわざわざ玄関ホールに……? 話がしたいのなら直接話をすれば良いのに、そうでなく手紙を用いて呼び出すということは他に内緒で会いたいのだろう。だとするなら、人気のない場所が適切なはずだ。そういった仮定に則ると、玄関ホールという場所は不適切と言う他ない。

 なんたって玄関ホールは様々な場所と場所とを繋ぐ中心部である。寄宿舎であれ食堂であれ倉庫であれ、他の場所に移ろうとするならまず玄関ホールに出る。この島においてもっとも密談に相応しくない場所とも言えるだろう。

 

(変なの)

 

 差出人の名前も見当たらない。待雪は不可思議な感情を抱いたまま、もう一度眠ろうとベッドの中に潜り込んだ。

 

 

 

 2

 

 

 

「というわけで、今夜の夕食なにが良いですか?」

「うぅん、そう言われましてもねぇ……待雪さんの料理は本当に美味しくって、私自身お昼も夕飯も続けてあなたの作る料理を食べられるのだと思うと今の不幸せな環境を忘れてしまえるほどに幸せな心地ではあるのですが……夕食、ですかぁ? ご飯食べたばっかりなので、いかんせん食欲がなく想像もつかないですねえ」

 

 珍しく真っ当な意見を出す壱目に対し、待雪は困ったように「はあ、そうですか」と返した。

 

 なるほど、確かに壱目の言う通り時間帯が悪かったかもしれない。たらふく食べた後に夕食のことを考える食いしん坊はそういない。待雪自身、昨夜思い立ってのことだったので、いかんせん急過ぎただろうかと困ったように頭をかいた。

 そんな彼女と複数人とが朝食後の食堂で話していた。話しの内容は夕飯についてであった。

 

 というのも、昨夜藤袴に話したように待雪は料理の注文制を取ろうかと以前から思案していた。それぞれから食べたいものを注文として受け、朝食や夕飯に提供しようという試みだ。こんなに寂しい島にいるのだから少しくらいは好きなものを食べてほしいという彼女の細やかな優しさから生まれた行動である。

 とはいえ人によって違う料理を作るとなると単純に手間暇がかかる上、仕込みなども必要となってくるため、どれだけ遅くても八時間ほど前には注文を受けておきたいというのが待雪の本音だった。

 

 なので夕飯に間に合わせるには朝食のうちにあれこれ要望を聞いておきたかったわけなのだが、生徒たちの反応はあまり芳しくなかった。

 

「うーむ、僕も今のところこれといったものはなあ……」

 

 と顔を顰めたのは野分であった。腹が空いたら思い浮かぶかもしれないと加えて言ったが、それでは間に合わないのだと説明すると困った顔をした。

 

「昼のうちに考えておくから、明日の朝でも構わないか?」

「それでもまあ、いいですけど」

 

 待雪は伏し目がちに野分を見つめた。すると野分はギョッとしたように肩を竦めて、言い訳をするように言葉を継いだ。

 

「そんな目をするんじゃあない、そんな目を。なにも厄介払いしているわけではないのだからな。むしろ喜んですらいる」

「はぁ、さいですか」

「露骨に機嫌が悪いな、君。……悪いが、これも君の料理を心から好いているからこそなのだ。下手に注文してせっかくの機会を潰すくらいなら、今夜は素直に君の選んだメニューを食べて、明日また好みのものを食べたい」

 

 ある種それは信頼にも似た感情であった。たかが料理の話題だが、されどこの島において今口にした食べ物が最後の食事となりうる場合は十分にあり得る。それを自分で選ぶ権利があるというのに、下手な自分の選択よりかはあなたの判断に委ねると人前で言い切ることは信頼を示すのと同等の意味合いを持っていた。

 全くもって大袈裟な話かもしれないが、料理人である待雪にとってはそれほど大きな意味合いを持つやり取りでもある。だからこそ待雪は残念そうに眉を下げた。

 それに対し、野分は真っ直ぐな目で待雪を見つめながら話した。信頼に満ちた眼差しであった。

 

「というわけでだ。今は朝飯を食べたばかりであるからまだ食事のことは考えられない。昼食や夕食の前ならば腹も空いて案の一つや二つ出てくるだろうから、さすれば伝えよう」

「……先ほども説明しましたが、今お伝えいただけないと今夜の夕食には間に合いませんが……構いませんか?」

「うむ」

 

 こくりと野分は頷いた。待雪は淡々とそれを了承した。

 

「じゃ、私いい?」

 

 声の方を振り向くと東屋がお淑やかに手を上げていた。野分と待雪の会話が終わるのを側で待っていたのだろう、東屋は待ち侘びたような表情で待雪の反応を待っていた。待雪は「は、はい。どうぞ」と彼女に続きを促す。

 

「そうねぇ、食べてみたいものはたくさんあるのだけれど……」

「ワタシ肉! あ、やっぱ魚の煮付け!」

「ちょっ……」

「両方用意しますね」

「僕はやっぱり魚かな!」

「焼きますか? 煮ますか?」

「いまは私が待雪さんと話してる最中なのだけど……!」

 

 慌ただしくそれぞれの意見が飛び交う中、その様子を遠巻きに眺めていた藤袴がやおら立ち上がって待雪にこう告げた。

 

「私はそろそろ鯉口の監視に行かなくてはいけないので。また夕飯どきに会いましょう」

 

 なんともスッキリした表情で言うので、東屋は拍子抜けしたようにこう訊ねた。

 

「あら、藤袴さん。あなたはいいの?」

「ええ。昨夜の内にお願いしてあるので」

「あら……そう」

 

 藤袴は昨夜の夜景のうちに食べたい料理を伝えていた。待雪は頭の中でメニューを誦じながら「美味しく作りますね、フジマカマさん」と答えた。

 

「ええ、今から楽しみです」

 

 藤袴は優しい笑顔を残し、食堂を去って行った。

 

 

 

 3

 

 

 

(もうすぐ夜だな……)

 

 用意も終え、じき夕飯時。窓の外を見ると一面の海が燃えるように赤くなっていて、間もなく日没であることを知らせていた。

 

(日没……約束の時間)

 

 今朝見つけた封筒。その中に入っていた便箋には、日没ごろに玄関ホールへ来るよう書かれてあった。今日一日、それが一体なんの用であったのかを思い悩んでいたのだが、ついぞ答えは見つけられなかった。

 

(そろそろ行きましょうか)

「あら、どこへ行くの?」

 

 夕食の時間が近づいて来たからか、ちょうど食堂にやって来た東屋が待雪に声をかけた。これから夕食だというのに食堂を出ようとする待雪に不審感を抱いたようだった。

 

「……実は、呼び出されていまして」

 

 待雪は懐から取り出した手紙を見せて理由を話した。

 誰かから呼び出されているのだと話すと、東屋は眉根を寄せて考え込み、しっかりとした口調でこう言った。

 

「怪しい。私も一緒に行こうかしら」

「いえいえ、アズマヤさんはここでごゆっくり」

「そうはいかないわ。あなたには料理を提供してもらわなければならないのだから。ただ食堂に座って待っているだけなんて、私嫌よ」

「そ、そうですか……」

 

 こうも強く言われてしまうと待雪はそれ以上強く出られなかった。

 

 玄関ホールに着くと他にも数名と人影が見えた。どうやら話をしているようだが、その会話の内容から察するに彼らもまた手紙で呼ばれた者らしい。中でも椎本とは面識があったので、待雪は軽く会釈をしたのち話しかけた。

 

「シイガモトさん、ちょっといいですか」

「ん、ああ、待雪さん。……ひょっとして君も手紙を?」

「ええ、はい」

 

 言って待雪は懐から例の封筒を取り出した。それを見た椎本は驚いたように目を見張って「同じだ」と呟いた。

 

「なにが同じなんです?」

「封筒がだよ。僕のところにも今朝方同じ封筒が届いていた。ここにいるということは、おそらく内容も同じなんだろうね」

 

 椎本は手に持った封筒を示しながら話した。待雪は彼の話を聞きながら頷き、なるほどと返した。

 

「となると、シイガモトさんたちも呼ばれた側の人間ってことですよね。……この中に手紙を書いた主はいないと」

 

 玄関ホールにいる者たちに呼びかけるようにして語ったが、それに応じる者はいなかった。つまるところ待雪の予想は当たっていた。手紙の差出人は待雪に対して──またこの玄関ホールに集まった幾人かに対し、秘密の話があるわけではないようだ。彼奴は他の目的があり、その目的とやらが待雪らには未だ不透明なままであった。

 

「ハァ……もう良いんじゃないの? 彼らの話を聞くに、どうやら悪戯のようにも思えるし。それより洋服の仕立ての打ち合わせを」

 

 と東屋が言いかけたとき、バンッ、と一つの扉が震えた。倉庫のある棟へと繋がる扉だ。なにか大きなものがぶつかったような音で、玄関ホールにいる者たちの視線は音源に注がれた。

 

「な、なんの音だ」

 

 音がした方を見ると扉越しに何かが見える。なにやら沢山の紙が吹雪のように散っているのがガラス窓から見えた。そして、先ほどよりも小さくはあるが数度扉が震えた。その度に紙が宙を舞った。

 

 なにか異変が起きているらしいことに全員察しがつくも、その異変の正体にまで至った人物はいなかった。だが次の瞬間、その場にいた全員の視線は真の意味で同じものを注視することになった。

 

「!」

 

 ガラス窓の下から現れた黒ずくめの何者かが、その右手をガラス窓にかざす。その手を右から左へ動かすだけで、ガラス窓にはステンドグラスのような鮮やかな赤が彩色された。

 待雪はその色、液体の粘性、そして匂いを瞬時に察知し、それが人の血であることに気がついた。遅れてその場にいる者達も不穏な気配を察する。

 

「マズイ! なんてことだ!」

 

 迷わず椎本が扉に突き進み、それを開けようとした。犯人の確保もそうだが、彼の頭の中には血を噴き出した誰かを救うことで一杯だった。だが、

 

「扉が開かない……! 破るッ」

 

 言いながら椎本はその場から離れる。助走をつけて扉を破ろうとしたのだ。だが東屋がそれを止めた。

 

「待って! さっきのやつが下から出てきたってことは、扉の向かい側に人がいるのかもしれない……!」

「じゃぁ、どうやって」

「ちょうどそこは廊下だから、えっと、側面のガラス窓を破って入りましょう!」

 

 東屋の冷静な指示に従い、椎本は玄関ホールを飛び出した。それに付き添うようにして待雪と東屋も走って行った。残された早乙女は保健委員である野分を探すため他の棟へと走って行った。

 

「よしっ、離れて!」

 

 暗くなると廊下の明かりが良く目立つ。まだ廊下には黒ずくめの何者かが残っており、椎本らの存在に気がついていないようだった。そもそも、どこを向いているのかすら分からぬほどにそいつは黒い。夜の帷に溶け込むような色合いをしていた。

 

 椎本は待雪らに離れるよう言うと、自分もまたガラスで怪我することのないよう服で顔を防護しながら窓ガラスを叩き割った。

 

 さすがにこれには驚いたのか、廊下にいた黒ずくめの者は奥へと走り去っていく。逃すまいと急いだ様子で椎本は外から窓の鍵を開け、続々と中に入って行った。

 

「アッ……! イツメさん……!」

「……!」

 

 さっき開かなかった扉の下では、東屋の予想通り人が倒れていた。それは良く見ると壱目で、辺りに散った紙の束を真っ赤な鮮血で染め上げていた。

 

 椎本はついそちらに駆け寄りそうになるも、次に出た待雪の言葉で引き戻される。

 

「ッ、追いましょう!」

「追うって……えあ、ええ?」

 

 待雪は一瞬の逡巡ののち、犯人が逃げ去った方向へと走って行った。それに二人は驚きながらも、椎本はなんとか東屋にこう言った。

 

「……ッ、僕が彼女に着いて行くから、東屋さんは、壱目さんの様子をッ!」

「よ、様子って……わ、私、医療なんて、てんで」

「血が出てる! 人が、死ぬかもしれないッ!」

 

 これで血が出ているところを押さえて、と椎本は着ていた上着を放り投げ、待雪の後を追った。

 当の待雪は良からぬ雰囲気を感じつつあった。それが彼女の気持ちを急かし、らしくない行動に走らせた。

 

「ダメだっ。良くないっ。嫌な臭いがするっ」

 

 この棟に満ちる死の瘴気に表情を歪ませながらも、待雪は走った。身に合わぬ重さのトランクを抱え、足をふらつかせながらも、その向かう先は一直線であった。

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