旅は道連れ世は情け。   作:赤薔薇ミニネコ

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第四十二話 魂の力

 静寂に包まれた山脈に囲まれた雪原。この人里離れた場所にミルキとネテロは訪れていた。ミルキにとっては初めての場所でありネテロにとっては思い出の場所である。

 

 この場所に人間世界の雑音は一切ない。

 

「ここは何も変わっちゃいねぇーな」

 

 ネテロの表情に笑みが浮かぶ。

 100歳を超えても忘れることのできない場所。46歳の冬、武人としての限界を悟った場所である。ネテロ自身、最強の肉体を得て再びこの地を訪れるとは思ってもいなかった。

 

 ミルキは不貞腐れた表情をして師に話しかける。

 

「まったく、ヘイトに頼めば済む話だろ。ほんと、修行にしか能がないジイさんだな」

 

 ミルキの師に対する心配。安全策があるのだから、その道を示すのは弟子として当たり前の事。失敗の可能性があるからこそ、この不安という感情は自然と出てしまう。

 この挑戦に失敗すればネテロは誰にも看取られることなくこの地でただ死んでいくだけ。

 

 この挑戦の難しさはミルキが一番よく知っている。

 

「ミルキ、何も分かってねぇーな。こちとら背負ってるもんが違うんだ。それにお前の心配なんか最初からいらねぇーんだよ!」

 

 失敗など頭の中にないネテロからすれば縁起でもないことをするなと言いたいところである。そのような雑念もこの挑戦には影響する。だが、ネテロにとってそれは丁度良いハンデのようなもの。それでこそ修行というものである。

 武人として成長できる伸びしろがある限り挑戦しなければならない。そして、それを伝えていくのが心源流の師範でありネテロの役目である。

 

「さて、始めるか」

 

 ネテロは静かに祈りの所作を始める。その洗練された刹那の所作にミルキは感銘を受ける。

 

 ――相変わらず静かな念だ。普通の人間なら次の攻撃は分からねーだろうな。

 

 師ではあるが互いに高め合うライバルのような関係。いまここにある景色はネテロの修行についてこれたからこそである。

 

「ジイさん、弟子からのアドバイスだ。自分の一番強い念だけを願え。生きる意味は考えるなよ。考えたら虚無に吞まれるぞ」

 

 ネテロは不敵に笑う。はたして、ネテロは何を願うのか。

 

 ネテロの集中は研ぎ澄まされ、静かな念はさらに研磨されていく。

 

 ――ここの空気はこんなにも美味かったのか。当時はそんなことすら感じることができなかったのか。

 

 今思えば限界なのではなく成長の仕方を知らなかっただけ。間違いや勘違いは誰にでもある。それに気付けたならそこから始めればいいだけである。

 

 ネテロの静かな呼吸、祈り、感謝の正拳突きが繰り返される。拳から放たれる空気を裂く音。この静かな地に永遠とそれだけが響く――。

 

 

 “死後の念”

 

 その言葉がそもそもの間違いである。ミルキの手に埋め込まれた合金に宿るその黒いオーラは消えることはない。肉体が死ぬ事で手に入れたが、ミルキはアイの力によって生きている。

 生きた人間でも“死後の念”は使える。それが真実なのだ。その黒いオーラの力は強化系で最強の肉体を持つ武人ネテロの全力の一撃すら防いでしまう。それはまるで念能力者と念未修得者のような関係。人類は再びそのような岐路にたったのかもしれない。

 

 どれほどの時間がたったのか。ネテロの呼吸は荒くなる。身体が悲鳴をあげている。

 

「ヒュー、ヒュー」

 

 修行を始めてからすでに2週間。食事は僅かな木の実のみ。ネテロは人間の深淵をただひたすらに待ち続ける。

 

 死後の念と呼ばれる黒いオーラを引き出す条件。

 肉体から離れまいとする魂の抗うその力が手に入るまで極限状態を維持し続けなければならない。死の淵を永遠とさまよい続ける修行。それはまるで僧の究極の苦行とされる即身仏のようなものである。

 

 ――いつになったら見えるんだ……。

 

 見えることのない限界の扉。

 強化系のせいだろうか。研ぎ澄まされるほどオーラが修行の邪魔をする。オーラである生命の力がネテロの修行を永遠と思わせるほどに時間を引き延ばす。

 

 ネテロは覚醒するまで永遠と拳を繰り出し続ける。

 

 パシッ、パシッ――。

 ネテロの放たれる拳に力はない。修行はすでに1か月。ネテロの目に光は消え、まるで機械のように拳を動かす。

 

 ――ほんと、しぶといジイさんだな。

 

 変わり果てた師。ミルキは黙って見守り続ける。

 苦痛だけで言えばネテロよりもミルキの方が上だろう。ミルキは肉体の死を何百と経験したのだ。痛み、自分の無能さ、それを永遠のように感じながらも“攻撃を防ぐ”という強い意思だけを保ち続けたのだ。時間にすれば短期間ではあるものの、本人からすれば途方もなく長く感じるものだった。

 ネテロがこの修行を終えたら今度はミルキがそのネテロの攻撃を防げるだけの修行が始まる。永遠と繰り返される師と弟子の終わることのない修行。

 

 黒いオーラである魂の力を手に入れる正攻法。

 この修行を成功させることができる人間が今後どれだけ現れるのだろうか。手に入らないかもしれない力を望み続ける強い意思。負の思考が少しでもある人間には絶対に手に入らない魂の力。ヘイトやアイがいなければミルキも手に入れることはできなかっただろう。

 

 ドサッ。この静かな地に限界を維持し続けたネテロが崩れ落ちる。

 

 ミルキの心音は跳ね上がる。

 

 ――尊敬するぜ、ジイさん。

 

 ミルキの合金に宿る黒いオーラが共鳴する。ネテロの体から突如として肌を突き刺すような念の波動が広がる。

 

「埋めちまうか」

 

 ミルキはため息と共に思わず心の声が出てしまう。

 ネテロの願い。強化系の肉体変化。その跳ね上がった強大なオーラに身を包みネテロは起き上がる。極限までやせ細った人間が元の最強である肉体に戻る。見ていなければ誰も信じることはないだろう。

 

 黒と白のオーラに包まれた鬼神のように不気味に笑う師は弟子であるミルキを見つめる。

 

「なに嫌そうな顔してんだ、ミルキ。これからが修行の時間だぜ?」

「馬鹿かよ、1か月以上も費やしたんだぞ。ヘイトとアイの方が心配だ。さっさと帰るぞ、修行はその後でいいだろ!」

 

 ネテロの修行は雪解けの新芽と共に終わりを迎える。

 

 

☆★☆★☆★

 

 

 ハンター協会の一室。椅子に座るビーンズの机の上には一つのハンターライセンスが置かれていた。

 

「ヘイトさん、理由を教えていただけますか?」

 

 ヘイトの目に映るビーンズに一瞬だがヘル=ゾルディックの顔が重なる。

 

 “ヘイト様、物事がそのようになった道筋。また、それを判断した訳を教えていただけますか?”

 

 人工知能を持つヘルの口癖。何度も言われてきた煽り言葉。ヘルにアイの意味不明な行動を一から説明してきたヘイトにとってビーンズの質問など朝飯前である。

 

「選挙はすでに終わっていると思ってました。普通に考えて選挙って1回で終わるものですよね?」

 

 その言葉を聞いたビーンズは静かに小さく笑う。この手の言葉遊びはビーンズからしても朝飯前である。

 

「おかしいですね。再選挙の通達はプロハンター全員にクルックさんから連絡はいってるはずですが」

 

 ヘイトの返事の遅れ。それは心当たりがあることを示していた。

 

 ――アイが追い払っていた鳩かッ!

 

 共存体であるヘイトからすればビーンズの言っていることは正論である。アイもヘイトであることに変わりはない。

 

「いやー、すいません。再選挙の知らせだったのは気付きませんでした。最近はほんと忙しくて、鶏の世話とか畑仕事とか」

 

 ヘイトのしていた事。それは養鶏、農業、電気修理、清掃と挙げればきりがない。念空間に人が住めるだけの環境を用意した代償でもある。

 忙しさの一番の原因はアイがミルキの水力発電装置を壊したことだろう。すぐに気づけば大惨事にはなっていなかったはずなのだ。だが、アイが突然発した言葉の「あっ!」の意味を知ったのは三日後。心臓である装置の故障被害はヘイトの想像を超えていた。

 

 ――すべては自動人形を止めたミルキが悪いんだ。

 

 ミルキとネテロは山修行でヘルも重要な用事で数か月は戻っていない。そのため愛のある部屋(パンドラボックス)での仕事は全てヘイトとアイでやらないといけない。

 

 ビーンズは腐った豆のような目でヘイトを見つめる。

 

「畑仕事……。それが理由ですか? ヘイトさん、他の皆さんもハンター以外の仕事をされている方は多くいます。別地での不在者投票も可能としていますのでそれは理由になりませんよ。時間を作ることもハンターなら当然のことです」

 

 ――こいつ豆のくせに畑仕事を馬鹿にしやがった。そもそもハンターの生き方に理由なんているのか? 

 

「改めて聞きます。ヘイトさん、理由はなんでしょう?」

 

 ビーンズによるそれ理由にならないよループ。ビーンズからすれば最優先は選挙なのだろう。何も知らないビーンズにこれ以上言っても無限ループになるだけだろう。

 ヘイトは最近の出来事を全てビーンズに詳細に話す。時期的に話しても問題はないだろう。選挙が終われば世界は動き出すのだから。

 

「――そうでしたか。ネテロ会長……、いや前会長は夢をまた追いかけ始めたのですね。私に説明はなかったもので……。正直なところ選挙が終わったらハンター協会を去ろうかと思っていました」

 

 目に輝きを取り戻したビーンズ。

 ビーンズからしてみれば長年ネテロの秘書という仕事女房役だったわけであり納得のできない別れ方だったのだ。

 

「暗黒大陸と聞いて納得しました」

 

 ネテロの性格上、ひょっこりと戻ってくる可能性も少なからず心のどこかで期待していたのかもしれない。だが、“暗黒大陸”という言葉を聞いてビーンズの表情は明らかに変わった。前のような生活が戻ることはないと確信したのだろう。

 

「ネテロさんは魂の力を手に入れるためにどこかで修行していますよ。皆さんにとっては死後の念と言った方が理解は早いかも知れませんが」

「死後の念……、魂の力ですか」

「ネテロさんが成功させれば間違いなく人間はもう一段階強くなれます。死ぬことでしか発現しない、そのほんの僅かな可能性に賭けるよりはマシですし、リスクは遥かに少ないでしょう」

 

 念を無理やり起こすことが可能なように、魂の力を無理やり習得するのは可能ではある。普通の人間でそれを成功させたのはカミーラくらいであり、確率だけで言えば宝籤よりも遥かに低い。とても現実的ではない。それだけ生きた人間で死後の念を扱うというのは難しい。

 

「念の源である魂の力の習得。ネテロさんは暗黒大陸の渡航基準をそれにしたいみたいですから必ず成功させるとは言ってましたよ」

「念の先にある魂の力……。新しい制度が必要になるかもしれませんね。ネテロ前会長なら必ず成功させるでしょうから」

 

 ビーンズは安堵の表情を浮かべる。

 ネテロが会長に戻ることがあるとすれば暗黒大陸を踏破し条件を知った時だろう。止めるか進めるかはその時のネテロ次第だが暗黒大陸に誘った時のネテロの輝きを考えれば喜んで進めるだろう。

 

「それじゃ、ちゃんと理由を話したので問題はないですよね? 次回の投票はしっかりと行きますので」

 

 ヘイトは机の上にあったハンターライセンスに手を伸ばす。しかし――。

 

「ヘイトさん、没収は没収です。それとヘイトさんにはやってもらうことがありますので」

 

 ヘイトはビーンズに案内されるがままついていく。

 




読んでくれてありがとうございます。

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