パドキア共和国には、標高3000mを越える死火山ククルーマウンテンがあり、デントラ地区の観光名所となっている。
この死火山から麓の樹海までの全てが私有地であり、そのとある場所にゾルディック一族の隠れ家が存在する。
その隠れ家の一室では、ゾルディック家の末っ子であるミルキが自慢げな表情を見せる。
「ヘイト、こっちの方が面白いぞ!」
少年ミルキがゲームを差し出す相手は、母キキョウの姉の息子ヘイトである。
二人が夢中になっているジョイステーションは、子供から大人まで楽しめる隠れゲーが多く、大人気のゲーム機である。
些細な年の差を持つ二人の共通の趣味であり、互いの複雑な家庭事情における心の支えとなっている。
「ミルキ、次はこのゲームやろうぜ!」
ヘイトにとっては未知の技術であり、ミルキにとっては過酷な修行を忘れられる休息の一時。
その話題は尽きることなく、いつものようにミルキは鼻の穴を広げる。
「グリードアイランドって最新のゲームがでるらしいぞ。買ったら一緒にやろうぜ!」
「どうせ、ミルキの得意なゲームなんだろ?」
「いや、噂だとハンティングゲームって話だぜ。オレ達には合ってるだろ?」
ミルキはヘイトに対し何時になく笑顔で答える。
部屋にノックの音が響くとミルキの表情は消え、ゾルディック家に仕える大柄の老婆が姿を見せる。
「ヘイトちゃん、奥様がお呼びです。応接室までお越し下さいませ」
「はい、ツボネさん」
丁寧なお辞儀を済ませた執事ツボネは多くの皺の刻まれた顔で笑顔をつくる。
「ヘイト、戻ってきたら続きをやろう」
ヘイトは部屋を出ると無駄に長く続く回廊を進む。視線は自然と執事ツボネの足に向けられていた。
一切の無駄のない動きは鍛錬の賜物であり他者とは明らかに違う。子供ながらに真似してみるが床の軋む音が木霊する。
ゾルディック家の廊下には見渡す限りの豪華な調度品や絵が飾られている。
これは鑑賞というより物色に近い。
空から落ちてきた物だけを拾う住人としては、この場所は別世界のようであり、売れば幾らになるかと不粋な考えを巡らせてしまう。
「応接室って、そのカッコいい扉だよね?」
執事ツボネは軽く頷くとその扉の前で一歩身を引く。
見事なまでに金細工が施された扉。無駄に重いドアノブを回し、中に入ると簡単な挨拶を済ませる。
「あれ、キキョウ伯母さんはいつもの着物じゃないんだね」
そこではヘイトの母リキョウが既に待機しており、向かい合うようにミルキの両親がソファーに座っている。
キキョウは機械の単眼を動かし笑みを浮かべる。ヘイトは珍しく思いつつもあることに気付く。
「あ、お腹大きいね!」
「ええ、ミルキに弟ができるのよ。名前はキルアよ」
「キルア……ミルキの血の繋がった兄弟か、いいね」
ヘイトにとって兄弟とは最も身近な言葉である。
一人っ子ではあるが血の繋がらない兄弟は多い。仕事で顔を合わせる仲だが、ひとつ屋根の下で暮らすことはない。
「ヘイト、こっちに来て座りなさい。これから大事な話があるから」
ヘイトは軽く頷くとリキョウの手招きに従い柔らかいソファーに腰を掛ける。
向かい合うミルキの父シルバと目が合うも、その表情は何処か地元の大人達のような気難しい顔をしている。
「大事な話って、なに?」
子供ながらに机に置かれたアタッシュケースがその答えなのだろうと察する。中には見たことのない量の札束がギッシリと詰まっている。
「シルバさん、ヘイトと私を殺してください」
リキョウの言葉には確かに魂が込められていた。
あらゆる疑問よりも混乱が先に支配する。嘘ではないその言葉に、ヘイトは感じたことのない負の感情を心に抱く。
その僅かな仕草を感じ取ったのか、キキョウは思わず咳払いをする。
「リキョウ姉さん、訳を聞かせてもらえるかしら?」
ヘイトはシルバを見つめ直すも、獣のような鋭い眼光に圧倒される。
リキョウが“死”を依頼する理由に心当たりはなく、あるとすれば何かの失敗だろう。
裏の世界では珍しいことではない。不始末があれば自分達で跡始末をしなければならないのだ。
「ジン=フリークスというプロハンターに、主人が捕まりました」
英雄とまで呼ばれた親父の失態に衝撃を受ける。
幼いヘイトでも知っている“プロハンター”という重い言葉。裏の者にとっては光と闇のような関係で、捕まればゲームオーバーなのは理解している。
「既に、蜘蛛である私の顔も割り出されているでしょう」
「そう……それがヨシヒロさんの選択なのね。リキョウ姉さんは平気でも、ヘイトちゃんはどうするのよ?」
その姉妹の会話を遮るようにシルバが口を開く。
「分かるように説明しないと可哀そうだろう。ヘイト、これは仕事ではないから安心しなさい」
ヘイトは生まれて初めてシルバの和らいだ顔を見る。
キキョウは用意していた誓約書を渡すと、リキョウはためらうことなくスラスラとサインをする。
話についていけないヘイトだが、この契約が別の意思で動いていると確信する。
母の性格もといあの場所の住人なら、ジン=フリークスというプロハンターを自ら死んだとしても復讐しに行くからだ。
ゾルディック家との取引はあっさりと終わり、確認を済ませたリキョウはヘイトの顔をじっと見つめる。
「長老達の後始末はこれで終わり。ヘイト、これからはオードブルの姓になるからね」
「トガシじゃなくて、オードブル……?」
リキョウとキキョウの血筋はプロハンターで有名なオードブル家である。その当主であるリンネ=オードブルはヘイトの高祖母にあたるのだ。
「では、交渉成立で。ヘイト、直ぐに出るわよ」
たった今、ゾルディック家との契約により、ヘイト=トガシという人間は表世界から殺された。
念のためにと、ごみ拾いの住人ですらなくなった存在は、ジャポンにある隠家で暮らすことになった――。
時は経ち、ヘイトは十二歳を迎える。
暗殺者としては一人前と認められるまでに成長をした。自信を手に入れてもリキョウからすれば子供でしかない。
「ヘイト、ゾルディックのお手伝いをしながらしっかりと勉強しなさい。ミルキちゃんとは相棒なんだから、喧嘩しないで仲良くやるのよ?」
「分かってるよ、母さん。戦闘経験はミルキよりもあるし心配しないでよ」
「お金は節約しながら使うのよ? 栄養のあるものをしっかりと食べなさい。勝てない相手には決して挑んではだめ、勝てると思える相手にだけ挑みなさい。いいわね?」
「はいはい、母さんも元気でね。長老達にもよろしく」
情けは隙を生む、油断は死に直結する。
これは暗殺者として必要な心構え。その教えはヘイトの心に深く刻まれている。
動物を飼っては殺し、また別の動物を飼っては殺す。仕事でも人を殺し、それが虫かと思うほどに“死”の抵抗を減らす。
「ミケは元気かな」
ただ変わらないものもある。
ミルキと一緒に見つけた小さな魔獣。ゾルディック家でも同じような訓練をしているのなら、ミケはもうこの世にいないのかもしれない。
死の抵抗はなくなっても、心の奥底にある感情はなくならない。
ヘイトは一人になってから考えることが多くなった。
リキョウが去ってから数日後、ギシギシと軋む音が辺りに響く。
「地震か、大きいな」
その強い揺れは倒壊を想像させるには十分だった。
ジャポンで地震は珍しくはない。地震を知らなかったヘイトでも今ではすっかりと慣れている。
とはいえ、数十年に一度の規模では動揺を隠しきれない。
「さすがはオードブル家だな。こんなボロ家、普通なら倒壊してるだろ」
ヘイトは被害を確認するため部屋を見て回る。
家具や物を最低限にしているためか目立った被害はない。和室にある掛け軸は今だにゆらゆらと揺れている。
一歩部屋に踏み入れると、そこで地震とは別の違和感に気付く。
「この感じは、念か」
【念】とは他者が創り出した意思の塊。
足に纏わりつくような不快感を感じ取るとヘイトは畳をめくる。そこには一部の者しか知らない文字が床一面に隙間なく並んでいる。
「神字が何でここに? 母さんの……」
【神字】は念の補助する役割を持つ。逆に言えば、この場所は念に関する何かの役割を果たしているということになる。
真っ先に思い浮かぶのは、このボロ家の倒壊を防ぐための念。
「いや、それなら柱にも神字が刻まれてるはず。和室の床下という限定した場所」
地震の影響だろうか。亀裂により破損している幾つかの神字を見つける。
「……これは、隠し扉か」
床下から僅かな風が抜ける。
回転する床板から現れる階段。隠家に移り住んでから五年もの間、リキョウですら気が付かなかった隠し通路。
ヘイトは懐中電灯を手に奥へと進んでいく。
最奥までは短いものの、通路の壁面には同じ模様の神字がびっしりと刻まれている。
「ここで行き止まりか。神字で描かれている扉――」
その扉の前に立った瞬間だった。
ヘイトはすぐさま背に隠していたナイフを取り出し、姿勢を低くして背後を確認する。
「トラップか」
ヘイトは気付けば異質な【念空間】に飛ばされていた。
転がった懐中電灯が周囲を照らすも薄暗い空間がただ広がっている。この念空間を創った存在はそうとう歪んだ感性を持っているらしい。
「あれは……」
暗闇で何かが蠢いている。
感じたことのない体が萎縮する程の強い念。不気味なオーラの主が誰であるのかはすぐに理解できた。
細めた目の先に黒いナニカが蹲っている。
形状は定まっておらず、ガス状のような塊と手足があるようにも見える。膝下程の大きさの未知の存在。
恐らくは念で創られたもの。トラップの可能性が高い以上は、反応をせずに様子を見るしかない。
「ァィ……」
黒いナニカからのか細い声に脅威は感じない。威嚇する余力がない程に衰弱した状態なのか。
衰弱した念獣という疑問を抱いた瞬間にそれは起こる。
「な、消えた――ッ!?」
何かの条件を満たしたのか。
暗闇とはいえ目を離したつもりはない。念獣ならば侵入者への攻撃だろう。
ヘイトは自身の体を調べるも特に異変は感じられない。先に考えるべきは念空間の特性。
「攻撃性がないとなると幽閉が目的か」
この念空間には光すらまともにイメージがされていない。アクションは消えた念獣だけ。
「これが何かの暗示なら鍵になるようなものがあるかもしれない」
念で絶対なるものは創れない、入口があるなら対である出口も存在する。でなければ、矛盾する念空間は不完全となり維持はできない。
念獣が消えてからどのくらいの時間が経ったのか。
「何の示唆もないということは、強制退出の可能性が高いな」
出口の条件が分からない以上は長期拘束も覚悟しなければならない。
パキッと、何かを踏みつけたヘイトは足元を見る。
「ゴキブリの死骸――ッ!?」
この念空間に絶対にあってはならないもの。なぜなら出口の条件はなく、死んでも出ることが出来ないという事だからだ。
「いや、人間以外も念の対象にしたのは不自然すぎる、別のパターンも考えられるか。もし、出口があの場所と同じなら……」
メビウスの輪のような強制転移を利用した念空間に引き戻す仕組みも考えられる。結論、ヘイトは虫の死骸を常に身に着けることを選ぶ。
「消えた念獣は結局、何だったんだ? さすがにゴキブリの死念ではないよな」
念空間から外にいる念能力者を殺すことは恐らくは不可能。
対策は当然するだろうし、異質さを考えれば念能力者が既に死んでいる可能性もある。
「さすがに、それは思考から除外するか」
分かっている事は地雷型の封印トラップ。最低でも5年以上は念で維持がされている。
長期的な維持が目的なのは明白。これが数十年単位ともなればどれ程のオーラが必要なのか分からない。
「飯食いかけだったし……腹減ってきたな。まだ頭が回るうちに相手の思考を読むか」
念は念能力者の強い意思で創られる。
つまり、何かしらの強固な目的が存在するはず。無駄な能力を創る念能力者はまずいない。
「普通に考えれば、謎の黒い生物を閉じ込めておくためのものか。設置場所は床下……これが討伐型のトラップなら敵対するような誘導があるはず、だよな?」
ヘイトの推測は正しかった。
どちらにせよ第一目的が閉じ込めなら、簡単には脱出はできないだろう。
「食べ物も水もなし、まともな思考は三日がいいところか」
ヘイトは具現化系能力者である。脱出をするための新しい念能力を創る発想は悪くないだろう。
水や食べ物を具現化したところでオーラが減るだけで脱出は不可能。では、今から似たような念空間を創り出し家に出口を繋げるのはどうか。
そんな複雑な発を一からイメージして作り上げるなんて、とてもじゃないが間に合わない。
「ぶち壊すってのは……さすがに期待はできないよな」
だが物は試し、体感で十時間程だろうか。
一通りの破壊を試したが当然効果は得られない。今の行動が正しいかも分からない状況。
残された選択は自死か念能力者からの解放を願うくらいだろう。
「これが夢で、起きたらミルキの腹の上ってことも? さすがに現実逃避か……落ち着け、焦るにはまだ早い。時間はあるんだ、座禅でもして落ち着こう」
ヘイトは瞑想を始めると胸に柵のような闇を見つける。
『アイ?』
「うわッ!」
目を閉じ再び意識を集中すると何かがいる。謎の黒い生物は手足を生やして心の中を自由に走り回っている。
『アイ、アイ!』
違和感があるとすればこの状況には無駄が多すぎることか。世の中には侵入者を始末する良い方法が多くある。
「まてよ……」
このふざけた謎の生物にも同じことが言えるはずだ。
つまり、殺すことができないから閉じ込めた、が正解なきがする。
「少なくとも、何もない空間でこの生物は5年以上も生きている……ん、俺が餌になったってことか?」
結局のところ、ヘイトは何も解決策を見出せずに寝ることにする。
『アイ、アイ、アイ! アイ、アイ!!』
「うるせェー!! 何でミルキじゃなくて俺なんだよ!! どうみても、あいつの方が餌だろ!!!」
それなりにジタバタしてみるも頭に響く謎の生物の雑音で全然寝ることが出来ない。
心の中で永遠と“アイ”と連呼し続ける謎の生物。言葉は通じないし困ったものである。
『アイ?』
「あいあい」
『アイアイアイ』
「あいあいあいあい!!」
『アイアイアイアイアイ!!!』
ヘイトは強弱をつけながら適当に返事をする。
これなら謎の黒い生物にもやり取りが出来ていないこと伝わるはずである。要は察しろということ。
『アイ?』
「だめだこいつ……早く何とかしないと」
貴重な残されたタイムリミットも半分は消費しただろうか。
「ミルキと最後にやったゲームは何だったっけ。大乱闘か、いやレトロゲームだったような気もする。まじで、不健康デブより先に死ぬのが心残りだ」
ヘイトの頭に浮かぶのは勝ち誇ったブヒッと笑うミルキの醜い顔。
心の中では謎の黒い生物は今日も変わらずアイと連呼している。
「せめて、ジャポン語で話せよッ!!」
『魂、魂』
「え?」
『魂、魂魂』
「ん、意思を理解したのか? 魂ってなんだ」
魂を探しているのか、それとも魂を要求しているのか。意思を理解できるのなら試せることは広がる。
ヘイトは心の中の黒い謎の生物に語りかけるように意思を送る。
『俺はヘイト=オードブルだ。ヘイトって呼んでくれ』
『ヘイト、魂』
『お前の名前はあるのか?』
『ヘイト、魂』
黒い謎の生物とのやり取りで分かった事。それは理解できない言葉もあるということ。
ヘイトは謎の生物の名前を考える。この生物の印象は一つ、永遠と連呼していた言葉である。
『これから、お前はアイだ。俺は、アイと呼ぶから、いいな?』
『アイ』
『俺はヘイト、お前はアイ。分かったか?』
『アイ、ヘイト、魂』
「魂、大好きっ子かよッ!」
少なくとも意思は理解できている。言葉も増えているということは人間と同じ学習能力があるという事。
ならば、この謎の黒い生物にひたすらに学習をさせるだけである。
「アイ、分かったか?」
『アイ』
残された僅かな生存時間。これは一か八かの賭け。
ヘイトは頭の中で物と言葉を思い浮かべる。それをアイに話しかけ意味や意思を伝える。
勉強のおかげかヘイトはアイと会話ができるようになった。
『ヘイト、たべもの。アイ、魂すき』
「アイ、魂はここにはないんだ。俺は魂を知らないし見たこともない」
『人間、魂もってる。人間の魂すき。人間、死ぬと魂。アイのたべもの魂』
「こいつ、死神かよ」
ヘイトは謎の生物の生態を少しずつ理解していく。
『アイ、ヘイトすき。ヘイトの魂いらない』
「人間から魂がでるなら、外にさえ出ればあげることはできる。でも、ここからでられないんだ」
『ヘイトこまってる、いや。アイ、しんぱい』
「心配は別にいらない。死んだら俺の魂でも食べてくれ。どうせ、もっても後一日くらいだろうしな」
『ヘイトの死、アイの死。魂いっしょ』
「依代……運命共同体ってことか。なら、アイのためにも脱出しないとだな」
一筋の光と現実の狭間で揺れ動く。ここは特殊な念空間で強固な神字が施されている。簡単に出ることはできない。
「頑張って“一緒にここからでよう”な」
『アイ!』
小さな願いと共に意識が奪われていく感覚に陥る。ヘイトの思考は黒く埋め尽くされ、ついに限界がきたのかと悟る。
「――と、たま……を」
薄っすらと目を開ける。
闇と光、窓から差し込む明かりと見慣れた和室。まるであの時間が嘘だったかのように――。
「脱――、出来……ぞ」
ヘイトは声がかすれていた事に初めて気付く。
伯母のキキョウにお願いすれば暗殺の依頼くらいは貰えるだろう。
『アイ』
魂を求める謎の黒い生物アイ。
これから始まるのは共存体となったヘイトとアイの魂を求めた欲望劇である。
読んでくれてありがとうございました。