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その日は、指先が凍ってしまいそうなほどの、ひどく冷たい雨の降る日だった。
言い渡された任務は、世界横断を内包する少女――姫巫女という存在の一人を極秘に保護、そのまま経過を観察しつつ、速やかに研究所へと保護するという、簡単なもの。
だが正直なところ、俺はこの任務に乗り気ではなかった。というのも先代の姫巫女を殺し、その上で再び同じ過ちを犯そうとしている組織の任務に、乗り気になる方がおかしかった。
「……ここか」
やがて俺が辿り着いたのは古ぼけた神殿だった。。
入ってすぐは、大きな空間――龍の言葉を賜るための、謁見の間という施設だった。
部屋の左右には幾つもの長椅子が並び、その中心を通るように赤い絨毯が敷かれている。
そして、光。雨雲を切り裂く、白銀の陽射し。その中に立つのは、一人の少女だった。
揺れるのは太陽の光を紡いだかのような、足先まで届く銀髪。瞳は海のような深い翡翠で、その双眸は俺のことを見つめたまま動かない。まるで、何かを見定めるように。
振り続ける雨の中、差し込んだ光の先に立つ彼女は、まるで絵画のように麗しくて。
見惚れていたんだと思う。どうしても少女から、目を離すことができなかった。
指先が凍てついて、動かなくなるような、そんな錯覚を覚えていた。
「……誰?」
静謐を破ったのは、彼女だった。
一言。けれどそこには、一言では表せないほどに重く、そして縋るような意思があった。
……たぶん俺は、この時から解っていたのだと思う。
彼女が姫巫女という偽りの自分に、今にも殺されそうになっていたということを。
「……私の、……名は」
俺が最後の一人だった。巡り合わせなのか、それとも悪運と呼べばいいのか。
結局今になっても分からないが、けれど後に退くことはしなかった。
目の前の彼女が、まるで陽炎のように儚い存在に思えたから。
「私の名は、アイン」
繋ぎ留めなければ。消え行く少女を見届けるのではなく、その手を握らなければ。
そのためならこの俺の身など捨ててもいいと、心の底から確信した。
それほど彼女は麗しく、神秘的で。そして、何よりも澄み切った存在だったから。
「あなたのお傍に仕えるため――あなたを救うため、ここに参りました」
「…………夢、か?」
そうでなければあり得ない。姫巫女様との初めての邂逅を、俯瞰で眺めていることなど。
箱庭のようだった。暗闇の中、意識だけがそこにあるような、そんな曖昧で不思議な感覚。
俗にいう明晰夢というものだろうか。まるで、自分の頭の中を覗いているような、そんな。
「そこまで難しく考えんでもよい。お主にとっては夢で構わんよ」
聞こえたのは女の声だった。老人のような言葉遣いに反し、声色は若い。その声の方へと、目──正確には意識そのものだろうか──を向けると、一人の少女が俺の前に現れた。
薄い青の下地に銀色の装飾が施された、姫巫女様の巫女装束をそのまま豪華にしたような、そんな衣装。髪の色も姫巫女様と同じ輝かしい白銀で、顔立ちも心なしか彼女に似ている。
違うのは、瞳が朝焼けのように眩しい、澄んだ橙色をしていたこと。
そして、何よりも目を惹いたのは、頭の上に生えた山羊のような二本の角。それはまるで、空を閉じ込めて結晶にしたかのような、きらきらとした光を放っていた。
「こうして会うのは初めてじゃな、アーベントロートの者よ」
俺の名前を呼ぶと、彼女は片手を上げながら、にかりと歯を見せて笑う。
そこで初めて、細められた瞳の瞳孔が、まるで爬虫類のように細長いものだと気が付いた。
……確か、龍とは生物で例えるならば、蜥蜴や蛇のような爬虫類に似ているとか。
まさか。
「銀陽龍様?」
「いかにも。我は銀陽の創造主、シルバソリオ=エル=ドラグニカ、その者である」
むん、と胸を張って、少女──否、銀陽龍様はそうお答えになった。
「しかしよう分かったの。信じてもらうのに少しは時間が要るかと思ったが」
「……おそらく、こんなことが出来るのは、この世界で銀陽龍様だけかと」
「かか、確かにのう。聞いとるよりもお主はこの世界を理解しとるようじゃ」
正しくは理解できないことを理解している、といったところだが。
今だってそうだ。銀陽龍様が俺の前に姿を現した理由など、理解できるはずもなかった。
「だからそう難しく考えるなと何度言えば分かる。我が姿を現すのがそこまで珍しいか?」
「……龍とは、姫巫女としか言葉を交わせないものではないのですか?」
「いかにも。じゃが、どうも貴様とは波長が合うのじゃよ。あ奴の傍におるせいかもしれぬ」
曖昧過ぎる返答に少し困ったが、事実として起きている以上、否定しようもなかった。
「さて、お主のことはよく知っておるぞ、アインラヴェンデル」
「……どういう、意味で?」
「そう怖がらんでもよい。本来のお主の正体なぞ知っておるし、お主の心労も解っておるよ。いやはや、面白いものを見させてもらっとるわ。安心せい、我はお主の味方よ」
「姫巫女様には」
「そこら辺は弁えておるつもりじゃ。言ってしまったほうが面白いと思うがの」
ちっとも面白くないし、できれば勘弁してほしいところだが。
「それで、銀陽龍様はどうして私の夢に?」
「ああ、そうじゃった。お主に一つ、聞きたいことがあって来たのじゃよ」
「聞きたいこと、ですか」
「然り。我はその問いに対する、お主の答えを望む。別にこれはあ奴に言う訳でもないから、自分の好きに答えればよい。お主のそのままの答えを聞かせよ」
それは、俺が研究所の職員であることも含めてだろうか。
ついぞその疑問に答えることはなく、銀陽龍様は口を開き、
「アインラヴェンデルよ。お主は、姫巫女――ソフィラティアの事をどう思っておる?」
そんな問いかけを、俺へ投げてきた。
「姫巫女様を……ですか」
「ああ。お主にとって姫巫女はどんな奴じゃ? 研究対象か? それとも尊ぶべき存在か? はたまた……いや、これは言うべきではないな。お主というより、あ奴に怒られそうじゃ」
「……少し、考えさせてください」
「好きにせい」
によによと、やたら悪戯めいた笑みを浮かべる銀陽龍様に、そう言ってしばらく思考する。
銀陽の姫巫女、ソフィラティア=エルガーデン。彼女は俺にとってどんな存在か。
単純に答えるのなら姫巫女様、ということになるが、そういう訳でもないだろう。
それではどんな人か、と思考を巡らせていると、意外にも答えはすぐに見つかった。
というより、初めて会ったその時から、俺はこう思っていたのだろう。
「姫巫女様は、正直なお方です」
「……ほう? 続けてみよ」
銀陽龍様に言われるがまま、その先を口にする。
「思ったことはそのまま口にしますし、他の何よりもご自身の気持ちを最優先するお方です。稚拙だとはあえて言いません。おそらくその在り方こそ、彼女が姫巫女である理由なのです。何者にも縛られない姫巫女様のお言葉は、確かに人々の助けになっています。ですが……」
「……なんじゃ? 申せ」
これを銀陽龍様の前で言ってよいものなのか少し迷ったが、続けることにした。
「彼女は、嘘を吐くのが嫌いなのだとも思っています。ですから彼女が姫巫女であることは、同時に彼女自身を苦しめている。自分を偽ることに、ひどく罪悪感を覚えているのでしょう。でも、自分を偽らなければ姫巫女になれない。姫巫女でない彼女の言葉は、誰にも届かない。だから彼女は、自分の存在が消えかかっていようとも、姫巫女という機能で在り続けている。それが人々を救うために必要なことだから。自分しか、姫巫女はいないから」
「なるほどのう。よう見ておるわ」
「だからこそ私の前では、彼女は本当の自分でいてほしいと思います。自分を偽ることなく、自由であってほしい。そのためなら私はいくらでも彼女に付き合います。ありのままの彼女を受け止めます。それが、私が彼女にできる、唯一のことだと思いますから」
そのためなら俺は、あの時と変わらず、やはり全てを投げ出せるような気がした。
「……只の人間が、ようそこまで言い張れるわ」
「只の人間だからです。私にできることは多くない。だからこそ、それを成さなければ」
「愚かだとは言わん。じゃがな、それはお主そのものを削っていることを忘れるでないぞ」
「……この俺の体一つで、彼女が自由になるのなら本望です」
そう答えると、銀陽龍様は呆れたような顔で、大きな息を吐いた。
「ま、止めることはせん。それにそれくらいの方が、あ奴と相性がよいのかもしれんし」
「……それは、どういう?」
「なに、こっちの話じゃよ。お主は気にせずともよい。いずれ解ることじゃ」
その言葉を気に掛ける暇すら与えずに、銀陽龍様は続けて口を開いた。
「さて、アインラヴェンデルよ。お主のその言葉、しかと我に届いたぞ」
「……答えになっていたでしょうか」
「充分すぎるほどにな。それに、お主がどういう人間なのかも理解できた」
その言葉に、少しだけほっとする自分がいた。
「そろそろ朝が来る。夢から醒める時じゃ」
「分かりました」
意識が朦朧としていくのは、そう答えたのと同時だった。
「ではまたの、アインラヴェンデル。次に会うのが何時かは分からんが、それまでに──」
うっすらと霞んでいく視界の中、煙のように解けていく銀陽龍様は、俺へ向けて。
「──せいぜい女心の一つや二つ、理解できるようにしておくがよい」
それが何を意味しているか理解する間もなく、暗闇に朝焼けが訪れた。
■
「おはよ、アイン」
目覚めと同時に聞こえたのは、そんな姫巫女様のお言葉だった。
「…………おはようございます」
「珍しいわね、あなたがそんなにぐっすり眠ってるなんて」
きょとんとした顔でこちらを覗きながら、姫巫女様はそう呟いた。
「今は」
「朝の十時。私も今さっき起きたんだけど、あんたの姿が見えなかったから」
「……申し訳ありません、すぐに朝食のご用意を致します」
「別にいいわよ、そんなに急がなくて」
「そういう訳にもいきません。姫巫女様のお体にも差し障るでしょうから、少なめでも──」
と。
ベッドから体を出そうとしたその瞬間、急激な眩暈に襲われる。
まるで、地面が回転しているような、空中にいきなり放り出されたような、そんな浮遊感。
そのまま床へ脚をつけることもできなくて、情けなくもう一度ベッドに横になってしまう。
「だから言ったじゃないの。私より自分の心配しなさいよ」
「……申し訳ありません」
頬を膨らませる彼女に、そう答えることしか、今の俺にはできなかった。
「何があったの? 徹夜? それとも風邪? 熱は……なさそうだけど」
「……ご心配頂き、ありがとうございます」
額へあてられた手を優しく退けながら、正直に打ち明ける。
「夢の中で、銀陽龍様とお会いしました」
「……はぁ?」
なんて苛立った声を上げたかと思うと、姫巫女様が溜息と共に片手で顔を覆う。
「あの方は……あれほど慣らしてからって言ったのに!」
「……姫巫女様は、ご存じだったのですか?」
「私以外にも話せる人がいるってことはね。でも、あんたに会いに行くなんて聞いてない」
ふん、と不機嫌そうに口を尖らせながら、姫巫女様はそう答えてくれた。
「……あんた、昨日の私と銀陽龍様の話、覚えてる? 真後ろで黙って聴いてたんでしょ?」
「断片的にですが……」
「その中で、私が銀陽龍様と話す時、すごく体力を使うって言ったけど」
ああ、そういえば、そんなことを言っていたような……。
「……内緒にしていましたよね」
「それは……そうだけど! あんたに話す必要がなかったのよ!」
「言い訳……」
いつもならもう少し問い詰めるところだったが、そんな体力も残っていなかった。
「そもそも龍と言葉を交わすっていうのはね、龍の力の一端を体で受け止めるってことなの。まして、相手は世界を創った原初の龍なんだからね? そうした反動があって当然よ」
「……姫巫女様は、それを毎日なさっているようですが」
「私は慣れた。っていうか、その対話に慣れる人間が姫巫女ってわけ。順序が逆」
……この疲労感と眩暈に慣れる? そんなことが出来るものなのか。
「ま、そんなわけだから少し休んでなさい。三十分もすれば元に戻るから」
「ですが、それでは姫巫女様の朝食が……」
「私のことより自分の心配をしなさいよ。あんた、一人で起きれるの?」
「でもそうしなければ、姫巫女様にご迷惑が――」
そう言って再び立ち上がろうとするけど、やはり強烈な浮遊感が襲い掛かってくる。
今度はベッドから落ちそうになったところを、姫巫女様に受け止められた。
「……次は無いわよ」
「申しわけ……ありません……」
「あんた、そういうところは無茶したがるのよね。別に私は気にしてないってのに」
などとぶつぶつ呟いた姫巫女様が、よいしょ、とベッドの上へと乗り上がってくる。
そして支えたままの俺の頭を、自らの膝の上へと優しく寝かせてくれた。
…………ええと。
「姫巫女様」
「こうでもしないとあんた、休まないでしょ」
真上から覗き込むさかさまの姫巫女様が、呆れた声で言ってきた。
「ですが、このような真似はその、あまりにも……」
「なに? 見惚れた女に膝枕されるのは嫌?」
「決して嫌ではありませんし、むしろそのお気遣いは非常に嬉しいのですが……」
「ならいいじゃない。十分とかでもいいから、しばらく寝てなさい」
胸元を優しく叩かれると、瞼がだんだんと重くなっていく。
暖かかった。まるで太陽に当たっているかのような、柔らかな温もりが感じられた。
浸っていいものではないと思う。俺のような人間が、彼女の優しさに触れるなど。
けれど、まどろみの中では立ち上がる力すらも湧かなくて。
「…………申しわけ、ありません」
「いいのよ。あんたは頑張りすぎなの」
小さなその手で目を覆われる、その瞬間。
「私にも、少しくらい救わせなさいよ」
姫巫女様が儚い笑みを浮かべているような、気がした。
■
あれから姫巫女様に言われた通り少し休み、軽めの食事を喉に通してから。
後に回していた謁見の間の掃除の、その最中のことだった。
「…………あれ?」
それは何の前触れもなく、いきなり俺の目の前へと現れた。
「なぜ……」
初めに感じたのは疑問だった。そして後からふつふつと湧き上がるように、恐怖が迫る。
見間違いであってほしかった。だが、どうやらそういう訳でもないらしい。
床でもぞもぞと動くそれに、俺はしばらく立ちすくんでから、ゆっくりと距離を取った。
「落ち着け……大丈夫だ、そう……何も問題はない……」
自分に言い聞かせる。そうでなければ腰が抜けて、膝から崩れ落ちそうだったから。
「どうしよう……」
出ていけと言って従うようなものでもないし、ましてや手で触れるなどできるはずが。
……いや。姫巫女様にお仕えする者として、そんな弱気になってどうする。
「やるしかないか……」
一番いけないのは、あれが姫巫女様の眼に触れること。それだけは避けなくては。
それに彼女の為に全てを捧げると誓ったのだ。そう考えると、不思議と肩の力が抜けた。
……守るものがあると人は強くなるというのは、どうやら本当のことらしい。
何も恐れることはない。普段の俺のように、事務的に処理してしまえばいい。
「行くぞ」
倒すわけじゃない。せめて箒の先で触れて、どこか遠くへ飛ばせれば。
彼我の差は既に三歩ほど。そこから更に距離を詰めるが、あちらが反応する様子は無い。
このままの調子でいけば、上手くいくはず。だから何事もなく──。
「ちょっとアインー? 体はもう大丈夫なのー?」
「あ」
ぶーん。
「ああああぁぁぁああああああ‼」
うわああああああ!? あああっ、ああああ! おあああぁぁぁぁあああああ‼
「ちょっ、は、え、何!? どういうこと!?」
「ひっ、ひひ、姫巫女様っ! どうかここから離れてください、今すぐ!」
「危険って何よ!? いいからちゃんと説明しなさい!」
「ですから――」
ぶーん。
「あぁあああもう無理! やっぱり無理だろっ! ふざけるなよこいつ! 今すぐ死ね!」
「いや、だから何が……」
「今までありがとうございました! あなたにお仕えすることができて、本当に幸せでした! ここで果てるのに後悔はありません! ですからどうか、私の事は見捨ててください!」
思わずそう姫巫女様に訴えるけれど、彼女は俺の背後を不思議そうに見つめるだけ。
「……何も、危険な風には見えないんだけど?」
「あなたにはアレが見えないというのですかっ!」
半ば怒りの伴った叫びと共に、突き出した指の、その先に居たのは。
「……クワガタ?」
すると彼女は、怪訝な目で俺の事を見降ろしながら。
「アイン? あんた、もしかして……」
「苦手なんですっ!」
こうして情けなく、姫巫女様のお体に縋るほどには!
「……ちょっと意外ね。あんたがこんな虫一匹でそんなに騒ぐなんて」
「逆にあなたはどうしてそんなに落ち着いていられるんですか!」
そんな俺の疑問に、姫巫女様は呆れたようなため息だけを返した。
「とりあえずこの子は外に返しましょ。そこまで騒がれる方が不憫だわ」
「で、ですが姫巫女様……それは、虫……ですよ?」
「なるほど。あんたクワガタじゃなくて虫全般がダメなのね」
なんて俺の言葉に呆れる様子を見せながら、姫巫女様は黒いその影へと手を伸ばす。
そして──ひょい、と。
まるで、作りかけの菓子をつまむような、落ちた筆を拾い上げるような。そんな気軽さで、姫巫女様はあの忌々しい生き物を掴み上げた。今までで一番心強い、彼女の姿だった。
そうやって呆気に取られている俺など目もくれず、姫巫女様は片手で謁見の間の扉を開く。
「さよなら。アインがうるさくなるから、もう来ないでね」
そんな言葉を添えてから、姫巫女様が手を放す。
舞い上がったクワガタは、その雲一つない空へと羽ばたいて────ゆかずに。
『やっと見つけたよ、姫巫女サマっ!』
などと、少し高い女の声で、高らかに叫んだのだった。
「え……? 今、喋って……」
『あーっと、別にこの子が喋ってるわけじゃないんだ。この子を通じて、私が話してるの』
「どういう……こと? ね、ねえアイン? これっ、どうして……」
『あはは、確かに不思議だよね! じゃあ、少し早いけど種明かし、いってみよう!』
理解不能なこの状況で、ただはっきりとしているのは、その声の主の像。
そして、それはおそらく、この世で一番姫巫女様に見せてはいけない人物のもの。
「──っ、姫巫女様ッ! こちらへ!」
宙に舞うクワガタに赤熱を始め、その身を紅蓮に染めると同時、周囲へ炎を舞い踊らせる。
紅に染まる炎の向こう、一瞬のゆらめきの後に現れたのは、一人の少女だった
背中まで届く長い金髪に、赤黒い全身を包むローブと三角帽子。瞳は薔薇を描いたような、強く輝く朱の色。そして顕れた彼女は、こじんまりとした唇から大きく息を吸い込んで、
「初めましてだね、姫巫女サマ! 私のなま」
ばたんっ。
あぶない、間に合った。
「……今日は神殿を閉めましょうか。姫巫女様も、毎日働きづめでは大変でしょうし」
「あ、え? いや、えっと……今、扉の向こうに何か……」
「見間違えたのでは? やはり姫巫女様もお疲れのようですから、今日は休みましょう」
「で、でも……なんかあのクワガタが燃えてて……」
「クワガタなんて、そんな虫がこの神殿に入り込むわけないじゃないですか」
「あんたさっき、思いっきり私に抱き着いてたけど!?」
知らない。忘れた。というか俺が姫巫女様にそんなことするだろうか。ありえん。
『ちょっとー、いくらなんでもひどくない? せめて名乗るくらいはさせてよー!』
……違う。これは幻聴だ。そうであってくれ、頼む。
『相変わらずアイくんは恥ずかしがり屋さんだなぁ。そんなに照れなくたっていいのに』
聞こえない。何も聞こえない。そうだ、今日の俺は彼女と久方ぶりの休日を過ごすんだ。
ゆっくりお茶をしながら一緒に本でも読んで、何の変哲もない日常を過ごすのだ。
『んもー、いい加減、顔くらい見せてよ! 私もちょっと手段選んでられないの!』
「だったら帰れ!」
『それがそうもいかなくてさー……この扉っていくらするの? そこまで高くないよね?』
いや待て! いくらなんでも、それは洒落にならない──
『そぉ──れっ!』
ごばぁん、と。
腹の底に重く響く轟音と共に、俺と彼女を隔てていた扉が、はるか後方へと吹き飛んで。
差し込んでくる白い光の中に立つのは、金の髪を輝かせる一人の少女だった。
「さっきぶりだね二人とも! じゃあ改めて、自己紹介いってみよう!」
指先で上げた三角帽子の下には、意味が分からないほど清々しい笑顔が浮かんでいる。
そしてそれは、願うならもう二度と見たくない、魔女の笑顔だった。
「私の名前はエフィカトラシアルバフラム! 紅蓮の魔女、フラムって呼んでね!」
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