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「──銀陽の姫巫女、ソフィラティア=エルガーデン。ここに参上しました」
謁見の間に足を踏み入れると、姫巫女様のそんな言葉が、静かに響いた。
並べられた椅子は全て空席のまま。姫巫女様はただ一人、祭壇の前に座っている。
天井から降り注ぐガラス越しの陽光が、まるで劇場のように彼女を照らしていた。
太陽のような輝きを携える銀髪は、石の床に大きく広がっていて。
そして、閉じられた瞳の先に在るのは、龍を模した樹の彫像がひとつ。
「我らに導きを、救済の光を──銀陽龍様のお言葉をどうか、ここに」
誰にでもなく──否、正確にはその向こうの世界へ、姫巫女様は語り掛けた。
架け橋というよりは、『門』そのものである、と彼女は言っていた。
龍と人は、文字通り棲む世界が違う。龍とは、世界を創造した者。つまり俺たちの存在は、龍によって造られたとされている。正確には原初の龍と称される幾つかの龍が世界を創造し、俺達はその世界が変化する過程で産まれた存在なのだが、元を辿れば同じなので割愛。
とにかくここで重要なのは、龍とは本当に別の世界に棲む存在である、ということ。
そして、姫巫女とはその世界と繋がる者。別の世界からの言葉を聴くことが出来るもの。
「……はい、分かりました。たとえこの身が朽ちようとも、このお役目は果たします」
銀陽龍シルバソリオ。それが、姫巫女様がお仕えし、言葉を賜る龍の名である。
それは太陽を産んだ龍であり、また世界を創造したという、原初の龍の一柱でもあった。
「……頼まれていたもの、ですか。はい、もちろん用意してあります」
そんな、本来ならきちんとした神殿に祀られるはずの偉大な存在である銀陽龍が、どうしてこんなお世辞にも豪華とも言えない、大陸の隅にある小さな神殿に祀られているかというと。
「こちらが、先日街の方から頂いたアップルパイになります。お召し上がりください」
姫巫女様曰く、銀陽龍様は意外と庶民派、らしい。
──以上、銀陽の姫巫女における観察研究の報告、項目三二より。
「林檎の甘味が出ていて、とても美味しかったです。ほっぺたが落ちそうでしたよ」
組んだ両手を離し、頬に両手を当てながら、姫巫女様はそんなことを呟いていた。
当然ながら神殿は既に開いているので、彼女の口調も丁寧なものになっている。
龍の映し身である樹の像は、姫巫女様が何かモノを供えると、向こうの世界に居る銀陽龍へそのまま届く。原理が意味不明過ぎて姫巫女様に詳しく聞いてみたが、彼女はきっぱりと、「私が知る訳ないでしょ」と言った。つまりはまあ、そういうことらしい。
像の前に備えられたのは皿に乗ったアップルパイ。しかしながらそれはすぐに下げられて、また別の食べ物が乗った皿を姫巫女様が差し出した。
「それとこちらも。先日に銀陽龍様がおっしゃられていた、通りのパン屋さんの新商品です。試食をさせてもらったのですが、中にチョコレートが入っていてとても美味しかったですよ」
龍との対話は静謐の中で行われる。姫巫女様いわく、雑音が入ってしまうらしい。
それに、姫巫女様ご本人も、銀陽龍様とのお話しは静かにしたい、とおっしゃっていた。
なので俺は、まるで友人と話すように龍と言葉を交わす彼女のことを、静かに眺めていた。
「それと、先日神殿にいらしたお方からお菓子を頂いています。これも少し頂いたのですが、甘くておいしかったので、。ぜひ銀陽龍様も味わってください」
なんて言いながら姫巫女様はパンの乗った皿を下げて、焼き菓子の入った籠を像の前へ。
「あと服屋の娘さんが作ってくれたクッキーに、以前欲しいとおっしゃられていたケーキも。もちろんどれもとても美味しいものですから、銀龍様にもぜひ……」
なんて、ちゃっかり自分も備えた焼き菓子を摘まみながら、姫巫女様は──
「ぶほッ!」
ぶほッ!?
「ちょっ、太っ、いや、ないです! 大丈夫ですよ! ちゃんと適切な量を摂っていますし、ほんの少し、銀龍様へお供えするに値するかどうかを調べているだけです! そんな、決して味わう事が目的になっているわけでは……いや、本当です! そんなことしてませんっ!」
先程の慎ましやかな様子とは一変して、姫巫女様は慌てるような口調で叫び始めた。
「それにですよ? 仮に太っ……ほんの少し、丸くなったとしても! ちゃんと運動をすれば元に戻りますから! 別に少しくらい食べすぎたって……」
なんて言い訳じみたことを言っていると、姫巫女様はぴたりと体を止めて。
「へっ? アインがですか?」
……俺?
「だっ、だから! 何度も言っているように、アインとはまだそういう関係ではありません! 確かに彼はいい人です。私のことを全て受け入れてくれますし、心強く頼れる存在でもあり、それにですねたまにカッコいいところもあって、もしもそうした特別な関係になれるのなら、これ以上なく嬉しくはありますが、それはそれとしてまだ、まだその時ではないと……」
ありえない程の早口だった。内容を聞き取るのが困難なほどに。
「と、とにかく! ちゃんと体調管理はしてますから! 大丈夫です!」
……主に俺が、と口を挟みたくなったが、彼女の名誉のために口をつぐんでおく。
ちゃんと姫巫女様が健康的な生活を送れるよう、献立は毎日考えている。それでもなぜか、彼女は食べてもあまり栄養にならないというか、少し痩せ気味のままだった。本人はそこまで気にしていないし、太らない体質と言えばそれまでのことなのだろうけど。
でも、やはり不安を感じるところはある。心配性と言われるのは初めてではなかった。
「え? 少しは太った方がいいって……結局どっちなんですか……」
すると銀陽龍から何か指摘を受けたのか、姫巫女様はそう言ってため息を吐いた。
「確かに、私が痩せ気味なことは自覚しています。でも、それって仕方ないじゃないですか。こうして銀陽龍様とお言葉を交わすことで、かなり体力を消費してるんですから」
「えっ」
初耳だぞ。
「別に銀陽龍様のせいとは言っていません。姫巫女としてそれは受け入れているので問題は……って、え? そういう話ではないのですか? では、一体どういう……」
こてん、と首を傾げると、姫巫女様は何を思ったのか、その両手を自らの胸元へと当てて、
「…………………………」
…………………………。
「こっ、これは仕方ないじゃないですか! 私、まだ子供なんですよ!? 胸がなっ……ひっ、控えめなのはどうしようもないものなんです! それにですね、私はいま成長期ですから! まだまだこれからの…………はず……です……よ? ……たぶん」
叫んでいる途中で自分でも自信がなくなってきたのか、半ばに消え入るような声になって、姫巫女様はそう告げた。そしてもう一度自分の胸元へと手を添えると、重たい息を一つ。
……個人的には姫巫女様の言うとおり、そこまで焦る必要もないと思うけれど。
というか銀陽龍と一体何の話をしているのか。そちらの方がよっぽど気になった。
「……銀陽龍様、ひとつお伺いしたいことがあります」
沈黙したまま数分、姫巫女様は改めてそう、祭壇の前にある彫像へと向き直る。
「その、男の方は……大きい方か小さい方、どちらが好みなのでしょうか」
果たして、そんな彼女の問いかけに、銀陽龍が返した言葉とは。
「人によるって……! どういうことですか!」
ごもっとも。
「あなたは世界を創った龍でしょう? 曖昧な言葉で誤魔化さず、ちゃんと答えてください! 遠慮は要りません! たとえ逆境に晒されたとしても、私は決してめげませんから!」
そのような言葉はもっと別な場面で聴きたかったが、彼女にとっては重要なことらしい。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか疑問で仕方なかったが、問い詰めるのは憚られた。
それに答えを聞いたところで、俺の理解の及ぶものではないようだし。
などとあれこれ考えていると、姫巫女様はふと首をこてん、と傾げて、
「え? 後ろの奴に聴け……って……」
……まずい。こんな状況で話を振られても……。
などと心の中で悪態を吐いても、当然銀陽龍に俺の言葉が届くはずもなく。
「あ、アイン……?」
「……何時からとお聞きになるつもりであれば、最初から、とお答えしておきます」
震える声にそう答えると、姫巫女様はがばり、と勢いよく立ち上がる。
「どうしてずっと黙っていたんですか! いるならいると言ってください!」
「ですが銀陽龍様とお話でしたし、それに声をかけるなと言ったのは姫巫女様ですから……」
「ええ、確かにそう言いましたよ! けど、それとこれとは話が違うじゃないですかっ!」
もうっ、と顔に手を当てながら、姫巫女様は再びその場へと座り込んでしまう。
すると彼女は、指と指の間から翡翠の瞳を覗かせると、恐る恐ると言ったような声色で、
「……ちなみにですけど、話の流れって分かりますか?」
「姫巫女様が、ご自身の胸を大きくしたいとしか」
「ああーーーっ! 致命傷ではないけどかなりの重傷っ!」
叫びながら、姫巫女様は崩れるようにして地面へと蹲る。
……まあ、そういう話はあまり聞かれたくないだろう。特に異性には。
「うう……ひっぐ、えぅ……」
「泣くほどですか……」
ぶるぶる震えながら涙を流す姫巫女様の傍で、そうやって声をかける。
「だって……だって、まさかアインに聴かれるなんて……」
「それは申し訳ありません。ですがあれは……半ば、事故のようなものでして」
「事故だとしても、私が恥ずかしいことには変わりないんです!」
もうっ! と再び彼女は顔を手で覆い、そのままごろごろと地面を左右に転がり始めた。
自暴自棄になって暴れられるよりはマシなので、そのままにしておく。
しかし、恥ずかしいと来たか。俺は別には何とも思わないが、そういう話でもないだろう。
それを踏まえて、姫巫女様の機嫌を直すには、どのような言葉をかければいいか。
…………ええと、多分。
「姫巫女様、少しよろしいですか?」
「……なんです?」
「姫巫女様がお悩みになっていることは、決して恥ずべきことではありません」
俺の言葉に興味を示してくれたのか、姫巫女様は転がるのをやめて、こちらを向いた。
「姫巫女様と近い歳で、同じような悩みを持つ女性の者も少なくはありませんよ。ですから、そうしたお悩みを持つことはむしろ、普通のことですから。安心してください」
「……それは本当ですか? 証拠は?」
「私の卒業した学院でも、そうした話題は一定数ありました」
もっとも、そうした話の環に入ることはあまりなかったけれど。
なんて数年前のことを思い出していると、ふと姫巫女様が俺を見つめていることに気づく。
「……アインは、学院に行ったことがあるのですか?」
「むしろ私のような者は、学院を卒業したものしかなれません」
研究所勤め、というのも含めて。
「は、初耳ですけど! どうしてそんな大事なことを今まで隠していたんですか!?」
「いや、隠すも何も……姫巫女様がお気づきにならなかっただけで……」
「そんなの言い訳ですっ!」
がばり、と俺の服を掴みながら、姫巫女様が迫ってくる。
「学院の様子はどんなものでしたか!? 勉強はどんなことをしたんですか!? いつも友達とはどんなことを!? あ、あとやっぱり学院と言えば、恋愛ですよね! アインは……」
「分かりました、分かりましたから! ちゃんと話しますから、落ち着いてください!」
ぐいぐいとかなりの勢いで詰め寄ってくる姫巫女様に、思わずそう叫んで返す。
すると彼女は珍しく聞き分けがよくなって、すんと口をつぐんで俺から離れてくれた。
……そこまでして聞きたいものなのだろうか?
「私が通っていたのは、ヴァルトネーベルの中央学院でした」
「ヴァルトネーベル? 中央?」
「ここの付近では、一番大きな学院と思ってもらって構いません」
実際、この大陸では最も規模の大きなところではあるが、今は割愛。
「学院では毎日勉強しかしてなかったです。というより、勉強しなければなりませんでした。説明は省きますが、事情があって。自分で言うのもアレですが、一応優秀だったらしいです。専用の研究室もあてがわれていたので、卒業するまでそこにずっと閉じこもっていました」
「それは……大変だったのですね」
「大変でしたが、やらなければいけないことでしたから。仕方のないことです」
弱音を吐く暇すらなかった。結果を出さなければ、学院に留まれるかすら怪しかったから。しかしそのお陰で結果も出すことができたし、こうして姫巫女様の傍にいることができる。
そう考えればまあ、悪くはなかった。
「その、アインがしていた研究、というのは?」
「……この世界における、魔法というものの基礎についてです」
嘘を吐くか迷ったが、果たして俺の口から発せられたのは、真実だった。
魔法。かつては伝承や神話の中だけの存在だと思われていた、神秘の力。
そして現代では研究が進み、実現が可能となっている、技術の一つであった。
「もしかして、だから私の元に来てくれたのですか?」
「…………というのは?」
「魔法について知っているから、私の元に来てくれたのかと」
一瞬だけ焦りを感じたが、姫巫女様はそんな風に受け取ってくれていた。
「まあ、そうなります。姫巫女様が銀陽龍様と会話できるのも一種の魔法……我々の言葉で、第四魔法ということになります。ですから、傍に置くのであれば魔法に通じたものを、と」
魔法学における第四魔法。人理超越。領域外の神秘。世界の理の向こう側にあるもの。
つまり、まだよくわかっていない、人間の理に落とし込めていないもの。
それが第四魔法であり、世界横断というのは、その中の代表的な魔法でもあった。
「かっこいいです! いかにも魔法博士、って感じで!」
「それを言うなら魔法学士ですが……今の私は、この神殿の神殿長ですから」
できれば、姫巫女様にそう呼ばれる日が来ないことを願う。
「でも、それでしたらアインの学院生活は本当に勉強ばかりだったのですね」
「……それだったら、まだよかったのかもしれませんが」
「? どういうことですか?」
これは話してもよいものなのだろうか。確かに隠し事はなし、とは言ったが、さすがに。
……可愛らしく首を傾げてこちらを見つめる姫巫女様に、折れた。
「部屋をあてがわれた、と言いましたよね。もっと詳しく言うと、研究室なのですが」
「はい。そこでアインは研究をしていたんですよね」
「実は、同室の人間がいたんです。いわゆるパートナーと考えてもらって構いません」
というよりは、無理やり組まされた同僚、というのが正しいのだろうが。
「パートナー……では、友達だったのですか?」
「友達……」
そう形容してよいのか疑問に思ったが、今は置いておくことにした。
「楽観主義な奴でした。楽しければ何でもいいというか、自分が楽しめれば手段を択ばない、とんでもない奴です。そんな奴にどうしてか俺は懐かれて、たびたび振り回されていました。本当に地獄でした。奴の相手をするなら勉強していた方がマシと思えるくらいに」
「……部屋を変えることは、できなかったのですか?」
「可能であれば、部屋が決まったその日の午後には相談していましたね……」
そして何よりも、このことを語る上で重要なのは。
「私のパートナーは、魔女だったんです」
「魔女……ですか?」
第四魔法の権化。異常存在。選ばれし者。神秘と奇跡が融合した存在。
そして、魔法学的に見るのであれば、姫巫女様の別称でもある。
「驕るつもりはありませんが、先ほども言ったように私はそこそこ優秀でした。成績も同期の中では常に最上位でしたし、何より学生に研究室が与えられること自体が異例です。自分が、あの学院の中でも重要な役目を担っている自覚はありました。ですが彼女は……!」
「ど、どうしたんですか?」
「……彼女は私と同じ成績で学院を卒業しました。そして、私は首席でした」
最早、生きるか死ぬかの瀬戸際で足掻いている俺の隣を、彼女は悠々と並走してきたのだ。
劣等感とか、そういう次元の話ではなかった。何だこいつ、と驚き呆れるような、そんな。
「魔女とは産まれながらに魔法を使える者のことを言います。ですから、彼女は初めから既に魔法における全てを理解していたのでしょう。首席なのはむしろ当然でした」
「す、すごい方なのですね……」
「ですが同時に優秀でもあり、研究をしている際に何度も助けられたのも事実です」
それが彼女を語る上で一番癪なのだが、助けられている都合上、何も言えなかった。
「まあ、私の学院生活とはこんなところです。申し訳ありません、あまり面白くないもので」
「いえ、全然そんなことは……ええと、その」
すると姫巫女様が何か聞きたい様子だったので、それに耳を傾ける。
「アインは、その魔女さんと……どこまで行ったのですか?」
どこまで、というと……ああ、そういうことか。
「残念ですが、姫巫女様が想像するようなことは一切ありませんでしたよ」
というより、こっちがから願い下げだ。
「いえ、想像とかそんな……ただ私は、アインはその人のことをどう思っていたのかな、と」
「同じ部屋である以上、一定の付き合いはありましたが、それだけです」
本当にそれだけ。俺はそう認識している。たとえ本人に何と言われようが、それだけだ。
「ですから、今はどこで何をしているかすらも知りません。まあ生きてはいるでしょうが」
「そういうものなのですか……?」
「そういうものです」
たとえ人類が滅んでも草花や鳥たちと一緒に生きているような、そんな信頼はある。
「……話が逸れてしまいましたね。申し訳ありません」
「いえ、アインのそうした話は初めて聞きましたから。新鮮な気持ちでした」
「それはありがとうございます……ええと、元は何の話を」
ああ、そうだ。
「姫巫女様が、ご自身の胸を大きくしたいとか」
「そ、そうですけど……やはり、そう正直に言われると恥ずかしいですね」
必死に当時の微かな記憶を引き出しながら、姫巫女様に向かって口を開く。
「私は男なので上手く助言できるか不安ですが……乳製品が効くという話はよく耳にします。それ以前にちゃんと健康的な生活をして、あとは……適度な刺激を与えると成長する、とも」
「適度な刺激? それはどういったものなのですか?」
「……あくまで噂や迷信である、というものを前提にしてお伝えしますが」
俺の言葉に、姫巫女様がこくりと頷いた。
「自分が好意の寄せる人に胸を揉まれると大きくなる、というものでして」
「…………へ?」
「もっと軽い言葉で言えば、好きな人に揉まれると大きくなる、ということです」
正直眉唾ものではあるが、実際に胸部への刺激は成長の要因にもなると。
……あの魔女の言うことは、どこか信じがたい。いや、正しいことを言っているはずだが、普段の振る舞いがそうさせるというか。胡散臭い、というのが一番似合うのだろう。
「す、すきなひとに……ですか……?」
なんてことを考えていると、ふと姫巫女様がこちらを見つめていることに気づく。
頬も心なしか紅潮しているし、瞳もどこかぼうっとしている。
……なにか、ものすごい速度で考え事をしているな、ということは理解できた。
「その、あくまで噂程度ですので、あまり正直に受け取らないでくださいね」
「そ、そうですよね! うん、大丈夫ですよ! 大丈夫! あはははは!」
俺の言葉に姫巫女様はぱっと顔を上げて、そう笑った。
……やはり、そういった世俗的な話は教えるべきではなかったか。
ただでさえ彼女は世間に疎いのだ。変な勘違いしてしまうかもしれない。
そうしたすれ違いはやがて、街の人との交流に支障をきたしてしまう恐れがある。
しかしながらそうした俗世間のことも知らないと、人の悩みを聴けないというのも事実。
難しくはあるが、姫巫女様の傍に仕える者として、正しいことをお伝えしなければ。
「では姫巫女様、そろそろ儀式の準備を……」
「あ、いや、ちょっと待ってください!」
なんて急に姫巫女様に引き留められて、思わずそちらへ視線を向ける。
「アインにもう一つ、聞いておきたいことがあるのですが……」
「はい、なんでしょう」
すると彼女は消え入りそうな、ほとんど内緒話をするような声色で。
「アインはその、大きい方か小さい方、どちらが好みなのでしょうか……」
…………ええと。
「それは……」
「あっ、まだ勘違いしないでくださいね! 別にその、ええと、アレです! 一般的な男性はどちらが好みなのかなと思いまして! 別に答えたくなかったらそれで大丈夫ですから!」
「ああ……そういえば、先程も銀陽龍様に言われていましたね」
すっかり忘れていた。まさかここで聴かれるとは。
……どう答えたものか。正直なところ何と答えても、間違いにしかなりそうにないが。
「大丈夫です、アインがどのような好みでも私は受け入れますから!」
「どうしてそんなに覚悟が決まっているんですが……」
悩んだ挙句、正直に打ち明けることにした。
「……一般的には、大きい方が好まれると言われています」
「ぐっ」
「ですが私は、どちらかといえば落ち着いた雰囲気が好みですから。そういう意味であれば、控えめな方を。なので必ずしも、大きい方が好まれるわけではないのでご安心ください」
「…………………………よし」
どうしてか小さく拳を握りしめる姫巫女様に、思わず首をひねった。
「そ、そうですよね! 大きいからとか小さいからとか、そういう話ではないですもんね! 銀陽龍様に言われた時はどうかと思いましたが、気にすることでもありませんでした!」
「……そういえば、私も聞きたかったのですが」
「はい、なんでしょう?」
にこにこと明らかに機嫌のよくなった姫巫女様に、問いかけてみる。
「先程、銀陽龍様が私の名を出していたようですが、あれはどういうことですか?」
「…………へ?」
世界を見通す龍に名を呼ばれたということは、存在を認知されているということ。
つまりそれは、俺の正体に関わることで。
「どうだったんですか? 銀陽龍様は、私のことを何と?」
「え、ええと、それは……」
「侮辱や軽蔑であっても構いません。銀陽龍様は私のことを、何と?」
「う、う……うううぅぅぅうううっ!」
どん、と。
急に叫び声を上げた姫巫女様は、俺を強く突き飛ばして、
「し、知りません! 知らないったら知らない! 知らないですもんね!」
「ちょっ、姫巫女様、どこへ……!?」
「わーっ! わー、わーっ! わあああぁああああ!」
耳を塞いで声を荒げながら、そのまま謁見の間を跳び出てどこかへ消えてしまった。
あまりに突飛な姫巫女様の行動に、思わず呆けてしまうこと数十秒。
そこではじめて、ふつふつと後悔の念が体の奥底から湧いてきた。
「やってしまった……」
自分の立場が危ういからと、あんな強引に姫巫女様へ迫ってしまうとは。
もしかすると嫌われて……いや、一時的な反応だと思いたい。
……探しに行った方がよいのか、それともこれ以上声をかけない方がいいのか。
でも姫巫女様なら、しばらくすれば戻られるだろうし、ああでも……
「……何をしてるんだ、俺は」
元はと言えばあの龍が俺の名前を出したからこうなったのだ。
責任を押し付ける気はないが、その経緯を知る権利はあると思う。
まあ、どれだけ願っても無理な話ではあるが。
「バレてないことを願うしかないな……」
気になったことは二つ。姫巫女様がどういうわけか、アインの名を出された際に、俺の事を褒めていたらしいこと。そしてそれが同調ではなく、反抗するような言い方であったこと。
考えられるのは俺の正体が明かされたが、姫巫女様がそれを信じなかった、くらいか。
そこまでの信頼を得られているかは疑問だが、そうあってほしいと願うほかなかった。
…………姫巫女様に嫌われたくは、ないな。
『きみ、本当に乙女心ってのが分かってないね』
どうしてかそんな、とある魔女の言葉が思い起こされた。
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