この場所に人間世界の雑音は一切ない。山脈に囲まれた人里離れた雪原にネテロ達は訪れていた。
「ここは何も変わっちゃいねぇーな」
ネテロの顔には笑みが浮かぶ。
100歳を超えても忘れることはない、46歳の冬に武人として限界を悟った場所である。
ネテロも最強の肉体を得て、再びこの地を訪れるとは思ってもいなかった。
やる気に満ち溢れる師匠を見てミルキは不貞腐れた表情になる。
「ヘイトに頼めば済む話だろ? ほんと修行にしか能がないジイさんだな」
この挑戦の難しさはミルキが一番に理解している。
茨の道を避けるのは弟子として当たり前の事であり、不安という感情は自然と表に出てしまう。
ネテロの目的は黒いオーラの習得。
失敗すれば誰にも看取られることなく雪原でただ死んでいくだけ。
「弟子のくせに何も分かってねぇーな! こちとら背負ってるもんが違うんだ、お前の心配なんか最初からいらねぇーんだよ!」
失敗などはなから頭にない。ネテロからすれば縁起でもないと言いたいところではある。
そのような雑念もこの挑戦には影響する。
だが、ネテロにとっては丁度良いハンデのようなもの。それでこそ修行というものである。
「さて、始めるか!」
チャンスは一度だが、伸びしろがある限りは挑戦しなければならない。
武人として伝えていくのが心源流の師範でありネテロの役目である。
ネテロは静かに祈りの所作を始める。その洗練された刹那の所作にミルキは感銘を受ける。
「――静かな念だ。普通の人間なら次の攻撃は分からねーだろうな」
師ではあるが互いに高め合うライバルのような関係。
今ある景色は修行についてこられた者だけ見ることが許される。
「これは弟子からのアドバイスだ。自分の一番強い念だけを願え、絶対に生きる意味は考えるなよ」
ネテロは何を願うのか。感覚は研ぎ澄まされ静かな念は研磨されていく。
――空気はこんなにも……当時はそんなことすらできなかったのか。
ネテロは不敵に笑う。
今思えば、限界ではなく成長の仕方を知らなかっただけ。そこに気付けたならまた始めればいい。
静かな呼吸と祈りからなる感謝の正拳突き。空気を裂く音が静かな地に永遠と響く――。
“死後の念”
その言葉がそもそもの間違いである。
生きた人間でも“死後の念”は使えるのだ。ミルキの手に埋め込まれた合金に宿る黒いオーラは消えることはない。
黒いオーラは武人ネテロの一撃すら防いでしまう。
その差は念能力者と念未修得者のような関係。人類はそのような岐路に再びたったのかもしれない。
「ヒュー、ヒュー」
どれ程の時間がたったのか。ネテロの呼吸は荒くなり身体が悲鳴をあげる。
――いつになったら見えるんだ……。
修行を始めてから既に2週間。食事は湧き水と僅かな木の実だけで深淵をただ待ち続ける。
死後の念と呼ばれる黒いオーラを引き出す条件。
肉体から離れまいとする魂の抗う力、手にするには死の淵をさまよい続け極限状態を維持しならない。
これは僧の究極の苦行とされる即身仏のようなもの。
研ぎ澄まされたオーラが修行の邪魔をする。生まれ持つ生命力が修行を永遠と思わせるほどに引き延ばす。
パシッ、パシッ――。ネテロは覚醒するまで永遠と拳を繰り出し続ける。
もはや目に光はなく放つ拳に力はない。変わり果てた師をミルキは見守り続ける。
「――1か月か……しぶといジイさんだな」
苦痛だけで言えば肉体の死を何百と経験したミルキの方が上だろう。
痛み、無能さ、それを永遠のように感じながらも“攻撃を防ぐ”という意思だけで精神を保ち続けたのだ。
時間にすれば短期間ではあるものの、本人からすれば途方もなく長く感じるものだった。
ネテロが修行を終えたら今度はミルキが攻撃を防ぐだけの修行が始まる。
永遠と繰り返される師と弟子の輪廻は終わることはない。
“手に入らないかもしれない力を望み続ける強い意思”
それが魂の力を手に入れる正攻法。
この修行を成功させることのできる人間が今後どれだけ現れるのか。
負の思考が少しでもある人間には絶対に手に入らない魂の力。
アイがいなければミルキも手に入れることはできなかっただろう。
「尊敬するぜ、ジイさん」
ミルキの心音は跳ね上がる。
静かな地に限界を維持し続けたネテロが崩れ落ちるとミルキに宿る黒いオーラが共鳴をする。
ネテロの体から突如として肌を突き刺すような念の波動が広がる。
「埋めちまうか」
ミルキはため息と共に心の声を口走る。
魂に刻まれた強化系の肉体変化、強大なオーラに身を包んだネテロは静かに起き上がる。
「なに嫌そうな顔してんだ、これからが修行の時間だぜ?」
極限までやせ細った人間が元の最強である肉体に戻る。見ていなければ誰も信じることはないだろう。
黒と白のオーラに包まれた鬼神のように笑う師は弟子であるミルキを見つめる。
「人生、最高の気分だ」
「馬鹿かよ、1か月以上も修行に費やしたんだぞ? ヘイトとアイの方が心配だ、さっさと帰るぞ!」
ネテロの修行は雪解けの新芽と共に終わりを迎える。
☆★☆★☆★
ハンター協会の一室にある机の上には一つのハンターライセンスが置かれていた。
ビーンズは数少ない失態を犯したプロハンターを見つめる。
「ヘイトさん、理由を教えていただけますか?」
ヘイトの目に映るビーンズがヘル=ゾルディックと重なる。
“ヘイト様、物事がそのようになった道筋と判断した訳を教えていただけますか?”
人工知能を持つヘルの口癖、何度も言われてきた煽り言葉。
アイの意味不明な行動を一から説明してきた者にとってはビーンズの質問など朝飯前である。
「選挙は既に終わっていると思ってました。普通に考えて選挙って1回で終わるものですよね?」
その言葉を聞いたビーンズは小さく笑う。この手の言葉遊びはビーンズからしても朝飯前なのである。
「それはおかしいですね。再選挙の通達はクルックさんからいっているはずですが」
ビーンズとは違いヘイトの返事は遅れる。それは心当たりがあることを示していた。
「……アイが追い払っていた鳩か!」
アイと共存体であるヘイトからすればビーンズの言っていることは正論である。アイもヘイトであることに変わりはない。
「いやー、すいません。再選挙の知らせだったのは気付きませんでした。最近はほんと忙しくて、鶏の世話とか畑仕事とか、もういっぱい!」
養鶏、農業、電気修理、清掃と挙げればきりがない。念空間に住めるだけの環境を用意した代償でもある。
忙しさの一番の原因は水力発電装置を壊したことだろう。
アイが発した「あっ!」の意味を知ったのは三日後で、心臓である装置の故障被害はヘイトの想像を遥かに超えていた。
「全ては自動人形を止めたミルキが悪いんだ……」
ミルキとネテロは山修行でヘルも重要な用事で数か月は戻っていない。
そのため
関係のないビーンズは腐った豆のような目でヘイトを見つめる。
「畑仕事……それが理由ですか? ヘイトさん、他の皆さんもハンター以外の仕事をされている方は多くいますよ? 別地での不在者投票も可能でしたので、それでは理由になりませんね。時間管理もプロハンターなら当然のこと。改めて聞きます、ヘイトさんの理由は何でしょう?」
ビーンズの“それ理由にならないよ”の無限ループ。
豆からすれば最優先は選挙なのだろう。何も知らない豆に言っても埒が明かない。
「うーん、そうですね」
ヘイトは最近の出来事をビーンズに話す。
時期的に話しても問題はないだろうし、選挙が終われば世界は動き出すのだから。
「――ネテロ会長……いや、前会長はまた夢を追いかけ始めたのですね。正直なところ、選挙が終わったらハンター協会を去ろうと思っていました」
ビーンズは目に輝きを取り戻す。
ネテロとは会長秘書という仕事女房役だったわけで納得のできない別れ方だったのだ。
ひょっこりと戻ってくる可能性を心の何処かで期待していたのかもしれない。
「ヘイトさん、ありがとうございます。暗黒大陸と聞いて全て納得しました」
“暗黒大陸”という言葉を聞いてビーンズの表情は明らかに変わった。前のような生活が戻ることはないと確信したのだろう。
「ネテロさんは魂の力を手に入れるために修行をしていますよ。皆さんにとっては“死後の念”と言った方が理解は早いかも知れませんね」
「死後の念……魂の力ですか」
「成功させれば間違いなく人類はもう一段階強くなれます。ほんの僅かな可能性に賭けるよりはマシですし、リスクは遥かに少ないでしょう」
念を無理やり起こすことが可能なように、魂の力を無理やり習得するのは可能ではある。
普通の人間でそれを成功させたのはカミーラくらいであり、確率だけで言えば宝籤よりも遥かに低い。
それだけ生きた人間で死後の念を扱うというのは難しい。
「念の源である魂の力の習得。ネテロさんは暗黒大陸の渡航基準にしたいようでしたから、必ず成功させるとは言ってましたよ」
「念の先にある魂の力……新しい制度が必要になるかもしれませんね。ネテロ前会長なら必ず成功させるでしょう」
ビーンズは安堵の表情を浮かべる。
ネテロが会長に戻ることがあるとすれば暗黒大陸を踏破し条件を知った時だろう。
先に進めるかはその時のネテロ次第だが、暗黒大陸に誘った時の輝きを考えれば喜んで進めるだろう。
「ちゃんと理由を話したので問題はないですよね? 次回の投票はしっかりと行きますので」
ヘイトは机の上にあったハンターライセンスに手を伸ばす。しかし――。
「没収は没収です。それとヘイトさんにはやってもらうことがありますので」
ヘイトはビーンズに案内されるがままついていく。
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