青い血の滴る蟻の首にベンジャミンは声を震わせる。
「……カミーラ、これはどういうことだ?」
軍事最高顧問になったばかりのベンジャミンからすれば青天の霹靂である。
「ヘイトに頼まれたのよ」
国家戦力が必要な敵に対して、カキンの待機している部隊はたかが数十人程度。
まさか、カミーラが蟻との全面戦争を初めから想定していたとは誰も思わない。
そんな事で――と、喉元まででかがるもベンジャミンは冷静に言葉を選ぶ。
国よりも一人の男を選ぶカミーラ。
その価値観を考えれば否定は許されない。一瞬の間に込み上げる多くのものは、堅実なベンジャミンを薄ら笑いにさせる。
「惚れた男の願いだからか?」
「さぁ、どうかしらね」
獅子のように息をするベンジャミンをカミーラは冷たくあしらう。
たとえ唆されたとしても、ベンジャミンは拳を振り上げることはしない。
「ハンター協会から、事前に蟻の情報は受けていたはず。その選択は、カキン帝国の命と釣り合うのだな?」
頼まれたというだけで、全人類の命を天秤にかける。
そこに納得するだけの理由があるというか。全人類の命となれば、直情型のベンジャミンでも躊躇する。
カミーラは労いの言葉すらなく、ただつけ爪を気にするだけ。
「……フッ、本当にお父様とそっくりね。以前に、同様のことを言われたわ」
ふつふつと湧き上がるカミーラの黒いオーラ。その魅毒ではない威圧にベンジャミンは息を呑む。
機嫌を損ねればどうなるか……。
その力をカミーラ自身も分かっているのか、狂犬のような性格も鳴りを潜めている。
「――そ、それは光栄なことだ」
「光栄? ほんとに馬鹿ね、時代遅れって意味よ。体だけじゃなくて、少しは頭も鍛えなさい」
沈黙と躊躇い。
蟻との交渉をする気がないカミーラを前に、ベンジャミンは大きく息を吸うと敬礼し背を向ける。
「脆く弱き器は、王にはなれないのよ?」
「そんなことは王子なら誰でも知っている。王子達の中には、お前を認めていない者も多い、せいぜい寝首を掻かれんようにな! オレ様が認めた王なのだから、負けは許さぬぞ!!」
嫌味の応酬は今に始まったことではない。
これは兄弟喧嘩と変わらない距離を保つための意思疎通。これ以上の詮索は斬首を覚悟しなければならない。
国王が話す必要はないと判断したのだから、従者としてそれに従うしかないのだ。
「良い事を教えてあげるわ。この戦争はね、私にとっての王位継承戦なのよ」
「王位……継承だと?」
「放棄した者は黙って見てればいいのよ」
多くを語らないカミーラにベンジャミンは困惑する。
心で自問自答するベンジャミンは、人生で初めて自信というものを失う。
カミーラが何を考えているのか分からない。それは額に大きな傷を持つバルサミルコも同じ。
「ベンジャミン殿、まずは状況を整理しましょう」
戦々恐々のベンジャミンに、親身になって寄り添う私設兵あがりの軍師バルサミルコ。
二人は木陰に張られた軍事テントに移動すると、テーブルを挟み向き合う。
「バルサミルコ、国王の沈黙をどう思う?」
「王位継承の意味は分かりませんが、“話さない”のか“話せない”のかで状況は大きく変化します。後者ならば、早急に軍独自の作戦を立てる必要がありますな」
「……ふむ、作戦か」
意味深に語るバルサミルコを見て、ベンジャミンは顎に手を置き考える。
蟻との戦争が前提。可能性が低いとはいえ、最悪も想定し動く必要があるのはたしか。
「カミーラの貪る性格ならば、束縛のような状況は嫌うはず。バルサミルコ、仮にそのような場合は最善を何と考える?」
「――その時は、全ての兵器をミテネ連邦に撃ちこむ必要があると考えます」
「カキン帝国の全て、か」
返す言葉が一切思いつかないのは、キメラ=アントという存在がそれだけ脅威だということ。
ただカキン帝国としての立場だけなら、莫大な軍事費を考えてもバルサミルコの提案はあり得ない話。
「全兵器の放棄、潔白にはなるか」
「はい、考えられる最も最悪な行動は何もせず敗戦すること。もしそうなってしまったら、カキン帝国の信用は生涯戻ることはないでしょう」
「カキン帝国としての最大の損失、か」
頷くベンジャミンは素直に提案を受け入れる。世界の信用を考えればバルサミルコの言葉に間違いはない。
髪を掻き揚げるベンジャミンの頭には、ズキズキとした鈍い痛みが走る。
「護衛との両立、まず不可能だろうな」
ミテネ連邦はカキン帝国と真逆に位置する。兵器の移動時間を考えればあまりにも無理な選択。
自国の立場に悩むバルサミルコだが、他国の視点で意見を述べていく。
「……ただ兵器を一切持ち込まなかった事が、カミーラ国王の
「情報屋の存在か。つまり、カキンが負ければ他国のお披露目が始まると?」
「はい、待つ者が勝る、とでもいいましょうか。それが、他国の沈黙している理由なのかもしれませんな」
それぞれの国が持つ欲望。
世界競争という人類の性にベンジャミンは呆れた表情を浮かべる。
他国からすれば、後方支援という名目で好き勝手にできるのはたしかである。
結局のところ、世界は上に立つ者の支配下でしかない。
このような状況でも、手を取らない人間は何とも醜い生き物か。
「ですが……勝ちさえすれば、世界を救った英雄としてカキン帝国は一生安泰。カミーラ様は、生涯語り継がれる存在となるでしょうな!」
バルサミルコは欲望に染まったかのように天井を見上げると、見せたことのない笑みを浮かべる。
現実逃避を始めた部下にベンジャミンも優しく微笑む。王を信じる軍人らしい、といえばそれまでなのだが。
「歴史に名を残す……なんとも甘い蜜だな」
「はははっ、その時は私も教科書に載るかもしれませんな! 世界が平和になったあかつきには、是非とも
「……くくく、面白い!! バルサミルコ、その時は検討してやる!」
勝つか負けるか。
欲望に染まる人間こそが幸せなのだと、二人は見守ることを選択する。
未来に希望があると信じて――。
☆★☆★☆★
情報屋によって、カキン帝国の敗北は世に知れ渡る。世界の運命は佳境に差し掛かっていた。
メルエムは散らばる血肉に佇む厄災を見つめる。
――予知が見えぬのは阻害の類か?
メルエムから見た印象はカミーラの容姿を真似た存在。
違いがあるとすれば黒髪と黒く緑がかった肌。漆黒のオーラの変化を感じ取ったメルエムは咄嗟に自身の手を見つめる。
「……そういう事か。これが余の――」
メルエムの目には一筋の希望が輝くも、その僅かな期待は一瞬で打ち砕かれる。
――死期を見たコムギも、余に喰われることが最善と悟ったか。つまりは“ゾバエ”の事も未来予知で知ってしまったのだな。
自己未来予知、メルエムはこれが禁忌の行為だと知る。
予知が示したのは終焉であり、断片的な映像の先には必ず抜け殻のようになった己の体がある。
見てはならない未来。覆すことの出来ない明確な死がそこには存在する。
コムギを信じる者にとっては非情な現実。
生を望むメルエムは、震える手の感覚を確かめるように拳を強く握りしめる。
――差し迫る死に、全神経を集中させる。
理の全てを理解しなければ活路はない。
僅かに残された余生で、未来の本質と改変が許される条件を探さなければならない。
未来とは漠然とした流動体のようなものであり、今ある知識では流れを変えることはできない。
脳が熱で焼けようとも、予想ができない効果を生み出さなければならない。
「ならば、できるだけの知識を手に入れるまでだ」
ここに集中を乱す1つの事実が存在する。
メルエムが未来干渉する際に必要なのが行動変化である。それに対し、厄災の未来改変は何一つとして行動を必要としない点である。
――それだけが揺るぎない事実。目に見えぬものがあるとすれば思考しかない。
まずは厄災との差を埋める必要がある。
メルエムは刹那に無数の思考変化を試みる。コムギから受け継いだ未来予知という念能力を極限まで高めていく。
思考だけを変化させながら、僅かな違いを正していく永遠とも思える作業。
その無限に存在する未来の枝から、生存という正解を導き出さなければならない。
それがコムギの最後の願いでありメルエムの最後の役目。
「この感じは……」
生み出された無限の思考世界は、永遠の死という代償をメルエムに見せ続ける。
虚無になるにつれ、メルエムの纏う七色のオーラが一段と輝きを増す。
その無意味に思えた行いが予期せぬ一筋の光を見つける。それはまるで、未来から情報だけを得ているような感覚。
想像だけでは決して生まれない、巧妙な手が洪水のように頭に傾れ込んでくる。
――覚えがある、これはコムギの覚醒と同じ。
“既に未来は何かによって創られている”
矛盾から生み出された真実は、幾つもの審議により辿りついた1つの心理。
精神の極限状態から来るものなのか、気づけばメルエムは天真爛漫の笑みを浮かべていた。
「たしか、タイムマシンといったか」
書物にあった架空の乗り物。
想像で創られた世界には、未来に行く方法が当たり前のように書かれていた。
しかし、そのどれにも時空を越えるための正確な方法は書かれていない。
――重要なのは時を超越するための発想。死路の先に行く方法が余にはある!
今さら時空超越装置なるもの作ろうとは思わない。
未来予知での一方的な意識下の共鳴は可能なのだ。研究を進めれば、未来の自分とも共鳴が可能なのかもしれない。
だが、それは時間があればの話――。メルエムは情報屋のキキョウを見つめると見えぬ存在に問いかける。
「其方らの勝利だ。人類の存亡を背負っての戦いならばもう終わった。そこの女を通して見ているのだろう?」
誰とは言わない。変わらないのなら世界に否定をさせるだけ。
駒の役割があるように、全ての人間にも意味があるのなら、未来予知の通りに進めることこそが生存への道。
「面白い、余の敗北を否定するか!」
不気味に歩み寄る厄災は手の甲で涎を拭う。
これが戦闘の合図なのは予知がなくとも明白。厄災の空いた手には漆黒の本が出現する。
「あいあい。【
その言葉を聞いてメルエムは思わず距離を取る。
禍々しい本からは、役目の終えた奈落の押し花達が頁からヒラヒラと落ちていく。
――厄災の纏うオーラが変わった、共闘か。
存在するのは2つの意思。メルエムも慎重に行動しなければならない。
敵の能力分析、その考えが既に甘えでしかないことにメルエムは気付かされる。
厄災の振りかざした細い腕は、強化系の死念により異常なまでの筋肉を浮かび上がらせる。
「ビックインパクト――ッ!!」
周囲を照らす閃光と木霊する爆音と衝撃波。
攻撃範囲は広く、七色に輝くメルエムを一瞬で漆黒に染め上げる。
メルエムのいた場所は、爆心地のように地面は抉れ灼熱の地獄とかす。体を貫く高熱と壮絶な痛みは、再生したとしても記憶に刻まれる。
――化け物めッ!!
このダメージが蓄積し続ければどうなるかは分からない。
瞬時に最高速度で飛行するも、進行方向の空間には無数の黒い手が出現する。
「壱乃掌、参乃掌、九十九乃掌」
厄災により読み上げられる魂に刻まれた言葉。
メルエムの目で捕らえることのできる速度の技、練度不足を感じさせる念能力。
――挙動と連動する技、仕組みを理解すれば適応は容易い。……まさか、布石かッ!
厄災の祈りの所作が突如としてメルエムの認識速度を越える。
見上げる頭上には、目も眩む恒星の如き光弾が天より降り注ぐ。
「零乃掌」
――この化け物は余を何度殺せば気が済むのだ。
攻撃を続ける厄災と再生を繰り返すメルエム。
何が行われているのかを察するメルエムだが、あらゆる念系統の凶器を振りまく厄災にただ飛び回るだけの虫となる。
ただ1つ、小さな翼を持つ看護服を着た機械人形を見るまでは……。
「あいあい。ネフェルピトー」
――【
厄災の創り出した複数の【
ネフェルピトーとの違いがあるとすれば、制約の制限が一切見当たらないことである。
見間違えるはずのない仲間の念能力。厄災の傍若無人さに、静めたはずの怒りが蓋を突き破り心の底から溢れ出す。
「制限はないよ、全ては魂が望んだ欲望だから」
「――ッ!?」
厄災の【悪意ある囁き】はメルエムの咆哮を遮る。
全ての念系統を操る者の思考読み。メルエムは許されざる力であることを瞬時に理解する。
潰され続けた未来予知、それもそのはず――。
「貴様らの狙いは――」
「軍儀の王はもういらない。そこに“欲望”は何もないから」
先手を取る厄災に打つ手なし。
全てが読まれるのなら隠す意味もない。厄災の不気味な笑みはそれが正しい事だと分かる。
「あいあい。
メルエムは初めての煽りに生まれてから一番の衝撃を受ける。
「あっはっはッ、余に頓死せよと申すか!」
心の底から笑うメルエムは、コムギがいないことがどれだけ救いだったのかを理解する。
「喰った者達の欲望を理想の形に創り上げる、まさに余が稚児に思える程の力。欲望の化身よ、貴様の挑発に乗ってやる!」
【
自身を粒子状に拡散し再構築するという、メルエムに残された時空を越える唯一の方法。
思考を読む相手に考えてしまった時点で終わり。
だからこそ、全ての考えが間違っていたのだと気付く。なぜなら厄災が挑発する理由は何処にもないのだ。
メルエムは背中の六枚羽を大きく広げると全身を輝かせる。
「――気が変わった。これより、余は全ての人間を喰らい生物の頂点に立つ。まずはプロハンターと呼ばれる奴らを一掃してやろう! 貴様が追いつけぬ速度でな――ッ!!」
メルエムの強い意思は世界に拡散される。
不気味に微笑む厄災はメルエムの思考を読んだのか、視線を外し一人の老婆を見つめる。
似た笑みを浮かべるメルエムも同様の視線を老婆に向ける。
「これは勝負に勝つよりも快感かもしれぬ。なあ、厄災よ」
「あいあい」
メルエムはプロハンターという生き物を正しく認識する。
読んでくれてありがとうございます。