「36.9℃か。日本人だと微熱だがイギリス人のお前なら平均くらいだろう」
セシリアの計った体温計の表示を見ながら百春がそう口にした。
一般的なイギリス人の平均体温は日本人よりも1度高い37℃なのだ。
イギリス人にしてみれば38℃はまだ微熱で、いわゆる「熱がある」という状態は38.5℃~39℃ぐらいからということになる。
「運動直後で少し体温が上がっているはずなのだが、お前はそれで平均並みだな。おそらくお前自身の平均体温が少し低めなのだろう」
「そ、そのようですわね・・・」
「しかし、体温の割りに顔が赤いな。熱が原因じゃないようだが?」
「い、いや、それはほら!運動直後なので顔が少し紅潮しているだけですわ!!」
「んー、それもそうか。まあ、念のため少し横になって休んでいくといい。シャルロットはもう戻っていいいぞ。あとは俺がついていればいい」
「わかりました。じゃあセシリア、またあとでセシリアの鞄持って来るからね」
「ありがとうございますシャルロットさん」
セシリアがお礼を言うとシャルロットは保健室を出て行った。
そして保健室はセシリアと百春の2人だけとなる。
「体育の後でのどが渇いてるだろう?ほら、これでも飲め」
百春が持っていたのは500mlペットボトルのミネラルウォーターだった。
「ありがとうございます。いただきますわ」
ペットボトルを受け取るとそのままキャップを空けてミネラルウォーターを口にする。
「気にするな。具合が悪い生徒の面倒を見るのが俺の仕事だ」
ぶっきらぼうにものを言う百春だが、セシリアはイギリスで病床に着いていたころからこのぶっきらぼうさで接しられていたのでこのぶっきらぼうさにはもう慣れている。
「百春さま、相変わらずその、無愛想というか、もうちょっと笑って接してみてはいかかですか?」
「俺が笑いかけてやれば病気や怪我がすぐに治るならそうするが、そんなことをしても意味なんて大してないだろう」
一夏や千冬からも似たようなことを言われたが百春自身は改める気はなく、普段からこんな感じなのだ。
「本当に相変わらずですわね。何だか昔を思い出しますわ」
「そうか。あの頃もこうやって俺がお前の相手をしていたからな」
「あの頃から織斑家の皆さんには色々とお世話になりましたわ」
「こちらとしてもオルコット家には色々と世話になっている。特にうちの両親が亡くなってからはな」
百春が少しだけ遠い目をする。
その瞳には少しだけ蔭りが見える。
「あ、申し訳ありません。わたくしはそんなつもりじゃ」
失言だと思ったのかセシリアは慌てて謝罪する。
普段はぶっきらぼうで無愛想な百春とて両親の死に悲しみに暮れた事もある。
セシリアもそれはわかっているつもりだった。
「気にするな。両親は亡くなってしまったが俺にはまだ家族がいる。一夏や十秋がな」
「あの、千冬さんは入っていませんの?」
「あの姉はもう少し家でしっかりしてくれれば考える。休日は昼過ぎまで寝てるし、部屋も散らかり放題で家事が一切できんからなあの姉は」
「そうなんですの?千冬さんは結構しっかりしたイメージがありますけど」
「そんなのは上っ面だけだ。はっきり言って家庭内の事で一番頼りになるのは一夏だからな」
「一夏さんが?何故ですの?」
「あいつは家事のスキルが高い上に剣道をやっていた事もあって腕っ節もそれなりにあるし朝にも強い。十秋も家事は万能で体術を会得してはいるのだが、如何せん朝に弱いから一夏より早くは絶対に起きんしな。あの姉は論外だな。あれは家ではずぼらで困る」
セシリアは百春を見つめながら彼の話に耳を傾けていた。
憎まれ口を叩きながらも百春は珍しくどこか楽しげな表情を浮かべていた。
いつもはぶっきらぼうで無愛想な彼だが家族に対する愛情は深い。
千冬のことだって口で言うほど嫌っているわけではなくただ単に家ではもっとしっかりして欲しいという愛情の裏返しなのである。
「あの、ひとつ聞いてもよろしいですか?」
「何だ?」
セシリアはひとつ疑問に思っていることを百春に訪ねた。
「百春様はどうしてこの学園の保健医になられたのですか?百春様はお医者様になる為に今まで勉強をしてきたのではありませんの?」
「ああ、そのことか」
百春は少し可笑しそうな顔をしたがすぐにいつもの顔に戻るとポツポツと語り始めた。
「俺がここで保健医している理由はただ単に頼まれたからだな」
「頼まれたとは誰にですの?」
「この学園の理事長だ」
セシリアはそこで絶句した。
まさか学園のトップである理事長から依頼されたとはさすがに想定外だったらしい。
「あれは大学4年のちょうど今ぐらいの季節だったんだが、ある学会に出席する機会があってな。そのときにこの学園の理事長の轡木十蔵氏がその学会に出席していてな。なんでも全国保険医団体連合会のスポンサーとして来賓していたそうでな」
全国保険医団体連合会とは、「保険医の経営、生活ならびに権利を守り、国民医療の向上、医療保障の充実、国民の健康をはかること」を目的として結成された団体である。
「その学会で俺はちょっと揉め事を起こしてしまってな」
「揉め事?」
「学会に出席してたある教授が酷く気に食わん奴でな。言ってることは医学と向き合う事や患者の事より自分の出世と保身ばかりを気にするような奴だったから我慢できずに言ってやったんだ。『あんたは医学をなんだと思ってるんだ。そんな自分の出世や保身ばかりしか頭にないならあんたは医学を語るんじゃない』ってな。そう言ったらその教授が激怒して俺はその学会から追い出された。俺としてもあんな愚図のいる学会なんかにいても何の為にもならんと思っていたからよかったんだが、学会が終わったあとに来賓で来ていた轡木氏が俺のところに来てな。『あの場であのような毅然とした態度で目上の者にはっきりと意見ができる者はなかなか居ない。私は君が気に入ったよ』って言われてな。それで後にこの学園の保健医をやってくれないかって頼まれて、気が付いたら俺はここの保健医になっていたってわけだ。あのじいさんが俺の母校であるこの学園の理事長だって知ったときはさすがに驚いたけどな」
「そんな経緯があったんですか?何だか凄いですわね」
「まあ、俺としてもこうして母校で保健医をしているのも悪くはないと思っている。ちゃんとした医者になること諦めたわけではないがな。今は保健医という立場も気に入っているし仕事もやりがいがある。理事長への恩もあるのでこの仕事を辞めるつもりはないが、いつかは小さいながらも自分の診療所を開くことが俺の夢だからな。その夢の実現まではこの学園で保険医やっていくつもりだ」
いつもはぶっきらぼうで無愛想の百春だが夢の話を語るときの百春は少しだけ少年のような目をしていた。
セシリアも百春のそんな目を自分だけが見れたことに嬉しさを感じていた。
「おっと、つい話し込んでしまったな。俺は仕事に戻る。あまり長く仕事を放り出しておくわけにはいかないのでな」
百春が時計を見ながら口にする。
「そ、そうですか。わたくしったら楽しくってついついおしゃべりを。忙しいのに申し訳ありません」
「気にするな。忙しいのは嫌いじゃない」
きっぱり言って百春は仕事に戻って行った。
セシリアも百春と話が出来て嬉しかったのか顔を綻ばせてベッドに潜り込んだのであった。
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アイキャッチしりとり
セシリア「寝込みを襲われたら・・・キャー!!」
百春「脚立どこやったっけな?」
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数十分後
「失礼しまーす。セシリア、着替えと鞄持ってきたよー」
帰りのSHRを終えたシャルロットがセシリアの荷物を持ってきてくれた。
「わざわざすみませんねシャルロットさん」
「気にしないで。僕達はもう友達でしょ」
生来の優しさ故か、シャルロットは邪気の無い笑顔でセシリアに答えた。
セシリアも彼女の笑顔を見て自然と顔が綻ぶのを感じていた。
「気分はどうだ?」
百春もセシリアの様子を見にベッドの側に寄ってきた。
「はい。もう大分落ち着きましたわ。もう動き回っても大丈夫そうですわ」
「そうか。顔の紅潮も引いたようだし、もう問題はないだろう。もう帰るといい。着替えはベッドのカーテンを使って着替えてくれ」
「わかりましたわ」
シャルロットから荷物を受け取って手早く着替えを済ませてから百春に退室の声を掛ける。
「お世話になりました」
「別に大した事はしていない。礼なんていい。それと体調が優れないようだったらいつでも保健室に来ても構わん」
「よ、よろしいんですの?」
「ある程度体力が付いたとはいえ、お前はまだ油断はできないだろう?その場合は頼ってくれて構わない」
「は、はい!わかりましたわ!!」
「そのかわり仮病のときは容赦せんぞ」
「わ、わかっていますわ!べ、別に仮病を使ってまで百春様の側に居ようなんて思っていませんわ・・・(ボソッ)」
「?」
少し本音がボソッと出たセシリアだったが小声だったせいで聞こえなかったようで百春は首を少し傾げる。
「まあいい。それとここは学校だ。ここでは俺の事は先生と呼べ」
「わかりましたわ百春さ・・・、百春先生」
「うむ。では、お大事にな」
「はい」
「失礼しました」
シャルロットとセシリアは保健室をあとにした。
「はぁ、百春様ぁ」
久しぶりの想い人との対面にセシリアは恍惚と言った表情で言葉を漏らした。
すると不意に隣を歩いていたシャルロットが身を乗り出してこっちを覗き込んできた。
「どうしましたの?」
「ん~、なんていうか、百春さんのことよっぽど好きなんだなぁと思って」
「そ、そういう事はあまりストレートに言ってはダメですわ――――!!」
「なんだか見ていて微笑ましいからつい応援したくなっちゃうなぁ」
「ほ、本当ですの?」
「うん。僕はセシリアの事を応援するよ」
セシリアの真摯な想いに感銘を受けたシャルロットは彼女の恋路の応援をする事を決意した。
「ありがとうございます!ではわたくしも一夏さんの事でシャルロットさんを応援させていただきますわね!」
「へっ!?」
「応援してくださるならこっち応援するのが礼儀ですわ。だからわたくしにもシャルロットさんのことを応援させてくださいな」
「う、うん。ありがとうセシリア」
「では、握手をしましょう。それがわたくし達の盟友の証ですわ」
「そうだね。うん、握手しよう」
2人は互いの手をしっかりと握って握手した。
2人の盟友としての証。
ここに仏英同盟が完全に樹立した。
「では、参りましょう」
「そうだね。帰ろうか」
2人は並んで昇降口へと歩き始めた。