頭ベレトかよ 作:ザマーメダロット
夜、真剣そのものの様子で、自室の机に向かう姿があった。ベレトだった。
直に生徒を教える以外にも、カリキュラムの作成や調整、課題や試験の添削など、地道なデスクワークは少なくない。この時ばかりは、他の職員(教師に限らず)に見られない奇異な振る舞いなどすっかり鳴りを潜めていた。
最後に取り掛かったのが、投書への回答だった。
ガルグ=マクの大聖堂には、目安箱が設置されていた。これは、ガルグ=マクにいる者ならばだれでも自由に投書が可能で、その回答の作成と張り出しは、今はベレトが行っていた。
これが全てを見通し的確な助言を与えると評判で、投書数は徐々に増加。張り出しに専用の掲示板も置かれるようになり、これを新たな娯楽と捉える見方もあるほどだった。
一枚に書き込み、一枚を手に取る。その繰り返しの中、ふと、ベレトの動きが止まった。
その時手にした投書にはこうあった。
――最近、ベレト先生がエーデルガルト様に対して、訓練で強く当たったり、厳しすぎる罰則を課したりしているという噂を耳にするのですが、ベレト先生はエーデルガルト様のことが嫌いなんでしょうか?
『とうとう来た、という感じじゃな』
ソティスが、文字通りベレトの心へ声を響かせた。
「そうだろうか」
『おぬしの所業、わしからすれば"生かさず殺さず"という言葉がよぎるくらいじゃ。成績も素行も悪くないというに狙い撃ちにもすれば、このようにもなろう』
「そうだろうか」
『エーデルガルトとやらのことだけではない。浴場の件、"ぶかつ"の件、他にもいろいろ……槍玉に挙げられて当然のことを、おぬしは幾度となくやらかしておる』
「そうだろうか」
『……おぬし、聞いておるか?』
「ああ、聞き流している」
『それは聞いておるとは言わん!!』
透明な石をぶつけられたように、ベレトの頭が揺れた。
『生徒たちを教え導く立場であれば、その生徒を蔑ろにするような行いは咎められて当然。というか人として信用を失おうぞ。おぬしほど文武に優れておれば、その道理がわからぬはずあるまい?』
「もちろんだ。常に自覚はある」
『なお悪いわ!!』
再びベレトの頭が揺れた。
『それならなおのこと、行いを改めよ! おぬしはここで、良くも悪くも正当に評価されておる。なれば善きことをして、あやつにも良き教師として慕われようと思わんのか?』
「全く思わない」
『!?』
「……が、確かにやりすぎたかもしれないな」
いくらか申し訳無さそうな顔をしてみせ、ベレトが投書の一枚を折りたたむ。
今夜もまた、ベレト宛の恋文が星空へと旅立つ――
……
「
立ち上がったエーデルガルトが、ベレトに一枚の投書を突きつける。
昨晩ソティスに小言をもらうきっかけとなったその投書には、ベレトによる回答が書き込まれていた。
――嫌ってなどいない。愛している。
「ご存知かもしれませんが、今朝のことながら既に生徒たちの間で噂が広まっています。平民や並の貴族ならまだしも、エーデルガルト様は次期アドラステア皇帝であられる。先生も、このような文書を張り出せばどうなるかおわかりだったのでは?」
「当たり前だ」
ヒューベルトの付け足しを、ベレトはにべもなく切って捨て、エーデルガルトに目を向ける。
「"どういうことか"とは、どういうことだ? 目安箱の投書を預かる立場として、俺は誠意をもって回答したに過ぎない」
「誠意ですって? こんな心にもないことを書いておいて、よく言えたものね」
「聞き捨てならないな。俺が悪ふざけで嘘をついているとでもいうのか?」
「そうだけど?」
「いいだろう。ならば今日の放課後、茶会で決着をつける。手を洗って待っていろ」
「望むところよ!」
威勢よく言い返したところで、エーデルガルトはハッと我に返る。
「……え?」
「じゃあ授業を始めるぞ。今日は理学から」
いくらか空気が弛緩したところで、カスパルが隣のフェルディナントに小声で尋ねる。
「なあ、茶会に勝ち負けってあるのか?」
「私に聞かれても困る……」
……
渦中の人物がお茶会で果たし合い……という噂もまた、急速に広まった。"わたしだって誘われたことないのに!!"とリシテアが殴り込んできたのは午前のこと、昼休みにはすっかりガルグ=マクじゅうを駆け巡っていた。
緑に囲まれた中庭。並んだテーブルはいつもと違い空席ばかりで、それでいて植え込みの外に野次馬がたかっているということもなく、普段以上に静かだった。
こうなってしまっては出ないわけにもいかず、エーデルガルトは定刻通りに現れた。先んじて準備を済ませ席に着いていたベレトの姿を認めると、そのテーブルへ向かった。ベレトも、それを見てカップへ紅茶を注ぎ始めた。
エーデルガルトの内から始業前のような怒りは既に失せており、今はいくらかの困惑と気恥ずかしさを押し殺して、冷静な様子を取り繕っていた。
人が少ないこともあって、エーデルガルトが椅子の背もたれに手をかけたかどうかというタイミングに、ベルガモットティーの香りに気がついた。
(……
「取り替えるか?」
カップに目を落としていると、ベレトが心配するように声をかけた。
「いえ、このままいただくわ」
(思えば、食べ物や飲み物を台無しにするようなことは、したことがなかったはずだし)
エーデルガルトが一口飲み、なんともないことを確かめたところで、またもベレトから口を開く。
「今朝はすまなかったな」
(
カップを持つ手が僅かに震えたが、エーデルガルトは目に見えて取り乱さずに気を落ち着けた。
「いや、今朝だけじゃない。エーデルガルトにああまで言わせるだけのことを、俺がしてきたということだ。申し開きのしようもない」
「その……どうしたの? こう言ってはなんだけれど、普段の
「気を使う必要はない。言いたいことは大体わかっている。だが、俺も普段何も考えていないわけではないんだ」
「それは……そうよね」
たまの奇行を除けば、ベレトは非の打ち所のない教師である。そういった評価に、エーデルガルトも異論はなかった。
理不尽な被害に遭うことはあっても、一人だけ授業や訓練から外され置いていかれたり、課題や試験の採点の基準を厳しくされたりすることはなかった。
「だからこの機会に、俺という人間についてわかってもらおうと思う。俺はみんなのことをそれなりに知っているつもりだが、自分のことはあまり話したことがなかったから」
「出自については他の先生から伺っているけれど」
(
「もっと前向きな話だ」
「前向きな話?」
「将来の展望というか、フォドラがこうなればいいな、という程度の話なんだが――」
穏やかな語り口で聞かせるのは、10年後、20年後と変化していくフォドラのビジョン、その中で生きる自分やそれ以外の人々の姿。
闇に蠢くものなどの触れるべからざるもののことは欠けているものの、それはエーデルガルトの思い描く理想の数歩先を行く未来予想であるように聞こえた。
ベレトにとっては、かつて実際に辿った"いくらかうまくいった未来"のひとつの回想だった。それゆえか、本人も知らず知らずのうち、懐かしむような、悔やむような心持ちになり、表情にも滲み出ていた。
初めは心の内を見透かされたように息を呑み、自分の理想をなぞりその先までも示されたところで引き込まれ、忘れられた手元の紅茶がぬるくなっていき、気がつけばベレトの(事情を知らないゆえにそう見える)不思議な表情を見つめていた。
長い長い回想に一区切りつけたベレトは、たった今夢から醒めたようにしてカップを手に取り、その中身が冷めていることに気がついた。
「……かなり一方的に話し込んでしまったみたいだな。そっちも口をつけていないみたい辺り、退屈はさせずに済んだか?」
「あ……いいえ、とんでもないわ。とても興味深い話だった」
「それならよかった。これで、俺がどんな人間か、少しは伝わっているといいんだが」
ためらいつつも冷めた紅茶を飲み干すベレトを見ながら、エーデルガルトも思考を鮮明にさせる。
(
「つまり、今朝の投書。あれは、いずれ私が皇帝となった時、私のために力を振るってくれるということなのね?」
「いや、単純に一人の女性として愛しているという意味だが」
「ええっ!?」
「この茶会だって、それを信じられないと君が言ったからやろうと思ったことだしな」
エーデルガルトは目を見開いて驚愕した。続いて混乱した。それらを抑えていった最後、顔が熱くなった。顔が熱くなった理由を自覚して、ベレトの顔を直視できなくなった。
「そんな急に……」
「俺としても、エーデルガルトのことが嫌いだなんて誤解があるなら放ってはおけなかった」
「うう……」
「別に、エーデルガルトがどう思っているかを聞きたいわけじゃない。気にしないでくれていい」
「あ、貴方ね、知ってしまって気にせずにおくなんてできるわけないでしょう……!」
待つように黙るベレトの前で、エーデルガルトは深呼吸した。それから、周囲に人がいないことを確かめた。二人きり、という単語が脳裏をよぎって胸が高鳴ったのを、自分の中ではもはや否定しなかった。
「また……こうしてお茶に誘ってくれるかしら?」
「もちろん」
「ありがとう。今日、貴方の話を聞けて本当によかったわ。ヒューベルトが知ったらきっとうるさいから、次は内緒でね」
「そうだな」
もったいないし、とエーデルガルトもカップに口をつけたところで、ベレトの今朝との変化に気がついた。
「あら、ブローチなんてつけてたのね。ふふっ、おしゃれのつもり?」
「魔法を込めたアクセサリーの開発に協力していてな。試験運用中なんだ」
「へえ。どんな魔法なのかしら?」
「大した距離じゃないが、音や景色を離れた所へ届けることができる。たとえば、ここの様子をガルグ=マクの各所に映し出すとか」
「……なんですって?」
「今は大聖堂、食堂、寮、釣り池、市場だな」
エーデルガルトのカップが地面に落ちて割れた。
……
『なぜあのようなことをした?』
その日の夜、床についたベレトに、ソティスが問うた。
『おぬし、嘘はついておらんかったじゃろ。実にいい雰囲気であったではないか? あのようなオモチャを急ごしらえででっちあげてまで、なぜ自分でぶち壊した? まさか、あの小娘の相手に自分は相応しくないなどと思っておるのではあるまいな』
「そのまさかだ」
『どうしてじゃ』
「俺の血は俺限りで絶やさなければいけない。どうせ人間の世界の禍根になるんだからな」
『……その理屈はわからんでもないが、しかし』
「俺は十分幸せになった。もういいんだ」
ベレトはソティスの声を紋章で遮断し、目を閉じた。
(それに、これが最後なんだ。誰かの邪魔になるわけにはいかない……)
……
翌朝、エーデルガルトは自らが記憶喪失であることを頑なに主張し、リシテアの脳は回復した。