少し、時を遡る。
水晶洞窟入り口にて。
見張り役のブーンは、暇を持て余していた。
「……暇だお」
「暇ですなあ」
この洞窟はケモフサ村から歩いて数十分の場所にあるが、鬱蒼とした森を通る必要があり、魔物が出てくる可能性は多少はある。
だが彼が見張りに立って2時間弱。
特にこれと言って、魔物や賊の類が出てくることはなかった。
いや、一応周囲に何度か魔物の気配を感じたことはある。
だが、それらは彼が放つ闘気に気圧され、畏れをなして瞬く間に逃げだしてしまうのだ。
ブーンは同じく見張りについているアプリコを見る。
獣人は側で焚火を立てており、やかんで湯を沸かしていた。
その傍らにはフィルターに入った珈琲粉もあり、一息つけるための準備が着々と進んでいた。
「出来ましたぞ」
「おっお」
香ばしい匂いが鼻孔へと届き、嗅覚を刺激する。
真鍮のカップに、黒々とした液体が注がれる。
アプリコは二つあるカップの片方をブーンに差し出した。
「どうですかな?」
「いただくお」
丁度喉も乾いて来たところだと、ブーンはどっかりと腰を下ろした。
珈琲は良い。眠気を飛ばし、疲労をやわらげてくれる。
傭兵にとってはタバコ、酒と並んで必需品扱いされることもある代物だ。
「生憎ミルクはありませんが、砂糖はあります。どうしますかな?」
「たっぷりでお願いするお」
ブーンは甘いものが好きだ。というか美味しければ大体なんでも好きだったりする。
アプリコは懐から小さな竹筒を取り出した。
蓋を開ければふわんと甘い香りが漂い、カップへと傾ければ、とぷとぷと透明な糖蜜が黒い液体に注がれる。
「おやおやシロップとは、洒落てますなぁ」
「ええ、お気に入りの一品です」
中々のこだわり様についブーンが茶化す。
アプリコは珈琲をスプーンでかき混ぜ、ブーンに手渡した。その後自分の分を注ぎ、そのままカップを口元に運んだ。
「君は入れないのかお?」
「最初の一杯は、ブラックと決めておりますので」
「成る程」
珈琲を飲むアプリコの姿は、温和な雰囲気と相まって非常に様になっている。これで本とリクライニングチェアでもあれば、理想的なアフタヌーンと言ったところだろう。
ブーンは対照的に、熱さを気にせずぐびぐびと飲んでいく。これはこれで気持ちの良くなる飲みっぷりだ。
「うーん。美味しいお」
「ええ、これからの仕事への集中力が増します」
決して絶品というわけではないが、退屈というスパイスが味を引き立てていた。
珈琲を飲み干したブーンは満足げに口元を拭う。
「それじゃあ、もうひと踏ん張りしま、すか、お……っ!?」
天地逆転。
そのまま立ち上がろうとしたブーンは、しかし意に反して地面に倒れ込んでしまう。
手足が鉛のように重たく、武器を取り落とす。
助けを求めようにも、声が出ない。
アプリコは目の前で倒れたブーンに動じることもなく、涼しい顔で残った飲料を飲み干して。
「さて、最初の仕事は完了ですね」
などと言ってのけた。
「なに……?」
「申し訳ありませんが、一服盛らせていただきました。致死毒の類です。今の貴方では助かるすべはないでしょう」
淡々と事実を告げる獣人参謀に、ブーンはどういうことかと思考を巡らせる。
差し出されたものに異常がないことは見て分かっていた。なにせアプリコが飲んだことを確認してから口をつけたからだ。
あるいはカップに塗ってあった?
いや、それならすぐに気が付く。カップは真鍮製。それに付着できる毒の見破り方は身に着けている。伊達に傭兵業をやってきていない。
だから、毒など入れる隙は……!?
そこまで考えて、ブーンはただ一つ、自分が安全を確認できていないものがあったことに気が付いた。
「あのシロップかお……!!」
迂闊だった。
あれだけ香りが強いものに毒を混ぜれば流石に判別は不可能だ。
それにまさか、あれだけの毒物を常々持ち歩いているわけがないだろうと先入観から信用してしまった。
「木を隠すなら森の中。毒を隠すには、苦味の中というわけです。あらかじめ毒を塗っておく手段もありましたが、万が一取り違えた場合が大変ですからね。目の前で淹れ、自分で飲む。そこまでしなければやっと警戒を解かないとは、いやはや大した戦士です」
アプリコはブーンの用心深さに心底から感心してみせた。
そこには敵意も殺意もない。
アプリコにとって、既に死を待つだけの相手に向ける感情は哀れみか称賛の二択であった。
「何をするつもりだお……!?」
必死に絞り出した声で、彼の意図を探る。
「単純な話です。貴方は私達にとって厄介だった。それだけです。
――――では」
アプリコが口笛を吹く。
それは合図だったのだろう。ほんの少ししてぞろぞろと見慣れぬ集団がやってきた。
黒衣を着た男や、高価そうな服を着た男。その後ろには鎧姿が何名か。
友好的な集団とはとうてい言い難く、事実として高価な服を着た男の顔には下卑た欲望が浮かび上がっていた。
「たった今見張りを無力化しました。致死性の毒を持ったので、もうしばらくすれば黙る事でしょう」
「ご苦労だった、同志アプリコ。では行くとしようか」
アプリコの声と、何者かの悪意に満ちた声がブーンの耳に響き渡る。
彼らが何を目的としているかなど、今の状況から考えれば明白だった。
どうにかして中のアルカナ達に異常を伝えないといけないが、唯一できることを除いて体は言う事を聞いてくれない。
異常なほどにタフなこの身体は、この時ばかりはただの重りと化していた。
「その前にだ。アルカナの飼い犬とは言え、わけも分からずに逝くというのは不憫だろう。せめて自分の命の意味ぐらいは教えてあげるとしよう」
リーダー格の男は、ブーンの元に歩み寄った。
おぼろげな視界に、白い髪が映り込む。
奇しくもそれは、自分達を召喚した彼女のものと全く同じだった。
「君は我らの最初の爪痕だ。それを光栄に思いながら死んでいけ」
その言葉を最後に、ブーンは意識を閉じた。
◇
「せん、せい……?」
アルカナに突き立てられた刃。
召喚ゲートの異常に気を取られた隙、魔術を重ねた隠匿の術と、獣人特有の気配遮断技術を用いて、完全な死角を取って放たれた一撃。
人体に放てば心臓を貫き破るだろうそれは、確かにアルカナの纏うコートへと突き刺さった。
しかし、それだけだ。
舞い散ると思われた鮮血はない。
漏れ出るだろう断末魔の声もない。
崩れ落ちるはずだった彼女の体は、しっかりと地に立っている。
アルカナは、健在だった。
「驚いたよ。まさか君とはね」
短剣は外套の繊維を切り裂けない。
星々舞う外套に施された防御術式によって、護られた彼女の体は、そんじょそこらの攻撃ではびくともしない。
隠匿の為に余計な部分をそぎ落としたただの刃であれば、逆に刃こぼれすらさせるのだ。
「私を疎んだ貴族達から暗殺者が送り込まれることなんて、両手で数え切れないほどあったからね。いつ何が襲ってきてもいいように防御用の魔法をしこたまかけておいた甲斐があったというもの。
――――それで、これはどういうことかな?アプリコ殿」
「……いやはや。流石はスターゲイザー。この一手を防ぎますか」
アルカナは振り向くことなく淡々と語る。
暗殺が失敗したというのに、襲撃者――――アプリコの表情は変わらない。
ある程度は失敗することを想定したということだろう。すぐに次の行動に移った。
アプリコは飛び退き、そこへマーロウの太刀が雷電と共に振り抜かれる。
「アプリコッ! これはどういうことだ!」
マーロウは激昂する。
かつてハグレを解放しようと同じ戦場に立ち、今は同じ村に暮らす同胞。
それがどうして、ハグレの味方に立つ彼女に刃向かうのかがわからなかった。
かの智将とあろうものが、まさかこの行動が浅はかであることが分からない筈もない……!
「マーロウ殿か、何、大したことではないよ。私は私の理由で彼女の計画が成就することを望まないだけさ」
君にはわからないことだよ。とアプリコはマーロウを惜しむように言った。長毛から覗く瞳は、強い決意に満ちている。
マーロウはそれ以上の言葉を押し殺して唸りをあげる。
それだけで、説得は不可能だと判断させるには十分だったからだ。
アルカナは、同じく見張りについていた筈の友人について問いかけた。
「さて、君がここにいることはブーンが君を通したと言う事なのだが……彼をどうした?」
「今頃ぐっすり寝ていますよ。もう目覚めませんが」
「まさか、殺したのか……ッ!?」
自分が殺した。と暗喩に伝える。
自分達のすぐ後ろで凶行が行われていたことに、ハグレ王国の面々は驚愕する。
アルカナは軽く眉を顰めるのみだ。
「……ブーンのやつめ、不覚を取ったか」
「手を下した身で言うことではないでしょうが、いささか薄情ではありませんかな?」
10年来の部下を失ったというのに、アルカナは悲しむ素振りを見せなかった。
「悲しむ暇がないだけだよ……。いいからお前の後ろにいる奴を出せ。さっきの呪文、お前が使ったわけじゃないだろう?」
魔法を使用すれば大なり小なり、消費魔力の残滓が周囲に充満する。
しかし目の前の獣人が魔法を使った形跡はない。
アルカナは、この一連の妨害工作が複数犯であることを確信しており、下手人を出す様に促した。
だが、その必要はなかった。
「――――その通りだとも、確かに主席を頂いただけの事はあるな。アルカナ・クラウン・アルバトロス。先の呪文なぞ、我が奥義の一端に過ぎない」
ぱちぱちぱち。
拍手の音を鳴らしながらこの場にない足音が近づいてくる。
全員の意識がそちらに向かう。
先ほどデーリッチ達が通った道からその足音の主は姿を現した。
白い髪。右目にかけたモノクル。
くすんだ星のような銀色の瞳。
身に纏う黒衣は影のように暗く、闇から這い出てきた死神を連想させる。
どこかアルカナと同じ雰囲気を感じさせるその男は、もったい付けたように口を開いた。
「御機嫌よう。諸君」
知性を感じさせる落ち着きのある声が洞穴に響き渡る。
他の者などどうでもいいというように、その視線はただ一人に注がれていた。
「私の名はジェスター。
男は自らの名を告げる。
その場にいる全員に聞こえるように。
目の前の彼女に刻み込むように。
「アルバトロス、だって……!?」
ローズマリーの言葉と同時、召喚士達の視線が師に集まる。
それは、つい先日に師が語った真の名と同じ――――!
アルカナもまた、真っ直ぐにジェスターを見つめる。
己と同じ名を持つ男。
それを目の前に、彼女は――。
「久しいではないか、アルカナ」
「お前は――――ッ!」
◇
ジェスターと名乗った、同じアルバトロスの名を持つ男に対して、アルカナは――――。
「誰だっけ?」
『いや、知らんのかい!!』
まさかの反応に、一同は思わずツッコんだ。
よりにもよって知らないって。
いかにも因縁ありますよお前の敵だよって雰囲気出してるのに、知らないは流石に無いだろう。
こんなんじゃあやってきた彼も面目丸つぶれだろうと、一同が再びジェスターを見る。
そして、当のジェスターはというと――――
「――――ああ、そうだよなぁ。お前にとっては私のような末席など目にも留まっていなかっただろう。主席の座を手にし、白翼を率いて人類を導くと言う使命を背負っていながら、その全てを捨て去ったお前には私のことなど掃いて捨てるほどの価値も無かったという事か。そうだ、それでいい。それでこそ、貴様を殺しに来た甲斐があるというもの!!」
言葉と共に、黒き魔力が膨れ上がる。
空間が軋む。
大地が揺れる。
正確には錯覚だ、
だが、ジェスターの足元から影を媒体として蠢き出す魔力が、彼の周囲を歪ませ、あたかも世界が揺れているように錯覚させているのだ。
「ちょっとちょっと。ホントに知らないの? あの人、めっちゃ怒ってるみたいだけど」
理知的な顔から一転して激昂する彼の様子に、思わずといった様子でエステルが師へと尋ねた。
「ああ。奴の顔なんぞ記憶にない。……ただまあ、奴の素性は分かるとも。
アルカナは朗々と自らの一族についてを語る。
ジェスターは異を挟まないことから、おそらくは事実なのだろう。
彼がアルカナの後釜であると言うこと、彼とアルカナの間には面識がないということ。
アルカナは鋭い視線をジェスターに向ける。
「……それで、なぜわざわざ、私を追ってここまでやってきたのか。まさか今更私を連れ戻しに来た、なんて訳がないよな?」
「そのまさかだとも」
先ほどまでの激昂が嘘のように沈めてジェスターは答える。
「お前の言う通りだよアルカナ。
整った顔立ちを嫌悪と執着に歪めながらジェスターは己の目論見を意気揚々と語った。
アルカナはため息をついた。
確かに自分が原因ではあるのだが、ここまで歪んだ殺意を向けられるのは端迷惑に他ならなかった。
「……要は私の不始末か。やれやれ、過去がこんな大事なところで足を引っ張りに来るとはね」
「あの、先生? 今とんでもなく物騒な単語が聞こえた気がするのですが?」
先代を殺した。という部分にメニャーニャがツッコミを入れる。
「んー? ああ、私の先代……まあ祖父にあたる存在をブッ殺したのは事実だよ。何せ実の孫に禁じ手で魔術を伝授させようとするクソジジイだったからね。いくらなんでもそれはノーセンキューってことで死んでもらった」
「いまいち要領を得ない説明ですが、ろくでもないってことだけはよくわかりました」
「まあ、私の身内事情についてはおいおい。いずれ語る時が来るだろうさ」
生徒への説明もほどほどに、今回の襲撃者たちへと向き直る。
「それで? 私を殺したいのはいやというほど伝わったが、まさかそのためだけにこんな回りくどい真似で実験の邪魔をしたのか?」
アルカナの問いに答えたのは、ジェスターではなく別の人物だった。
「いーやいや! そんなわけないじゃないか! シノブも含めて、君達にはここで消えてもらうためにこんな辺鄙な場所に乗り込んできてやったのさ!!」
そうして通路のほうから歩いて来たのは、金髪を後ろに撫でつけ、貴族の服を身に着けた傲慢そうな青年。
召喚士達にとっては、協会で散々見た姿だった。
「マクスウェル……!」
「久しぶりだなシノブ。それにエステルも。泥にまみれながらしぶとく生き残ったようじゃないか!」
「それはこっちの台詞よ。よくも私に濡れ衣着せてくれたわねこのクソ野郎!!」
彼はシノブが召喚士協会に在籍していた時の協会員である。
シノブはその突出した才能故に多くの人間から嫉妬され、数々の妨害を受けてきた。
マクスウェルはその中でも特に妨害工作を行っていた張本人で、取り巻きを使って自分の手を汚すことなく嫌がらせを続けてきた。
しかし南の世界樹で魔物が出没したことをエステルの罪として偽装しようとしたことが発覚し、逮捕されて除名処分となった。
そして、現在はまだ牢獄にいる筈だった。
「協会を抜けた召喚士は多くが地下に潜ったと聞きましたが、貴方もその例に漏れませんでしたか。しかし、貴方はまだ塀の中で臭い飯を食べているはずでは?」
「メニャーニャか……。ふん。僕には色々と使えるものがあるんだよ。お前たちなんかとは違うのさ!」
「ただの権力と金じゃない! それで? みじめったらしくシノブの嫌がらせに来たってわけ? そんな怪しい奴の背に隠れてまでさ」
「言うだけ言いたまえよ。どうせお前たちはここで仲良く死ぬんだからさ。
……同志サーディス! もういいだろう!!」
エステルの挑発にも動じず、マクスウェルは自身の同盟相手に呼び掛けた。
「うむ。それでは君達にはここで消えてもらおう。ハグレ王国と召喚士協会、我々にとってその二つは邪魔なのでね。トップにはご退場願うとしよう」
ジェスターが指を鳴らす。
それに応じて、機械製の鎧を着た10人ほどの武装兵がデーリッチ達の前に立ち塞がった。
皆一様に武器を構え、デーリッチ達への敵意をむき出しにしている。
「フレイム!」
先手必勝とばかりにエステルが火炎を放つ。
獄炎の炎が呼び出され、兵士たちへと殺到する。
「……全然効いてない!?」
だが、灼熱に晒されているにも関わらず金属の装甲はびくともしない。
むしろ、炎が触れた側から輝きを増しているようにも見えた。
「ははっ! どうだ、そいつは僕達の傑作。魔導兵だ」
「正式名称は《魔導型機動装甲具》だがね。原型となった古代兵器を彼の手で復元し、私が欠点を改良し、ハグルマの持つ技術力で量産を可能にした。我らの誇る新兵器だとも。受けた魔法を吸収し、マナに還元して動力に変える。まさしく魔法使いを駆逐するための兵器だ」
自信満々に説明するマクスウェルを、ジェスターが補足する。
魔法を無効化どころか吸収する無法とも呼べる性能。
開発に携わったハグルマという名前。
シノブの脳裏には先日エルフ女王との話に出た内容が思い出された。
「まさか、サハギン族の新兵器というのは……!!」
「その通り。これと同じ技術を使った、対魔法用装備をサハギン達には提供している。おかげで、我々の組織も随分と潤ったよ」
兵器を量産するための理論と、その原型となる古代兵器。
それらを手土産に宗教組織と交渉し、ジェスター達はサハギン族と手を結んでいた。
確かに、こんな性能の兵器を齎されれば他種族に戦争を仕掛けるのも容易いはずだ。
「成る程、どうして連中が調子づいたのかと思ったが……。全部お前たちの仕業か。だが一つ腑に落ちない点がある」
アルカナはアプリコに視線を移す。
「私達にけしかけるための兵器を作るためにサハギン族とその後援組織を取り込んだのは理解できる。……だが、なぜ獣人である彼を扇動した? サハギンはエルフとの戦争を制するために乗ったのだろうが、アプリコ殿は無関係の話。どう考えてもそこは目的に合わんだろう」
「確かに貴様らしい予想だな。だが、彼を含めこの世界でハグレと呼ばれている者達もまた私の同志なのだよ。ここには来ていないが、多くの同志はこの大陸中で立ち上がる時を待っているのだから」
自分達の仲間はこれだけではない。
ハグレが立ち上がる時を待っている。
ジェスターの回答に、アルカナは彼もまたハグレという存在に肩入れしていることに気がつく。それも、反乱という方向に。
成る程、とアルカナは一人納得する。
いくら自分が憎いからと言って、同じ白翼である以上は人間社会を支えるという根本原理が一致する。
そして現在この大陸は帝国人とハグレの二つの社会が存在し、ハグレが一方的弱者の立場に甘んじている。そしてそれを作ったのは召喚士だ。
であれば立場を隔てるのは召喚士という存在以外にあり得ない。
自分が召喚士として現在の社会を善しとした以上、彼はそれを憎む側に立ったということだろう。
「それは、私達が召喚士だからか?」
「惜しいが違う。ところでアルカナよ、君は随分とこの世界の人間の為に頑張っていたようじゃないか。それこそ君が動かなければ起こった動乱もあるだろう。……ゆえに、
比喩に満ちたその不可解な言葉は、しかし未来を覗く術を持つアルカナにとっては動揺させるに十分だった。
「……ッ! ジェスター! 貴様さては……!!」
「さぞかし、頑張ったのだろうよ。……その全ては無駄な足掻きだ。我らはハグレと呼ばれた悲しき者達を立ち上がらせよう。そして腐りきった帝国を、世界を打ち壊し、新たな世界を築き上げる」
「そんなに私が憎いとはな。人の世を存続させるのは、我ら白翼の使命だと認識していたが?」
人類存続。
人類の繁栄を陰で支える。
それこそがこの世界に落とされた白翼の一族に定められた使命である。
だというのに、この男は世界を滅ぼすと言った。
一族の使命に背いてまで、自分への意趣返しを行うほどに、憎悪を募らせていたのか。
しかしアルカナの想像とは裏腹に、返ってきた答えには理由があった。
「確かにそうだとも。我が命題は美しき世界を、完璧なる未来を導くこと。だが、私は貴様を追ってこの大陸の土を踏んだ。そうして、ハグレと呼ばれ蔑まれる者達を見て思ってしまったのだよ。
そんな、この世界への失望を声に乗せてジェスターは見解を語る。
人類のより良い在り方を望んだ彼にとって、この世界の歪さは見るに堪えないものだった。
だからこそ、ハグレを扇動し、帝国を転覆させる。
そうして国を一から作り直し、世界を自らの手で直々に導く。
それが最も最善な方法なのだと彼は断言した。
「随分とアグレッシブじゃないか。今までうちの連中は国を陰から支えるぐらいしかしてこなかったのにね」
白翼の伝説をひも解いても、一族が積極的に外界と関わってきたことはない。
むしろ先陣を切って革命に加担するなどの、秩序を乱す行いは禁忌とされてきたのだ。
そんな一族の掟を、愚かだとジェスターは吐き捨てる。
「歴史を陰で支える? この星の人類に寄り添う? そのような及び腰であったからこそ、この世界はここまで腐り果てた! だが、私は違う。私は正しく始祖の命を遂行する。腐りきったこの世界を破壊し、白翼が正しく導く文明を築き上げる。それで貴様に対する復讐は完遂される」
泣き出すような目で、理想を語る声が響く。
自らの価値を貶めたありとあらゆる存在への嫌悪。
このような醜悪な文化が存在することへの慚愧。
それこそがマクスウェルすら引き込んだ、ジェスターの執念だった。
だが、それは明らかにおかしい。
個人への憎悪と、社会への憎悪を一列に語る。
それは、並大抵の感情ではない。
それは、真っ当な判断ではない。
それは、正気の沙汰では断じてない。
「……イカれてんのか?」
端的に発したルークの言葉を、ジェスターは一笑には付さなかった。
「然り。狂気をごく普遍的な価値観で理解できぬことを指すならば、この場にいる我ら全てがそうだ。……君もそうだろう? 同志アプリコ」
「違いありますまい」
そうして、沈黙を保っていた獣人が問いを投げかけた。
「――アルカナ殿。プラムという獣人を覚えていますかな?」
「ああ、覚えているさ。10年前、私が殺した戦士だろう?」
かつてのハグレ戦争。
最前線に立って戦ったアルカナ達の前に、ハグレの軍隊を率いた戦士が立ちはだかった。
一騎当千の益荒男。
戦場を駆け抜け、帝国の兵士を蹴散らす
その獣人はアルカナ達を手こずらせながらも、最終的にはアルカナの手で討ち取られた。
「彼は私の息子だ」
「成程、つまりは仇討ちか」
至極まっとうな理由だなとアルカナは納得するが、アプリコはかぶりを振って否定する。
「――――そうではない。そうではないのだよスターゲイザー。彼は戦いで死んだ。戦士である以上は当然の結末だ。そこに意を挟むことは彼の名に泥を塗る行為だ。私が真に許せないのは、あの子の名前が慰霊碑に刻まれていないことだ」
誇りを懸け、命を賭して戦い、そして散っていった異界人たち。
勇敢なる戦士たちが戦場で死ぬのは戦争の道理。
なればこそ、戦いが終わったのならば敵味方関係なく、散った者達を弔いその雄姿を讃えなければならない。
死した者を軽んじることは、例え敵国であっても許されない。
それは多くの世界、戦場で共有される不文律のようなものだ。
だが、弔われなかった。
だが、讃えられなかった。
帝都の広場に設置されている、ハグレ戦争慰霊碑。
そこには犠牲になった帝国民の名前が刻まれ、鎮魂の象徴とされているが、そこにハグレの名は一つ足りとて刻まれていなかった。
「……墓ならあるッ! あの村には、戦士たちを弔う墓地があっただろう!!」
「確かに、あの村にも戦死者の墓地はある。だが、それはあくまで名も無き墓標だ。息子が眠る墓ではない」
マーロウの言葉にもアプリコは決して動じない。
――――ケモフサ村にある共同墓地。
ハグレ戦争にて、各地からバラバラに合流してきたハグレ側では、仲間の素性を把握してないということは珍しくなかった。そのため、正確な死人の数も、名前すらも分からないままに、その墓地は作られた。
戦死者を弔うために作られたそれは、彼からしてみれば、見るたびに憎悪が燃える薪でしかなかったのだろう。
かつてないほどに憎悪を吐き出す仲間の姿に、ルークは思わず呼びかけた。
それは、つい先日に聞いた不可解な言葉の真実だったからだ。
「……アプリコさん。あんただって元の世界に帰りたいんじゃなかったのか? だってあんたは……!!」
「ルーク君。私には元の世界に妻がいると言ったね。
「アプリコさん、貴方はもしやッ!」
「私にとって、息子の存在だけが元の世界との繋がりだったんだよ」
ハグレ王国の者達には、思い至る事例があった。
召喚されたハグレの記憶はまちまちだ。
強く帰還を望む雪乃を始めとして、ジーナとアルフレッドの姉弟など元の世界についての記憶を完全に有している者もいるが、デーリッチやハピコの様に元の世界についての記憶が思い出せない者もいる。ニワカマッスルに至っては、本名すら思い出せないのだ。
息子と共に召喚され、元の世界についての記憶を失い、ただ妻がいたということだけしか分からない彼の苦痛は、決して癒えるものではなく。
元の世界と唯一繋がる証を絶たれ、その痕跡すらも忘れられようとした彼が行きついた先を否定することは、誰にもできなかった。
「私は、あの子がいたという証を、奴らが忘却の彼方に押しやることを断じて認めない――――!!」
獣人の慟哭と共に、空虚なる扇動者は告げる。
「私は否定する。自らが犯した罪を贖う事もせずに忘却する者達の生きる世界を。私は拾おう。この世界で忘れ去られゆくものを。己の価値を認められなかった者達を。――故に、この世界を肯定する貴様らをここで踏みつぶそう」
その言葉を合図に、待機していた魔導兵が動き出した。
「――――総員、戦闘態勢! 生き残り、この場から逃げることだけを考えろ!!」
忘れ去られたものが、世界に爪痕を残すべく叛逆の咆哮を上げる。
居場所を認められなかったものが、この世界に牙を向く。
人々の忘却の彼方より、憎悪の刃が突き立てられた瞬間だった。
〇アプリコ
元の世界の記憶を失ったハグレ。
共に召喚された息子を拠り所としていたが、それすらも戦争で失った。
そして、それは10年という歳月の中で忘却されようとしていた。
ブーンに対しては【青酸カリ】を【パーティ】で服用させた。
〇ブーン
14番へ行け。
〇ジェスター・サーディス・アルバトロス
アルカナが白翼を出奔した後に主席に就いた男。
最初はアルカナを倒すだけだったのが、ハグレ社会を見て革命せねばと考えた。
この時点でハグレ王国が勝てる相手ではない。
〇魔導型機動装甲具
原作で出たバイオ鎧の量産型。