姫巫女さまのかくしごと   作:宇宮 祐樹

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02 姫巫女さまのかくしごと(下)

 

「姫巫女さま、ありがとーっ!」

 

 満面の笑みで手を大きく振りながら、シルフィが街の方へと去ってゆく。

 

「……行きましたね」

「そのようですね。あの子はいつも元気で羨ましいです」

「子供の活力は計り知れませんからね……さて、では神殿も閉めてしまいましょうか」

「はい。今日もお疲れ様でした、アイン」

 

 なんて、お互いに笑顔を向け合いながら、神殿の正門を閉じる。

 東神殿。またの名を、陽の上がる方角の意を込めてオスト神殿とも。

 この大陸の東端に位置するノアロ王国の、更に東の外れに位置する、小さな神殿である。

 とはいえ、大陸の中心にあるクオーラ中央神殿の四方を囲む神殿の一つに数えられており、そして何より龍の言葉を民へと伝える姫巫女が存在している、唯一の神殿でもあった。

 

「中に人は残っていませんよね?」

「はい。忘れ物をしている方もいませんでした」

「なら戻ってくる人もいなさそうですね。安心です」

 

 すると次に彼女は、あたりをきょろきょろと見まわしはじめて。

 

「盗聴器とか、そういう類のものは……」

「先ほど確認しましたが見当たりませんでしたよ。魔力の流れも感じられません」

「そうでしたか……ありがとうございます」

 

 少し心配しすぎだとは思うが、立場を考えればこれくらいの方が丁度いいかもしれない。

 

「それでは、本日の業務はもう終わりということでよろしいですね?」

「ええ。大変お疲れ様でした、姫巫女様──」

 

 と。

 俺が言い切ろうとしたその瞬間、姫巫女様はすぅ、と大きく息を吸い込んで。

 

「はいっ、今日のおしごとおーわり! 私、姫巫女やーめたっ!」

 

 なんて。

 神殿の中に響き渡るほどの大声を上げて、そのまま体を俺へ預けてきた。

 そのまま動かないこと数分間。どうやら、いつも通り燃料切れらしい。

 ……にしても、すぐにそうなってしまうのは。何とかならないものか。

 

「起きてください、姫巫女様。お召し物が汚れてしまいますので」

「えー、いいでしょ別に。これのほかにも何枚かあるんだから」

 

 そういう問題ではなく。

 

「洗濯をするのは私ですから。これ以上、仕事を増やさないでください」

「何よ、じゃあ私の体が汚れるのは構わないわけ?」

「それも大変構いますが、今はそういう話をしているのではなく……」

「あーもう、うるさい! とにかく私は疲れたの! 限界なの! もう動きたくないの!」

 

 腕の中でじたばたと暴れながら、姫巫女様はそうやって俺へ訴えてくる。

 

「姫巫女様のご苦労は分かります。ですが、ここでこのままというののは、さすがに……」

「無理。疲れて指一本も動かせない。このまま死ぬかも」

「それは困ります!」

 

 冗談でもそんなことを言うのはやめていただきたい! 

 

「何とか動いてくださいませんか? せめて、寝るなら椅子の上にでも……」

「それじゃあ、はい」

 

 と。

 姫巫女様はそんな声を上げながら、両腕を広げて俺へと向ける。

 ……ええと、これは? 

 

「だっこ」

「……なぜ」

「自分で動けないって言ったでしょ。だから、あんたが運んでちょうだい」

 

 運ぶって……俺が、姫巫女様を? 

 

「しかし……」

「あら。侍従のくせに主人の頼みが聞けないっていうの?」

 

 ……まあ、姫巫女様もお疲れのようだし、仕方ないか。

 それに姫巫女様は、ご自身でそうするよう俺へ言ったのだ。ならば俺は、それに従うまで。

 というより、本当に死なれてしまっては困る。割と本気で。

 

「お姫様抱っこね」

「お……いや、さすがにそれは」

「私、姫巫女なの。姫。だったらそう扱うのは当然じゃない?」

 

 さっき、やめるとかなんとか叫んでいなかったか。

 

「何よその顔」

「いえ、何も。お体の方、失礼しますね」

「優しくね」

 

 泣く泣く返事をすると、何故か姫巫女様は嬉しそうに笑っていた。

 膝の裏に左腕を通し、右腕を姫巫女様の脇へ。

 首に回されたのは、触れれば折れてしまいそうなほどに細く、白い腕だった。

 そうして彼女の体を持ち上げると、姫巫女様の翡翠の瞳が、すぐ近くまで迫っていて。

 ………………。

 

「ん、どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

「いえ、何も……特に口にするほどのことでは……」

「ふぅん? 私の前で隠し事するつもりなんだ?」

「しかし……」

「この姫巫女に楯突こうなんて、面白いじゃない?」

 

 そう厭らしい笑みを浮かべるものだから、面倒くさいことになる前に、打ち明けた。

 

「……力あるものは美しい、というのは事実なんだなと思いまして」

「へーえ? なにあんた、もしかして私に見惚れてたってこと?」

 

 なんてわざわざ聞いてくる姫巫女様に、思わず明後日の方を向いてしまう。

 決してそういう訳ではない……と言いたいが、麗しいと思ったのは事実なわけで。

 

「私みたいなガキにそんな劣情催すなんて、意外と悪趣味なのね、あんた」

「決してそのようなつもりはありません! 私はただ、あなたが綺麗だと思っただけで!」

「別にいいのよ? もしあんたが我慢できなくなったら、付き合ってあげなくもないし?」

 

 よくない。何もよくない。仮に姫巫女様がよくても、俺は全然何もよくない。

 

「それにしてもあんたがね……ふーん、……そうなんだ」

 

 ……勘弁してほしい。

 

「それにしても、恋愛相談なんてされるのは初めてだったわね」

 

 疲れたように息を吐きながら、姫巫女様がそう呟いた。

 

「シルフィさんのことですね」

「そ。あの年で恋愛だなんて、とんだマセガキね」

「……頼みますから、皆の眼でそのような言葉遣いをなさるのはやめてくださいね」

「当然よ。こんな風に話せるの、あんたしかいないんだもん」

 

 信頼されているのか。それとも、粗雑に扱われているのか。

 どちらにせよ、こんな姫巫女様の姿を見られるのは確かに俺しかいなかった。

 そしてまた、そのことを少し嬉しく思う自分がいるのも、事実ではあった。

 おこがましいと言われるだろうか。せめてその時までは、この感覚を味わっておこう。

 

「まったく、こっちは恋愛なんてこれっぽっちもしたことないのに。ほんとに困ったわ」

「それは大変でしたね」

「でも……そうね。私にも、そういう人が欲しいって、少しだけ思えたかも」

「……恋愛にご興味がお有り、ということですか」

「少しだけね。叶わないっていうのは分かってるけど」

 

 呟いた姫巫女様の顔には、昏い陰が差していた。

 

「私は姫巫女。銀陽龍様の言葉を伝える者だから」

 

 それは人でもなく、ましてや龍でもない曖昧な者。だから人と深く交わることもなければ、龍のように大きな力を持つ者になれるわけでもない。世界に組み込まれた、機能の一つ。

 彼女はそれを受け入れていた。自らの在り方が人々を救うことを、誰よりも知っていた。

 でもね、と彼女は俺のことを見上げて。

 

「私だって夢を見るの。普通の女の子として生きているような、そんな」

「……それは、どのような?」

「普通の家庭に生まれて、普通の友達ができて、その中で普通の恋をして……」

 

 そこで言葉は途切れた。否、続けることができなかった。続くことは、決してなかった。

 

「……私は姫巫女。人々を導く存在。選ばれたのなら、そうならなくてはならない」

「姫巫女様……」

「でも、もし私を……姫巫女でない私の全てを受け入れてくれる、そんな人がいるのなら」

 

 そして彼女は、首に回していた手を、俺の頬へと添えて。

 

「それこそ私は、あんたみたいな人と結ばれるのかもね」

 

 その言葉に、俺は。

 

「私は応援していますよ、姫巫女様」

 

 どうか失望されないよう、心からの声をかけると、姫巫女様はなにやらとても複雑そうな、何かもう手の付けられないようなものを見るような、そんな訝し気な表情になって、

 

「……もしかして私、ナメられてる?」

「え? いえ、決してそんな……って姫巫女様!? どうしてそんな、泣きそうなお顔を!」

「そっか……そうよね、それが素だったわよね……ほんとに……何でこんな奴を……」

「大丈夫ですよ姫巫女様! きっと、あなたにふさわしい人は見つかりますから! それに、姫巫女様のためなら私も全力でお手伝いしますので! ですから、気を落とされないよう!」

「もういいわよ……私も私で、なんとか努力してみるから……」

 

 半ば諦めの色が強いようだが、姫巫女様はそう言ってくれた。

 そんなふうに会話をしているうちに、いつの間にか神殿のすぐそばにある家の前に。

 

「姫巫女様、着きましたが」

「ちょっとひと眠りしようかしら」

「……寝室までお連れしますね」

 

 念のために聴いてみたが、当然のように彼女は俺の腕から降りる気はないらしい。

 心の中で小さく息を吐きながら、上手く足を使って玄関の扉を開ける。

 姫巫女様のお体が、羽のように軽いのが唯一の救いだった。

 そのまま階段を上がってすぐ、右の手前にある寝室へ。中にあるのは質素な白いベッドと、使い古された机だけ。こじんまり、というよりは殺風景という言葉が当てはまった。

 

「姫巫女様」

「ベッドまで」

 

 言われるがまま、彼女の体をベッドの上へと横たわらせる。

 

「脱がせて」

「は?」

 

 は? 

 

「……いま、何と?」

「だから、私の服を脱がしなさいって言ったの。あなただって仕事着のまま寝ないでしょ」

「それはさすがにご自身でなさってください!」

 

 姫巫女様が自らの服を、ましてや男に脱がせようとするのは駄目だろう! 

 

「ちえ、何よ。あんたになら別に見られても平気なのに」

「私が平気ではないのです!」

 

 心臓が早鐘を打っているのが分かった。とんでもないものを見せようとしないでほしい。

 

「まったく、此処にいるのが私だからよかったものの、他の者にそんなことを頼むなど……」

「あーわかったわかった……自分でやるから……んもぅ……」

 

 ぷち、ぷち。

 

「だからといって今すぐ脱ぐのもやめてください! せめて私が部屋を出てからに!」

「ああもう、注文が多い! あんたは私の親か何かなの!?」

「姫巫女様のお世話をする者として当然のことを申し上げているだけですが!」

 

 ……とにかく。

 

「お脱ぎになるのであれば、私がいなくなってからにしてください。いいですね?」

「何よ、私の裸は見たくないってわけ?」

「だから、そういう話ではなく……」

「じゃあ質問を変えるわ。私の裸は、見られないわけ?」

 

 姫巫女様のその言葉に、部屋を立ち去ろうとしていた足が止まる。

 聞こえるのは微かな衣擦れの音。それと同時にベッドが軋む。

 振り向いたその先に居たのは、ベッドの座ったままでこちらを見つめる一人の少女だった。

 

「……姫巫女様?」

「アイン。私はね、あなたに全てを明かすと誓ったの。姫巫女でないありのままの私をね」

 

 しゅる、と何かが解ける音。それと同時に彼女の纏う巫女服が大きくはだけ、隠されていた薄色の肌が晒される。一つの穢れもない、冬の朝に積もった新雪のような白さだった。

 そしてそれは、俺を含めたこの世の誰も目にしてはならないもので。

 

「……どうかご容赦ください。その様な真似をされても、私は」

「嫌よ。こうしないと、私はあなたに全てを晒したとは言えないもの。それとも──」

 

 静かに光る白銀の髪を、はらりと翻して。

 

「あなたも、私を受け入れてくれないのかしら?」

 

 それ、は──

 

「いつだってそうだった。誰も私を姫巫女としか見ない。嘘を吐いたまま、自分を隠したまま、皆の前に立ってた。本当の私を見てくれる人なんていなかった。いつも、一人だった」

 

 眩い銀髪は、少女の手の内で輝き続ける。それは迷える人々の導となる、救済の光。

 しかしながら、彼女にとってそれは自らを縛り、封じ込め、孤独に突き落とすだけのもの。

 それを知るのは、この瞬間で俺だけしかいなかった。

 

「今日もそうだった。昨日も。明日もきっと。私は姫巫女として皆を導かなければいけない。逃げ出せないのは分かってる。でも……少しだけ、寂しいの。ずっと一人でいるのは」

「姫巫女様……」

「だからあなたの前だけなの、私が私でいられるのは。だってあなたのことを信じてるから。あなたは、初めて私を見つけてくれた人だから。あなたの前にしか、私は居られないから」

「……光栄なこと、だと受け取っておきます」

「なら受け入れてよ。姫巫女でない一人の私を。あなたしかいない。そのためなら体だって、心だって、私の全てをあなたに見せてあげる。だから、どうか……私を、一人にしないで」

 

 いつの間にか彼女は目の前に立っていて、その体を俺の方へと寄せていた。

 小さな体だった。風が吹けば、指先から崩れてしまいそうなほど、脆く儚い存在だった。

 彼女は、守ろうとしても触れられないほどに、淡く透き通ったひとだった。

 これが、本当の彼女。ソフィラティア=エルガーデン。

 陽炎よりも虚な刹那の少女。俺の前にしか姿を現さない、太陽よりも遠くにいる存在。

 そしてその手を取ることが出来るのは、他でもない俺だけで。

 ならば、この手を伸ばさない理由は、なかった。

 

「姫巫女様、今から少々手厳しいことを言わせていただきますが、よろしいでしょうか」

「…………うん」

 

 その肩に手を置くと、彼女はぴくりと震えた。けれど、そのまま体を委ねてくれた。

 

「あなたは本当に口が悪く態度も大きくて、そのくせ掃除も洗濯も料理も何にもできなくて、私が居ないと日々の生活を送ることのできない、野生児と言ってもいい人です」

「………………ごめん、なさい」

「ですが、私がそれを拒絶したことは、今まで一度でもありましたか?」

 

 ゆっくりとこちらへ視線を上げる姫巫女様の、その頭を優しく撫でながら。

 

「私はあなたを受け入れます。今までも、そしてこれからもずっと、あなたのお傍にいます。決して寂しい思いはさせません。もう二度と、一人にさせないと誓いましょう」

「アイン……」

「ですからどうか、このような真似はお止めください」

 

 はだけた巫女装束を整えてから、その頬へと手を添える。すると彼女は小さな手を重ねて、大きな瞳をこちらへ向ける。しっかりと前を見据える、確かな緑の輝きがあった。

 

「……あなたは、ありのままの私を見てくれる」

「はい」

「だから、アインもありのままのアインを、私に見せてくれる?」

 

 それは……どういう? 

 

「私たちの間に隠しごとはなし。ゆっくりでいい。一つずつでいい。我儘かもしれないけど……それでも私は、アインの事が知りたい。そうすれば、私は寂しくなくなるから」

 

 ……まったく。

 

「あなたは本当に我儘な人ですね」

「……ごめん」

「ですが、とてもあなたらしい。傲慢で、乱暴で……それでいて人一倍、寂しがりで」

 

 それがとても愛おしいということは、心の深くに閉まっておこう。

 

「──アインラヴェンデル=フォン=アーベントロート」

「…………へ?」

「私の本名です。今までお伝えすることがありませんでしたから、この機会にと思いまして」

 

 すると彼女は、ぐいと俺の胸元を引き寄せて。

 

「聞いてないんだけど?」

「ええ。ですから、お伝えする機会がなく……」

「何よそれ!? じゃあ今までずっと、私に名前を隠してたってわけ!? 意味わかんない!」

 

 そう言われても、今までそれで通じていたから別に必要がなかったというか。

 などと口答えをしようにも、ぶんぶんと体を揺さぶられては、口にすることもできなくて。

 

「そりゃ隠しごとの一つや二つはあると思ったけど! まさか名前から隠してたなんて!」

「べ、別に隠していたつもりは……」

「うるさい! 他にも何か隠しごとしてるんじゃないでしょうね!? 言ってみなさい!」

「ゆっくりでいいとおっしゃったのは姫巫女様ではないですか……それに、一つずつ……」

「ああ!? この姫巫女様に逆らおうっての!?」

 

 このタイミングでこんな脅し文句が出てくるのは、さすがしか言えなかった。

 

「あーもう、イライラする! 気分悪いからもう寝るっ!」

「……夕食ができたら、起こしに参ります」

「カレーがいいっ!」

 

 ……材料はあっただろうか。最悪、今から買い出しに行かなければならないな。

 なんて思案をしていると、姫巫女様は乱暴な足取りのまま、ベッドへと飛び込む。

 毛布を体にかけると、俺とは逆の方向を向いて、そのまま動かなくなってしまった。

 その様子を眺めつつ、少しだけ安堵を感じながら、部屋の扉を閉めると。

 

「…………ありがとう」

 

 微かな姫巫女様の呟きが、俺の耳へと伝わった。

 そしてそれは俺の胸に深く突き刺さり、そのまま心を抉っていくようだった。

 

「……っ」

 

 頭が重い。ふらふらとした足取りのまま、階段を転げ落ちるように降りていく。

 彼女が起きてしまうかなど、気に掛ける余裕はなかった。そな資格すらもなかった。

 荒い息を無理やり整えながら、さっきの言葉を思い出す。

 

『あなたの全ても、私に見せてくれる?』

「……俺の、全てか」

 

 いつの間にか洗面所に辿り着いていた。鏡に映るのは、恨むようにこちらを睨みつける男。

 陰のように黒い髪は目元まで伸ばされており、その間からは淡い紫色の瞳が覗いている。

 かつて母親が口にした、薫衣草のような瞳という言葉を、無理やり頭の中でかき消した。

 ため息を一つ。鏡の中に映る俺は、ゆっくりと唇を動かして。

 

「もしも全てを明かすことになった時、おそらく俺はあなたの傍にはいないのでしょうね」

 

 アインラヴェンデル=フォン=アーベントロート。

 大陸の北端に位置する北神殿の長を務める者であり、また姫巫女様の傍に控える侍従係。

 そして──姫巫女という存在を内密に調査する、一人の研究者であった。

 

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