大正弾丸論破   作:鹿手袋こはぜ

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「フジバカマさん!」

 

 覚束ない足取りで駆け寄り、彼女の上体を抱き上げる。力なく垂れ下がった腕が覇気のなさを如実に物語っていた。失血による衰弱が既に始まっているらしく、待雪は急いで声を掛けるが期待していた反応は返ってこない……。

 

「血が……どくどくって……」

 

 上擦った声がより悲壮さを演出する。

 生暖かさを感じ掌を見るとそれは真っ赤に染まっていた。藤袴の魂ともいうべきものが太い管から止め処なく流れ出てしまっているような錯覚を覚える。よりいっそう心は急かされ、震えた手で傷口を抑えた。

 

「ああ……!」

 

 止血を試みるが、相反し無情にも血溜まりが足元に広がっていった。根が水を吸うように、待雪のスカートは徐々に赤いシミを広げていった。このままじゃ自分のスカートが彼女のなにもかもを吸い上げてしまいそうに思えて、待雪は思わず立ち上がった。

 パシャリ。ああ、血はもう水溜りのようで──

 

「なにが起こった! ハァっ、患者は!」

 

 遠くから足音を鳴らしてやってきたのは超高校級の保健委員である野分と匂宮だった。騒ぎを聞きつけ急ぎやってきたのだろう、その額には汗が滲んでいた。

 

 彼の声により待雪は冷静を取り戻し、周りを見渡した。藤袴の向かいには篝火が倒れていた。泥のような意識の中から掬い上げた記憶と照らし合わせてみるに、閃光の眩いうちに二人は傷つけられたのだろう。暗い教室の中にはやはり凶刃が息を潜めていたということらしい。

 そう考えると、待雪はようやくその身で恐ろしさを感じた。あの一瞬、誰かが待雪の胸を突き飛ばした──あのとき待雪の前を進んでいたのは藤袴だったから、危険を察知した彼女が咄嗟の判断で救ってくれたのだろうと思った。それがなければ自分のような虚弱体質はあっという間に死んでいただろうとも。

 

(だからって、あなたがこんな傷を負ってしまったら、意味ないじゃないですか……!)

 

 止血をする手に力が篭る。藤袴に対し苛立ちを感じているのではない。ただ己の無力さと、そこはかとない虚しさが辛かった。

 

 以前の夜警で藤袴はこんなことを言っていた。私は人の語る正義に乗り掛かるばかりで、自分自身の正義がないと──けれど待雪を救おうとした咄嗟の行動は、誰がなんと言おうと自己より他者を思う尊い気持ちであると思われた。

 

 だからこそ、待雪は悲しく思った。彼女は元からそうした気持ちを持っていたのに──それをずっと認めないでいたから。この寂しい孤島で彼女が彼女自身を認めてあげられないのなら、一体誰が彼女の心を照らすのか。

 こんな怪我を負う必要はなかったのに──ほんの少しでもその優しさを自分に向けてやればよかったのにと──待雪は悲痛な面持ちで思った。

 

「! 血が……刺されたのか!?」

 

 野分は上着を脱ぎながら「どうなんだ!」とその場にいる者たちへ問いかけた。最初から犯人を追っていた自分が一番詳しいものと思い、待雪は辿々しい口調でそれに答えた。

 

「ふ、フジバカマさんが、お腹を刺されて……! カガリビさんも、腹部を……あとそれと、イツメさんが玄関ホールの方でっ」

「ッ〜〜〜! 多いなッ。ひとまず君たちの様子を見るッ」

 

 言って野分はそばにいた椎本に対し、保健室まで救急キットと消毒液、それから大量のガーゼと包帯を持ってくるよう指示した。

 それから待雪の方に駆け寄ると、脱いだ上着で患部の血を拭いながら藤袴の診察を始めた。

 

「わたしは、なにをしたら……」

「そうだな、君は、二人に声をかけてやってくれ。人は……孤独になると簡単に死んでしまえる。せめて君だけでも側に立ってやってくれ……!」

「ッ、分かりました!」

「匂宮君! 君は応急処置の心得くらいあるだろう! 篝火君の止血を頼むッ」

「! 言われなくてもやってるッ、やってるんだ!」

 

 ふと見れば、確かに匂宮は篝火の止血を行なっていた。己の上着を脱ぎ捨てそれを用いて必死に患部を押さえてあった。だが血はその流れを衰えさせることがない。

 二人が傷つけられたのはほとんど同じ瞬間のはずなのに血溜まりの大きさが異なるように見えた。藤袴の傷も相当なものだが、篝火が負った負傷はより深刻らしい。

 

「藤袴君の傷はそこまで深くない。傷の位置から察するに、骨に当たって刃が深くまでいかなかったのか、あるいはそもそも深くまで刺せない事情があったのか──なんにせよ刃が内臓まで到達することはなかった。ただそれでも危険な状態に変わりはない」

 

 ザッと傷口を見た野分は止血する部位を待雪に伝え、藤袴の体勢を変えた。おそらくその体勢が良いのだろうと、待雪は黙ってそれに従った。

 そうして野分は次に篝火の方へと移った。篝火の元に広がる血溜まりは随分と大きなものになっていた。止血が意味をなしていない──それほどまでに深い傷。野分の表情が苦しく歪むのを待雪は背面から察知した。

 

「……酷い有様だ」

 

 それでも慄くことなく野分は検分を行ったが、傷口を見るや唸るような声が漏れ出てきた。

 

「これは……くゥ……」

 

 肩の震える様子が見えた。しばらくの沈黙の間、血と肉とが交わる不気味な音が場を占めた。そして、静謐の中で重苦しく野分の口が開かれた。

 

「……藤袴君の処置を優先する。なるべく傷口を洗い流したい、水を持ってきてくれないか」

「……野分、お前っ」

 

 驚きと苦悩に満ちた表情で匂宮は顔を上げた。

 

「篝火の傷は藤袴のものより深い! 失血の量も比べ物にならない! ……それでも、藤袴を優先するのか!?」

 

 野分は迷いのないそぶりで首を縦に振った。

 

「篝火君は内臓を酷く損傷している。……仮にこの島に手術に必要な設備が整っていたとしても、彼の状態を見るに助かるとは思えない」

「ッ、じゃあ、見捨てるっていうのか! このクソみてえな孤島で死にかけてるコイツを!」

 

 まさしく叫びであった。匂宮だって野分の気持ちは痛いほど理解しているのだろう、だけど彼は理性とは別の熱いところで激烈に人の命を救おうとしていた。だからこそ、大声で怒鳴りつけるように野分に縋った。

 けれど、野分には既に命の分別が付いているようだった。彼とて人である。匂宮のように強い感情を持ち合わせている。だが彼には彼なりの尺度があり、正義があった。

 

「僕は医者だ! 医師免許こそないが、人を救おうという気持ちは強く持っているッ!」

 

 野分は立ち上がっていった。藤袴の元へ移動するためだ。

 匂宮は野分の顔をじっと見上げ、睨みつけた。

 

「篝火君の状態を見た。患部の状態を見るに、内臓が傷ついている。……数時間もすれば内臓は壊死、その前に失血で死ぬ」

「! そんな……そんな馬鹿なことがあるか」

「わずかな延命を行うために、いま確実に救える命を不確かなものにしたくはない! 誰がなんと言おうと僕は藤袴君の治療を優先する」

 

 玄関ホールから水を持ってきた椎本に礼を言うと、早速野分は藤袴へ処置を施し始めた。止血を行いながらも、傷口を清潔に保つためにたっぷりの水を含ませたガーゼで奥まで拭った。そして消毒液を使い本格的に処置を始めた。

 

 その後ろから、篝火を抱えた匂宮が擦り切れた声でこう問いかけた。

 

「じゃぁ、壱目は、どうする」

「…………、運がなかった。実は彼女の様子はここに来るとき診てきた。……彼女は既に失血によるショック症状が出ていた。輸血をしようにもこの島に輸血パックはない。見捨てるしかなかった」

 

 妙に落ち着いた声で野分は話す。ある種、彼は自らの感情を抑圧出来るタイプの人間なのかもしれなかった。彼の心はいま激情で溢れかえっているに違いなかったが、それとは別に存在する心の中の冷たいところが彼の頭を冷酷なほど正常に働かせているのだ。

 

「……なぁ。もし、ここが東京の街中だったなら──こいつらは救えたか? もし刺されたのが一人だけなら、救えたか?」

「ああ、救えた」

 

 野分は淡々と答えた。匂宮はただ一言、「そうか」と返した。

 

「そうだった」

 

 匂宮はひとり呟いた。

 

「地獄はこんなところだった」

 

 野分は手の消毒をしながら、匂宮の独り言に答えた。

 

「ああ……地獄だよ、ここは」

 

 確かにそうかもしれないと待雪は思った。なぜって、ここは地獄とよく似た匂いがしたから。

 蒸せ返るような血の匂い、鼻腔を刺激するケミカルな消毒液の匂い、そしてなにより──死への恐怖や命を見捨てねばならぬ苦しみからなる匂いが、今も待雪の嗅覚を鈍い灰色で覆っていた。

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