「それでは、ハグレ王国との出会いを祝って……乾杯!」
アルカナが音頭を取り、その場にいた全員が一斉にグラスの中身を空にする。
クラウン邸の中庭にはいくつものテーブルが設置され、様々な料理や酒が並んでいた。
ハグレ王国とアルカナを筆頭とした召喚士協会の面々。それだけでなくケモフサ村の住人たちも参加する親睦会。
普段であればらしい催しもない村人たちからすれば、村に大勢の客人が来るのも充分なお祭り。村ができてから類を見ない大騒ぎであった。
「もっぐもっぐ!」
「むっしゃむっしゃ!」
「こらこら、食べ物詰め込まないの。それにしても、美味しいですね」
「はっはっは。そういっぱい食べてもらえると作った甲斐があるというものだお」
デーリッチとヅッチーは我先にと料理を掻っ込んでいく。ローズマリーは行儀の悪い食べ方をする二人を注意するが、料理を運んできたブーンとしてはいっぱい食べてくれる子供たちは大歓迎だ。
「おおっ、こりゃうめえや!」
「へえ、芋だけでこれだけの料理ができるものなんですねえ」
「ええ、クウェウリはパッポコ芋の料理が得意なんですよ。この村が外に誇るべき一番のものと言っても過言じゃ……うおっ!?」
「もう、パパったら!」
「あっはっは! もっと言っておやり!」
もう一人の料理担当、マーロウの養娘クウェウリは義父であるマーロウの親馬鹿に照れ隠しのファイアを放つ。
そんな親子のいつもの光景を食料品店の店主プシケが笑い飛ばす。
「あら、このお酒美味しいですわね~」
「うん。ほのかな甘みと豊潤な香りが口いっぱいに広がるなぁ。ただ、芋焼酎ばかりだというのもな。他の酒はないのかな」
「ふむ、ではここで我が家秘蔵のワインを出してやろうじゃないか」
「とは言いますけどそれ、ただのボジョレーですよね?」
テーブルを変えれば、酒を嗜む大人組にアルカナが毎年記録更新してそうなワインを持ち寄っている。
「へえ、古代のゴーレム。それもここまで精巧な人型とは、実に興味深いですね」
「あの……時間があったらでいいので少し調べさせてもらえないでしょうか?」
「別にいいけどよ、そこまでたいしたものじゃないと思うぜ?」
別のテーブルでは、シノブとメニャーニャが古代技術の塊であるブリギットに彼女自身の仕組みをせがんでいる。
「あんた、中々いい筋肉持ってるなあ!」
「筋肉だけじゃ、負けてられねえからよ……!!」
「はいはい、どっちが勝つか張った張った!」
いつの間にやらテーブルの一つでは、ニワカマッスルと武器屋のオルグが腕相撲を始めていた。
当然のようにハピコが賭けの対象にして掛け金を徴収している。
「お、これも中々いけるじゃないの」
「こうして食事をするのも久しぶりね」
「そうですね。私としては、静かな食事も悪くなかったのですが」
「姉さん、これも美味しいよ」
「あら、デザートはありませんの?」
「なんだアルフレッド、ジーナばかりで私には構ってくれないのか?」
「久しぶりのメニャーニャ、相変わらずだにゃ~」
「どうぞ、こちらに芋スイーツが!」
「ふんっ」
「ぶほっ、横隔膜っ」
「芋、芋、芋。ちょっと明日からの体重が心配ね……」
「なんじゃ、こんな日に体重なんぞ気にしておるのか?無粋な真似はせず楽しむがよい」
「……そうね!目いっぱい楽しむわよ!!」
「おいおい、汚い真似はよしてくれよ?」
「ヤエちゃんったら。もっとぷにぷにになるよ?」
数秒後には話している相手が変わり、誰と誰が会話をしているか解らない食事風景だが、皆一様に笑顔を浮かべていた。
いつもハグレ王国の食事は騒ぎっぱなしみたいなものだが、それでもこうして騒ぐことが当然の食事は、また別の賑やかさで溢れるものだ。
――――そんな宴の様子から少し離れて、俺はある人の元まで歩いていた。
「よう、アプリコさん」
かつての亜侠チーム参謀、《青空オレンジ》ことアプリコさんは宴の端っこでジャーキーを齧っていた。
「ルーク君か」
「こんなところでなにやってんですか」
「無茶を言うな。若者ばかりの輪に老いぼれひとりいたところで仕方ないだろう?」
「んなこたないですよ。まあいいや。一杯どうです?」
「ああ、頂こう」
持参した酒のグラスをアプリコさんは一息に呷った。
昔は何度も見たその仕草も今では懐かしく、かつて仲間たちを酒場で騒いで飲み交わした日々を思い出す。あの頃の俺はまだガキだったから、流石に酒はほとんど飲ませてもらえなかったが。
俺も倣うように、エールの入ったグラスを傾けて空にする。
「……まさか、君と酒を飲み交わす時が来るとはな。今生の別れと思っていたが、いやはや奇妙なものだ」
「はは。相変わらず年寄り臭い発言ばかり。お元気そうで何よりですよ」
「君もその減らず口は変わらないな。その癖、見てくれだけは一丁前に決めているらしい。流石の私も、一見誰だかわからなかったよ」
「恰好ぐらいはビシっと決めないとナメられるぞって、旦那から教わりましたから」
なんて言ってたエルヴィスの旦那は常にアロハシャツだったわけだが。
「そうかそうか。しかし本当に良い出来だ。服に着られていない、君に合わせた服だ。さぞ良い店で仕立てたのだな」
「いや。作ってもらったんですよ、うちの仲間に」
「ほう、誰に?」
「ヘル……って言ってもわかんねぇよなぁ。あそこにいる女性ですよ。今は彼女と一緒に、ハグレ王国で色々やってんだ」
指さした先にいるヘルは、料理に舌鼓を打っており、それを喜んだクウェウリさんと会話に花を咲かせている。
それを見たアプリコさんは、目を丸くしたようで。
「そうか、お前にも春が来たのか……」
なんて言ってきた。
「なんですかその言い方」
「なあに、私達の周りをひっつき回っていた小僧が、でかくなったと思ったまでさ。あんなに上等な娘、どんな口説き文句でたぶらかしたんだい?」
「たぶらかしてなんかしてませんよ! 俺は旦那みたいに所かまわずナンパはしないって決めてるんですから」
「ははは、あいつは役に立たない知識ばかり教えていたかと思ったが、反面教師としては優秀だったらしい」
揶揄うように言ってくるものだから、思わず噛みついてしまう。
こうやって手玉に取られてしまうのも、昔はよくあったよな。
「……ところで、あいつらはどうしてますか?」
尋ねるのは、解散の時以来姿を見ていない仲間たちのこと。
もしかしたら、アプリコさんなら知っているのではないかと思い、ダメもとで聞いてみた。
「始末ヶ原君とはこの前に帝都で会ったね。相も変わらずあちこちほっつき歩いては借金取りに追い掛け回されているみたいだ」
「相変わらず屑なんだな」
「彼のアレは筋金入りだろう。ラプスとはあれ以来顔を会わせていないけど彼女の事だ。山籠もりでもしてるか、武者修行と称して暴れているんじゃないかな」
「あぁ、容易に想像できますね。ってかそれつまり俺たち何にも変わってないじゃないですか」
「それはもちろん。あのエルヴィスを慕っていた私たちがボンクラ以外のなんだというのかね?」
「違いないや」
仲間たちの近況を聞いて、思わず顔が綻ぶ。
どうやら、どいつもこいつも変わらないようで何よりだ。
帝都に行く機会があったら、薙彦のやつを探してみるか。
なんてあいつらに思いを馳せていたら、アプリコさんから話を始めてきた。
「なあ、ルーク君。この村は穏やかだろう?」
「……そうですね。今まで見てきたところとはえらい違いだった。さっき散歩してきただけでも、皆笑ってた」
アプリコさんの言葉に、俺は同意した。
亜侠として活動していた頃、俺たちは大陸を股にかけ多くの町を訪れ、そして色々なハグレと出会ってきた。
このご時世、ハグレの扱いは様々だ。
特技を活かすことで、社会に溶け込めた奴もいれば。
迫害されることを恐れて、ハグレとしての特徴を隠す奴もいる。
あるいは、度重なる奇異の視線に耐えきれず問題を起こす奴だって何人もいた。
いずれにしても、共通してるのは皆無理をしてこの世界に生きているということ。
どいつもこいつも、自分が異物であることを自覚せざるを得ずにいられない環境で暮らすことを余儀なくされている。
でも、この村ではそんな無理をしてる奴らは見かけなかった。
「ああそうだ。他の集落のように、がんじがらめじゃない。ハグレであっても笑顔で日々を暮らすことができる」
ハグレと人が手を取り合って過ごせる世界。
それを実現しようとしているのがデーリッチ。
俺とヘルの部下にして、敬意を払うべき小さくも偉大な王様。
対してここは、現地人との接触を避けつつ、外部との軋轢を出来る限り避けようと動いている。
隠れ里、というのが最もわかりやすいか。
少なくとも良い環境だと思った。
だが、アプリコさんは違ったらしい。
「まさしく猛獣を飼いならすための快適な檻だ」
「……何が言いたいんです?」
俺は聞き返した。
ここが檻などとは、まかり間違っても思えなかったからだ。
「アルカナ殿は帝国人でありながら、ハグレに対して優しい人だ。だがね、はたしてそれは、全部私達を想ってのことだろうか?私にはね、彼らが発起しないようにご機嫌取りをしているように見えて仕方がないんだ」
「まあ、そういう意図だってあるでしょう。少なくとも、ハグレに偏見持ってる連中からしてみればそうでしょうね」
この大陸の人間は、10年前のハグレ戦争の経験からハグレという存在を危険視する者が多い。
そんな彼らにとって見れば、内側で完結しつつ、自分達に牙をむいてこないことを保証させるだけの環境を用意しておくのが最善だ。
例えるなら、動物園の猛獣の檻がこの村で、飼育員がアルカナ。それ以外の帝国民は、安全圏から眺める観客だ。
「そういうことだ。我々はこのまま檻に繋がれたまま、ただ穏やかに枯れる時を待っているだけに過ぎないのか。獣人族の誇りとは、戦いによって勝ち取ってきたものではなかったのかと、思うのだよ」
ぎしり、と歯の軋む音が聞こえる。
眼鏡と長毛に遮られた瞳の奥には燃えたぎる闘争心の光が宿っていた。
……この人は昔からそうだった。
参謀として作戦の立案に関わる彼は、仕事の好き嫌いが激しかった。
金になるならないではなく、相手の強弱でやる気を出す。
悪徳貴族の館にカチコミかけたときなんかは、最もやる気をだしていたんじゃないだろうか。
弱肉強食。
野生の掟とも呼べるそれは、獣人であり軍人だったこの人にとって自分自身を現す言葉だった。
生きるために、弱いことすら利用する俺とは真逆。
弱い事、負けることを恥とする極端な考えを持っていたこの人には、今の環境は敗北者への生ぬるい慈悲に思えて仕方がないのだろう。
「ルーク君。君がここの環境を良いと思ったことに悩む必要はない。君は飽くまでこの世界で生まれた人間だ。どうあがいても私達ハグレと意見が異なることは否定しないし、むしろどちらにも理解を示せることを大事にするべきだ。
――年寄りの戯言に付き合わせてしまったね。ルーク、君は純粋だ。この先どれだけの苦難が待っていようとも、自分に恥じない生き方ができるよう抗い続けなさい」
アプリコさんは俺の顔を見てそう言った。
長い髪と眼鏡の向こうから覗く瞳からは、長い時を生きた者の苦悩と、その中に光る一つの哲学が輝いていた。
「勿論ですよ。俺には色々と大事なものが増えましたから」
悪人なんて似合わない真似をしようとする彼女。
だからこそ、隣で支えてやりたい。
あのお人よしが、どこまでいけるのか見てみたいのだ。
まあ、やってることは世直しなんだけども。
むしろ悪党どもがヘルラージュの名を聞いて恐れおののくぐらいに暴れ回るのも、それはそれで面白い。
王国で後世まで語りうがれるような武勇伝を、秘密結社の名で押っ立ててやることが今の目的だ。
「惚れた弱みか。年寄りの忠告だが、大事に思うなら命を懸けてでも守るといい。惚れた女の死に目にすら会えないのは、一生引きずる致命傷になる」
「――そうですね。肝に銘じておきますよ」
「ああ、そうしておけ」
アプリコさんは優しい顔をして満足げに頷いた。
ただ、彼のさっきの発言にはひとつ引っ掛かるところがあった。
「……アプリコさんにも、大事な人が?」
俺はそう訪ねざるを得なかった。
昔は仲間の過去に踏み込むのは避けていたけれど、今では少しでも歩み寄っていくことが大事だと学んだから。
「ああ、妻がいた。この世界ではなく、れっきとした故郷にね」
そう答えたアプリコさんの表情は、形容しがたいものだった。
「……そうですか。そういうことが」
「さて、話はもういいだろう。こんなおいぼれよりも、今の仲間を大切にしてやれ」
アプリコさんはそうやってヘルたちのほうへと行くよう促してくる。
確かに、過去の武勇伝に浸り続けるより、今に目を向けろというのはごもっともな話。
良きにしろ悪しきにしろ、思い出は振り返るものであってすがりつくものではないのだから。
だから、
「そう、
アプリコが呟いたその言葉は、ルークの耳には届いていなかった。
◇
「ハグレ王国の諸君。今宵の宴は楽しんでもらえただろうか」
すでに料理のほとんどが片付けられており、宴会そのものは終わりを迎えた時間。
アルカナがそう言い、その場にいた全員の視線を釘付けにする。隣にはシノブとメニャーニャ、そしてマーロウとブーンが控える。
しこたま酒を飲んでいたアルカナだが、酔い覚ましの秘薬を呑んだことで思考はむしろ冴えわたっている。
これは酒を口にしたものには例外なく処方されており、それはつまりこれから語る内容は酒の勢いで済ませるつもりがない真剣なものだということを、その場の全員が否応なく理解していた。
「先ほど薬を処方したように、これから話すことはとても大事なことです。しっかり覚えて帰ってほしいので、皆様はどうかご清聴のほどをよろしく頼みます」
メニャーニャが反論や意見のないことを確認してから、アルカナは当初の目的――ハグレ王国を招いた理由を説明し始めた。
「私、アルカナ・クラウンは帝都召喚士協会に所属する特務召喚士であり、このケモフサ村を領地とする帝国伯爵としての身分を持つ者である。
私は10年前から今まで、ハグレ監査官としての職務を全うしてきた。ハグレ達が再び反乱を起こしていないか、この世界の住人として人々と衝突していないかということを監視する――その役目を通じてハグレの生活をこの目で見続けてきた。そして常々思い続けてきた。ハグレと呼ばれる彼ら召喚人をこのままにしてよいのか。自分達が呼び込んでおきながら、危険な存在とみなされる彼らの生涯をこの世界で抑圧されるまま終えさせることが、はたして正しい事なのかと」
この世界に召喚され、その境遇に悩まされたのはハグレであれば経験することで、その事実に耐えながらこの世界で生きることを決意するのに、時間を必要としてきた者もいる。
ハグレ王国は、この世界で安心できる居場所を求めた者達の集まりだからこそ、彼女の想いについて考える者は決して少なくなかった。
「そう考えながらも、私はこの身に抱えた問題ゆえに召喚術の理論を覆すことができず、貴族として与えられた僅かな土地で限られた数のハグレを保護するだけの遅延策以外に打つ手を見つけられなかった。
だが、それも一年前までのことだ。
――――シノブ。エステル。メニャーニャ。
私の研究室に加わった三人の召喚士が中心となって立案したゼロキャンペーンこそ、そのきっかけだった」
それが何を示しているのか、エステルはすぐに思い至った。
「……もしかして、次元の穴?」
「その通り。キャンペーンが始動して半年たつか経たないかといった頃か、魔物の出現プロセス自体を研究していたシノブはある事実を発見した。
そう、召喚術の原理だ。
この世界とハグレ達の世界。
二つの世界のマナ濃度の差を利用した魔力流による次元航海こそがハグレ召喚の原理であり、その理論を応用してあちらの世界への逆召喚が可能だということまで突き止めてみせた」
その理論を実証するために行われた実験についても、一行には思い当たる節があった。
「それって、ザンブラコの固定ゲート!」
「ああそうだ。ザンブラコでの一件はこちらも把握している。生徒がいたずらな混乱を引き起こしたことを代わって謝罪する」
「私こそ町に被害を出して申し訳ありません……!」
「い、いえ、もう解決したことですから……!!」
住人であったベルにアルカナは頭を下げ、シノブも遅れて頭を下げる。
女性二人に頭を下げられ、ベルは困惑してしまう。
「ちょっとちょっと! いきなり頭下げないの!」
「おっと、話の腰を折ってしまったな。すまない、再開しよう」
「ええ、先生はすぐ脱線しますからね。頼みますよ?」
エステルに制止され、メニャーニャが嗜める。
アルカナは説明を再開した。
「とはいえだ。あんな勢いのあるゲートなんぞ失敗作も失敗作。
あれではこっちの世界から飛び出すことはできても、戻ってくることができない一方通行で、結局こちらから呼び出すのと大差がない。だからマナジャムでの制御と時空アンカーでの安定化が必要だった。あれは実際の所、召喚魔法そのものの制御装置みたいなものでね、色々とフィルターをかけたりすることだってできる筈だ」
次元世界は無数にあって、自分の種族と同じ名前、同じ見た目がいるだけの別世界がいくらでも存在する。仮に向こうへの次元ゲートができたからと言って、送還対象の世界へつながる可能性は低い。それどころか、繋がった先には凶悪な魔物がいるかもしれない。
そうした諸問題を解決するための装置があの時空アンカー。メニャーニャが協会で着手していた、シノブの研究課題の成果であった。
「筈?」
「まだ未完成なのさ。今のところ、空間座標を送信し続けるだけのビーコンぐらいの機能しかない。
でもこの計画が進みデータが集まれば、そう遠くない未来。それこそ一年とたたずして、
「……ッ!!!」
アルカナのその言葉に、最も反応を示し、望郷の念で涙を零した少女がいた。
その少女の姿と名前を記憶に刻み込んで、アルカナは宣言する。
「今この時。
世界の相互移動を行うための施設、次元ポータルによってハグレを元の世界に返し、傷を癒す世紀の一大事業。
我ら召喚士の過ちを償うために開発された、
世界の均衡を正し、未来に光をもたらすための希望。
――すなわち、『帰還計画』の発動を!」
◇
アルカナの宣言はハグレ王国の中に衝撃を走らせた。
元の世界に帰る。それはこの世界に連れてこられた当初は誰しもが望み、そしていつしか諦めていたこと。それを実現させようと言うのだ。驚かないわけがない。
「帰還計画……それが先生たちの、企んでいたこと?
そんな大きな事を考えていたのね。そんな立派な計画、私も一緒に――――」
「――――な、何を考えているんですか、貴方は!」
「え、ちょ、ちょっと。どうしたのよマリー!?」
あまりに壮大な計画に誰もが言葉を失う中、真っ先に意見を示したのはローズマリーだ。
「アルカナさん。確かに、貴方たちの計画は素晴らしいものかもしれない。だけど、それだと向こうから入ってくるハグレはどうするんですか!
相互通行が可能だと言った。ならば、この世界の人々とハグレのパワーバランスは崩れてしまう。そうなったら、これまで虐げられてきた彼らが黙っているはずがない! この世界の有様を見れば、好戦的なハグレは必ず結託し蜂起する! そうなったら事態は解決どころじゃない。むしろ最悪の事態に発展してしまう!」
ローズマリーはアルカナに詰め寄り、致命的な問題点を指摘した。
この世界のパワーバランスは、ハグレの数が圧倒的に少ないことで成立している。
どれほどハグレが個の力で勝ろうとも、人間が最も得意とする数の暴力には勝てないのである。
しかし、だ仮にハグレが今の数の2倍、いや1.5倍になればどうなるか。答えは簡単だ。天秤はハグレに傾き、あっという間にこの世界の人間はただ蹂躙されるのを待つだけの存在に成り下がるだろう。
それはローズマリーにとっては許容できないことだ。
問題は帝都のみに済むわけもなく、これまで彼女が築き上げた夢、小さな王と共に作り上げた王国すらも水泡に帰すのは間違いない。
「ああ、そうだ。確かにその通りだ」
突きつけられた問題点に対してアルカナは眉ひとつ動かさず肯定する。
一歩間違えれば、己の行いが戦争の引き金になりうるという事を彼女は自覚していた。
だからこそ、未完成な理論でも制御できる術と理解を得られる同士を求めていた。そしてその両方を満たす存在が、この世界に現れたのだ。
「ならば、どうやって……」
「そのために君達を集めて説明を行ったのさ。――この計画を主導してもらうために」
「……っ! それは……」
それがハグレ王国。アルカナの計画の孔を埋める最後のピースだった。
「相互移動ができる以上、この世界にやってくるハグレはどうしても拒むことができず、また彼らが問題を起こさない保証はどこにもない。ならば、主導となるには抑止力が必要となるのは当然の事だ。
その役目にふさわしいのは、この世界でハグレを受け入れ、居場所を与えられる国であり、帝国の圧力に屈することのない確かな地盤を持った組織。それがどこかなど、もうわかるだろう?」
「……私達が、やってくるハグレの受け皿となれと?」
「そういう見方もあるでしょう。でも一番必要なのは、問題が起こった時に一刻も早くゲートを閉じることだ。そのためには何が必要かな?」
「……キーオブパンドラ、でちか?」
「その通り! 国王様には花丸をあげよう。
キーオブパンドラの力があれば、何者かが次元ポータルを悪用しようとしてもすぐにシステムの封鎖が可能となるし、この計画を帝国に呑ませるのに大きな説得材料となる」
アルカナの最後の言葉について、エステルは何か引っかかりを感じた。
「……ちょっと待って? もしかしてこの計画って」
「うん。帝国議会には一切話を通していないよ。だってこんな計画提出したら、私の権力と地位は即刻はく奪されるに決まっているからね」
「嘘でしょ……!?」
「そうなんですよね。困った人ですよ全く」
事後承諾を取る満々なアルカナにエステルはぽかんと口を開けて言葉を失い、メニャーニャはその傍若無人っぷりに肩をすくめて見せた。
「いや、止めなさいよ!」
「言って止まると思いますか? それにこんな大掛かりなプラン、私としても握りつぶされるなんてのは癪ですからね」
「ちくしょう。お前も同類か……ッ!」
「だーいたいあたしゃ特務召喚士だ。召喚をするのに制限がないんだから、送り返すのにも制限があるわけないだろう」
「いや、その理屈はおかしい」
そもそも送還自体が確立できていないのだから、許可なんてないに決まっている。
「真面目な話、召喚士協会が主導で行うと頭が堅い貴族どもに反逆を疑われかねないのよね。だから飽くまで他の国がやったということにして、帝都がそれを監督するという形式のほうが比較的穏便に済むという寸法だ。
もちろん、君達だけに協力してもらうわけではない。妖精王国、エルフ王国の二国にもこの話を持ち掛けるつもりだ」
異種族を中心とする国家が3つ結託すれば、帝国の至人主義者も気安く手出しはできないとアルカナは目論んでいた。事実、破竹の勢いで規模を拡大するハグレ王国に至っては、召喚士協会が戦力を大きく削いだ以上帝国も容易に軍隊を派遣するというのが難しい。こうした政治バランスの拮抗もまた、アルカナが動くに至った要因のひとつであった。
「……妖精王国もなのか?」
「その通りだとも、ヅッチー女王陛下。プリシラ君の経済手腕をもってすれば、帝国に経済的なけん制もかけられると考えている。そうすれば状況は戦争ではなく外交に持って行ける。強引な介入を防ぐにはちょうどいいだろう?」
「くそっ、一切否定できないのがまた……」
戦争に負けておきながら、ハグレ王国と経済戦争で勝利を収めてこようとしたプリシラの手口を直に経験している以上、その見通しが決して無謀な試みでないことを思い知らされる。
ちなみにエルフ王国は単純な立地の問題。この中で最も帝都に近く、纏まった異種族の中でも話の通じる相手だからだ。
「まあ、全てのハグレが帰還できるとは考えていない。
元の世界の記憶がない。この世界で生きる地盤を固めた。そもそも帰っても居場所がない。そういう連中は結構な数いる。むしろそちらのほうが多いだろう。
しかし、それでも帰りたがる者達はいる。故郷の地に足をつけたいと望む声がある。ならば、やるべきだとは思わないか?」
そうしてこちらを射貫く星の瞳は、嘘偽りなき真摯さに輝いていた。
「……つまりあなたは、飽くまでこれ以上ハグレが虐げられないように、次元ポータルを運用すると?」
「そういう事だ。この事業が成立した場合のメリットを、分かってもらえただろうか?」
賛同を求められるローズマリーだったが、首を縦には振りづらかった。
確かに彼女達の計画は大義がある。それに伴うリスクについても自分たちで解決が難しいからこそこうしてハグレ王国に協力を仰いでいる。
……これがキーオブパンドラを渡せという要求なら、突っぱねることができただろう。
だが、彼女たちは飽くまでこちらに決定権を委ねたままだ。
この計画が成就したのなら、王国が飛躍的に力を増すのだと分かっている。しかし代償として計画の失敗がそのまま国の信用に通じる。そして拒否したところで状況は何一つ変わらないだろう。
実質、選択肢などひとつしかない。
ローズマリーは戦慄した。
この者に比べれば魔導の巨人など足元にも及ばない。目の前にいるのは世界の半分を渡そうと誘惑する魔王だ。
「それに、この計画が危険と言ったね。それは今の世を続けても同じことさ。私という後ろ盾がいるこの土地はまだしも、他の土地に隠れ住むように生きているハグレは帝都からの抑圧を受け続けている。遅かれ早かれ、そうして不満を募らせたハグレは再び決起するさ。いや、ハグレの力にあやかろうとするこの世界の住人も乗じて争いに参加するかもしれない。とにかく、誰か一人でも立ち上がれば連鎖的に他のハグレも触発されて再び戦争が巻き起こるだろうよ。そうなれば、今の帝国に待っているのはどのみち破滅だ。当然、君達の国や周囲の町村にもその波紋は伝わり無事ではいられない。
……ならばどうだろうか。私たちの賭けに、一世一代の大博打に乗ってみるつもりはないかな?」
妖艶な微笑みと共に、星詠みの賢者はハグレ王国へと最後の問いかけを行う。
拒めるならば拒むがよい。この私の、生徒たちの集大成を、幼きお前たちは否定できるのか?
緻密に練られた、大胆極まる野望を掲げた賢者は不敵な笑みでそう物語っていた。
「それ、は……」
その瞳に込められた熱意を、ローズマリーには否定することができなかった。
稀代の召喚士達が集まり、10年もの長き準備を得て成し遂げようとする計画。
数か月で比類なき規模の拡大を成し遂げた王国の参謀であっても、その大義を認めざるを得なかった。
沈黙は肯定と言うように、王国の仲間たちも口を噤むばかり。
無言というプレッシャーが、ローズマリーの双肩に伸し掛かる。
――そうして、彼女は口を開いた。
「申し訳ないけれど、今の話では、デーリッチは受けられんでち。それを受けるには、大事なものが足りないでち」
「デーリッチ……!!」
白銀の賢者に対して、ハグレ王国の国王デーリッチは正面から立ち向かった。
むん、と背の高い彼女を見上げるその視線に一切の恐れはない。
「……国王が拒んでしまえば、引き下がらざるを得ない。しかし理由を聞かせてもらおう。何が私の計画に足りないのか、この私を納得させられる答えを君は理解していると?」
この世界でハグレを庇護する道を選んだ先達者として、アルカナは前人未踏の道を進まんとする王に試練をぶつける。
すべてこの世界を想わんがための計画に、一体何の瑕疵があるというのか。幼き君に何がわかるのかと。
「なあに、簡単なことでち」
――無論、あるとも!
一国を背負う小さき王は、その意見に真っ向から反論する!
「肝心な点について、話してもらってないからでち。
――それは、動機。
アルカナさんがどうしてハグレを元の世界に返したいのか。
なんでそこまでハグレに肩入れするのか。
その根っこの部分が、どうしてもわからない。
どれだけ正しい理屈を言ったところで、明確な君の意志というものが、どうしても見えてこない。
だから、それを話してくれない限り、私は首を振らない。
ハグレ王国の国王として、その計画に賛同することはできない」
だいたいでちね、と一拍置いて。
「そもそもの話、よく知らない相手の口車に乗るなど言語道断!
『知らない人について行ってはいけない』そんな基本中の基本はとっくの昔に習っている!
国王と交渉の座に就きたければ、まずは自分の腹を割って話すがいい!」
「――――ッ!?」
王の啖呵に、魔王の末裔は気圧された。
数多の権謀術数を越え、数々の修羅場を踏破してなお、小さな王の気迫は膝をつかせるに十分だった。
「――故に、問おう。
星術師アルカナ。アルカナ・クラウン。
結局のところ、君は何がしたいんでちか?」
王の要求に、アルカナは暫し沈黙する。
星のように輝く瞳を見つめ、ただのアルカナ・クラウンは己の傲慢さに恥じ入った。
「――クク。そうか、それを聞くか。
確かに、ただ起こりうることについて説明するだけでは釈然としない。
相手にモノを頼むなら、何もかも腹を割って話さなければいけない。
――成る程。筋が通っている!」
自分の事情を全て話せば、余計な混乱を招きかねない――――。
そう考えての配慮だったのだが、裏を返せば、相手との間に壁を作っているということ。
「みんなと仲良く」なんて夢を本気で掲げる王様が、それを大事にしない相手の誘いに乗るわけがない。
そんな事実に気づかされた星術師は、少しだけ、己の内をさらけ出す事を決意した。
「以前も思ったことだが、やはり君は導きの星らしいな……。
いや済まない。ハグレ王国国王陛下。及びその国民たちよ。
充分な説明もなく、一方的に協力を仰いだ不義理を謝罪しよう。
そして、未だ君たちに傾ける耳があるなら聞いてほしい。
不肖この私、
その一端を、今ここで語るといたしましょう」
さて、前回と今回で、原作との差をどうするんだという疑問が浮かんだ読者も多いと思います。この先の展開は「ざくざくアクターズ」という作品を語るにあたって、とても大事な場面の連続。それを良きにしろ悪しきにしろ捻じ曲げてしまえば、原作の様にハッピーエンド……となるかと言われるとNOでしょう。
アルカナは確かに超人であり、この世界では異常なほどにハグレに優しいです。それこそ、未来でも見たかのように手を進めていきます。
とは言え、どれだけ盤石に場を整えても問題は出てきます。例えば本作のケモフサ村は、原作よりはマシな環境ではありますが、帝都との関係をアルカナ一人に依存しているので彼女が死ぬと機能不全に陥りかねないという問題があります。
アルカナ自身もそれがわかっているので、どうにか後に続くものを生み出せないかと考えて計画したのが「帰還計画」になります。
なお、今のアルカナは上辺だけいい言葉を並べつつ王国ごと面倒事に加担させようとしてくるクソ女なので、当然デーリッチには突っぱねられます。
それを指摘されたアルカナは、己の素性の一部を明かすことを決意します。
というわけで次回は設定開示回。
この世界がどれだけオリ設定を盛っているかが少しわかります。
……ところで、この世界の召喚術には「送還」ができない以外にもデメリットがあります。さて、それは何でしょうか?