日曜日のお昼時。
藍越学園一年一組副担任の山田真耶は休日を利用して藤川駅周辺で買い物を楽しんでいた。
彼女も女性なので買い物に掛ける時間は長い。
といっても、別に買いたいものがあるわけではない。
男の心理からは理解できない者も多いが、女性は買いたいものが無くても買い物に行ったりするのなのだ。
つい足を伸ばして目的の店以外にもふらりと立ち寄ってみたりもする。
それで本人は結構楽しんでいるものなのだ。
「次はどこに行きましょう?」
駅前のロータリーでポツンと佇みながら小首を傾げて次の行き先を考え込む。
歳不相応の童顔に比較的小柄な背丈にメガネを掛けている彼女のその仕草は非常に可愛いものがある。
その証拠に、行き交う男たちがチラチラと彼女を窺っていたりする。
だが当の本人はその視線に気付くことはない。
むしろ彼女は自分がかなり高レベルの容姿をしているのを自覚してすらいない。
女性なので毎日鏡を見ているはずなのだが。
「は~い、そこのカノジョ~♪いまお暇~?」
横から見た目に軽そうな男がやって来て時代遅れのナンパ定例句で真耶に話しかけてきた。
しかし真耶は無反応だ。
それは彼女の脳内で『自分がナンパなんてされるはずがない』という認識があるせいでまったく自分に対する言葉だと思っていないからだ。
「ねぇ~、ちょっとカノジョ~。ほら無視しないでよ~」
隣から声を掛けているのにそれでも真耶は気付かないで次の行き先を思案している。
ナンパ男からみれば完璧な無視である。
苛立ちを覚えたのかナンパ男は強引に真耶の肩を掴んで引き寄せた。
「きゃっ!?」
「無視するのはどうかと思うんだよね~」
「え、あ、あの・・・?」
「ね~、暇でしょ? 俺と一緒にお茶でもしない~?」
「え、え、え・・・?」
天然である彼女はこの状況においてもまだ自分がナンパされていることには気が付いておらず、状況が飲み込めずにオロオロするばかりだった。
ナンパ男も真耶が拒絶しないのをいいことに馴れ馴れしく肩を組んで彼女を連れ出そうとする。
「待たせたな真耶」
が、突然別の男が現れて真耶の肩に回されたナンパ男の手を強引に引っぺがした。
「イテっ!?」
突如現れた男にナンパ男と真耶は視線をその男に向ける。
「あ―――――」
真耶が思わず驚きの声を上げる。
「すまないな。少し遅れてしまったみたいだな」
そこにいたのは織斑百春だった。
真耶と同じ藍越学園の教員で彼女が日頃からお世話になっている織斑千冬の実弟でもある。
千冬と同じく、真耶は百春にも学生のころから色々お世話になっている相手だ。
だが、真耶にとっては百春はそれ以上に特別な相手でもある。
「百春せんぱ―――――」
「おいあんた、悪いがこの娘は俺の連れなんだ。ナンパなら他を当たってくれ」
「へ?ナンパ・・・?」
今さら自分がナンパされていた事に気付く真耶。
このような状況にならないと気付かないのが彼女の天然っぷりを匂わせる。
「ああ?んだぁテメェは!邪魔すんな、引っ込んでろ!」
唐突なる闖入者の百春に向かってナンパ男は敵意を顕にする。
「『テメェ』というのは『手前』が元の意味で、本当は自分を意味するんだぞ?」
百春は敵意を受け流すように揚げ足を取る。
「バカにしてんのか!?ああ!?」
「別に。知らないようだから教えてやっただけだ」
「この野郎、バカにしやがって!!」
百春の物言いがナンパ男の神経を逆撫でする。
(あわわっ、ど、どうしよう。これってまずいんじゃ・・・?)
真耶が更にオロオロとする。
一触即発の雰囲気にどうしたらいいのかわからないようである。
「男に用はねぇ!消えろっ!!」
我慢の限界が来たナンパ男は百春の顔面目掛けて拳を振り下ろす。
「きゃぁぁぁ!」
真耶は思わず手で目を覆う。
「いででででっ!!」
が、男の拳は百春の顔面を捉える事無く空振りし、百春は身体を翻してその腕を捻り上げた。
「あんた、人間の身体に精通している職業を知ってるか?」
ナンパ男の腕の関節をガッチリと決めながら百春は問う。
その眼は鋭く冷たいものが光っていた。
「答えは簡単だ。怪我をしたときや具合が悪くなったときに病院に行くだろう。そこで働いている人間の職業だよ」
答えはもちろん医者だ。
「これ以上決めると肩が外れるぞ。自分ではめるにしても一度病院で診てもらう必要がある。それがイヤならこの場で引く事をオススメするぞ。どうする?」
鋭い目つきで見下ろす百春に怖気づいたナンパ男はコクコクと首を縦に振って降参の意思を見せる。
それを見た百春も決めていた関節を解いてナンパ男を解放する。
「お、おぼえてやがれ~!!」
なんとも古臭く尚且つお約束の捨てゼリフを残してナンパ男は逃げていった。
もっとも、あのナンパ男の事を覚えておくほど、無駄な脳の使い方をする百春ではない。
あと10秒もすれば顔も忘れるだろう。
「真耶、怪我は無いか?」
真耶に安否を訊ねてくる百春。
だが、状況にまったく思考が追いついていない真耶はポーっとしてその場から動けない。
「おい真耶、大丈夫か?」
「え、あ、はい!?」
そこでようやく真耶が我に返った。
「大丈夫か?」
「あ、はい! 大丈夫です・・・けど、その、どうして百春先輩が・・・?」
「なに、たまたま通りかかったらお前がナンパに引っかかっていたからな。助けてやろうと思ってな」
「そ、そうなんですか//// あ、ありがとうございます////」
俯き顔を赤くしながら助けてもらった礼を言う真耶。
「真耶、お前もああいう輩に絡まれたときはちゃんと拒絶の意思を見せろ。拒まないからつけこまれるんだ」
「あうっ・・・。す、すみません・・・」
百春のダメ出しに今度は一転してしょぼんとする真耶。
「断る時にはガツンと断れ。あとで面倒になるからな。それだけは覚えておいた方が良い」
「は、はい・・・」
「まあ、とりあえずお前が無事ならよかった」
(なでなで)
「ふわっ!?」
いきなり百春は真耶の頭を撫でた。
驚きながら顔を再び真っ赤にする。
傍から見ているとコロコロと表情が変わって実に面白い。
「お前は見た目が結構可愛い方だ。今後は気をつけろ」
「へっ―――――?」
(かわ、いい・・・?私が、カワイイ・・・?)
脳内でその言葉を反芻し、真耶の顔がより一層真っ赤になった。
(あわわわわわわっ!どうしよう!どうしよう!どうしよう!百春先輩に可愛いって言ってもらっちゃった!!!)
真耶はめっちゃパニくっていた。
駅前でボーっとしてた
↓
ナンパ?された
↓
百春に助けられた
↓
百春に頭を撫でられた
↓
百春に可愛いと言われた←今ココ
さて、真耶の反応を見て、織斑兄弟ほど鈍感じゃない読者の方々は気付いたことだろう。
実は山田真耶は、織斑百春が好きなのである。
その相手に可愛いと言われて頭を撫でてもらっているのだ。
これだけ嬉しいことが、しかもいきなり立て続けに起こったらそりゃあ思考なんてぶっ飛ぶというものだ。
「おい真耶、聞いているのか?おい?」
百春から声をかけられているにもかかわらず、真耶はしばらくパニックスパイラルから抜け出せないでいたのだった。
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アイキャッチしりとり
ナンパ男「リア充なんて爆発しちゃえばいいんだああーーー!!」
真耶「あなたに会いたくて」
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side 真耶
私が百春先輩に好意を抱いたのは、今から5年前に遡ります。
当時、高校2年生だった私は藍越学園に通い、健やかな学生生活を送っていました。
千冬先輩は前年に卒業してしまっていたので少し寂しさもありましたが、まだ百春先輩はいらっしゃったので楽しくもありました。
その百春先輩も第一志望の大学の医学部に合格して卒業を待つばかりの時期に事件が起きました。
そう、先輩達の両親、萬月さんと四季さんのふたりが命を落としたあの飛行機墜落事故です。
私自身も先輩達を通じて萬月さんと四季さんとは面識がありました。
織斑家にお邪魔した際は非常に良くしてもらった経験があったので、ふたりの突然の死は私にも大きな衝撃を与えた。
それは身内の千冬先輩や百春先輩、十秋ちゃんや一夏くんなら尚更だったことだと思います。
お葬式でも十秋ちゃんと一夏くんは泣いていましたし、千冬先輩も今まで見たことないような悲しそうな顔をしていました。
百春先輩もいつもの仏頂面でしたが、暗い雰囲気を隠せないでいましたし。
萬月さんと四季さんの葬儀が終わってから数日後のある日の放課後、私は先生にちょっと手伝いを頼まれたためちょっと遅くまで学園に残っていました。
手伝いが終わり早く帰ろうと思い、下駄箱に向かう途中で、ひっそり押し殺すような声が耳に届いた。
それは本当に微かな声でした。
いつもの騒がしい昼間の時間帯だったら決して気付かなかっただろうと思います。
その声はもう自由登校の時期に入っていて誰もいないはずの3年生の教室から洩れていました。
その声を聞いた瞬間に心がざわめくのがわかった。
誘われるようにその声が洩れる教室に近づき、息を呑んで半開きになっていた教室の扉の奥に視線を向けました。
そこには――――――
朱色に染まった空間の中、ぽつんと取り残されたように席に座り、うつむき、ただひっそりと、涙を流している百春先輩の姿がありました。
衝撃でした。
葬儀の最中でさえ涙を見せなかった百春先輩が泣いていたのですから。
だからこの時、私は声を掛けるのでもなく、その場から立ち去るのでもなく、私はただ涙を流す百春先輩だけを見つめる。
気付けば私の瞳からも涙が零れていて、これ以上先輩を見ているのは先輩にも悪い気がして、私はその場を立ち去りました。
それからの数日、私の頭の中は百春先輩のことでいっぱいでした。
授業中でも、食事をしていても、お風呂に入っているときも、あの泣いていた先輩の姿が頭から離れなくて、どうして気になってしまって、他のことに手が付きませんでした。
そして、それからまたしばらくの時が過ぎ、百春先輩の学年の卒業式の日がやってきました。
恙無く卒業式は終わり、私は卒業おめでとうございますの挨拶をするために百春先輩の元を訪ねました。
「百春先輩、ご卒業おめでとうございます」
「真耶か。わざわざすまないな」
「いえいえ。しかし、先輩が卒業してしまうと寂しくなりますね」
「そう言ってくれるのは嬉しいが、お前ももう最上級生になるんだ。もう少ししっかりした方がいいぞ」
「はうっ!先輩、それはヒドイですよぉ~」
このとき先輩は珍しく微笑を浮かべていました。
あの放課後の出来事が嘘のような感じさえしました。
「おーい、織斑!こっちで記念写真撮ろうぜー!!」
数人の卒業生が手を振って写真を撮ろうと百春先輩に声を掛けてきた。
「行ってあげてください先輩」
「そうか。すまないな」
先輩は手を上げて同級生達の方へ向かおうと私に背を向ける。
すると、私はそこである衝動が沸きあがった。
「あ、あの!百春先輩!!」
気付いたら私は先輩を呼び止めていた。
「ん?何だ?」
「あ、あの、先輩の制服のボタン、くれませんか!?」
振り返った先輩に私は意を決してお願いをしてみた。
何故そんなことを言ったのかはこの時はわからなかったけど、この時の私は先輩の制服のボタンを欲しいと強く思っていました。
「ボタン?別に構わんが、なんでそんなものが欲しいんだ?」
「えっ?いや、あの、それはですね・・・、千冬先輩が卒業した時もボタンを貰ったんですよ。だから、今度は百春先輩のボタンも頂けたらなぁと思いまして」
それは嘘だった。
私は千冬先輩からボタンは貰っていない。
でも私はどうしても百春先輩のボタンが欲しかったのでそんな嘘をついてしまった。
「そうか。じゃあ、ほら」
先輩はブレザーの一番上のボタンを取って私に手渡してくれた。
藍越の制服は学ランじゃないから第二ボタンじゃないけど、それでも貰えたことが嬉しかった。
「ありがとうございます!大事にしますね!!」
「そんなものを貰って嬉しいのか?変わってるな」
「別にいいじゃないですか~♪」
「まあ、別にいいがな。じゃあ俺は行くぞ」
「はい!先輩、ありがとうございます!」
先輩は手を上げて級友達のところに歩いていきました。
私も貰ったボタンを両手で抱きしめながらその場を立ち去りました。
その日の夜、私は自分の部屋で先輩から貰ったボタンを有頂天で眺めていました。
有頂天な気分でいながらも私は考えていた。
『自分はどうしてこんなにも百春先輩のボタンをもらえて嬉しいのだろうか?』と。
ベッドに寝転んで蛍光灯にボタンを翳しながら思う。
百春先輩のことを考えると胸がドキドキした。
それでいて何故か心が躍る。ワクワクする。
そして気付いた。
『私は百春先輩が好き』
あの夕暮れの放課後。
泣いていた先輩を見て、私は身体を引き裂かれるかのような想いがした。
先輩がひとり泣いていた。
泣かないで欲しかった。
それは酷なお願いなのはわかっていたけど、先輩には泣いて欲しくなかった。
だって、私は先輩の事が好きだから。
好きな人には泣かないで欲しいから。
いつもぶっきらぼうで目つきが悪いけど、ドジな私に何かと気を回してくれていた優しい先輩が、私は本当に好きなのだから。
こうして私は百春先輩への好意を自覚したのでした。
side out
「落ち着いたか?」
「はうぅぅ・・・。すみません・・・」
パニックスパイラルから帰ってきた真耶は恥ずかしそうに俯いた。
「今年から社会人になったというのに、お前は相変わらずだな」
「うぅ~、そんなことないですよ~。私だってやるときはちゃんとやってます」
真耶は少し頬を膨らませる。
彼女の童顔も相まってより一層子供っぽく見える。
「それじゃ俺はもう行くぞ。今日はちょっと千羽谷まで行かなきゃいけないんでな」
「千羽谷ですか?もしかして大学に何か用事でも?」
「ああ、ちょっと世話になった方の頼みでな。大学でちょっとした学会に参加する破目になった」
「日曜なのに大変ですね」
「別に。好きで選んだ道だ。苦とは思わん」
「うふふっ、そうですか」
「ああ。それと、もう一度言うがあの手の輩はキチンとした態度で断れ。わかったな」
「はい、わかりました。助けてくれてありがとうございます」
「ああ、じゃあな」
軽く手を振って百春は藤川駅の中へ入っていった。
真耶も手を振って百春を見送った。
「うふふっ♪」
真耶は幸せそうな笑顔を浮かべる。
想い人にナンパ?から助けてもらい、頭を撫でられて、おまけに可愛いとさえ言われた。
今日のこの幸運に真耶は神に感謝さえしたい気持ちだった。
そう思うと気分も晴れやかな気分になり、真耶は上機嫌で買い物の続きに戻ったのであった。
おまけ
「百春様に撫でられてた・・・・。百春様に撫でられてた・・・・。百春様に撫でられてた・・・・。百春様に撫でられてた・・・・。百春様に撫でられてた・・・・。百春様に撫でられてた・・・・」
偶然その現場を目撃していたセシリアが嫉妬の炎を燃やしながらも、怨念に揺らめくオーラを放ちながら真耶の背中を睨みつけていた。
意外な伏兵の存在をセシリアはこの時はじめて認知したのであった。