純粋な感情は生まれた時から心の奥底に存在している。魂に刻まれた意思であり感謝よりも遥かに純粋なもの。
人間の象徴ともいえる憎悪という感情は、黒い霧と反応し純黒なオーラを創り出す。
ヘイトは受験者に手を向けると全てを吸い込みそうな純黒なオーラは静かに放つ。
ここは暗黒大陸と何ら変わらない環境。厄災がいて人間がいる。
ドサッ、ドサッ――。
ミュヘルは後ろを振り向き迫りくる暗闇を見てしまう。
何故か自然と笑みがこぼれ、自身が追い求めていた欲望が顔を覗かせる。
ハンターが未知なるものを求めるように、傭兵にも追い求めるものがあった。
――これが死なのか。
戦争孤児であるが故に生まれてしまった特殊な性癖。
その現実逃避は過酷な子供時代を過ごしたミュヘルにとっての生きた証。
戦争のない世界は退屈で生きていくだけの日々が苦痛で耐えられなかった。その抜け出したいという強い感情が生み出した歪み。
ミュヘルは刺激的なものを常に求めていた――。
“人間は極限状態の中で何が見えるのか”
もしかしたら別の世界が見えるのではないか。
そんな妄想に取りつかれたミュヘルは気が付けば傭兵になっていた。
刺激を求めて恐怖を味わう。飛び交う銃弾による偶然的な死はミュヘルを心の底から奮起させた。
しかし、念を身につけてからというもの、求めていたものは遠のいていった……。
――この霧の向こうに、オレの求めるものが!!
肉体に精神、その全てが研ぎ澄まされた時に人間はどうなるのか。その時に見える世界はどんな景色を見せてくれるのか。
ミュヘルは極限状態に到達しようとしていた。
しかしミュヘルはこの世界に順応しすぎてしまっていた。見た景色は仁慈と欲望、その混ざり合った感情が幻想を見せる。
――戦争孤児か。
この子供も精神が壊れかけている。
戦争の犠牲になるのは民間人で身勝手に生み出された憎悪に晒される。
「――安心しろ。この争いはオレ達“石壁”がすぐに終わらせてやる、それまでの辛抱だ」
ミュヘルは少年を優しく包み込む。この少年の心を壊すわけにはいかない、絶対に――。
ヘイトの純黒なオーラに晒された受験者達。叫び声と共に陣形は十秒と経たず崩れ去る。
泡を吹き倒れている者や鼓動を止めた者もいた。そんな中でまともに意識を保っていたのは陣形の中心にいたキルアだった。
――あと何秒だ、あと何秒で試験は終わる……。
笑いながら涙を流すキルアをミュヘルは優しく抱きしめ足を震わせている。
ミュヘルの温もりはキルアにとって初めて他人の愛を感じ取った瞬間だった。
「……大丈夫だ、すぐに戦争は終わる」
覆いかぶさるだけの壊れたミュヘルを辛うじて支えているキルア。
二人の堅はヘイトの憎悪に侵食されていく。
ミュヘルの目に光はなく本能が魂を燃やし無理やり堅を維持している状態だった。
キルアはただじっとすることしかできない。
感情をコントロールできないキルアがミュヘルを覆うだけの堅を維持できるはずもなく――。
――はやく終われ……。終われ、終われ、終われ、終われェェェ!!!
フッと、一瞬だがキルアの体が軽くなる。
ズンッ――!!
身体に伸し掛かる重み、ミュヘルの体はキルアからすり抜けるように地面に流れ落ちる。
キルアにとって初めて愛を感じた人間の死は冷静という心のブレーキを外すには十分だった。
――絶対に殺してやる!!
奥底に眠る欲望が刺激された影響か。
逆立つ髪のキルアは二次試験が終わったことにも気付かず、怒り狂う雷狼となりヘイトに襲い掛かった。
疾風迅雷、耐性ある電気とオーラを使ったキルアの発。相手の動きとオーラに合わせて勝手に身体が反応する神速技。
「殺す」
「ほへっ!?」
合格を告げようとしたヘイトの顔に蹴りがクリーンヒットする。
キルアの身体は目の前にいる敵を殺すためにオーラが尽きるまで動き続けた。
――たったの5秒。
それがキルアに残されたオーラの限界だった。その憎悪に満ちたキルアの渾身の攻撃はたしかにヘイトに届いていた。
「――痛ッ、首が飛んだかと思ったわ」
力なく崩れ落ちるキルア。その一部始終を見ていたボトバイ=ギガンテはヘイトの前に立ちふさがる。
「お主は私利私欲で動くテロリストと同じ。他の者が許してもワシは許さん!」
「まだ試験中なんですが……他の方達も同じですか?」
ボトバイの他にサイユウ、ミザイストムが姿を見せる。
ヘイトと知り合いであるミザイストムも敵視しているかのように黄色のカードを提示している。
「ヘイト、これは警告だ。何故こんな試験をしたのか答えろ、偽りがある場合はお前を拘束する。暴力行為も一切認めない!」
十二支んにとって一番知りたいのは理由。
ネテロ会長が推薦した人物であるのは分かっている。だが念を使った殺戮の理由が分からないのだ。
「それじゃ、こちらも警告です。攻撃をしたら敵と見なして殺します。アイ、こいつらが攻撃したら喰っていいぞ」
「あいあい!」
人間ではない黒い人の形をした存在がそこにはいた。
見た目は10代半ばの少女、オーラのように揺らめく長い髪に僅かに緑がかった黒色の肌。
「自己顕示欲の塊だな」
対立する二つの意思。
ここで止めなければ4年前と同じことが起きる、そう確信したジンは緊迫した場に割って入る。
自身の目標と同じであったからこそネテロの思惑が理解できた。
「ヘイト、ネテロの目的は暗黒大陸だろ?」
「ですね」
「――いいか、お前らもう一度よく考えろ。それでも気にくわねェってんならオレが相手になってやる。お前らに地獄を見せるわけにはいかねェからな!」
ジンの説得は十二支んにとって非現実的な話。
この場にいる十二支んの中でネテロ会長と同じ意思を持った者はいるのか。
理解を示したのは意外な人物だった――。
「ジン、てめーが操作されてんのかって思ったがネテロ会長の行動を考えれば納得はできる。まあ、嘘なら後でフルボッコにするだけだ!」
サイユウは武器をしまい飛行船に戻っていく。
この場に残ったボトバイとミザイストムはどんな理由があろうとも念を使った犯罪は見過ごすことができなかった。
「合格、おめでとうございます」
ヘイトの言葉で死んだはずの受験者達は起き上がる。
涙を流し生を実感する様は操作の類ではないことはすぐに理解できた。
「……そんな馬鹿なことが!」
ヘイトは責める理由を失ったボトバイとミザイストムの前を横切ると意識のないキルアの前に座る。
「本来なら試験官への意図的な攻撃は失格の対象になるが、合格した後だし許してやるか。さてと――」
マジックで協調されたまつ毛と猫の髭を書き込まれたキルアは健全な状態で戻される。
「まだ理由は必要か?」
中立の立場であるジンから見てもここが落としどころだろうと説得にあたる。
ジンの問いかけに黙ってミザイストムは背を向けるが――。
「納得いかぬ……そんな力、死者への冒涜ではないか――ッ!!」
ブシュッ!! ミザイストムの背中に大量の血しぶきが飛ぶ。
背筋に感じる恐怖で何が起きたのかは察知できた。しかし本能が振り向くことを強く拒んだ。
ジンは静かなため息をしたあと諦めの色を浮かべる。
「それでは、自分は残りの仕事に戻るので」
頭のなくなったボトバイ=ギガンテはゆっくりと倒れこむように崩れ落ちる。
アイは後始末をするようにボトバイの身体を捩じるように圧縮していく。そして他者には見えない魂を静かに飲み込んだ。
岩陰から一部始終を見ていた受験者であるトンパは脱兎のごとく走り出した。
「――冗談じゃねェ!! なんだ……毒ガスか何かか、それに最後のやつは小型の爆弾か? あの試験官、平然と頭を吹っ飛ばしたぞ!!」
トンパはキルアが毒の耐性があることを覚えていた。受験者達の様子を見てもそれに類似した症状。
「さっさと離脱した方がよさそうだな」
長年のハンター試験の経験が告げていた。
収まることのない胸騒ぎ、ほんの様子を伺うつもりがとんでもないものを目にしてしまった。
「……チッ、泥濘んでやがる」
遅れてスタートしたトンパに焦りが見える。
樹海の木は想像以上に湿気と水滴を纏っており飛び移るのも困難だった。
「――クソッ、ついてないぜ!!」
どちらにしても時間がかかりすぎる。
制限時間の1時間、体内時間の感覚を失えば魔獣に食い殺される。
試験官の言っていた黒服を探すも人の気配は一切感じない。黒服がいないのならゼブロという人物に会って棄権するしかない。
「焦るな、ここは樹海……方向感覚を失えば終わりだ」
“黄泉への扉“に向かって真っすぐ進む。新人潰しなんてしている暇はない。
受験者の中では優秀なトンパはすぐに後続組に追いつく。
「お前ら、そのペースじゃ間に合わねェぞ!!」
「うるせェな、デブおやじ!!」
「――救えねェ、馬鹿共が!」
トンパは新人潰しどころか忠告して回っていた。
目的は殺すことではなく相手の心を折ること。それが楽しみで毎年ハンター試験に参加していた。
「やめるッ! 今年でハンター試験は最後だ!!」
楽しみなんてのはまた見つければいい。
この試験に慈悲はない。人間の頭を吹っ飛ばして笑うよなやつが試験官なのだ。
体中から流れ出る汗、やっとの思いでトンパは試しの門にたどり着く。そこには物腰の低そうな男が立っていた。
「ハァハァ……、お前がゼブロか?」
「はい、試の門番をしているゼブロといいます。その番号プレートはハンター試験の受験者の方ですね」
「一つ聞きたい、ここをクリアした者はいるのか?」
「はい、今のところは二名ほど。女性と男性の組が協力してクリアされてましたね」
トンパは巨大な試の門の前に立ち尽くす。
率直な感想はあまりにも大きすぎる扉。試しに腰に力を入れて押してみると違和感に気付く。
「――この扉、引くタイプか! クソ、足場が最悪だ!」
足場の泥濘により思うように力が伝わらない。
残り時間は10分程度で体力も消耗しすぎている。ここに間に合っただけでも救いか。
「オレには無理そうだ、悔しいが棄権するぜ!」
「棄権ですか……それは残念ですね。では、お名前はなんでしょうか?」
ゼブロはトンパにお茶を差し出すとトンパは勢いよく飲み干す。
「ありがてェ……オレは38番のトンパだ!」
「トンパさんですね。では、ご自身を証明できるものを見せてもらえますか?」
「は?」
トンパは目を見開きゼブロを見つめる。プレートを見せつけてもゼブロは静かに首を横にふる。
「番号プレートを他人から奪った可能性もありますよね? 証明が出来ないと棄権させることは残念ながらできません。それがヘイト様からの命令ですので」
「……なら、黒服はどこにいる!?」
「執事でしたら、山頂付近にいるかと」
初めから棄権させるつもりなどないことにトンパの顔は青ざめる。
トンパが持っているのはサバイバルに必要な道具と護身用のナイフくらいだ。
「ヘイト様から伺っている参加者は234名と聞いております。他の試験をされた45名とクリアをした2名、それを除いた187名がこの場にいればその必要もないのですが……」
「そんなの無理にきまっているだろ!」
この試験は一人でも喰われたら終わり。
トンパから見ても間に合わないと分かる人間は確実にいた。見捨ててここまで全力できたのだ。
――落ち着け、オレが出来ることはなんだ。
滑り止めとしてトンパは服を脱ぎ試の門の前に落とす。
泥濘は力を奪い続ける。試の門が開かないのは当然で、もとからトンパは開けるのに必要な力を持っていなかったのだ。
「残りは何分だ? クソ、そろそろ時間が――」
ギャー!! という叫びが樹海から聞こえる。
焦りは冷静さを奪っていく。あと数人、いや一人でもいい。力があれば扉は動くかもしれないのだ。
「まだ時間はある。誰でもいい、早く来い!!」
この樹海には186人もいるんだ。他の奴らが犠牲になっている間に……。
「……う、嘘だろッ!!」
トンパの前に姿を現したのは不気味な少女を乗せた巨大な魔獣だった。
そう、トンパは最も危険な場所でずっと留まっていたのだ。
「――なんで、オレなんだよッ!!」
他の者が犠牲、何てのはトンパの願望でしかなかった。
捕食者からすれば樹海に散らばる餌よりも出口に溜まっている確実な餌を狙った方が逃す心配もない。
「ヘイト様にも困ったものだ。ミケの時間外の食事は旦那様に堅く止められてるのに――。まったく、太っても知らないよ!」
現実は残酷で魂の見えるアイと鋭い嗅覚を持つミケを前に受験者が逃れる術は存在しない。
トンパ、享年46歳――。ハンター試験36回目にして命を落とす。
読んでくれてありがとうございます。