文字数増えすぎた
『召喚士エステル。罪状:南の世界樹における危険召喚』
その指名手配書が帝都中に貼り出されたというのは、アルカナの記憶には無かった。昨日は貼り紙について見た覚えはなく、自分が掃除に明け暮れている間にばら撒かれたのだろうと推測した。
罪人になったエステルはというと、逮捕に向かった兵士から逃亡し、現在は行方不明である。
その話を聞いたアルカナはというと――、
「あっははは。これは傑作ね」
メニャーニャが持ってきた手配書を見て爆笑していた。
一度は慌てた様子を見せたアルカナであったが、少し考える素振りをした後、椅子に座って
「なるほど、それでエステルは何をやらかしたのかしら?」
などと言って詳しい話を聞こうとした。
メニャーニャもそこまで詳細を知っているわけではないので手配書が貼りだされている旨を伝え、自分が引きはがしてきたものをアルカナに手渡したのである。
「いや、何で笑っているんですか。先ほどはかなり動揺してましたよね?」
「まあね。いきなり指名手配だなんだと聞いたら私だって動揺するさ。
よくよく考えてみて、濡れ衣だと想定がついたから、今はこうして笑ってる」
良くも悪くも平常運転のアルカナにメニャーニャは呆れる。
ある程度は予想していたが、親しい人間が指名手配されていると聞いてここまでマイペースを保っていられるのも彼女ぐらいだろうなと思った。
「仮に間違って先輩が逮捕されたらどうするつもりですか?」
「『まさかこんな事をする人間には見えませんでした』と記者に答えるしかないかな」
「新聞のインタビューみたいなこと言ってる場合でもありません。それでどうするんですかこれ、嵌められてますよ先輩」
アルカナの茶化しを流しつつ、エステルが逮捕された原因をメニャーニャは推理する。
実際これは、シノブの台頭を良く思わない他の召喚士が仕組んだ派閥争いの一環である。十五歳という若さでありながら一級召喚士として名が知れるシノブは、その規格外とさえ言える魔力量や卓越した頭脳から歴史に大きな足跡を残す『魔導の巨人』として一目置かれているが、自らの地位を脅かす存在として彼女を疎む者も多い。
シノブが現在最も親しい人物はエステルであり、シノブの名誉を貶めるには彼女を利用するのが効果的であると相手は判断したのだろう。
とはいえ、緊急逮捕のために衛兵が動くほどの罪はそう簡単に捏造できるものでもなく、財力や発言力の大きい人物が犯人であるとアルカナは考え、この事態を引き起こせる人物を記憶の中から検索する。
「んー、マクスウェルの小僧辺りかな。目的はエステルを嵌めるというよりはシノブの失脚だろうね。シノブは基本的にここにいるからケチの付けようが無くて、部下として派手に動いてるエステルなら付け入る隙があると考えたかも」
「あー、あいつですか。確かに金だけはありますからねえ」
マクスウェルとは召喚士協会に所属する貴族出身の一級召喚士である。彼もまた優秀な頭脳を持つ秀才なのだが、とびぬけた天才であるシノブを目の敵にしており、高慢な性格も相まって才能を上手く活かせていない男だ。
アルカナもマクスウェルとは何度か接触しているが、シノブと懇意にしている関係からか、決してその関係性は良好とは言えない。取り巻きを使ってシノブへの嫌がらせをしていると聞けばアルカナはマクスウェルをぶっ飛ばしに行き、彼も協会の重鎮であるアルカナを表面上は立てているが邪魔者として扱っているのは第三者から見ても明白だった。
「人数集めて資料を捏造すれば騎士団の目は誤魔化せる。ただ半年前の活動に因縁をつけたのは失敗だったな。いずれボロが出る」
半年前に南の世界樹にて行ったゼロキャンペーン。それが原因で魔物が溢れて世界樹は人が近づけなくなり、帝都が認定を取り消さざるを得ない事態にまで発展させたことがエステルの罪だとされているが、世界樹の認定が外されたのは一か月前の事でゼロキャンペーンが原因とするには無理筋な話なのだ。
「しかし、いくらシノブ先輩が憎いからといって普通ここまでやりますか?」
「形振り構ってられないのでしょう。とはいえここまでやると法務部が黙っているはずが……」
だからといって犯罪行為に手を染めるのは流石にやり過ぎだ。
シノブを追い出したところで冤罪が露呈すれば自分達も地位を失うのがわかっているだろうか。
あるいは金でどうとでもなると思っているのか。
流石に緊急逮捕を実行できる罪状を捏造したとあれば、帝国法務部の面子もある。いくら貴族でももみ消しなど不可能に近いのだが……
「先生?」
「おっと、すこし考えすぎたか」
メニャーニャの声が演算を中断する。
放置しておいても連中は自滅する。
気にすることではなかったとアルカナは思考を切り替えた。
つまり、もう一人の当事者の事だ。
「ともあれ、今の私達にできることはほとんどないな。シノブの様子を見に行こうか」
今なら一階にいるはずだと、二人は一階へ降りるため階段へと向かおうとした時だった。
コンコンコン。コン。コン。
三回、間をおいて一回、もう一回。
自分が知る人間の中でも限られた者にだけ通用する符丁を示す独特なノックを聞き、立ち上がろうとしていたアルカナは座りなおしてその人物を招いた。
「ああ、入っていいよ」
「失礼します……あら、メニャーニャ」
「どうも、シノブ先輩。大変なことになりましたね」
入ってきた人物は今回の当事者の一人、シノブだった。
「遅くにやってきてすみません」
「事態は把握してるよ。とりあえず座って」
アルカナはシノブに席に着くよう促す。
「それで、指名手配だっけ?災難としか言えないわね」
「ええ、それなんですが……」
シノブはエステルが帰ってきてからの一部始終を語った。
「なるほどね。手紙を盗まれたか……。おおかたエステルは世界樹で魔物が出たという話をシノブに伝えようと手紙を出して、そのことを知った連中がそういう様に罪を捏造したんだな」
現状確認として整理した情報を淡々と口に出すアルカナ。
シノブは思いつめているようでただ暗い顔をしている。
「私のせいです。私がキャンペーンを打ち切らずに続けていたから……」
「そうやって自分で抱え込むのは悪いところだよ。全く、私がしっかりしていないからだな」
自分を卑下するシノブを叱咤するが、気負っているのはアルカナも同じだった。
少なくとも貴族派の動きに目を光らせておけば、こうなる前にある程度の手は打てたのではないかと後悔する。
「お二人とも少し気落ちしすぎです。私だってもう少し先輩方のことを気にかけていたら何とかできたはずですが」
後輩もどうやら同じようなことを考えていたらしく、ここにいる三人ともが自分の不甲斐なさを責めていることに対してアルカナは苦笑する。
「責任感じてるのは全員一緒か。やれやれ、嫌なところで似てるなあ私達」
「そうですね。これをエステルがいたからかしら」
「エステル先輩の生き方は眩しいからですからね。...私達は知らないうちにそれに頼ってたんでしょうね」
今はそのチームの元気担当が危機に陥っている。ならば彼女達が取る行動など決まっていた。
パン。と勢いよく手を叩いてアルカナは立ち上がった。
「ようし!それじゃあ動くとしようか。シノブ、メニャーニャ。お前達は朝からエステルの悪評を払拭する準備。帰ってきて犯罪者扱いじゃああの子も居心地が悪いからね」
「先生はどうするんですか?」
「私はこれから伝手を頼ってみよう。人探しに得意な奴を知っている」
「夜更けにですか?」
「こんな時間だからこその場所を知ってるのさ」
アルカナはとっておきだという様に笑った。
◇
『サモンバッカス』地下一階。
普段は酒場としての賑わいを見せるその店は、明かりを落とした深夜には別の顔を見せる。地下には多くの個室が広がっており、防音の魔法がかけられているため秘密の話をするにはうってつけの場所として多くの人間が利用しており、アルカナはその『裏の常連』の一人でもあった。
従業員に案内された部屋をアルカナが開けると、先客の視線がアルカナに向いた。
「久しぶりだね、ヴィオ」
「このような夜中に呼び出すとは、貴方らしくないですな」
ヴィオと呼ばれた
「急な用事でね。これを見てくれ」
アルカナは手配書をテーブルの上に置いて見せつけると、猫に似た瞳孔が収縮と弛緩を繰り返した。
「この娘は……」
「うちの後輩。知ってるだろう?ちょっと貴族様のいざこざに巻き込まれてね」
「人探し、と言う訳だな。いいだろう」
尊大にも聞こえる獣人は手配書を受け取って懐に仕舞いこむ。
事情を詮索せずに頼み事を請け負ってくれるこの人物をアルカナは信頼していた。
ヴァイオレット・ロマネスク。
仲間内からはヴィオと親しまれるこの猫人は俗にいうハグレであり、ハグレ戦争の折に他ならぬアルカナが召喚したことによってこの世界へと居を移した。
そもそもハグレとは、召喚術によってこの世界に呼び寄せられた異世界の住民だ。
知性体を召喚する術の確立によって、自分達とは異なる系統の技術や魔法、そして種族を手にすることができるようになり、人々は活気づいた。
お世辞にも満足なものではなかったこの世界には産業革命期が訪れ、瞬く間に文化を進めていったのである。
当の召喚された者たちの事情など、考えもせずに。
結局のところ彼ら自身に対して価値を見出していたわけではないこの世界の住人は、使える技術を特許として当の本人には扱えないよう制限するわ、その力だけを安く使おうと丸め込もうとするわ、おおよそ自分達と同じ人格あるものとして尊重することをしなかった。
その事実を問題視していた者もいたにはいたのだが、異界召喚に浮かれ切った世情でマイノリティの言葉を真面目に受け取るような者は殆どいなかった。
……故に、この結果は当然とも言える。
十数年前の大量召喚期によってこの世界に招かれ、技術や力を搾取されるままにしていたハグレ達が発起することで起こったのが今でいうハグレ戦争である。
その際に暴徒鎮圧の矢面に立ったのが、戦争の原因とも言える召喚士協会であり、協会の設立当初から所属していたアルカナもまた武力調達の一環として王室から召喚の命令を下されていた。
召喚されたものによる反逆を鎮めるためにさらなる人材を召喚するという、一見して堂々巡りにしかならない状況を嗤いながらアルカナは召喚を行い、その結果彼女は三人の生命をこの世界に招き入れた。そのうちの一人がロマネスクである。
多少の揉め事があった他二人とは異なり、彼は召喚された当初から自身の置かれた立場を理解し、戦いの場へ赴くことを承諾した。
そんなロマネスクに対して、アルカナは疑問を投げかけた。
――呼び出した身で言うのも何ですが、戦争に出るんですよ。何故受け入れられるのですか。
「もとより吾輩は気ままな風、これも縁が結ばれたというであろうな」
寡黙ではあるが義を通すことを善しとし、自らを旅人と称する猫人はアルカナの問いにそう答えた。
そして彼らは帝国側として戦争に参加し、事態の収束に貢献した。
反乱が沈静化した後、ハグレは人権を認められるようになったが、それは形式上でしかないことは明白だった。
もとより自分達とは異なる存在。
それが過去に自分達の平穏を脅かしたということでハグレは忌避され、見下されていった。
召喚という技術は、人を幸せにするのではなく、誰も彼もに不幸をまき散らしていったのだ。
多くのハグレが細々とした生活を送るようになった中で、アルカナは召喚した三人を直属の冒険者として雇い入れた。
それは責任を感じてのものかはわからないが、寄る辺を失った者に対しての使命感によってアルカナは手を差し伸べたのである。
つまりロマネスクはアルカナが最も頼りにしている人物の一人ということである。
「しかし、貴方には星見がある。それで彼女の安否などわかるのではないですかな?」
「それがお恥ずかしいことに、わからないのさ」
アルカナは星術を用いた演算で疑似的な未来予測を行うことさえ可能であり、酒場で賭け事に興じる時はそれを活用してよく酒代を賄ったりする。かつてはその力で一角の地位まで築いたほどだ。
だが今回の成り行きを見ればいいのではという意見に対してアルカナは無理だと言った。
「知っての通り、私は預言者としては半端者だ。
予測に必要なのは現在の情報。本来なら変動しないこれを用いて未来をシュミレートするのが私達だけど、ことこの世界においてそれはあまり意味がない。だって――、」
「召喚があるから、だな?」
「イエス。この
「まさに明日は明日の風が吹くという訳だ」
ロマネスクは目を細めて紳士的に笑った。
「そういうこと。
……それで本題だ。
一.エステルがどこに行ったのか。
二.追手について。
三.彼女の安否。
この三つぐらいは調べてくれ。期限は問わない。仮に無理だと判断したら切り上げて構わない。以上だ」
アルカナはそう言って机の上に金貨の詰まった袋を置いた。
「請け負った。貴方とエステル殿のために全力で挑むとしよう」
「ありがとよ」
袋を手にしたロマネスクと厚い握手を交わし、アルカナは酒場を後にした。
夜が明け、日が真上に登る。
「やっぱり頼んでみるものね」
アルカナの手に握られているのは、ロマネスクが調査内容をしたためた報告書である。
内容としては、南の世界樹付近でエステルを捜索していると思わしき集団がいたこと。そのうちの一人を捕まえて聞いたところ、その集団がエステルの暗殺のために雇われたもので、彼女を発見したものの救援が駆けつけて返り討ちにあったこと。そして自分達が逃げた後別のグループが捜索していたが痕跡を残さずに消えていたことが挙げられてた。
「うんうん。これならあの二人も肩の荷を下ろすことができる。ヴィオには後でボーナスを支払ってあげなければ」
朝から慌ただしく動いている二人の生徒の事を考え、満足げに頷く。
およそ一晩でここまで詳細に調べてきた手際の良さを称賛するほかなく、後でボーナスを送ることを決めたアルカナは、報告書の最後に加えられていた内容にもう一度目を通す。
――大陸西の村を中心にハグレ達が国を興したという噂あり。エステル嬢の仲間と関係ありかと思われるため報告。
「西の辺境にハグレ王国という国ね。これはまた面白そうだ」
協会にとってはある意味一番大きなその情報を、アルカナは誰にも伝えることなく胸の内に仕舞うことにした。
それはおそらく、シノブが言っていたエステルが詳細をはぐらかしたキャンペーン先の村のことだろう。だがシノブへの報告にはハグレの集団という内容は隠されていた。
さもありなん。ハグレが寄り集まっていると聞いたならば帝都では良い顔をする者は少なく、軍事介入までとはいかずともよくない動きが起こるという配慮からだろう。あるいは直接釘を刺されたかのどちらかだ。
そんな弟子の思いやりを、アルカナは汲んでやることにした。
「でもまあ、気になるから後でこっそり見にいこっかな」
何か大きな流れの変化を確信し、白い賢者は期待に胸を膨らませた。
◇
後日、召喚士協会は衛兵隊による大規模なガサ入れが行われた。
南の世界樹の神が、直々に魔物召喚の被害が存在しないという内容の陳述書を提出してきたことで、エステルが逮捕されないことに訝しんでいた法務部が協会の裏工作の存在に確信を持ったのだ。
首謀者のマクスウェルは文書偽装の罪と非合法な暗殺依頼を行った罪の他、その他多数の余罪を土産として逮捕され、協会からも除名処分となった。同じくシノブを貶めようとした協会幹部もマクスウェルに罪をなすりつけようとしていたが、アルカナが調査結果含めた後ろめたい諸々をコネを使ってタレコミしたため、まとめてお縄につく形となった。
エステルも冤罪であることが判明し、名誉も回復。少なくともあと数日経てば大通りを歩いても問題はなくなる見通しだ。
一方で召喚士協会は大々的な不祥事と言うこともあり、結構な数の召喚士が見切りをつけ野に下っていき、かつてのハグレ戦争直後ぐらいにまで規模が落ち込むこととなった。
「あーあ、やっぱりこうなったか」
召喚士協会の一階。その談話室でアルカナはぼやいた。
きしきしと椅子を揺らす音が部屋に反響するほどにまでに閑散とした部屋の有様を見て、これも一つの結末かと嗤う。
「マクスウェルの小僧が後先考えずに行動した結果がこの有様じゃ。これでは王宮からの助成金も打ち切りじゃわい」
「その割にはしっかりと事後処理に精を出してるじゃないか。なあ協会長?」
「いいからお主も手を動かせ」
アルカナの対面には老人が座り、茶を啜る暇もなく大量の書類に目を通している。
現召喚士協会会長のウォレッシュである。
勢力争いに静観を決めていた彼は、アルカナとは協会設立当初からの知り合いであり、彼女の無茶ぶりを通すために数年前から教会長の席に座らされていた。
彼はマクスウェルの不祥事に対する事後処理に追われており、ついでに言えばアルカナも人手が足りんとばかりに事務仕事に駆り出されているのだった。
協会長である彼が事務室ではなくこんな開けた場所で書類仕事ができるほどにまで人は減った。
それは不祥事による貴族派の人員が殆ど抜けた以外にも理由がある。
「わしはここ以外に居場所などありはせんからの。老いぼれが野に下ったところで何にもなれん」
「逆にシノブはここを居場所としなかった、か。寂しいものだね」
話の通り、稀代の天才であるシノブは召喚士協会にはもうおらず、注目されていた彼女が離脱したという事実がまた、有望な召喚士が協会に見切りをつけた一因であった。
今や召喚士はメニャーニャを始めとした、アルカナへの義理がある少数のみである。
「お主に懐いていたのだから引き止めればよかったのではないか?」
「シノブは私と同じで、私とは違う。あいつの道を後押しはするし、どう生きるかを教えてやれるが、全部を決めつけてしまってはいけないんだ」
「わしの半分ほどしか生きていない小娘が、悟ったような口を聞きおって」
「持ち上げられては突き落とされてを二回は味わったからね」
そう言って過去に思いを馳せた後、アルカナは書類の束を片付け始めた。
――話は先日に遡る。
「何、協会を抜けるだと?」
「はい、私が協会にいたからこんなことになったんです。
だから、私は協会を去ります。エステルが帰ってきても安全なように……」
「わかった。好きにやれ。こっちの問題は請け負った」
シノブの提案をあっさり受諾するアルカナ。
「あの……、いいんですか?」
引き止められると思っていたのか、シノブが驚いたような表情をする。
エステルの安全のためという言葉は本当なのだろう。だが、シノブが協会から離脱する理由がそれだけではないことをアルカナは察していた。
「こんなところにいたらいつまでも世界は変えられない……。そうだろ?」
エステルとシノブがゼロキャンペーンを行っていた目的は、世界を少しでも良くすること。
人が笑って過ごせるような世界を作るために召喚士協会で研究を続けていたが、身勝手に振る舞う協会にいては何時まで経っても研究が進んでいかない事実に彼女は動かざるを得なかった。
その事をわかっているため、アルカナはシノブを引き止めずにただ彼女の意思を尊重した。
「……先生は何でもお見通しですね」
参ったというようにシノブがほほ笑む。
シノブは自分に対して化け物だ人でなしだと言ってくる連中の事を何も分かっていない仕方のない人間だと考えていたが、それとは別にアルカナという人物が自分のことを分かっていると言わんばかりに世話を焼いてきたことが不思議で仕方なかった。
エステルもそうやって自分を引っ張ってくることが多く、もしかしたら自分は割とわかりやすい人間なのだろうかとシノブは考えた。
「そうだな、他の連中はお前のことをわからないと言うが、お前ほどわかりやすい奴もいないと私は思うね」
「そうですか?」
「ああ、だってお前は……」
やっぱやめた。とアルカナはそこで口を濁した。何故かと言われれば特に理由はないが、何となく今ここでシノブに言うべきではないと思ったからだ。
「そら」
「……これは」
「連絡用の使い魔だ。困ったことがあれば何でも言え」
そう言って渡されたのは水晶で作られた鳥の彫像。おそらくは伝書鳩と同じように使える魔道具なのだろうとシノブは推察する。
どうやらこの
「ありがとうございます。ですが、先生の手を煩わせることになるのでは……」
「いいのいいの。どうせ暇なんだし、定期的に便りでもくれたほうが退屈しなくて済むからね」
「……ですが」
「いいから受け取れ。連絡くれなかったら寂しさこじらせて、特定して凸しちゃうぞ☆」
そういってわざとらしくウィンクをすると、物理的に星が舞った。星魔法の無駄遣いである。
「ふふっ。可愛くないですよ」
「……改めるとこっ恥ずかしいな。まあいい。お前の様子を定期的に伺いに行くのは事実だ。一人だと思い詰めて何しでかすかわからんからな」
「もう、ひどいですよ」
などというやり取りの後、シノブは協会を去り、帝都を発った。
「……お前がいつか心から涙を流せる時が来ることを、切に願うよ」
いつも泣き出しそうな目をしていた少女に向けて、アルカナは激励を送った。
《ヴァイオレット・ロマネスク》
アルカナが召喚したハグレの一人で、パーティのまとめ役。
青紫の毛をした猫人族で、嗜好品としてまたたびを吸う。
アルカナは研究室を頻繁には留守にできないため、彼のような冒険者にフィールドワークの事前調査や触媒の採取などの依頼を持ちこんでいる。
情報収集ぐらいなら一晩でやってくれる。
余談だが、本作に於いてマナの実の苗を持ってきたのはこいつ。
○おまけ【エステル合流時の会話】
マリー「ところでゼロキャンペーンってどれくらいの人数が参加してるの?」
エステル「うーん、四人?」
マリー「なんで疑問形?」
エステル「いやあ、基本的にこのプロジェクトはシノブっていうめちゃくちゃ天才な友人が理論を作ったんだけどさ、その子飛び級重ねて13歳で協会に入れるほど頭良いのに世渡り下手くそだから周りから疎まれてんだわ」
マリー「そりゃ疎まれるわ……」
エステル「まあその分めちゃくちゃ優秀な後輩と能力がバグってる先生も協力してくれてるけど、今はちょっと忙しいから実働要因は私だけなのよ」
デーリッチ「つまり実質二人でちね?」
エステル「そゆこと。まあうちの先生って協会の重鎮だから不自由とかは全然なかったんだけど。マンパワーだけはどうしようもないから細々とやってくしかないのよね」
マリー「ひどく世知辛い話だ……」
これで前日譚はおしまい。
次回は短編集になります。