姫巫女さまのかくしごと   作:宇宮 祐樹

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03 神殿長さまのかくしごと(上)

 明朝。まだ太陽は出ておらず、頭上には暗い空が広がっている。

 

「新月。二十と八の七。四十五、三十八、二六三、七」

 

 風の魔法を利用した通信器具を耳にあてがいながら、数列を口にする。

 

『はーい、満月の二、三十と七……だったっスかね? 合ってるっスか?』

 

 ……それを本人に聞いたら元も子もないと思うけど、この人なら大丈夫か。

 

「問題ありません。本日もよろしくお願いします、リシテア副所長」

『うっス。よろしくお願いするっスね、アインくん』

 

 通信器の向こうから聞こえてくる、ここ半年ほどで聴きなれた声は、そう返した。

 リシテア副所長。俺の所属する機関の直接的な上司であり、俺の担当する任務の管理者。

 そして、俺の意思を汲んでくれる、唯一の協力者でもあった。

 

『で、どうっスか? 姫巫女様の様子は』

「特にこれといった問題はありません。能力の劣化もなし。龍との対話も毎日続いてます」

『ほいほい、問題無しっスね。りょーかいっス』

 

 さらさらとペンを走らせながら、副所長はいつも通りに返してくれる。

 

「研究所の動向は」

『いつも通りっス。姫巫女は異常存在と断定。だから早くこちらで管理を、って』

「……そうですか」

 

 研究所。この世界に存在する、異常と見なされたものを蒐集、管理する秘密機関。

 そして、そこに所属している現地調査員というのが、俺の本来の役職だった。

 調査の対象は、姫巫女──体内に世界横断という魔術を内包する、一人の少女。

 与えられた任務は、彼女を大陸の中央部にある研究所本部へと連れて行くこと。

 だが。

 

「もう少し時間が必要だと連絡してください」

『はいはい、それもいつも通りっスね。了解っス』

 

 気だるげな──それも、いつも通りか──声のまま、副所長は俺にそう返した。

 初めて姫巫女様と出会ったその時から、たぶん俺は彼女に見惚れていたんだと思う。

 呑まれたと言ってもいい。うまく言い表せないが、彼女を自由にさせたかったというか。

 確実に言えるのは、この少女を研究所へと連れて行くのは、間違いであるということ。

 人々を救う存在である彼女を、薄暗く冷たい研究室の中へ閉じ込めたくはなかった。

 これ以上、寂しさを感じてほしくなかった。異常であることを受け入れてほしくなかった。

 それに、何よりも。

 

「先代の姫巫女が死んだ理由を未だに理解していない連中に、姫巫女は任せられません」

『言うっスねえ』

 

 これだけ時間があるのに態度を変えないというのは、つまりそういうことなんだろう。

 なぜ、大陸の各地にある神殿の中で唯一、この北神殿にしか姫巫女が存在しないのか。

 それは単純に、中央神殿に仕えていた先代の姫巫女が、既にこの世に居ないからだった。

 元来、姫巫女とは中央神殿に仕える者。こんな端の神殿に収まる存在ではない。

 だが数年前、研究所が突如として中央大陸に発足し、姫巫女を異常存在として認めたのだ

 そして、研究所は龍と対話する姫巫女の魔法──世界横断と命名した魔法の研究を開始。

 様々な実験を試行する中、とうとう先代の姫巫女は事故によって命を落としてしまった。

 以来、中央神殿の姫巫女の席は空いたままで、世界横断についての研究も凍結したまま。

 姫巫女の誕生とは奇跡にも近い。だから、数十年はどちらも止まったままのはずだった。

 しかし、ちょうど一年前。彼女──ソフィラティア様が、突如としてこの世界に現れた。

 先に気づいたのは、研究所だった。そして中央神殿より先に新たな姫巫女を確保するため、こうして俺が現地調査員として送られたというのが、一連の流れであった。

 

「中央神殿との連絡は?」

『まだまだっスね。あと一ヵ月か二ヵ月くらいはかかるかもしれないっス」 

「……何とか早めてほしいものですが、待つしかないですか」

 

 もとより、いろいろな事情もあって、姫巫女の確保には乗り気でなかったのだ。

 それに何より、先代と同じ末路を辿ってほしくなかった。彼女は真に人々を救う者なのだ。

 だから、彼女には姫巫女としての使命を全うしてほしかった。

 副所長はそんな俺の考えを理解してくれた、唯一の人だった。

 

『まあ、中央神殿も色々あるっスからねえ。でも、もう少しっスから』

「……ありがとうございます」

 

 彼女が中央神殿との繋がりを持っていることは、運が良かったとしか言えなかった。

 

「では、本日の報告を終了します」

『ほいほい、お疲れっス』

 

 通信が途切れると同時に、俺も耳に着けていた通信器を外す。

 

「……まだ諦めきれないのか、あの人は」

 

 呟きと共に、朝焼けが訪れた。

 

 

 引用文献:銀陽の姫巫女における観察研究の報告書、項目二七より。

 銀陽の姫巫女に該当する少女、ソフィラティア=エルガーデンの朝はとてつもなく遅い。

 

「姫巫女様、朝食のご用意ができました」

 

 時刻は既に朝の十時を過ぎようとしているころ。姫巫女様の寝室の前にて。

 扉を叩いてそう声をかけてみるも、当然ながら返答は無し。いつも通りの調子であった。

 

「……姫巫女様? 起きていらっしゃいますか?」

 

 ここまで来ると五割の確率で何らかの反応があるのだが、今日はどうやら外れらしい。

 相も変わらず静まり返った扉の前で、俺のため息だけが小さく響いていた。

 

「……失礼いたします」

 

 そう呟いてから扉を開き、姫巫女様の寝室に入ってから、閉じたカーテンを勢いよく開く。

 窓から差し込むのは。目が眩むほどに強く光を放つ陽光。世界を照らさんとする銀の輝き。

 その光が指し示すのは、ベッドに横たわる一人の少女──ではなく

 

「……んあぁ…………」

「んあぁ、ではなく」

 

 奇妙なうめき声を上げる毛布に、思わずそんな声が漏れた。

 

「姫巫女様、起きているのならせめて返事はしてください」

「あと……あと、八時間……」

「それでは陽が沈んでしまいますよ」

 

 あと五分、とかだったらまだ可愛げがあったものを。

 

「それに、このままでは朝食が冷めて夕食になってしまいます」

「むぅ……べつに、冷めててもいいし……」

「せっかく姫巫女様のためを思って作ったのですが」

 

 そんな言葉を付け足すと、姫巫女様はゆっくりと、首から上だけを毛布から出して。

 

「……あんた、割と良心に訴えかける脅し方するわよね」

「それくらいしないと聞いてくれないでしょう、あなたは」

「よく分かってんじゃない」

 

 どれだけあなたに付き合っていると思っているんだ。

 付き合っているというよりは、毒されてきた、と表現したほうが正しいのだろうが。

 

「ほら、分かったのなら早くベッドから出てきてください」

「仕方ないわね……」

 

 とうとう観念したのか、姫巫女様は深く息を吐くと、ゆっくりと体にかけた毛布を翻した。

 ──最初に見えたのは、百合の花を想起させるかのような、淡く白い姫巫女様の素肌。

 そしてそれを隠しているのは、上から下まで全てが開いたままのワイシャツだけ。

 薄い布に挟まれたそこからは、胸元の小さな膨らみが覗いていた。

 そのまま視線を下へ動かすと、瑞々しい太腿が視界の中に入ってくる。

 一瞬だけ見えた鼠径部は白いままで、つまりそれは、何も履いていないということで。

 彼女がうんと伸びると、シャツの隙間から細い腰が顔を覗かせる。

 そのまま姫巫女様は、剥き出しになったままの両足を動かして、ベッドから──

 

「ひ、姫巫女様っ! ダメです、ストップ! そのお姿で動くのはお止めください!」

「ちょっ、何よいきなり! せっかく起きてあげようとしたのに!」

「ですがそれでは、その……あなたの……!」

「だから何!? 言いたいことがあるならはっきり言いなさい!」

 

 ああもう、この人は! 

 

「ですから、そのお姿では見えてしまうと言っているんです!」

 

 観念してそう口にすると、姫巫女さまはああ、とようやく理解したようで、

 

「別に見えてもいいんだけど……」

「いいわけがありますかっ!」

 

 気だるげに答える姫巫女様に、思わず叫び返してしまった。

 

「何よあんた、もしかして見たことないの?」

「いや、そういう問題ではなく!」

「…………見る?」

「だからそういう問題ではないと言っているでしょうが!」

 

 頭おかしいんですかあなた、という言葉をすんでのところで飲み込んだ。

 

「まったく……というか、そんな服どこから持ってきたんですか……」

「え? あんたの衣装棚からだけど」

 

 は? 

 

「……どういうことですか?」

「だから、あんたの服を借りてるんだって。意外と大きいのね」

 

 ぶかぶかの袖を振りながら、姫巫女様はそんな事を言ってのける。

 けれどそれは耳から入ってすぐ、反対の耳から抜けていった。頭の中が疑問で一杯だった。

 俺の服を借りている? 姫巫女様が? そしてそのまま一晩を過ごしたと? 

 

「な、なぜ……」

「だってあんた、私のパジャマ全部洗っちゃったじゃないの」

「……え?」

 

 気に入ったのか、袖をぶんぶん振ったまま、姫巫女様はそんな答えを返してきた。

 

「『脱いだ服を溜め込まないでください!』とか何とか言って、私の部屋に置いてあった服、全部あんたが持って行ったのよ。その日の夜に使うパジャマもあったのに」

「そう言えば確かに昨日、そんなことを言ったような……?」

「だから、私は仕方なくあんたの服を借りるしかなかったわけ。これで満足した?」

「なるほど、そうだったのですか。それは申し訳──」

 

 ん? 

 

「いや、だとしても元は姫巫女様のせいじゃないですか!」

「ちっ」

「舌打ちしたって駄目ですからね! 今度はちゃんと、脱いだものは洗濯カゴに!」

 

 何度も注意してるはずだが、姫巫女様は一向に言う事を聞いてくれない。

 いや、言ったらその通りに聴いてくれるというのも、彼女らしくはないが。

 

「それに、着るものが無いからと言って勝手に男の、まして、私のような者の服を借りるなど言語道断です! いいですか、姫巫女様のようなお方がこのような真似をするなど……」

「あーもう、わかったわよ! 脱げばいいんでしょ、脱げば!」

「全然わかってないじゃないですかあなた!」

 

 叫びながら服に手をかける姫巫女様に、思わず後ろを振り向いた。

 

「何よ、さっきはあんなに着ちゃ駄目って言ったのに」

「それとこれとは話が別です! とにかく肌を隠してください、今すぐにっ!」

「意味わかんない……」

 

 それはこっちの台詞だ! 

 

「頼みますから、他の者の前でそのような恰好はなさらないでくださいね……」

「するわけないでしょ。あんたの前だからできるのよ」

「私の前でもしないでいただきたいのですが!」

 

 呆れながら振り向くと、姫巫女様は俺を睨みながら頬を丸く膨らませていた。

 

「そんな顔してもダメです。服くらいちゃんと来てください」

「またそんな母親みたいなこと言う」

「ですから、姫巫女様の傍にお仕えする者として、当然のことを言ってるだけです……!」

 

 そう言われないような生活を送ってくれれば、こちらとしても負担が減るのだが。

 

「……とにかく、本日分の寝間着はこちらでご用意します。それはもう着ないでください」

「えー、結構着心地とかよかったのに」

「駄目です。早く返してくださいね」

「……ふーん」

 

 すると、姫巫女様は何か思いついたような顔をすると、にやりとこちらに笑いかけて、

 

「あんたさ、もう一度これ着るつもり?」

 

 ……はい? 

 

「だから、私と服を兼用してもいいのか、って聞いてるのよ」

「それは……」

「別に私は全然いいんだけど? ああでも、今日来る街の人たちには言っちゃおうかしら? 昨日はアインの服を借りて寝ましたー、って。事実だし、別に言っても構わないのよね?」

「構うに決まってます! なんてことをしようとしてるんですか!」

「この服くれないんなら、今日一番目に神殿来た人に言ってやる」

「ああもう、分かりました! それは差し上げますから、どうかお止めください!」

「それでいいのよ」

 

 なんて情けなく敗北宣言をすると、彼女は嬉しそうに笑いながら、そう言ってきた。

 ……本当にどうしてそこまで嬉しそうなのだろう。そんなに気に入ったのだろうか。

 

「よし、そうと決まれば早く朝食にしましょ。だんだんお腹も空いてきたし」

「それもそうですね……」

 

 ……いや、ちょっと待て。

 

「姫巫女様」

「何?」

「まさかとは思われますが、そのお姿のまま朝食を摂られるおつもりですか……?」

 

 裸足のまま廊下に出ようとしている彼女は、俺の声に不思議そうな顔のまま振り向いて。

 

「何か問題あんの?」

「私が今あなたに言ったこと、本当に一言も理解してないんですね!?」

 

 そんな恰好で食卓に並ばれても、こちらが困る! 

 

「お召し物は!」

「あんたが持ってきてないからないけど」

「でしょうね! 今すぐ取ってきますから、もうしばらくお部屋でお待ちください!」

「ええ、でもそれだと朝ご飯が冷めちゃう……」

「また作り直しますから! それでは、決して部屋から出ないでくださいね!」

 

 しょんぼりと肩を落とす姫巫女様にそう言葉をかけながら、寝室を後に。この後の掃除や、姫巫女様の世話なんかを考えると、頭が爆発してしまいそうなほど痛くなってしまう。

 そしてその痛みに慣れつつあるのもまた、否定しようがない事実で。

 彼女の観察研究を始めてからちょうど一年目の朝は、そんな俺の混乱から始まった。

 


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